第64話「俺、同期会に行ってもいい?――八十人と再会する東都共栄銀行時代」
第64話です。
今回は、土曜日と日曜日の二日間。
土曜日は創が休日、璟瑶は本店へ出勤。
その休憩中、水城から「昨日、父・隆一と叔父・邦彦が崇岳さんと会っていた」と知らされます。
秘密については何も話していなかったことも確認され、璟瑶もひと安心。
そして夜。
創は璟瑶へ、
「明日、前の銀行の同期会があるんだけど……行ってもいい?」
と尋ねます。
少しだけ嫉妬する璟瑶ですが、もちろん送り出します。
翌日、東都共栄銀行の同期約80人のうち58人が再会。
創は久しぶりの仲間たちと話しながら、自分が“父親になるかもしれない”という現実を、改めて意識することになります。
土曜日、午前六時四十八分。
創の自宅マンション。
「……休みだ」
目覚ましの鳴らない朝。
隣に璟瑶の姿はなかったが、キッチンから小さな物音が聞こえる。
「おはよう」
「おはよう」
璟瑶はすでに着替えていた。
創はまだ、完全に休日の顔をしている。
「今日、創は休み」
「うん」
「私は仕事」
「うん」
「ずるい」
「俺は普通の銀行員だから」
「私も銀行員」
「頭取でしょう」
「……そうだった」
今日は土曜日。
創は休日だが、璟瑶には地域銀行関係の打ち合わせと、海外拠点とのオンライン会議が入っていた。
「何時に終わる?」
「十八時。遅くても十九時。水城さんが、それ以上は予定を入れないって」
「頼もしい」
「最近、私より水城さんを信用してない?」
「体調管理に関しては」
「創」
「冗談」
朝食を取りながら、今日の予定を話す。
「創は何をするの?」
「午前中は洗濯と掃除。午後は、新居へ持っていく本や趣味のものを整理する」
「休みなのに引っ越し準備?」
「今やらないと、あとが大変だから」
「カードも花札もボードゲームも、全部持ってきていいって言ったでしょう」
「全部だと、かなりあるよ」
「趣味室は広いから大丈夫」
成城の新居は、すでに購入手続きと鍵の受け取りを終えている。
ただし本格的な引っ越しはまだで、家具もほとんど入っていない。
創が現在のマンションを今後どうするかも、これから決める必要があった。
◇◇◇
「じゃあ、行ってくる」
「無理しないで。水城さんの言うことを聞いて」
「分かってる」
玄関で、璟瑶が創の頬へ手を添えた。
唇が短く重なる。
「今日は普通だね」
「昨日は長かったって言いたいの?」
「……思い出してないから」
「嘘」
璟瑶は笑いながら出勤した。
◇◇◇
午前八時二十六分。
青嶺中央銀行本店。
土曜日のため行員は少ないが、案件によって出勤している部署もある。
「おはようございます、頭取」
「おはよう」
車を降りた璟瑶へ、水城が体調を確認する。
「眠気は少し。吐き気はない」
「承知しました。本日は十一時から地域銀行の経営支援、十四時から海外拠点とのオンライン会議。十七時半には終了します」
「早くない?」
「土曜日ですので、早くありません」
「頭取にも土曜日って関係ある?」
「今日はあります」
「秘書判断?」
「はい」
◇◇◇
午前十時五十二分。
創のマンションには、三つの段ボールが並んでいた。
『新居』
『残す』
『迷う』
「迷う箱、多いな……」
高校時代の参考書は残す。
古いボードゲームは新居。
花札もカードも新居。
結局、趣味のものはほとんど新居行きになった。
「璟瑶の言うとおり、全部持っていけばいいか」
同じ頃、頭取室では水城が温かい飲み物を置いていた。
「十五分、休憩してください」
「はい」
「今日は素直ですね」
「創に、水城さんの言うことを聞けって言われたから」
「宮嶋さんにお礼を申し上げたいです」
「言わなくていい」
水城は少し笑い、ふと思い出したように口を開いた。
「頭取。昨日、父から電話がありました」
「隆一さんから?」
「はい。父と叔父の邦彦が、欧陽崇岳さんにお会いしたそうです」
「知ってる。昨日の夜、お父さんが創の家へ来たから」
「……宮嶋さんのお宅へ?」
「三人で夕飯を食べた」
水城が数秒間止まる。
「また一度に情報が多いです」
「前にも言ってたね」
「今回は別方向です」
「隆一さんは何て?」
「昔の銀行改革や人事制度、若手育成について話したそうです。それから、父が余計なことを言ったようで……」
「何?」
「最近、絢乃が頭取を随分気にしている、と」
璟瑶の口元がわずかに上がる。
「お父さんからも聞いた」
「申し訳ありません」
「どうして水城さんが謝るの?」
「父が余計な観察をしていたので」
「崇岳は何も話してないって言ってた。創との関係も妊娠も、双子のことも」
水城は安心したように息を吐いた。
「父も叔父も口の軽い人間ではありませんが、そもそも知る必要のない情報ですから」
「お父さんも同じことを言ってた。絢乃さんが知っていて隆一さんが知らないなら、自分が話す理由はないって」
「元頭取らしいですね」
「何が?」
「必要のない人に、情報を持たせないところです」
二人は顔を見合わせた。
「私たちが本店で働いている間に、父たちは会っていたんですね」
「私は会議をして、水城さんはその隣にいた」
「不思議な感じです」
「本当にね」
◇◇◇
午後三時十三分。
創は段ボールの一部を新居へ運んだ。
鍵を開け、二十九畳のLDKへ入る。
「何回来ても広い……」
メジャーで採寸しながら、ダイニングテーブルやソファの位置を考える。
それから三階へ上がり、二つの子ども部屋を順番に開けた。
どちらも、まだ空っぽだ。
「二人がここを使うんだよな」
性別も名前も分からない。
超音波に映った姿も、まだ小さい。
それでも、二つの心臓が動いている。
「俺、本当に父親になるかもしれないんだ」
以前より、その言葉は重く感じられた。
怖い。
けれど、同じくらい嬉しかった。
◇◇◇
午後六時三十二分。
「頭取、本日の業務は終了です」
「あとこれだけ確認したい」
「月曜日にできます」
「明日は?」
「日曜日です」
「……分かった。帰る」
水城に仕事を切り上げさせられた璟瑶は、成城の新居へ向かった。
午後七時十四分。
「ただいま」
「おかえり」
創は、まだ家具のないリビングの床に座っていた。
「午後からずっとここにいたの?」
「採寸してた」
「趣味室に一番時間を使った?」
「否定できない」
今日の新居には、折り畳みテーブルと仮の小型冷蔵庫しかない。
二人は買ってきたおにぎり、惣菜、スープ、果物で簡単な夕食を取った。
食後、創が少し言いづらそうに切り出す。
「璟瑶、聞いていい?」
「何?」
「明日、前の銀行の同期会がある」
「東都共栄銀行の?」
「うん。入行同期が八十人くらいいて、今のところ五十八人参加するらしい」
「多いね」
「それで……俺、行ってもいい?」
璟瑶は一瞬、創を見つめた。
「どうして私に許可を求めるの?」
「午後から夜までいないかもしれない。今は璟瑶が妊娠中だから、一人にする時間も長くなる」
「もちろん行っていいよ。同期は大切でしょう?」
「うん。四年くらい会ってない人もいる」
「なら、なおさら行ってきて」
「ありがとう」
璟瑶は少し間を置く。
「女性は何人?」
「え?」
「同期の女性」
「入行時は四十人くらい。ほぼ半分」
「明日は何人来るの?」
「そこまで数えてない」
「ふーん」
「嫉妬してる?」
「してない」
「本当に?」
「……少ししてる」
創は笑いながら、璟瑶の手を取った。
「俺はここへ帰ってくる」
「うん」
「同期には、恋人が璟瑶だって絶対に言わない」
「それは当然。今はまだ公表する時期じゃないから」
「じゃあ、楽しんでくる」
「帰ったら、誰と話したか教えて」
「やっぱり嫉妬してる」
「少しだけ」
◇◇◇
翌日、日曜日。
午前十一時五十六分。
新居に届いたばかりのソファで休んでいた璟瑶へ、美智子から電話がかかってきた。
『昨日、崇岳さんが東京から帰ってきたでしょう。事前に言わなくてごめんなさい』
「お母さん、知ってたの?」
『直前にね。水城さんのお父様と叔父様に会うことと、あなたと創君の顔を見たいって』
「やっぱり私たちが目的だったんだ」
『多分、一番の目的だったと思う』
「本人も、一番かもしれないって言ってた」
『やっぱり』
美智子は笑った。
『突然、創君の家まで行ったんでしょう?』
「うん。でも創も喜んでた」
横から創が小さく訂正する。
「緊張したけど」
『創君に代わって』
「もしもし」
『昨日は崇岳さんが突然お邪魔して、ごめんなさいね』
「大丈夫です。三人で夕食を食べられて楽しかったです」
『あの人、若い銀行員を相手にすると、すぐ昔の頭取に戻るでしょう』
「少し戻ってました」
『やっぱりね。それより今日は同期会でしょう? 楽しんでいらっしゃい』
「ありがとうございます」
『璟瑶は少し嫉妬すると思うけど』
「もうしてます」
「創!」
美智子の笑い声が電話越しに響いた。
◇◇◇
午後三時四十分。
東京都内のホテル宴会場。
「宮嶋!?」
受付前で声をかけたのは、旧池袋支店勤務で、現在は本店営業部にいる高瀬雄大だった。
「久しぶり!」
「久しぶり」
「本当に青嶺へ行ったんだよな?」
「うん」
「東都を捨てた男!」
「その言い方やめて」
続いて、新宿支店勤務の佐野真帆が現れる。
「創、久しぶり! 何か大人っぽくなった?」
「変わってないよ」
「青嶺へ行ったからだろ」
「関係ない」
東都共栄銀行へ同じ年に入行した同期は約八十人。
今日集まったのは五十八人だった。
高卒、専門学校卒、大学卒で年齢は少し異なるものの、全員が同じ研修を受けた仲間だった。
会場に入った途端、次々に声が飛ぶ。
「宮嶋!」
「青嶺マン!」
「転職成功者!」
「裏切り者!」
「言い方!」
◇◇◇
午後四時。
幹事の吉岡拓海が開会の挨拶をする。
「東都に残った人、転職した人、結婚した人、子どもが生まれた人。それぞれ環境は変わりましたが、入行同期であることは変わりません」
拍手の中、創は『子どもが生まれた人』という言葉に反応した。
自分はまだ父親ではない。
それでも璟瑶のお腹には、心拍を確認できた二人の子どもがいる。
『俺も父親になるかもしれない』
その事実を、ここにいる誰も知らない。
乾杯が終わると、質問攻めが始まった。
「青嶺はどう?」
「普通に忙しい」
「青嶺中央で普通なわけないだろ。給料は上がった?」
「同期会で最初に聞くこと?」
「気になる」
「具体的な金額は言わない」
「絶対上がってるな」
「勝手に決めないで」
個人営業部門の小川結菜が尋ねる。
「青嶺の頭取って、本当にあの欧陽璟瑶さん?」
「そうだよ」
「会ったことある?」
「ある」
周囲が一斉に驚く。
「本店勤務なんだから、普通に会うよ」
「どんな人? ニュースで見るまま?」
創の頭に、今朝の口づけが浮かんだ。
自分の恋人で、双子を妊娠し、新居を一緒に購入した女性。
当然、一つも話せない。
「仕事にはかなり厳密な人。数字や前提、根拠をよく見る。でも何でも自分だけで決めず、担当者の意見も聞く」
「詳しいね」
「行内の報告を聞けば分かる範囲だよ」
「実際、綺麗?」
「……どうしてそこを聞くの?」
「ニュースでも綺麗だから」
「まあ、そうだと思う」
「その言い方、何か変じゃない?」
「変じゃない」
創は慌てて水を飲んだ。
◇◇◇
転職した同期とも話した。
証券会社へ移った三好康平が言う。
「銀行を辞めても、東都で覚えたことは無駄じゃなかった」
「俺もそう思う。確認することも、顧客の話を聞くことも、今の仕事で使ってる」
「相変わらず真面目だな」
「昔からでしょう」
別のテーブルでは、左手に指輪をした西村圭吾と再会した。
「結婚したんだ?」
「去年。子どもも一人いる」
「何歳?」
「八か月」
見せてもらった写真には、小さな赤ちゃんが笑っていた。
「かわいい」
「だろ? でも夜は本当に寝ない。三時間続けて寝たら奇跡みたいな時期もあった」
「大変?」
「大変。でも帰って顔を見ると、全部どうでもよくなる」
創は少し迷いながら尋ねた。
「父親になったら、ちゃんとできるもの?」
「今も不安だよ。親になったからって、急に完璧になるわけじゃない。毎日分からないことだらけ」
「そうなんだ」
「だから調べる。人に聞く。妻と相談する。それだけ」
創は父の言葉を思い出した。
『分からないことがあるのは当たり前だ』
『分からないままにするな』
「いいことを聞いた」
「宮嶋、子ども欲しいの?」
「……いつかは、と思ってる」
嘘ではない。
ただ、すべてを話していないだけだ。
「彼女はいる?」
「いる」
「えっ、お前に!?」
「声が大きい」
「いつから? 誰? 東都の人? 年上?」
「全部言わない。写真も見せない」
「秘密主義すぎる!」
それでも西村は最後に一つだけ尋ねた。
「幸せ?」
創は迷わず答えた。
「幸せ」
◇◇◇
やがて創に恋人がいるという話は、同期の間に広がった。
「宮嶋、彼女いるの?」
「いる」
「どんな人?」
「言わない」
「仕事は?」
「言わない」
「年齢は?」
「言わない」
「何なら言えるの?」
創は少しだけ考える。
「大事な人」
周囲から歓声が上がった。
「だから騒がないで!」
同期には、結婚した人もいる。
子どもが生まれた人も、転職した人もいる。
それぞれが、それぞれの人生を進んでいる。
創だけが特別なのではない。
ただ、その形が少し珍しいだけ。
そう思うと、創の胸は少し軽くなった。
◇◇◇
午後七時十五分。
最後に五十八人で集合写真を撮る。
「宮嶋、もっと真ん中!」
「転職成功者!」
「やめろ!」
笑い声の中で、何枚も写真が撮られた。
創がスマートフォンを見ると、璟瑶から連絡が届いている。
『楽しんでる?』
『うん。五十八人来た』
『多いね』
『彼女がいるってばれた』
すぐに既読がつく。
『誰に?』
『同期に。でも何も話してない』
『年齢も?』
『言ってない』
『仕事も?』
『言ってない』
『名前も?』
『言ってない』
少しして、短い返事が届いた。
『よろしい』
「……頭取みたい」
創は思わず笑った。
◇◇◇
午後八時二十八分。
成城の新居。
「ただいま」
「おかえり。どうだった?」
「楽しかった」
「誰と話した?」
「やっぱり聞くんだ」
「約束でしょう?」
創は同期の名前を挙げる。
「佐野さんや小川さんとも話した?」
「普通にね」
「ふーん」
「嫉妬?」
「少し」
創は笑いながら隣へ座った。
「でも、行ってよかった」
「何かあった?」
「八か月の子どもがいる同期と話した。夜は寝ないし、分からないことだらけで大変だって」
「うん」
「でも、分からないなら調べて、人に聞いて、奥さんと相談するって」
創は璟瑶の手を握った。
「俺、ちゃんと父親になれるか怖かった。今も怖い。でも最初から全部分かる人なんていないんだなって思えた」
「私も母親になるのは初めて。四十五歳でも、それは同じ」
「じゃあ二人で調べよう。先生にも両親にも聞こう」
「うん」
「今日、同期が五十八人いた。結婚した人、子どもがいる人、転職した人。みんな違う人生を歩いてた」
創は少し照れながら続ける。
「俺は青嶺へ転職して、四十五歳の頭取を好きになって、双子の父親になるかもしれない」
「かなり珍しいけどね」
「それはそう」
二人は笑った。
「そういえば、私のことを聞かれた?」
「本当にあの欧陽璟瑶が頭取なのかって」
「どんな人だって?」
「数字と前提と根拠をよく見る、厳密な人だって答えた」
「それだけ?」
「綺麗かとも聞かれた」
「何て答えたの?」
「まあ、そうだと思うって」
「……もっと綺麗だって言って」
「どうして同期に?」
「私が恋人だって知らなくても」
創は笑い、改めて璟瑶を見る。
「璟瑶は綺麗。すごく綺麗」
「うん。満足」
「単純」
「何?」
「何でもない」
この週末、水城は父と叔父が崇岳と再会していたことを知った。
けれど、二人の関係も双子の妊娠も漏れていなかった。
そして創は、東都共栄銀行へ入行した約八十人の同期のうち、五十八人と再会した。
青嶺での仕事、転職後の待遇、頭取の人柄。
多くの質問を受けたが、最も大きな秘密は守った。
その頭取こそ自分の恋人であり、二人の子どもの母親になろうとしていることを、誰にも話さなかった。
ただ、同期の父親から聞いた言葉は、創の中に残った。
親になったからといって、突然何でも分かるわけではない。
分からないなら、聞く。
調べる。
パートナーと相談する。
それは、創が仕事で大切にしてきた「確認」と同じなのかもしれない。
そして、四人で暮らすための新居には少しずつ荷物が運び込まれている。
一方、創が暮らしてきたマンションはまだ残っている。
二つの家をこれからどうするのか。
次に二人が考えるのは、新生活を本格的に始めるための最後の整理だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創が東都共栄銀行時代の同期たちと久しぶりに再会しました。
「青嶺はどう?」
「給料は上がった?」
「頭取って、本当にあの欧陽璟瑶?」
当然、質問は次々と飛んできます。
しかし創は、璟瑶が自分の恋人であることも、双子を妊娠していることも一切明かしません。
その一方で、既婚者や子育て中の同期から話を聞き、
「親になったからといって、最初から何でも分かるわけではない」
という当たり前だけれど大切なことにも気づきました。
分からなければ聞く。
調べる。
二人で相談する。
それは仕事で創が大切にしてきた「確認」と、どこか似ているのかもしれません。
そして次回、第65話。
新居へ移る準備が進む中、今度は現在の創のマンションをどうするのか。
手放すのか。
それとも、二人の思い出の場所として残すのか。
創と璟瑶は、その答えを決めることになります。




