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第37話「三谷さん、俺は少し成長しましたか?――元上司ともう一度、法人営業へ」


第37話です。


今回は第36話の続きから始まります。


月曜日。


恵美子とのスターバックス、スーパーでの買い物を終えた璟瑶は、青嶺中央銀行本店へ戻ります。


十六時からは海外法人営業部との会議。


中国、ベトナム、タイ、ドイツ。


数十億から百億円規模の案件を前に、設備投資、電力、人材、為替、返済力まで一つずつ判断していきます。


そして翌日の火曜日。


創は、銀行員として最も影響を受けた元上司・三谷雅臣と再び法人営業へ。


昔とは違う立場で向き合う二人。


「確認できるようになっただけなら、まだ半人前だ」


創は、新たな課題を与えられることになります。



 月曜日。


 午後三時四十分。


 青嶺中央銀行本店、四十二階。


「戻りました」


 欧陽璟瑶・四十五歳。


 青嶺中央銀行頭取兼青嶺FG副CEO・東アジア金融戦略統括。


 つい先ほどまで、創の母・宮嶋恵美子とカフェで将来について語り、スーパーで夕食の材料を選んでいた。


 じゃがいも。


 にんじん。


 玉ねぎ。


 鶏肉。


 牛乳。


 そして、コーン。


『創はコーン入りのクリームシチューが好き』


 恋人の母親だからこそ知る、小さな思い出まで教えてもらった。


 しかし、四十二階へ戻った瞬間。


 璟瑶の顔は、頭取のものへ切り替わった。


「お帰りなさいませ、頭取」


 第一秘書・劉川景仁が迎える。


「午後四時から海外法人営業部です」


「はい」


 第二秘書・水城絢乃が資料を差し出した。


『海外法人営業部・重点案件報告』


『中国・東南アジア・欧州地域』


『海外投融資・為替・現地法人支援』


「変更は?」


「中国華東地区の日系部品メーカー案件です。現地金融機関から、協調融資比率を四割から三割へ下げたいとの提案がありました」


「理由は?」


「先方の与信集中管理です」


「青嶺側の負担増は?」


「最大で約十八億円相当です」


 璟瑶は資料を開いた。


「会議の最初に確認します」


「承知しました」


 ◇◇◇


 午後四時。


 特別会議室。


 執行役員国際部門担当・陳高明。


 海外法人営業部長・相良俊彦。


 中国法人営業室長・周劉航。


 東南アジア法人営業室長・高杉圭吾。


 欧米法人営業チーム長・神崎麻由子。


 若手法人営業担当・三枝悠斗。


 六人を前に、璟瑶は会議を始めた。


「華東地区の協調融資比率変更から確認します」


 対象は、中国華東地区にある日系精密部品メーカーの現地法人。


 設備増強と運転資金を合わせ、総額約六十億円。


 当初は青嶺中央銀行が三十六億円、現地銀行が二十四億円を負担する計画だった。


 それを青嶺四十二億円、現地銀行十八億円へ変更したいという。


「なぜ、こちらが受ける前提なのですか?」


 璟瑶の問いに、室内が静まる。


「先方の与信管理上の事情だからといって、六億円を青嶺が当然引き受ける理由にはなりません」


「はい」


「現地法人単体の営業キャッシュフローは?」


「直近三年平均で約九億八千万円です」


「今回借入後の年間返済額は?」


「既存分を含め、約七億一千万円です」


「余裕が薄いですね。親会社保証は補完材料であって、主役にはしないでください」


 璟瑶は資料を閉じずに続ける。


「営業キャッシュフローが二割下振れし、人民元が変動し、主要顧客一社の受注が減った場合。それらが同時に起きても返済できるのか、ストレスケースを出してください」


「承知しました」


「さらに、青嶺一行で抱える前に二行目を探す。現地の日系取引に強い銀行を含めて検討してください」


「大型行以外も、ですか?」


「はい。資金だけではなく、口座、決済、為替で役割を分担する。青嶺一行で全て抱えることが、顧客支援ではありません」


 ◇◇◇


 次は、ベトナム北部の日系電子部品メーカー。


 総事業費約百二十億円の新工場建設計画だった。


「工業団地側の電力供給保証が、九八%から九五%へ下がっています」


「工場が止まった場合の影響は?」


「重要工程では、一時間当たり約二千万円相当です」


「非常用発電設備は?」


「六時間です」


「過去最長の停電は?」


「九時間でした」


「では足りません」


 設備を建てても、電力がなければ工場は動かない。


「追加発電能力、蓄電設備、電力会社との優先復旧契約。この三案をコスト付きで比較してください」


「承知しました」


「採用予定は?」


「現地採用六百二十名。管理職五十二名、日本人駐在員三十八名です」


「想定離職率は?」


「一八%です。地域平均は二〇%前後です」


「平均より低いから許容するのですか?」


「……いいえ」


「設備保全、品質、生産管理。キーパーソンの離職率を全体平均で見ないでください。人が抜ければ設備は動きません」


 タイの自動車部品メーカーでは、二段階投資によるリスク分散と、追加コスト三億六千万円の比較を求めた。


「融資額が小さい方を、銀行は安全だと思いがちです。しかし、途中で投資を止める方が企業を弱くする場合もあります」


 受注が八割、六割、四割となる三つのケース。


 一括投資と分割投資の損益分岐。


「感覚ではなく、数字にしてください」


 ドイツのEV対応設備更新では、顧客企業の移行計画が市場予測より一年早いことに注目した。


「EV移行が一年遅れる場合、二年遅れる場合。さらに、内燃機関向けの受注が想定より長く残る場合。この三つを比較してください」


「EV設備の稼働率低下だけでなく、既存設備を早く捨てすぎるリスクも見るということですね」


「そうです。『移行』という言葉だけで古い事業を切らない。利益を生む期間、技術者、既存顧客、設備転用の可能性まで見てください」


 午後五時二十五分。


 相良が指示事項を読み上げる。


「中国現地法人のストレスケースと参加行追加。ベトナムの電力対策三案とキーパーソン離職リスク。タイの投資方法別損益分岐。ドイツのEV移行三ケース分析」


「各案件、数字だけで終わらせないでください」


 璟瑶は出席者を見渡した。


「誰が、どこで、何を作り、誰へ売るのか。そして、何が止まると返済できなくなるのか。一つの流れで説明できる資料にしてください」


「承知しました」


 午後五時三十二分。


 会議終了。


 しかし、璟瑶の仕事はまだ続いた。


 地域銀行との協調融資。


 システム投資。


 海外人事。


 リスク管理。


 人員配置。


 十四件の決裁を、重要度の高い案件から処理していく。


 地域銀行との協調融資では、青嶺が資金量を出すからといって主導権まで取らないよう指示した。


「企業との取引年数は?」


「地域銀行側が四十七年です」


「なら、日常接点と主幹事機能は地域銀行に任せる。青嶺は大口調達、海外、為替、専門人材で支えてください」


 システム投資では、人員削減効果だけでなく、障害時間、入力ミス、顧客待ち時間まで含めた五年間の検証を求めた。


 海外人事では、語学試験の点数だけで中国拠点へ出さず、三か月の現地同行を挟むよう指示する。


 午後六時四十五分。


「頭取、夕食は取られますか?」


 劉川に尋ねられ、璟瑶は時計を見た。


「今日は大丈夫です。家で食べます」


 その家とは、創の一人暮らしの家。


 冷蔵庫には、今日、恵美子と選んだ食材が入っている。


 午後七時十二分。


「最後、完了しました」


「お疲れさまでした」


 午後の私用で後ろへ移した仕事も、全て終わらせた。


「予定を調整してくれて、ありがとう」


「問題ありません」


 午後七時二十分。


 璟瑶は四十二階を後にした。


 この後。


 創の家で、クリームシチューを作る。


 そして、第36話の最後。


『ただいま』


『おかえり』


 その場面へとつながっていく。


 ◇◇◇


 翌日。


 火曜日。


 午前七時五十五分。


 東都共栄銀行・城東支店。


 派遣二日目。


「おはようございます」


「おはよう、宮嶋」


 創が派遣者用デスクへ荷物を置くと、元直属上司の三谷雅臣が声をかけた。


「八時四十分に出るぞ」


「準備済みです」


「資料は確認したか?」


「二回しました」


「なぜ二回?」


「一回目で全体を確認して、二回目で数字と質問項目を確認しました」


 三谷はわずかに眉を上げた。


「昔よりはましだな」


「褒めてます?」


「事実だ」


「微妙ですね」


 今回訪問するのは、株式会社森崎工機。


 従業員七十四名。


 精密産業機械部品を製造し、年商は約二十八億円。


 代表取締役は森崎英治・五十六歳。


 工場長は岩田靖彦・四十九歳。


 経理部長は大崎真紀・四十四歳。


 十六年使用した加工機を更新するため、総額約九千八百万円の設備投資を計画している。


 借入希望額は八千万円前後。


「この会社は、お前が以前担当した先ではない」


「承知しています」


「理由は分かるな?」


「昔の顧客情報と、今回の派遣で知る情報を混同しないためです」


「そうだ。初見の企業として見ろ。ただし、青嶺や瑞央で学んだ視点は使え」


「はい」


「何を見る?」


「設備価格、自己資金、返済余力、既存借入、受注見込み、導入効果」


「それから?」


「設備を導入しなかった場合の影響です」


 三谷の目が少し動いた。


「昔のお前なら、その視点は出なかった」


「瑞央銀行で、設備投資をしないこと自体がリスクになると教わりました」


「具体的には?」


「設備停止、外注費、納期、技能承継、採用への影響です」


「見る範囲が増えたな」


「今、褒めました?」


「まだだ。出るぞ」


 ◇◇◇


 午前八時四十二分。


 車内。


 三谷が運転し、創は助手席に座る。


「変な感じです」


「何が?」


「昔もここに座って、三谷さんから質問されて、答えられなくて。帰ったら調べろって言われてました」


「今は違う」


「え?」


 三谷は前を見たまま答えた。


「今のお前は俺の部下じゃない。東都共栄銀行員でもない。青嶺中央銀行の行員だ」


「……」


「今日は教えるだけじゃない。俺も、お前が外で何を学んだのかを見る」


「プレッシャーですね」


「銀行員だろ。それくらい耐えろ」


「はい」


 午前九時十七分。


 森崎工機。


「いつもお世話になっております。東都共栄銀行の三谷です」


 三谷は隣に立つ創を紹介した。


「こちらは現在、青嶺中央銀行から当行へ派遣中の宮嶋さんです」


 創は一礼する。


「青嶺中央銀行の宮嶋創と申します。本日は派遣研修の範囲で、お話を伺わせていただきます」


「よろしくお願いします」


 面談では、老朽化した設備の状況から確認した。


「昨年の停止回数は?」


「四回。合計二十七時間です」


「今年は?」


「すでに二回です。最長は九時間でした」


「外注は?」


「一部増えています」


 創は資料へ目を落とした。


 設備本体七千四百万円。


 搬入設置九百万円。


 電源工事四百万円。


 付帯設備七百万円。


 合計九千四百万円。


 しかし、資金計画は九千八百万円。


 四百万円が合わない。


 創は一度計算し、もう一度確認した。


「三谷さん」


「何だ?」


「四百万円、差があります」


「聞け」


 創は森崎社長へ向き直った。


「一点、確認させてください。こちらの費用内訳は合計九千四百万円ですが、資金計画は九千八百万円です。四百万円の差額は何でしょうか?」


 経理部長の大崎が別紙を確認した。


「初年度のメンテナンス費用です」


「支払時期は?」


「導入後、年払いです」


「翌年度以降も発生しますか?」


「はい。毎年更新です」


 創は三谷を見る。


「設備資金としてどこまで含めるか、整理が必要ですね」


 三谷が頷く。


「設備資金と運転資金、支払時期、自己資金、借入額を改めて分けましょう」


「お願いします」


 創は、さらに質問した。


「今回、設備を導入した場合の効果は詳しくいただいています。反対に、導入しなかった場合、どのような影響がありますか?」


「導入しない場合?」


「はい。現在の加工機は、あと何年安定して稼働できますか?」


 工場長の表情が曇る。


「正直、かなり厳しいです。交換部品も、来年には一部供給が終わります」


「代替部品は?」


「ありますが、完全互換ではなく、精度が落ちる可能性があります」


「技能承継への影響は?」


「現在の制御方式は、今後主流ではありません」


「二十代の社員は何人ですか?」


「十二名です」


「昨年の採用は?」


「四人に内定を出しましたが、二人辞退しました」


「理由は?」


「一人は待遇です。もう一人は工場見学の際、設備が古いと言われました」


 創は資料から顔を上げた。


 九千八百万円。


 単なる機械の購入費ではない。


 停止時間。


 外注費。


 納期。


 採用。


 技能承継。


 そして会社の未来。


「今回の投資は、生産能力だけでなく、採用、技能承継、停止リスクまで含めて効果を判断する必要がありますね」


 三谷は何も言わない。


 しかし、隣でしっかり聞いていた。


 ◇◇◇


 午前十時四十八分。


 工場見学。


「宮嶋。何を見ている?」


「床です」


「なぜ?」


「三番機の下に油が漏れています」


「他には?」


「あの作業者が、十数分間、手動調整で止まっています」


「他」


「若手社員がベテランの後ろで操作を確認しています。技能移転の途中だと思います」


 三谷が創を見る。


「昔より周りを見るようになったな」


「瑞央銀行で学びました」


「その言葉、多いな」


「かなり影響を受けたので」


「悪くない」


「今、褒めました?」


「次へ行くぞ」


「逃げましたね」


 ◇◇◇


 午前十一時三十五分。


 帰りの車内。


「宮嶋」


「はい」


「今日、何ができた?」


「四百万円の差額を確認しました」


「それで?」


「差額の理由も分かりました」


「それで?」


 創は黙った。


「確認して、理由を聞いて、分かった。そこで終わるのか?」


「……」


「その後、どうする?」


 創は考えながら答える。


「設備資金として含めるのか、運転資金なのか。支払時期、自己資金、借入額、返済計画まで整理します」


「そうだ」


 赤信号で車が止まる。


 三谷は創へ顔を向けた。


「宮嶋。確認できるようになっただけなら、まだ半人前だ」


「……はい」


「確認した後に、何をするのかまで考えろ」


 修正。


 判断。


 報告。


 顧客への影響。


 そして、次の一手。


「確認はゴールじゃない。入口だ」


 創はゆっくり頷いた。


「昔のお前には、まず確認しろと教えた。今、それができるようになったなら次へ進め」


「はい」


「確認した結果を使って、銀行員として何をするのか。そこまで考えろ」


「分かりました」


 三谷は前へ視線を戻した。


「ただ、設備を入れないリスクや、採用、技能承継まで見たのはよかった」


「瑞央銀行で教わりました」


「そうか」


「三谷さん」


「何だ?」


「俺、少しは成長しましたか?」


 三谷はしばらく創を見た。


「……少しな」


「少しだけ?」


「調子に乗るな」


「もう少しくらいありません?」


「昔のお前より、今のお前の方が銀行員らしい」


 創の表情が変わる。


「数字だけではなく、その先を見ようとしている。それは成長だ」


「……ありがとうございます」


「ただし、まだ半人前」


「そこは必ず付くんですね」


「当然だ」


 創は苦笑しながらも、嬉しさを隠せなかった。


 ◇◇◇


 午後零時十五分。


 城東支店。


「宮嶋先輩!」


 松岡海斗が駆け寄ってくる。


「三谷さんとの同行、どうでした?」


「厳しかった」


「やっぱり」


 その後ろから三谷が声をかけた。


「松岡」


「はい!」


「午後は、今のお前の仕事を宮嶋に見せろ」


「え?」


 松岡は三谷と創を交互に見る。


「俺がですか?」


「そうだ。昔は宮嶋の後輩だっただろ」


「はい」


「今のお前がどこまで成長したか、元先輩に見てもらえ」


 松岡の顔が引きつる。


「宮嶋先輩、助けてください」


「俺も今日、助けてもらえなかった」


「先輩!」


「二人とも、昼休みが終わったら仕事だ」


「はい!」


 午後。


 今度は創が、松岡の仕事を見る。


 かつて自分の後ろを歩いていた後輩が、この三年間でどんな銀行員になったのか。


 そして。


 創が退職の日に渡した『業務確認メモ』が、今も城東支店で使われている理由を知ることになる。


 その前に。


 今日、創の胸に残ったのは、元上司・三谷雅臣の言葉だった。


「確認はゴールじゃない。入口だ」


 そして。


「昔のお前より、今のお前の方が銀行員らしい」


 十八歳の創へ、何度も「確認しろ」と教えた元上司。


 二十一歳になった今。


 その人から、初めてはっきりと成長を認められた。


 一方、前日の欧陽璟瑶も。


 創の母とコーヒーを飲み、スーパーで夕食の材料を選んだ直後。


 四十二階へ戻れば、中国、ベトナム、タイ、ドイツ。


 数十億から百億円規模の融資。


 設備、電力、人材、為替、海外法人。


 次々と判断し、指示し、午後の私用で動かした予定まで全て終わらせた。


 宮嶋家では、創の彼女。


 銀行では、青嶺中央銀行頭取。


 そして創も。


 城東支店では、かつての未熟な若手行員ではない。


 青嶺中央銀行法人営業第一部。


 宮嶋創。


 二人はそれぞれ、自分の仕事を自分の力で進めている。


 派遣三日目。


 次は後輩、松岡海斗。


 創が最後の日に残した一冊の『業務確認メモ』。


 それが今も、後輩の机で使われ続けていることを。


 創は知ることになる。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、璟瑶と創それぞれの「仕事」が大きく描かれました。


璟瑶は、恵美子との時間を終えた直後に頭取へ戻り、海外法人営業部の六名と中国・東南アジア・欧州の案件を次々に検討。


「資金を出すだけが支援ではない」


そんな頭取としての判断も描かれました。


そして翌火曜日。


創は三谷と法人営業へ。


設備投資の数字だけでなく、投資しない場合のリスク、採用、技能承継、現場まで見るようになった創に、三谷はこう言います。


「確認はゴールじゃない。入口だ」


さらに、


「少しは成長した」


という、創にとって大きな一言も。


次回は、後輩・松岡海斗へ。


創が退職の日に渡した『業務確認メモ』が、今も残っていることが明らかになります。


第38話へ続きます。


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