第29話「ただいま、璟瑶――地方出張から帰った夜、地下五階で再会しました」
第29話です。
瑞央銀行での五日間の派遣を終え、創が青嶺中央銀行本店へ戻ってきます。
午前中は正式な業務報告。
そして昼休み。
社員食堂へ行くと、なぜか創の周りには次々と行員たちが集まってきます。
「小野寺さん、高校の同級生なんだ」
「白石さんとは学生時代の部活で知り合った」
「藤堂は俺の従弟」
青嶺中央銀行と瑞央銀行。
銀行同士だけでなく、行員同士も思わぬところでつながっていたことが次々と判明します。
さらにその社員食堂には、璟瑶と久世副頭取まで登場。
大勢に囲まれる創を見ながら、璟瑶は頭取として何事もないように接します。
そして夜。
ようやく二人は地下5階へ。
銀行では「頭取」と「宮嶋さん」。
しかし扉が閉まれば、
「創」
「璟瑶」
五日間離れていた二人が、ようやく恋人同士へ戻ります。
創の「ただいま」と、璟瑶の「おかえり」。
久しぶりの秘密基地での再会をお楽しみください。
瑞央銀行への五営業日の派遣を終えた翌営業日。
午前七時五十五分。
東京・大手町。
宮嶋創は、地上四十二階まで続く青嶺中央銀行本店を見上げていた。
「……帰ってきた」
派遣期間は、わずか五営業日。
前週まで毎日のように出入りしていた建物なのに、妙に懐かしく感じる。
瑞央銀行本店。
食品会社、物流会社、製造会社。
新城テクノ、朝倉醸造、東峰産業。
宮坂隆司、小野寺修平、白石結衣、藤堂蓮。
創は五日間で、決算書の外側にある人、企業、町のつながりを見てきた。
そして今、自分が戻る場所へ帰ってきた。
「よし」
創は行員証を取り出し、本店の入口を通った。
◇◇◇
午前八時十分。
法人営業第一部・若手法人担当チーム。
「おはようございます!」
創が入ると、何人もの行員が振り向いた。
「お、帰ってきた」
教育担当の相沢拓也・三十三歳が笑う。
「帰ってきました」
「おかえり、宮嶋」
チームリーダーの桐生雅人・四十二歳も、穏やかに迎えた。
藤崎美優・二十七歳、佐伯遼・二十九歳、北川玲奈・二十五歳、長谷川直樹・三十六歳も集まってくる。
「地方派遣、どうだった?」
「めちゃくちゃ勉強になりました」
「その顔なら、悪くなかったみたいだな」
「悪いどころか、もう一度行きたいくらいです」
「五日前は、あんなに緊張してたのに」
「それは言わないでください」
長谷川が創の持っている紙袋を見る。
「それで、土産は?」
「最初に聞くのがそこですか?」
周囲に笑いが起きる。
「ありますよ。部署用です」
「ちゃんと人数分ある?」
「確認済みです」
相沢が頷く。
「さすが確認魔」
「瑞央銀行でも同じ呼ばれ方をしました!」
「向こうにも知られたのか」
「完全に」
自分の机。
椅子。
社給端末。
五日前と何も変わっていない。
それでも創自身の中には、確かな変化があった。
◇◇◇
午前八時三十分。
朝礼で、桐生が本日の予定を伝えた。
「九時から、地域銀行人材交流室と全国地域銀行連携本部への正式報告。十一時からは、法人営業第一部内での共有だ」
「はい」
「午後は通常業務へ戻る」
「分かりました」
「派遣が終わったからといって、一週間も余韻に浸るなよ」
「そんな予定はありません!」
朝礼後、相沢が創の報告書に目を通した。
『地域銀行合同プロジェクト第一陣・派遣報告』
瑞央銀行の地域金融。
企業訪問で見た地域とのつながり。
設備投資案件。
数字の差異と確認。
地域銀行と青嶺中央銀行の役割分担。
今後の法人営業への反映。
「前より文章が良くなったな」
「そこからですか?」
「内容もいい。特にここ」
相沢が示したのは、二つの銀行の関係についてまとめた部分だった。
『青嶺中央銀行の方法を、そのまま地域銀行へ当てはめることが正解ではない』
『地域銀行には、地域企業との長年の関係と、地域そのものに関する情報がある』
『青嶺中央銀行は、大型資金、専門部署、海外金融に強みを持つ』
『上下関係ではなく、相互補完が必要である』
「ただし、瑞央銀行を褒めるだけで終わるな」
「はい」
「青嶺へ戻った自分が、何を変えるのか。そこまで話せ」
「分かりました」
◇◇◇
午前九時。
本店三十八階・地域銀行人材交流室。
地域銀行人材交流室主任の水原香澄・三十二歳。
全国地域銀行連携本部の瀬戸口陽介・三十九歳。
地方創生金融部の三枝佳奈・三十五歳。
そして、人事部キャリア採用課長の白河芙美香・三十八歳が待っていた。
「宮嶋さん、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「五営業日、お疲れさまでした」
「ありがとうございました」
瀬戸口が尋ねる。
「どうだった?」
「行ってよかったです」
「短いな」
「では、今から十五分お話しします」
「どうぞ」
創は瑞央銀行での経験を報告した。
予定は十五分。
実際には、二十二分かかった。
「……長くなりました」
「ずいぶん熱が入ったね」
瀬戸口が笑う。
三枝は、創の変化を的確に指摘した。
「宮嶋さんが一番変わったのは、青嶺中央銀行本店を基準に話さなくなったところですね」
「自覚はあります」
白河も頷く。
「キャリア採用者は、前職の方法と転職先の方法、その両方に引っ張られやすいものです」
「はい」
「東都共栄銀行が常に正しいわけでも、青嶺中央銀行が常に正しいわけでもない。案件に応じて、学んだものを使い分ける必要があります」
「今回の派遣で、それを少し理解できました」
水原からは、瑞央銀行側の一次評価を伝えられた。
「確認力、協調性、企業訪問時の姿勢は良好。特に、指摘を受けた後の修正力が評価されています」
「そこなんですね」
「はい。最初から完璧だったという評価ではありません」
「ちゃんと書かれてるんですね」
「当然です」
「ですよね」
「でも、派遣は完璧な行員だと証明するためのものではありません」
水原は柔らかく微笑んだ。
「学んで戻ってくるためのものです」
「……はい」
◇◇◇
午前十一時。
法人営業第一部内での共有報告。
今度は時間を確認しながら進め、十五分ちょうどで終えた。
「質問」
桐生が口を開く。
「明日から、お前の法人営業は何が変わる?」
創は少し考えて答えた。
「企業の財務資料だけではなく、その会社がどこにあり、周辺に何があり、地域でどのような役割を担っているのかも見るようにします」
「ほかには?」
「青嶺中央銀行の専門部署を使うこと自体を目的にしません」
大型銀行には、多くの専門部署がある。
しかし、専門部署へつなぐことが必ずしも顧客にとって最善とは限らない。
「必要なら使います。必要がなければ、法人営業として自分たちで対応します」
「よし」
桐生が頷いた。
「それなら、派遣へ行った意味があったな」
「ありがとうございます」
◇◇◇
正午。
本店二十一階・社員食堂。
創が食事を持って席へ向かうと、予想外の人数に囲まれた。
「宮嶋、おかえり!」
「瑞央銀行、どうだった?」
「小野寺さんに会った?」
「白石さんは?」
「藤堂蓮もいた?」
「待ってください!」
創は慌てて両手を上げた。
「一人ずつお願いします!」
中小企業金融部の黒瀬颯真・二十七歳が笑う。
「宮嶋、人気者だな」
「全然嬉しくない!」
個人営業企画部の水無瀬琴葉・二十六歳は、落ち着いて周囲を見渡した。
「帰国した人への質問会のようになっていますね」
「国内の地方出張です!」
創を囲んでいたのは、瑞央銀行の行員と個人的なつながりを持つ青嶺中央銀行の行員たちだった。
法人営業第二部の青山慶介・三十四歳。
明るく話好きな法人担当で、趣味は野球観戦と居酒屋巡り。小野寺修平とは高校三年間、同じクラスだった。
「小野寺さん、高校時代はどんな人だったんです?」
「今と同じ。明るくて、うるさい」
「絶対本人に伝えます」
「やめろ!」
地域企業支援部の森川沙織・三十歳。
行動力のある企業支援担当で、趣味はバドミントンとカフェ巡り。白石結衣とは高校時代、地区大会で何度も対戦したライバル同士だった。
「どちらが勝ったんですか?」
「聞かないで」
「白石さんが勝ったんですね」
「聞くなって!」
全国地域銀行連携本部の橋本俊也・三十六歳。
地域銀行との人脈が広く、気さくで面倒見がよい。趣味は自動車旅行。藤堂蓮とは、母親同士が姉妹の従兄弟だった。
「藤堂さん、青嶺本店のことをかなり聞いてきましたよ」
「たぶん俺の影響だな」
「先に教えてくださいよ!」
「お前が瑞央へ行くなんて知らなかったから」
事業承継支援部の中原美紀・三十三歳は、慎重で聞き上手な女性行員。趣味は登山と温泉で、宮坂隆司とは叔父を通じて家族ぐるみの付き合いがあった。
「宮坂さん、大学時代から登山が好きだったの?」
「はい。今も趣味だそうです」
「そこは変わってないのね」
外国為替部の香坂理沙・二十九歳。
為替実務に強く、明るく社交的。趣味はフルート演奏で、瑞央銀行法人営業部の三浦大地とは高校時代の吹奏楽部仲間だった。
「三浦さんはトランペット担当だったの」
「今回は会えませんでした。次に行ったら確認します」
「そこでも確認なのね」
さらに、地域企業支援部の橘陽菜・三十歳、全国地域銀行連携本部の一ノ瀬理央・三十四歳、データ戦略部の秋月真帆・二十五歳、中小企業金融部の藤堂亮介・三十六歳まで加わる。
「何でこんなに、瑞央銀行とつながっている人がいるんですか?」
創が尋ねると、橋本が答えた。
「銀行業界は狭いからな」
「研修や人材交流で知り合うことも多いです」
森川も続ける。
高校の同級生。
部活動の仲間。
親戚。
家族ぐるみの知人。
昨日まで遠い地域の銀行だと思っていた瑞央銀行が、東京へ戻った途端、身近な人間関係を通じてつながっていく。
「本当に、人ってつながってるんですね」
「銀行は特にね」
琴葉が静かに言った。
「だからこそ、親しい相手でも業務情報は話せません」
「そこは本当に大事です」
「小野寺に、宮嶋君がどれだけ緊張していたか聞くのは?」
青山が尋ねる。
「それは聞かなくていいです!」
再び笑いが起きた。
◇◇◇
「瑞央銀行の鷹取頭取にも会った?」
一ノ瀬の質問に、創が頷く。
「はい」
「欧陽頭取と、どちらが緊張した?」
「ぶっ!」
創は味噌汁を噴きそうになった。
「それ、俺も聞きたい」
黒瀬が身を乗り出す。
「比較するものではありません」
琴葉が冷静に止める。
「どちらも緊張します!」
「欧陽頭取の話になると、宮嶋の声が変わるんだよな」
「変わってません!」
「多少変わっています」
「琴葉さんまで!」
その時、食堂入口の空気が変わった。
「頭取だ」
「副頭取もいる」
現れたのは、欧陽璟瑶と久世宗一郎副頭取だった。
第一秘書の劉川景仁と、第二秘書の水城絢乃も同行している。
先日、本店内の現場を回った璟瑶は、役員たちにも可能な範囲で現場へ足を運ぶよう求めていた。
今日は、その実践として久世を社員食堂へ連れてきたのだ。
「私まで同行する必要があるのでしょうか」
久世が小声で尋ねる。
「副頭取にも現場を見ていただくと、お願いしましたよね」
「……覚えております」
「では、席を探しましょう」
歩き始めた二人は、十人以上に囲まれている創を見つけた。
「宮嶋さんですな」
「そうですね」
「ずいぶん人気者だ」
璟瑶は、ほんの少しだけ笑いそうになった。
創の側では、黒瀬が最初に気づいた。
「宮嶋。右」
「右?」
創が顔を向ける。
「……」
近づいてくる璟瑶と久世。
創の箸が止まった。
「宮嶋君、また箸が止まっています」
「止まってない」
「止まっています」
周囲の行員たちが一斉に姿勢を正した。
「お疲れさまです、頭取!」
「そんなに固くならなくて大丈夫です」
久世が横から言う。
「私もおりますよ」
「お疲れさまです、副頭取!」
「先ほどより声が大きい気がしますな」
食堂に小さな笑いが起きた。
璟瑶は創へ視線を向ける。
恋人を見る目ではない。
あくまで、派遣を終えた一行員に対する頭取の表情だった。
「宮嶋さん」
「は、はい!」
「瑞央銀行への派遣は、無事に終了したと報告を受けています」
「はい。昨日帰京し、本日、正式報告を終えました」
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます、頭取」
それだけ。
完璧な頭取と行員だった。
「随分多くの方に囲まれていますな」
久世に言われ、創が答える。
「俺も――あ、私も驚いております」
「今、俺と言いましたね」
「すみません!」
周囲が笑う。
「瑞央銀行に知り合いがいる行員が、予想以上に多かったんです」
青山が高校の同級生、橋本が従兄弟、森川が部活動仲間について説明した。
「それは良いことですね」
璟瑶は周囲を見渡す。
「銀行同士の制度だけでなく、人と人とのつながりもある。ただし、親しい相手であっても、業務情報の線引きは守ってください」
「はい」
全員の返事がそろった。
◇◇◇
璟瑶たちは、少し離れたテーブルへ座った。
璟瑶は焼き魚の和定食。
久世は天丼。
水城は蕎麦。
劉川は日替わり定食を選んでいた。
「宮嶋さんは、思った以上に馴染んでおりますな」
久世が創のテーブルを見る。
「そうですね」
「キャリア採用で、入行してまだ数か月でしょう?」
「はい」
「あれだけ人が集まるのは、本人の性格でしょうな」
「そうかもしれません」
璟瑶は、ほんの少しだけ創を見る。
黒瀬の冗談へ創が突っ込み、琴葉が冷静に補足する。
周囲の行員たちが笑っていた。
(楽しそう)
創が青嶺中央銀行に馴染んでいる。
それだけで嬉しかった。
「頭取」
「何です?」
「先ほどから、宮嶋さんのテーブルをよく見ていませんか?」
「……」
璟瑶は表情を変えなかった。
「派遣第一陣ですから。現場交流が機能しているか気になります」
「なるほど」
(危なかった……)
一方、創のテーブルでは黒瀬がささやいていた。
「宮嶋。頭取、こっち見てなかった?」
「見てない!」
「否定が早い」
「派遣の様子を確認してただけだろ!」
「入行数か月で、頭取に名前を覚えられてるのもすごいよな」
「最終面接にもいたし、派遣第一陣だから!」
「やっぱり頭取の話になると面白い」
「何も面白くない!」
創は心の中で願った。
(早く昼休み、終わってくれ……!)
◇◇◇
午後。
創は通常業務へ戻った。
企業面談記録。
財務分析。
そして、派遣前から担当していた東央精密製作所の一億円の設備投資案件。
「宮嶋」
「はい」
「派遣前と見方は変わった?」
相沢に尋ねられ、創は資料を見ながら答えた。
「変わりました」
「どこが?」
「設備を導入した場合だけでなく、導入しなかった場合も考えたいです」
老朽設備を使い続けた時の故障リスク。
生産能力。
外注費。
従業員への負担。
技能承継。
「それから、会社単体だけでなく、主要外注先、従業員、地域の採用事情も確認したいです」
相沢はゆっくり頷いた。
「なら、次回訪問の質問項目へ入れろ」
「はい」
瑞央銀行で得た学びが、早くも自分の担当案件へつながり始めていた。
◇◇◇
午後六時十二分。
「お先に失礼します」
「お疲れ」
桐生が顔を上げる。
「明日から完全に通常運転だからな」
「今日も通常運転です!」
相沢も言う。
「地下じゃなく、ちゃんと家へ帰れよ」
「え!?」
創の身体が固まった。
「何で地下なんですか!?」
「地下鉄の話だけど」
「あ……」
「何を想像した?」
「何でもありません!」
今日、本当に向かう場所。
本店地下五階。
二人だけの秘密基地。
創は一度本店を出て時間をずらし、璟瑶へ連絡した。
『終わった』
『私も、もう少し』
『地下?』
『うん』
『先に行く』
『待ってて』
◇◇◇
午後六時五十八分。
本店地下五階。
六桁の暗証番号。
四、五、二、一、一、四。
『452114』
第一扉を解除し、行員証で第二扉を開く。
「……」
五日ぶりの秘密基地。
大きなソファ。
テーブル。
テレビ。
小型冷蔵庫。
簡易キッチン。
本棚。
デイベッド。
二つのマグカップ。
創は小さく言った。
「ただいま」
ジャケットを自分の収納へ掛け、瑞央銀行の地域で買った和菓子をテーブルへ置く。
ソファへ座ると、部屋の静けさが際立った。
「一人だと、本当に静かだな……」
午後七時十二分。
扉の電子音が鳴った。
創が立ち上がる。
入ってきたのは、仕事を終えた欧陽璟瑶だった。
四十五歳。
青嶺中央銀行頭取。
だが、創を見た瞬間、その表情は一人の恋人へ変わった。
「……創」
「璟瑶」
創が笑う。
「ただいま」
次の瞬間、璟瑶が早足で近づいてきた。
「え――」
強く抱き締められる。
「創」
「うん」
「……おかえり」
「昨日、電話でも言っただろ?」
「電話とこれは違う」
「そう?」
「違う」
創も璟瑶の背中へ腕を回す。
「じゃあ改めて。ただいま、璟瑶」
抱き締める腕に、さらに力がこもった。
「遅い」
「五営業日だよ」
「長かった」
「一週間も離れてない」
「それでも長い」
「頭取、わがまま」
璟瑶が顔を上げる。
「ここでは?」
「頭取じゃない」
「では?」
「璟瑶」
「よろしい」
璟瑶は創の頬へ触れ、体調や食事、睡眠、怪我の有無を次々に確認した。
「お母さんみたい」
「恋人です」
「分かってる」
「なら、五日分」
「何が――」
唇が重なった。
「んっ……」
一度離れ、もう一度。
「ん……」
今度は先ほどよりも長く、穏やかに唇を重ねる。
創は璟瑶の腰へ腕を回し、璟瑶は創の首へ両腕を添えた。
ようやく離れた二人は、額を軽く合わせる。
「これ、何点?」
「百十点」
「昨日より増えた」
「帰ってきたから」
◇◇◇
「それから、これ」
創が紙袋を差し出す。
「何?」
「お土産」
「私に?」
「うん」
包みの中には、地元の和菓子が入っていた。
「ありがとう」
「大したものじゃないけど」
「創が私のために選んだなら、それでいい」
「そういうもの?」
「そういうものです」
二人は茶を用意し、五日ぶりに二つのマグカップを同時に使った。
創は昼の社員食堂について話した。
小野寺と青山が高校の同級生だったこと。
白石と森川がバドミントン大会で競ったこと。
藤堂蓮と橋本が従兄弟だったこと。
「頭取でも知らなかった?」
「二万五千人の親戚関係まで把握していたら、怖いでしょう?」
「確かに」
「でも、良かったじゃない」
「何が?」
「創が、たくさんの人に話しかけてもらえて」
璟瑶は静かに微笑んだ。
「ちゃんと青嶺中央銀行に馴染んでいる」
「まだ数か月だけどね」
「うん」
「でも俺も、今日少し思った」
「何を?」
「青嶺中央銀行が、帰る場所になってきたって」
以前は、璟瑶が頭取をしている銀行という意識が強かった。
だが今は違う。
「璟瑶の銀行じゃない」
「うん」
「俺が働いている銀行。青嶺中央銀行」
璟瑶の表情が柔らかくなる。
「それでいい。むしろ、その方がいい」
「どうして?」
「私と喧嘩しても、青嶺中央銀行を辞めずに済むでしょう?」
「そこ!?」
「重要です」
「そんな理由で辞めないよ。仕事と恋愛は分けるって、何度も言ってるだろ」
「……成長したわね」
「子ども扱いするな!」
二人の笑い声が、久しぶりに秘密基地へ響いた。
◇◇◇
創は顧客名や具体的な案件情報を伏せ、五日間で得た一般的な学びだけを話した。
会社だけでなく、町を見ること。
投資しないリスクも考えること。
地域銀行の方法には、地域銀行なりの理由があること。
確認資料は、多ければよいわけではないこと。
「何を確認したいのか考えろって、教えてもらった」
「そうね」
「頭取もそう思う?」
「思います。ただし、それを理由に必要な確認まで減らしてはいけません」
「分かってる」
「必要な資料は取る。不要なら取らない。確認する目的を考える」
「うん」
「それだけです」
「やっぱり頭取だ」
「今は?」
「彼女」
「よろしい」
璟瑶は創の肩へ頭を預けた。
「五日間、寂しかった」
「知ってる」
「一人でここへ来た」
「映画も見たんだろ?」
「途中でやめた」
「どうして?」
「創がいなかったから」
創は思わず笑った。
「かわいい」
「四十五歳に、かわいいって言う?」
「駄目?」
「……もっと言って」
「好きなんじゃん」
「創」
「はいはい。かわいいよ」
「もう一回」
「欲張り」
「五日分です」
「終わらないだろ!」
◇◇◇
「そういえば、昨日、前の銀行の同期から連絡が来た」
「東都共栄銀行?」
「うん。同期会をやるらしい」
「何人?」
「八十人」
「……八十?」
「全員が来られるかは分からないけど」
「参加するの?」
「都合が合えば」
「なら、行ってきたら?」
「いいの?」
「なぜ私に許可を求めるの?」
「一応、恋人だから」
「昔の仲間でしょう? 会ってきなさい」
ただし、同期たちからは青嶺中央銀行について質問攻めに遭った。
本店勤務なのか。
法人営業なのか。
待遇はどう変わったのか。
そして。
「頭取を見たことがあるかって聞かれた」
璟瑶が顔を上げる。
「何と答えたの?」
「ある」
「それだけ?」
「その後、どんな人か聞かれた」
「何と?」
「普通に頭取」
璟瑶は声を出して笑った。
「普通に頭取って何?」
「ほかに答えられないだろ!」
「仕事ができる、とか」
「普通すぎる」
「綺麗、とか」
「言えるか!」
「優しい、とか」
「もっと言えない!」
「創のことが大好き、とか」
「絶対に言えるか!」
創の顔が赤くなる。
璟瑶は完全に楽しんでいた。
「同期会へ行くなら、気をつけてね」
「分かってる」
「お酒」
「飲みすぎない」
「顧客情報」
「話さない」
「青嶺中央銀行の内部情報」
「話さない」
「私との関係」
「絶対に話さない!」
「残念」
「残念じゃない!」
創は少し黙り、やがて静かに尋ねた。
「いつか、俺たちのことを話せる日は来るのかな」
銀行では頭取と行員。
誰にも言えない秘密の恋。
「いつか、必要な形で話せる日が来たら」
璟瑶は創の手を握った。
「その時は、二人で考えましょう」
「うん」
◇◇◇
午後八時十五分。
地下五階。
二つのマグカップと、瑞央銀行の地域で買った和菓子。
五日ぶりに同じソファへ並ぶ二人。
「創。今日は帰る?」
「……泊まってほしい?」
「言ってない」
「顔に出てる」
「銀行には泊まりすぎないと決めたでしょう」
「そうだね」
「今日は帰ります」
「偉い」
「子ども扱いしないで」
璟瑶はもう一度、創を抱き締めた。
「では、もう少しだけここにいて」
「いいよ」
「創」
「何?」
「おかえり」
「三回目」
「何度でも言います」
創も璟瑶の背中へ腕を回す。
「ただいま、璟瑶」
「うん」
五日間の地方派遣。
創は瑞央銀行で、新しい仲間と出会った。
青嶺中央銀行へ戻れば、瑞央銀行と意外な形でつながっている行員たちが待っていた。
高校の同級生。
部活動の仲間。
親戚。
銀行と銀行。
人と人。
世界は、創が思っていた以上につながっている。
そして、その中で誰にも知られていない最も深い関係。
青嶺中央銀行頭取、欧陽璟瑶・四十五歳。
法人営業第一部の若手行員、宮嶋創・二十一歳。
銀行では。
「頭取」
「宮嶋さん」
地下五階では。
「璟瑶」
「創」
五日ぶりの秘密基地。
創はようやく、本当の意味で東京へ。
青嶺中央銀行へ。
そして、大切な恋人のもとへ帰ってきたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、瑞央銀行から帰ってきた創の「青嶺中央銀行への帰還」と「璟瑶のもとへの帰還」、二つの意味での“ただいま”を描きました。
まず午前中は、派遣で学んだことを正式に報告。
地域銀行のやり方をそのまま真似するのでもなく、青嶺中央銀行の方法を押しつけるのでもない。
それぞれの強みを、自分の法人営業へどう活かしていくのか。
創は少しずつ、派遣で得たものを自分の仕事へ戻し始めています。
そして昼の社員食堂では、思わぬ人間関係が次々と判明しました。
小野寺と高校の同級生だった行員。
白石と学生時代の部活動で知り合っていた行員。
藤堂の親戚。
宮坂と家族ぐるみでつながっていた行員。
創が五日間過ごした瑞央銀行は、思っていた以上に青嶺中央銀行の人たちともつながっていました。
そんな大勢に囲まれた創を、社員食堂から見ていた璟瑶と久世副頭取。
もちろん昼間は、
「お疲れさまでした、宮嶋さん」
「ありがとうございます、頭取」
ただそれだけ。
恋人同士であることは誰にも見せません。
ですが夜。
地下5階の扉が閉まれば、
「創」
「璟瑶」
へ戻る二人。
五日ぶりに抱き締め合い、創が買ってきたお土産を一緒に食べながら、ようやくいつもの時間が戻ってきました。
そして最後には、東都共栄銀行時代の同期八十人による同期会の話も。
新しい仲間。
昔の仲間。
家族。
そして誰にも言えない恋人。
創を取り巻く人間関係は、少しずつ広がっています。
次回は、以前二人で約束した「家族への紹介」がいよいよ本格的に動き始めます。
二十一歳の息子が連れてくる恋人は、二十四歳年上の中国人女性。
しかも、その正体は――青嶺中央銀行頭取。
創の両親は、いったいどんな反応をするのでしょうか。




