第60話「二つの小さな心臓――俺たち、本当に四人になるんだ」
第60話です。
今回は、再診でついに二つの小さな心拍を確認します。
「こちらが一人目」
「そして、こちらがもう一人」
「二人とも心拍が確認できます」
その言葉に、璟瑶は涙を流し、創も言葉を失います。
診察後には、妊娠と双胎、心拍確認について記された用紙も受け取りました。
そして、まず報告するのは両家の両親だけ。
崇岳と美智子。
和久と恵美子。
親戚にも、銀行にも、まだ広くは知らせません。
二人だけだった未来が、少しずつ“四人家族”という現実へ変わっていきます。
日本、東京。
高峰レディースクリニック。
午後二時七分。
宮嶋創と欧陽璟瑶は、今日も個室待合に並んでいた。
前回確認された、二つの胎嚢。
双子の可能性が高いと告げられたものの、まだ安心できる段階ではない。
今日確かめたいのは、二人それぞれの心拍だった。
「創、緊張してる?」
「してる」
「私も。前回は双子かもしれないって聞いて嬉しかった。でも今日は、もっと怖い」
「俺も。二人とも心臓が動いていてほしい」
「うん」
前回、高峰澪奈は言った。
『一回の診察だけで未来を決めない』
『次回、それぞれの経過を確認する』
今日が、その次回だった。
「もし、一人しか確認できなかったら……」
創は一瞬黙ったが、逃げずに答える。
「その時は先生に聞こう。今から悪い方に決めつけない」
「うん」
やがて扉がノックされた。
「欧陽さん、診察室へどうぞ」
二人は立ち上がり、顔を見合わせた。
「行こう」
「うん」
◇◇◇
「その後、出血や強い腹痛はありませんか」
診察室で、澪奈が体調を確認する。
「ありません。吐き気は少しありますが、食事は取れています。眠気はまだ強いです」
「お仕事は減らしていますか」
「少し。秘書に減らされています」
「前回より、さらに良い秘書さんですね」
「本当にそう思います」
創が答えると、璟瑶が横目で見る。
「創、先生側につくの?」
「宮嶋さんは患者さん側です。ただし、休んでもらうという意味では私と同じ側ですね」
「二対一……」
少しだけ笑いが起こり、張り詰めていた空気が和らいだ。
しかし、超音波検査が始まると、二人の緊張はすぐに戻った。
「今日は、前回確認した二つの胎嚢について、それぞれの発育を見ます」
「はい」
モニターに白黒の画像が映る。
創には、何がどこにあるのかまだよく分からない。
澪奈は慎重に角度を変え、画面を確認した。
「こちらが一人目です」
示された場所に、小さな影がある。
その中で、さらに小さなものが細かく動いていた。
「動いてる……?」
「はい。心拍を確認できます」
璟瑶が息を止める。
澪奈は位置を変え、もう一つの胎嚢を映した。
「そして、こちらがもう一人です」
そこにも、かすかだが確かな動きがあった。
「一人目と、もう一人。二人とも心拍を確認できました」
「……」
時間が止まったようだった。
創は言葉を失い、璟瑶は大きく目を見開いたまま画面を見つめる。
「二人とも……?」
「はい。現時点で、二人とも心拍を確認できています」
「本当に?」
「本当です」
璟瑶の頬を、涙が伝った。
「創……二人とも動いてる」
創は何も言えないまま、璟瑶の手を強く、しかし優しく握る。
「うん……」
それだけを言うのが精いっぱいだった。
澪奈は急かさず、二人が画面を見つめる時間を待った。
そこには、二つの小さな心臓が確かに動いていた。
「先生。二人とも、今はちゃんと育っていると考えていいんですか」
「現時点で確認できる範囲では、二人とも心拍があります。ただし、今後もすべて問題ないと保証できる段階ではありません」
澪奈は慎重に言葉を選ぶ。
「双胎妊娠であり、欧陽さんは四十五歳です。これからも丁寧に経過を見ていきます」
「それでも、今日、二人の心臓が動いているのは本当なんですね」
「はい。それは間違いありません」
「よかった……」
璟瑶は涙を拭った。
創も唇をかみ、込み上げるものをこらえている。
「宮嶋さん、大丈夫ですか」
「大丈夫です。ただ、何を言えばいいのか分からなくて」
「それでいいですよ。こういう時に言葉が出ない方は少なくありません」
「……はい」
◇◇◇
澪奈は二人の大きさや位置を確認し、今後について説明した。
「双胎妊娠の場合、単胎妊娠より診察回数が増えることがあります。必要に応じて、周産期医療を専門とする医療機関との連携も考えます」
璟瑶の表情に、再び不安が浮かぶ。
「ただし、今ここですべてを決める必要はありません。今日最も大切なのは、二人とも心拍を確認できたことです」
「はい」
「性別は、まだ分かりませんよね?」
創が尋ねると、澪奈は少し笑った。
「それは、もうしばらく先です」
「創、また聞いた」
「気になるから」
「男の子でも女の子でも、まずは一つずつ進みましょう」
「はい」
未来の答えは、まだ誰にも分からない。
一人は男の子に。
もう一人は女の子に。
けれど今、二人が知るべきことは一つだけ。
二つの小さな心臓が、確かに動いている。
それだけで十分だった。
◇◇◇
診察後、二人は説明室へ移った。
澪奈から渡された書類には、診察結果や今後の受診予定とともに、双胎妊娠と二人の心拍を確認したことが記されていた。
「これ、妊娠を確認したって書いてある……」
「はい。二人それぞれの心拍を確認できたことも記載しています」
璟瑶は両手で用紙を受け取った。
指先がわずかに震えている。
「持って帰っていいんですよね?」
「もちろんです。大切にしてください」
「先生、ありがとうございます」
「次回も二人で来てください」
「はい。必ず来ます」
創がはっきり答えた。
◇◇◇
午後三時五十一分。
クリニックを出た二人は、人目を意識しながら並んで歩いた。
「二人とも、心臓が動いてたね」
「うん」
「本当に四人になるかもしれない」
「うん」
創が尋ねる。
「両親には今日、話す?」
「話したい。まず電話して、そのあと家族のチャットに書類と画像を送ろう」
「親戚には?」
「まだ言わない。銀行も、水城さんに必要な範囲で伝えるだけ」
「久世さんも劉川さんも、まだだね」
「うん」
「黒瀬と琴葉にも言わない」
「もちろん」
喜びを伝える相手は、まだ両家の両親だけ。
今は小さな輪の中で、この秘密を守る。
◇◇◇
午後五時十二分。
創の部屋へ戻った二人は、最初に重慶の欧陽家へ電話をかけた。
『もしもし』
「お母さん」
『璟瑶? 今日、どうだった?』
美智子は再診の日を覚えていた。
璟瑶は創を見て、創の頷きを確かめる。
「お母さん。二人とも心拍を確認できた」
電話の向こうが静かになった。
『……二人とも?』
「うん。双子の二人とも、心臓が動いてた」
『崇岳!』
遠くから父の声がする。
『何だ』
『璟瑶よ!』
崇岳が電話へ近づいた。
『どうだった』
「お父さん。二人とも心拍を確認できた」
『……』
「お父さん?」
『聞いている。双子なんだな』
「うん。まだ慎重に診てもらう必要はあるけど、今日は二人とも確認できた」
崇岳は長く息を吐いた。
『そうか……そうか』
それしか言わない。
けれど、その声はわずかに震えていた。
後ろでは、美智子がすでに泣いている。
『よかった。本当によかった。まだ全部安心できるわけじゃないけど、それでもよかった……』
「お母さん、泣かないで」
『あなたも泣いてるでしょう』
「……うん」
やがて崇岳が創を呼ぶ。
『創君、そこにいるか』
「はい。います」
『二人を頼む』
「はい。でも、俺一人で全部背負うつもりはありません。先生や家族、必要なら周りにも頼りながら、璟瑶と二人で向き合います」
『それでいい。それが一番いい』
◇◇◇
次に、創は自分の両親へ電話をかけた。
『もしもし』
「母さん。父さんもいる?」
『いるわよ。今日、病院だったでしょう?』
和久も電話の近くへ来る。
「父さん、母さん。二人とも心拍を確認できた」
『え?』
恵美子の声が裏返る。
『二人とも!?』
「うん。双子の二人とも、心臓が動いてた」
『ちょっと待って! 私、一気に二人のおばあちゃんになるの!?』
「まだ、なるかもしれない段階だよ。先生も慎重に診ていくって」
『分かってる! でも二人とも心拍が確認できたんでしょう!? もう、どうしよう……二人……』
『恵美子、落ち着け』
『無理!』
予想どおりの反応に、璟瑶が隣で声を抑えて笑っている。
「父さん。年齢と双子、両方あるから慎重に見るって言われた」
『分かった。創、前にも言ったが、分からないことをそのままにするな。今回は一人ではなく二人だ。必要な確認も増えると思え』
「うん」
『それから、璟瑶さんに無理をさせるな』
「分かってる」
恵美子が璟瑶を呼ぶ。
『璟瑶さん、そこにいる?』
「はい。います」
『おめでとうって言いたいけど、まだ怖いよね。だから今は、二人とも心拍を確認できてよかったねって言わせて』
璟瑶の目に、また涙が浮かぶ。
「ありがとうございます」
◇◇◇
電話のあと、二人は書類と超音波画像を撮影し、それぞれの家族チャットへ送った。
重慶の家族には――。
『今日の再診で、二人とも心拍を確認できました。まだ慎重に経過を見ていきます』
美智子からは、泣き顔の絵文字がすぐに並んだ。
崇岳から届いたのは、短い一文。
『確認した。身体を第一に』
「崇岳さん、文章が硬い」
「でも多分、今も泣いてる」
「本当に?」
「お父さんは人前で泣かないだけ」
宮嶋家にも同じ報告を送る。
恵美子からは、大量の感嘆符と泣き顔。
和久からは――。
『確認した。次の診察まで体調優先。必要なことがあれば連絡しなさい』
「父さんと崇岳さん、似てる」
「お母さんたちも、別方向で似てるね」
二人は顔を見合わせて笑った。
それでも、報告した範囲は両家の両親まで。
親戚やきょうだいには、まだ話さない。
銀行側では、水城だけが必要最小限の情報を知っている。
◇◇◇
午後八時十一分。
夕食を終えた二人は、診察でもらった書類を改めて広げた。
名前、日付、検査結果、双胎、心拍確認、次回の受診予定。
璟瑶は指でゆっくり文字を追う。
「これ、本当に私の書類なんだね」
「うん。欧陽璟瑶って書いてある。妊娠確認とも、二人の心拍確認とも書いてある」
「不思議」
「何が?」
「私、今まで何万枚も書類を見てきた。融資、契約、役員会、人事、海外案件……でも、これが一番怖くて、一番嬉しい紙かもしれない」
「俺も毎日仕事で書類を見るけど、これは全然違う」
創は真剣な顔になる。
「コピーを取って、原本は保管しよう。画像もバックアップする」
「創、確認を徹底しすぎ」
「大事だから」
「分かってる。私も同じことを考えてた」
二人はもう一度、書類へ目を落とした。
『二人とも心拍確認』
その短い言葉が、二人の人生を大きく変えようとしている。
「性別はまだ分からないね」
「男の子二人かもしれない。女の子二人かもしれない。一人ずつかもしれない」
「どれでもいい」
「私も。二人とも元気なら、それでいい」
答えを知る日は、まだ先だ。
◇◇◇
「本命の家、どうする?」
璟瑶が尋ねる。
「追加確認を全部して、問題がなければ進めたい」
「子ども部屋二つ、本当に必要だったね」
「偶然、先に用意してたみたいだ」
「それでも、趣味室は削らないからね」
「まだ言う?」
「言う。父親になるからって、創が創じゃなくなる必要はない」
「うん」
二人はソファへ移り、並んで書類を眺めた。
「創。今日、私すごく幸せ」
「うん」
「でも、すごく怖い」
「その両方があっていいと思う。一つずつ進めばいい」
「次の診察も一緒に来てね」
「行く。仕事があっても正式に休暇や早退を取る。必要な引き継ぎをしてから、必ず行く」
「ありがとう」
創はゆっくり手を伸ばし、服の上から璟瑶のお腹にそっと触れた。
押さえず、ただ手のひらを置く。
璟瑶も、その手に自分の手を重ねる。
「二人、この中にいるんだね」
「うん」
「二人とも、心臓が動いてた」
「うん」
創は目を閉じ、今日見た二つの小さな動きを思い出した。
「俺たち、本当に四人になるんだな」
璟瑶は涙を浮かべて頷く。
「うん。創と私と、この子たち二人。四人」
まだ胎動はない。
声も聞こえない。
性別も分からず、生まれる日もずっと先。
それでも今日、二つの小さな心臓が確かに動いていることを確認できた。
親戚も、銀行の役員も、創の上司や同期も知らない。
水城が必要最小限の事情を知り、両家の両親が今日初めて双子の心拍を知った。
この大切な秘密は、まだ小さな家族の輪の中だけで守られている。
帰国後の妊娠超初期編は、ここで一つの区切りを迎える。
次に始まるのは、双子の妊娠初期と、新居での生活へ向けた準備。
二人ではなく、四人になるかもしれない未来へ。
創と璟瑶は、新しい一歩を踏み出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ついに双子それぞれの心拍が確認されました。
まだ妊娠初期であり、これからも慎重な経過観察は必要です。
それでも、
「二人とも心拍が確認できます」
という言葉は、創と璟瑶にとって大きな一歩になりました。
崇岳・美智子、和久・恵美子へも電話で報告し、家族のチャットには妊娠確認の用紙の写真を送信。
ただし、親戚や銀行内にはまだ非公表です。
夜。
創の家で二人は、その用紙を何度も見つめます。
そして最後に創が璟瑶のお腹へ手を添えて告げた言葉。
「俺たち、本当に四人になるんだな」
ここで「帰国後・妊娠超初期編」は一区切り。
次章からは、双子妊娠初期と新居生活へ。
二人から四人へ向かう、新しい日々が始まります。




