第12話「元銀行員三人の実務研修――東都共栄銀行で学んだ四年間は通用するのか」
第12話です。
今回は、創・黒瀬・琴葉の三人がいよいよ実務形式の研修へ挑みます。
同じ「銀行経験者」でも、三人がこれまで経験してきた仕事はまったく違います。
支店業務を約四年間経験してきた創。
法人融資を得意とする黒瀬。
資産運用や相続、資産承継に強い琴葉。
それぞれの得意分野がはっきりしていく中、創が東都共栄銀行時代に三谷主任から何度も教え込まれてきた「確認」が、青嶺中央銀行でも大きな武器になります。
そして仕事が終われば、創を待っているのは頭取ではなく恋人の璟瑶。
銀行では触れることさえできない二人が、家へ帰ればどうなるのか。
銀行員としての成長と、二十四歳差の秘密の恋。両方をお楽しみください。
青嶺中央銀行へ入行してから数日。
宮嶋創、黒瀬颯真、水無瀬琴葉の三人は、座学中心の研修から実務形式の研修へ移った。
研修室には、一人一台のパソコンと模擬帳票、本人確認書類、振込依頼書、融資案件資料、決算書、投資信託の説明資料などが用意されていた。
「急に銀行らしくなったな」
黒瀬が席へ座る。
「前職と青嶺中央銀行の違いも、実務形式の方が分かりやすそうですね」
琴葉の言葉に、創も頷いた。
三人とも銀行経験者だが、前職と青嶺中央銀行ではシステム、事務手順、承認方法、権限設定が異なる。
研修担当者は、モニターへ二つの言葉を表示した。
『前職の経験を活かすこと』
『前職の方法をそのまま持ち込まないこと』
「皆さんの経験は財産です。しかし、『前の銀行ではこうだった』という理由だけで処理を進めてはいけません。必ず当行の規程と手順を確認してください」
三人は真剣に頷いた。
◇◇◇
最初の課題は、預金・為替・諸届に関する模擬処理だった。
創は振込先、口座番号、金額、手数料区分、本人確認、取引目的を順番に確認する。
東都共栄銀行で何度も経験した業務だが、画面の入力順序や警告表示は異なっていた。
「ここは前の銀行と違うな……」
創は経験だけで進めず、マニュアルを確認した。
入力後も依頼書と画面を照合し、もう一度見直してから処理を終える。
「宮嶋、もう終わったのか?」
「こういう業務は四年間、かなりやってきましたから」
「二十一歳なのに?」
「また年齢を言いましたね」
住所変更、氏名変更、届出印変更、カード再発行、代理人取引などの課題でも、創は慎重に対応した。
「宮嶋さん。住所変更と同時に、取引目的を確認した理由は?」
「顧客情報の更新時期が近かったためです。今回確認すれば、後日もう一度お客様へ連絡する負担を減らせます。ただし、実際には自分だけで判断せず、当行の手順に従います」
「結構です」
黒瀬が小声で言った。
「お前、窓口業務には強いんだな」
「支店勤務が長かったですから」
◇◇◇
続く法人融資の課題では、黒瀬の強みが発揮された。
対象は年商十八億円の製造業。設備資金五千万円を希望しており、三期分の決算書や事業計画書が用意されていた。
「営業利益率が下がっている。売掛金と在庫は増加。設備導入後の売上計画も、前年比二十五パーセント増の根拠が弱いな」
「もうそこまで見たんですか?」
「法人融資は五年間やってきたからな」
模擬経営者面談でも、黒瀬は設備導入の目的や生産能力、受注見込み、取引先からの内示書について、自然に質問した。
「普通に営業してる……」
「慣れていますね」
創と琴葉が感心すると、黒瀬は得意そうに戻ってきた。
「融資なら俺に聞け」
「調子に乗らないでください」
「宮嶋は素直じゃないな」
「ちゃんと褒めたでしょう!」
◇◇◇
午後は資産運用の実務研修だった。
模擬顧客は六十五歳。退職金を含む金融資産八千万円を保有し、投資経験は少なく、相続への不安を抱えている。
「何の商品を勧めればいいんだ?」
黒瀬が尋ねると、琴葉は即答した。
「その考え方から違います。最初から商品を決めてはいけません」
老後資金、医療や介護への備え、家族構成、相続の希望、リスク許容度。まず顧客の目的と資産全体を確認しなければならない。
「八千万円を持っているからといって、全額を運用へ回してよいわけではありません」
模擬面談でも、琴葉は商品を売ることより、顧客に必要な資産管理を一緒に考える姿勢を示した。
「琴葉さん、急に講師みたいですね」
「前職で担当していましたから」
黒瀬が創を見る。
「俺は融資、琴葉は資産運用。宮嶋は何が得意なんだ?」
「俺ですか?」
琴葉は少し考えてから答えた。
「……確認でしょうか」
「俺だけ地味じゃないですか?」
「銀行で確認を地味と言ったら怒られるぞ」
二人に笑われ、創は複雑な表情になった。
◇◇◇
最後の総合演習では、模擬取引の中から誤りや追加確認が必要な取引を探すことになった。
不正送金、マネーロンダリング、入力誤り、本人確認不足などが複数隠されている。
創は速さを競わず、一件ずつ慎重に確認した。
高額海外送金の目的と過去履歴の不一致。
現金による高額入金。
本人確認記録の日付相違。
そして、一件の法人振込で手が止まった。
振込依頼書は八百七十六万円。
システムには八百七十万六千円と入力されている。
「金額が違います」
研修担当者が確認し、頷いた。
「正解です。数字の並びが似ているため、流し読みすると見落としやすい誤りです」
演習終了後、三人の結果が発表された。
黒瀬は法人取引における資金使途の不自然さを的確に指摘した。
琴葉は顧客属性と資産運用取引の不整合、適合性の問題を見抜いた。
そして金額の入力相違を発見したのは、創だけだった。
「俺も見落とした」
「私もです」
驚く二人に、創は答えた。
「前の銀行で、何度も確認するよう教えられたんです」
十八歳だった創へ、三谷主任は繰り返し伝えていた。
『九十九回正しく処理しても、一度の間違いで信用を失うことがある』
『確認は地味な仕事ではない。信用を守る仕事だ』
「やっぱり、宮嶋の強みは確認だな」
「もう地味とは言えませんね」
琴葉も続ける。
「融資なら黒瀬さん。資産運用なら私。そして確認なら宮嶋君です」
「そう言われると、悪くないですね」
「三人とも、前職で培った異なる強みがあります」
研修担当者は三人を見渡した。
「それを捨てる必要はありません。ただし、青嶺中央銀行の規程の中で正しく活かしてください」
「はい」
創は、自分の約四年間が無駄ではなかったことを実感した。
頭取の恋人だから評価されたわけではない。
東都共栄銀行で積み上げてきた自分自身の力が、青嶺中央銀行でも認められたのだった。
◇◇◇
午後五時過ぎ、研修が終了した。
「明日は財務分析の続きだな。分からなかったら俺に聞け」
黒瀬が得意そうに言う。
「融資なら黒瀬さんに、資産運用なら琴葉さんに」
「確認なら宮嶋君ですね」
「もう定着してる……」
三人は笑いながら研修室を出た。
◇◇◇
その夜。
創の部屋の玄関が開いた。
「ただいま」
「おかえり、璟瑶」
銀行内では絶対に交わせない言葉だった。
昼間まで隙のない頭取だった璟瑶は、自分専用のスリッパへ履き替え、創のもとへ歩み寄った。
「お疲れさま」
璟瑶が創を優しく抱き締める。
「今日、同じ建物にいたのに、一度も触れられなかった」
「銀行ですもの。当然でしょう?」
「分かってるけど、思ったより大変だな」
創も璟瑶の背中へ腕を回した。
「研修はどうだった?」
「……秘密」
「どうして?」
「具体的な評価や内容を、頭取である璟瑶へ伝えたくないから。俺は自分の力で研修を受けたいんだ」
璟瑶は少し黙ったあと、柔らかく微笑んだ。
「偉いわね」
「子ども扱いしないでよ」
「二十四歳年下だから」
「それ、便利に使いすぎ」
創が黒瀬と琴葉の話をすると、璟瑶の表情が僅かに変わった。
「水無瀬さんとも仲良くなったの?」
「もしかして嫉妬?」
「してないわ」
「今の間は絶対してた」
「余計なことを言うと、本当に他人になるわよ」
「銀行ではもう他人みたいなものだろ?」
「……そう言われると、少し寂しいわ」
弱くなった声に、創は何も言えなくなった。
抱き合ったまま顔を見る。
ほんの少し近づけば、唇が触れる距離だった。
創はキスをしたくなったが、照れ臭くなって顔を逸らした。
「今、キスしようとしたでしょう?」
「してない」
「我慢した?」
「……」
黙り込んだ創を見て、璟瑶が笑った。
「やっぱり。私も社員食堂で創を見つけたとき、ずっと我慢していたのよ」
「かなり見てたよね」
「頭取として食堂全体を確認していただけです」
「便利だな、頭取って」
二人は顔を見合わせて笑った。
創がもう一度、璟瑶を見つめる。
その瞬間、璟瑶が彼の頬へ手を添えた。
「創。我慢しなくていいわよ」
「え――」
「んっ……」
言い終える前に、璟瑶の唇が重なった。
触れるだけではない。
銀行内で一日中我慢していた距離を埋めるような、長く濃厚なキスだった。
創は璟瑶の背中へ腕を回し、強く抱き寄せる。璟瑶も彼の胸元へ身体を預けた。
「んっ……ん……」
唇が一度離れても、璟瑶はすぐにもう一度重ねてきた。
二度目はさらにゆっくりと、互いの温もりを確かめるように続く。
ようやく唇が離れると、創は璟瑶と額を触れ合わせた。
「頭取がするキスじゃないね」
「だから、今は頭取ではないと言っているでしょう?」
「じゃあ今は?」
「創の恋人」
「銀行では?」
「私は頭取。あなたは宮嶋さん」
「ここでは?」
「あなたは創。私は璟瑶」
創は笑った。
「毎日同じ銀行にいる方が、我慢するのが大変そうだな」
「私も今日、同じことを思ったわ」
銀行では名前を呼ぶことも、手に触れることもできない。
しかし家に帰れば、二人は恋人へ戻れる。
創には創の強みがある。
黒瀬には法人融資、水無瀬には資産運用、そして創には支店実務で培った確認の力。
頭取の恋人としてではなく、宮嶋創という一人の銀行員として、この巨大銀行に自分の居場所を築いていく。
銀行では――。
「お疲れさまです、頭取」
「お疲れさまです、宮嶋さん」
家では――。
「創」
「璟瑶」
少し面倒で危うく、それでも二人にとって何より大切な日々が、青嶺中央銀行で始まっていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創・黒瀬・琴葉の三人それぞれの「銀行員としての強み」が見えてくる回となりました。
法人融資なら黒瀬。
資産運用なら琴葉。
そして創は――「確認」。
一見すると地味に見える力ですが、銀行では数字や口座番号、本人確認、振込内容など、ほんの小さな違いが大きな問題につながることがあります。
東都共栄銀行時代、三谷主任から教えられた、
「確認を怠るな」
「九十九回正しくても、一回の間違いで信用を失うことがある」
という言葉が、新しい銀行でも創を助けてくれました。
そして何より、その評価は璟瑶の力ではなく、創自身が約四年間積み上げてきた経験によるものです。
一方、仕事が終われば二人は「頭取」と「行員」から「璟瑶」と「創」へ。
昼間は近くにいても触れられず、名前さえ自由に呼べないからこそ、家での抱擁やキスはこれまで以上に特別なものになっていきそうです。
次回はいよいよ約三か月の研修を終え、三人の正式配属が発表されます。
創はどの部署へ向かうのか。
黒瀬と琴葉はどこへ配属されるのか。
そして、創の配属に頭取である璟瑶は本当に一切関与しないのか。
第13話もよろしくお願いします。




