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番外編④「女将だけが知っている――花乃家、いつも通りの暖簾の向こうで」


番外編④です。


今回は、結婚式後の花乃家女将・花村千鶴の一日。


いつも通り店を開けたその日に、偶然にも創の前職・東都共栄銀行でお世話になった人たちが昼食に訪れます。


創の結婚式に出席したことを隠しながら、千鶴が大切な秘密を守り抜くお話です。



 結婚式から数週間後。


 ある休日の午前八時十二分。


 まだ暖簾の出ていない花乃家に、包丁と食器の音だけが響いていた。


「よいしょ……」


 女将の花村千鶴、五十八歳は、布巾を手に店内へ出る。


 今日は、いつもどおりの営業日。


 それでも、結婚式から帰って以来、ふとした瞬間にあの日を思い出してしまう。


 ホテル・グランセレスティア東京。


 白いウェディングドレスをまとった、欧陽璟瑶。


 その隣に立っていた、宮嶋創。


 以前、花乃家へ来た二十一歳の青年が結婚していることは知っていた。


 しかし、その妻が青嶺中央銀行の頭取で、二人の間に男女の双子まで生まれているとは想像もしなかった。


「……いま考えても、すごいわね」


 テーブルを拭く手が止まる。


 誰に聞かせるでもなく呟いたあと、千鶴は小さく首を振った。


「仕事、仕事」


 入口を掃除し、座敷を整え、箸やおしぼりを補充する。調味料の残量と予約帳を確認し、厨房の仕込みにも目を配る。


 長年続けてきた女将の仕事に、身体は自然に動いた。


 ただ、あの日の記憶だけは、何度振り払っても戻ってくる。


「まさか、宮嶋君の奥さんが……」


 そこまで口にしたところで、千鶴は慌てて口を閉じた。


 厨房から誰かが来るかもしれない。


 創と約束した秘密だった。


 ◇◇◇


 結婚式当日。


 千鶴は、開いた控室の扉の向こうにいた花嫁を見て言葉を失った。


「……創君」


『はい』


「奥さんって……まさか、青嶺中央銀行の欧陽頭取?」


『はい』


「……聞いてない!」


『言えませんでした』


「そりゃ言えないわよ!」


 いま思い出しても、自分の声は大きかった。


 けれど、驚き以上に嬉しかった。


 創も璟瑶も、心から幸せそうに笑っていた。


 二人のそばには、生まれたばかりの双子もいた。


 それだけで十分だった。


 だから千鶴は約束した。


 誰にも話さない、と。


 ◇◇◇


 午前十時四十八分。


 千鶴は看板を出し、入口に暖簾を掛ける。


「よし」


 午前十一時、花乃家が開店した。


 最初に訪れたのは、二十年来の常連である田所修一と和子の夫婦だった。


「女将さん、今日もよろしく」


「はい。いらっしゃいませ」


 続いて、近所に住む藤崎佳奈と、高校三年生の娘・美羽が入ってくる。佳奈は三十八歳、美羽は十八歳。休日によく二人で昼食に来る親子だった。


「美羽ちゃん、今日は部活ないの?」


「午後からです。だから、その前にお母さんと」


「相変わらず仲がいいわね」


 その次は、大学生の恋人同士。


 二十一歳の森川陽菜と、二十二歳の伊藤直樹だった。


 さらに、近くの会社に勤める社会人四人組も来店する。


 三十四歳の榊原雄大、三十二歳の野村亮介、三十歳の吉岡紗季、二十九歳の本田莉奈。


 仕事が休みの日にも集まる、花乃家の常連客だった。


「女将さん、今日は四人ともおすすめ定食で」


「まだ内容も聞いてないでしょう?」


「女将さんのおすすめなら間違いないですから」


「あとで文句を言っても知らないわよ」


 店内に笑いが広がる。


 いつもの声。


 いつもの客。


 いつもの花乃家だった。


 ◇◇◇


 午前十一時五十八分。


 入口の扉が開いた。


「いらっしゃいませ――」


 千鶴は、入ってきた顔ぶれを見て言葉を止める。


 先頭にいたのは、東都共栄銀行城東支店長の神崎隆之。


 その後ろに、副支店長の牧野浩明、融資営業課長の倉持俊介、三谷正臣、松岡海斗が続く。


 さらに、創の前職時代に窓口を担当していた三人の女性行員もいた。


 佐伯美咲、小野寺奈緒、高瀬真由。


 いずれも、創が東都共栄銀行に勤務していた頃の上司や先輩、同僚、後輩だった。


「あら。今日はずいぶん大人数ですね」


「たまたま昼の時間が合いまして」


 神崎が答える。


「奥のお座敷が空いていますよ」


「ありがとうございます」


 千鶴は表情を変えずに案内する。


 内心では、少しだけ緊張していた。


 創の前職時代を知る人たちが、結婚式後のこの日に揃って現れた。


 もちろん、彼らは何も知らない。


 ◇◇◇


 座敷へ入ると、牧野が神崎に上座を勧めた。


「今日は、そういうのはいいだろ」


「支店長はそう言って、結局いつもそこに座るじゃないですか」


「お前たちが座らせるんだろう」


 倉持が上座を示す。


「では、今日もお願いします」


「ほら。やっぱりだ」


 女性行員たちが笑う。


「俺、こっちに座ります」


 松岡が料理を運びやすい席を選ぶ。


 三谷がすぐに指摘した。


「お前、料理に近い場所を選んだだろ」


「違いますよ」


「本当に?」


「本当です」


 賑やかな一行にお茶を出し、千鶴は厨房へ戻る。


 注文は、刺身定食、焼き魚、煮魚、天ぷら、海鮮丼と見事に分かれた。


 正午を過ぎ、花乃家は昼の最も忙しい時間を迎える。


 千鶴は座敷、カウンター、テーブル席の間を休みなく行き来した。


 そんな時だった。


「女将さん」


 松岡に呼び止められる。


「はい。お茶ですか?」


「それもお願いします。でも、その前に一つ聞いていいですか?」


「何でしょう?」


「この前、俺たちが来た日、女将さんはいませんでしたよね?」


「……」


 千鶴の動きが、ほんの一秒だけ止まった。


 あの日、店を休んだ理由。


 創と璟瑶の結婚式へ出席するためだった。


 目の前にいる人たちは、創が結婚していることすら知らない。


「あの日ね」


「はい。女将さんがいないなんて珍しいなと思って」


「知り合いの結婚式に呼ばれていたのよ。それで店を任せて、少し出ていたの」


「結婚式だったんですか」


 牧野が頷く。


「それなら休まないと駄目だな」


「ご親戚ですか?」


 佐伯美咲が尋ねる。


「親戚ではないわ。以前から縁のある知り合いよ」


 完全な嘘ではない。


 創は花乃家を訪れた客であり、それをきっかけに縁ができた。


 千鶴は、それ以上話さなかった。


「そうだったんですね。俺、体調でも悪いのかと思いました」


「心配してくれたの?」


「そりゃ、しますよ」


「ありがとう。でも、見てのとおり元気よ」


「見れば分かります」


「それ、どういう意味?」


 席に笑いが起き、話題はそこで終わった。


「お茶、持ってきますね」


 厨房へ戻った千鶴は、誰にも見えない場所でそっと胸を押さえる。


「……危なかった」


 もし創の名前を口にすれば、彼の結婚が前職の上司や同僚へ一気に知られてしまう。


 妻の名前まで漏らせば、さらに大変なことになる。


 青嶺中央銀行へ転職した若手行員の妻が、その銀行の頭取。


 絶対に話せなかった。


 ◇◇◇


 十二時二十七分。


 神崎が刺身定食を食べながら、ふと呟いた。


「そういえば、宮嶋は元気にやっているかな」


 少し離れた場所にいた千鶴にも、その声が聞こえた。


 手は止めない。


 しかし、耳だけが自然とそちらへ向く。


「青嶺中央銀行の法人営業に配属されたと聞いています」


 倉持が答える。


「宮嶋さん、全然連絡してきませんね」


 松岡が少し不満そうに言う。


「転職したんだ。向こうで忙しいんだろう」


 神崎は穏やかだった。


「いつまでも前の職場へ連絡する必要はない。元気なら、それでいい」


「新しい銀行でも、確認ばかりしていそうですね」


 三谷が笑う。


「最初はそれくらいでいい」


 倉持が言った。


「銀行が変われば、規程も手続きも違う。分かったつもりで進めるより、聞く方がいい」


「でも、宮嶋さんは確認しすぎる時がありましたよね」


「松岡君は確認しなさすぎる時があったけどね」


 高瀬真由が返す。


「高瀬さんまで!」


「それは私も思っていました」


 小野寺奈緒も加わる。


「佐伯さんは?」


「否定はしないかな」


「三対一じゃないですか」


 再び、座敷に笑いが広がった。


 千鶴がお茶を運ぶと、神崎が尋ねる。


「女将さん。宮嶋は転職してから来ましたか?」


 また一瞬、心臓が跳ねる。


「前に一度、顔を見せてくれましたよ」


「元気そうでした?」


「ええ。元気そうでした」


「それならよかった」


 千鶴が伝えたのは、それだけだった。


 結婚していることも。


 妻がいることも。


 双子の父親になったことも。


 自分が結婚式へ出席したことも言わない。


 ただ、元気そうだった。


 それだけなら、秘密を破ったことにはならない。


 ◇◇◇


「十八歳で入ってきた時は、本当に若かったからな」


 神崎が懐かしそうに笑う。


「いまも二十一歳です。十分若いですよ」


 牧野が答える。


「そうだった。まだ二十一か」


「銀行員としては、もう四年目くらいの感覚でしょうね」


「宮嶋さん、最初から落ち着いていましたよね」


 松岡が言うと、三谷が首を横に振った。


「いや、最初はかなり緊張していたぞ」


「そうなんですか?」


「ああ。ただ、緊張すると余計に確認が増えるんだ」


「いまも変わってなさそうですね」


 千鶴は心の中で思う。


 本当に変わっていない。


 結婚式でも創は、招待客、秘密保持、双子の移動、璟瑶の体調、式の時間まで、何度も確認していた。


 思わず笑みがこぼれる。


「女将さん?」


 松岡が気づく。


「何?」


「いま、笑いました?」


「笑ってないわよ」


「絶対に笑ってました」


「あなたたちの話が面白かっただけ」


「本当ですか?」


「本当」


 それ以上は答えなかった。


 ◇◇◇


 午後一時七分。


 東都共栄銀行の一行が食事を終える。


「ごちそうさまでした」


「ありがとうございました」


 会計を済ませた神崎が、千鶴へ声をかける。


「また来ます」


「はい。いつでもどうぞ」


「宮嶋が来たら、よろしくお願いします」


「もちろん。宮嶋君なら、いつでも歓迎ですよ」


 神崎は、その言葉に込められた意味を知らない。


 次に創が訪れる時、一人とは限らない。


 妻の璟瑶と、男女の双子。


 四人で暖簾をくぐるかもしれない。


 結婚式の日、千鶴は創に言った。


「今度は四人で花乃家に来なさい」


 その日を、少し楽しみにしていた。


 ◇◇◇


 午後二時十八分。


 昼の混雑が落ち着き、千鶴は店の奥で休憩を取る。


 そこには夫で店主の花村誠司、父の清一、祖父の源蔵、祖母のトヨがいた。


「ああ、疲れた」


 千鶴がお茶を飲むと、トヨが尋ねる。


「千鶴。あんた、この前、店を休んだでしょう」


「……何、急に」


「誠司から、結婚式に呼ばれたと聞いたよ」


 千鶴は夫を見る。


「俺は『知り合いの結婚式』としか言っていないぞ」


「誰の結婚式だったんだ?」


 清一も興味を示す。


「……」


「言えないのか?」


 源蔵が尋ねる。


「言えない」


「怪しいねぇ」


「別に怪しくないわよ」


「俺も名前は聞いてない」


 誠司の言葉に、清一が驚く。


「家族にも話していないのか?」


「うん」


 千鶴は少し考えた。


 妻の名前は絶対に言えない。


 ただ、創の結婚式だったことだけなら、家族が口外しないと約束してくれるなら話してもよいかもしれない。


「……絶対、誰にも言わない?」


 四人の表情が変わる。


「そんなに大げさな話なのか?」


「大げさなの。だから、外では絶対に話さないで」


「分かった」


 清一が頷く。


「言わん」


 源蔵も答える。


「私も言わないよ」


 トヨが続き、誠司も頷いた。


「もちろんだ」


 千鶴は声を落とす。


「あの日、宮嶋君の結婚式だったの」


「……宮嶋君?」


 誠司が聞き返す。


「前に店へ来ていた、あの若い銀行員か?」


 清一も身を乗り出す。


「そう」


「あの二十歳そこそこの?」


「二十一歳」


「まあ……結婚したの?」


 トヨが目を見開く。


「結婚式の前に、もう籍を入れていたみたい」


「そうだったのか」


「本人たちには事情があって、結婚を公表していないの。だから誰にも言わないで」


「それなら、なおさら言わん方がいい」


 源蔵が答える。


 しかし、当然の疑問が続いた。


「奥さんは誰なんだ?」


 誠司が尋ねる。


「言わない」


「名前くらいは」


「駄目」


「俺にも?」


「あなたにも」


「千鶴、お前は知っているんだろう?」


 清一も聞く。


「結婚式に行ったんだから知ってる。でも、名前は言わない」


「それでいい」


 源蔵が静かに言った。


「人様が秘密にしていることを、知ったからといって家族にまで全部話す必要はない」


「おじいちゃん、そのとおり」


「それなら聞かないよ」


 トヨも頷く。


 誠司が一つだけ尋ねた。


「幸せそうだったか?」


 千鶴は、その質問を少し意外に思った。


 そして笑う。


「うん。すごく幸せそうだった」


「なら、いいじゃないか」


「うん」


 ◇◇◇


「それで、さっき大きなため息をついていたのか」


 誠司が気づく。


「今日来ていたのは、宮嶋君の前の職場の人たちなの」


「だから緊張していたのか」


「結婚式の日に休んだ理由を、真正面から聞かれたのよ」


「何と答えた?」


「知り合いの結婚式。それだけ」


「嘘ではないな」


 源蔵が頷く。


「前の職場の人たちは、宮嶋君が結婚していることを知らないのか?」


 清一が尋ねる。


「たぶんね。少なくとも今日の様子では知らなかった」


「それなら、なおさら話せないな」


「そうなの」


「でも、千鶴」


 トヨが、じっと娘の顔を見る。


「何?」


「そんなに驚くような奥さんなのかい?」


「……何で?」


「顔に書いてあるよ。結婚式から帰った日、あんたはずっと『まさかねぇ』って言ってたでしょう」


 千鶴は固まる。


「……」


「言ってたな」


 誠司も頷く。


「俺も聞いた」


 清一も言う。


「わしもだ」


「みんな聞いてたの!?」


 千鶴は両手で顔を覆った。


「誰なんだよ」


「言わない!」


「はいはい」


「ただ……すごく綺麗な人だった」


「あら」


 トヨが微笑む。


「宮嶋君より年上?」


「それも言わない」


「そこまで秘密なのか」


「約束したから」


 千鶴は徹底していた。


 欧陽璟瑶、四十五歳。


 中国人女性で、青嶺中央銀行の頭取。


 創とは二十四歳差。そして、双子の母親。


 千鶴はすべて知っている。


 しかし、家族へ伝えたのは、創の結婚式へ出席したという事実だけだった。


 ◇◇◇


 午後二時四十八分。


「そろそろ店へ戻るわ」


 千鶴が立ち上がる。


「俺も戻る」


 誠司も続く。


「千鶴」


 清一が呼び止める。


「宮嶋君が今度来たら、祝いくらい出してやれ」


「そうする」


「ただし、本人が嫌がることはするなよ」


 源蔵も言う。


「分かってる」


「奥さんも連れてくるといいね」


 トヨが微笑む。


「……うん。いつか四人で来てくれたらいいなって思ってる」


 その場の時間が止まった。


「四人?」


 誠司がまん丸に目を見開く。


「……」


「いま、四人と言ったよな?」


「言ってない」


「言った」


 清一も驚いて目を見開き、反射的に口を手で押さえた。


「まさか……」


 その隣で、トヨも「あっ」と声を漏らし、同じように両手で口元を覆う。


 源蔵だけは静かに千鶴を見ていた。


「宮嶋君と奥さん。それから、あと二人」


 誠司は、まん丸になった目のまま固まっている。


「もしかして、子どもがいるのか?」


「……」


「千鶴?」


「もう、そこから先は聞かないで」


 誠司はしばらく妻を見つめたあと、静かに頷いた。


「分かった」


 清一は口を押さえたまま、もう片方の手を上げる。


「俺も、何も聞いていない」


「私も忘れるよ」


 トヨも慌てて頷く。


「そうしろ」


 源蔵が短くまとめた。


「ごめん。私から言ったのに」


「いいよ」


 誠司の目が、ようやく元の大きさに戻る。


「それ以上は言わなくていい。本人たちのことなんだろ?」


「うん」


「なら、本人たちが話す時まで待てばいい」


「ありがとう」


 結局、家族は創に子どもがいることを薄く察した。


 けれど、人数も性別も年齢も聞かなかった。


 何より、妻の正体は誰も知らないままだった。


 ◇◇◇


 午後三時。


 千鶴は、再び女将の顔へ戻る。


「いらっしゃいませ」


「ありがとうございました」


 午後五時を過ぎると、夜の客が入り始めた。


 予約席を整え、料理を運び、会計をする。


 午後六時には、店内が再び賑やかになった。


 午後七時十二分。


 わずかに手が空いた千鶴は、入口の暖簾を見る。


 いつか、あの扉を開けて創が入ってくるかもしれない。


 その隣には璟瑶。


 さらに、男の子と女の子の双子。


 四人で花乃家を訪れる日が来るかもしれない。


「いらっしゃいませ」ではなく、「おかえり」と言いたくなるかもしれない。


 けれど、ほかの客がいるなら、絶対に「欧陽頭取」とは呼ばない。


 創の妻として、一人の客として迎える。


 千鶴は、そう決めていた。


 ◇◇◇


 午後九時四十七分。


 最後の客を見送る。


「ありがとうございました」


 暖簾を下ろし、入口を閉める。


 誠司が厨房を片付けながら、千鶴に言う。


「今日は大変だったな」


「いつもどおりよ」


「銀行の人たちが来たからだろ?」


「……それは、ちょっと大変だった」


「秘密を守るのも大変だな」


 千鶴は少し考える。


「でも、嫌じゃない」


「そうか」


「宮嶋君は、私を結婚式に呼んでくれた。それって、私なら知っても大丈夫だと思ってくれたってことでしょう?」


「そうだな」


「なら、守るわよ」


「奥さんの名前も?」


「絶対に言わない」


「俺にも?」


「言わない」


「まだ駄目か」


「当たり前でしょう」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 ◇◇◇


 午後十時十二分。


 店内の照明が一つずつ消えていく。


 千鶴は最後に入口を確認し、暖簾を丁寧に畳んだ。


 今日、創の前職の人たちが来た。


 松岡から、店を休んだ理由を聞かれた。


 千鶴が答えたのは、「知り合いの結婚式」という言葉だけ。


 家族には、創の結婚式だったことを明かした。


 しかし、妻の名前も、年齢も、勤務先も話していない。


 欧陽璟瑶… 青嶺中央銀行頭取で二十四歳差の妻。


 その事実は、千鶴の胸の中に残っている。


 双子の存在は、うっかり「四人」と言ったことで家族に察されてしまった。


 それでも、家族はそれ以上聞かなかった。


 秘密は、まだ守られている。


 千鶴は静かな店内を見渡した。


「……宮嶋君」


 誰にも聞こえない声で呟く。


「今度は四人でいらっしゃい」


 いつか創、璟瑶、息子、娘の四人が、花乃家の暖簾をくぐる日が来る。


 その時、千鶴は何も知らない女将の顔をする必要があるかもしれない。


 けれど暖簾の内側では、いつもどおり温かく迎えるつもりだった。


 秘密を知っているからこそ、口を閉じる。


 それが、預けられた信頼への返し方だと、花村千鶴は知っていた。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、花乃家の女将・千鶴の視点で、結婚式後の日常を描きました。


神崎たちには「知り合いの結婚式」とだけ伝え、家族にも創の結婚式だったことまでしか明かさない千鶴。


璟瑶の名前や頭取という立場、そして二人の大切な秘密については、最後まで守り続けます。


いつか創、璟瑶、そして双子の四人が花乃家を訪れる日を、千鶴は静かに待っています。


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