第59話「二人で暮らす家――四人家族になるかもしれない未来のために」
第59話です。
今回は、二人で本格的な新居探しへ。
深沢と成城で複数の一軒家を内見し、広いLDK、子ども部屋二室、書斎、庭、駐車場、防犯設備、大きな浴室、さらには小型プールまで備えた物件が本命候補になります。
費用は創も負担しますが、収入や資産の差を考え、璟瑶が多めに出す方向へ。
共有名義についても、専門家へ確認しながら進めることになります。
そして夜。
璟瑶が初めて、
「頭取を辞めた方がいいのかな」
と弱音を吐きます。
創が返すのは、辞めるか続けるかを今すぐ二択にしなくていいという言葉。
四人家族になるかもしれない未来と、璟瑶自身の仕事。
その両方を守るための答えを、二人で探し始めます。
土曜日、午前九時十二分。
東京都世田谷区、成城。
宮嶋創と欧陽璟瑶は、静かな住宅街を並んで歩いていた。
今日は銀行員でも頭取でもない。
これから一緒に暮らす家を探す、二人の恋人だった。
候補地は三つ。
渋谷区の松濤・神山町。
港区の元麻布・南麻布・白金台。
そして世田谷区の深沢・成城。
最初の内見先として選んだのが、この成城周辺だった。
「静かだね」
「うん。建物同士にも余裕があるし、植栽も多い」
「大手町から少し離れるけど、通えない距離じゃない」
「むしろ、それがいい。近すぎると青嶺の関係者に会う可能性が高くなるから」
「でも、駅から遠すぎるのは困る」
「徒歩十五分以内が理想ね」
少し先では、不動産会社の担当者が待っていた。
榊原直哉、三十九歳。
富裕層向け戸建ての取り扱い経験が長く、二人の関係を深く詮索しないよう事前に伝えられている。
「宮嶋様、欧陽様。本日はありがとうございます」
「よろしくお願いします」
「本日は三件ご案内します。一件目は深沢、二件目と三件目は成城です。特に三件目は、ご希望にかなり近いと思います」
「松濤や港区の候補は?」
「残してあります。ただ、本日は比較しやすいよう、世田谷区内でまとめました」
「分かりました。お願いします」
◇◇◇
午前九時四十五分。
一件目は、深沢にある築浅の三階建て、5LDK。
落ち着いた外観で、門と二台分の駐車場を備えている。
「広い……」
「延床面積は約二百七十平方メートルです。一階に玄関と収納、二階に約二十七畳のLDK、三階は個室が中心となっています」
玄関収納も十分に広い。
「これなら靴が多くても入るね」
「創は少ないでしょう。多いのは私」
「何足あるの?」
「数えてない」
「怖い」
榊原は聞こえないふりをして、二人を二階へ案内した。
大きな窓から光が入り、広いダイニングとアイランドキッチンがある。
「八人くらい座れるテーブルも置けそう」
「両親が来ても大丈夫ね」
キッチンには、二人が並んでも十分な余裕があった。
「ここなら一緒に料理できる」
「俺、最初は切る係?」
「最初はね」
浴室は一・五坪。
横幅のある浴槽を見た瞬間、璟瑶の表情が変わる。
「創、広い」
「やっぱり最初にそこを見るんだ」
「重要だから」
璟瑶は浴槽を確認してから、創へ顔を寄せた。
「二人で入れそう」
「榊原さんの前で言う?」
「日本に帰ったら一緒に入るって約束、覚えてる?」
「それは家が決まってから」
「逃げた」
「逃げてない」
榊原は表情を変えず、次の部屋へ進んだ。
三階には、八畳前後の子ども部屋に使える個室が二つ並んでいる。
昨日までは、将来のために二部屋用意したいと考えていただけだった。
だが今は、意味が違う。
「二人とも無事に育ってくれたら、一人一部屋にできるね」
「うん」
ただし、庭はやや小さく、防音性は標準的。書斎に使える部屋も一つしかない。
「悪くはないけど、趣味室が作れないね」
「削らないでって言ったでしょう」
「だから、候補ではあるけど本命じゃないかな」
「私も同じ」
◇◇◇
午前十一時二十分。
二件目は成城の四階建て、6LDK。
屋内ガレージに二台分の駐車スペースがあり、ホームエレベーターも備えている。
「四階……本当に家?」
「家だよ」
榊原がエレベーターを案内する。
「将来、階段の上り下りが負担になった場合にも便利です」
創は璟瑶を見る。
四十五歳で、双胎妊娠の可能性が高い。
今の二人には、見栄ではなく現実的な設備だった。
「これはかなりいいね」
「私もそう思う」
一階には来客用の和室と広い洗面室。
二階のLDKは三十畳あり、大型キッチンとパントリーまで備えていた。
「今まで見た中で一番広い」
「このキッチン、かなり好き」
「食べ物をたくさん置けるから?」
「それもある」
テラスには、小型の温水プールがあった。
「プールまである……」
「子どもが喜びそう」
「二人で走り回りそうだね」
璟瑶の顔が自然とほころんだ。
三階には広い主寝室と、ほぼ同じ八畳の個室が二つ並んでいる。
「同じ広さなら、どちらを使うか喧嘩しなくて済むね」
「まだ生まれてないし、経過確認もこれからだけど」
「うん。それでも想像しちゃう」
四階には書斎と防音室が一室ずつあった。
「前の所有者が音楽を趣味にされていたため、防音設備が整っています」
創はすぐに防音室へ入った。
「カラオケができる。本棚と大きなテーブルも置けそう」
「創、すごく嬉しそう」
「ここなら花札もできる」
「花札に防音は必要ないでしょう?」
「それはそうだけど」
浴室は一・七五坪のワイドタイプ。
璟瑶は満足そうに創を見る。
「二人で入っても余裕ですね」
「榊原さんに聞こえてる」
「そのうち夫婦になるんだから、いいでしょう」
「まだだから!」
榊原は完璧に聞こえないふりをした。
「浴室乾燥、床暖房、ミスト機能も備わっています」
「プロだ……」
防犯設備も充実していた。
門、外周カメラ、センサー、ホームセキュリティ、二段階認証の玄関。
道路から室内もほとんど見えない。
「条件にはかなり合ってる」
「俺もそう思う。でも、値段は……」
提示された金額を見て、創が固まった。
「創、生きてる?」
「生きてる。ただ、数字を見て一回止まった」
「地域、土地、建物、設備を含めれば、相応の価格帯となります」
「ですよね……」
「今、全部を創が払うわけじゃないでしょう」
「分かってる。でも三割でも大きい」
「だから割合はまだ決めない。創が無理をしない金額を最優先にするの」
「うん」
◇◇◇
午後一時十五分。
三件目も成城にある、三階建ての5LDK+Sだった。
庭は三件の中で最も広く、小型プールもある。駐車場は二台分に加え、来客車を一時的に停める余裕もあった。
「外観は、これが一番普通の家に見える」
「それ、大事。豪邸ですって目立ちすぎない方がいい」
「外構は控えめに設計されています」
室内に入る。
二十九畳のLDKには明るい木目が使われ、大きな窓の向こうには植栽が広がっている。
道路からの視線は入らない。
「好き」
璟瑶が即座に言った。
「まだリビングしか見てないよ」
「それでも好き」
広いキッチンには十分な収納がある。
洗面台も二つ並んでいた。
「朝、二人同時に使えるね」
「そのうち、四人で使うかもしれない」
「……そうだね」
三階には主寝室、子ども部屋に使える個室が二つ、書斎、そしてサービスルーム。
サービスルームには、防音施工を追加できるという。
「ここを創の趣味室にできる」
「カラオケにも対応できますか」
「追加工事をすれば可能です」
「すごい……」
浴室はこちらも一・七五坪。
璟瑶は何も言わず、創を見た。
「言いたいことは分かる」
「何?」
「二人で入れる」
「正解。ここを買ったら、最初の夜に一緒に入りましょう」
「榊原さんがいるから」
「何か問題ある?」
「もういい……」
庭へ出ると、芝生の先に小型プールが見えた。
「本当に家?」
「また言ってる」
「だって庭にプールがあるんだよ」
創は庭を見渡す。
「子ども二人が遊んで、俺は端でカードゲームして、璟瑶は本を読んで……」
言いながら、創は止まった。
「どうしたの?」
「四人でここにいるところ、想像した」
璟瑶も庭を見つめる。
「私も」
豪華だからではない。
この家だけは、四人で暮らす風景を具体的に思い描けた。
「本命、これかな」
「私はかなり本命。創は?」
「二件目も好きだったけど、こっちの方が家族で暮らす感じがする」
価格は二件目より少し抑えられていた。
それでも創が固まるには十分な金額だった。
「また止まってる」
「値段を見ると二十一歳に戻る」
「普段は何歳なの?」
「知らない」
榊原が二人へ説明する。
「本日、即決していただく必要はありません。資金計画、名義、持分、税務まで専門家へ確認したうえでご判断ください」
「共有名義を考えています」
創が答える。
「その場合、実際の出資比率と登記上の持分を整合させることが重要です」
璟瑶も頷いた。
「私が多く負担し、彼も無理のない範囲で出します。完全な折半にはしません」
「承知しました」
◇◇◇
午後三時二十五分。
内見を終えた二人は、成城の住宅街を歩いた。
「創はどれがよかった?」
「三件目かな」
「私も。二件目のエレベーターは魅力的だったけど、三件目は庭が広い。子ども部屋も二つあって、防音工事もできる」
「浴室も広い」
「そこは絶対」
「やっぱり強調するんだ」
ただし、プールは見た目だけで決められない。
維持費、清掃、安全対策。
幼い子どもがいるなら、柵や施錠設備も必要になる。
「全部確認しよう」
「うん。家を買う時も、銀行の案件と同じ。見た目だけで決めない」
◇◇◇
午後四時。
二人は個室のあるカフェで、追加確認事項を書き出した。
『建物の修繕履歴』
『防音施工の可能範囲』
『ホームエレベーターの後付け可否』
『プールの維持費・清掃・安全対策』
『ホームセキュリティの契約内容』
『近隣環境と道路事情』
『朝の実際の通勤時間』
『名義・出資比率・税務・登記』
「青嶺の行員が多い地域かどうかも気になる」
「そこは人事情報を使わない。一般に分かる情報だけで確認する」
「うん」
創は少し迷ってから言った。
「俺、本当に三割出せるか計算する」
「三割で固定しないで。将来の生活に困らない金額が最優先。二割になるなら、それでもいい」
「でも、自分も出した家だって言いたい」
「言えるよ。金額の大きさじゃない。創が責任を持って、出せる範囲で負担する。それで二人の家になる」
「ありがとう」
◇◇◇
午後七時四十三分。
創のマンションへ戻る頃には、璟瑶に疲れが見えていた。
「大丈夫?」
「うん。でも少し眠い」
「休む?」
「まだ創と話したい」
二人は温かい飲み物を手に、ソファへ並んだ。
テーブルの上には、今日の物件資料と超音波画像。
璟瑶は、二つの小さな影を見つめる。
「本当に、二人かもしれないんだね」
「うん」
「今日、四人で暮らすかもしれない家を見たんだね」
「そうだね」
しばらく沈黙が続いた。
やがて璟瑶が、小さな声で言う。
「創。私、頭取を辞めた方がいいのかな」
創はすぐに答えず、続きを待った。
「四十五歳で、双子かもしれない。先生も慎重な管理が必要だって言った。海外出張も会議も、今までどおりにはできなくなるかもしれない」
璟瑶は膝の上で手を握る。
「頭取なのに十分に働けなくなるなら、辞めた方がいいのかなって」
「璟瑶」
「うん」
「俺は、辞めないでほしい」
璟瑶が顔を上げた。
「無理をしてほしいって意味じゃない。今すぐ、続けるか辞めるかの二択にしなくていいと思う」
「どういう意味?」
「会議を一件減らす。海外出張を減らす。久世さんや陳さんに任せる。水城さんに予定を調整してもらう。それは、頭取を辞めることじゃない」
創はまっすぐに璟瑶を見る。
「全部を自分でやらなきゃ頭取じゃないわけじゃない。副頭取も、専務も、取締役も、部長もいる。誰に何を任せるか決めるのも、頭取の仕事でしょう?」
「……うん」
「俺は、璟瑶が頭取だから好きになったわけじゃない。でも、頭取として働く璟瑶も好きだよ。銀行のことを真剣に考えて、人を見て判断する璟瑶を尊敬してる」
璟瑶の目に涙が浮かぶ。
「だから、怖いって気持ちだけで今すぐ辞めると決めないでほしい。先生の話を聞いて、体調を見て、銀行とも相談する。それでも無理だと分かった時に考えればいい」
「創……私、頭取を続けてもいい?」
「それは俺に許可を求めることじゃない。でも俺は、辞めないでほしい。ただし、無理をしないって約束して」
「約束する」
「水城さんが会議を減らしても?」
「少し怒る」
「駄目じゃん」
「でも、受け入れる」
「それならいい」
璟瑶は泣きながら笑った。
創はその頬へ手を添え、そっと唇を重ねる。
一度離れて、もう一度。
急がず、互いの気持ちを確かめるような口づけだった。
「璟瑶」
「何?」
「大好き」
「今それを言うの、ずるい。私、泣いてるのに」
「好きなんだから、いいでしょう」
もう一度、唇が触れる。
今度は璟瑶が創の胸元をつかみ、自分から引き寄せた。
「今度は私」
「お返し?」
「うん」
穏やかな口づけのあと、璟瑶は創の目を見つめる。
「私も大好き。それから、愛してる」
「……俺も愛してる」
「もう一回」
「愛してる」
「名前も」
「璟瑶、愛してる」
再び唇を重ねる。
それ以上は進まない。
今日は璟瑶の体調を最優先にする。
二人はその線をきちんと守った。
◇◇◇
「三件目、本命にする?」
璟瑶が創の肩へ寄りかかる。
「うん。ただし、すぐ契約はしない。確認事項を全部調べて、問題がなければ本命」
「共有名義も調べる」
「費用は璟瑶が多め。俺は無理のない範囲」
「趣味室は残す」
「うん」
「子ども部屋は二つ」
「うん」
「広いお風呂」
「それは絶対に外さないね」
「外さない」
創は笑った。
「もし買ったら、最初に何をする?」
「創と一緒にお風呂へ入る」
「即答だね」
「重慶へ行く前からの約束だから」
「長く引っ張ってるけど、覚えてるよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
今日は、ただ家を見ただけではない。
二十九畳のリビング。
二つの子ども部屋。
書斎と趣味室。
広い庭と小さなプール。
そして、二人で入れる浴室。
その一つ一つを見ながら、初めて四人で暮らす姿を具体的に想像した。
まだ双子の妊娠が、最後まで確定したわけではない。
二人の心拍も確認できていない。
未来に一人の男の子と一人の女の子になることも、二人はまだ知らない。
それでも今日、成城で一つの本命候補を見つけた。
三階建ての5LDK+S。
二十九畳のLDK、二つの子ども部屋、書斎、趣味室、庭、駐車場、小型プール、広い浴室。
創と璟瑶、そして二つの小さな命。
四人家族になるかもしれない未来を、十分に受け止められる家だった。
そして、もう一つ決まったことがある。
璟瑶は、今すぐ頭取を辞めない。
続けるか辞めるかの二択にせず、体調と医師の判断を確かめ、銀行の仲間へ仕事を任せながら続けていく。
創はそれを支える。
璟瑶も一人で背負わない。
二人はそう約束した。
次に待っているのは、再び産婦人科を訪れる日。
二つの小さな命。
それぞれの心臓が動いていると確認できるのか。
二人にとって、これまでで最も緊張する診察が近づいていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ついに新居の本命候補が見つかりました。
世田谷区成城。
5LDK+Sの三階建て。
広いLDK、二つの子ども部屋、書斎、趣味室、庭、駐車場、大きな浴室、そして小型プール。
創と璟瑶が初めて、「四人でここに暮らす未来」を具体的に想像できた家です。
第47話から続いていた、
「日本に帰ったら一緒にお風呂」
という約束も、ようやく現実味を帯びてきました。
そして夜には、璟瑶が「頭取を辞めた方がいいのかな」と初めて弱音を見せます。
創は、今すぐ辞めるか続けるかを決める必要はないと伝え、頭取として働く璟瑶も大切にしたいと支えました。
次回、第60話。
再び産婦人科へ。
今度確認するのは――二つの小さな心臓です。




