第61話「四人で暮らす家へ――新居契約と、二つの子ども部屋」
第61話です。
今回は、ついに成城の本命物件を正式購入へ進めます。
追加確認を終え、共有名義や費用負担について相談する相手は、崇岳が頭取時代から長く付き合いのある税理士・藤堂征一郎と、司法書士・相馬啓介。
二人はそこで初めて、璟瑶と創が恋人同士であること、そして双子を妊娠していることを知ります。
創も二人と正式に名刺交換。
費用は創が無理をしない形で負担し、璟瑶が多めに出す方向へ。
さらに、二つ並んだ子ども部屋を見ながら、まだ性別も分からない双子の未来を二人で想像します。
四人で暮らす家が、少しずつ現実になっていきます。
土曜日、午前九時十三分。
東京都世田谷区、成城。
宮嶋創と欧陽璟瑶は、再びあの一軒家の前に立っていた。
三階建ての5LDK+S。
二十九畳のLDK、並んだ二つの子ども部屋、書斎とサービスルーム。
広い浴室に庭、小型プール、二台分の駐車場。来客車を一台置ける余裕もある。
道路から室内が見えにくく、防犯性も高い。
第59話で三件を内見し、二人が本命に選んだ家だった。
「創、また止まってる」
「本当に買うかもしれないと思ったら、前より大きく見えて」
「私も少し緊張してる」
「璟瑶でも?」
「するよ。銀行を買うわけじゃない。自分たちが住む家だもの」
「しかも、四人で暮らすかもしれない家」
「うん」
二人の脳裏には、高峰レディースクリニックで見た二つの心拍が残っている。
『こちらが一人目』
『そして、こちらがもう一人』
『二人とも心拍を確認できます』
まだ昨日のことのように鮮明だった。
「今日、問題がなければ契約まで進める?」
「うん。追加確認が全部終わって問題がなければ、俺は進めたい」
「私も」
そこへ、不動産担当の榊原直哉が現れた。
「おはようございます。本日は追加確認のあと、購入手続きについてご説明します」
「よろしくお願いします」
◇◇◇
午前九時二十五分。
三人は二階のリビングで、建物の資料を広げた。
「築六年です。二年前に給湯設備の一部を交換し、昨年はプールの循環設備を点検しています」
「雨漏りや水漏れ、シロアリの履歴は?」
「ありません。第三者による住宅診断でも、基礎、構造、屋根、外壁、給排水に大きな問題は認められていません」
創は診断書を一項目ずつ確認する。
「銀行の融資審査みたい」
「家を買うんだから、ちゃんと見るよ」
「うん。それでいい」
榊原も頷いた。
「慎重に確認していただく方が、私どもも安心です」
次はプールの維持費。
提示された年間費用を見て、創が小さく唸る。
「やっぱり、それなりにかかるね」
「必要なら負担する。でも子どもが小さいうちは、安全対策が最優先」
「着脱式の安全柵とカバーを追加できます」
「購入を進めるなら、見積もりをお願いします」
「承知しました」
サービスルームの防音工事についても、すでに見積書が用意されていた。
壁、天井、床を防音し、二重扉と換気設備を設ける。
「家庭用カラオケなら使えますか」
「十分対応できます」
「嬉しい」
創は即答した。
「本棚を置いて、カードゲームや花札ができるテーブルも置く。カラオケ機器も入れたい」
「私も使う」
「花札?」
「カラオケ。それから花札も創に教えてもらう」
「負けても怒らない?」
「怒る」
「教える意味ある?」
「ある」
榊原は見事に聞こえないふりをした。
現在、この家にホームエレベーターはない。
しかし構造上、一階から三階まで後付けできるという。
「最初から付ける?」
創が尋ねると、璟瑶は自分のお腹へ視線を落とした。
「双子で、妊娠が進めば階段が負担になるかもしれない」
「じゃあ、最初から設置する方向で検討しよう」
「うん」
「工事を行う場合、引き渡しが少し延びる可能性があります」
「急いで安全性を削る方が嫌です。それは大丈夫です」
「私も同じです」
◇◇◇
午前十時十二分。
二人は改めて、二十九畳のLDKを見渡した。
「ここで四人、ご飯を食べるかもしれないんだね」
「子ども用の椅子が二つ並ぶかもしれない」
「一週間前までは、一つしか考えてなかった」
「私も」
「椅子が二つ。お皿もコップも二つ」
「ベビーベッドも二つ?」
「置き方、調べないと。まだ早いかな」
「早い。でも考えるだけならいい」
二人は笑い合い、三階へ上がった。
廊下には、約八畳の個室が二つ並んでいる。
創が左側の扉を開けた。
「こっちは日当たりがいい」
璟瑶は右側を確かめる。
「こっちは少し静かね」
「どっちを誰が使うかな」
「まだ性別も分からないよ」
「男の子二人かもしれない。女の子二人かもしれない。一人ずつかもしれない」
「どれでもいい」
「うん。二人とも元気なら、それでいい」
未来では、一人が男の子、もう一人が女の子になる。
けれど二人がそれを知るのは、まだ先だった。
「机は窓の近くかな。本棚も必要かな」
「創、早い」
「考えるだけならいいって言ったでしょう?」
「そうだった」
隣の部屋へ移った璟瑶は、窓辺で立ち止まった。
「前に見た時は、この部屋を使わなければ客間にすればいいと思ってた」
「うん」
「でも今は違う。ここも本当に必要になるかもしれない」
創は璟瑶の隣へ並ぶ。
「二人とも、この家へ帰ってくるようになったらいいね」
「うん」
◇◇◇
午前十一時。
リビングへ戻ると、榊原のほかに二人の男性が待っていた。
一人は六十代、もう一人は五十代。
璟瑶が足を止める。
「藤堂先生?」
「お久しぶりです、璟瑶さん」
税理士法人の代表社員、藤堂征一郎、六十三歳。
企業税務、資産承継、国際税務、不動産税務に長く携わっている。
「相馬先生まで?」
「私も崇岳さんから連絡を受けまして」
もう一人は、司法書士法人代表の相馬啓介、五十八歳。不動産登記や相続を専門としている。
「お父さんが?」
「共有名義で住宅を購入するため、税務と登記について相談したいとだけ伺っています。詳しい事情は聞いておりません」
二人とも、崇岳が頭取だった時代から付き合いのある専門家だった。
藤堂が創を見る。
「こちらが宮嶋さんですね」
創はすぐに立ち、名刺入れを取り出した。
「初めまして。青嶺中央銀行法人営業第一部の宮嶋創と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「藤堂征一郎です。丁寧ですね」
「相馬啓介です。よろしくお願いします」
名刺交換を終えて座ったものの、創の鼓動は少し速かった。
「まず確認します。今回の住宅には、欧陽さんと宮嶋さんのお二人が居住される予定ですね」
「はい」
二人はそろって答えた。
「共有名義を検討されている理由を伺っても?」
創と璟瑶は顔を見合わせる。
持分や税務、登記を任せるなら、二人の関係を伏せたままでは進められない。
「藤堂先生、相馬先生。個人的な事情があります」
「私どもには守秘義務があります。必要な範囲だけお話しください」
璟瑶は一度息を整えた。
「私と創は交際しています。今回の家は、二人で暮らすために購入します」
「……そうでしたか」
二人の専門家は驚いたものの、それ以上詮索しなかった。
「崇岳さんは、何もおっしゃいませんでした」
「私たち自身から話した方がいいと考えたのだと思います」
相馬が続ける。
「お二人は、すでに婚姻されていますか」
「まだです」
「では、出資額と登記持分の関係を特に慎重に整理する必要があります」
藤堂も頷く。
「実際の負担額と持分が大きくずれれば、贈与と判断される可能性があります」
「そこを一番確認したかったです」
◇◇◇
「当初、宮嶋さんはどの程度負担する予定でしたか」
「三割くらい出したいと考えていました」
「私が止めています」
「理由は?」
「創は二十一歳の若手行員です。私とは収入も資産も大きく違う。三割に固定すると、負担が大きすぎます」
「その判断は妥当です」
藤堂は購入価格に、諸費用、防音工事、ホームエレベーター、安全柵などを加えた総額を示した。
創が再び固まる。
「また止まった」
「数字が大きいから……」
「住宅のために全財産を使ってはいけません。生活防衛資金を残し、今後の生活費や教育費、突発的な支出まで考える必要があります」
「はい」
「家族が増える可能性があるなら、なおさらです」
璟瑶は創を見てから口を開いた。
「先生。そのことについて、もう一つお伝えすることがあります」
「何でしょう」
「私、妊娠しています。双子です」
「……」
藤堂も相馬も、完全に動きを止めた。
藤堂はゆっくり眼鏡を外す。
「それは、本当におめでとうございます」
「ありがとうございます。ただ、まだ初期です。二人とも心拍を確認できた段階で、周囲にはほとんど話していません」
「崇岳さんはご存じですか」
「両親は知っています」
「それで、早めに専門家へ相談するよう紹介されたのでしょうね」
相馬は創を見る。
「二十一歳で、人生が大きく動いていますね」
「はい。自分でもそう思います」
藤堂は資料へ視線を戻した。
「それなら、なおさら無理のない持分にしましょう。住宅購入で手元資金を失い、双子が生まれたあと必要な時に動けなくては意味がありません」
「はい」
「七対三ではなく、八対二、またはそれに近い比率が現実的でしょう」
創は璟瑶を見る。
「私はそれでいい。二割でも十分に大きな負担だから」
「持分が二割なら、宮嶋さんは正式な共有者です。誰かに住まわせてもらう立場ではありません」
その言葉が、創の胸に届いた。
「俺の家でもあると言えますか」
相馬がはっきり答える。
「登記上も、明確な共有者です」
「なら、その方向で考えたいです」
「私も。私が八、創が二を基本にお願いします」
「最終的な支払額と諸費用を確認し、実際の負担に合わせて持分を決定しましょう」
婚姻前でも、共有登記はできる。
将来結婚した場合に必要となる手続きは、住宅購入とは分けて考えることになった。
「本日伺った交際、妊娠、双子については外部へ話しません」
「お願いします。銀行内で私たちの関係を知っているのは、まだ一人だけです」
「承知しました。崇岳さんとの付き合いとは関係なく、依頼人の秘密として守ります」
藤堂と相馬は、そう約束した。
◇◇◇
正午十二時四十分。
二人は重要事項説明と契約内容を、一項目ずつ確認した。
購入価格、手付金、決済、登記、引き渡し。
防音工事、ホームエレベーター、プールの安全柵。
創も璟瑶も、すべてに目を通す。
「時間がかかるね」
「家だから、ちゃんと確認する」
「三谷さんの言葉どおりね。確認はゴールじゃなくて入口」
「覚えてた?」
「創が何度も言うから」
すべてを確認した榊原が、最後に尋ねる。
「それでは、正式に購入手続きを進めてよろしいでしょうか」
創は璟瑶を見た。
「いい?」
「創は?」
「俺は、ここに住みたい」
「私も」
二人は同時に頷いた。
「お願いします」
その瞬間、本命候補だった一軒家は、二人が四人で暮らすために選んだ家へ変わった。
◇◇◇
午後二時十一分。
帰る前に、二人はもう一度、三階の子ども部屋を訪れた。
左と右、どちらも約八畳。
「どっちが男の子の部屋かな」
「まだ男の子がいるって決まってないよ」
「分かってる。もし一人ずつだったら、どっちかなと思って」
「じゃあ、日当たりのいい方が女の子」
「男の子は日当たりが悪くてもいいの?」
「そういう意味じゃない!」
二人は笑い合う。
「何が好きな子になるかな。本を読むかな」
「創の子なら、本が増えそう」
「璟瑶の子でもあるよ」
「私は仕事の資料以外、そんなに読まないから」
「読書って遺伝するのかな」
「知らない」
分からないことばかりだ。
性別も、どちらが兄か姉になるのかも、どんな性格になるのかも。
それでも、考えることは楽しかった。
「二人とも、この家へ帰ってきてくれるようになるといいね」
「うん」
◇◇◇
午後四時二十分。
璟瑶は水城絢乃の個人用スマートフォンへ連絡した。
『はい、頭取』
「今日、新居の購入を進めることに決めた。住所も決まった」
『では、必要最小限の範囲で管理します』
璟瑶が住所を伝えると、水城は復唱して確認した。
誰と住むのかという私的情報までは記録しない。
『秘書車の運用も決めておきましょう。原則として、新居前での送迎は行わない。それでよろしいですか』
「お願いします」
『必要な日は駅近くなどの指定地点から乗車。夜間、緊急時、医療上やむを得ない場合のみ、自宅前まで送迎可能とします』
「それがいい」
『宮嶋さんとは、基本的に出勤時間と動線を分けますね』
「うん。創は通常の電車通勤。私は電車か、途中から車に乗る形で調整する」
『承知しました』
少し間を置き、水城が言う。
『頭取、おめでとうございます』
「……」
『今回は妊娠ではなく、新居の方です』
璟瑶は小さく笑った。
「ありがとう」
『四人で暮らせる家が見つかって、よかったですね』
「うん。本当に四人で暮らせたらいい」
◇◇◇
午後五時五十分。
創のマンションでは、早くも段ボールが二つ置かれていた。
「この本、全部運ぶの大変そう」
「何冊あるの?」
「数えてない」
「私の靴と同じ答え」
「璟瑶は靴。俺は本」
小説、歴史、実用書、資格関係の本。
カードゲーム、花札、ボードゲーム。
創がこれまで大切にしてきたものを、一つずつ箱へ入れていく。
「欲しいものは全部持ってきて」
「全部?」
「新居は創の家でもあるんだから」
璟瑶は古い花札の箱を手に取った。
「これは?」
「小学生くらいから使ってる。家族で遊んでた」
「捨てないよね?」
「もちろん」
「なら、新居で一番いい棚に置こう」
「花札を?」
「大切なものなんでしょう?」
創は少し照れながら笑った。
「今日、藤堂先生も言ってた。持分が二割でも、正式な共有者だって」
「創の家だよ。私が八で創が二だから、家の二割しか使えないなんてことはない」
「当たり前だけど、言われると安心する」
「LDKを八対二で分けたりもしない」
「浴室は?」
「二人で入るから五対五」
「意味が分からない」
二人の笑い声が、まだ小さなマンションに響いた。
◇◇◇
夕食後、二人は新居の間取り図を広げた。
「一階の客間なら、両親が来た時に泊まれるね」
「崇岳さんと美智子さんも、父さんと母さんも」
「四人同時に来たら?」
「食事は八人掛けのテーブルで大丈夫。寝る部屋は足りないかも」
「誰か、趣味室で花札に囲まれて寝る?」
「崇岳さん、意外と喜ぶかも」
笑いながら、璟瑶は間取り図にある二つの子ども部屋へ指を置いた。
「この部屋を二人が使う日、本当に来るかな」
創は服の上から、璟瑶のお腹へそっと触れた。
「来てほしい」
「うん」
「でも、焦らない。一回ずつ診てもらう。今日決めたのは未来そのものじゃなくて、四人で暮らせる場所を用意し始めたってこと」
「うん。それでいい」
少しして、創が今日の専門家たちを思い出す。
「藤堂先生と相馬先生、すごく驚いてたね」
「お父さんが何も言ってなかったからね。でも昔から知ってる人だから、私は少し安心した」
「俺は名刺を出す時、ものすごく緊張した」
「分かった。顔が硬かった」
「崇岳さんが頭取だった頃から付き合いのある先生たちと、二十一歳の若手行員だよ。世界が違いすぎる」
璟瑶の表情が真剣になる。
「創。世界は違わない」
「……」
「今日、同じ家を買うと決めたでしょう。同じ家に住んで、双子を一緒に育てるかもしれない。だから、世界が違うなんて言わないで」
「分かった」
「創は今日、きちんと名刺を渡して、質問して、自分も負担したいって伝えた。十分立派だったよ」
「褒めすぎ」
「本当」
創はもう一度、間取り図を見る。
「八対二。最初は少し悔しいと思った」
「うん」
「でも二割でも俺は共有者で、金額も相当大きい。それに、手元のお金を残しておけば、双子に何か必要になった時に使える」
「それが一番いい」
「父親候補なんだから、見栄を張るより備える方が大事だね」
「創、少し父親の顔になってきた」
「まだ二十一歳だけど」
「二十一歳でも、父親になる人はいるよ」
二人の視線が、璟瑶のお腹へ向いた。
見た目はまだほとんど変わっていない。
それでも、その中では二つの小さな心臓が動いている。
そして今日、その二つの命が帰るかもしれない家が決まった。
世田谷区成城。
三階建て、5LDK+S。
広いLDK、二つの子ども部屋、書斎、趣味室、庭、プール、駐車場、広い浴室。
まだ引き渡し前で、部屋には何もない。
けれど、もう単なる空き家ではなかった。
四人の未来を待つ家になった。
税理士の藤堂征一郎と、司法書士の相馬啓介。
二人の関係と双子の妊娠を知る人物は増えたが、彼らは銀行の外にいる守秘義務を負う専門家だ。
銀行内部ですべてを知るのは、依然として水城ただ一人。
久世も、劉川も、人事も、創の上司も同期も知らない。
しかし次に頭取室で水城へ伝える情報は、もう変わっている。
『妊娠している可能性があります』
ではない。
『双子です』
『二人とも心拍を確認できました』
その報告を受けた水城は、秘書として新たな提案をすることになる。
『頭取。そろそろ劉川第一秘書にも、必要最小限を共有した方がよろしいのではないでしょうか』
秘密を守るためにも、誰かに支えてもらう必要がある。
その範囲をどこまで広げるべきか。
二人は次の決断へ向き合うことになる。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、新居がついに“本命候補”から“購入する家”へ変わりました。
共有名義については、創が無理をしないことを最優先にしながら、璟瑶が多め、創もきちんと負担する方向に。
税務や登記についても、崇岳の代から信頼されている藤堂税理士と相馬司法書士へ相談することになりました。
そして、二つ並んだ子ども部屋。
まだ男の子か女の子かは分かりません。
それでも、二人とも心拍が確認できた今、その二部屋は以前とはまったく違って見えています。
新居住所は水城へ必要最小限だけ共有し、秘書車も原則として自宅前を使わない方針へ。
秘密を守りながら、“四人で暮らす準備”が本格的に始まりました。
次回、第62話。
璟瑶は頭取室へ水城を呼びます。
そして今度は、
「可能性があります」
ではなく、
「二人とも心拍が確認できました」
と、妊娠について一歩進んだ報告をすることになります。




