第30話「次は家族へ――出張を終えたので、俺の彼女を紹介したい」
第30話です。
瑞央銀行への最初の派遣を終え、創は以前から約束していた「家族への紹介」を本格的に進めることになります。
相手は、
四十五歳。
中国人。
青嶺中央銀行頭取。
そして、創より二十四歳年上。
璟瑶にとっても、これまでの重役会議や海外交渉とはまったく違う緊張です。
ですが創が紹介したいのは、頭取ではありません。
「俺の彼女として紹介したい」
その言葉に、璟瑶も少しずつ覚悟を決めていきます。
そして同じ頃。
創のもとには、次の地域金融機関連携に関する通知が届きます。
そこに記されていた候補派遣先は――。
創が十八歳から約四年間働いた前職。
東都共栄銀行・城東支店。
家族への紹介と、銀行員としての原点への再訪。
二つの新しい動きが同時に始まる第30話をお楽しみください。
瑞央銀行への地方派遣を終えて数日後。
午前八時二十分。
青嶺中央銀行本店・法人営業第一部。
宮嶋創・二十一歳は、完全に通常業務へ戻っていた。
派遣報告も、瑞央銀行からの一次評価も、部内共有もすでに終了している。机の上に並ぶのは、東央精密製作所の設備投資案件、既存顧客の資料、新規訪問候補など、本来の担当業務だった。
「宮嶋、これ」
教育担当の相沢拓也・三十三歳が、東央精密製作所の次回訪問資料を差し出す。
「派遣で学んだこと、使えそうか?」
「はい」
「次は何を見る?」
「決算書、設備投資計画、資金繰り、受注状況。それから、会社の外側です」
「瑞央銀行らしくなったな」
「染まりました?」
「全部染まるなよ。お前は青嶺中央銀行の行員だ」
「分かっています。でも、使える視点は使います」
創は資料へ目を落とした。
以前は、一億円という借入額と返済可能性を見るだけで精いっぱいだった。
今は違う。
主要取引先や外注先。
地域の採用事情。
技能承継。
設備を導入しなかった場合のリスク。
会社と地域とのつながり。
瑞央銀行で学んだ視点を、確かに東京へ持ち帰っていた。
ただ、創の頭の片隅には、仕事とは別の大きな問題もあった。
(そろそろ、ちゃんと紹介しないとな)
父・宮嶋和久、五十二歳。
母・宮嶋恵美子、五十歳。
二人には、年上の外国人女性と交際していることまでは伝えてある。
だが、その詳細はまだ話していない。
恋人は欧陽璟瑶。
四十五歳の中国人女性。
創より二十四歳年上。
そして、創が勤める青嶺中央銀行の頭取である。
(絶対に驚くよな……)
二十一歳の息子が、母親と五歳しか違わない勤務先の頭取を連れてくる。
想像しただけで、父が固まり、母が何度も聞き返す姿が浮かんだ。
「宮嶋、何を笑ってる?」
「何でもありません!」
「設備投資資料を見て笑う要素はないだろ」
「本当に何でもないです!」
創は慌てて意識を仕事へ戻した。
◇◇◇
同じ頃。
本店四十二階。
欧陽璟瑶も、青嶺中央銀行頭取として通常業務を続けていた。
経営企画、国内営業、中国事業、全国地域銀行連携、人事配置、海外拠点報告。
その中で、久世宗一郎副頭取・五十七歳から、瑞央銀行への第一陣派遣について正式報告があった。
「制度全体の評価は、おおむね良好です。受入側からも継続希望が来ています」
「第一陣一人だけで成功と決めず、次の候補者も通常基準で選んでください」
「承知しました」
「派遣先も、青嶺FGの地域銀行だけに限定する必要はありません」
「外部金融機関とも人材交流を?」
「守秘義務と利益相反管理を徹底できるなら、競合行からも学べることはあります」
「かなり踏み込みますな」
「競合だからこそ、違いが見える場合もあります」
璟瑶は、地域金融や業務改善について互いに学べる制度を検討するよう指示した。
ただし、特定の行員を前提に派遣先を決めないことも付け加えた。
この時、璟瑶はまだ知らなかった。
外部金融機関との相互派遣候補に、創の前職である東都共栄銀行が含まれ始めていることを。
◇◇◇
午後六時五十八分。
本店地下五階。
暗証番号『452114』と行員証認証を通過し、創は二人だけの秘密基地へ入った。
数分後、仕事を終えた璟瑶もやってくる。
「お疲れさま、創」
「お疲れ、璟瑶」
璟瑶はジャケットを脱ぎ、創の隣へ座った。
「今日は何か話したそうね」
「分かる?」
「分かります」
「さすが頭取」
「今は彼女です」
創の表情が少し真剣になる。
「前に話した、俺の家族のことなんだけど」
「……紹介?」
「うん」
銀行全体の経営や何千億円もの案件を動かす璟瑶が、急に黙り込んだ。
「緊張してる?」
「少し」
「嘘」
「……かなり」
「何万人の前でも話せる頭取が?」
「仕事と家族への挨拶は違うでしょう!」
「そんなに?」
「あなたのお父様は五十二歳。お母様は五十歳。私は四十五歳なのよ?」
「母さんとは五歳差だね」
「そうだね、ではありません!」
「父さんとは七歳差」
「数字を追加しないで!」
さらに璟瑶は、中国人であること、創より二十四歳年上であること、勤務先の頭取であることまで並べた。
「肩書きと問題が多すぎるわ」
「でも俺は、父さんと母さんに頭取を紹介したいんじゃない」
「……」
「中国人の有名銀行家を見せたいわけでもない」
「……うん」
「俺の彼女を紹介したい」
璟瑶が顔を上げる。
「欧陽璟瑶。俺が好きな人」
「……創」
「肩書きは隠さない。でも、最初は俺の彼女。それでいい」
「ずるい」
「何が?」
「そう言われたら、断れない」
「断るつもりだった?」
「ありません」
「なら同じだろ」
創は璟瑶の手を握った。
「俺は、璟瑶がいい。年齢も、国籍も、仕事も、全部含めて」
「本当に?」
「うん。ただし、家では頭取モード禁止」
「できるかしら」
「地下五階では毎回できてる」
「……確かに」
「じゃあ、日程を決めよう。今度の日曜日は?」
「早い!」
「嫌?」
「嫌ではないけど、心の準備が必要なの!」
◇◇◇
創は、その場で父へ電話をかけた。
「父さん、今いい?」
『いいぞ』
「母さんもいる?」
『いるわよ。出張はどうだったの?』
「その話は今度。それより、前に話した彼女のことなんだけど」
『年上の中国人女性ね』
「うん。ちゃんと紹介したい」
電話の向こうが、一瞬静かになる。
『本当に?』
「うん。できれば、家で」
『もちろんいいわよ』
恵美子は迷わなかった。
『創が大切にしている人なんでしょう? なら会いたいわ』
和久も異論はなかった。
『今度の日曜日はどうだ?』
創が横を見ると、璟瑶は無言で「早い」と口を動かしている。
「少し待って」
創はマイクを押さえた。
「日曜日、大丈夫?」
「午前は予定があるけど、午後なら空けられる」
「じゃあ日曜日」
「……はい」
「何で面接前みたいな返事なんだよ」
「緊張してるの!」
昼過ぎに宮嶋家を訪れることが決まった。
『彼女さんは何が好き?』
「中華料理」
『中国人の方に、私の中華料理を出す勇気はないわよ!』
「冗談。和食で大丈夫」
『魚は? 苦手なものは?』
璟瑶に確認すると、特に苦手なものはないという。
そして、父が最も重要な質問をした。
『ところで、どれくらい年上なんだ?』
「それは会った時に」
『十歳くらいか?』
「当日に」
『十五歳?』
「父さん」
『二十歳?』
「……」
『まさか、当たったのか?』
「日曜日ね! また連絡する!」
『おい、創――』
創は電話を切った。
「今、逃げたでしょう?」
「戦略的撤退」
「銀行員らしく言わないで」
璟瑶は両手で顔を覆った。
「お母様と五歳しか違わない……」
「大丈夫だよ」
「根拠は?」
「俺が隣にいる」
創は、顔を覆っていた璟瑶の手を取った。
「一人で行くわけじゃない。俺がちゃんと紹介する」
「……」
「俺の彼女ですって」
璟瑶は創の手を握り返した。
「その言い方、好き」
「俺の彼女?」
「うん。頭取ではなく、欧陽璟瑶として紹介して」
「もちろん」
◇◇◇
日程が決まると、璟瑶はすぐに準備を始めようとした。
「服はどうすればいい?」
「普通でいいよ」
「スーツ?」
「頭取にしか見えない」
「ワンピースは?」
「いいんじゃない?」
「お母様の好きな色は?」
「知らない」
「お父様の趣味は? 好きなお菓子は?」
「待って。面接じゃないから」
「でも、事前情報は必要でしょう?」
「企業訪問みたいになってる」
「簡単な資料を作れば――」
「資料は禁止!」
「メモだけでも」
「禁止!」
創は笑いながら言った。
「手土産を一つ。普通の服で来る。あとは、璟瑶がいれば十分」
「……分かった」
「よし」
「ただし、手土産は私が選びます」
「一つだけね」
「中国茶も」
「増えてる」
「果物も」
「取引先への挨拶じゃないって!」
秘密基地に二人の笑い声が響いた。
◇◇◇
「私の両親にも、いつか会ってほしい」
少しして、璟瑶が言った。
「重慶だよね」
「覚えていたの?」
「もちろん」
「まだ、両親には創のことを話していないけど」
「怪しまれてはいる?」
「かなり」
「何を言ったの?」
「時間があれば重慶へ帰るって」
「それだけ?」
「一人で帰るのかと聞かれて、仕事ではない人と行く可能性を口にしてしまった」
「それ、ほぼ自白じゃない?」
「創!」
二人はまた笑った。
「じゃあ、俺の家族が先。その後、いつか重慶へ行こう」
「来てくれる?」
「行くよ」
創は即答した。
「中国人の彼女の両親へ挨拶。しかも、お父さんは元青嶺中央銀行頭取か……」
「緊張する?」
「俺の方が緊張する」
「今なら私の気持ちが分かるでしょう?」
「分かった。日曜日は絶対に隣にいる」
「約束よ」
「約束」
二人は小指を絡めた。
「仕事では、頭取と行員」
「うん」
「家族の前では?」
「俺の彼女、欧陽璟瑶」
「それを一番最初に言ってね」
「分かった」
◇◇◇
その時、創の私用スマートフォンに社内連絡の通知が届いた。
「仕事?」
「みたい」
「ここでは開かない方がいいわね」
「うん。明日、正式に確認する」
地下五階には仕事を持ち込まない。
二人で決めたルールだった。
ただし、ロック画面には件名だけが表示されていた。
『地域金融機関連携・次期若手派遣候補者面談について』
「……次の派遣候補?」
「もう?」
「まだ候補だと思う」
「なら、明日、正式ルートで確認して」
「分かってる」
◇◇◇
翌朝。
午前八時二十分。
法人営業第一部。
創は社給端末から正式な通知を開いた。
『地域金融機関連携・若手相互派遣実証枠』
『次期派遣候補者面談のご案内』
瑞央銀行への第一陣派遣の成果を受け、青嶺中央銀行は次の段階を検討していた。
青嶺FG内の地域銀行だけではない。
グループ外の提携行や協力金融機関。
場合によっては競合関係にある銀行とも、守秘義務と利益相反管理を徹底したうえで、限定的な人材交流を実施する。
経営統合でも、傘下入りでもない。
若手育成と地域金融への理解を目的とした実証枠だった。
創が画面をスクロールする。
『候補派遣先』
その一行を見た瞬間、指が止まった。
『東都共栄銀行株式会社』
「……え?」
さらに下。
『受入候補部署 城東支店』
「……嘘だろ」
東都共栄銀行・城東支店。
創が十八歳で銀行員となり、約四年間育ててもらった場所。
神崎隆之支店長。
牧野浩明副支店長。
倉持俊介融資営業課長。
岸本理沙個人営業課長。
確認の大切さを何度も教えてくれた三谷雅臣。
元同僚たちと、後輩の松岡海斗。
最後の日に深く頭を下げ、退職した職場だった。
「宮嶋、どうした?」
相沢が声をかける。
「次の派遣候補が……」
画面を見た相沢も驚いた。
「東都共栄銀行。しかも、お前がいた城東支店か」
「はい」
「まだ面談段階だろ?」
「そうです」
「なら、まず説明を聞け」
そこへ桐生もやってくる。
「競合行への派遣か。面白いな」
「俺は面白くありません!」
「いや、意味はある」
桐生の表情が真剣になる。
「お前は東都共栄銀行を知っている。そして今、青嶺中央銀行を知り始めている」
「はい」
「二つの銀行を、自分の経験として比較できる」
「……」
「ただし、瑞央銀行以上に難しい派遣になる」
昔の上司。
元同僚。
前職で得た情報。
現在の銀行で知った情報。
懐かしさや個人的な感情。
「すべてに明確な線引きが必要だ。それでも一人の銀行員として行けるか、面談ではそこを見られるだろう」
「……はい」
元行員として戻るのではない。
青嶺中央銀行法人営業第一部の宮嶋創として戻る。
それは、創が想像していなかった形での帰還だった。
◇◇◇
同日昼。
本店四十二階。
璟瑶のもとにも、次期派遣候補者一覧が上がってきた。
複数の候補者と派遣先へ目を通す。
その中に。
『宮嶋創 二十一歳』
『候補派遣先 東都共栄銀行・城東支店』
「……」
璟瑶の視線が、一瞬だけ止まった。
「頭取?」
水城に呼ばれ、すぐに頭取の表情へ戻る。
「選考方法は?」
「所属部署、人事、受入先、地域金融連携部門による通常評価です」
「特定役員からの推薦は?」
「ありません」
「本人の前職という点は?」
「情報管理及び利益相反上の留意点として、別途審査します」
「前職であることを、有利にも不利にも扱わないでください」
「承知しました」
璟瑶はそれ以上、何も言わなかった。
しかし心の中では、一つの思いが浮かんでいた。
(創が、城東支店へ戻るかもしれない……)
日曜日には、創の両親との初対面が待っている。
その一方で、仕事でも新たな展開が始まろうとしていた。
◇◇◇
その夜。
地下五階。
「通知、見た?」
璟瑶が尋ねる。
「うん。東都共栄銀行の城東支店だった」
「まだ正式決定ではないわ」
「分かってる」
「私は何も言えない」
「それも分かってる」
「行きたい?」
創は、すぐには答えられなかった。
懐かしい。
三谷や松岡、元同僚たちに会いたい。
だが、怖さもある。
自分を育てた銀行と、現在自分を育てている銀行。
その間に立つことになる。
「……まだ分からない」
「うん」
「でも、候補として選ばれたなら、面談はきちんと受けたい」
「それでいいと思う」
「璟瑶は?」
「頭取としても、彼女としても、選考には何も言いません」
「彼女としても?」
璟瑶は少しだけ創へ寄り添った。
「本音を言えば、また派遣されるのは寂しい」
「でも城東支店は東京だよ。宿泊はないと思う」
「それなら少し安心」
「もう頭取じゃなくなったな」
「今は彼女です」
そして璟瑶は、もっと緊張する問題を思い出した。
「それより、日曜日」
「あ」
「忘れてないでしょうね?」
「忘れてない」
「あなたのご両親に、私が会うのよね」
「うん」
「東都共栄銀行への派遣より緊張する」
「俺は逆だけど」
「代わって」
「無理」
創は璟瑶の手を握った。
「大丈夫。俺が紹介するから」
「……うん」
「欧陽璟瑶、四十五歳。中国人。青嶺中央銀行頭取」
「……うん」
「そして、俺の彼女」
璟瑶が少し笑う。
「最後の言葉を、一番最初にして」
「分かった。約束する」
二人は小指を絡めた。
家族の前では、頭取と行員ではない。
宮嶋創と、その恋人である欧陽璟瑶。
仕事では、次期派遣候補として東都共栄銀行・城東支店へ。
私生活では、二人の秘密を初めて創の家族へ。
家族。
前職。
現在の銀行。
過去と未来。
いくつもの線が、同時に交わり始めていた。
宮嶋創、二十一歳。
欧陽璟瑶、四十五歳。
二十四歳差の、誰にも言えない頭取と行員の恋。
その秘密は、まず創の家族へ。
そして創自身は、一人の青嶺中央銀行員として、自分の原点へ戻る可能性と向き合う。
物語は、新しい章へ進み始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創と璟瑶の関係がいよいよ「家族」へ進み始めました。
創の父・和久と母・恵美子には、これまで年上で中国人の恋人がいることまでは伝えていました。
しかし、
四十五歳。
二十四歳差。
青嶺中央銀行頭取。
という最大の部分は、まだ話していません。
そんな状況でも創が言ったのは、
「頭取を紹介したいんじゃない」
「俺の彼女を紹介したい」
という言葉でした。
仕事では何万人もの行員を率いる璟瑶も、恋人の両親への初挨拶となれば別人のように緊張します。
企業訪問のように事前資料まで作ろうとするあたりは、やはり銀行頭取らしいところでしょうか。
そして、ようやく日曜日に宮嶋家を訪れることが決定。
いよいよ次の段階へ進みます。
しかし仕事でも、同時に大きな展開が。
次期若手派遣候補。
その派遣先は――東都共栄銀行・城東支店。
神崎支店長。
牧野副支店長。
倉持課長。
岸本課長。
三谷。
そして後輩の松岡。
創が銀行員として育ててもらった場所へ、今度は青嶺中央銀行員として戻る可能性が出てきました。
もちろん、まだ正式決定ではありません。
前職だから有利にも不利にもせず、通常の選考と情報管理審査を経ることになります。
家族へ恋人を紹介する創。
そして、過去の職場へ青嶺中央銀行員として向かうかもしれない創。
第31話以降は、私生活と仕事の両方で、さらに大きな変化が始まります。




