第35話「次の派遣先は、俺が辞めた銀行――東都共栄銀行・城東支店」
第35話です。
週明け。
創はいよいよ、次期若手派遣候補者として面談を受けることになります。
候補派遣先は――東都共栄銀行・城東支店。
十八歳から約四年間働き、銀行員としての基礎を教わった場所です。
しかし今回は、懐かしいから戻るわけではありません。
前職で知った情報。
現在の青嶺中央銀行で知った情報。
元上司や元同僚との人間関係。
そのすべてを正しく切り分けられるかが、厳しく確認されます。
「懐かしいから戻りたいのではありません。今の自分が何を学べるのか確かめたい」
創の覚悟が試される、第35話です。
月曜日。
午前七時四十八分。
東京都千代田区大手町・青嶺中央銀行本店。
宮嶋創・二十一歳は、いつもより少し早く出勤した。
入館手続きはいつもどおり。
それでも、頭から離れない通知がある。
『地域金融機関連携・若手相互派遣実証枠』
『次期派遣候補者面談のご案内』
候補派遣先は、東都共栄銀行株式会社・城東支店。
創が十八歳で入行し、約四年間働いた銀行だった。
顧客対応、振込、諸届、法人営業補助、融資資料、後輩指導。
失敗し、叱られ、仕事を覚えた。
元上司の三谷雅臣からは、銀行員にとって確認が信用を守る仕事であると、何度も教えられた。
退職する日には、後輩の松岡海斗へ『業務確認メモ』を残した。
その城東支店へ、今度は青嶺中央銀行員として派遣されるかもしれない。
「……変な感じだな」
◇◇◇
午前八時十分。
法人営業第一部。
「今日が面談だったな」
教育担当の相沢拓也・三十三歳が声をかける。
「はい。十時からです」
「瑞央銀行の時より緊張してる?」
「かなり」
「前職で、しかも同じ支店だもんな」
知っている上司。
元同僚。
後輩。
そこへ創だけが、別銀行の行員として入る。
「言われると余計に緊張します」
「悪い」
「絶対わざとでしょう」
「少しだけ」
北川玲奈・二十五歳も会話へ加わった。
「知らない銀行より、知りすぎている銀行へ行く方が難しそうですね」
「そこなんです」
長谷川直樹・三十六歳も頷く。
「一番怖いのは、昔知った情報を今も自由に使えるような感覚になることだ」
以前担当した顧客。
社長の性格。
融資条件。
預金、担保、保証、取引経緯。
それらは、東都共栄銀行の業務で知った情報である。
「今の青嶺中央銀行で勝手に使うことはできない。逆に、青嶺で知った情報を東都共栄銀行へ持ち込むこともできない」
「分かっています」
「面談では、そこをかなり細かく聞かれるだろうな」
「覚悟しています」
◇◇◇
午前八時三十分。
チームリーダーの桐生雅人・四十二歳は、面談前の創を打ち合わせスペースへ呼んだ。
「宮嶋。本音で答えろ」
「はい」
「城東支店へ戻りたいか?」
創はすぐに答えられなかった。
神崎支店長。
牧野副支店長。
三谷。
松岡。
会いたい人は多い。
「会いたいとは思います。でも、戻りたいという言葉とは違います」
「どう違う?」
「俺はもう東都共栄銀行員ではありません。今は青嶺中央銀行の行員です」
「うん」
「だから、前の職場へ帰るという気持ちで行ってはいけないと思います」
今の自分が、かつての職場をどう見るのか。
東都共栄銀行で学んだことを、青嶺中央銀行や瑞央銀行で得た視点から見直せるのか。
「それを確かめたいです」
「今の答えを、そのまま面談で話せ」
「はい」
「格好をつけずにな」
◇◇◇
午前九時五十分。
本店三十八階・全国地域銀行連携本部。
面談担当者は四人。
連携企画チーム長の瀬戸口陽介・三十九歳。
地域銀行人材交流室主任の水原香澄・三十二歳。
人事部キャリア採用課長の白河芙美香・三十八歳。
そして所属長として桐生雅人。
「今回の相互派遣は、瑞央銀行への派遣とは性質が異なります」
瀬戸口が説明する。
「派遣先は、あなたの前職である東都共栄銀行。しかも、以前勤務した城東支店です」
能力や意欲だけでなく、情報管理、守秘義務、利益相反、昔の人間関係との距離を厳しく確認する。
「率直に聞きます。なぜ行きたいのですか?」
「懐かしいから、ではありません」
創は正面を見て答えた。
「もちろん、お世話になった方々に会いたい気持ちはあります。ただ、それが主な理由ではありません」
東都共栄銀行にいた頃、創は青嶺中央銀行を外から見ていた。
今は青嶺中央銀行員として働き、さらに瑞央銀行への派遣を経験した。
「銀行ごとに、見ているもの、仕事の進め方、強みが違うと知りました」
「はい」
「以前働いていた東都共栄銀行を、今の自分ならどう見るのか。何を学び直せるのかを確かめたいです」
「帰りたいわけではない?」
「はい。今の自分が何を学べるか確かめるために行きたいです」
◇◇◇
「ここからは厳しく聞きます」
水原が仮定の質問を始めた。
「以前担当していた企業について、現在の担当者から、社長の性格、過去の融資条件、資金繰り、取引経緯を聞かれたら?」
「必要な範囲を超えて答えません」
「相手は東都共栄銀行の現在の担当者ですよ?」
「それでも、俺は東都共栄銀行員として戻るわけではありません。青嶺中央銀行から派遣される行員です」
昔、職務上知った顧客情報を、懐かしいからという理由で自由に話すことはできない。
一方、地域の特徴、会社までの道路、公開情報、一般的な面談経験など、顧客秘密に当たらない経験は生かせる。
「昔の経験をすべて捨てるのも違います。ただ、預金、口座、与信、担保、融資条件、過去の内部判断などは使いません」
「では逆に、元同僚から青嶺中央銀行の審査基準、営業方針、商品戦略を聞かれたら?」
「答えません」
「親しい元上司の三谷さんでも?」
一瞬だけ創の視線が動いた。
「答えません」
「銀行員として最も影響を受けた人でも?」
「はい。むしろ三谷さんなら、俺が答えたら怒ると思います」
「なぜ?」
「三谷さんから確認の大切さを教わったからです。情報を話してよいかどうかこそ、確認しなければなりません」
桐生が小さく笑う。
「確かに、そういう上司なら怒りそうだな」
◇◇◇
次は後輩の松岡海斗を想定した質問だった。
「松岡さんから、青嶺中央銀行の給与体系、採用面接の内部評価、審査資料を教えてほしいと言われたら?」
「非公開情報は話しません。内部資料も見せません」
「元後輩だから教えてあげたい、という感情は?」
「あると思います」
創は感情そのものを否定しなかった。
「実際に会えば、力になりたいという気持ちは出ます。だからこそ、『親しいから大丈夫』という判断をしないようにします」
「感情がないと言うより、あると認識したうえで管理する」
白河が頷いた。
「その方が信用できます」
瀬戸口はさらに難しい状況を示した。
「元上司から、『昔あなたが作った資料の続きだから見てほしい』と内部資料を渡されたら?」
「今回の派遣範囲に含まれる業務か確認します」
「含まれなければ?」
「見ません」
「含まれていれば?」
「派遣協定上、閲覧を認められた範囲か確認します。昔自分が作った資料だからという理由では判断しません」
昔の内部事情を青嶺中央銀行へ持ち帰る場合も同じだった。
「派遣中に正式に得た学びや、共有を認められた情報を一般化して報告することはできます。しかし、昔の内部事情を『以前いたから知っています』という形で、青嶺中央銀行の競争力のために使うことはしません」
◇◇◇
桐生が尋ねた。
「宮嶋。東都共栄銀行は好きか?」
「はい」
「辞めたのに?」
「銀行員にしてもらった場所だからです」
辛いこともあった。
辞めたいと思ったこともある。
それでも、十八歳で何も知らなかった創へ、仕事を一から教えてくれた。
失敗を叱り、確認を教え、後輩を持てるところまで育ててくれた。
「では、東都共栄銀行と青嶺中央銀行、どちらが上だ?」
「比較する基準によります」
「資産規模なら?」
「青嶺中央銀行です」
「海外機能は?」
「青嶺中央銀行」
「地域との距離や法人支援は?」
「地域、支店、顧客、分野によって違います」
「どちらが正解だ?」
「どちらか一つが、常に正解だとは思いません」
顧客も地域も、銀行の規模も役割も違う。
東都共栄銀行で正しいと思っていたことが、青嶺中央銀行では違って見える可能性がある。
反対に、青嶺中央銀行で当然だと思っている方法が、城東支店では過剰かもしれない。
「瑞央銀行で、資料を増やすことが必ずしも正しい確認ではないと学びました」
「はい」
「必要なことを、必要な深さで確認する。それを前職でも改めて見たいです」
◇◇◇
白河は、システム権限について確認した。
「城東支店から、元行員だから内部システムも分かるだろう、昔の感覚で操作してほしいと言われたら?」
「断ります」
「理由は?」
「今の俺には、東都共栄銀行員としての権限がないからです」
昔使えたから、今も使ってよいとはならない。
正式派遣となった場合は、派遣者専用の限定権限だけを使用する。
「元行員だからこそ危険です」
白河は説明する。
「システム、画面、保管場所、担当者を知っている。その知識が便利ではなく、リスクになる場合があります」
「理解しています」
過去の行員番号、旧権限、旧メール、旧共有フォルダは完全に遮断する。
派遣者として許可された範囲以外にはアクセスしない。
酒席でも守秘義務は変わらない。
昔の同僚と再会しても、話すのは個人的な思い出や公開できる範囲に限る。
「欧陽頭取は実際どのような人か、と聞かれたら?」
「……」
創の心臓が一瞬速くなる。
「公表されている範囲の一般的な説明にとどめます。銀行内で見聞きした非公開情報を、面白半分で話すことはしません」
私的に知っている璟瑶。
恋人としての姿。
それは、絶対に口にできない。
現在、二人の関係を知っているのは、創と璟瑶、そして和久と恵美子だけだった。
◇◇◇
「東都共栄銀行側から、青嶺中央銀行との競合案件へ同席してほしいと言われたら?」
「双方の派遣責任者へ確認します。利益相反や情報遮断が必要なら、案件から外れます」
「昔の銀行だから、今の銀行だからと、自分一人で判断しない?」
「はい」
桐生は、もう一つ異なる角度から尋ねた。
「もし派遣中に、東都共栄銀行の方が働きやすいと感じたら?」
昔のシステム。
昔の人。
昔の仕事の進め方。
懐かしさから、こちらの方が自分に合っていると感じる可能性はある。
「それも一つの学びだと思います。ただ、それを理由に青嶺中央銀行を否定しません」
「逆に、青嶺中央銀行の方がよいと思ったら?」
「東都共栄銀行を下に見る理由にもしたくありません」
創自身、十八歳の頃とは違う。
東都共栄銀行も、四年前と今とでは変わっているはずだ。
「昔の記憶を答え合わせするために行くのではありません。今の東都共栄銀行を、今の自分が見たいです」
最後に白河が尋ねた。
「今回、選ばれなかった場合は?」
「通常業務へ戻ります」
「残念ではありませんか?」
「残念です。でも、前職だから絶対に俺が行くべきだとは思いません」
前職だからこそ、別の行員を派遣した方が安全だという判断もあり得る。
「では、選ばれたら?」
「青嶺中央銀行員として行きます」
「東都共栄銀行で学んだ過去は?」
「捨てません」
東都共栄銀行で学んだこと。
青嶺中央銀行で学んでいること。
「二つを混同せず、比べながら学びたいです」
瀬戸口が頷いた。
「分かりました。本日の面談は以上です」
◇◇◇
午前十時五十分。
約五十分の面談を終えた創は、会議室の外で深く息を吐いた。
「長かった……」
「面接官側も疲れたよ」
後から出てきた桐生が言う。
「質問が厳しかったです」
「必要だからな。前職で、競合行で、人間関係も記憶も残っている。普通の派遣より難しい」
そして桐生は、一つだけ創を評価した。
「昔の銀行を悪く言わなかったのはよかった」
「悪く言う理由がありません」
「転職した人間は、前職を必要以上に悪く言うか、反対に美化するか、どちらかに寄りやすい」
「瑞央銀行へ行ったおかげかもしれません」
「どうして?」
「どの銀行が一番正しいか、考えなくなったからです」
桐生は小さく頷いた。
◇◇◇
その夜。
地下五階の秘密基地。
「面談、受けたよ」
「どうだった?」
「詳しいことは話せない。でも、かなり厳しかった」
「前職で、競合行だから当然ね」
「うん」
「行きたい?」
創は少し考えた。
「行きたい。でも、帰りたいわけじゃない」
「分かるわ」
「本当に?」
「創は、もう青嶺中央銀行員でしょう?」
昔の職場へ帰るのではない。
今の立場から、改めて前職を見る。
「結果は通常ルートで待ちなさい。私は聞かないし、推薦もしません」
「分かってる」
「大事なことです」
「家でも頭取みたいだな」
「今は彼女です」
◇◇◇
火曜日。
水曜日。
木曜日。
創は通常業務を続けながら、結果を待った。
木曜日、午後四時二十五分。
法人営業第一部。
社内メールが届いた。
『地域金融機関連携・若手相互派遣実証枠』
『候補者面談及び関係部門審査の結果、次期派遣者として正式決定』
『派遣先 東都共栄銀行株式会社・城東支店』
『派遣期間 五営業日』
目的は、法人営業実務の比較、中小企業金融、顧客支援手法、地域金融機関における現場運営、人材交流制度の検証。
そして留意事項には、双方の非公開情報を持ち出さないこと、派遣専用の限定権限のみを使うこと、利益相反が疑われる案件には必要に応じて関与しないことが明記されていた。
「……決まった」
相沢が創の表情に気づく。
「正式に?」
「はい。東都共栄銀行・城東支店です」
周囲の行員たちも集まってくる。
「本当に前の支店へ戻るんだな」
長谷川が言う。
創は静かに首を振った。
「戻るんじゃありません」
「え?」
「行くんです。青嶺中央銀行の行員として」
少し離れた場所で聞いていた桐生が頷いた。
「それでいい。ただし、昔の人に会って嬉しくなることまで否定する必要はない」
「はい」
「感情は消さなくていい。でも、仕事の線だけは絶対に消すな」
「分かりました」
◇◇◇
退勤後、創は両親へ連絡した。
『次の派遣先が決まった』
『東都共栄銀行・城東支店』
母からは、すぐに驚きの返信が届いた。
父からは。
『前の職場へ、今の銀行員として戻るのか』
『そう』
『なら、ちゃんと成長してから行け』
『もう派遣は決まったよ』
『そういう意味ではない』
創は思わず笑った。
『分かってる』
◇◇◇
その夜。
地下五階。
「正式に決まった」
「東都共栄銀行?」
「うん。城東支店」
璟瑶は少し黙った後、微笑んだ。
「おめでとう」
「ありがとう」
「でも、恋人として一つだけ言っていい?」
「何?」
「昔の女性行員と、変な再会をしないでね」
「そこ!?」
「大事です」
「そんな人いない!」
「同年代の女性もいるでしょう?」
「同期ならいるけど」
「……」
「何、その顔」
璟瑶が少し頬を膨らませる。
「頭取、嫉妬?」
「今は彼女です」
「では、彼女。嫉妬してる?」
「……少し」
創は笑いながら、璟瑶を見つめた。
「大丈夫。俺の彼女は欧陽璟瑶、一人だけだから」
「……ずるい」
「何が?」
「そういう言い方」
「本当だよ」
璟瑶の頬が少し赤くなる。
やがて創も真剣な表情へ戻った。
「情報管理には、本当に気をつける。昔の会社だから、知っている人だからという理由で、線を曖昧にはしない」
「それでいい」
璟瑶は創の肩へ寄り添った。
「前職に恩を感じてもいい。好きでも、懐かしくてもいい」
「うん」
「でも今、創は青嶺中央銀行の行員です」
「分かってる」
「なら、ちゃんと行ってきて」
「うん」
十八歳。
東都共栄銀行・城東支店で、創の銀行員としての土台が作られた。
二十一歳。
青嶺中央銀行へ転職し、法人営業と地域金融を学び始めた。
今度、その二つの経験が交わる。
昔の自分が働いていた場所を、今の自分はどう見るのか。
昔の仲間たちは、青嶺中央銀行員となった創をどう見るのか。
次期派遣先。
東都共栄銀行株式会社・城東支店。
元・東都共栄銀行員。
現・青嶺中央銀行員。
宮嶋創、二十一歳。
今度あの支店の扉を開ける時、口にする言葉は「ただいま」ではない。
「青嶺中央銀行の宮嶋創です」
過去へ帰るのではない。
過去と現在を、正しくつなぐために。
創の二度目の派遣が、始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、東都共栄銀行・城東支店への派遣選考が本格的に描かれました。
前職への派遣だからこそ、通常以上に重要になるのが、
顧客情報。
旧職時代の内部情報。
青嶺中央銀行の非公開情報。
利益相反。
元同僚との距離感。
その一つ一つを、創は自分の言葉で答えていきました。
東都共栄銀行は、創を銀行員にしてくれた大切な場所。
ですが今の創は、青嶺中央銀行の行員です。
そして最終的に――正式派遣が決定。
次回。
創はついに、かつて働いた城東支店の扉を再び開きます。
ただし今度は、
「ただいま」
ではなく、
「青嶺中央銀行の宮嶋創です」
と名乗る立場で。
第36話へ続きます。




