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第24話「地方企業の設備投資――本店から見えない事情がありました」


第24話です。


今回は、創が瑞央銀行で地域企業の設備投資案件へ本格的に関わります。


希望借入額は約一億二千万円。


決算書だけを見ると、利益率の低下や既存借入もあり、簡単には判断できない案件です。


しかし実際に現地を訪れると、


老朽化した設備。

今後退職していく熟練社員。

若手社員の育成。

人手不足。

地域雇用。

主要取引先との関係。


など、本店の数字だけでは分からない事情が見えてきます。


「借りるリスク」だけでなく、「投資しないリスク」もある。


ただし、地域に必要な企業だからという理由だけで融資することもできない。


創は再び、「数字」と「人」の両方を見る難しさに向き合います。


一方その頃、東京の青嶺中央銀行本店では、朝8時45分から経営会議、午後からは重役会議。


璟瑶を中心に十名以上の重役たちが、地域金融や設備投資、大規模融資、人材、システムなどについて議論していました。


離れた場所で、それぞれ同じようなテーマと向き合う創と璟瑶。


地域銀行合同プロジェクト三日目をお楽しみください。



 地域銀行合同プロジェクト、三日目。


 午前八時十分。


 瑞央銀行本店、法人営業部。


「おはようございます」


「おはよう、宮嶋君」


 宮嶋創がフロアへ入ると、小野寺修平・三十四歳はすでに企業ファイルを開いていた。


 隣では、数字の僅かな不整合も見逃さない白石結衣・二十八歳が、財務資料を年度順に整理している。


 少し離れた席には、創と同じく高校卒業後から銀行員になった藤堂蓮・二十三歳。今日の訪問先に関する過去の面談記録を読み込んでいた。


「今日は、いよいよ本格的な融資案件だからな」


 小野寺の言葉に、創が反応する。


「昨日訪問した旭峰精機ですか?」


「いや、今日は別の会社。旭峰精機は設備更新相談の初期段階だけど、今日の会社は具体的な融資相談まで進んでいる」


 渡されたファイルの表紙には、


『株式会社新城テクノ』


 と記載されていた。


 創業五十七年。


 従業員百十二名。


 産業機械向けの精密金属部品を製造し、地域内だけでなく、東海や関東の大手メーカーとも取引している。


 年商は約三十一億円。


 計画しているのは、高性能複合加工機、自動搬送装置、検査システム、工場内ネットワークの更新。


 総投資額は約一億六千万円。


 そのうち四千万円を自己資金で賄い、瑞央銀行へ希望している借入額は約一億二千万円だった。


「一億二千万円……」


「青嶺中央銀行でも、一億円規模の設備融資案件に関わっているんだろう?」


「まだ審査途中ですけどね」


「規模としては近い。ただし、会社が違えば事情も違う」


「分かっています」


 創は決算書を開いた。


 三年前の売上高は二十九億八千万円。


 二年前は三十億九千万円。


 直近は三十一億二千万円。


 売上は僅かに増えているものの、大幅な成長ではない。


 一方、営業利益は一億五千万円、一億二千万円、九千万円と、三期連続で減少していた。


「売上は横ばいなのに、利益が落ちていますね」


「そこが今回の重要な点ね」


 白石が答えた。


「原材料費、電気料金、人件費。そのすべてが上がっています」


 創は貸借対照表と借入金明細へ目を移す。


「既存の長期借入金も、約四億八千万円ある……」


「設備を多く保有する製造業だからね」


「そこへ一億二千万円を追加すると、年間返済額も増える。営業キャッシュフローはプラスですが、余裕が大きいとは言えません」


 小野寺が尋ねる。


「今の資料だけで判断するなら、どう見る?」


「かなり慎重になります」


「理由は?」


「利益が三期連続で減少していること。既存借入が多いこと。新規借入後の返済負担。それに、設備を導入しても売上がすぐ増えるとは限りません」


「正常な反応だよ」


 そこで、現地責任者の宮坂隆司・四十四歳が会話へ入った。


「今日は、その続きを見に行きます」


「続きを?」


「数字の外側です」


 創は前日までに学んだことを思い出した。


 企業の取引先。


 従業員。


 土地と道路。


 採用事情。


 町とのつながり。


「ただし、事情があるから融資するわけではありません」


 宮坂の表情が引き締まる。


「事情を知ったうえで、それでも返済可能なのかを考える。その姿勢を忘れないでください」


「はい」


◇◇◇


 午前九時。


 小野寺、白石、藤堂、創の四人は、営業車で瑞央銀行本店を出発した。


 市街地から離れるにつれ、住宅や商店に代わって倉庫や工場が増えていく。


「この辺りは製造業が多いんですよ」


 藤堂が窓の外を指した。


「工業団地ですか?」


「正式な工業団地ではないけど、昔から工場が集まっている地域です」


 小野寺も説明する。


「新城テクノの仕入先や外注先も、この周辺に何社かあるよ。車で十分から十五分程度の距離だ」


「そんなに近いんですか?」


「地域のサプライチェーンだね」


 創は車窓から見える工場を眺めた。


 東京の本店で企業概要を読んだだけなら、所在地は一行の住所にすぎない。


 だが実際には、その周囲に仕入先、外注先、物流会社、従業員の住む町が存在している。


「住所だけでは分からないな……」


「だから現地を見るんだよ」


◇◇◇


 午前九時四十分。


 株式会社新城テクノ。


「おはようございます。お待ちしていました」


 四人を迎えたのは、代表取締役・新城和臣・五十六歳だった。


 創業者一族の三代目で、取引先との信頼と従業員の雇用を重視する堅実な経営者。穏やかに話すが、設備や技術に関する判断は慎重である。


 趣味は渓流釣りと地元の郷土史研究。休日には古い工場写真や創業当時の資料を整理している。


 その隣には、専務取締役・新城雄大・三十一歳。


 和臣の長男で、生産管理と営業企画を担当する次期社長候補。父よりも新技術やデジタル化に積極的だが、現場の納得を得ずに改革を進めることは避けている。


 趣味はフットサルと業務用機器の展示会巡り。


 さらに、工場長・大村芳樹・五十一歳と、経理部長・柴田美紀・四十六歳も出席していた。


 大村は新城テクノで三十年近く製造現場を支えてきた職人気質の人物。寡黙だが若手育成には熱心で、趣味は木工と工具の手入れ。


 柴田は資金繰りと原価管理を担う冷静な実務家で、楽観的な売上予測には必ず根拠を求める。趣味は家庭菜園と推理小説だった。


「青嶺中央銀行の宮嶋です。本日はよろしくお願いいたします」


「二十一歳だったね?」


「はい」


「若いなあ」


「もう何回言われたか分かりません」


 創の返答に新城社長が笑い、会議室の緊張も少し和らいだ。


◇◇◇


 机の上には、設備投資計画書と見積書が並べられた。


 高性能複合加工機、二台。


 自動搬送装置。


 検査システム。


 工場内ネットワーク更新。


 総額約一億六千万円。


「今回の投資目的は、生産能力の増強でしょうか?」


 白石が尋ねた。


「それもあります」


「最も大きな目的は?」


 新城社長は、隣にいる雄大へ目を向けた。


「人です」


「人?」


 創が聞き返す。


「うちは、若手をなかなか採用できません」


 新城専務が説明を始めた。


「従業員は百十二名ですが、平均年齢は四十六・八歳です」


「十年前は?」


「四十歳程度でした」


「六歳以上、上がっている……」


「今後五年間で、技能職を中心に十七名ほどが退職する可能性があります」


「十七名……」


 同じ人数を新たに採用できる保証はない。


 特に、製造業の技能職を希望する若者は減っている。


「新しい加工機なら、一人で複数の工程を担当できます」


 新城専務が続ける。


「自動搬送を導入すれば、夜間の無人運転も可能になる。検査工程も一部自動化できます」


「売上を大きく増やすためだけではない」


「はい。今後、従業員が減っても生産を維持することが重要です」


 創は決算書へ目を落とした。


 資料だけを見ていた時に見えたのは、一億二千万円の借入、利益率低下、既存借入だけだった。


 しかし、設備を導入しなければどうなるのか。


 技能者の退職。


 採用難。


 生産能力の低下。


 受注を断る可能性。


 売上の減少。


「設備を入れないことにも、リスクがある……」


 創が呟く。


「そこだね」


 小野寺が反応した。


「設備融資には、借りるリスクだけでなく、投資しないリスクもある」


 創はすぐにメモ帳へ書いた。


『投資しない場合のリスク』


 青嶺中央銀行本店で一億円案件へ向き合った時には、まだ十分に持てていなかった視点だった。


◇◇◇


「工場もご覧になりますか?」


 新城社長から提案され、四人は製造現場へ移動した。


 工場内には加工機、旋盤、検査装置が並び、大きな機械音が響いている。


「こちらが今回の更新対象です」


 大村工場長が示したのは、導入から十七年が経過した加工機だった。


「まだ稼働はしています。ただ、メーカーによる補修部品の供給が終わり始めています」


「故障しても修理できなくなる可能性がある?」


「はい。昨年度だけで五回停止しました」


「最長の停止期間は?」


「三日です」


「その間の生産は?」


「別の設備へ振り替えました。残業と外注も増えています」


 創も質問した。


「外注費は、どの程度増えましたか?」


 柴田経理部長が答える。


「昨年度は、前年より約千二百万円増えています」


「決算書にあった外注費の増加……。原材料価格だけが原因ではなかったんですね」


「そうです」


 数字そのものは変わっていない。


 だが、現場を見ることで数字の意味が変わった。


 老朽設備が停止する。


 ほかの設備へ生産を振り替える。


 残業が増える。


 外注が必要になる。


 その結果が、決算書の費用増加として表れていた。


◇◇◇


 工場の奥では、若い男性従業員が測定機器を使用していた。


「彼は昨年入社した社員ですよね?」


 小野寺が尋ねる。


「よく覚えていますね。地元の工業高校を卒業して入社しました」


 創は興味を持った。


「少し話を聞いてもよろしいですか?」


「もちろんです」


 若手従業員の名は、松永颯太・十九歳。


 地元工業高校を卒業後、新城テクノへ入社した二年目の技能職社員である。素直で向上心が強く、新しい技術を積極的に覚えようとしている。


 趣味は動画撮影とプラモデル。細かな部品を組み立てることが好きで、その器用さは仕事にも表れていた。


「初めまして。青嶺中央銀行の宮嶋です」


「よろしくお願いします」


「俺も高校を卒業して、すぐ銀行へ入りました。今、二十一歳です」


「年齢、近いですね」


 松永が少し笑った。


「新しい設備が導入されると聞いていますか?」


「はい。楽しみにしています」


「操作は難しそうではありませんか?」


「メーカー研修へ行かせてもらえる予定です」


「将来、その設備を担当したい?」


「したいです」


「どうして?」


 松永は少し考えた。


「今の先輩たちみたいな技術者になりたいです。でも、先輩たちが何十年もかけて覚えたことを、同じように全部覚えるには時間がかかります」


「はい」


「新しい設備なら、俺たちの世代でも早く戦力になれるって聞きました。だから、しっかり覚えたいです」


 一億二千万円。


 資料では、ただの融資希望額だった。


 しかし、その向こうには十九歳の若手従業員の未来もある。


「新設備導入後は、松永を含む若手六名へ重点的に研修を受けさせます」


 大村工場長が説明した。


「熟練者の作業方法や判断基準も、可能な限り数値化して残したいと考えています」


「技能承継ですね」


「そうです」


「単純に人を減らすための省人化ではない……」


「はい」


 新城専務が答えた。


「人を減らすためではありません。人が減っても、この地域で仕事を続けられる会社にするためです」


◇◇◇


 工場を出たあと、新城社長は敷地の裏手にある少し古い建物を示した。


「あちらが第二工場です。新設備は、そちらへ設置する予定です」


「第一工場と第二工場の間で、従業員の配置換えもありますか?」


「一部あります」


「従業員の方は、地元出身者が多いのでしょうか?」


「八割以上が、この町か隣の市に住んでいます」


「ご家族も?」


「地域で暮らしている人が多いですね」


 創は再び、一億二千万円という数字の先を考えた。


 従業員百十二名。


 その家族。


 近隣の飲食店。


 スーパー。


 住宅。


 学校。


 取引先。


 会社がこの地域に残ることは、雇用だけでなく、町全体へ影響する。


 しかし、創は自分自身へ言い聞かせた。


(だから融資する、ではない)


 地域に必要な会社だから。


 従業員と家族の生活を守りたいから。


 それだけで返済できない融資を行えば、企業にも銀行にも、最終的には地域にも大きな負担を残す。


 人を見る。


 同時に、数字を見る。


 両方が必要だった。


◇◇◇


 会議室へ戻ると、創は設備導入後の売上計画について質問した。


「計画では、三年後の売上高を約三十五億円としています。現在の約三十一億円から、四億円程度増加する根拠を確認させてください」


 新城専務が資料を差し出す。


「既存取引先四社から、増産要請があります」


「正式発注ですか?」


「二社は契約済み。残り二社は内示です」


「数量と単価、開始時期はこちらですか?」


「はい」


 創は資料を確認する。


「内示分をゼロとして計算した場合の計画はありますか?」


「作成しています。その場合、三年後の売上高は約三十三億円です」


「返済余力は?」


 柴田経理部長が答える。


「返済は可能ですが、計画より余裕が小さくなります」


「原材料費がさらに上昇した場合は? 人件費増加や金利上昇も――」


「宮嶋君」


 小野寺に止められた。


「全部を一度に聞くと、社長たちも答えにくいよ」


「あ……申し訳ありません」


 しかし、新城社長は笑った。


「構いません。銀行なら気になるでしょう」


「はい」


「むしろ、悪い条件まで見てもらった方がいい。設備を入れて、返済できなくなったら困るのは、銀行だけではありません」


「新城テクノさん自身も困る」


「そういうことです」


 創は、その言葉をしっかりと覚えた。


 融資審査は、銀行が自分たちを守るためだけに行うものではない。


 無理な借入によって企業が苦しくなることを防ぐ意味もある。


◇◇◇


 訪問を終えたあと、小野寺は瑞央銀行本店へ戻る前に寄り道をした。


「どこへ行くんですか?」


「宮嶋君に、町を見せたい」


 新城テクノから車で約十分。


 小さな商店街があった。


 スーパー。


 飲食店。


 薬局。


 クリーニング店。


 自動車整備工場。


 銀行ATM。


 少し先には小学校も見える。


「この周辺には、新城テクノの従業員が多く住んでいる」


 小野寺が説明した。


「この居酒屋は、会社の忘年会で利用されている。このスーパーにも、従業員や家族が買い物に来る」


「はい」


「向こうの自動車整備工場は取引先。制服のクリーニングを請け負っている店も、この近くにある」


「一つの会社が、町のいろいろな場所につながっている……」


「もし新城テクノが事業を縮小したら、影響は会社の中だけで終わると思う?」


「いいえ。雇用が減る。この地域で使われるお金も減る。取引先にも影響する。場合によっては、人口流出にもつながる」


「そうだね」


「だから、地域銀行は企業を支援する」


「それもある。ただし、地域に必要だから無理に融資するわけではない」


「銀行まで危なくなれば、地域全体へ影響しますから」


「その通り」


 地域企業を支えること。


 返済可能性を冷静に判断すること。


 二つは対立するものではない。


 地域を本当に支えるためにこそ、無理のない融資を考えなければならなかった。


◇◇◇


 午後一時。


 瑞央銀行本店で、株式会社新城テクノの案件検討会が始まった。


 出席者は宮坂、小野寺、白石、藤堂、創。


「宮嶋さん。現時点で、新城テクノをどう見ますか?」


 宮坂に問われ、創は資料を開いた。


「決算数字だけを見るなら、慎重に判断すべきだと思います」


「理由は?」


「三期連続の利益率低下、約四億八千万円の既存借入、今回の一億二千万円の追加借入、設備導入後の返済負担。そして、売上計画の一部が内示に基づいている点です」


「その評価は、現地を見ても変わりませんか?」


「変わりません」


「いいですね。続けてください」


「ただし、設備を導入しなかった場合のリスクも大きいと分かりました」


「具体的には?」


「老朽設備の故障と補修部品の供給終了。停止に伴う外注費や残業の増加。今後五年間で技能職十七名程度が退職する可能性。若手採用の難しさ。技能承継。そして既存取引先からの増産要請です」


「はい」


「一億二千万円を借りるリスクと、投資しないリスク。その両方を比較する必要があります」


 宮坂が頷いた。


「地域雇用を守るために融資すべきだと思いますか?」


「それだけを理由にはできません」


「なぜ?」


「返済できない融資をすれば企業の負担になります。銀行にも損失が出て、結果的に地域にも悪影響を及ぼします」


「その通りです」


 小野寺が尋ねる。


「では、今後何を確認する?」


「正式受注分だけで返済できるかを検証します」


「ほかには?」


「売上の下振れケース、設備導入後に増える運転資金、外注費削減効果、人件費上昇、金利上昇、既存借入を含めた年間返済額」


「いいね」


「それから、すべての設備を一括導入する必要があるのかも確認したいです」


 白石が顔を上げる。


「段階的な導入?」


「はい。第一段階と第二段階へ分ければ、初期の借入負担を抑えられる可能性があります」


「宮嶋さん」


 宮坂が少し笑った。


「青嶺中央銀行で一億円案件に悩んだ経験が、きちんと活きていますね」


「少しは成長したでしょうか」


「俺も同じことを思った」


 藤堂が言った。


「初日の宮嶋なら、『一億二千万円を返せますか』だけだったかもしれない」


「お前、俺の初日を知らないだろ」


「小野寺さんから聞いた」


「どうして共有されてるんですか!」


「成長を比較するための教材だよ」


「勝手に教材にしないでください!」


 会議室に笑い声が広がった。


 しかし、その後は全員が真剣に案件へ向き合った。


 返済計画。


 資金繰り。


 設備導入スケジュール。


 自己資金。


 担保と保証。


 補助金の利用可能性。


 設備の段階的導入。


 瑞央銀行単独での融資。


 青嶺中央銀行との共同融資。


 専門部署による支援。


「宮坂さん。瑞央銀行単独での貸出集中を避ける必要がある場合、青嶺中央銀行との共同融資も考えられますか?」


「可能性はあります」


「一億二千万円という金額でも?」


「共同融資にするかどうかは、金額だけでは決めません」


 宮坂は説明した。


「企業との取引関係、瑞央銀行側の与信バランス、企業にとっての利点、青嶺中央銀行の専門機能を利用する必要性。複数の要素を見て考えます」


「分かりました」


 創は、青嶺中央銀行本店の三十六階から三十九階で聞いた説明を思い出した。


 地域銀行の強み。


 青嶺中央銀行の強み。


 互いに足りないものを補い、必要な支援を組み立てる。


 その意味を、実際の融資案件として理解し始めていた。


◇◇◇


 同じ日の午前八時三十分。


 東京、大手町。


 青嶺中央銀行本店四十二階、頭取室。


「本日午前八時四十五分より経営会議です」


 第一秘書・劉川景仁が説明する。


「出席者は?」


「頭取、副頭取、専務、常務、取締役、担当執行役員を含め十二名です」


 第二秘書・水城絢乃が議題を読み上げた。


 国内法人部門の月次収益。


 地域銀行連携。


 信用リスク。


 人材配置。


 中国・東アジア事業。


 デジタル金融投資。


 来年度中期経営計画。


「分かりました」


◇◇◇


 午前八時四十五分。


 本店四十階、経営会議室。


 出席者は十二名。


 頭取・欧陽璟瑶、四十五歳。


 副頭取・久世宗一郎、五十七歳。


 専務取締役兼人事担当・御子柴泰成、五十五歳。


 常務取締役兼法人営業部門統括・黒崎忠彦、五十六歳。


 国内法人営業を三十年以上経験し、大企業から中小企業まで幅広い案件を扱ってきた。豪快に見えるが、融資判断では保守的。趣味は野球観戦と蕎麦店巡り。


 常務取締役兼市場部門統括・早乙女慶一、五十四歳。


 債券、為替、資金運用の専門家で、急激な市場変動にも冷静。無口だが、発言には数字の裏付けを必ず求める。趣味はジャズ鑑賞とワイン。


 取締役・榊原征司、五十二歳。


 人事担当役員・長谷部章一、五十四歳。


 執行役員兼経営企画部長・秋元康成、五十歳。


 中期経営計画と全行戦略を担当する論理派で、複雑な議題を簡潔に整理することに長ける。趣味は読書と長距離ウォーキング。


 執行役員兼リスク統括部長・水谷征吾、五十三歳。


 信用、市場、オペレーショナルリスクを横断して管理する慎重な人物。最悪の場合を想定するが、過度な萎縮も嫌う。趣味は将棋と家庭菜園。


 執行役員兼国際部門担当・陳高明、四十九歳。


 中国出身で、日本語、中国語、英語を使いこなす国際金融の専門家。温厚だが交渉では粘り強い。趣味は中国茶と古典映画。


 執行役員兼デジタル金融担当・相馬玲二、四十七歳。


 銀行システムとフィンテック部門で経験を積んだ改革派。新技術に積極的だが、安全性を軽視することはない。趣味は電子工作とサイクリング。


 青嶺FGグループ経営管理担当・武藤英明、五十一歳。


 地域銀行各行の経営支援と統合管理を担当。相手の事情を聞きながら着地点を探す調整型で、趣味は料理と地方の市場巡り。


「それでは、経営会議を始めます」


 璟瑶の言葉で、会議が始まった。


 最初の議題は国内法人部門。


「製造業の設備資金需要が、引き続き増加しています」


 黒崎常務が説明する。


「地域別の傾向は?」


「地方圏でも、更新投資が増えています」


「主な理由は?」


「設備の老朽化、人手不足、省人化、脱炭素対応、生産性向上です」


 地方企業の設備投資。


 奇しくも、今まさに創が瑞央銀行で向き合っているテーマだった。


「省人化投資を、人員削減だけで評価しないでください」


 璟瑶が言った。


「人手不足の地域では、生産維持、技能承継、従業員の負担軽減など、複数の目的があります」


「承知しました」


 久世副頭取も意見を述べる。


「設備を導入しなかった場合の事業継続リスクも見る必要がありますな」


「そうですね」


 璟瑶が頷く。


「借入額が増えることだけをリスクと考えない。投資しないことにもリスクがあります」


 遠く離れた瑞央銀行で、創が今日たどり着いた考えとほとんど同じだった。


 しかし、二人とも互いが同じことを考えているとは知らない。


◇◇◇


 午前九時三十分。


 水谷リスク統括部長から、中小企業向け与信のストレス検証が報告された。


 金利上昇。


 原材料価格の高騰。


 人件費増加。


 売上減少。


「貸出が増加している局面ほど、入口の審査を弱めないでください」


 璟瑶は言う。


「ただし、すべての企業への融資を一律に絞るのも違います」


「はい」


「企業ごとに事情を見る。地域ごとの産業構造も見る。そのうえで判断してください」


「承知しました」


 午前十時十五分。


 全国地域銀行連携本部から、瑞央銀行、東和創信銀行、日栄未来銀行、京浜栄信銀行、東雲中央銀行などとの連携状況が報告された。


「若手合同プロジェクト第一陣は?」


 久世副頭取が尋ねる。


「瑞央銀行で、本日三日目を迎えています」


「進捗は?」


「現時点で問題報告はありません」


 璟瑶は何も尋ねない。


 創が今どの企業へ行き、何を見ているのか。


 頭取権限を使えば調べられる。


 しかし、あえて聞かない。


「派遣終了後の評価は、瑞央銀行側、所属部署、本人報告を統合して行います」


「それで結構です」


 午前十一時。


 御子柴専務から、地域銀行人材交流の第二陣候補者が報告された。


「第一陣の結果を確認してから最終決定してください」


「承知しました」


「一名の成功だけで制度拡大を決めない。反対に、一名の失敗だけで制度そのものを止めない。個人ではなく、制度として評価します」


「はい」


◇◇◇


 午後一時三十分。


 経営会議よりもさらに経営判断へ踏み込む重役会議が始まった。


 主な議題は五つ。


 全国地域銀行共同融資枠。


 地域製造業設備更新支援制度。


 中国・東アジア金融戦略。


 次年度システム投資。


 人材配置及び次世代幹部育成。


「地域製造業から、設備老朽化に関する相談が増えています」


 秋元経営企画部長が報告する。


「共同融資枠を増やすだけでは不十分です」


 璟瑶は資料を閉じた。


「なぜ設備が必要なのか。導入後にどうなるのか。導入しなければどうなるのか。そこまで見なければなりません」


「地域銀行側が持つ情報が重要になりますね」


 黒崎常務が言う。


「その通りです。本店の財務データだけでは見えないものがあります」


「地域銀行から受け取る定性的な情報を、審査資料へ明確に反映する運用を検討します」


 武藤が提案する。


「ただし、定性的な情報を感情論にしない仕組みが必要です」


 榊原取締役が指摘した。


「そうですね」


 璟瑶も同意する。


「『地域に必要な企業だから融資する』のではありません」


「はい」


「地域に必要な企業だからこそ、返済可能性を慎重に見極める。それが必要です」


 創が瑞央銀行で学んだことと、重役会議で導かれた結論は同じだった。


◇◇◇


 午後二時四十分。


 陳高明から、中国・東アジアにおける日系製造業の設備投資について報告された。


「円安の影響で、設備価格が上昇しています」


「現地法人だけでなく、日本本社との資金関係も確認してください」


「はい」


 午後三時二十分。


 相馬玲二から、数百億円規模となる地域銀行共同システム第二期投資について説明が行われた。


「共通化率だけを成果指標にしないでください」


 璟瑶が注意する。


「現場での使いやすさ、障害発生時の対応、地域銀行側の教育費用、安全性。そのすべてを含めて判断します」


「承知しました」


 午後四時。


 御子柴専務が若手派遣制度について触れた。


「第一陣の宮嶋さんを含め、今後は派遣者を複数へ拡大できると考えています」


 創の名前が出た。


 それでも璟瑶は表情を変えない。


「第一陣の正式評価前です。先に拡大を決めないでください」


「承知しました」


「ただし、地域銀行側の若手行員を青嶺中央銀行へ受け入れる枠も、同時に検討してください」


「双方向の交流ですね」


「当然です。こちらだけが学ばせるという考え方にしてはいけません」


「はい」


 午後五時十分。


 重役会議が終了した。


「長い一日でしたな」


 久世副頭取が席を立つ。


「まだ本日の予定は終わっていません」


 璟瑶が資料を閉じる。


「頭取は、あと何件残っています?」


 御子柴専務が尋ねた。


「三件です」


「……頭取が一番働いておりますな」


「皆さんも同じでしょう?」


「年齢を考慮していただきたい。私は五十七歳です」


「私は四十五歳ですから、十二歳差ですね」


「数字で追い打ちをかけないでください」


 会議室に小さな笑いが広がった。


 その後、璟瑶は頭取室へ戻り、決裁、海外拠点からのメール、人事資料、役員報告を確認した。


 すべて終わったのは、午後七時だった。


◇◇◇


 同じ頃。


 瑞央銀行での案件検討を終えた創へ、小野寺が声をかけた。


「今日、どうだった?」


「昨日より難しかったです」


「何が?」


「数字だけを見れば慎重になる。でも現場を見ると、設備投資の必要性が分かる。地域の雇用にも関係する」


「うん」


「でも、だから融資していいわけでもない。その全部を同時に考えるのが難しいです」


「それが銀行員の仕事だよ」


「ですね」


 小野寺が笑った。


「少しずつ分かってきたじゃないか」


「まだ全然です」


「そのくらいでいい」


 藤堂も近づいてきた。


「宮嶋。今日は俺も勉強になった」


「地元の銀行員なのに?」


「地元にいても、知らないことはたくさんあるよ」


「それもそうか」


「銀行員って、ずっと勉強する仕事なんじゃない?」


「二十三歳がいいこと言った」


「二十一歳に言われたくない」


 二人は顔を見合わせて笑った。


◇◇◇


 午後七時四十分。


 ホテルの部屋。


 創は三日目の出張日報を作成した。


『設備投資案件では、借入後の返済リスクだけでなく、設備投資を行わなかった場合の事業継続リスクも確認する必要があることを学んだ。』


『現地訪問により、老朽設備の停止、補修部品の供給終了、技能者の退職、人材採用難、技能承継など、決算書だけでは把握しにくい事情を確認した。』


『一方、地域雇用や企業の重要性だけを理由に融資判断を行うべきではない。返済可能性、事業計画、下振れケース、既存借入、運転資金を冷静に確認する必要がある。』


『地域銀行が持つ定性的な情報と、青嶺中央銀行の専門機能を組み合わせる意味を、さらに理解することができた。』


 誤字。


 記載した数字。


 送信先。


 顧客情報の取り扱い。


「……確認」


 問題がないことを確かめ、日報を送信した。


 続いて私用のスマートフォンを見る。


 璟瑶からメッセージが届いていた。


『終わった?』


『今終わった』


『今日はどうだった?』


『難しかった』


『仕事のこと?』


『うん。具体的な内容は話せない』


『なら聞かない』


 いつもと同じだった。


 創は、案件を特定できない一般論だけを送った。


『設備投資って、借りるリスクだけじゃないんだな』


 少し間を置いて返信が来る。


『投資しないリスクもある、ということ?』


「……何で分かるんだよ」


『なんで分かるの?』


『頭取ですから』


『怖い』


『失礼ね』


 創はホテルのベッドに腰を下ろし、笑った。


『でも、だからといって人情だけでは融資できない』


『そうね』


『今日、私も会議で似た話をしていたわ』


『青嶺中央銀行本店でも?』


『うん。扱う規模は違うけど』


『同じ銀行なんだな』


 璟瑶は、その言葉をしばらく見つめた。


『そうね』


『瑞央銀行も、青嶺中央銀行も』


『地域銀行も、大手銀行も』


『数字の大きさは違っても、最後は企業と人を見る』


『うん』


 そして。


『今日も頑張ったね』


『彼女評価?』


『今日は百点』


『減点なし?』


『少し会いたいから九十五点』


『また俺と関係ない理由』


『彼女評価です』


『帰ったら五点を返してください』


『抱き締めたらね』


『キスしたら?』


 数秒後。


『百二十点』


『増えすぎ』


『特別サービス』


 創はホテルで笑った。


◇◇◇


 東京の青嶺中央銀行本店四十二階。


 地方の瑞央銀行。


 二人のいる場所は離れている。


 見ている企業の規模も、会議の大きさも、組織上の立場も違う。


 四十五歳の頭取。


 二十一歳の若手行員。


 それでも今日、仕事の中で二人が考えていたことは、不思議なほど近かった。


 設備投資によって生じる借入リスク。


 設備投資を行わないことで生じる事業継続リスク。


 地域の雇用。


 技能承継。


 企業の将来。


 返済可能性。


 人と数字。


 その両方を見る。


 地域銀行合同プロジェクト三日目。


 宮嶋創は、一億二千万円という数字の向こう側に、老朽化した設備、退職を迎える熟練者、十九歳の若手従業員、家族、取引先、そして地域の未来を見た。


 東京の本店で決算書だけを眺めていたなら、きっと見えなかったもの。


 地方企業の設備投資には、本店の数字だけでは分からない事情が、確かに存在していた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、地方企業の設備投資について、創がさらに深く学ぶ回となりました。


決算数字だけを見ると、


利益率低下。

既存借入。

追加借入約一億二千万円。

返済負担。


など、不安材料も多い案件。


しかし現地へ行ったことで、創は別の側面も知りました。


設備を更新しなければ故障リスクが高まる。

熟練社員が今後退職していく。

若手採用も簡単ではない。

技能承継も必要。

設備を入れなければ、将来的に受注そのものを維持できなくなる可能性がある。


つまり、


「設備投資をするリスク」


だけではなく、


「設備投資をしないリスク」


もあるということです。


それでも、人情だけで融資することはできません。


地域雇用を守りたいから。

若手社員を育てたいから。

地域に必要な会社だから。


それだけではなく、返済可能性や事業計画、下振れケース、運転資金まで冷静に確認する。


創はまた一つ、法人銀行員として大切な視点を学びました。


そして同じ頃。


青嶺中央銀行本店では、朝8時45分から経営会議、午後には重役会議が行われていました。


璟瑶をはじめとする十名以上の重役たちも、


設備投資。

人手不足。

技能承継。

地域銀行との共同融資。

信用リスク。


について議論。


創が一社の地方企業を見ている一方で、璟瑶は銀行全体から同じ問題を見ている。


立場も規模も違いますが、二人が辿り着いた考えはよく似ていました。


次回は、提出された資料の中に小さな違和感が。


創が培ってきた「確認」の力が、地域銀行で再び大きな意味を持つことになります。


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