第58話「一つじゃない――小さな二つの命が、そこにいました」
第58話です。
今回は、二人にとって大きな転換点となる再診です。
高峰澪奈が超音波画面を長く確認したあと、静かに告げます。
「欧陽さん。一つではありません」
確認されたのは、二つの胎嚢。
まだごく初期ではありますが、双子妊娠の可能性が高いことが分かります。
創も璟瑶も完全に言葉を失い、
「三人じゃない。四人になるかもしれない」
と、初めて気づくことに。
そして夜。
二人は“四人家族になるかもしれない未来”を見据え、新居候補地を渋谷区、港区、世田谷区の3エリアへ絞っていきます。
日本、東京。
高峰レディースクリニック。
午後二時十二分。
宮嶋創と欧陽璟瑶は、個室待合で並んでいた。
前回の診察では、日本でも妊娠反応が陽性だった。
しかし、まだ時期が早く、超音波ではっきり確認できるものはなかった。
それから約一週間。
今日は再び、高峰澪奈の診察を受ける。
「緊張してる?」
「してる。前回よりも」
「俺も」
璟瑶は膝の上で両手を組んだ。
「もし今日も、何も見えなかったらどうしよう」
創も、すぐには答えられなかった。
「先生が前に言ってた。一回の検査だけで未来まで決めないって。今日分かっても、分からなくても、また次を確認する。それでいいと思う」
「うん。でも、すごく怖い」
個室には二人しかいない。
創はそっと手を伸ばし、璟瑶の冷たい手を握った。
「俺も怖い」
「私、四十五歳だから。本当に何が起こるか分からない。嬉しいって思うたびに、怖くなる」
「変じゃないよ。俺も嬉しいけど怖い。二十一歳で父親になるかもしれないって、まだ想像が追いついてない」
璟瑶がわずかに笑う。
「じゃあ、二人とも同じね」
「うん」
その時、扉がノックされた。
「欧陽さん、診察室へどうぞ」
二人は立ち上がり、目を合わせる。
「行こう」
「うん」
◇◇◇
「その後、体調はいかがですか」
診察室で、高峰澪奈が尋ねた。
「眠気はまだ強いです。吐き気は軽くて、食べられるものが日によって変わります」
「出血や強い腹痛は?」
「ありません。発熱もありません」
「お仕事は?」
「少し減らしています」
「前回より休めていますか」
璟瑶が一瞬、言葉に詰まる。
「秘書に休まされています」
「良い秘書さんですね」
創が思わず笑いそうになり、璟瑶に見られた。
「創」
「何も言ってない」
澪奈も柔らかく笑ったあと、表情を戻す。
「今日は超音波で、前回より見えるものが増えているか確認しましょう。ただし、何か見えたとしても、まだごく初期です。今日一回ですべてを確定させないこと。そこは前回と同じです」
「はい」
診察の準備を終え、創も許可を得てそばに立った。
モニターに白黒の画像が映る。
創には、何が映っているのかほとんど分からない。
澪奈は画面を凝視した。
角度を変え、再び確認する。
沈黙が続く。
「先生……?」
「少し待ってください。今、確認しています」
創の鼓動が速くなる。
何かがある。
けれど、それが良いことなのか悪いことなのか分からない。
一分ほどの時間が、ひどく長く感じられた。
やがて澪奈が画像を止める。
「欧陽さん。宮嶋さんも、こちらを見てください」
「はい」
澪奈はモニターの一点を指した。
「一つではありません」
「……え?」
創も璟瑶も動きを止めた。
「こちらに一つ。そして、こちらにもう一つあります」
画面には、小さな袋のようなものが二つ並んでいた。
「二つ……?」
璟瑶の声が震える。
「はい。現時点で、胎嚢と考えられるものが二つ確認できます。そのため、双胎妊娠――双子である可能性が高いです」
「双子……」
その言葉を聞いても、二人はすぐには理解できなかった。
「まだごく初期ですから、現時点では『可能性が高い』とお伝えします。これから、それぞれの発育を慎重に確認していきます」
璟瑶は画面を見つめたまま呟く。
「一人じゃなくて……二人?」
涙が一粒、頬を伝った。
創はすぐに手を握る。
「創、二人って言われた」
「うん」
「私たち、一人いるかもしれないって思ってたのに」
「うん……二人かもしれない」
創も返事をしているだけで、まだ頭が追いつかない。
一人でも、人生が大きく変わる。
それが二人、同時にやって来るかもしれない。
「先生、双子だともう確定なんですか」
「二つの胎嚢が確認できていますので、双胎妊娠の可能性は高いです。ただし、発育の初期です。次回以降もそれぞれ確認していく必要があります」
「二人とも、今は大丈夫ですか」
「現時点で確認できる範囲では、大きく気になる所見はありません。ただ、経過観察は必要です」
澪奈は璟瑶へ向き直る。
「欧陽さんは四十五歳です。さらに双胎の可能性があるため、単胎妊娠より慎重に診ていきます」
「やっぱり、リスクは高いですか」
「一般論として、年齢と双胎はどちらも注意すべき要素です。ただし、今ここで悪い未来を決めつける必要はありません。定期的に診察を受け、体調の変化を見逃さず、無理をしない。それが大切です」
「仕事も、もっと減らした方がいいですか」
「今すぐ頭取を辞めてください、という話ではありません。ただ、長時間の連続勤務、睡眠不足、過度な移動、体調悪化の無視は避けてください」
創がすぐに尋ねる。
「海外出張はどうですか」
「創、早い」
「いいえ。大事な質問です」
澪奈は続けた。
「時期、経過、行き先、移動時間を見て、その都度判断します。双胎の可能性が高い以上、以前と同じ出張ペースをそのまま続ける前提にはしない方がいいでしょう」
「分かりました」
あまりにも素直な返事に、創が璟瑶を見る。
「本当に?」
「今、そこに驚く?」
「良い変化ですね」
澪奈まで微笑む。
「みんな、私を何だと思ってるの」
「働きすぎる人」
「即答しないで」
少しだけ、診察室の緊張が和らいだ。
「今日は二つの胎嚢を確認できました。性別は、もちろんまだ分かりません」
「それはさすがに、まだですよね」
「はい」
璟瑶はモニターを見つめる。
「男の子と女の子、どちらだろう……」
「それを考えるのは、もう少し先にしましょう。今は二つ確認できたこと。そして、次回もそれぞれの経過を見ること。そこまでです」
「はい」
「次回は一週間前後を目安にしましょう。時期が来ていれば、それぞれの心拍を確認できる可能性があります」
璟瑶の表情が強張る。
「二人とも?」
「それぞれ確認します。ただ、数日の違いで見え方が変わることもあります。一度見えなかったからといって、すぐ結論を出さないでください」
「分かりました」
◇◇◇
診察後、創は一人で個室待合に戻った。
両手で顔を覆う。
「双子……」
自分の口から出た言葉なのに、現実味がない。
「二人……」
これまでは、赤ちゃんが一人いるかもしれないと思っていた。
新居の子ども部屋を二つにしたのも、将来を考えてのことだった。
だが、もし本当に双子なら――。
「三人じゃない」
その時、扉が開いて璟瑶が戻ってきた。
「創?」
「俺たち、三人じゃない」
「え?」
「本当に双子なら、俺と璟瑶と、赤ちゃんが二人」
言葉にするうちに、創の目も熱くなった。
「四人になるかもしれないんだ」
「……四人」
璟瑶は立ち止まり、両手を自分のお腹へ添えた。
「創と私と、この子たち二人。四人……」
再び涙がこぼれる。
創は立ち上がり、そっと璟瑶を抱きしめた。
「まだ全部、確定したわけじゃない」
「うん」
「でも、可能性は高い」
「二人いるかもしれないんだね」
「うん」
璟瑶は創の胸元で、小さく息を震わせる。
「怖い。一人でも怖かったのに、二人だと思うと、もっと怖い」
「俺も怖い」
「でも、嬉しい」
「俺も。すごく嬉しい」
二人はしばらく、そのまま寄り添っていた。
◇◇◇
午後四時十八分。
クリニックを出ると、二人は人目を意識して少し距離を取った。
それでも歩幅は自然とそろっていた。
「両親には、いつ話す?」
璟瑶が尋ねる。
「次に心拍を確認できてからでもいいと思う」
「うん。今、お母さんに言ったら絶対泣く」
「美智子さんは泣きそう。崇岳さんは固まりそう」
「創のお父さんは?」
「しばらく黙る。母さんは大声を出す」
「四人とも反応が違いそうね」
二人は小さく笑った。
今日はまだ伝えない。
まずは二人自身が、双子かもしれないという事実を受け止める時間が必要だった。
◇◇◇
午後七時十二分。
創の自宅。
テーブルの上には、今日受け取った超音波画像が置かれている。
創には何度見ても、二つの小さな影の違いがよく分からない。
それでも澪奈は、確かに言った。
『一つではありません』
「本当に二つなんだね」
璟瑶が画像を見つめる。
「うん」
「新居の条件、変わるね」
「かなり変わる。子ども部屋を二つにしておいたの、偶然だけど正解だった」
「5LDKより6LDK寄りだね」
「趣味部屋、削ろうか」
創が呟くと、璟瑶は即座に否定した。
「駄目」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある。双子かもしれないから、自分の趣味部屋をなくそうと思ったでしょう」
「少しだけ」
「昨日言ったばかりでしょう。子どもが二人かもしれないからって、創が自分のものを全部削る必要はない」
「覚えてる」
「なら、6LDKか5LDK+S。最初から広めの家を探しましょう」
「うん」
二人はタブレットを開き、新居の候補地について話し始めた。
「本店に近すぎる場所は避けたい。でも通勤に無理のない範囲がいい」
「候補は?」
璟瑶が三つ挙げる。
「一つ目は、渋谷区の松濤や神山町」
「高い」
「第一声がそれ?」
「有名な高級住宅地だから」
「でも静かで、防犯やプライバシーを重視した戸建てを探しやすい。大手町からも少し離れる」
「候補にはなると思う」
「二つ目は、元麻布、南麻布、白金台」
「さらに高そう」
「金額ばかり気にしないの」
「気になるよ。俺、二十一歳だから」
「知ってる。ただ、低層住宅地もあるし、大手町へ通いやすい。近すぎる場所を避ければ候補になる」
「三つ目は世田谷区?」
「そう。深沢や成城」
「そこが一番、家族で暮らす家って感じがする」
「私もそう思う。庭や駐車場、防音室まで求めるなら、広めの敷地を探しやすい」
「ただ、大手町から少し遠くなる」
「でも、近すぎず、無理なく通える距離を望んでいるでしょう?」
「確かに」
創はノートに書き出した。
『渋谷区――松濤・神山町』
『港区――元麻布・南麻布・白金台』
『世田谷区――深沢・成城』
「この三つを中心に探そうか」
「うん。三階か四階建ての一軒家。6LDK前後。子ども部屋二室、二人の書斎、趣味室、広い浴室、ホームエレベーター、駐車場、庭。それから高い防犯性」
「かなり具体的になったね」
「次は実際に見に行きましょう」
不動産会社にも、二人の関係を詳しく話す必要はない。
普通の購入希望者として相談し、個人情報とプライバシーを守ってもらう。
共有名義や出資比率については、契約前に専門家へ確認する。
ここでも、銀行や頭取の権限は利用しない。
創はもう一度、超音波画像へ目を向けた。
「今日の朝までは、三人で暮らす家を探してるつもりだった」
「うん」
「今は、四人で暮らす家を探してる」
璟瑶の目が潤む。
「本当に四人になれるかな」
「分からない。先生が言ってたように、一つずつ確認するしかない」
「うん。でも、なれたらいいね」
「なりたい。四人で、この家に住みたい」
「まだ家は決まってないけどね」
「そうだった」
璟瑶は泣きながら笑い、その手を創の手に重ねた。
二人はまだ知らない。
二つの小さな命が、どんな子どもになるのか。
性別さえ、今は医師にも分からない。
それでも少し先の未来には、一人の男の子と一人の女の子として生まれてくる可能性が待っている。
今日、二人が知ったこと。
璟瑶の中にあるかもしれない命は、一つではなかった。
小さな命が二つ、確かに見えた。
『三人になるかもしれない』
その言葉は、今日から変わる。
『四人になるかもしれない』
創は二十一歳で、二人の子どもの父親になるかもしれない。
璟瑶は四十五歳で、二人の子どもの母親になるかもしれない。
喜びも不安も、単純に二倍とは言えない。
必要な慎重さは、これまで以上に増えていく。
それでも二人は、焦らず一つずつ確かめていく。
そして新居探しも今日から、本当の意味で始まった。
創と璟瑶。
そして、二つの小さな命。
いつか四人の家族で暮らすための家を探す日々が、ここから動き始める。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ついに二つの胎嚢が確認されました。
まだ双子妊娠がすべて確定した段階ではなく、今後も慎重な経過観察が必要です。
それでも、
「一人じゃなくて……二人?」
という璟瑶の言葉と、
「三人じゃない。四人になるかもしれないんだ」
という創の言葉で、二人の未来は大きく変わり始めました。
そして夜には、新居候補地も具体化。
渋谷区の松濤・神山町。
港区の元麻布・南麻布・白金台。
世田谷区の深沢・成城。
大手町本店から少し離れながらも、無理なく通勤できる場所を中心に、三〜四階建ての広い一軒家を探していくことになります。
次回、第59話。
今度は実際に物件を見ながら、二人は“二人で暮らす家”ではなく、“四人で暮らすかもしれない家”を選び始めます。




