第82話「二十一歳、初めての教習所――運転席に座る前に学ぶこと」
第82話です。
今回は、創が初めて成城中央自動車学校へ向かいます。
まだ技能教習には入らず、入校手続き、視力検査、適性検査、標識や安全確認など、まずは運転席に座る前の基礎から。
新たに担当するのは、穏やかですが確認不足には厳しい長瀬孝弘・46歳。
銀行でも身につけてきた創の「慎重さ」は、運転では長所である一方、考えすぎによる判断の遅れにもつながると分かります。
仕事とは違う新しい「確認」の形を学ぶ、教習所編の最初の一話です。
火曜日。午後五時三十七分。
東京都千代田区、大手町。
青嶺中央銀行本店、十八階。法人営業第一部。
『……よし』
宮嶋創は、PCに届いた審査部からの連絡を確認した。
正式審査へ進んだ東央精密製作所の設備更新資金融資案件について、最初の追加確認事項が届いている。
設備の導入予定時期。メーカーへの支払条件。既存借入金の返済予定。複合ストレスケースに置いた前提の根拠。
どれも、審査を進めるうえで必要な質問だった。
創は回答できる事項と、顧客へ再確認しなければならない事項を分けていく。
「宮嶋」
『はい』
相沢拓也が時計を見た。
「今日は教習所だろ?」
『はい。七時からです』
「なら、これを今日中に全部返そうとするなよ」
『分かっています』
少し離れた席から、桐生雅人も声をかける。
「宮嶋。続きは明日でいい」
『はい』
「審査は逃げない」
『教習所も逃げませんけど』
「予約があるんだろ」
『あります』
「だったら、今日はそっちへ行け」
『分かりました』
佐伯遼が隣から振り向いた。
「今日が初日?」
『はい』
「いきなり運転するの?」
『今日はまだです。入校手続きと、視力検査、適性検査、説明、最初の学科です』
「二十一歳で初めて免許を取るなら、普通じゃない?」と藤崎美優。
北川玲奈は少し考える。
「でも、銀行員として何年か働いてから取るのは、少し珍しいかも」
『高校を卒業してすぐ就職したので。東京では電車で困りませんでしたし』
「じゃあ、どうして今?」と水野拓海。
『……』
創は一瞬だけ答えに詰まった。
本当の理由は、これから四人家族になるからだ。
璟瑶と、これから生まれてくる双子を乗せて出かけたい。通院や買い物など、いざという時に自分も運転できるようになりたい。
だが、それを職場で話すことはできない。
『将来、車を使えた方が便利だと思って』
「彼女とドライブ?」と片瀬美咲。
『……それもあります』
「いいねえ」と佐伯が笑う。
創が既婚者であり、その妻が欧陽頭取であることを知る桐生は、会話に口を挟まなかった。
「宮嶋」
『はい』
「雑談はそこまで。五時五十分までに保存して、切り上げろ」
『はい』
「遅刻するなよ」
『分かっています』
――午後五時五十二分。
創は回答案を保存し、未確認事項と翌日行う作業をメモに残した。
PCからログオフし、机の上を整える。
『お先に失礼します』
「お疲れ」
「教習、頑張って」と藤崎。
「人を轢くなよ」と佐伯。
『今日は運転しません』
「あ、そうだった」
周囲に笑いが起きる。
創は鞄を持ち、本店を出た。
――午後六時五十九分。
東京都世田谷区。
成城中央自動車学校。
夜を迎えた敷地は、照明で明るく照らされていた。
場内コースには交差点、信号、坂道、S字、クランクなどが設けられ、標識や道路標示も並んでいる。
数台の教習車が、コース内をゆっくり走っていた。
『……』
入口に立った創は、そのうちの一台を目で追った。
これまで助手席や後部座席に乗ったことは何度もある。だが、自分で運転席に座り、車を動かしたことは一度もない。
『次は、俺があれを運転するのか……』
期待よりも先に、不思議な感覚があった。
少し緊張しながら、自動ドアをくぐる。
「こんばんは。入校のお手続きですか?」
『はい。仮予約している宮嶋創です』
受付の女性が端末を操作する。
「宮嶋創様。普通自動車第一種、AT限定。所持免許なし。平日夜間と土日を併用するコースをご希望ですね」
『はい』
「本人確認書類をお願いいたします」
創は必要な書類を提出した。
氏名、生年月日、住所、連絡先、取得希望免許などが確認される。
「現在、二十一歳。普通車免許を初めて取得されるということで間違いありませんか?」
『ありません』
「本日は、視力と色彩識別の確認、運転適性検査、入校説明、学科教習の導入という流れです。技能教習は次回以降になります」
『お願いします』
受付から確認票を受け取る。
氏名、住所、生年月日、電話番号、取得希望免許、所持免許なし。
創は記載された項目を、一行ずつ慎重に確認した。
受付の女性が少しだけ笑う。
「とても丁寧に確認されますね」
『仕事の癖です』
「事務系のお仕事ですか?」
『銀行員です』
「なるほど」
誤りがないことを確かめ、創は署名した。
――午後七時十二分。
「こちらを見てください。切れ目はどちらですか?」
『右です』
「次は?」
『上』
「では、こちら」
『左です』
片眼と両眼、それぞれの視力を確認する。
「問題ありません。次は色彩識別です。これは何色ですか?」
『赤です』
「こちらは?」
『青』
「最後は?」
『黄色です』
「大丈夫です」
創の肩から、わずかに力が抜けた。
『ここで駄目だったらどうしようかと思いました』
「緊張していたんですか?」
『少し』
「まだ車を動かしてもいませんよ」
『それは分かっています』
担当者が笑った。
――午後七時二十分。
適性検査室には、高校生、大学生、社会人など、さまざまな年代の入校者が座っていた。
「これから運転適性検査を行います」
説明担当者が前に立つ。
「これは、単に合格や不合格を決めるためのものではありません。ご自身の判断傾向や注意の向け方、性格的な特徴が、運転にどう影響しやすいかを知るための材料です」
創は配られた検査用紙を見る。
図形、数字、状況判断、選択式の質問。限られた時間の中で、次々に回答しなければならない。
『……』
普段の創なら、一度答えた後でも確認したい。
だが、この検査には制限時間がある。考え続ければ、次の問題へ進めない。迷いながらも、一定の時間で判断する必要があった。
『仕事より焦るな、これ……』
銀行の資料なら、調べることも、上司に相談することもできる。しかし、実際の運転では、状況が動き続ける中で判断しなければならない場面がある。
検査終了の合図があり、創は回答用紙を提出した。
――午後七時四十五分。
教室には、新入校者が十数名集まっていた。
前に立ったのは、眼鏡をかけた四十代の男性だった。穏やかな表情をしている。
「こんばんは。教習指導員の長瀬孝弘です。四十六歳です。今日から皆さんの教習の一部を担当します」
話し方は柔らかかった。
だが、説明が始まると、その言葉ははっきりとしたものになった。
「最初に、一つ覚えてください。車は便利です。でも、使い方を間違えれば人を傷つけます。最悪の場合、人の命を奪います」
教室が静かになる。
「ですから、技能が上達するだけでは駄目です。交通ルール、歩行者、自転車、ほかの車。そのすべてを見る責任があります」
創は自然と姿勢を正した。
「今日は車を動かしません。それでも、運転席に座る前に知らなければならないことがあります」
スクリーンに文字が映る。
第一段階――運転者の責任。
「免許を持つとは、どういうことだと思いますか?」
教室の何人かが考える。
「車を運転する資格を得ること。もちろん、それも正解です。ただ同時に、交通社会の一員として責任を負うということでもあります」
住宅街、横断歩道、通学路、夜道、雨天時の道路。子ども、高齢者、自転車。
さまざまな場面の映像が流れる。
「例えば、横断歩道に人がいる時。“多分、飛び出してこない”“多分、止まらなくても大丈夫”“多分、相手から自分が見えている”。その“多分”で判断してはいけません」
創は、その言葉に引っかかった。
「ほかの仕事でも同じかもしれませんが、運転では特に、“多分大丈夫”が事故につながります」
創はノートに書く。
多分大丈夫で進まない。見る。確認する。
――午後八時二分。
スクリーンに、さまざまな標識が映し出された。
「標識には、規制、指示、警戒、案内などがあります。全部を今夜だけで暗記しろとは言いません。ただ、見た時に何を意味するか理解できなければなりません」
止まれ。進入禁止。最高速度。駐車禁止。駐停車禁止。一方通行。横断歩道。徐行。
長瀬は、一つずつ意味を説明していく。
「“止まれ”の標識を見たら、どうしますか?」
前方の学生が答える。
「一時停止します」
「そうですね。では、どこで止まりますか?」
「停止線です」
「停止線がある場合は、その直前です。停止線がなければ、交差点の直前で一時停止します」
創はそれをノートに書く。
「次です。横断歩道を渡ろうとしている歩行者がいる場合は?」
別の入校者が答えた。
「止まります」
「はい。歩行者が横断中、または横断しようとしている場合、横断を妨げないようにします。横断する人がいないことが明らかでない場合には、横断歩道の手前で停止できる速度まで落として近づくことも必要です」
創はまた、「確認」と書き加えた。
――午後八時十六分。
続いて、飲酒運転とながら運転についての映像が流れる。
「どちらも、駄目だと皆さん知っているはずです。それでも、事故や違反はなくなりません」
長瀬の声が少し厳しくなる。
「少ししか飲んでいない。家が近い。自分は酒に強い。どれも運転していい理由にはなりません。飲酒によって判断力、注意力、運動能力は低下します」
創は真剣に画面を見る。
「スマートフォンも同じです。通知を確認する数秒間にも、車は前へ進み続けます。仕事の連絡でも、急ぎの用事でも、運転中に操作していい理由にはなりません」
創は銀行からの電話やメッセージを思い浮かべた。
いつか自分が運転するようになれば、仕事の連絡が入ることもある。それでも運転中に対応してはいけない。
「運転を始める前に、スマートフォンを操作しない状態にする。ナビゲーションも先に設定する。操作が必要なら、安全な場所に停車してから行う。運転中に判断を迫られないための準備も大切です」
――午後八時二十八分。
スクリーンに運転席の写真が映った。
「技能教習は次回からですが、今日は正しい運転姿勢について先に説明します」
座席の位置が示される。
「座席が遠すぎると、ブレーキを十分に踏み込めません。近すぎても正しい操作ができません。ペダルを踏んでも膝が伸び切らない位置へ調整します」
続いて背もたれ、ハンドル、ヘッドレスト、シートベルトについて説明される。
「腕は伸び切らないようにします。肩が背もたれから大きく離れない位置にしてください」
次はミラーだった。
「座席の位置を決めてから、ルームミラーとドアミラーを合わせます。ミラーを調整した後で座席を動かした場合は、もう一度合わせ直してください」
創のノートは、すでに文字で埋まり始めていた。
隣の学生が、少し驚いたように創の手元を見る。
前に立つ長瀬も気づいた。
「全部を書かなくても、教材に載っていますよ」
創が顔を上げる。
『……はい』
教室に小さな笑いが起きた。
「大事だと思ったところだけ、メモすれば大丈夫です」
『分かりました』
そう返事をした創だったが、説明が再開されると、またノートに書き始めた。
――午後八時三十八分。
短い休憩。
創が廊下の自動販売機で水を買っていると、後ろから声をかけられた。
「宮嶋さん」
『はい』
長瀬だった。
「銀行員なんですね。受付の者が、書類をとても丁寧に確認していたと言っていました」
『仕事で、確認する癖がついているので』
「いいことです。ただし、運転では少し気をつけなければなりません」
『気をつける?』
「確認は必要です。でも、確認した後には判断と操作が必要です。ずっと考え続けていたら、その間にも状況は変わります」
『……確かに』
「見る。確認する。判断する。動く。この流れを覚えてください」
創は、前の銀行で何度も聞いた言葉を思い出した。
『確認はゴールじゃない。入口……』
「何か言いましたか?」
『前の銀行の上司を思い出しました』
「どんなことを教わったんですか?」
『“確認はゴールじゃない。入口だ”って。確認した事実から、次に何を見るか、どう動くかを考えろと言われました』
「いい上司ですね」
『はい』
「運転も似ています。確認して終わりではありません。確認した内容をもとに安全を判断し、適切に操作する必要があります」
『仕事と同じですね』
「似ているところはあります。でも、融資の資料と違って、車は動いている最中にも判断し続けます」
『そこが怖いです』
「最初は、皆さんそうですよ」
長瀬は穏やかに続けた。
「怖さをなくす必要はありません。怖さを、安全な行動に変えられるようになればいいんです」
『はい』
「次回は技能教習ですね。初めて運転席に座ります」
『……緊張します』
「まだ今日の教習も終わっていませんよ」
『そうでした』
長瀬が笑い、創も少しだけ笑った。
――午後八時四十七分。
適性検査の簡易結果が配られた。
創は自分の結果を読む。
慎重性が高い。確認行動が多い。規則を守ろうとする意識が高い。注意を持続させる力も良好。
一方で、考えすぎによる判断の遅れに注意。慎重さが過度になると、必要な場面で行動の開始が遅れる可能性がある。
『……』
近くに来た長瀬が尋ねた。
「どうでした?」
『仕事で言われることと同じです。慎重なのはいいけど、考えすぎるって』
「自覚はありますか?」
『あります』
「なら、それを知っているだけでも一歩目です。自分がどういう時に迷いやすいかを知っている人と、知らない人では違います」
『確認しすぎて、動けなくなる可能性がある』
「そうです。技能教習が始まったら、そこも一緒に見ていきましょう」
『はい』
「確認しないよりは、確認できる方がいい。ただし、確認したら、次は判断です」
『分かりました』
――午後九時四分。
最後に、今後の教習の流れが説明された。
「第一段階では、学科と場内での技能教習を進めます。必要な学科を履修し、技能が基準に達した後、効果測定、修了検定、仮免許学科試験へ進みます」
長瀬が教室を見渡す。
「合格すれば第二段階です。路上教習や、より実践的な学科へ進みます。最後に卒業検定へ合格し、卒業後は運転免許試験場で本免許の手続きを行います」
創は自分の教習原簿を見る。
まだ最初の一歩を踏み出しただけだ。
「焦らないでください。ただし、間隔を空けすぎないことも大切です。仕事や学校がある方も多いでしょう。無理をせず、継続してください」
仕事。東央精密の審査。新人OJT。家で待つ璟瑶と、これから生まれる双子。
そこへ教習所が加わる。
無理はしない。それでも、途中で止めない。
今の創には、その両方が必要だった。
――午後九時二十三分。
成城中央自動車学校を出ると、夜の空気が少し涼しかった。
場内では、まだ何台かの教習車が走っている。
創は足を止め、その光景を見た。
『次は俺も、あそこを走るのか』
少し怖い。
けれど、同じくらい楽しみでもあった。
スマートフォンを見ると、璟瑶からメッセージが届いている。
「終わった?」
『今終わった』
「どうだった?」
『まだ車は動かしてない』
「それは知ってる」
『適性検査で、慎重すぎると判断が遅れるって言われた』
数秒で既読がつく。
「創らしい」
『笑うなよ』
「笑ってない」
『絶対笑ってる』
「早く帰ってきて」
『今帰る』
創は駅へ向かって歩き始めた。
――午後十時七分。
成城の新居。
『ただいま』
「おかえり」
璟瑶がリビングから玄関へ来る。ゆったりとした部屋着の下で、お腹の丸みが分かる。
創の視線が、そこへ向いた。
「今、私の顔より先にお腹を見た?」
『顔も見たよ』
「一瞬、お腹を見た」
『習慣になってる』
璟瑶は笑った。
創が鞄を置き、小さな指輪ケースを取り出す。
「はい、左手」
創は素直に手を差し出した。
璟瑶はケースから指輪を取り、薬指へゆっくりとはめる。
「おかえり」
『ただいま』
銀行と教習所で一日外していた指輪が戻る。
創の顔に、自然と笑みが浮かんだ。
――午後十時十八分。
リビング。
創は適性検査の結果をテーブルへ置いた。
「見せて」
『どうぞ』
璟瑶が読み上げる。
「慎重性が高い。確認行動が多い。規則を守る意識が高い。注意の持続は良好」
『そこまではいいだろ』
「うん。次は……考えすぎによる判断の遅れに注意」
璟瑶の口元が少し上がる。
『ほら、笑った』
「笑ってない」
『笑ってる』
「だって、そのままだから」
『何が?』
「仕事でも、何度も確認するでしょう。でも、考えすぎることもある」
『……』
「創らしい」
『褒めてる?』
「半分は」
『残り半分は笑ってるんだろ』
「少しだけ」
『認めた』
璟瑶は検査結果をテーブルに戻した。
「先生は、どんな人だった?」
『長瀬孝弘さん。四十六歳。話し方は穏やかだけど、確認不足や危険な判断には厳しそう』
「創と相性よさそう」
『どうして?』
「確認を大事にするところ」
『好きで何度も確認してるわけじゃない』
「何て言われたの?」
創はソファへ座り、教習所での会話を話した。
『車は“多分大丈夫”が一番危ないって』
「いい先生だね」
『それを聞いた時、三谷さんを思い出した』
「確認はゴールじゃない。入口?」
『うん。長瀬さんも、確認したら判断して動くって』
「同じだね」
『ただ、運転は動きながら判断しなきゃいけない。そこが少し怖い』
「怖くていいんじゃない?」
『長瀬さんにも同じこと言われた。怖さを、安全行動に変えればいいって』
「私、教習指導員になれるかも」
『無理』
「即答?」
『運転を教える資格がないだろ』
「そうだった」
二人は笑った。
創が教本を開くと、璟瑶も横からのぞき込む。
「標識、いっぱいあるね」
『かなりある』
「覚えられる?」
『覚えるよ』
「これは?」
『進入禁止』
「こっちは?」
『駐車禁止』
「その隣は?」
『駐停車禁止』
「二つの違いは?」
『今から勉強する人に一気に聞きすぎ』
「復習です」
『先生?』
「妻」
『知ってる』
創は教本を閉じた。
璟瑶が、自分のお腹へそっと触れる。
創もそれを見た。
『今日、二人は大丈夫だった?』
「うん。いつも通り」
『強い張りは?』
「ない」
『出血は?』
「ない」
『疲れは?』
「少し。でも、休憩は取ったよ」
『水城さんと劉川さんのおかげ?』
「半分は」
『残り半分は?』
「私が自分で休んだ」
『偉い』
「子どもみたいに言わないで」
『さっき俺に言っただろ』
また笑いが起きる。
創は璟瑶の隣に座り、服の上から少し丸くなったお腹へ触れた。
『俺、ちゃんと免許を取るから』
「うん」
『四人で出かけられるように』
「うん」
『でも今日、運転者の責任について聞いて思った』
「何を?」
『この二人を乗せるなら、適当な運転は絶対にできない』
璟瑶の表情が柔らかくなる。
「そうね」
『急がない。でも、止まったままにもならない』
「適性検査の対策?」
『うん。確認して、判断して、動く』
「銀行の仕事と同じ?」
『似てると思う』
「父親になることも?」
創は少し考える。
『……似てるかもしれない』
「“多分大丈夫”は禁止でしょう?」
『そこで使う?』
「長瀬先生が言ってたんでしょう」
『言ってた』
「じゃあ父親になることも、分からないまま大丈夫だと思い込まない。一つずつ確認して、二人で判断していこう」
『うん』
創はお腹をそっと撫でた。
『二人とも。俺、まだ運転席にも座ってないからな』
「聞こえていたら、何て思うかな」
『遅いって思うかも』
「まだ生まれてもいないよ」
『そうだった』
結婚。仕事。双子。そして、教習所。
創の生活には、新しいことが少しずつ増えている。
今日は車を一メートルも動かしていない。運転席にも座っていない。
それでも、運転する前に学ぶべきことは多かった。
交通ルール。標識。歩行者への配慮。飲酒運転やながら運転の危険性。運転姿勢。安全確認。そして、車を動かす者が負う責任。
確認するだけでは終わらない。
確認し、判断し、行動する。その繰り返しが必要になる。
次回はいよいよ、初めて運転席に座る。
創は教本を見ながら、少し緊張していた。
その隣には妻がいる。妻のお腹には、免許を取りたいと思った理由である二人の子どもがいる。
『……頑張るか』
「何を?」
『仕事も、教習所も、父親になる準備も。全部』
「欲張り」
『四人家族になるから』
「それなら、頑張って」
創は笑った。
初めての教習所、その一日目。
車は一メートルも動かしていない。
それでも創は、父親になるための準備を、また一歩進めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
創の自動車学校初日でした。
今回はまだ車を動かさず、運転者としての責任や標識、歩行者優先、飲酒運転・ながら運転の危険性などを中心に学びました。
適性検査では、慎重性や確認行動は高評価。
その一方で、「考えすぎによる判断遅延に注意」という、いかにも創らしい結果も。
そして長瀬先生の、
「車も“多分大丈夫”が一番危ないです」
という言葉から、創は三谷から教わった「確認はゴールじゃない。入口だ」を思い出します。
銀行員として培った慎重さを、今度は運転へどう生かしていくのか。
次回、第83話。
創の教習はいったんお休みし、青嶺中央銀行に“あの人物”が帰ってきます。
前頭取・欧陽崇岳、十二年ぶりの本店帰還です。




