第78話「少しずつ大きくなるお腹――夫婦になって初めての双子健診」
第78話です。
今回は、夫婦になってから初めて二人で向かう双子の定期健診。
少しずつ丸みが分かるようになってきた璟瑶のお腹。
高峰澪奈医師の診察では、二人の心拍と成長を改めて確認していきます。
ただし、璟瑶は四十五歳での双胎妊娠。
今が順調だからといって先まで保証されるわけではなく、これからも慎重な経過観察は続きます。
また、待合室では思わぬところから璟瑶の正体に気づきかける人も。
そして夜。
創はこれから四人家族になる未来を考え、今まで持っていなかった「車の免許を取りたい」と璟瑶へ相談します。
仕事だけでなく、父親になる準備も少しずつ始まります。
金曜日、午前七時四十八分。
成城の新居。
「創。今日、時間は大丈夫?」
『大丈夫。午前中だけ本店に出て、それから病院へ行く』
欧陽璟瑶は鏡の前で、ゆったりした服の裾を整えた。
後ろに立つ創の視線に気づく。
「どうしたの?」
『……少し、大きくなったなと思って』
「お腹?」
『うん。毎日見てるから、分かる』
璟瑶も鏡の中の自分を見る。
服の上からでは、まだ目立たない。けれど以前より、確かに少し丸い。
「二人いるからね」
創が近づいた。
『触っていい?』
「どうぞ」
服の上から、そっと手を置く。
動きが分かるわけではない。それでも創は、手の下に二人がいることを思う。
『今日も会えるかな』
「うん。先生に、ちゃんと見てもらおう」
婚姻届が受理されてから、二人そろって受ける初めての健診だった。
◇◇◇
午前八時五十五分。青嶺中央銀行本店、四十二階。
水城絢乃と劉川景仁が、璟瑶の予定を確認していた。
「午前中は九時四十分まで本店。十時に出発、十一時に定期通院。帰店は午後一時半を目安にしています」と水城。
「二時の会議までは余裕を持たせました」と劉川が続ける。「診察が長引いても調整できます」
「そこまで空けなくても」と璟瑶が言う。
「空けます」
水城の返事は早かった。
「診察が何時に終わるか分かりません。戻ってすぐ会議では、休む時間もありません」
「私も同意です」と劉川。
「二人とも同じことを言う」
「同じ事情を把握していますから」と水城は答えた。
以前は彼女一人が、璟瑶の妊娠と双子のことを知っていた。今は第一秘書の劉川も知っている。予定を調整するために、どちらか一人だけが理由を抱える必要はなくなった。
水城は来週の予定へ画面を切り替えた。
「木曜日、大阪へ日帰りの予定があります。その翌朝も会議が続きます」
「一件は副頭取が代行できるか確認します」と劉川。
「待って。大阪へ行けないと決まったわけじゃないでしょう?」
「だから今日、移動も含めて先生に相談してください」と水城が言う。
劉川も頷く。
「行けるかどうかだけでなく、予定の詰め方も確認したいです」
「……また二対一?」
「多数決ではありません」と水城。「頭取の予定を、無理なく組むための相談です」
璟瑶は笑って、資料を閉じた。
「分かった。ちゃんと聞いてくる」
◇◇◇
午前九時三十二分。十八階。
「宮嶋。今日は十一時前に出るんだな」
桐生雅人に声をかけられ、創が顔を上げた。
『はい』
「東央精密は午後、戻ってから見よう。午前中に無理に詰めなくていい」
『ありがとうございます』
桐生は、創が欧陽頭取と結婚したことを知っている。だが、妊娠も双子のことも聞かされていない。外出の理由を尋ねることもしなかった。
「時間になったら、ちゃんと出ろよ」
『はい』
桐生は一度資料に目を落とし、付け加えた。
「橘川と篠宮の報告書、良くなってた。お前が見た分もあるだろ」
『二人が自分で直しました』
「そこは認めていい。ただ、調子には乗るな」
『どっちですか』
「両方」
創は少し笑った。
いつもどおりの桐生だった。
午前十時四十一分。創は資料をしまい、パソコンをロックした。
『少し出ます』
「気をつけて」と相沢が言う。
創は公共交通機関で病院へ向かった。璟瑶とは本店から一緒に出ない。病院の近くで、それぞれ別の経路から合流する。
◇◇◇
午前十一時六分。
病院の前で先に待っていた創のところへ、落ち着いた服装の璟瑶が歩いてきた。
『お疲れ』
「お待たせ」
『大丈夫。行こう』
受付を済ませ、待合室に座る。
雑誌の棚には料理や旅行、育児の本のほかに、車やバイク、経済の雑誌まで並んでいた。
『産婦人科にバイク雑誌もあるんだ』
「付き添いの人が読むかもしれないでしょう」
『そっか』
創は車の雑誌を一冊手に取った。
「車、興味あるの?」
『少し。でも免許は持ってない』
「そういえば、持ってなかったね」
『卒業してすぐ働き始めたし、東京だと電車で困らなかったから』
創は雑誌を閉じ、棚へ戻した。
少し離れた席では、真奈という妊婦が金融誌を読んでいた。「日本金融を動かす経営者」の特集に、欧陽璟瑶の写真が載っている。
真奈は何気なく顔を上げ、数席先の女性を見た。
「……少し似てる」
隣にいた美咲が小声で聞く。
「誰に?」
「この、銀行の頭取」
二人で写真と女性を見比べた。髪型や輪郭は似ている。けれど眼鏡も服装も違い、顔ははっきり見えない。
「人違いかもね」と美咲が言う。
「うん」
二人はそれ以上、近づくことも写真を撮ることもしなかった。
創と璟瑶も、その視線には気づいていない。
◇◇◇
午前十一時二十七分。名前を呼ばれ、二人は診察室へ入った。
「こんにちは」
迎えたのは産婦人科医の高峰澪奈だった。
「ご結婚後、初めてお二人そろっての健診ですね」
「はい。よろしくお願いします」
『お願いします』
澪奈はまず、璟瑶の体調を聞いた。
「朝は少し気持ち悪い時があります。でも前よりひどくはありません」と璟瑶が答える。「出血や強い痛みはないです。疲れた時に、お腹が少し重く感じることはあります」
「その感じが強くなったり、普段と違う症状が出たりしたら、教えてくださいね。仕事の予定は調整できていますか」
「前よりは」
『秘書さん二人が、ちゃんと休憩を入れてくれています』
「創」
澪奈が笑う。
「頼れる人が増えたのは、いいことですね。来週の大阪行きについても、今日の診察のあとで話しましょう」
問診と必要な確認が終わり、超音波の検査に移った。
創は画面を見つめる。
前にも二人の心拍を確認した。だからといって、今日の緊張がなくなるわけではない。
「では、見ていきますね」
澪奈が画面を確かめる。
「こちらが一人目。……心拍、確認できます」
創は息を吐いた。
前より、小さな身体の形が分かる気がする。
「そして、こちらが二人目」
澪奈が慎重に位置を確かめる。
「こちらも心拍が確認できます」
『……二人とも?』
「はい。今日も二人とも確認できています」
『よかった』
創の声が自然にこぼれた。
璟瑶が画面から目を離し、創を見る。創も彼女を見た。二人とも、まだ何も言えない。
澪奈はそれぞれの大きさや位置を確認し、必要な記録を取った。
「前より大きくなっていますか」と璟瑶が尋ねる。
「成長しています。今日の検査で確認できる範囲では、二人とも経過を見られています」
「大きさに差は?」
「今、強く心配するような差は見えていません。ただ、一度の結果だけで先まで判断はできないので、これからも確認していきます」
「はい」
澪奈は、今日分かったことと、次の健診でも見ることを分けて説明した。
創は昨日、後輩二人に話した言葉を思い出す。
『確認はゴールじゃない。入口だ』
今日、二人の心拍を確かめられた。それは嬉しい結果だ。そして次の健診でも、また二人を見てもらう。
「性別は気になりますか」と澪奈が尋ねた。
『気にはなります』
「でも、まだ急がなくていいです」と璟瑶。
「そうですね。分かる時期に、確認できる形で見ていきましょう」
診察を終え、三人は再び席に着いた。
澪奈は今日の所見と、璟瑶から聞いた体調を踏まえて、今後の通院や予定について話した。双子を妊娠している以上、経過に合わせて確認を続けること。気になる変化があれば、次の予約日を待たずに病院へ連絡すること。
来週の大阪行きについては、移動や現地での仕事、その翌日の会議まで含めて予定を見直すよう勧めた。
「代わりに出席できる方や、オンラインで対応できる方法があるなら、それも考えてください。予定を組み替えた上で、体調に変化があればまた相談を」
「分かりました」
『秘書さんたちに伝えます』
「助けてくれる人には、助けてもらってください」と澪奈が言った。
最後に彼女は二人へ向き直る。
「今日、二人とも心拍を確認できました。それは今日の、良い結果です」
璟瑶が頷く。
創はもう一度、隣にいる妻を見た。
『ありがとうございます』
◇◇◇
午後零時十七分。
待合室へ戻った二人は、会計を待った。
真奈がもう一度だけ顔を上げたが、璟瑶と雑誌の写真を結びつけることはなかった。美咲ともそれ以上、話さない。
創は声を落とす。
『二人とも、心拍があってよかった』
「うん。前より大きくなってた」
『朝、お腹を見て思ったのと、画面で見るのは違うな』
「そうだね」
しばらく黙ってから、創が聞いた。
『家に帰ったら、またお腹に触ってもいい?』
「いいよ。毎回聞かなくても」
『聞くよ。璟瑶の身体だから』
璟瑶は少し驚いた顔をして、それから微笑んだ。
「そういうところ、好き」
『ここで言う?』
「小声だから」
『そういう問題かな』
二人は小さく笑った。
会計を終えて病院を出る頃、高峰澄江も廊下で二人と顔を合わせた。澪奈の母で、かつて璟瑶の母・美智子の妊娠を診ていた医師だ。
「今日は澪奈に、きちんと診てもらえたようね」
「はい」と璟瑶が答える。
「二人とも心拍を確認できました」と創が言った。
澄江は静かに頷く。
「よかったわ。次も、慌てず一つずつね」
短い言葉だったが、璟瑶には心強かった。
◇◇◇
午後零時四十六分。
病院を離れてから、二人は別々の経路で本店へ戻る。
璟瑶は水城と劉川へ、健診が終わったことと、午後の予定を調整したいことを伝えた。
「二人とも、今日も心拍を確認できました」
水城からすぐに返事が来る。
「よかったです。帰店後は休憩時間を確保しています」
劉川は大阪の予定について尋ねた。璟瑶が医師と話した内容を伝えると、代行やオンラインへの切り替えを含む案を作るという。
「二人とも早い」
璟瑶が画面を見て笑う。
『もう大阪がなくなりそう?』と創。
「まだ検討中。でも二人とも、予定を減らす方向で考えてる」
『いいと思う』
「創まで。三対一じゃない」
『多数決じゃないよ』
水城がよく言う言葉を返すと、璟瑶は創を睨むふりをした。
午後一時四十分。十八階に戻った創へ、桐生が尋ねる。
「宮嶋。お前の体調は大丈夫か」
『はい。大丈夫です』
「なら、東央精密を十五時に見る」
『分かりました』
桐生は健診のことを知らない。創も説明しない。
今は銀行員として、目の前の資料に戻る。
四十二階では、水城が璟瑶を迎えた。
「おかえりなさい。まず座って、少し休んでください」
「診察のあと、仕事をしてはいけないとは言われてないよ」
「私も仕事をしないでとは言っていません。休憩を挟みましょう、と言っています」
劉川が水を置いた。
「大阪は代案を作っています。頭取は、次の会議まで休んでください」
「また二人とも同じことを言う」
「必要な時は言います」と劉川。
璟瑶は椅子に座った。
「……二人とも、少し大きくなってた」
水城の顔が柔らかくなる。
「よかったです」
劉川も静かに頷いた。
「何よりです」
その後、二人は予定の調整に戻る。必要な範囲で知っているからこそ、できる仕事だった。
◇◇◇
午後六時二十八分。成城の新居。
先に帰った創が、玄関で璟瑶を迎えた。
互いの薬指に、朝外した結婚指輪をはめる。
『おかえり、璟瑶』
「ただいま、創」
リビングで、二人は今日受け取った超音波の画像を並べた。
『ここが一人目で、こっちが二人目』
「うん」
『前の画像より、大きい』
「二人いるからね」
『今日、それ何回目?』
「何回でも言うよ」
創は笑い、璟瑶に尋ねてから、服の上からそっとお腹に触れた。
性別はまだ分からない。これからのことも、一度の健診で全部は分からない。
でも今日、画面の中で二人の心臓が動いていた。
『……璟瑶。もう一つ、相談していい?』
「何?」
『車の免許を取りたい』
「免許?」
『うん。今までは電車があれば困らなかった。でも子どもが二人生まれたら、俺も運転できた方が助かる場面があると思う』
「仕事をしながら通うの?」
『無理のない予定で。東央精密もあるし、休日を全部教習に使うつもりはない』
璟瑶は創の顔を見た。
「反対しないよ。ただ、免許を取ることと、すぐ車を買うことは別に考えよう」
『俺もそう思ってる。まずは免許から』
「取れたら、最初はどこに連れて行ってくれる?」
『海が見えるところ』
「いいね」
『でも、免許を取ったばかりで遠くまで運転するのは緊張するかも』
「その時は、無理のないところから始めよう」
『うん。いつか四人でも出かけたい』
「その頃には、チャイルドシートが二つ要るね」
『何でも二つだな』
「双子だから」
創が笑う。
『車も二台?』
「それは違う」
『よかった』
璟瑶は創の肩に寄りかかった。
「創が、四人で出かける日を考えてくれて嬉しい」
『今日、画面で二人を見たら、もっと考えたくなった』
「うん」
『次の健診も、一緒に行けるようにする』
「ありがとう」
今日確かめられた二つの心拍。それは未来のすべてを約束するものではない。
けれど二人にとって、今日の確かな喜びだった。
少し丸くなったお腹に、創の手がある。その手の上に、璟瑶が指輪のある左手を重ねた。
夫婦になって初めての双子健診を終えた夜。
二人は、まだ会えない二人を思いながら、次の一日を迎える準備をしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は創と璟瑶が夫婦になってから初めての双子健診でした。
二人とも心拍は引き続き確認され、現時点では大きな異常もなし。
少しずつ成長している姿を画面で見て、創も改めて「本当に大きくなってきた」と実感しました。
一方で、四十五歳での双胎妊娠であることは変わりません。
高峰先生からも、今後も成長差や早産兆候などを含めて慎重に経過を見ていくことが改めて伝えられました。
そして秘密を知った劉川が加わったことで、水城と二人で璟瑶の通院や会議、出張日程を調整できるようになったのも大きな変化です。
待合室では金融雑誌をきっかけに璟瑶へ気づきかけた妊婦もいましたが、サングラス姿だったため確信までは至りませんでした。
夜には創から新しい相談も。
双子が生まれた後、家族四人で出かけたり、必要な時に自分でも運転できるようにするため、初めて運転免許の取得を考え始めます。
銀行員、夫、もうすぐ父親。
そこへ今度は「教習生」という新しい顔も加わりそうです。
次回、第79話。
秘密を知る人が少しずつ増えても、銀行の中ではあくまで「頭取」と「宮嶋さん」。
二人の距離を変えないため、それぞれが自分の立場で秘密を守っていきます。




