第55話「頭取が少し変わった日――そして創には、恋人がいます」
第55話です。
休暇を終え、璟瑶が青嶺中央銀行の頭取業務へ復帰します。
副頭取や重役たちから体調を心配されながらも、重役会議ではいつもの冷静な判断を見せ、さらに中国の大手企業から持ち込まれた大型融資案件にも中国語で直接対応。
ただし、以前とは少し違います。
水城が会議を一件減らし、
「秘書判断です」
と強引に休ませると、璟瑶も最後にはそれを受け入れました。
一方、社員食堂では。
創、黒瀬、琴葉の三人が昼食を取る中、ついに恋愛の話へ。
「……いるよ」
創が初めて明かしたのは、恋人がいるという事実だけ。
その相手が誰なのか。
黒瀬と琴葉は、まだ何も知りません。
日本・東京。
青嶺中央銀行本店。
午前七時二十八分。
四十二階、頭取室。
欧陽璟瑶・四十五歳は、久しぶりに自分の執務机へ座った。
上海、深圳への中国出張。
その後の重慶帰省。
帰国後の休養と、高峰レディースクリニックでの再検査。
妊娠反応は再び陽性だったが、まだごく初期。
医師・高峰澪奈の言葉が、今も胸に残っている。
『一回の検査で、未来まで決めようとしないことです』
璟瑶は今日の予定表へ目を落とした。
重役会議。
中国企業との融資協議。
海外部門。
地域銀行連携。
事業承継。
デジタル戦略。
「……一つ減ってない?」
「減らしました」
第二秘書・水城絢乃が即答する。
「誰の許可で?」
「私の秘書判断です」
第一秘書・劉川景仁が横を向き、笑いをこらえていた。
「劉川さん、何か面白い?」
「水城さんが強くなったと思いまして」
「私、頭取なんだけど」
「存じています」
「なら予定を戻して」
「戻しません」
「……」
璟瑶が完全に止まる。
「体調はもう大丈夫です」
「昨日、昼寝を何時間されましたか?」
「……二時間」
「一昨日は?」
「二時間以上」
「重慶でも?」
「寝てた」
「では、まだ通常の状態ではありません」
「秘書は昼寝の時間まで管理するの?」
「今回だけです」
劉川も水城に賛同する。
「中国出張の日程をかなり詰めました。一日で全てを元に戻す必要はありません」
「劉川さんまで……」
「頭取を休ませる人が必要です」
水城がまっすぐ答える。
「中国で学びました」
「誰から?」
「秘密です」
もちろん、宮嶋創の名前は出さない。
水城は銀行内で唯一、二人が恋人同士だと知っている。
ただし、妊娠の可能性までは知らない。
璟瑶は小さく息を吐いた。
「分かりました。でも減らすのは一件だけ」
「体調次第です」
「本当に強くなったわね」
◇◇◇
午前八時三十分。
四十階、重役会議室。
今日は頭取席に璟瑶が座っている。
「おはようございます」
『おはようございます』
副頭取の久世宗一郎が、最初に尋ねた。
「頭取、体調は大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「本当に?」
御子柴泰成専務も確認する。
「本当です」
「中国出張五日間のあと、そのまま重慶でしたからね。もう少し休んでも、誰も文句は言いませんよ」
「昨日一日、休みました」
「一日だけでしょう?」
久世は璟瑶の顔を見つめる。
「今日は少し顔色が白く見えます」
「皆さん、今日は私の健康診断ですか?」
会議室に小さな笑いが起きた。
「それだけ心配されているということです」
璟瑶の表情が少し柔らかくなる。
「ありがとうございます。ただ、緊急性はありません。通常業務へ戻ります」
水城は静かに視線を下げた。
実際には予定を一件減らしている。
そして璟瑶も、それを受け入れた。
以前の彼女なら、すぐに元へ戻していただろう。
「では、中国出張の事後報告から始めます」
国際部門担当の陳高明が説明する。
「上海、深圳の全案件は予定どおり終了しました。現地法人から、確認事項が三件あります」
「一件ずつお願いします」
「一件目は、深圳の製造企業から、サプライチェーン金融の既存枠を見直したいとの希望です。円換算で約三百八十億円です」
「青嶺単独ですか?」
「現地銀行二行との協調です。また、地域銀行のお客さまが一社関係しています」
「なら、青嶺主導を前提にしないでください。地域銀行がお客さまとの関係を維持し、青嶺が海外機能を補完する形で再整理を」
「承知しました」
「二件目は、中国大手の華瑞国際産業集団から、人民元八十億元の新規融資相談です」
会議室の空気がわずかに変わる。
「資金使途は?」
「半導体関連、物流、新エネルギーの三事業です。設備投資と運転資金が混在しています」
「分けましょう。買収資金が含まれるなら、それも別です。使途が曖昧なまま、先に融資額を決めないでください」
「承知しました」
水城が次の予定を伝える。
「十時から、華瑞国際産業集団の王志成CFOとのオンライン協議です」
「分かりました。陳さんも同席してください」
「承知しました」
続いて、東央精密製作所の設備投資案件が報告された。
「法人営業第一部で比較検討を継続中です。若手の宮嶋君も、昨日から通常業務へ復帰しています」
「そうですか」
璟瑶の表情は変わらない。
それ以上、創について触れもしなかった。
久世が言う。
「若手が中国出張の経験を国内案件へ生かせるなら、良いことです」
「ただし、出張へ行ったという事実だけで評価を上げないでください。実務の結果を見て判断してください」
「当然です」
水城は隣で、その徹底した距離を見ていた。
◇◇◇
会議開始から一時間を過ぎた頃。
璟瑶は二、三秒だけ目を閉じた。
「頭取。五分休憩を入れましょう」
久世がすぐに言う。
「まだ一時間です」
「一時間だからです」
「私も賛成です」
水城に続き、劉川も頷く。
以前なら、璟瑶は「必要ありません」と押し通しただろう。
しかし今は、自分一人だけの身体ではないかもしれない。
「……分かりました」
「素直ですね」
「失礼ね」
「中国で何かありましたか?」
御子柴の問いに、璟瑶は平静に答える。
「何もありません」
水城だけは黙っている。
中国で大きな出来事があったことは知っている。
ただ、その全てまでは知らなかった。
◇◇◇
午前十時二分。
四十二階、国際会議室。
大型モニターに、華瑞国際産業集団の中国本社が映る。
先方はCFOの王志成・五十四歳、財務副総裁の李佳寧・四十六歳、資金部長の趙文杰・四十二歳。
日本側は璟瑶、陳、相馬、水城らが出席した。
接続が始まる。
(欧阳行长,好久不见。)
「欧陽頭取、お久しぶりです」
(王总,好久不见。)
「王総経理、お久しぶりです」
王志成が璟瑶の体調を気遣う。
(听说您刚从深圳回日本。身体还好吗?)
「深圳から日本へ戻られたばかりだと伺いました。お身体はいかがですか」
(谢谢关心。我很好。我们直接谈融资吧。)
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。融資のお話に入りましょう」
陳が横目で璟瑶を見る。
中国企業側にまで心配されている。
しかし仕事への切り替えは完璧だった。
(我们希望贵行考虑八十亿元人民币的授信额度。)
「貴行に人民元八十億元の与信枠をご検討いただきたいと考えています」
(请分别说明资金用途。设备投资、营运资金和并购资金不能混在一起。)
「資金使途を分けて説明してください。設備投資、運転資金、買収資金を一つに混ぜることはできません」
李佳寧が内訳を説明する。
(其中四十亿元用于新能源设备,二十五亿元是营运资金,剩余十五亿元用于收购一家物流企业。)
「四十億元が新エネルギー設備、二十五億元が運転資金、残り十五億元が物流会社の買収資金です」
(收购物流公司的十五亿元,我们不会与普通营运资金按相同方式审查。)
「物流会社買収の十五億元は、通常の運転資金と同じ方法では審査しません」
(可以。我们可以分别提交资料。)
「承知しました。資料は分けて提出できます」
(另外,八十亿元不是我们今天承诺的额度。我们需要确认现金流、担保结构、现有债务、项目收益性以及其他银行的条件。)
「また、八十億元は本日当行が約束する与信枠ではありません。キャッシュフロー、担保構成、既存債務、事業収益性、他行条件を確認する必要があります」
趙文杰が答える。
(如果需要追加资料,我们今天可以准备清单。)
「追加資料が必要であれば、本日中に一覧を準備できます」
(请在今天之内发给陈先生。青嶺不会因为项目规模大就省略确认程序。)
「本日中に陳へ送ってください。青嶺は案件規模が大きいからといって、確認手続きを省略することはありません」
王志成が笑った。
(这正是我们愿意与青嶺合作的原因。)
「それこそが、私たちが青嶺と取引したい理由です」
(谢谢。不过,严格并不代表拒绝合作。)
「ありがとうございます。ただし、厳格であることは、取引を拒むこととは違います」
(我们明白。)
「承知しています」
約四十五分で協議は終了した。
「頭取、中国語で交渉へ入った瞬間、完全に別人ですね」
相馬が感心する。
「いつもでしょう」
「今日は特に厳しかったです」
「八十億元です。簡単に『いいですね』とは言えません」
「資金使途を三分割していただけて助かりました」
陳が頭を下げる。
「最初から混ぜた状態で受けないでください」
「はい」
水城が時計を見る。
「次まで三十分あります。十五分は休んでください」
「資料を見ます」
「休んでください」
「水城さん、今日厳しくない?」
「秘書判断です」
「またそれ?」
「はい」
◇◇◇
正午。
二十一階、社員食堂。
創、黒瀬、琴葉の三人は、券売機の前で合流した。
「宮嶋。誰が一番高いものを食べるか勝負しよう」
「何の意味があるの?」
「琴葉も参加する?」
「しない」
黒瀬は生姜焼き定食の大盛り。
琴葉は焼き魚定食。
創は醤油ラーメンに小ライスとひじきの小鉢を選んだ。
「ラーメンに白飯?」
「小だから」
「炭水化物に炭水化物じゃん」
「黒瀬はご飯を大盛りにしてるでしょう」
「午後も頭を使うから」
「生姜焼きは糖分なの?」
「細かい」
三人は窓側の席へ座った。
最初は仕事の話だった。
「城北フーズの追加資料が来た。原材料の仕入れが前倒しになっていて、運転資金をもう一度見直してる」
黒瀬が話す。
「私は午後、改訂した資産運用FAQについて、店舗向け説明会がある」
「俺は東央精密の追加整理と、昨日入った新規案件」
「完全に通常業務へ戻ったね」
「出張は終わったから」
やがて黒瀬が、創のラーメンを見ながら尋ねた。
「宮嶋、最近夕飯はちゃんと食べてる?」
「食べてる」
「自炊?」
「する時もある」
「誰かが作ってくれることも?」
「……」
創の箸が止まる。
琴葉は見逃さなかった。
「今、止まった」
「止まってない」
「止まったよ」
「黒瀬、どうして急に恋愛みたいな質問をするの?」
「昨日、宮嶋が重慶に知り合いがいるって言ってただろ」
琴葉が創を見つめる。
「もしかして、恋人?」
「……」
創は完全に止まった。
これまで、恋人がいることさえ言わなかった。
けれど黒瀬と琴葉は、信頼できる同期だ。
相手については絶対に話せない。
それでも、恋人の存在だけなら。
「……いるよ」
「え?」
「恋人、いる」
黒瀬も琴葉も動きを止めた。
「宮嶋に?」
「俺に」
「本当に?」
「何でそんなに失礼なの?」
「いつから?」
「前の銀行にいた頃から」
「青嶺へ入る前から!?」
「声が大きい」
「ごめん。でも、どうして今まで一度も言わなかったんだよ」
「言う必要がなかったから」
「同期だぞ?」
「同期へ恋人の全情報を報告する義務はないでしょう」
「それはないけど!」
琴葉が質問を重ねる。
「何歳?」
「言わない」
「住んでいる場所は?」
「言わない」
「仕事は?」
「言わない」
「日本人?」
「言わない」
「写真は?」
「見せない」
「何なら言えるんだよ!」
「恋人がいることだけ」
創は真剣な顔で二人を見る。
「事情があるから、そこは勘弁して」
黒瀬の表情も変わった。
「事情があるなら、無理には聞かない」
「私も」
琴葉も頷く。
「でも、一つだけ聞いていい?」
「何?」
「幸せ?」
「……」
昨日の病院。
震えていた璟瑶の手。
両親への報告。
二人で探し始めた新居。
その全てを思い出す。
「幸せだよ」
琴葉が柔らかく笑った。
「それならいい」
「でも、宮嶋に恋人がいたのか……」
「黒瀬、まだ引っ張るの?」
「衝撃が大きい」
「俺を何だと思ってたの?」
「仕事しかしない二十一歳の銀行員」
「ひどい」
「でも、少し分かる」
「琴葉まで!」
三人は声を抑えて笑った。
創は少しだけ胸が軽くなった。
銀行内で、水城以外の人へ初めて伝えた。
『宮嶋創には、前職時代から付き合っている恋人がいる』
黒瀬と琴葉が知ったのは、それだけだった。
◇◇◇
午後一時。
頭取室。
「頭取、今日は何を召し上がれそうですか?」
「梅のおにぎりと卵焼き」
「承知しました」
劉川が少し驚く。
「いつもは、もう少ししっかり召し上がりますよね」
「中国で食べすぎただけです」
水城は何も言わない。
理由は知らないが、体調が通常ではないことは理解している。
「十四時の地域銀行連携会議は、久世副頭取による一次整理へ変更しました」
「やっぱり戻して」
「戻しません」
「秘書判断?」
「はい」
「第一秘書と第二秘書、両方とも私の敵なの?」
「味方です」
劉川が答える。
「味方だから、予定を減らします」
水城も続けた。
以前なら、璟瑶は押し切っていただろう。
しかし今日は違う。
「……分かりました」
水城が一瞬驚く。
「ありがとうございます」
「中国から帰って、少し変わりましたね」
劉川が言う。
「休むことを受け入れるようになりました」
璟瑶は、ほんの一瞬だけ自分のお腹へ視線を落とした。
「少し、考え方が変わっただけです」
水城は、その小さな動きには気づかなかった。
◇◇◇
午後五時四十五分。
法人営業第一部。
「宮嶋、東央精密の追加確認項目は?」
「修繕費を過去三年分、設備別に分ける必要があります。また、新設備導入時の教育期間と、生産停止がどの程度必要になるかも確認します」
「いい。明日、東条社長との面談日程を調整する」
「分かりました」
「中国帰りの疲れは?」
「問題ありません」
「なら明日からも通常どおりで」
「はい」
創はPCを閉じた。
今日、黒瀬と琴葉へ大きなことを一つ伝えた。
恋人がいる。
ただし、その恋人が今も同じ本店の四十二階にいることは言っていない。
青嶺中央銀行頭取、欧陽璟瑶。
もちろん、その名前も伝えていない。
◇◇◇
午後六時二十分。
頭取室。
「本日はこれで終了です」
「早くない?」
「通常より四十分早いです。一件減らしましたので」
「明日は戻して」
「体調次第です」
璟瑶は諦めたように笑った。
「分かった」
「本当にお疲れさまでした」
「ありがとう。また明日お願いします」
銀行の中では、頭取・欧陽璟瑶。
仕事が終われば、創の恋人。
そして今は、まだ見えない命を宿している可能性が非常に高い、一人の女性。
その三つの顔を抱えながら、璟瑶は頭取室を出た。
◇◇◇
午後七時十二分。
創のマンション。
「ただいま」
「おかえり」
璟瑶は今日も合鍵で先に入っていた。
ただし、ソファで寝てはいない。
テーブルの前に座り、創を待っていた。
「頭取復帰、どうだった?」
「中国企業との融資協議もあって忙しかった。でも水城さんが会議を一件減らした」
「えらい」
「水城さんが?」
「それを受け入れた璟瑶が」
「前なら戻していたと言いたいの?」
「うん」
「戻してって言った」
「言ったの?」
「でも水城さんに止められた」
「さすが」
「創は水城さんの味方?」
「璟瑶の身体を守るなら味方」
「もう……」
璟瑶は苦笑する。
「創は今日、何かあった?」
「黒瀬と琴葉に言った」
「何を?」
「恋人がいるって」
「……え?」
璟瑶が完全に止まった。
「存在だけ。名前も年齢も仕事も言ってない」
「頭取だということは?」
「絶対に言ってない」
「中国人だということは?」
「言ってない」
「妊娠の可能性は?」
「言うわけないでしょう」
璟瑶は胸を押さえた。
「びっくりした……どうして急に?」
「恋人がいるのか聞かれたから。存在まで否定し続ける必要はないと思って」
「前職時代から付き合っていることも?」
「それは言った。でも、それだけでは特定できないと思う」
璟瑶は少し考え、頷いた。
「黒瀬さんと琴葉さんを信用している?」
「してる」
「ならいい」
「少し嬉しい?」
「うん。創が誰かに『恋人がいる』って言ってくれたから」
「でも、相手が璟瑶だとは言えない」
「いつか言える日が来る」
「本当に?」
「多分。でも今ではない」
創は少し笑う。
「黒瀬に、恋人は何歳か聞かれた」
「答えた?」
「言わないって」
「もし四十五歳って答えたら?」
「黒瀬はラーメンを吹く」
「琴葉さんは?」
「静かに止まって、そのあと質問を十個くらいする」
「頭取だと言ったら?」
「二人とも社員食堂から消える」
「どうして?」
「気絶するから」
璟瑶は声を上げて笑った。
◇◇◇
「創。今日、久しぶりに普通に仕事をした」
「うん」
「でも、前とは少し違った」
「何が?」
「休憩を入れて、会議を一件減らした。前なら無理をしていたかもしれない」
「今は?」
璟瑶は、自分のお腹へそっと手を触れる。
「一人だけの身体じゃないかもしれないから」
「うん」
「まだ全て確認できたわけではない。でも、本当にこの中にいるなら、私が無理をして何かあった時、きっと後悔する」
「だから、少し変わろうと思った?」
「うん。必要なのかなって」
「それでいいと思う。今すぐ頭取を辞めるとか、そこまで考える必要はない。でも、会議を一件減らすくらいは受け入れていい」
「創、水城さんみたい」
「褒め言葉?」
「多分」
二人は笑った。
その夜、二人は新居の候補を少しだけ見始めた。
一軒家。
5LDK。
駅から徒歩十二分。
青嶺中央銀行本店まで電車で三十二分。
別の候補は4SLDK。
広めの浴室と庭があり、防犯設備も整っている。
「創、これ、お風呂が広い」
「またそこ?」
「重要だから」
「子ども部屋が一つなら、5LDKで十分だね」
「うん」
まだ二人は知らない。
子ども部屋が一つでは足りなくなる可能性を。
璟瑶のお腹の中では、一つではなく、二つの小さな命が育ち始めている。
将来、男の子と女の子になる命。
まだ超音波検査でも確認されていない、小さな双子。
そして今日、創は黒瀬と琴葉へ初めて告げた。
『恋人がいる』
だが、その恋人が同じ銀行の最上階に座る頭取だとは、二人とも知らない。
一方の璟瑶も、今日少しだけ変わった。
休むことを受け入れた。
自分の身体だけでなく、まだ姿の見えない命の可能性を考え、働き方をほんの少し変えた。
それは、頭取としてではない。
母親になるかもしれない一人の女性、欧陽璟瑶の最初の変化だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、頭取へ戻った璟瑶と、同期へほんの少しだけ秘密を明かした創のお話でした。
中国企業との大型融資案件では、頭取として一切妥協せず、資金使途や審査条件を厳しく確認する璟瑶。
その一方で、水城に予定を減らされても最後には受け入れるなど、少しずつ「休むこと」も覚え始めています。
そして創は、黒瀬と琴葉へ初めて、
「恋人はいる」
と告白しました。
前職時代から付き合っていることまでは伝えましたが、相手の名前も年齢も職業も秘密。
もちろん――。
その恋人が青嶺中央銀行頭取・欧陽璟瑶であることも。
妊娠の可能性があることも。
まだ誰にも話しません。
次回、第56話。
銀行員として仕事に向き合う創。
そして仕事の外では、二人で暮らす新しい家探しが、さらに具体的に動き始めます。




