第34話「頭取ではなく、創の彼女として――宮嶋家で過ごした普通の日曜日」
第34話です。
最大の秘密まで明かした宮嶋家での初挨拶。
後半は少しずつ緊張がほどけ、璟瑶は恵美子と一緒に台所へ立ち、中国料理や日本料理、そして創の子ども時代について話していきます。
一方、和久は創へ、
「本気なのか」
と父親として改めて確認。
そして帰る頃には、両親も「頭取」ではなく「璟瑶さん」と呼ぶようになります。
さらにその夜。
創の家へ戻った二人は、結婚、そして将来の子どもについて初めて真剣に話すことに。
家族への一歩と、二人の未来への一歩。
その両方が進む第34話です。
日曜日、午後一時過ぎ。
宮嶋家。
欧陽璟瑶が、四十五歳の中国人女性であり、創より二十四歳年上であること。
そして、青嶺中央銀行頭取であること。
最大の秘密を明かした後、四人の間にあった緊張は少しずつほどけ始めていた。
父・宮嶋和久、五十二歳。
母・宮嶋恵美子、五十歳。
二人は当然、驚いている。
それでも、創が年齢差や立場を理解したうえで交際していること、璟瑶も遊びではないことは伝わった。
採用、配属、給与、評価、派遣。
璟瑶が創へ特別な力を使っていないことも確認した。
銀行では頭取と行員。
私生活では恋人。
二人が徹底して線を引いていると知り、宮嶋夫妻もようやく目の前の女性を、肩書きではなく創の恋人として見始めていた。
◇◇◇
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
璟瑶が両手を合わせると、恵美子は嬉しそうに笑った。
「本当によかったです」
「母さん、俺が褒めた時より喜んでない?」
「創は昔から食べていたでしょう?」
「今は一人暮らしだよ!」
「なら、もっと帰ってきなさい」
「そういう問題?」
璟瑶が小さく笑う。
和久はそんな二人を見ながら尋ねた。
「創。お前、欧陽さんとはいつもこんな感じなのか?」
「まあ、こんな感じ」
「もっと緊張して接しているのかと思った」
「創さんは、家ではかなり普通です」
「かなりって何だよ」
「遠慮がありません」
「恋人だから」
恵美子も笑った。
「本当に普通の恋人なのね。頭取と聞いた時は、どう接すればよいか分からなくなったけれど」
その言葉が、璟瑶の胸に強く響く。
「ありがとうございます」
「だから、そんなにかしこまらなくていいですよ」
「……努力します」
「そこは努力するところ?」
「癖なの!」
◇◇◇
午後一時三十分。
恵美子が食器を片づけ始めると、璟瑶も立ち上がった。
「あの、私もお手伝いしてよろしいですか?」
「座っていて大丈夫ですよ」
「お料理をすべて作っていただいたので、せめて片づけくらいは」
「では、お願いします」
宮嶋家の台所に、恵美子と璟瑶が並んだ。
青嶺中央銀行頭取が、恋人の母親と食器を洗っている。
リビングから見ていた和久が呟いた。
「すごい光景だな」
「何が?」
「お前の母さんと、青嶺中央銀行頭取が一緒に皿を洗ってる」
「……確かに」
しかし台所にいる璟瑶は、巨大銀行の頭取には見えない。
皿の置き場所を尋ねながら、初めて訪れた恋人の家で手伝いをする、一人の女性だった。
「璟瑶さん」
「……はい?」
突然名前で呼ばれ、璟瑶の動きが止まる。
「どうしました?」
「今、私を璟瑶さんと……」
「家で頭取と呼ぶのも変でしょう? これからは、そう呼ばせてもらいますね」
「……はい。嬉しいです」
たった一つの呼び方。
だが、璟瑶にとっては大きな一歩だった。
◇◇◇
片づけをしながら、二人は料理の話をした。
「重慶料理は、やっぱり辛いんですか?」
「かなり辛いです。昨日も創さんの家で簡単な中国料理を作りました」
「創、辛いものはそんなに得意だった?」
「普通だよ!」
「汗をたくさんかいていました」
「言わなくていい!」
日本料理では、煮物や焼き魚が好きだという。
「創も魚が好きですよ。小さい頃は骨を取るのが下手でしたけど」
「母さん!」
「小学校低学年くらいまでね」
「それは昔の話!」
和久まで加わる。
「大事な予定の前日は、緊張して眠れなかったこともあったな」
「父さんまでやめて!」
「今も同じです」
璟瑶が笑う。
「大切な仕事の前になると、確認が増えます」
「昔から慎重なんですよ」
「二人で勝手に分析しないで!」
恵美子と璟瑶の距離は、会話を重ねるごとに縮まっていった。
「創は、ちゃんと食べていますか?」
「私が一緒にいる日は、きちんと食べています。ただ、忙しい日は一人で簡単に済ませることがあります」
「普通だろ!」
「身体に良くありません」
「璟瑶さん、これからもお願いします」
「任せてください」
「何の契約!?」
二人が笑う。
やがて恵美子は、少し真面目な声になった。
「創は昔から、何でも一人で抱え込むところがあります」
「分かります」
「仕事でも?」
「仕事内容は、互いに話さないようにしています」
ただし、疲れていることは分かる。
そんな時、璟瑶は無理に理由を聞かない。
「ただ隣にいるようにしています」
恵美子は静かに頷いた。
「創のことを、よく見てくださっているんですね」
「はい。大切な人なので」
「……ありがとうございます」
◇◇◇
同じ頃。
リビングでは、和久が息子と二人で向き合っていた。
「創。本当に、この先も璟瑶さんと一緒にいるつもりなのか?」
「うん」
「即答か」
「昨日今日で決めたことじゃないから」
年齢差。
国籍。
仕事上の立場。
創は交際を始めてから、何度も考えてきた。
「結婚も考えているのか?」
創は一瞬黙ったが、逃げなかった。
「考えてる。今すぐじゃない。俺はまだ二十一歳だし、青嶺中央銀行での仕事も始まったばかりだから」
「それでも?」
「将来は、璟瑶と結婚したいと思ってる」
「璟瑶さんも同じ気持ちなのか?」
「正式に約束したわけじゃない。でも、二人で将来の話はしてる」
和久は息子から視線を外さなかった。
「二十四歳差だ。お前が四十歳なら、璟瑶さんは六十四歳になる」
「うん」
「病気、介護、子どものこともある。恋愛だけでは終わらないぞ」
「分かってる」
「本当に?」
「年齢が離れているから将来を考えないんじゃない。離れているからこそ、きちんと考えないといけないと思ってる」
今が楽しいだけではない。
年齢差から生じる現実も受け止めて、それでも共に生きたい。
「だから本気なんだ」
和久はしばらく黙った後、ゆっくり頷いた。
「なら最後まで責任を持て。人を好きになるとは、そういうことだ」
「分かった」
「それから、守るとか支えるとか、格好のよい言葉だけを言うな」
「……」
「璟瑶さんにも、お前を支える権利がある。どちらか一方だけが背負うものではない」
創は少し驚いた。
「父さん、意外といいこと言うな」
「殴るぞ」
「冗談!」
和久が小さく笑う。
「本気なら、これからも俺と母さんに話せ。困った時まで隠すな。家族なんだから」
「……うん」
◇◇◇
台所では、璟瑶も恵美子へ創の子ども時代を尋ねていた。
「慎重な子でした。でも、意外と頑固で」
「それも分かります」
「一度決めるとなかなか変えない。その代わり、最後までやります」
青嶺中央銀行へ転職すると聞いた時も驚いた。
それでも、自分で決めたなら最後までやるだろうと、両親は信じて送り出した。
「そういう人です」
璟瑶が創を見る。
「そうでしょう?」
「はい」
「だから、璟瑶さん」
「はい」
恵美子の声が柔らかくなる。
「創を、よろしくお願いします」
璟瑶の目がわずかに揺れた。
「……はい」
深く頷く。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
◇◇◇
午後三時。
四人は食後の手作りプリンを食べた。
「美味しい」
「本当ですか?」
「はい。もう一つ食べたいです」
「俺も」
「二人とも、同じことを言うのね」
「恋人だから」
「はい」
創と璟瑶の返事が重なり、和久と恵美子が顔を見合わせる。
「本当に仲がいいわね」
午後四時には、話題が中国・重慶へ移った。
「重慶はどんなところですか?」
「山が多く、街にも坂がたくさんあります。夜景もとても綺麗です」
「行ってみたいわ」
「ぜひいらしてください」
恵美子が創を見る。
「創も、いつか連れて行ってもらえば?」
創と璟瑶の視線が重なる。
「いつか一緒に重慶へ行きたいと思っています」
璟瑶が答えた。
「ご両親に創を紹介するため?」
「はい。まだ創さんのことは話していませんが、母には少し疑われています」
「母親は分かるものですよ」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
「怖い……」
創が呟くと、恵美子と璟瑶の声が重なった。
「何が?」
「何でもないです」
◇◇◇
午後五時。
二人が帰る時間になった。
「今日は本当にありがとうございました」
璟瑶が頭を下げる。
「こちらこそ。また料理を作りますね」
「え?」
「次も、また来てください」
璟瑶の動きが止まった。
「今度は、そんなに緊張せず、普通に遊びに来てください」
「……はい」
目がわずかに潤む。
「ぜひ、伺わせてください」
和久も声をかけた。
「璟瑶さん」
「……はい」
「今日は来てくださって、ありがとうございました。また創と一緒に来てください」
「ありがとうございます」
「父さん、もう頭取とは呼ばないんだ」
「家では違うんだろ?」
「うん」
創は嬉しそうに笑った。
◇◇◇
午後五時十五分。
二人は宮嶋家を出て、車へ乗った。
しばらく無言の時間が続く。
「璟瑶、どうした?」
「……何でもない」
「泣いてる?」
「泣いてません」
しかし頬には、一粒の涙が流れていた。
創が手を差し出すと、璟瑶は強く握った。
「嬉しかったの」
「……うん」
「また普通に遊びに来てくださいって言ってくれた」
「うん」
「お父様も、璟瑶さんって呼んでくれた」
「うん」
「私、ずっと怖かった」
四十五歳だから。
中国人だから。
二十四歳差だから。
創の勤務先の頭取だから。
すべてが拒まれる理由になると思っていた。
「すぐに全部を認めてもらえたわけではない。でも、ちゃんと私を見てくれた」
「よかった」
「創、ありがとう」
「俺は何もしてないよ」
「連れてきてくれた」
「俺の彼女だから。家族に会わせたかった」
璟瑶の目から、また涙がこぼれた。
「また泣く」
「創」
「何?」
「今、キスしたい」
「車だから、家へ帰ってから」
「……うん」
◇◇◇
午後六時四十五分。
創の家。
荷物と上着を置き、創が振り返る。
「璟瑶。今日はお疲れ」
「創」
「うん」
「もう、いい?」
「何が?」
「朝からずっと我慢していたから」
璟瑶は創の首へ両腕を回した。
「んっ……」
唇が重なる。
一度離れ、もう一度。
「ん……創……」
今度はゆっくりと長く。
創も璟瑶の背中へ腕を回し、何度も気持ちを確かめるように唇を重ねた。
宮嶋家では、手を握るだけにとどめていた。
その分まで、璟瑶は創から離れなかった。
「今日、本当にありがとう」
「どういたしまして」
「もう一回」
「まだ?」
「うん」
再び、二人の唇が重なった。
◇◇◇
夕食を終えた午後八時四十分。
璟瑶が真剣な表情でコーヒーカップを置いた。
「今日、お父様と将来について話していたでしょう?」
「少し聞こえてた?」
「結婚という言葉が聞こえました」
創は逃げずに答えた。
「父さんには、将来、璟瑶と結婚したいと思っていると話した」
「……」
「今すぐじゃない。俺はまだ二十一歳で、仕事も始まったばかりだから。でも、その気持ちは本当だよ」
璟瑶はしばらく黙っていた。
そして静かに告げる。
「私も、いつか創と結婚したい」
「うん」
「ちゃんと夫婦になりたい」
創は璟瑶の手を握った。
「それから、もう一つ」
「何?」
璟瑶は少し迷いながらも、目を逸らさなかった。
「もし本当に結婚できたら、創との子どもが欲しい」
「……」
「一人。もし叶うなら、二人」
自分が四十五歳であること。
妊娠や出産が簡単ではなく、身体へのリスクもあること。
必ず授かれるわけではないことも理解している。
「無責任に、絶対に二人欲しいとは言えません。それでも希望として、創との子どもを抱いてみたい」
「それを俺に言うの、怖かった?」
璟瑶は小さく頷いた。
「創はまだ二十一歳です。子どもはずっと先だと考えているかもしれない。それなのに、私の年齢を理由に焦らせるのではないかと思って」
「焦ってない。驚いたけど、嫌じゃない」
「本当に?」
「うん。俺も、いつか璟瑶との子どもが欲しいと思う」
ただし、その時は二人で考える。
璟瑶の身体。
仕事。
生活。
医師の判断。
すべてを大切にしながら決める。
「一人でも、二人でも。もし授からなかったとしても」
創は璟瑶を真っすぐ見た。
「俺が璟瑶と結婚したい気持ちは、それで変わらない」
「創……」
璟瑶の目が潤む。
「今日、何回私を泣かせるの?」
「俺が悪い?」
「悪くない」
璟瑶は創へ抱きついた。
「好き」
「うん」
「大好き」
「俺も好きだよ」
◇◇◇
入浴後。
創は前日の約束どおり、璟瑶の長い髪をドライヤーで乾かした。
「熱くない?」
「大丈夫」
「引っ張ってない?」
「大丈夫です」
璟瑶は鏡越しに、創を見つめている。
「また幸せだと思ってる?」
「うん」
「髪を乾かしてるだけだよ?」
「それがいいの」
温風の音が、静かな部屋へ響く。
「創。もし結婚したら、これを毎日してくれる?」
「毎日は難しいかもしれない。仕事もあるし」
「……」
「でも、できる日はする」
璟瑶が嬉しそうに笑った。
「では、約束」
「はい」
◇◇◇
午後十時四十分。
寝室。
二人は照明を落とし、同じベッドへ横になった。
「創」
「何?」
「今日が、まだ終わってほしくない」
「明日は仕事だよ」
「分かってる」
「朝も早い」
「それも分かってる」
璟瑶は創へ近づき、その頬へ手を添えた。
「それでも今夜は、もっと創のそばにいたい」
「璟瑶……」
「今日は、私から誘ってもいい?」
その言葉の意味は、創にも十分伝わった。
「創と、恋人として、もっと近くなりたい」
「……うん」
璟瑶は微笑み、創と唇を重ねた。
「んっ……」
先ほどよりも、ゆっくりと長く。
二人は互いを抱き締めた。
この日。
初めて創の家族へ二人の関係を明かした。
将来。
結婚。
子ども。
二人で築きたい家庭。
これまで胸の中にあった願いを、初めて言葉にした。
欧陽璟瑶、四十五歳。
宮嶋創、二十一歳。
二十四歳差の、頭取と若手行員。
だが、この部屋では、一人の女性と一人の男性。
その夜、二人は何度も気持ちを確かめるように抱き合い、唇を重ね、恋人としての静かな時間を過ごした。
翌朝、銀行へ行けば。
「頭取」
「宮嶋さん」
その関係へ戻る。
それでも、この日曜日に二人は確かに前へ進んだ。
創の家族の中へ、欧陽璟瑶という大切な人が受け入れられ始めた。
そして次に創を待つのは、十八歳から約四年間、銀行員として自分を育ててくれた場所。
東都共栄銀行・城東支店。
今度は、青嶺中央銀行員・宮嶋創として再びその場所へ向かうための選考が、始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、璟瑶が少しずつ宮嶋家へ溶け込んでいく回となりました。
恵美子と台所に立ち、創の幼い頃の話を聞き、和久からも「璟瑶さん」と呼ばれるようになる。
そして最後には、
「また普通に遊びに来てください」
という言葉まで。
頭取としてではなく、創の彼女として受け入れられ始めた瞬間でした。
その夜には、二人で結婚や子どものことも初めて真剣に話しました。
「創との一人、または二人の命が欲しい」
四十五歳という年齢も、高齢出産になる現実も理解した上で、それでも未来を望む璟瑶。
創もまた、子どもの有無だけで結婚への気持ちは変わらないと伝えます。
そして次回からは仕事の物語へ。
創が銀行員として育った原点。
東都共栄銀行・城東支店への派遣選考が本格的に始まります。
第35話へ続きます。




