第40話「二つの銀行が、俺を銀行員にしてくれた――城東支店派遣を終えて」
第40話です。
五営業日にわたる東都共栄銀行・城東支店への派遣も、ついに最終日。
創は成果報告の場で、東都共栄銀行、青嶺中央銀行、そして瑞央銀行――それぞれから何を学んだのかを自分の言葉で語ります。
「どれか一つだけが正解ではありません」
昔の職場を否定することなく、今の所属である青嶺中央銀行へ戻る創。
三谷や松岡たちとの別れを経て、城東支店派遣編はいよいよ完結です。
そしてその夜。
地下五階で璟瑶から告げられる、思いがけない一言。
「創。今度……私と中国へ来ない?」
次の舞台は、中国・重慶です。
第40話「行ってきます――二度目の別れと、重慶への約束」
金曜日。
午前七時五十二分。
東都共栄銀行・城東支店。
五営業日の派遣、その最終日。
職員用入口の前で、宮嶋創・二十一歳は深く息を吸った。
月曜日。
ここへ来た時、懐かしさから思わず「帰ってきた」と感じた。
しかし今は、それが違うとはっきり分かる。
「青嶺中央銀行から派遣中の宮嶋創です」
派遣者証を認証し、最後の一歩を踏み入れる。
「おはようございます」
「おはよう、宮嶋」
融資営業課長の倉持俊介が声をかけた。
「今日で最後だな。早かったか?」
「かなり。でも、濃い五日間でした」
「それならよかった」
創は派遣者専用端末を起動した。
午前は成果報告書の整理。
午後は最終報告と、端末、ID、入館証の返却。
それを終えれば、青嶺中央銀行へ戻る。
「宮嶋先輩」
松岡海斗が、いつもより早く出勤してきた。
「本当に今日で終わりなんですよね」
「そう」
「延長は?」
「ない」
「一週間」
「ない」
「一か月」
「ない」
「異動」
「もっとない」
松岡は露骨に肩を落とした。
「せっかく、また一緒に仕事できたのに。五日間は短いです」
創は少し笑った。
「でも、五日間だったからよかったんだと思う」
「どうしてですか?」
「俺は、ここへ戻るために来たんじゃない。学ぶために来た」
「……」
「だから、終わったらちゃんと帰る」
「青嶺中央銀行へ?」
「うん」
松岡は寂しそうにしながらも頷いた。
「分かりました。じゃあ今日は、最後まで先輩に見られても恥ずかしくない仕事をします」
「俺じゃなくて、お客さんに見られても恥ずかしくない仕事をして」
「……はい」
創は得意そうに笑う。
「今の、ちょっと先輩らしかった?」
「自分で言ったら台無しです」
「お前!」
「朝からうるさいぞ」
三谷雅臣が現れた。
「最終日だからこそ気を抜くな」
「昨日、コンプライアンス担当にも言われました」
「なら二回目だ。昔話、送別、親しい相手。最後は、そういう場面で線が緩む」
「分かっています。昨日以上に気をつけます」
「ならいい」
◇◇◇
午前八時四十分。
朝礼。
神崎隆之支店長が全行員へ告げる。
「本日は、青嶺中央銀行との若手相互派遣の最終日となる。宮嶋さんには、最後まで情報管理、顧客対応、派遣目的を意識してほしい」
「承知しました」
「受入側も、元行員だからという甘えを持たないこと。以上」
午前九時。
創は五日間の記録を整理し、報告書を作り始めた。
『東都共栄銀行・城東支店における法人営業実務』
『中小企業金融における現場判断』
『顧客支援手法』
『若手行員育成』
『前職派遣特有の情報管理』
『青嶺中央銀行へ持ち帰るべき学び』
持ち帰るのは、顧客情報でも内部資料でもない。
考え方。
視点。
仕事への姿勢。
創は、前日の経験を文章にする。
『前職であるため現場理解は早い一方、過去に職務上知った情報と、派遣中に得た情報を明確に区分する必要がある』
『過去情報を現在の判断材料として自発的に提供しない』
『旧知の相手であっても、現所属行の内部情報を提供しない』
『親密さは守秘義務を弱める理由ではなく、より慎重になる理由である』
「宮嶋」
「はい」
「報告書、見せろ」
「まだ途中です」
「途中だから見るんだ」
三谷は画面を読み、一文を指した。
『東都共栄銀行の法人営業は、顧客との距離が近い』
「何との比較だ?」
「……無意識に青嶺と比べていました」
「比較は便利だ。だが、雑に使えば片方を必要以上によく見せる」
青嶺は大きいから優れている。
東都共栄は顧客と近いから温かい。
そんなに単純ではない。
「『城東支店では、店舗単位で顧客との継続接点を持ちやすい』と事実で書きます」
「そうしろ。分かっているなら、文章でも気をつけろ」
「ありがとうございます」
◇◇◇
午前十時十五分。
窓口が落ち着いた頃、佐伯美咲たちが創へ声をかけた。
「宮嶋君、今日で最後なんだね」
「五日間ですから」
「最初は青嶺の行員証を付けて立ってるの、すごく違和感があった」
小野寺奈緒が言う。
「今は少し慣れたけど、明日いなかったら、また違和感ありそう」
「何なんですか、それ」
窓口主任の柴崎玲奈が尋ねる。
「松岡君、ちゃんと見た?」
「見ました」
「どうだった?」
創は、瀬川悠斗へ仕事を教えている松岡を見た。
「ちゃんと先輩になってました」
「でしょう?」
河合美穂たちも笑う。
「宮嶋さんが辞めた直後は大変そうでしたけど、かなり頑張ったんですよ」
「今では後輩が一番質問しやすい相手かもしれません」
「松岡が?」
「はい」
創は少し嬉しくなる。
「宮嶋君も、青嶺で頑張ってる?」
「頑張ってます。まだまだですけど」
佐伯は創の顔を見つめた。
「でも、前よりいい顔をしてる」
「三谷さんにも似たことを言われました」
「なら本当ね」
「……ありがとうございます」
◇◇◇
午前十一時三十分。
三谷が尋ねた。
「この五日間で見つけた、東都共栄銀行の悪いところを言ってみろ」
「いきなりですね」
「言えないか?」
「言えます」
創は少し考える。
「昔からのやり方を知る人同士で、口頭補完しやすいところです」
「あの件。
あの会社。
前と同じ。
それだけで話が通じてしまう。
「新人や外から来た人には分かりません。俺も昔ここにいたから理解できてしまった。それが逆に危険だと思いました」
「他には?」
「顧客との距離が近い分、情報や関係が担当者個人へ寄りやすい。異動や退職の際、引継ぎの質に差が出ます」
「青嶺ならどうだ?」
「青嶺にも別の弱点があります」
大きな組織。
多くの専門部署。
細かな分業。
「専門部署があるため、自分が深く理解していなくても仕事が流れる場合があります。分業が便利すぎるんです」
「どちらがいい?」
「どちらにも強みと弱みがあります」
「逃げたか?」
「違います。だからこそ、今回比べに来てよかったと思っています」
三谷は頷いた。
「午後の報告でも、そう話せ」
「はい」
◇◇◇
午後零時十五分。
最後の昼食は、支店内で取った。
神崎、牧野、倉持、岸本、三谷、松岡。
佐伯、小野寺、高瀬、柴崎、河合、田所、橋本。
そして創。
「花乃家へ行かなくていいのか?」
牧野に聞かれ、創は首を振った。
「火曜日に行きました。女将さんに完全に捕まりました」
岸本が笑う。
「創ちゃん?」
「その呼び方はやめてください!」
松岡が続ける。
「財布を忘れた事件も聞きました」
「何でお前まで知ってるんだ!」
「有名だからな」
三谷が平然と言う。
「有名じゃありません!」
勤務中の短い昼休み。
送別会ではない。
いつもと変わらない普通の昼食だった。
だからこそ、創には嬉しかった。
◇◇◇
午後一時。
大会議室。
最終成果報告。
城東支店側から、神崎、牧野、倉持、岸本、三谷、松岡。
本店コンプライアンス統括部の久我山由梨。
オンラインでは、青嶺中央銀行の瀬戸口陽介と水原香澄が参加していた。
「それでは宮嶋さん。五営業日の成果報告をお願いします」
「承知しました」
創は立ち上がり、最初に自分の現在地を名乗った。
「青嶺中央銀行の宮嶋創です」
今回学んだのは、法人営業、中小企業金融、営業店運営、若手育成、情報管理。
「城東支店では、担当者と顧客との継続的な接点が多く、数字だけでは把握できない経営者、従業員、現場、地域の変化を日常から捉えていました」
その一方で。
「慣れている者同士だからこそ、口頭で情報を補完しすぎることがあります。また、担当者個人へ情報や関係が集まりやすく、引継ぎや共有のリスクも感じました」
青嶺中央銀行は、大きな組織と専門部署、分業体制を強みとする。
「しかし、専門部署があることで、自分が深く理解していなくても業務が進んでしまう危険があります」
瑞央銀行では、設備投資が融資だけではなく、雇用、採用、技能承継、地域の取引先へつながることを学んだ。
「俺は十八歳で東都共栄銀行へ入り、城東支店で電話、伝票、振込、顧客対応、法人営業、そして確認の大切さを教わりました」
創は三谷を見る。
「東都共栄銀行で、銀行員の基本を教わりました」
そして青嶺中央銀行へ転職した。
大企業と中小企業。
国際金融。
地域銀行連携。
リスク管理。
専門部署との連携。
「青嶺中央銀行では、さらに広い金融を学んでいます。瑞央銀行では、金融だけでなく地域を見ることを教わりました」
創は会議室全体を見る。
「今回、最も強く感じたのは、どれか一つだけが正解ではないということです」
東都共栄銀行だけが正解ではない。
青嶺中央銀行だけでもない。
瑞央銀行だけでもない。
「銀行の規模、地域、顧客、役割はそれぞれ違います。大切なのは、自分がいる銀行のやり方だけを正しいと思い込まないことです」
外から学ぶ。
しかし、情報は混ぜない。
「持ち帰るのは顧客情報ではなく、考え方、視点、仕事の姿勢です」
さらに、前職派遣特有の情報管理へ触れる。
「昔の顧客、元上司、元同僚、元後輩。知っている相手だからこそ話せてしまいます」
しかし。
「知っていることと、話していいことは同じではありません」
東都共栄銀行在籍時に知った情報は、今の自分が自由に使えるものではない。
青嶺中央銀行で知った情報も、昔の仲間へ話すことはできない。
「元勤務店への派遣だったからこそ、その当たり前を強く実感しました」
そして最後。
「俺は東都共栄銀行を辞め、今は青嶺中央銀行の行員です」
それでも、東都共栄銀行で働いた約四年間が消えたわけではない。
教わったこと。
失敗したこと。
叱られたこと。
後輩へ残したもの。
全て、今の創の中にある。
「東都共栄銀行と青嶺中央銀行。二つの銀行が、俺を銀行員にしてくれました」
そして瑞央銀行が、見る世界を広げてくれた。
創は深く頭を下げる。
「五日間、本当にありがとうございました」
短い静寂の後。
神崎が拍手し、全員が続いた。
オンラインの瀬戸口が言う。
「いい報告でした。特に『持ち帰るのは情報ではなく、考え方と視点』という点は、この制度の目的そのものです」
「ありがとうございます」
久我山も報告する。
「コンプライアンス面で大きな問題は確認されませんでした。前職派遣で起こり得るリスクを実例として整理できたことは、制度側にも有益です」
そして神崎が、創へ向き直る。
「宮嶋」
「はい」
宮嶋さんではなく、かつての呼び方だった。
「お前がここを辞める時、正直、惜しいと思った。まだ若く、あと数年ここで育ててもよかったとも考えた」
「……」
「だが、青嶺中央銀行の行員証を付けて五日間働く姿を見て、転職が間違いだったとは思わない」
「ありがとうございます」
「ただし、東都共栄銀行を思い出にするだけにもするな。ここで学んだことを今の仕事へ生かせ」
「はい」
「青嶺で学んだことも、いつか金融業界へ返せ」
神崎は静かに言った。
「それが銀行員だ」
「……はい」
◇◇◇
午後二時四十五分。
最終報告後、派遣終了手続きが始まった。
端末内の保存情報。
不要ファイル。
顧客資料。
個人メモ。
派遣者ID。
入館証。
久我山が一つずつ確認する。
「顧客資料の持ち出しは?」
「ありません」
「写真撮影」
「ありません」
「私用端末や個人クラウドへの記録」
「ありません」
「青嶺中央銀行側資料の残置」
「ありません」
「派遣者用アクセス権限は本日停止します」
「承知しました」
「問題ありません」
五日間の業務は、正式に終了した。
午後三時三十分。
創は松岡へ声をかけた。
「メモ、これからも使う?」
「使います」
「規程が変わったら?」
「直します」
「俺が書いたことが間違っていたら?」
「消します」
「後輩が困っていたら?」
「自分だけ分かって終わりません」
創は笑う。
「もう教えることないな」
「まだいっぱいありますよ」
「例えば?」
「青嶺へ行って何を学んでるか。話せる範囲で教えてください」
「なら、次に会った時に話せるくらい、俺も成長しておく」
「約束ですよ」
「松岡も、もっといい先輩になってて」
「約束します」
二人は拳を軽く合わせた。
「頑張れ、松岡」
「宮嶋先輩も、青嶺で頑張ってください」
「ありがとう」
◇◇◇
午後四時。
三谷が創を廊下へ呼び出した。
「五日間、どうだった?」
「かなり勉強になりました」
「その顔を見れば分かる」
創は、少しためらってから口を開く。
「俺、昔ここを辞める時、少し申し訳ないと思っていました」
「なぜだ?」
「たくさん教えてもらったのに、辞めたからです」
三谷は呆れたように言う。
「馬鹿だな。銀行を辞めたら、教えたことが無駄になるのか?」
「……」
「お前は今も確認している。松岡もメモを使っている。なら、残っている」
創は黙って聞く。
「それに俺は、お前を東都共栄銀行だけで通用する行員にしたかったわけじゃない」
少し間を置き。
「銀行員にしたかった」
創の目が熱くなる。
「三谷さん。それを最終日に言うの、ずるくないですか?」
「知らん」
三谷は少し笑った。
「今度会う時は、もっと成長した銀行員になって来い」
「はい」
「東都共栄へ戻れという意味じゃないぞ」
「分かっています」
「青嶺でしっかりやれ。瑞央でも他の銀行でも、外を見る機会があるなら見てこい」
「はい」
「ただし、どこへ行っても確認を忘れるな」
創は笑う。
「その次も忘れません」
「何だ?」
「確認した後に何をするか」
三谷も笑った。
「覚えていたか」
「忘れません」
「なら大丈夫だ」
◇◇◇
午後四時四十五分。
閉店後。
創は営業店の中央で、最後の挨拶をした。
「五日間、ありがとうございました」
「宮嶋、元気でな」
神崎が言う。
「青嶺で問題を起こすなよ」
牧野が続ける。
「起こしません!」
倉持は手を差し出した。
「また、何かの案件で会うかもしれない」
「その時は、青嶺中央銀行員としてよろしくお願いします」
「こちらこそ」
岸本や窓口の行員たちも、次々と声をかける。
「たまには花乃家へ顔を出しなさい」
「転職先でも頑張って」
「無理しすぎないでね」
「また会いましょう」
柴崎が言った。
「松岡君のことは、もう心配しなくて大丈夫だから」
創は松岡を見る。
「そうみたいです」
「宮嶋先輩」
「うん」
「また絶対に会いましょう」
「もちろん」
「約束です」
「約束」
最後に、三谷が言った。
「宮嶋」
「はい」
「行ってこい」
「……」
帰れ、ではない。
行ってこい。
かつて法人先へ向かうたび、何度も聞いた言葉。
今、創が向かう場所は青嶺中央銀行だった。
「はい」
創は深く頭を下げる。
「お世話になりました」
午後五時八分。
城東支店の外へ出る。
月曜日は振り返り、「帰ってきた」と思った。
しかし金曜日。
創は前を向き、振り返らなかった。
もう「ただいま」とは言わない。
けれど、「さよなら」でもない。
「……行ってきます」
誰にも聞こえない声で呟き、青嶺中央銀行へ向かって歩き始めた。
◇◇◇
午後六時十五分。
青嶺中央銀行本店。
創は全国地域銀行連携本部で、端末返却と簡易報告を行った。
「お疲れさま」
瀬戸口陽介が迎える。
「正式報告書は月曜日の午前中で構いません」
水原香澄が告げた。
「承知しました」
「宮嶋君、どうだった?」
創は少し考える。
「……行ってよかったです」
「一言だけ?」
「話すと長くなります」
「なら、月曜日に聞こう。今日は帰って休め」
「ありがとうございます」
しかし、創にはまだ向かう場所があった。
◇◇◇
午後七時。
地下五階。
六桁の暗証番号。
452114。
第二扉を開く。
「おかえり」
ソファから立ち上がったのは、欧陽璟瑶・四十五歳。
今は頭取ではない。
「終わった」
創が告げる。
「五日間、全部終わった」
「うん。お疲れさま」
次の瞬間。
璟瑶は創を強く抱き締めた。
「……璟瑶」
「何?」
「銀行では、これを我慢してた?」
「かなり」
創は少し笑い、その背中へ腕を回す。
「派遣中、何も聞かなかったね」
「当然でしょう」
「今日の評価も?」
「聞いてない。制度全体の報告は受けるけれど、宮嶋創個人の評価を、恋人だからという理由で特別に聞くことはしない」
「そっか」
「だから今、あなたの口から聞きたい。話せる範囲で」
創は少し考えた。
「東都共栄銀行のこと、やっぱり好きだった」
「うん」
「辞めたけど、嫌いで辞めたわけじゃない。三谷さんも、松岡も、神崎支店長も、みんな俺を銀行員にしてくれた人たちだから」
「うん」
「でも、戻りたいとは思わなかった」
創は璟瑶を見る。
「今の俺は、青嶺中央銀行の行員だから」
璟瑶の表情が柔らかくなる。
「頭取として嬉しい?」
「とても」
「彼女としては?」
璟瑶は、さらに強く創を抱き締めた。
「もっと嬉しい」
「どうして?」
「過去を否定せず、今いる場所も自分で選んでいるから」
創は最終報告で話した内容を伝えた。
東都共栄銀行で銀行員の基本を教わった。
青嶺中央銀行で、より広い金融を学んでいる。
瑞央銀行で、地域を見ることを教わった。
「どれか一つだけが正解じゃないって言った」
「とてもいい報告だと思う」
「頭取採点は?」
「百点」
「甘い」
「彼女だから」
「銀行では特別扱い禁止」
「ここは地下五階です」
「ずるい」
「ふふっ」
三谷からは、次に会う時までにもっと成長した銀行員になれと言われた。
松岡とは再会を約束した。
創が残したメモは更新され、もう松岡自身のメモになっていた。
「それは、すごくいいことだと思う」
「うん」
少しの沈黙。
創が尋ねる。
「昨日、ここに一人でいた?」
「どうして?」
「メッセージが少し寂しそうだった」
「……会いたかった」
「俺も」
二人の距離が近づく。
唇が軽く重なった。
「んっ……」
一度離れ、もう一度。
「お疲れさま」
「ありがとう」
◇◇◇
二人でソファに座り、飲み物を用意する。
「創」
「何?」
璟瑶は昨日から考えていたことを、ようやく口にする。
「今度……私と中国へ来ない?」
創の動きが止まった。
「中国?」
「うん」
「仕事?」
「違う」
「旅行?」
「半分」
「半分?」
「重慶。私の故郷」
璟瑶は創をまっすぐ見た。
「お父さんとお母さんに、あなたを紹介したい」
「……」
「私の恋人として、一緒に来てほしい」
創は完全に固まった。
「待って。整理させて」
「どうぞ」
「お父さんは、欧陽崇岳さん。七十二歳。元青嶺中央銀行頭取」
「うん」
「お母さんは、欧陽美智子さん。六十八歳の日本人」
「うん」
「そこへ、二十一歳の俺を連れていく?」
「そう」
創は頭を抱えた。
「無理かもしれない」
「昨日、私も同じことを言った」
「何を?」
「お父さんへ創を紹介する場面を想像して、『無理かも』って」
「俺の家へ来た時、璟瑶は俺より緊張してたよね」
「かなり」
「今度は完全に逆?」
「そう」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。
「でも、ちゃんと紹介したいの」
璟瑶の声が真剣になる。
「創のお父様と恵美子さんに会わせてもらった。だから私も、両親に創のことを知ってほしい」
「二人とも、まだ知らないんだよね?」
「知らない。お母さんにはかなり疑われているけれど」
「『一人で帰ってくるの?』って?」
「そう」
「それ、完全に察してるよ」
「私もそう思う」
「お父さんは?」
「多分、何も知らない」
元頭取。
創にとっては、恋人の父であると同時に、大銀行を率いた大先輩でもある。
「父親として怖い?」
「多分、かなり」
「銀行員としては?」
「もっと怖いかも」
「もう帰りたい」
「まだ行ってないでしょう!」
「家族紹介じゃなくて最終面接にならない?」
「採用権限はありません」
「何の採用だよ!」
笑いによって、少しだけ緊張がほぐれた。
「いつ行くの?」
「まだ決めていない。仕事は当然、正式に調整する」
「俺も普通に有給を申請する」
「そうして」
「理由は私用」
「うん」
「頭取と中国へ行きます」
「絶対に言わないで」
「冗談!」
璟瑶は、もう一つ大切な線引きを伝える。
「この旅行と銀行の仕事は絶対に混ぜない。仮に私が中国で仕事を入れても、創を同行させません」
「うん」
「あなたは私の恋人として両親に会う。それだけ」
「分かった」
璟瑶は少し不安そうに尋ねた。
「行ってくれる?」
「行く」
即答だった。
「本当に?」
「怖いけど」
創は璟瑶の手を握る。
「俺、璟瑶と将来結婚したいと思ってる」
「……」
「だったら、両親に会わない理由はない」
璟瑶の目が潤む。
「創」
「何?」
「好き」
「知ってる」
「こういう時くらい『俺も』って言って」
「俺も好き」
「遅い」
「厳しいな」
璟瑶は創へ抱きついた。
「でも、俺の家族への紹介が終わって、今度は中国か」
「嫌?」
「違う。嬉しい」
「重慶はどんなところ?」
「食べ物が辛い」
「最初にそれ?」
「創、辛いものが得意じゃないでしょう?」
「大丈夫かな」
「多分」
「多分!?」
「お父さんは、かなり辛いものが好き」
「別の試験が始まった」
「ふふっ」
「お母さんは日本語で話せる?」
「もちろん。お父さんもかなり話せる」
「質問から逃げる道がない」
「逃げずに答えてください」
「はい」
◇◇◇
城東支店への五営業日の派遣は終わった。
東都共栄銀行で、創は銀行員の基本を学んだ。
青嶺中央銀行で、より広い金融を学んでいる。
瑞央銀行で、地域を見る意味を知った。
どれか一つだけが正解なのではない。
全ての経験が、今の宮嶋創を作っている。
そして仕事とは別に、二人の人生も進み始めた。
創の家族への紹介は終わった。
次は中国・重慶。
元青嶺中央銀行頭取、欧陽崇岳。
日本人の母、欧陽美智子。
二人の前へ。
欧陽璟瑶が、二十四歳年下の恋人・宮嶋創を連れていく。
「創」
「何?」
「重慶へ来ると言ってくれて、ありがとう」
「まだ行ってないよ」
「先に言いたかったの」
「じゃあ俺も。誘ってくれて、ありがとう」
璟瑶は嬉しそうに笑った。
「今度は私の番」
「何が?」
「家族に、大切な人を紹介する番」
二人はもう一度、静かに抱き締め合った。
二度目の派遣が終わり。
次に始まるのは、中国・重慶への旅。
創にとって。
銀行の最終面接よりも緊張するかもしれない、新たな家族紹介だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回で、城東支店派遣編は完結となります。
東都共栄銀行で銀行員の基本を学び、青嶺中央銀行でより広い金融を知り、瑞央銀行では地域を見ることを学んだ創。
どの銀行だけが正しいのではなく、それぞれの経験が今の創を作っています。
三谷からは、
「今度会う時は、もっと成長した銀行員になって来い」
という言葉。
松岡とも再会を約束し、創は今度こそ振り返らず青嶺中央銀行へ戻りました。
そして夜。
今度は璟瑶の家族へ。
元青嶺中央銀行頭取の父・欧陽崇岳と、日本人の母・欧陽美智子が暮らす中国・重慶へ、創を連れて行きたいと璟瑶が告げます。
第41話からは新章――
「中国・重慶家族紹介編」
へ続きます。




