番外編⑤「母と叔母と妹たち――結婚式の数日後、六人だけの女子会」
番外編⑤です。
今回は結婚式から数日後、美智子、由美子、奈緒子、雪瑶、玲瑶、そして創の母・恵美子という六人だけの女子会。
結婚式や双子のこと、創と璟瑶の昔の話、そしてこれから二人をどう支えていくのか。
両家の女性たちが、少しずつ「一つの家族」になっていく時間です。
結婚式から数日後。
家族全員の予定が合った、ある休日の昼下がり。
都内の静かな住宅街にある和食店。その奥の完全個室に、六人の女性が集まっていた。
欧陽美智子、六十八歳。
璟瑶の母で、日本人。旧姓は桜井。
その妹であり、璟瑶たちの叔母にあたる由美子と奈緒子。
璟瑶の妹、欧陽雪瑶、四十二歳。
同じく妹の欧陽玲瑶、三十九歳。
そして、創の母である宮嶋恵美子、五十歳。
六人全員が、創と璟瑶の秘密を知っている。
二人が法的な夫婦であること。
璟瑶が双子を妊娠し、男の子と女の子を無事に出産したこと。
そして数日前、秘密を知るごく限られた人々だけで行われた結婚式を見届けたこと。
ただし、今日の主役である創と璟瑶はいない。
双子も成城の家にいる。
母、叔母、妹、義母。
六人だけの、少し珍しい女子会だった。
◇◇◇
「……」
個室へ入った恵美子は、入口で一瞬立ち止まった。
「あら、恵美子さん。こちらです」
美智子が気づき、笑顔で迎える。
「すみません。お待たせしました」
「大丈夫です。私たちも、いま揃ったところですから」
雪瑶と玲瑶も立ち上がる。
「恵美子さん、先日はありがとうございました」
「こちらこそ。今日はよろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
由美子が笑う。
「今日は親族会議ではなく、女子会ですから」
「女子会……」
恵美子は周囲を見回した。
「この年齢でも、女子会と言っていいんでしょうか」
「女性が集まれば女子会です」
美智子が即答する。
「お姉ちゃんがそう言っています」
「異論は認めないそうです」
由美子と奈緒子が続く。
「そこまでは言っていないわよ」
最初の数分で、個室の緊張はすっかり薄くなった。
六人が顔を合わせるのは初めてではない。
璟瑶の入院が決まった時には、由美子と奈緒子、恵美子が成城の家に集まり、必要な入院用品を揃えた。
出産後や結婚式でも、互いに挨拶をしている。
それでも、創と璟瑶がいない場所で六人だけが食事をするのは、今日が初めてだった。
◇◇◇
午後零時二十二分。
季節の小鉢、刺身、焼き物、煮物が運ばれてくる。
美智子がグラスを手にした。
「それでは、何に乾杯しましょうか」
「お姉ちゃんたちの結婚」
玲瑶が提案する。
「それは結婚式でやったでしょう」
雪瑶が返す。
「だったら双子の誕生」
「それも、もうお祝いしたわね」
由美子と奈緒子が顔を見合わせる。
「でしたら……」
恵美子が少し考えてから言った。
「四人が、これからも元気に過ごせますように」
美智子が優しく笑う。
「それが一番いいですね」
六人はグラスを持ち上げた。
「四人のこれからに」
「乾杯」
静かな音を立てて、六つのグラスが重なった。
◇◇◇
乾杯直後、雪瑶が献立を開く。
「お母さん、追加で天ぷら盛り合わせを頼んでもいい?」
「もう料理は始まっていますよ」
「でも、この海老がおいしそう」
玲瑶も献立をのぞき込む。
「私は銀だらの西京焼きが食べたい」
「焼き物はもう出ますよ」
「別の焼き物だから大丈夫」
「何が大丈夫なの?」
美智子が呆れたように娘二人を見る。
しかし雪瑶は店員を呼び、天ぷら盛り合わせと銀だらの西京焼きを注文した。
「それから、この和牛の炙りも」
「雪瑶お姉ちゃん、それ私も食べる」
「では二皿で」
「一皿を分けなさい」
美智子が止める。
恵美子は思わず笑った。
「お二人とも、よく召し上がるんですね」
「昔からです」
「食べ盛りだから」
雪瑶が平然と答える。
「四十二歳の食べ盛りって何?」
玲瑶が聞く。
「あなたも三十九歳でしょう」
「私はまだ四十歳前だから」
「三歳しか違わないわよ」
奈緒子が笑う。
「二人とも、子どもの頃から変わらないの」
由美子が恵美子へ教える。
「璟瑶ちゃんは妹たちに料理を分けてあげて、自分の分が少なくなる子だったのよ」
「お姉ちゃん、自分がいらないものを私たちに渡していただけだよ」
玲瑶が反論する。
「違うでしょう。あなたが『それ食べたい』ってずっと見ていたからよ」
美智子に指摘され、玲瑶は黙った。
「……覚えてない」
「都合の悪いことだけ忘れるのね」
個室に笑いが起きた。
◇◇◇
話題は、自然と数日前の結婚式へ移った。
「本当に綺麗だったわね」
奈緒子が言う。
「誰が?」
「璟瑶ちゃん」
「そこは創君と言うところじゃない?」
「創君も格好よかったわよ。でも、璟瑶ちゃんのウェディングドレスは特別だったでしょう」
「お姉ちゃん、本当に似合ってた」
玲瑶が頷く。
「本人にも言った?」
雪瑶が聞く。
「『お姉ちゃん、綺麗』って」
「普通ね」
「普通でいいでしょう」
美智子は娘たちの会話を聞きながら微笑んだ。
「私も、あの子がウェディングドレスを着る姿を見られるとは思っていませんでした」
「私もです」
恵美子も頷く。
「創がタキシードを着て、あんな場所に立っているなんて、まだ不思議で」
「創君、かなり緊張していましたよね」
雪瑶が言う。
「分かりました?」
「分かります。何度も周りを確認していましたから」
「やっぱり」
恵美子は困ったように笑った。
「あの子、小さい頃からそうなんです。何かあると一度確認して、それから自分でもう一度確かめるんです」
「結婚式でも、双子の控室へ何度も行っていました」
玲瑶が思い出す。
「お姉ちゃんの体調も、ずっと気にしてた」
「心配性ですみません」
「どうして恵美子さんが謝るんですか」
美智子は首を横に振った。
「私は、むしろ安心しました。璟瑶は昔から、自分で『大丈夫』と言って無理をする子です。創君くらい心配してくれる人が、隣にいた方がちょうどいいんです」
「でも、創君も同じですよね」
雪瑶が言った。
「お姉ちゃんのことは休ませようとするのに、自分は仕事へ行って、夜も双子の世話をしているでしょう?」
「そうなんです」
恵美子も表情を曇らせる。
「創も自分のことは後回しにするところがあって」
「完全に似た者夫婦ね」
玲瑶がまとめる。
「二人とも、相手には『休んで』と言うのに、自分は『大丈夫』と言って動くのよ」
奈緒子の言葉に、六人全員が同じ光景を想像した。
そして同時に笑った。
◇◇◇
「だから、水城さんと劉川さんがいてくれるのはありがたいです」
美智子が言う。
「結婚式でも、ずっと璟瑶さんの体調を見ていましたね」
「特に水城さん」
玲瑶が笑う。
「お姉ちゃんが少し長く立っているだけで、ずっと見ていた」
「あれは『早く座ってください』という目だったよね」
「言葉にしなくても伝わるのね」
由美子が感心する。
「高峰先生からも、まだ無理をしないように言われていますから」
高峰レディースクリニックの産婦人科医、高峰澪奈。
四十五歳での双胎妊娠、帝王切開、出産、産後の回復まで見てきた医師だった。
傷の経過は良好。
けれど、出産したからといって身体がすぐに元へ戻るわけではない。
長時間立たない。
疲れたら休む。
異変があれば中止する。
仕事も短時間から再開する。
それらの条件を守ることで、ようやく結婚式は実現した。
「璟瑶さんは、もう仕事をしているんですか?」
恵美子が尋ねる。
「自宅から少しずつ戻しています」
「本店には、まだ普通に出勤していないよ」
雪瑶が答える。
「オンライン中心。久世副頭取たちが仕事をかなり分担してくださっているみたい」
「本人は焦っていませんか?」
由美子が尋ねる。
「焦っているでしょうね」
「止めなくて大丈夫?」
「止めていますよ。でも、四十五歳の娘を母親が一日中見張るわけにはいかないでしょう?」
「だったら創君」
玲瑶が言う。
「水城さんと劉川さんも」
「それから高峰先生」
雪瑶、由美子、奈緒子が続ける。
「そう。完全に包囲されています」
美智子の言葉に、恵美子は安心したように笑った。
◇◇◇
追加で注文した天ぷらと銀だらが運ばれてくる。
「いただきます」
雪瑶と玲瑶は、ほとんど同時に箸を伸ばした。
「あなたたち、最初の料理もまだ残っていますよ」
「順番に食べてるから大丈夫」
「どの順番?」
「おいしそうな順番」
玲瑶が答える。
さらに和牛の炙り、茶碗蒸し、だし巻き卵を追加する。
「まだ頼むの?」
「最後に炊き込みご飯も来るよ」
「それは別腹」
「甘い物でもないのに?」
恵美子は笑いながら二人を見た。
「創は、子どもの頃から食べる量まで慎重でした」
「食べる量まで?」
雪瑶が聞き返す。
「給食の時、最初から大盛りにはしないんです。一度普通に食べて、それでも足りなかったらおかわりする子でした」
「私たちと正反対」
「一緒にしないで。私は量を考えてる」
「いま三品追加したよね?」
玲瑶に指摘され、雪瑶は聞こえなかったふりをした。
◇◇◇
「創君は、小さい頃からいまのような子だったんですか?」
美智子が尋ねる。
「本当に、あまり変わっていません」
恵美子は懐かしそうに笑った。
「赤ちゃんの頃は、意外と静かな子でした。泣かないわけではないんですけど、周りをじっと見ていることが多くて」
「赤ちゃんの頃から確認していたの?」
玲瑶が聞く。
「そこまでは分かりません。でも、知らない人に抱かれると、その人の顔をしばらく見てから泣くんです」
「考えてから泣くの?」
「そうなんです。泣くのも少し遅いんです」
六人が笑う。
「保育園の頃は、遠足の前日に何度もリュックを開けていました。水筒、お弁当、敷物、ハンカチ。私が『全部入っているよ』と言っても、自分の目で見ないと安心できなくて」
「完全に創君ですね」
「小学校へ入ってからは、毎晩、次の日の時間割を二回確認していました」
「忘れ物はしなかった?」
「ほとんどしません。でも、必要のない教科書まで持っていくことはありました」
「使うかもしれないから?」
「そう言っていました」
雪瑶と玲瑶が同時に吹き出す。
「小学生の時、一度、通学路で財布を拾ったことがあります。中にお金が入っていて、創はすぐに交番へ持っていくと言いました」
「偉いですね」
「ただ、交番へ行く途中も『ここで合ってる?』『届けたら名前を書くの?』『持ち主が来なかったらどうなるの?』と質問ばかりで」
「慎重というか、心配性というか」
「両方だと思います」
中学生になると、その慎重さは少し別の形になった。
「学校の宿題や提出物だけではなく、家の戸締まりまで確認してくれるようになりました。私が買い物へ出ようとすると『ガス消した?』って」
「中学生の息子に言われるの?」
「はい。私が『消した』と答えると、自分で台所を見に行くんです」
「お母さんを信用していないわけではないんですよね?」
「本人は『信用と確認は別』と言っていました」
「銀行員になる前から銀行員みたい」
奈緒子の言葉に、全員が笑う。
◇◇◇
「高校生の頃はどうでした?」
雪瑶が尋ねる。
「高校へ入った頃から、卒業後のことを考えていました。大学進学も検討していましたけど、本人は早く働きたいという気持ちが強かったんです」
「どうして銀行だったんですか?」
「中学生の職業調べが、最初のきっかけだったと思います」
恵美子は当時を思い出す。
「銀行員は、窓口でお金を預かったり数えたりするだけではない。住宅ローンがあり、企業への融資があり、地域の会社を支える仕事もある。それを知って興味を持ったみたいです」
「中学生で企業融資に興味を持ったの?」
玲瑶が驚く。
「深く理解していたわけではないと思います。でも、私たちが住宅ローンの話をしているのを聞いて、『家を買う時にも銀行が必要なんだ』と驚いていました」
高校二年生になると、創は金融機関の採用情報を調べ始めた。
銀行ごとの業務内容。
高卒採用の有無。
必要な試験。
面接で聞かれる内容。
入行後に取得する資格。
ノートへ書き出し、一つずつ確認した。
「高校三年生の春に、『銀行を受けたい』と言われました」
「反対しなかったんですか?」
「心配はしました。高校を卒業したばかりの子が、お金を扱う仕事に就くんですから。でも、創は自分で何か月も調べていました。思いつきではないと分かったので、応援することにしました」
「東都共栄銀行へ入った時は?」
「本人は合格通知を何度も見ていました」
「やっぱり確認したのね」
「名前と受験番号を見て、封筒の宛名を見て、それから私に『本当に受かった』と言いました」
恵美子は微笑んだ。
「十八歳で銀行員になってからも、大変だったと思います。帰宅しても預金や為替、融資の勉強をしていました。間違えてはいけない仕事だと、本人なりに分かっていたんでしょうね」
「それで二十一歳になって、青嶺中央銀行へ転職した」
「はい。その間に結婚して、父親になって、運転免許まで取って」
恵美子は、自分で並べながら言葉を止めた。
「……改めて考えると、ずいぶん濃い一年ですね」
「二十一歳の一年とは思えない」
玲瑶が言う。
「普通なら、どれか一つでも人生の大きな出来事よ」
由美子も頷く。
「だから、無理をしていないか心配なんです」
恵美子の言葉に、美智子は静かに答えた。
「創君が一人で背負わなくて済むように、私たちもいます」
「ありがとうございます」
「でも、きっと創君は自分でやろうとするでしょうね」
「そうなんです」
「そこも璟瑶と同じです」
◇◇◇
「今度は、お姉ちゃんの子どもの頃を聞きたい」
玲瑶が言う。
「私も」
雪瑶も箸を止めた。
「あなたたちは一緒に育ったでしょう?」
「私たちが生まれる前の話は知らないから」
「それに、お母さんから見たお姉ちゃんの話を聞きたい」
美智子は少し考え、ゆっくり話し始めた。
「璟瑶が生まれたのは上海です」
父の欧陽崇岳は中国人。
母の美智子は日本人。
家の中では、中国語と日本語の両方が使われていた。
「璟瑶には、小さい頃から二つの言葉がありました。父親とは中国語、私とは日本語。でも、本人の中では特別なことではなかったみたいです」
「最初に話した言葉は?」
奈緒子が尋ねる。
「中国語の『妈妈』だったと思うけど、崇岳は日本語の『ママ』だと言い張っていました」
「どっちでも同じようなものじゃない?」
「だから、いまだに結論が出ていないの」
六人が笑う。
璟瑶は、幼い頃から人の様子をよく見る子だった。
美智子が日本から上海へ移ったばかりの頃、生活習慣や言葉の違いに戸惑うことがあった。
まだ小さかった璟瑶は、母の表情が曇ると、黙ってそばへ座った。
「五歳くらいの時、私が中国語の書類を読めずに困っていたら、璟瑶が崇岳を呼びに行ったんです。本人も読めないのに、私が困っていることだけは分かったんでしょうね」
「困ってる人を放っておけないところ、創君と同じ」
雪瑶が言う。
「本当にそうですね」
小学校へ入ると、璟瑶は中国語の授業と日本語の勉強を両立するようになった。
学校では中国語。
家へ帰れば、美智子が用意した日本語の本を読む。
夏休みには日本へ来て、由美子や奈緒子の家にも泊まった。
「覚えてるわ」
由美子が笑う。
「璟瑶ちゃん、日本へ来るたびに漢字の違いをノートへ書いていたでしょう?」
「同じ形でも意味が違う言葉を見つけては、私たちに質問してた」
奈緒子も思い出す。
「小学生なのに、新聞まで読もうとしていたわね」
「全部は分かっていなかったと思います。でも、崇岳が毎朝、経済新聞を読んでいたので真似をしていたんです」
「お父さんの隣に座ってたよね」
雪瑶が言う。
「為替の数字を見て、『昨日と違う』って」
「そうでした」
美智子は頷いた。
小学校高学年のある朝。
新聞の為替欄を見た璟瑶が、父へ尋ねた。
「どうして、同じ一万円なのに、昨日と今日で中国のお金に換えた時の金額が違うの?」
崇岳は、子どもにも分かる言葉で説明した。
国と国の間で物が売買されること。
会社や人がお金を交換すること。
世界の出来事で通貨の価値が動くこと。
そして、その間に銀行がいること。
「璟瑶は、その説明を聞いたあとも、何日も新聞の数字を見比べていました」
「お姉ちゃんらしい」
「分からないことを、そのままにできなかったんでしょうね」
◇◇◇
中学生になった璟瑶には、妹が二人いた。
雪瑶と玲瑶。
長女である璟瑶は、母に頼まれなくても妹たちを見ていた。
「私が転んだ時、一番先に来たのはお姉ちゃんだった」
玲瑶が言う。
「私も、学校へ忘れ物をした時、お姉ちゃんが届けてくれたことがある」
雪瑶も続ける。
「璟瑶は、自分が一番上だから、しっかりしなければと思っていたんです」
美智子が話す。
「その頃から、人へ甘えるのが少し苦手になりました」
玲瑶が箸を止める。
「私たちのせい?」
「違います。あなたたちが悪いわけではありません。あの子が、自分で背負いすぎていただけです」
「昔からそうだったのね」
恵美子が呟く。
「ええ。学校の成績が良くても、それで満足しませんでした。失敗すると誰かに怒られる前に、自分で自分を責める子でした」
「創も似ています」
「やっぱり?」
「はい。人へ迷惑をかけることを、必要以上に気にするんです。困っていても『大丈夫』と言うことがあって」
美智子と恵美子は顔を見合わせた。
「本当に似ていますね」
「二十四歳離れているのに、根の部分は同じなのかもしれません」
◇◇◇
「でも、お姉ちゃんは、どうして銀行員になろうと思ったの?」
雪瑶が尋ねる。
恵美子も美智子を見る。
「私も聞きたいです。創とは、きっかけが違うのでしょうか」
「いくつかの出来事が重なったんです」
美智子は少し考えてから答えた。
璟瑶が中学生の頃。
美智子の日本の家族から送られたお金が、名義や送金書類の確認で一時的に止まったことがあった。
いまほど国をまたぐ送金が簡単ではなかった時代。
中国語と日本語で記載内容が異なり、美智子は何度も金融機関へ足を運んだ。
「私は困っていました。でも、担当してくださった女性行員が、書類を一つずつ確認して、日本側にも連絡してくれたんです」
その結果、送金は無事に処理された。
担当者は最後に美智子へ言った。
「お金が届かなければ、困る人がいます。数字だけを動かしているわけではありませんから」
その場には、学校帰りの璟瑶もいた。
「璟瑶は帰宅してから、私に聞きました。『銀行の人は、お金だけじゃなくて、その先にいる人も見ないといけないの?』って」
恵美子は、その言葉に目を見開いた。
「創と同じです」
「え?」
「創も銀行について、『お金の向こうには人の生活がある』と考えているんです」
美智子は、しばらく黙ったあと微笑んだ。
「だから、二人は出会ったのかもしれませんね」
しかし、璟瑶が銀行員を志した理由は、それだけではなかった。
高校生の頃、彼女の同級生に周雨晴という少女がいた。
雨晴の両親は、上海郊外で小さな部品工場を営んでいた。
注文はある。
働く人もいる。
けれど、取引先から代金が入る前に材料費や従業員の給料を支払わなければならない。
ある時、資金繰りが急に厳しくなり、工場を続けられないかもしれないという話になった。
「雨晴さん、学校を辞めるかもしれないと言っていたそうです」
「どうして?」
玲瑶が尋ねる。
「家を手伝うためです。進学も諦めるつもりだったのでしょう」
ところが、工場の事情を丁寧に調べた銀行が、受注内容と返済計画を確認し、必要な運転資金を融資した。
工場は閉鎖を免れた。
従業員へ給料が支払われ、雨晴も学校へ通い続けることができた。
「その時、璟瑶は銀行の役割を実感したんだと思います」
「一つの融資で、会社だけじゃなく、そこで働く人や家族まで守られた」
恵美子が言う。
「はい。もちろん、すべての会社へ無条件にお金を貸せるわけではありません。返せるかどうかを見なければならない。その判断が間違っていれば、かえって相手を苦しめることもある。璟瑶は、それも父親から教わりました」
高校時代には、アジアの通貨や企業を取り巻く環境が大きく揺れた時期もあった。
為替が変動し、輸入する材料の価格が上がる。
資金を海外から借りていた企業の返済負担が増える。
新聞に並ぶ数字の変化が、実際に働く人々の生活へつながっていた。
「璟瑶は、毎日新聞を切り抜いていました。通貨、金利、企業倒産、雇用。分からない言葉を調べて、ノートへまとめていたんです」
「高校生で?」
恵美子が驚く。
「はい。私は、そこまでしなくてもいいと言ったんですけど」
「お姉ちゃんだから、やると決めたら止まらない」
雪瑶が笑う。
「大学では経済と金融を学びました。中国の金融だけではなく、日本の銀行制度や国際金融も勉強していました」
中国語、日本語、英語。
三つの言葉を使いながら、国を越えて動く資金について学ぶ。
大学在学中には金融機関での実習にも参加した。
窓口。
企業審査。
海外送金。
為替取引。
同じ銀行の中でも、役割は大きく違っていた。
「卒業を前に、璟瑶は私へ言いました」
「何て?」
「『銀行で働きたい。お金の流れを通して、会社と人の生活を支える仕事がしたい』と」
それが、欧陽璟瑶が銀行員を志した理由だった。
「最初から頭取を目指していたんですか?」
恵美子が尋ねる。
「いいえ」
美智子は首を横に振る。
「最初は、一人の銀行員として働きたかっただけです。頭取になるなんて、本人も考えていなかったと思います」
入行後、璟瑶は海外業務や法人金融に関わった。
企業の数字だけではなく、工場や店舗へ足を運び、実際に働く人の姿を見る。
中国と日本を行き来し、異なる制度や商習慣の間に立つ。
失敗もあった。
厳しい判断を迫られることもあった。
それでも経験を重ね、やがて多くの人と組織を背負う立場へ進んだ。
「だから、いま頭取なんですね」
恵美子が静かに言う。
「そうかもしれません。ただ、肩書が大きくなりすぎました」
「大きすぎますね」
雪瑶が言い、全員が笑った。
◇◇◇
「創と璟瑶さん、銀行員になった理由まで似ていますね」
恵美子が言う。
「創は、中学生の職業調べや家の住宅ローンから銀行に興味を持った。璟瑶は、国際送金や友達の家の工場を通して銀行の役割を知った」
「きっかけは違っても、見ているところは同じなのね」
由美子がまとめる。
「お金そのものではなく、その向こうにいる人」
奈緒子が続ける。
「年齢も、育った国も、立場も違うのに」
玲瑶が言う。
「そこが同じだったから、互いに分かり合えたのかもしれないですね」
美智子の言葉に、恵美子はゆっくり頷いた。
二十四歳差。
中国人女性と日本人男性。
大手銀行の頭取と若手行員。
表面だけを見れば、あまりにも違う二人だった。
けれど根にあるものは、よく似ている。
困っている人を放っておけない。
自分で決めたことは最後までやる。
誰かの生活を数字だけで判断したくない。
そして、自分のことになると「大丈夫」と言って抱え込む。
「やっぱり、似た者夫婦」
雪瑶が言った。
「そこだけは間違いないわね」
美智子も認めた。
◇◇◇
午後一時十八分。
雪瑶と玲瑶は、追加した料理まできれいに食べ終えていた。
「デザート頼んでいい?」
雪瑶が献立を開く。
「まだ食べるの?」
「甘味は別です」
「さっき、炊き込みご飯も別腹って言ってたでしょう」
「別腹は一つとは限らない」
玲瑶も献立を見る。
「私は抹茶の白玉あんみつ」
「じゃあ私は黒蜜きな粉のわらび餅と、季節のアイス」
「二つ頼むの?」
「比較したいから」
「何を?」
「おいしさ」
美智子は額へ手を当てる。
「昔からこうなんです」
「本当に食べ盛りですね」
恵美子が笑う。
結局、六人全員がそれぞれ甘味を注文した。
◇◇◇
話題は、双子へ移った。
「それにしても、二人とも可愛かった」
玲瑶が言う。
「どっちが?」
「両方」
「そう言うと思った」
「男の子は、少し創君に似ていない?」
由美子が尋ねる。
「まだ分からないでしょう。生まれたばかりよ」
奈緒子が笑う。
「でも、何となく」
「女の子の眠っている顔は、璟瑶の赤ちゃんの頃に少し似ている気がします」
美智子が言った。
「昔の写真ある?」
雪瑶がすぐに聞く。
「ありますよ」
「今度見せて」
「私も見たい」
玲瑶も加わる。
「私も、創が赤ちゃんだった頃の写真を持っています」
恵美子が言うと、五人の視線が一斉に集まった。
「見たい」
「ぜひ」
「次の女子会に持ってきてください」
「赤ちゃんの頃から高校まで全部」
「全員ですか?」
「全員です」
恵美子は困ったように笑う。
「創が嫌がりそうです」
「大丈夫です。璟瑶の写真も出しますから」
美智子が答える。
「それは璟瑶さんも嫌がるのでは?」
「娘に怒られます」
「お互い様ですね」
「そういうことです」
六人の次の予定が、本人たちの知らないところで決まりかけていた。
◇◇◇
「双子の名前は、まだ決まっていないんですよね?」
恵美子が確認する。
「まだみたいです」
美智子が答える。
「候補も聞いてない」
雪瑶は少し残念そうだった。
「二人で考えているところでしょう」
「口を出さない方がいいわね」
由美子が言う。
「名前は、お父さんとお母さんが決めるものだから」
奈緒子も頷く。
「私も、創には聞かないようにしています」
「気になるけど」
「すごく気になるけど」
雪瑶と玲瑶が続ける。
「待ちましょう。二人が決めるまで」
美智子の一言で、その話は終わった。
◇◇◇
食事が落ち着くと、話題はこれからの生活へ移った。
「璟瑶ちゃんは、いずれ本格的に仕事へ戻るでしょう?」
由美子が言う。
「創君も普通に働いている。双子はこれからもっと手がかかるようになる。四人だけで大丈夫かしら」
「夜も、毎日同じように眠ってくれるわけではないですからね」
奈緒子も心配する。
「私たちにできることは、してあげたいと思っています」
美智子が答えた。
「私も同じです」
恵美子も頷く。
「私たちも手伝うよ」
雪瑶と玲瑶が言う。
「でも、やりすぎてもいけません」
美智子の言葉に、恵美子が表情を改める。
「二人の家庭ですものね」
「そうです。私たちが手を出しすぎれば、二人が自分たちで家庭を作る時間を奪ってしまいます」
「難しいわね」
「助ける。でも、入りすぎない」
奈緒子が言う。
「必要な時に呼んでもらえる家族でいたいですね」
「はい」
恵美子は、その言葉が嬉しかった。
欧陽家と宮嶋家。
国籍も、暮らしてきた環境も違う。
それでも創と璟瑶、そして双子を中心に、一つの家族としてつながり始めていた。
◇◇◇
「私、結婚式で一番印象に残った場面があるの」
奈緒子が言う。
「どこ?」
「誓いの言葉」
創は、璟瑶が頭取だからでも、二十四歳年上だからでもない。
自分が好きになった璟瑶だから隣にいる、と誓った。
「私はあれを聞いた時、この二人なら大丈夫だと思った」
「私も」
由美子が頷く。
「私は、お姉ちゃんの誓いが好きだった」
雪瑶が言う。
「銀行では頭取だけど、家では創君の妻で、息子と娘の母親だというところ?」
「うん」
美智子は静かに微笑んだ。
「あの子が『一人で全部背負わず、創君を頼る』と言ったことが、私は嬉しかったんです」
「それほどですか?」
恵美子が尋ねる。
「璟瑶は昔から責任感が強すぎる子でした。長女としても、銀行員としても、自分がしっかりしなければならないと考えてきましたから」
「創も似ています」
恵美子が言った。
「人へ迷惑をかけることを気にして、困っていても『大丈夫』と言うんです」
「だったら、二人がお互いに教え合えばいいんです」
美智子が答える。
「一人で背負わなくてもいいと」
「そうですね」
「創君が璟瑶に頼っていいと言って、璟瑶が創君へ同じことを言う。それで、ちょうどいいのかもしれません」
◇◇◇
午後二時十一分。
話題は、二人の秘密へ移る。
「結婚式のこと、本当に誰にも言えないんだよね」
雪瑶が言う。
「ええ。いまはまだ、二人がそう決めていますから」
「写真も外へ出せない」
「私も誰にも見せていません」
恵美子が答える。
「少し寂しいですか?」
「少しは。でも、それ以上に、創たちが安心して暮らせる方が大事です」
「私も同じです」
美智子が頷く。
青嶺中央銀行頭取の結婚。
相手は、同じ銀行で働く二十一歳の若手行員。
しかも、すでに男女の双子がいる。
公になれば、銀行内だけでは収まらない。
「それに、私は創君の仕事も守ってあげたいんです」
美智子が言った。
「仕事ですか?」
「頭取の夫だと知られれば、創君自身が何をしても『頭取の夫だから』と言われる可能性があります」
「昇進しても」
「良い仕事を任されても」
「逆に失敗しても」
雪瑶、玲瑶、由美子が続ける。
「何をしても頭取と結びつけられてしまうのね」
奈緒子が言う。
「だから璟瑶は、創君の採用、配属、給与、評価、昇進、研修選抜、そのすべてに関与していません」
「創からも聞いています」
恵美子が答える。
「自分の力で仕事を覚えたいと言っていました」
「なら、私たちもそれを守りましょう」
「はい」
六人は改めて、同じ秘密を守る意味を確かめた。
それは夫婦の生活だけでなく、銀行員として歩く創の人生を守ることでもあった。
◇◇◇
午後二時三十七分。
女子会が始まって、二時間以上が過ぎていた。
最初は緊張していた恵美子も、いまではすっかり輪の中へ馴染んでいる。
「次は、創君とお姉ちゃんの昔の写真を持ち寄りましょう」
雪瑶が言う。
「創の写真、本当に見るんですか?」
「見ます」
「絶対に」
「赤ちゃんの頃から高校生まで」
玲瑶、由美子、奈緒子が続ける。
「璟瑶の上海時代の写真も用意します」
美智子も乗り気だった。
「二人に怒られませんか?」
「二人とも同時に怒るでしょうね」
「やっぱり」
「でも、次もやります」
美智子が言い切る。
「私も参加していいんですか?」
恵美子が尋ねると、五人が一斉に答えた。
「もちろん」
「……ありがとうございます」
恵美子は、少し照れたように笑った。
◇◇◇
店を出る前、美智子が一言だけ伝える。
「二人が自分たちで話せる日が来るまでは、私たちは今までどおりです」
「はい」
「分かってる」
「もちろん」
「任せて」
「家族だけの秘密ね」
全員が頷いた。
◇◇◇
同じ頃。
午後三時十二分。
成城の新居では、創が息子を抱き、璟瑶が娘を抱いていた。
『今頃、母さんたち、何を話してるんだろ』
「絶対、私たちのこと」
『やっぱり?』
「ほかに共通の話題、ある?」
『……ないか』
「あるかもしれないけど、最初は私たちでしょうね」
『怖いな』
「何が?」
『俺の昔の話』
「聞きたい」
『やめて』
「どうして?」
『恥ずかしいから』
「私は聞きたい」
『それなら、璟瑶の昔の話も聞くからな』
「いいよ」
『いいの?』
「創になら」
『……』
「何?」
『そう言われると、俺だけ嫌って言えない』
璟瑶が小さく笑う。
「じゃあ、二人とも聞かれる?」
『何でそうなるの』
「公平」
創は腕の中の息子を見る。
『父ちゃんを助けて』
当然、返事はない。
「息子を味方にしないで」
『じゃあ娘。助けて』
「そっちも私の味方」
『もう二対一じゃん』
「四人家族だから」
『計算が合わないよ』
その直後、娘が小さな声を出した。
「ふぇ……」
「あ、起きた」
続いて、息子も身体を動かす。
「ふぇぇ……」
『こっちも起きた』
「ほら、女子会のことを考えている場合じゃないよ」
『はい』
創は哺乳瓶を準備するために立ち上がる。
「創」
『何?』
「お湯は?」
『確認した』
「温度」
『これから確認する』
「ミルクの量」
『それも見る』
創は振り返った。
『璟瑶』
「何?」
『いま、俺より確認してない?』
「双子のことだから」
『俺もだけど』
「じゃあ、二人で確認」
『それが一番いいか』
◇◇◇
創と璟瑶の知らないところで、六人の家族が二人のことを語っていた。
結婚式。
双子。
仕事。
幼い頃。
学生時代。
銀行員を志した理由。
そして、これからの四人の生活。
六人は、二人の家庭へ必要以上に入り込むつもりはない。
それでも、育児で疲れた時。
璟瑶が仕事へ戻り、無理をしそうになった時。
創が仕事と家庭の両方を一人で背負おうとした時。
手を伸ばせる家族でいたいと思っていた。
結婚は、二人だけがつながることではない。
家族と家族が、新しい縁でつながることでもある。
中国で生まれ育ち、銀行員になった璟瑶。
日本で育ち、高校卒業と同時に銀行員になった創。
二人の道は、まったく違う場所から始まった。
けれど、お金の向こうにある人の生活を見たいという思いは、同じだった。
そしていま、二人は夫婦となり、男女の双子の父と母になった。
欧陽家と宮嶋家の距離も、六人だけの女子会を通して、また一つ近くなった。
秘密の夫婦だった二人は、いま、秘密を守られる四人家族になっている。
その家族を支える人たちも、少しずつ増えていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、創と璟瑶がいない場所で開かれた、両家の女性たちだけの女子会でした。
二十四歳差も、頭取と若手銀行員という立場も越えて、今では六人にとって二人は大切な家族です。
助けすぎず、それでも必要な時には手を差し伸べる。
そんな両家の支えを背に、創と璟瑶、そして双子の四人家族の物語は、いよいよ第101話へ続きます。




