第14話「本店地下五階――頭取の彼女に『誰にも言っちゃ駄目よ』と連れていかれました」
第14話です。
正式配属後、法人営業第一部・若手法人担当チームで新しい一歩を踏み出した創。
今回は、配属先での仕事の様子を描きつつ、物語の大きな舞台となる「本店地下五階」がいよいよ登場します。
地下1階には託児所。
地下2〜4階には行員やその家族向けの施設。
そして、そのさらに下。
通常の行員がほとんど立ち入ることのない地下5階。
業務終了後、璟瑶に服を引っ張られ、
「創。ちょっと付き合って」
と連れていかれた先には、六桁のパスワードで守られた使われていない区画がありました。
銀行では「頭取」と「宮嶋さん」。
名前を呼ぶことも、抱き締めることも、キスをすることもできない二人。
そんな璟瑶が創へ明かす、少し大胆すぎる本音とは――。
頭取と若手行員、二十四歳差の二人だけの新しい秘密をお楽しみください。
正式配属から数日。
宮嶋創の社員証には、新しい所属が記されていた。
『青嶺中央銀行 法人営業第一部・若手法人担当チーム』
午前八時二十分、創が部署へ入ると、チームリーダーの桐生雅人が声をかけた。
「昨日頼んだ企業概要はできてる?」
「はい。午前中に確認をお願いします」
「宮嶋君は、確認を頼むのが早くていいね」
「前の銀行で、分からないまま進めるなと教わりましたから」
教育担当の相沢拓也からは、午前中の企業訪問について確認された。
「先方の三期分の決算書は?」
「確認済みです」
「融資残高と過去の面談記録は?」
「昨日の分まで読みました」
「本当に確認が好きだな」
「同期からは、それだけが取り柄みたいに言われています」
「銀行員にとっては立派な強みだぞ」
同じ部署には、佐伯遼、藤崎美優、長谷川直樹、北川玲奈らが所属している。
電話、財務分析、訪問資料の準備。周囲の業務を見ながら、創は本格的な法人営業部署へ来たことを改めて実感した。
◇◇◇
午前十時、創は相沢と都内の中堅製造会社を訪問した。
創は主担当ではなく、相沢と社長の会話を聞きながら記録する。
「来年度導入予定の設備について、現在の見積額はどの程度でしょうか」
「八千万円前後です」
「自己資金と借入の割合は、どのようにお考えですか?」
相沢の質問を聞き、創は数字だけではなく、経営者が何を実現したいのか理解する必要があると学んだ。
しかし、希望だけを聞いて融資を決めることもできない。返済能力や資金使途を、銀行員として冷静に判断しなければならなかった。
「そこまで分かっているなら十分だ。最初から全部できる人間はいない」
「一から覚えます」
帰店後、創は面談記録と財務分析に取り組んだ。
売上の伸びに比べ、在庫の増加が大きいことに気づく。
「理由が分からないなら、過去の面談記録を調べてみろ」
桐生に助言されて確認すると、新製品の発売へ向けた先行仕入れだと判明した。
小さな発見の連続だったが、創にはそれが楽しかった。
◇◇◇
午後六時過ぎ、仕事を終えた創は法人営業第一部を出た。
エレベーターホールへ向かう途中、声をかけられる。
「宮嶋さん」
振り返ると、欧陽璟瑶が立っていた。
まだ銀行内で、周囲には行員もいる。
「お疲れさまです、頭取」
「お疲れさまです」
二人はそれだけ交わし、別々に歩き始めた。
しかし数分後、人通りの少ない通路で、創のスーツの裾が後ろから引かれた。
「……頭取?」
周囲に誰もいないことを確認した璟瑶が、小さな声で呼ぶ。
「創。少し付き合って」
「どこへ?」
「地下よ」
璟瑶は創を、一般行員が使用しない役員フロア側のエレベーターへ案内した。
◇◇◇
エレベーターが下降する間、璟瑶は本店地下の施設について説明した。
地下一階は行員向けの託児施設。
地下二階は健康診断や産業医面談などを行う健康支援フロア。
地下三階は育児、介護、海外赴任などに関する家族支援施設。
地下四階は軽運動スペースや休憩ラウンジを備えた福利厚生フロア。
「地下だけで、普通の会社一社分くらいありそうだな」
「単体で約二万五千人が働く銀行ですから」
エレベーターは地下五階で止まった。
扉の先には薄暗い前室があり、壁には六桁の番号を入力する認証装置が設置されていた。
「ここから先は暗証番号が必要よ」
「何番?」
璟瑶は創の耳元へ顔を近づけた。
「四五二一一四」
「四五二一一四……。何か意味があるの?」
「それは、いつか教えてあげる」
「スマートフォンに記録しておこうかな」
「駄目。場所も番号も、二人だけの秘密よ」
そう言うと、璟瑶は創のネクタイを軽く引いた。
「ちょっ――」
「んっ……」
唇が重なった。
短いが、しっかりとしたキスだった。
「ここ、銀行の中なんだけど」
「地下五階には誰もいないわ」
「銀行の地下五階だから問題なんだよ」
璟瑶は人差し指を創の唇へ当てる。
「静かに。それから、絶対に誰にも話さないで」
「分かった。約束する」
創が暗証番号を入力すると、緑色のランプが点灯し、奥の扉が解錠された。
◇◇◇
二重扉を抜けた先にあったのは、長く使用されていない広い区画だった。
かつては紙資料や設備を管理する場所だったが、デジタル化と設備更新によって、多くの部屋が空いているという。
「俺が入って、本当に大丈夫なの?」
「今日は私と一緒に見学しているということにして」
「その間は何?」
「気のせいよ」
最も奥にある広い部屋へ入り、璟瑶は振り返った。
「創。ここを、二人だけの場所にしない?」
「銀行の地下を?」
「そう」
「頭取と若手行員が?」
「ここでは頭取と行員ではないわ」
璟瑶は少し拗ねたように、創の袖を掴んだ。
「銀行では創とほとんど話せないでしょう? 名前も呼べないし、触れることもできない」
「最初に二人で決めたことだろ?」
「分かってる。だからこそ、仕事が終わったあとに二人で過ごせる場所が欲しいの」
ここで映画を観て、食事をして、並んで座り、ゆっくり話したい。
「ソファでくっつきたいし、キスもしたい。それから、一緒に休みたい」
「最後だけ急に変わってない?」
「普通に横になって休むという意味よ!」
「本当に?」
「何を想像したの?」
創が笑うと、璟瑶は真剣な顔で部屋を見渡した。
「業務終了後、二人でゆっくり過ごしたいの。家具や私的な備品は、銀行のお金ではなく私費で用意するわ」
「秘密基地を作ろうとしている人が、急にコンプライアンスを語るんだな」
「銀行のお金を使ったら、本当に問題でしょう?」
「そこは真面目なんだね」
「そこ“は”って何よ」
二人は笑いながら、置きたい物を考え始めた。
大きなソファ、テーブル、テレビ、冷蔵庫、本棚、簡単なキッチン、二人分のマグカップ。
「それから、横になれる場所も欲しい」
「ソファでいいだろ?」
「ちゃんとしたベッド」
「やっぱり置くんだ!」
「休むためよ!」
「銀行にベッドを置こうとする頭取、初めて見たよ」
「創だって、疲れたときは横になりたいでしょう?」
「二人で?」
「……二人で」
小声になった璟瑶を見て、創は思わず笑った。
数万人の行員を率い、海外の金融機関とも交渉する頭取が、地下の空き部屋で「創と一緒に映画を観たい」と真剣に話している。
その落差が、創には愛おしかった。
◇◇◇
「悪くないかも」
創が言うと、璟瑶の表情が一気に明るくなった。
「本当?」
「ただし条件がある。勤務時間中には使わない。顧客情報や仕事の資料は持ち込まない。案件の相談もしない」
「当然よ」
「銀行側の正式な手続きが必要なら、頭取権限だけで勝手に進めないこと」
「きちんと確認するわ」
「それから、毎日俺を連れ込まない」
「毎日は駄目?」
「駄目」
「週五回」
「勤務日全部じゃん!」
「じゃあ三回」
「交渉しないで」
「二回」
「……人に怪しまれない範囲で、たまになら」
「やった」
璟瑶は嬉しそうに創の胸へ抱きついた。
「ここなら、抱きついてもいいでしょう?」
「まだ何も完成してないけどね」
「誰もいないもの」
「創」
「何?」
「好きよ」
「俺も好き」
銀行では一日中言えなかった言葉だった。
璟瑶が顔を上げる。
「もう一度、キスしていい?」
「さっきしただろ?」
「一度だけ」
「じゃあ、もう一度だけ」
二人はゆっくり顔を近づけた。
「んっ……」
静かな地下五階で、唇が重なる。
先ほどよりも長く、互いの存在を確かめるような濃厚なキスだった。
「んっ……ん……」
創は璟瑶の腰を抱き寄せ、璟瑶も彼の背中へ腕を回した。
やがて唇が離れると、璟瑶は満足そうに微笑んだ。
「明日から、この部屋をどうするか考えましょう」
「本気で作るんだね」
「もちろん。二人だけの秘密基地にするの」
「頭取と行員の?」
璟瑶は首を横へ振り、創の手を握った。
「違うわ。ここでは創と璟瑶の秘密基地」
「銀行では『宮嶋さん』と『頭取』」
「でも、ここへ来たら創と璟瑶」
「それがいいね」
「私も」
◇◇◇
二人は最後に、地下五階の暗証番号をもう一度確認した。
『452114』
この日、青嶺中央銀行本店の地下最深部にある、長く使われていなかった空き部屋が、二人だけの新しい居場所になることが決まった。
今はまだ、古いラックと机が残る殺風景な空間。
しかし璟瑶の頭の中には、大きなソファとテレビ、二つのマグカップが並び、その隣に創が座る光景がすでに浮かんでいた。
日本有数の巨大銀行を率いる四十五歳の中国人女性頭取。
二十一歳の若手法人銀行員。
銀行内では、誰にも知られてはいけない頭取と行員。
しかし地下五階の扉を閉めれば、二人は創と璟瑶へ戻れる。
こうして、二十四歳差の秘密の恋人たちは、青嶺中央銀行本店の地下に、誰にも知られてはいけない秘密基地を手に入れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創の法人営業第一部での新しい仕事とともに、青嶺中央銀行本店の地下施設が本格的に登場しました。
地下1階の託児所。
地下2階の医療・健康支援フロア。
地下3階の行員家族支援・交流フロア。
地下4階の福利厚生・リフレッシュフロア。
そして最深部の地下5階。
六桁のパスワード「452114」の先にあったのは、長い間ほとんど使われていない広い空き区画でした。
そこで璟瑶が創へ告げたのは、
「ここ、二人だけの場所にしない?」
という、とんでもない提案。
銀行では頭取と行員として距離を保たなければならない二人ですが、璟瑶の本音は非常に分かりやすいものでした。
創とイチャイチャしたい。
キスもしたい。
映画も見たい。
一緒にご飯も食べたい。
ゆっくり話したい。
そして一緒に休みたい。
銀行では決して見せない璟瑶の恋人としての顔が、一気に出てきた回でもあります。
もちろん、仕事中の私的利用や顧客情報の持ち込みはなし。
仕事では徹底して公私を分けながら、その外側に二人だけの時間を作っていくことになります。
次回、第15話はいよいよ秘密基地づくりへ。
何もなかった地下5階の空き部屋に、ソファやテレビ、冷蔵庫、二人分のマグカップなどが少しずつ増えていきます。
そして完成したその場所は、「頭取と行員」ではなく「創と璟瑶」に戻れる、二人だけの特別な居場所になっていきます。




