第67話「そろそろ婚姻届、出した方がいいんじゃない?」
第67話です。
新居での生活が始まった二人。
そんな中、璟瑶がふと、
「創。私たち、まだ婚姻届出してないよね」
と切り出します。
双子妊娠や今後の医療・家族・法的な手続きも考え、二人はいよいよ正式に夫婦になることを決意します。
ただし、
「妊娠したから結婚する」
のではありません。
二人とも、子どもができる前から結婚したかった。
その気持ちを改めて確認した上で、婚姻届を出すことにします。
そして証人をお願いするのは、璟瑶の母・美智子と、創の母・恵美子。
さらに今回は、美智子の妹である由美子と奈緒子も新居を訪れます。
木曜日、午後七時二十六分。
成城の新居に、宮嶋創が帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
欧陽璟瑶がキッチンから顔を出す。
一緒に暮らし始めて数日。家具の配置もまだ決まりきっていない。それでも「ただいま」と「おかえり」が交わされるたび、この家が二人のものになっていく気がした。
「今日、体調はどうだった?」
「普通。水城さんに二回休まされたけど」
「それ、普通じゃないよ」
「双子だから仕方ないって」
「俺も水城さんに賛成」
「最近、創はすっかり水城さん側だね」
「体調のことに限っては」
「そこが一番大事なのに」
二人で軽い夕食を作り、片づけた。
午後八時十二分。テレビのついたリビングで、二人はソファに並んで座っていた。けれど、画面はどちらも見ていない。
璟瑶が温かい飲み物を両手で包む。
「創」
「何?」
「私たち、まだ婚姻届を出してないよね」
創はスマートフォンを置いた。
「……うん」
新居の購入、引っ越し、双子の妊娠、診察、仕事。次々と目の前のことに向き合ううち、結婚の手続きは後回しになっていた。
「璟瑶は、出したい?」
「出したい」
迷いのない答えだった。
「俺も」
璟瑶が創を見る。
「でも、一つだけ嫌なの。双子ができたから仕方なく結婚した、みたいになるのは」
「俺も嫌だ」
「私は妊娠が分かる前から、創と結婚したかった」
「俺もだよ。子どもができても、できなくても、璟瑶と結婚したかった。その気持ちは変わってない」
「……覚えてる。前にもそう言ってくれたね」
「だから、婚姻届を出そう」
「うん。正式に夫婦になろう」
言葉にすると、決意がはっきりした形を持った。
ただ、すぐに届け出られるわけではない。
「璟瑶は中国籍だから、必要な書類を先に確認しないとね」
「うん。提出先の窓口に聞いて、翻訳が必要なものも確かめよう。相馬先生にも相談できる」
「じゃあ、書類を揃えてから二人で行こう」
「創らしい。まず確認から」
「大事なことだから」
「そうだね」
創は少し考えてから言った。
「証人は、両家から一人ずつお願いしたい」
「私、美智子さんに頼みたい」
「お母さんに?」
「うん。私が日本で生きてきたことを、ずっと支えてくれた人だから。創と結婚する証人になってほしい」
「じゃあ俺は、恵美子にお願いしたい。父さんにもきちんと話すけど、証人は母さんに書いてほしい」
「お母さん二人だね」
「うん」
顔を見合わせると、二人とも少し照れた。
「今、電話する?」
「しよう」
◇◇◇
午後八時三十一分。
璟瑶が母・欧陽美智子へ電話をかけた。
『もしもし、璟瑶?』
「お母さん、今話せる?」
『ええ。今、日本にいるから』
「……日本?」
『東京よ。妹の由美子と奈緒子に会いに来ているの。今も三人一緒』
突然の話に璟瑶は目を丸くした。美智子の妹、桜井由美子と桜井奈緒子とは、璟瑶も久しく会っていない。
「ちょうどよかった。お母さん、お願いがある」
『何?』
創を見ると、創が頷いた。
「私、創と婚姻届を出すことにした」
電話の向こうが静かになる。
『……本当に?』
「うん。妊娠したから仕方なく、じゃない。前から結婚したかったから、二人で決めた」
『そう……よかった』
美智子の声が少し震えた。
「それで、婚姻届の証人になってほしい」
『私でいいの?』
「お母さんがいい」
『もちろん。喜んで書くわ』
「ありがとう」
『崇岳さん、拗ねるかもしれないけどね』
「それは、ちょっと思った」
二人で笑う。
美智子が東京にいると聞き、璟瑶は翌日、新居に来られないかと誘った。由美子と奈緒子も一緒に行きたいという。創が頷くのを確かめ、璟瑶は三人を招いた。
次は創が母・宮嶋恵美子に電話をかける。
「母さん。俺、璟瑶と婚姻届を出すことにした」
『そう。二人で決めたのね』
「うん」
『赤ちゃんができたから?』
「違うよ。双子だと分かる前から結婚したかった。それは璟瑶とも確かめた」
『なら、いい』
恵美子は静かに答えた。
「母さんに、証人になってほしい」
『私? お父さんじゃなくて?』
「父さんにもちゃんと話す。でも、証人は母さんにお願いしたい」
『……分かった。喜んで書くわ』
「ありがとう。明日、新居に来られる?」
『行く。美智子さんも来るの?』
「うん。直接会うのは初めてだよね」
『そうね。少し緊張するけど、会いたいわ』
電話を切ると、創と璟瑶はまたソファで顔を見合わせた。
「美智子さんと恵美子。二人とも引き受けてくれた」
「急に、結婚する実感が湧いてきた」
「家も買って、一緒に暮らし始めたのに?」
「婚姻届は、また違う」
「確かに」
二人は笑った。
◇◇◇
翌日の金曜日、午後六時四十五分。
成城の新居に、最初のインターホンが鳴った。
玄関を開けると、美智子と、その妹二人が立っている。
「璟瑶、久しぶり」
「由美子叔母さん、奈緒子叔母さんも。来てくれてありがとう」
由美子は穏やかに微笑み、奈緒子は璟瑶の顔をじっと見た。
「テレビで見る姪が目の前にいると、今でも変な感じ」
「叔母さん、家に来て最初にそれを言う?」
創は一歩前に出て、頭を下げた。
「初めまして。宮嶋創です」
「あなたが創君ね。姉から聞いています」
「よろしくね。……本当に若い」
「奈緒子、最初からそれを言わないの」
美智子にたしなめられ、奈緒子が「ごめんなさい」と笑う。創も苦笑した。
数分後、もう一度インターホンが鳴った。
「母さんが来た」
恵美子は玄関に入るなり、広さに足を止めた。
「創……写真で見るのと全然違う。大きい家ね」
「驚くのは、もう少し中を見てからにして」
創が美智子を紹介すると、二人の母親は丁寧に頭を下げ合った。
「初めまして。欧陽美智子です。娘が創さんにお世話になっています」
「こちらこそ。宮嶋恵美子です。創が璟瑶さんにお世話になっていて」
互いに挨拶したものの、次の言葉がすぐには出てこない。
先に笑ったのは美智子だった。
「双子の心拍が確認できた時、電話ではお話ししましたね」
「はい。あの時は、お互い驚きましたね」
「璟瑶は四十五歳ですけど、母親になるのは初めてなんです」
「創も二十一歳で、父親になるのは初めてです。年齢は違っても、二人とも初めてなんですね」
「そうなんです」
二人の表情が柔らかくなる。
創は璟瑶に小声で言った。
「仲良くなれそう」
「私もそう思う」
「ねえ、挨拶が終わったなら家を見たいんだけど」
奈緒子の声に、全員が振り向く。
「もう少し待ちなさい」と由美子が言ったが、恵美子も「実は私も」と手を挙げた。
「じゃあ、案内するね」
◇◇◇
最初に案内した二十九畳のLDKでは、恵美子が「広い」と立ち止まり、奈緒子は畳数を聞いて声を上げた。
キッチンでは、恵美子が創を振り返る。
「創、ちゃんと料理してる?」
「してるよ」
「創、よく作ってくれます」
璟瑶の証言を聞いて、恵美子がようやく頷いた。
「何で俺の返事だけじゃ信用しないの?」
庭の小型プールには、三人とも驚いた。
「子どもが小さい間は安全柵を付ける。使い方も、きちんと考えるつもり」
璟瑶の説明に、美智子と恵美子が同時に「それがいい」と頷く。
趣味室では、美奈子たちに見せた時と同じように、花札の箱が話題になった。
「あら、昔から使ってる花札」
「もちろん持ってきたよ」
「崇岳さんにも教えてあげて」と美智子が言い、創は「ぜひ」と答えた。
書斎では、美智子がデスクを見て眉を上げる。
「ここで銀行の仕事をするの?」
「持ち込み禁止にしてます」
創が答えると、美智子は即座に頷いた。
「創さん、よく言ってくれました」
「お母さん、どっちの味方?」
「創さん」
皆が笑った。
最後に、三階の二つの子ども部屋へ向かった。
扉を一つずつ開ける。どちらもまだ空で、同じくらいの広さがある。
「二つ、用意したのね」
美智子が静かに言った。
「うん。でも、必要なものはこれから少しずつ考える」
恵美子も部屋を見渡す。
「二人とも、ここを使える日が来るといいね」
「うん。一回、一回、診察で確かめながら」
「それでいいのよ。先のことを全部決めなくても」
奈緒子が隣の部屋から顔を出す。
「男の子か女の子かは、まだ分からないの?」
「まだ」
「どちらでも、元気に育ってくれればいいわね」
由美子の言葉に、二人の母親も頷いた。
空っぽの部屋を、五人はしばらく眺めていた。
◇◇◇
午後八時。
LDKのテーブルに、婚姻届を広げた。
創と璟瑶は、書類の記入と提出に必要なことを、これから窓口で確認するつもりだ。今日は、引き受けてくれた二人の母親に証人欄をお願いする。
「何だか緊張する」
「書く方も緊張するわよ」
恵美子がペンを持つ。美智子も隣で欄を確かめた。
二人はそれぞれ、必要な項目をゆっくり記入する。創が横から目を凝らすと、恵美子が笑った。
「間違えてないか心配?」
「……大事な書類だから」
「創さん、本当に確認が好きなのね」
美智子の言葉に、璟瑶が頷く。
「仕事でも、ずっとこうなの」
やがて証人欄には、欧陽美智子と宮嶋恵美子の名前が並んだ。
創はその二つをじっと見つめる。
「本当に結婚するんだな」
「今さら?」
「今さらだけど。こうして見ると、実感が違う」
「提出前に、必要書類をきちんと確認しなさいね」
恵美子に言われ、創は頷いた。
「うん。中国籍の場合に何が必要か、二人で窓口に確認する。相馬先生にも相談するつもり」
「それがいいわ。揃えてから、一緒に出しに行きなさい」
美智子の言葉に、璟瑶も「うん」と答えた。
由美子と奈緒子は、しばらくして先に帰った。
「璟瑶ちゃん、結婚おめでとう」
「まだ提出してないよ」
「でも、二人で決めたんでしょう。それなら、おめでとう」
奈緒子も「結婚式には呼んでね」と手を振る。
「もちろん」
二人を見送ったあと、美智子と恵美子はもう少しだけ残った。
「恵美子さん。璟瑶は頭取をしていますけど、家では意外と無理をするんです」
「創から聞いています。働きすぎるって」
「創も慎重すぎるところがあって」
「それは璟瑶から聞きました」
「母さん」
「お母さん」
二人が同時に抗議すると、母親たちは笑った。
「ちょうどいい二人なのかもしれませんね」
「私もそう思います」
美智子は創を見た。
「創さんは、璟瑶を頭取としてだけじゃなく、一人の人として見てくれています。それが母親として嬉しいんです」
「璟瑶さんも、創を若いからと子ども扱いしないでくれています。私もありがたいです」
二人の母親は、改めて向かい合った。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
玄関で交わした最初の挨拶より、ずっと親しい声だった。
◇◇◇
午後九時二十八分。
皆が帰ったリビングで、創と璟瑶は婚姻届を眺めていた。
二人の母親の名前が並んでいる。
「創、緊張する?」
「する。璟瑶は?」
「私も。頭取かどうかは関係ないよ。結婚するのは初めてだから」
「俺も初めて」
「それは知ってる」
二人は笑った。
創は璟瑶の手を取る。
「もう一回だけ、確認していい?」
「何を?」
「俺は妊娠したから結婚するんじゃない。双子がいなくても、璟瑶と結婚したい」
「私も。子どもがいるかどうかに関係なく、創と結婚したい」
「じゃあ、決まりだね」
「うん。夫婦になろう」
「なろう」
まだ婚姻届は提出していない。必要な書類も、これから確かめて揃える。
それでも、二人の気持ちは決まった。母親二人も、その決意の証人になってくれた。
あとは、二人で窓口へ行く。
ただし、その場所で創は、思いもよらない二人と再会することになる。
中学・高校時代の同級生。そして、幼稚園から小学校時代を知る幼馴染。
婚姻届を出しに行くだけのはずだった一日が、二人の秘密を揺らし始める。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創と璟瑶がついに婚姻届を出すことを決めました。
証人をお願いしたのは、
璟瑶の母・美智子。
創の母・恵美子。
そして二人の母親は、新居で初めて直接顔を合わせることに。
最初は少し緊張しながらも、娘と息子について話すうちに、
「年齢は違っても、二人とも初めて親になる」
という共通点も見えてきました。
さらに、美智子の妹・由美子と奈緒子も加わって、新居見学へ。
二十九畳のLDK、趣味室、書斎、庭、プール、そして二つの子ども部屋。
まだ何も置かれていないその二部屋を見ながら、家族になる未来を改めて感じる時間となりました。
婚姻届の証人欄も無事に埋まり、あとは必要書類を揃えて提出するだけ。
次回、第68話。
いよいよ二人で市役所へ向かいます。
しかしそこで、創がまったく予想していなかった“二人の旧友”と再会することになります。




