第11話「同期三人の研修開始――二十一歳、二十六歳、二十七歳のキャリア採用同期」
第11話です。
ついに青嶺中央銀行での本格的な研修が始まります。
創・黒瀬颯真・水無瀬琴葉という、年齢も前職も得意分野も違う三人のキャリア採用同期。今回は、青嶺中央銀行という巨大銀行の規模や47都道府県に広がる青嶺FGのネットワークを学びながら、三人の距離も一気に縮まっていきます。
そして昼休みには、21階の社員食堂へ。
昨日まで恋人として一緒に過ごしていた璟瑶が、今日は「頭取」として目の前に現れます。
銀行では「頭取」と「宮嶋さん」。
銀行を出れば「璟瑶」と「創」。
誰にもバレてはいけない二人の新しい関係と、同期三人の賑やかな銀行員生活。その始まりをお楽しみください。
入行式を終えた午前九時半。
宮嶋創は、同期となった黒瀬颯真、水無瀬琴葉とともに本店の研修室へ入った。
つい先ほど壇上に立っていたのは、青嶺中央銀行頭取・欧陽璟瑶。
銀行の外では二十四歳年上の恋人だが、ここでは決して「璟瑶」と呼べない相手だった。
机には、青嶺中央銀行と青嶺フィナンシャルグループの概要、コンプライアンス、法人金融、預金・為替、情報セキュリティなど、分厚い教材が並んでいた。
「多いな……」
「初日からそれを言う?」
黒瀬が笑う。
「研修予定表を見ると、まだ全部ではなさそうですよ」
琴葉に言われて確認すると、約三か月分の予定がびっしりと記載されていた。
預金、融資、資産運用、外国為替、企業審査、信用リスク、事業承継、M&A、海外金融、地域銀行連携。
「本気で三か月間やるんですね」
「俺たちはキャリア採用だからな」
「でも俺、まだ二十一歳ですよ」
「高校卒業後、十八歳から銀行で四年近く働いて、二十一歳で青嶺中央銀行へ転職。人生の進み方が早すぎるだろ」
琴葉も静かに頷いた。
「私も大学卒業後に入行したので、十八歳から銀行員というのは不思議な感じがします」
「二人とも、初日から年齢をいじりすぎです!」
三人が話していると、人事部キャリア採用課長の白河芙美香が入室した。
「ずいぶん早く打ち解けましたね。同期として相談できる関係を築くのは大切です。ただし、共有してはいけない情報との区別は忘れないでください」
三人の表情が引き締まる。
配属後に扱う顧客情報や案件情報は、同期であっても自由に話してはならない。
創には、それとは別に、この銀行の誰にも話せない秘密があった。
頭取が自分の恋人だという事実である。
◇◇◇
最初の研修では、青嶺中央銀行の概要が説明された。
正式名称は青嶺中央銀行株式会社。英語名はSeirei Central Bank, Ltd.。略称は青中銀、SCB。
東京都千代田区大手町に本店を置き、約百五十年の歴史を持つ。
総資産は約98.5兆円、預金残高約70兆円、貸出金残高約43兆円。国内有人店舗は約325店舗、海外拠点は約40拠点。単体で約2万5,000人、青嶺FG全体では約6万7,000人が働いている。
「総資産98.5兆円って、大きすぎて実感が湧かない……」
創が小さく呟くと、黒瀬が言った。
「二十一歳でここへキャリア入行したお前の方が、実感が湧かないけどな」
「まだ言うんですか?」
「私も同意します」
「琴葉さんまで!?」
白河は僅かに笑ったあと、画面へ日本地図を表示した。
「青嶺FG最大の特徴は、全国四十七都道府県に地域金融ネットワークを持っていることです」
東和創信銀行、日栄未来銀行、瑞央銀行、東嶺銀行、翠京銀行、桜都銀行、京星銀行、光京銀行、蒼都銀行、京浜栄信銀行、東雲中央銀行など、多数の銀行が全国各地で連携している。
「ただし、青嶺中央銀行が各地域銀行を一方的に動かしているわけではありません。それぞれの歴史や地域性、経営の独立性を尊重しながら、資金調達、システム、人材交流、海外金融、M&A、事業承継などを支援します」
琴葉が手を上げた。
「地域銀行側から、地域特性や企業情報を教わることもあるということですね」
「そのとおりです。本店で数字を見るだけでは分からないことがあります。金融は東京だけで完結しません」
創は、入行式で璟瑶が語った言葉を思い出した。
『数字の先には必ず人がいます』
最初に出会った雨の日、自分が彼女へ話した考えだった。
「宮嶋君?」
琴葉に呼ばれ、創は我に返った。
「何でもありません」
仕事中に璟瑶のことばかり考えてはいけない。
そう自分へ言い聞かせ、研修へ意識を戻した。
◇◇◇
正午になり、三人は二十一階の行員専用社員食堂へ向かった。
数百人が利用できる広い空間に、定食、麺類、丼物、カレー、小鉢などのカウンターが並んでいる。法人営業、融資審査、国際金融、外国為替、コンプライアンス、IT、人事など、さまざまな部署の行員が昼食を取っていた。
「本店って、本当にいろいろな部署の人がいるんですね」
創は、東都共栄銀行の城東支店との違いを実感した。
三人は社員証で代金を支払い、黒瀬と創は日替わり定食、琴葉は焼き魚定食を選んだ。
空席を探していた創の足が、不意に止まる。
「宮嶋、どうした?」
「いや……」
食堂の奥に、役員や秘書とともに歩く欧陽璟瑶がいた。
昨夜、創の部屋で夕食を共にし、何度も抱き締め合い、濃厚なキスを交わした恋人。
しかし今は、完全に青嶺中央銀行頭取の顔をしている。
「頭取も社員食堂を使うんですね」
琴葉が少し驚いた。
「たまには利用するんじゃないですか?」
創は平静を装ったが、心臓は速くなっていた。
そのとき、璟瑶の視線が創と重なる。
足を止めず、表情も変えない。
それでも一瞬だけ、目元が柔らかくなった。
――大丈夫?
恋人である創には、そう問いかけているように見えた。
創も僅かに顎を引く。
――大丈夫。
昨夜決めたルールでは、銀行内で目による合図も禁止だった。それでも二人は、ほんの一瞬だけ気持ちを通わせてしまった。
◇◇◇
璟瑶たちが三人の近くを通った。
創たちは立ち上がり、一礼する。
「お疲れさまです、頭取」
「お疲れさまです」
璟瑶は三人全体へ挨拶を返したあと、創を見た。
「宮嶋さん。本日から研修ですね」
「はい。しっかり学ばせていただきます」
「そうしてください」
続いて黒瀬へ、前職と当行の融資手続きや判断基準の違いを学ぶよう伝える。
琴葉には、資産運用商品だけではなく、顧客全体を見ることを忘れないよう助言した。
「三人とも、よい研修にしてください」
「ありがとうございます」
それだけ告げると、璟瑶は通り過ぎた。
創だけを長く見たり、振り返ったりすることはない。創も彼女を見送らなかった。
昨夜なら触れられた距離にいたのに、今は何もできない。
(これ、思っていたよりきついな……)
創は席へ戻った。
◇◇◇
「宮嶋、お前、頭取の前だと異常に緊張しない?」
黒瀬に指摘され、創の箸が止まった。
「相手は頭取ですよ?」
「俺たちも同じだろ」
「それに、頭取が近づいてから箸が止まっていました」
琴葉まで冷静に指摘する。
「見てたんですか?」
「目の前なので」
「琴葉さん、人のことをよく見ていますね」
「銀行員ですから」
黒瀬が笑いだした。
「宮嶋、分かりやすすぎるだろ」
「俺は普通です!」
創は必死に平静を装った。
一方、数十メートル先で役員たちと食事をする璟瑶も、時折、創の様子を確認していた。
黒瀬や琴葉と笑っている姿を見て、同期と早く打ち解けられたことに安心する。
同時に、銀行では自分にあの笑顔を向けてもらえないことを少し寂しく感じていた。
「頭取、何か気になることでも?」
久世副頭取から声をかけられ、璟瑶はすぐに頭取の表情へ戻った。
「社員食堂の利用状況を確認していました。改善できる点がないか、総務部へ確認させましょう」
「なるほど。それはよいかもしれません」
恋人を見ていたとは、絶対に言えなかった。
◇◇◇
同期三人は昼食を取りながら、十年後の話を始めた。
「十年後も、俺たちは同期だろ?」
黒瀬の言葉に、創は少し考え込んだ。
十年後、自分は三十一歳。
璟瑶は五十五歳。
その頃も二人は一緒にいるのだろうか。
「宮嶋君、また箸が止まっています」
「考え事をしていただけです!」
「まさか頭取のことを考えていた?」
黒瀬の冗談に、創は危うくむせそうになった。
「違います!」
「分かりやすすぎるな」
琴葉も尋ねる。
「宮嶋君は、頭取に憧れているのですか? 銀行員として」
「そうです。それです!」
創は全力で頷いた。
「中国や東アジア金融戦略で実績のある方ですからね」
「そうなんですか?」
二人が黙った。
「憧れているのに、詳しい経歴を知らないの?」
「経営者としての雰囲気に憧れているんです!」
「ずいぶん曖昧だな」
――恋人として気になっている。
そう言えるはずもなく、創は必死に誤魔化した。
少し離れた席の璟瑶も、創が何かを言い訳している姿を見ていた。
(何を話しているのかしら……)
気になっても、頭取が新人三人の雑談へ加わることはできない。
再び視線が重なった瞬間、璟瑶は僅かに目を細めた。
――頑張って。
創も静かに目を伏せる。
――分かってる。
声も笑顔も交わさない。それでも、二人にだけは伝わっていた。
◇◇◇
午後十二時五十八分。
三人は研修室へ戻った。
「午後はコンプライアンスと情報セキュリティです」
琴葉が教材を開く。
「眠くなりそうな組み合わせだな」
「一番寝てはいけない研修です」
「水無瀬先生、厳しいな」
「先生ではありません」
そこへ研修担当者が入り、午後の研修が始まった。
「最初のテーマは、銀行員に求められるコンプライアンスと利益相反管理です」
利益相反。
その言葉は、創にとってほかの新入行員よりも重かった。
恋人は、この銀行の頭取。
採用、配属、人事評価に介入させない。
顧客情報を話さない。
仕事の相談を私生活へ持ち込まない。
便宜を受けない。
銀行内では頭取と行員でいる。
創はテキストの一文を読んだ。
『銀行における信用は、制度だけではなく、一人ひとりの行員の行動によって守られる』
そしてノートへ書き込む。
『確認。公私を分ける。信用を守る』
東都共栄銀行で教わったこと。
青嶺中央銀行で学ぶこと。
そして、欧陽璟瑶の恋人だからこそ、誰よりも守らなければならないこと。
三か月間の研修と、誰にも知られてはいけない二人の社内恋愛は、まだ始まったばかりだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創・黒瀬・琴葉の三人によるキャリア採用研修が本格的に始まりました。
同じ銀行員経験者でも、二十一歳、二十六歳、二十七歳と年齢は違い、前職で経験してきた仕事も違います。これから三か月の研修を通して、それぞれの得意分野や個性がさらに見えてくる予定です。
そして今回から、青嶺中央銀行本店21階の社員食堂も本格登場しました。
大勢の行員が普通に昼食を取る場所で、恋人の璟瑶を見つけてしまった創。
昨日までは抱き締めたり名前で呼んだりできた相手なのに、銀行では、
「お疲れさまです、頭取」
「お疲れさまです、宮嶋さん」
だけ。
それでも、お互いに目で追ってしまう二人。
黒瀬と琴葉にはまだ何も知られていませんが、創の分かりやすすぎる反応が今後どこまで誤魔化せるのかも見どころになっていきます。
次回は、三人の実務研修へ。
預金・為替・諸届に強い創。
法人融資に強い黒瀬。
資産運用に強い琴葉。
三人それぞれの銀行員としての強みが明らかになっていきます。




