第23話「地域銀行の法人営業――社長の数字だけじゃなく、町まで知っている」
第23話です。
今回は、創が瑞央銀行の法人営業担当者たちと一緒に、本格的な企業訪問へ向かいます。
食品会社。
物流会社。
製造会社。
三社を回る中で創が驚いたのは、地域銀行員が知っている情報の深さでした。
決算書や売上だけではありません。
社長。
従業員。
取引先。
後継者。
採用事情。
道路。
土地。
町の人の流れ。
企業一社ではなく、その会社が存在する「地域そのもの」を見ている瑞央銀行。
青嶺中央銀行とは違う、地域に根付く銀行の強さを創が実感していきます。
一方、東京の42階では璟瑶も、巨大な融資案件や海外金融、地域銀行連携など、頭取として多忙な一日を過ごしています。
離れた場所で、それぞれ違う規模の「銀行の仕事」と向き合う二人。
派遣二日目をお楽しみください。
翌朝、午前八時十五分。
瑞央銀行本店、法人営業部。
「おはようございます」
「おはよう、宮嶋君」
宮嶋創がフロアへ入ると、小野寺修平・三十四歳はすでに本日の訪問予定を確認していた。
その隣では白石結衣・二十八歳が企業資料を整理し、少し離れた席には、創と同じく高校卒業後から銀行員になった藤堂蓮・二十三歳が座っている。
「宮嶋、おはよう」
「おはようございます」
「昨夜は眠れた?」
「普通に眠れました」
「緊張して寝られないかと思った」
「そこまでじゃないですよ」
「でも、今日の方が緊張するぞ」
「え?」
藤堂が楽しそうに笑った。
「企業訪問、三社だから」
「三社!?」
「午前二社、午後一社」
「それは聞いてないんだけど」
小野寺が振り返る。
「昨日言ったよ。朝から二社、午後は製造業って」
「聞きましたけど、『三社』と改めて言われると重みが違います」
「結局、同じだろ」
「気持ちの問題です」
白石も笑った。
「宮嶋君、今日も緊張していますね」
「実際のお客様へ会うんですから、緊張しますよ」
「それは悪いことではありません。緊張感がなさすぎる方が危ないですから」
創は自分に用意された席へ座り、本日の予定表を開いた。
一社目、株式会社北条食品。
地域の農産物を使用した加工食品を製造する会社。
二社目、丸川物流株式会社。
地域内を中心に物流網を持つ中堅企業。
三社目、旭峰精機株式会社。
精密部品と産業機械部品を製造する地域企業。
「食品、物流、製造……業種が全部違いますね」
「地域銀行では珍しくないよ」
小野寺が答えた。
「担当者を業種ごとに完全に分けないんですか?」
「得意分野はあるけど、地域や支店単位で担当する場合も多い。だから、いろいろな業種のお客様を見ることになる」
「食品も物流も製造業も、全部詳しくならないといけない?」
「すべてを専門家と同じ水準で知る必要はない。ただし、その会社が何で利益を得て、誰へ商品やサービスを提供し、何に困っていて、どこにリスクがあるのかは理解しないといけない」
「分かりました」
◇◇◇
午前八時四十分。
朝の打ち合わせでは、地域企業支援チーム責任者・宮坂隆司・四十四歳が前へ立った。
「本日は宮嶋さんにも三社すべてへ同行していただきます」
「はい」
「一社目と二社目は通常の業況確認。三社目の旭峰精機からは、設備更新に関する相談が出ています」
「設備投資……」
創の表情が変わった。
法人営業第一部で関わっている、株式会社東央精密製作所の一億円設備融資案件と共通する部分があるかもしれない。
しかし、宮坂はすぐに注意した。
「青嶺中央銀行で経験した案件と似ているところもあるでしょう。ただし、同じように考えないこと」
「はい。会社が違えば、似た数字でも事情は異なります」
「その通りです」
宮坂は穏やかに頷いた。
「今日、特に見てほしいのは、決算書に記載されていない情報です」
「決算書にない情報……」
「実際に企業へ行けば分かります」
創はその言葉をメモ帳へ書き留めた。
◇◇◇
午前九時十五分。
一社目、株式会社北条食品。
創は小野寺、白石とともに本社を訪れた。
受付へ入ると、女性社員がすぐに小野寺へ笑顔を向ける。
「あ、小野寺さん。おはようございます」
「おはようございます。北条社長はいらっしゃいますか?」
「会議室でお待ちです」
約束の時間や訪問者について、きちんと話が通っている。
会議室で待っていたのは、代表取締役・北条恒之・五十二歳。
地元農家との契約や新商品の開発に力を入れ、地域の農産物を全国へ広めたいと考えている経営者である。朗らかで冗談も多いが、原材料の品質と食品表示には非常に厳しい。
趣味は料理と朝市巡り。休日には自ら地元の市場へ足を運び、商品に使えそうな野菜や果物を探している。
「小野寺君、おはよう」
「おはようございます」
「そちらが青嶺中央銀行の方?」
「初めまして。青嶺中央銀行法人営業第一部の宮嶋創です」
「宮嶋さん、若いね」
「本日一回目です」
「何が?」
「『若い』と言われた回数です。昨日は何度も言われました」
北条社長が楽しそうに笑った。
「まあ、若いことは悪いことじゃない。よろしく」
「よろしくお願いいたします」
北条食品の売上高は約十二億円。
地元産の野菜や果物を使用した加工食品を、スーパー、百貨店、土産物店、飲食店、通信販売を通じて販売している。
主要な仕入先は地元農協や契約農家。
販売先には地域の食品卸だけでなく、全国チェーンも含まれていた。
「売上高、前年より伸びましたね」
小野寺が決算資料へ目を落とす。
「通信販売が好調でね」
「例の新商品ですか?」
「そう」
「駅前店でも売れていましたよ。昨日、買いました」
「銀行員が一個買って、売上へ貢献したつもりか?」
「一個でも売上は売上です」
創は少し驚いた。
(取引先の商品を、実際に買っているんだ……)
小野寺は商品の存在だけでなく、どこで販売され、消費者からどのような反応を得ているかまで把握しようとしていた。
「ただ、原材料費がかなり上がっていますね」
「そこが厳しい」
「価格転嫁は?」
「一部だけだ。全部を値上げしたら、売れなくなる可能性もあるからね」
「スーパー向けは交渉中ですか?」
「南光ストアさんと話している」
「先方も、価格改定の必要性自体は理解していると聞いています」
創は思わず口を挟んだ。
「取引先側の事情まで把握しているんですか?」
「南光ストアも瑞央銀行の取引先だからね」
もちろん、別の企業から得た機密情報を漏らしているわけではない。
公開情報、地域の景況感、業界全体の動き、日々の営業活動から得た一般的な傾向。
小野寺は、そうした情報を頭に入れたうえで話していた。
「瑞央銀行さんは、うちより取引先の事情を知っている時があるんですよ」
北条社長が笑う。
「それは困りませんか?」
「むしろ話が早い。ただし、話していいことと駄目なことを分けてくれているから信用できる」
そこへ小野寺が、創へ質問を投げた。
「宮嶋君。北条食品の決算を見て、何が気になった?」
「……売上高は伸びていますが、売上総利益率が下がっています」
「理由は?」
「原材料費、包装資材、物流費の上昇。それから人件費も影響していると思います」
「全部上がっているよ」
北条社長が苦笑した。
「ただ、通信販売の売上が伸びています」
創は続ける。
「店舗や卸売向けより通信販売の利益率が高いのであれば、販路構成の変化によって、将来的に利益率を改善できる可能性もあると思いました」
「いいところを見るね」
小野寺が少し笑った。
しかし、北条社長は別の問題を示した。
「通信販売が増えると、発送業務も増える」
「梱包する人や倉庫が必要になる?」
「そう。売れれば何もかも解決するわけじゃないんだ」
売上増加は、一見するとよいことに見える。
だが、受注や販売量が増えれば、梱包、在庫、倉庫、物流、人員といった新たな負担も生じる。
「社長。以前お話しされていた倉庫の増床は、どうしますか?」
小野寺が尋ねた。
「まだ迷っている。旧山本工業の跡地も考えているんだが」
「あの場所は道路が狭いですよ」
「そうなんだよ」
「大型トラックの出入りは難しいかもしれません。別の候補地も探しますか?」
「瑞央銀行の不動産部門に相談できる?」
「確認してみます」
創は驚いていた。
財務資料や登記上の所在地だけでは分からない。
小野寺は候補地周辺の道路幅や、物流上の問題まで知っている。
訪問を終え、車へ戻ったあと、創はすぐに尋ねた。
「旧山本工業の跡地を、どうして知っていたんですか?」
「以前、瑞央銀行と取引していた会社だから。工場にも何度も行ったよ」
「道路の広さまで覚えているんですね」
「地域で法人営業をするなら、それも企業情報の一つだからね」
「会社だけでなく、町そのものを知っている……」
「そういう仕事だよ」
◇◇◇
二社目は、丸川物流株式会社。
地域の食品、製造業、建設資材、小売業など、幅広い企業の物流を担っている中堅企業だった。
代表取締役・丸川邦彦・五十六歳。
現場の運転手から管理職を経て社長になった人物で、率直な物言いをする一方、従業員の安全と待遇を何より重視している。
趣味は海釣りと長距離ドライブ。休日でも道路の混雑や物流拠点の変化を無意識に確認してしまうという。
「丸川社長。東側の物流センターは、最近忙しいですか?」
「忙しいね」
「北条食品さんの荷物が増えた影響も?」
「それもある」
創の中で、先ほど訪問した企業と丸川物流がつながった。
北条食品の通信販売が伸びる。
発送する荷物が増える。
その荷物を丸川物流が運ぶ。
一社の売上増加が、別の企業の仕事を増やしている。
「運転手不足はどうですか?」
白石が尋ねた。
「相変わらず厳しい。若い人が来ない」
「賃金は引き上げましたよね?」
「上げたよ。その分、人件費負担も増えたけどね」
創は決算資料を見る。
確かに人件費率は上昇していた。
「宮嶋さん。東京でも運転手不足は問題になっているだろう?」
「はい。物流業界全体の大きな課題だと認識しています」
「こちらは、都市部より厳しい面もある」
「どうしてですか?」
「地域の若い人が、進学や就職で都市部へ出ていくからだ。人口は減る。採用できる人も減る。でも、通信販売が伸びて荷物は増える」
「……人が減っても、運ぶ物は減らない」
「むしろ増えることもある」
創は北条食品での会話を思い出した。
食品会社の通信販売が伸びる。
物流会社の仕事が増える。
しかし、その物流を支える運転手が不足する。
「つながってる……」
「何が?」
「いえ、地域の会社同士がです」
企業は、一社ずつ独立して存在しているわけではない。
原材料を仕入れる。
商品を作る。
倉庫に保管する。
物流会社が運ぶ。
小売店や消費者へ届ける。
そこで働く人が給与を得て、町で生活する。
それぞれが一本の線で結ばれていた。
◇◇◇
昼休み。
創たちは瑞央銀行近くの定食店へ入った。
午前中は別の業務を担当していた藤堂蓮も合流する。
「午前中、どうだった?」
「小野寺さんの情報量が多すぎる」
「でしょう?」
「企業だけじゃなく、取引先や道路事情まで知っている」
「地域営業なら、割と普通だよ」
「本当に?」
「青嶺中央銀行は、逆に専門部署がすごいじゃん」
「まあ、それはそうですね」
「海外案件、大型融資、M&A、外国為替、デジタル金融。瑞央銀行だけで、すべての専門家をそろえるのは難しい」
「なるほど」
「だから、お互い様じゃない?」
藤堂は味噌汁を一口飲んだ。
「俺たちは町を知っている。青嶺中央銀行は、世界まで知っている」
創は少し目を見開いた。
「いい言い方ですね」
「今、思いついた」
「即興だったんですか?」
小野寺も笑う。
「藤堂、その言い方は今度使わせてもらう」
「使用料をいただきます」
「銀行員らしいな」
「冗談ですよ」
同じ銀行員でも、持っている強みが違う。
瑞央銀行が地域を知り、青嶺中央銀行が全国や海外の専門機能を持つ。
だからこそ、連携する意味がある。
◇◇◇
午後一時三十分。
三社目、旭峰精機株式会社。
精密部品と産業機械部品を製造し、売上高約十八億円、従業員六十四人を抱える地域企業である。
代表取締役・旭川正義・五十九歳。
創業者である父から会社を引き継いだ二代目社長。技術者出身で、設備や加工精度の話になると自ら工場へ入り、従業員と議論する。
慎重で責任感が強く、拡大を急ぐよりも、雇用と技術を長く守る経営を重視している。趣味は盆栽と古い工作機械の資料収集。
今回の相談は、老朽化したマシニングセンタの更新だった。
「こちらが青嶺中央銀行から来られた方?」
「初めまして。宮嶋創です。よろしくお願いいたします」
「二十一歳?」
「はい」
「若いねえ」
「本日二回目です」
「何の回数だ?」
「いえ、こちらの話です」
小野寺と藤堂は笑いを堪えていた。
会議室で、設備更新計画の説明が始まる。
現在使用しているマシニングセンタは、導入から十八年。
故障頻度が増え、保守費用も上昇している。新設備への更新費用は約七千二百万円だった。
創は、東央精密製作所の一億円設備融資案件を思い出した。
だが、似た案件だからといって、同じように考えてはいけない。
「新設備の見積書は出ましたか?」
小野寺が尋ねる。
「七千二百万円になった。前回より上がっている」
「為替や部品価格の影響ですか?」
「メーカーからは、そう説明されている」
「納期は?」
「九か月」
「既存設備は、そこまで持ちそうですか?」
「それが心配なんだ」
「修理履歴を確認できますか?」
「もちろん」
小野寺は設備価格だけを見ていない。
納期。
現在の設備状態。
故障した場合の生産への影響。
修理費。
代替設備の有無。
それらを順番に確認していた。
◇◇◇
工場へ移動すると、現在使用中のマシニングセンタが稼働していた。
案内役は工場長・横山浩司・四十七歳。
旭峰精機で二十五年以上働く現場責任者で、設備の音や振動から僅かな異常を感じ取る熟練技術者である。口数は少ないが、若手への指導は丁寧。趣味はオートバイ整備で、自宅でも古い部品を修理している。
「去年は二度止まりました」
「一度止まると、復旧までどの程度かかりますか?」
小野寺が尋ねる。
「長い時で四日です」
「その間、生産は?」
「隣の設備へ振り替えました。残業と外注も増えました」
創も質問する。
「主要取引先への納期に影響はありませんでしたか?」
「ぎりぎり間に合わせました。ただ、次に同じことが起きたら厳しいかもしれません」
「発注量は、今後も増える見込みですか?」
「来年度分までは内示があります」
「正式発注ではない?」
「はい」
内示。
東央精密製作所でも気になった言葉だった。
だからといって、すぐに「計画が楽観的だ」と決めつけない。
「内示数量と、過去の実際の発注数量には、どの程度の差がありますか?」
「旭峰精機の場合は、比較的内示に近い数量が発注されています」
「過去三年分を確認させていただけますか?」
「提出できます」
「ありがとうございます」
小野寺が横で僅かに笑った。
創が、青嶺中央銀行で得た経験をそのまま押しつけるのではなく、確認すべき視点として活かしていることが分かったからだった。
工場内をさらに進むと、一人の年配従業員が旭川社長へ声をかけた。
「社長。来月の若手研修の日程が決まりました」
「そうか」
「若手研修ですか?」
小野寺が尋ねる。
「新しい設備を入れる前に、二人をメーカー研修へ出す予定なんだ」
「高橋君と佐久間君?」
「そうだ。高橋は去年入ったばかりだけどね」
創はまた驚いた。
「小野寺さん、従業員の名前まで知っているんですね」
「旭峰精機は七年担当しているからね」
藤堂が小声で補足する。
「俺が高校生の頃から担当しているんだよ」
「そう考えると、長いな……」
工場を出ると、旭川社長が敷地の一角を指した。
「あの空き地へ工場を増築したいと考えている」
「用途地域は問題ありませんでしたか?」
小野寺がすぐに尋ねる。
「そこも確認してもらえるか?」
「分かりました。道路側へ新しい出入口を設けられるか、市にも確認が必要ですね」
設備投資は、機械を購入するだけでは終わらない。
土地。
道路。
行政手続き。
工場増築。
人材教育。
将来の受注。
すべてが関係していた。
◇◇◇
帰りの車内。
「小野寺さん。どうして、あれほど企業のことを覚えられるんですか?」
創が尋ねた。
「何度も会っているからだよ」
「どのくらいの頻度で?」
「企業によるけど、毎月会うところもある。電話もするし、町で偶然会うこともある」
「町で?」
「祭り、商工会、地元イベント。スーパーで社長と会ったこともあるよ」
「スーパーで?」
「地域銀行では珍しくない」
藤堂も笑う。
「俺は以前、取引先の社長とラーメン店で隣の席になった」
「それは仕事じゃないですよね?」
「その時は完全に私用。でも翌日は銀行で普通に会った」
「近すぎる……」
「それが地域銀行だよ」
小野寺は笑ったあと、少し真剣な表情になった。
「ただ、企業との距離が近いことは強みであると同時に、怖さでもある」
「昨日、宮坂さんにも言われました」
「親しい経営者から相談されたら、断りにくいこともある」
「はい」
「それでも銀行員は、必要なら断らなければならない。無理な融資はできないし、経営改善が必要なら伝える。後継者問題も、避けたままにはできない」
「……」
「親しいからこそ、言いにくいことを言わなければならない時がある。それが一番難しい」
創は、その言葉を忘れないようにメモした。
近いからこそ見えるものがある。
同時に、近いからこそ失いやすい客観性もある。
それは地域銀行ならではの強さと難しさだった。
◇◇◇
午後四時三十分。
瑞央銀行本店で、二日目の振り返りが行われた。
参加者は宮坂、小野寺、白石、藤堂、そして創。
「宮嶋さん。今日は何を感じましたか?」
宮坂に問われ、創は少し考えた。
「企業が、一社だけで存在しているわけではないことです」
「具体的には?」
「北条食品さんの通信販売が伸びれば、発送する荷物が増える。その荷物を丸川物流さんが運ぶ」
「はい」
「でも、物流会社では運転手不足が起きている。若い人を採用したくても、地域から都市部へ人が流れている」
「はい」
「旭峰精機さんも、設備を更新すれば終わりではありません。若手への技術研修、工場を増築する土地、道路、行政手続きまで関係しています」
「その通りです」
「だから、企業の決算書だけを見ても、地域企業の本当の姿は分からないんだと思いました」
宮坂が頷く。
「青嶺中央銀行には、全国や海外の情報があります。多くの専門部署もある」
「はい」
「でも瑞央銀行の皆さんは、町そのものを知っています」
創は小野寺たちを見る。
「取引先同士のつながり、人の流れ、道路、雇用、後継者。企業の外側まで見ている」
「それが、地域に根づくということなのかもしれません」
宮坂は穏やかに微笑んだ。
「ただし、私たちにも見えない世界があります」
「青嶺中央銀行が持つ全国や海外の情報ですか?」
「それだけではありません。大規模融資、M&A、高度なデジタル金融、専門的なリスク管理。瑞央銀行だけでは対応しにくい分野があります」
「だから連携する」
「そうです」
「瑞央銀行だけですべてできるわけではない。青嶺中央銀行だけでも、すべては分からない」
「企業に必要なのは、どちらの銀行が上かではありません」
「必要な支援が届くこと」
「その通りです」
創は大きく頷いた。
◇◇◇
同じ頃。
東京、大手町。
青嶺中央銀行本店四十二階、頭取室。
欧陽璟瑶は、創とはまったく異なる規模の案件へ向き合っていた。
午前八時十五分。
第一秘書・劉川景仁・三十八歳が本日の予定を説明する。
「九時より国内法人部門月次報告。十時十五分、久世副頭取及び榊原取締役を交えた大口与信会議。十一時三十分、全国地域銀行連携本部からの報告です」
璟瑶の目がほんの僅かに動いた。
「続けてください」
「十三時より中国事業部。十四時、東アジア事業部及び外国為替部です」
第二秘書・水城絢乃・三十一歳が午後の予定を引き継ぐ。
「十五時三十分、地域銀行共同システムプロジェクト。十六時三十分、青嶺FGグループ経営管理部。十八時より海外金融機関とのオンライン会談です」
「分かりました」
午前九時。
国内法人部門の月次報告。
貸出残高。
新規案件。
事業承継。
設備資金。
経営改善。
「製造業、物流業、食品業を中心に、新規設備資金の相談が増加しています」
「借入額が増えているという一面だけでリスクを判断しないでください」
璟瑶は資料を見ながら指示した。
「設備価格、生産性向上、受注見込み、設備導入後の運転資金。そのすべてを確認します」
「承知しました」
午前十時十五分。
大口与信会議。
出席者は、副頭取・久世宗一郎・五十七歳、取締役・榊原征司・五十二歳、融資審査部門、信用リスク管理部、法人営業部門の責任者たち。
対象は、国内大手メーカーによる数百億円規模の資金調達案件だった。
「売上予測が少し楽観的ですね」
璟瑶が指摘する。
「海外需要を高めに見積もっています」
「需要が二割減少したストレスケースでは?」
「こちらです」
「その場合の返済余力は?」
創が地域企業一社一社を見ている頃。
璟瑶は、数百億円、数千億円、銀行全体、グループ全体という巨大な数字を見ていた。
しかし、根本は同じだった。
数字の先には、企業、従業員、取引先、人々の生活がある。
「担保だけで判断しないでください」
「はい」
「事業そのものから返済できるのかを見ます」
「承知しました」
◇◇◇
午前十一時三十分。
全国地域銀行連携本部から、各地域銀行との共同案件が報告された。
北海道。
東北。
北陸。
関西。
中国。
四国。
九州。
沖縄。
その中には、瑞央銀行との合同プロジェクトも含まれている。
『若手派遣第一陣』
『宮嶋創』
璟瑶は、その文字を一度だけ見た。
「瑞央銀行との合同プロジェクトは?」
「本日二日目です」
全国地域銀行連携本部長・黒崎貴臣・五十一歳が答える。
「若手派遣行員は、法人営業同行及び地域企業支援の実務体験へ参加しています」
「問題は?」
「現時点で報告はありません」
「そうですか」
それ以上、尋ねない。
何社訪問したのか。
疲れていないか。
創個人に問題はないか。
恋人としては気になる。
しかし、頭取が見るべきなのはプロジェクト全体であり、特定の一行員だけではない。
「第一陣終了後の評価は、本人の感想だけで判断しないでください」
「はい」
「瑞央銀行側の評価、現地担当者、所属部署、複数の視点を用いること」
「承知しました」
「本人が『勉強になりました』と言うだけでは研修になりません。何を見て、何を考え、今後の仕事へどうつなげるのか。そこまで確認してください」
「はい」
午後一時、中国事業部。
上海、深圳、北京における企業支援、クロスボーダー融資、人民元建て資金調達。
「現地法人の売上だけでなく、主要取引先への集中度も確認してください」
「一社への依存度が高い状況です」
「ならば、その取引先の業況変化まで見る必要があります」
「承知しました」
奇しくも、それは創が瑞央銀行で学んでいることと同じだった。
企業単独ではなく、取引先や地域とのつながりを見る。
璟瑶は、それを国際金融という巨大な規模で行っている。
午後二時。
東アジア事業部及び外国為替部。
「地域銀行から紹介された企業を、単なる紹介案件として扱わないでください」
「はい」
「長年その企業と取引してきた地域銀行は、私たちより企業を深く理解している場合があります。海外業務だけを切り離し、国内の事情を軽視しないこと」
「承知しました」
午後三時三十分、地域銀行共同システムプロジェクト。
「全行を一律に統一することが目的ではありません。共同化の利点と、地域銀行固有の運用を残す意味を分けて考えてください」
「はい」
「利用者と行員の使いやすさ、費用、安全性。そのすべてを確認します」
午後四時三十分、青嶺FGグループ経営管理部。
「地域銀行を一つの物差しだけで比較しないでください」
人口。
主要産業。
企業数。
貸出需要。
収益。
信用コスト。
「東京と地方では市場が違います。地域銀行には、それぞれ異なる役割があります」
「はい」
午後六時からは、海外金融機関とのオンライン会談。
すべての予定を終えたのは午後七時十五分だった。
◇◇◇
「本日の予定は以上です」
劉川が資料を閉じる。
「ありがとう」
「明日は午前八時四十五分から経営会議です」
水城の確認に、璟瑶が頷いた。
「分かりました。二人もお疲れさま」
秘書二人が退室すると、頭取室は静かになった。
璟瑶は私用スマートフォンへ目を向ける。
勤務中、創と私的な連絡は取っていない。
午後七時二十一分。
ようやく一通のメッセージが届いた。
『今日も終わった』
『お疲れさま』
『今日は三社回った』
それ以上の具体的な情報は聞かない。
『大変だった?』
『大変だったけど、面白かった』
『何が?』
しばらくして返信が届く。
『具体的な企業の話はできないけど』
『うん』
『地域銀行の人は、会社だけじゃなくて町まで知ってる』
璟瑶は少し微笑んだ。
『地域銀行の強みね』
『取引先、地域の採用事情、道路、人の流れまで知ってた』
『驚いた?』
『かなり』
『青嶺中央銀行にはない?』
創は少し考えたらしい。
『ない、じゃない』
『うん』
『違う強さ』
『いい答えね』
『頭取評価?』
『今日は銀行員としての評価』
『珍しい』
『でも、ここからは彼女評価』
『何点?』
『九十五点』
『また減点されてる』
『一緒に夕食を食べられないから』
『それ、俺の仕事評価じゃないだろ』
『彼女評価だからいいの』
『理不尽』
『帰ってきたら五点足してあげる』
『それで百点?』
『抱き締めたら百点』
『じゃあキスしたら?』
『百十点』
『満点を超えてる』
一人きりの頭取室で、璟瑶は小さく笑った。
◇◇◇
同じ頃。
ホテルの部屋では、創が二日目の出張日報を書き終えようとしていた。
『本日の学び』
『地域銀行の法人営業担当者は、企業の決算書だけでなく、経営者、従業員、主要取引先、雇用環境、道路、土地、地域産業など、企業を取り巻く環境全体を把握している。』
『企業一社の変化が、取引先、物流、雇用を通じ、地域全体へ影響することを実感した。』
『地域銀行の強みは、企業との距離の近さだけでなく、町そのものを長期間見続けていることにある。』
『一方で、関係が近いからこそ、融資判断の客観性を失ってはならない。』
『青嶺中央銀行の専門機能と、瑞央銀行が持つ地域情報を組み合わせる意義について考えたい。』
創は文章を読み返した。
誤字。
表現。
送信先。
顧客を特定できる情報が含まれていないこと。
「……確認」
問題がないことを確かめ、送信する。
今日訪問した三社。
食品。
物流。
製造業。
業種は違う。
しかし、すべてがつながっていた。
一社が商品を作れば、誰かが運ぶ。
原材料を供給する会社がある。
そこで人が働く。
給与を得た人々が、その町で暮らす。
企業。
人。
雇用。
道路。
町。
地域。
すべてが互いに影響し合っている。
青嶺中央銀行本店は、巨大な数字と全国、海外を見る。
瑞央銀行は、町の中にある小さな変化を長く見続ける。
どちらも銀行の仕事だった。
「地域に根づく銀行……か」
創は昨日よりも、その言葉の意味を理解できた気がした。
地域銀行合同プロジェクト、派遣二日目。
宮嶋創は、企業が決算書の中だけではなく、その町の中で生きていることを初めて自分の目で知った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創が三社の企業訪問を通じて、地域銀行の法人営業をさらに深く知る回となりました。
特に印象的だったのは、小野寺たちが企業の数字だけではなく、
社長のこと。
従業員のこと。
主要取引先。
人手不足。
後継者。
土地や道路。
地域の産業。
まで把握していたこと。
食品会社の売上増加が物流会社の仕事につながり、その物流会社では人手不足が課題になる。
製造会社の設備投資も、機械だけではなく、若手社員の育成や土地、道路、地域環境まで関係してくる。
創は初めて、地域企業は一社だけで存在しているのではなく、町の中ですべてがつながっていることを実感しました。
そして、
「地域銀行は町を知っている」
「青嶺中央銀行は世界まで知っている」
という、それぞれ違う強みも見えてきました。
一方、東京では璟瑶も頭取として、数百億円規模の融資、海外金融、地域銀行との連携、システム共同化などに対応。
創が一つの町を見ている頃、璟瑶は銀行全体と国内外を見ています。
それでも夜になれば、二人は詳しい案件内容を話さず、恋人として短いやり取りを交わすだけ。
次回は、地域企業の設備投資案件へさらに深く入り込みます。
数字だけを見ると少し厳しい。
しかし現地へ行かなければ分からない事情もある。
創が「地方企業を見る」という難しさへ、さらに踏み込んでいきます。




