第100話「もう一度、君と結婚する――秘密を知る人だけの小さな結婚式」
第100話です。
今回は、法的にはすでに夫婦となっている創と璟瑶が、大切な人たちの前で改めて誓いを交わす結婚式のお話です。
退院後すぐではなく、産後の回復を優先しながら準備を進め、仕事や双子との生活も続けてきた二人。
そして迎える、秘密を知る人だけの小さな結婚式。
創がもう一度、璟瑶を妻として選ぶ日です。
双子の退院から、約一週間後。
東京都世田谷区。
成城の新居… 午後のリビング。
宮嶋創・二十一歳と、欧陽璟瑶・四十五歳は、久しぶりに静かな時間を過ごしていた。
息子も娘も眠っている。
帝王切開による出産から、まだ日が浅い。
璟瑶の身体は順調に回復しているものの、完全に元へ戻ったわけではなかった。
だから、何も急がない。
まずは母体の回復。
そして、双子との生活を安定させる。
それを最優先にしていた。
『なあ』
「何?」
『結婚式、やっぱりしたい?』
璟瑶は創を見る。
「創は?」
『俺は、したい』
即答だった。
璟瑶が少し笑う。
「じゃあ、する」
『そんな簡単に?』
「私たち、結婚した時から普通じゃなかったでしょ」
『それは、そうだけど』
「大勢は呼ばない。秘密を知っていて、本当に来てほしい人だけ」
『小さな式?』
「うん」
『いいな』
創は左手を見る。
仕事が休みの今日は、薬指に4℃ BRIDALのシンプルなプラチナリングがある。
璟瑶の左手にも、同じ指輪が輝いていた。
二人は、すでに法的な夫婦である。
指輪も、すでに交換している。
それでも創は言った。
『もう一回、指輪を交換したい』
璟瑶は少し黙り、やがて柔らかく笑った。
「いいよ」
◇◇◇
数日後。
東京都内にあるホテル・グランセレスティア東京。
一般客とは接触しない専用入口に、送迎車が到着した。
創は運転免許を取得したばかりだが、この日は運転しなかった。
産後の妻と新生児二人を乗せ、慣れない道を走る必要はない。
安全を優先し、送迎を手配していた。
後部座席には、璟瑶と双子。
その隣には、水城絢乃・三十一歳がいる。
「頭取、ゆっくりで大丈夫です」
「分かってる」
「階段も極力使いません」
「水城」
「はい」
「今日は秘書?」
「半分は結婚式のお手伝いです」
『もう半分は?』
「頭取が無理をしないように監視します」
『お願いします』
「創」
璟瑶が睨む。
だが、創も水城も気にしなかった。
◇◇◇
専用打ち合わせ室。
担当プランナーの有坂美月・三十四歳が、三人を迎えた。
「担当いたします、有坂美月です。本日はご体調を最優先に、短時間でご案内いたします」
「ありがとうございます」
『お願いします』
有坂は事前の希望を確認する。
「少人数での完全貸切。外部には一切非公開。お子さま二名も参加。新婦様はご出産後のため、長時間の立位を避ける。こちらで間違いございませんか?」
「はい」
「承知いたしました」
最初に案内されたのは、チャペル・ルミエール。
白を基調とした空間に、淡い木目が組み合わされている。
正面の大きな窓から、柔らかな自然光が差し込んでいた。
最大四十名ほど入れるが、少人数でも広すぎる印象にはならない。
創は祭壇を見つめる。
ここに自分が立つ。
扉が開き、ウェディングドレス姿の璟瑶が歩いてくる。
その光景を想像した。
『ここ、いい』
「私も」
少し後ろに立つ水城も、何も言わずに微笑んでいた。
続いて案内されたのは、小規模な会食に使えるセレスティア・サロン。
専用入口、控室、個室があり、一般客との接触を最小限にできる。
「予約情報へアクセスできるスタッフも、必要最小限に限定します。招待客名簿は非公開。スタッフによるSNS投稿や、写真の広告利用も行いません」
璟瑶が確認する。
「招待客にも、SNSへの投稿禁止をお願いできますか?」
「ご案内文へ明記いたします」
『写真を撮るのは?』
「個人的な撮影は可能です。ただし、外部公開は禁止といたしましょう」
『お願いします』
隣の個室には、ベビーベッドを二台置ける。
授乳、おむつ替え、調乳に必要な設備も用意できるという。
『式の途中で二人が泣いたら?』
「泣いていただいて大丈夫です」
『本当に?』
「赤ちゃんですから」
水城が笑う。
「宮嶋さん、病院でも同じことを言われませんでしたか?」
『言われました』
璟瑶も尋ねる。
「二人とも泣いたら、式は止める?」
「止めても、続けても構いません。決められた進行にご家族を合わせるのではなく、ご家族に合わせて進行いたします」
創は、その言葉が気に入った。
『ここにしよう』
「うん」
◇◇◇
日程は、退院から約一か月後。
出産から数えれば、約一か月半後。
高峰澪奈の許可が得られることを条件とし、璟瑶の体調次第では延期できる契約にした。
長時間立たない。
披露宴ではなく、短時間の会食にする。
途中で自由に休憩でき、双子の都合を最優先する。
そうして、家族に無理のない小さな結婚式が決まった。
◇◇◇
式までの間も、二人の日常は続いた。
創は、青嶺中央銀行本店の法人営業第一部で働く。
東央精密製作所への融資は、まだ正式審査中だった。
「宮嶋。設備が動いたからといって、すぐ売上になるわけじゃない」
相沢拓也が資料を指す。
「売上の立ち上がりが四か月遅れた場合、運転資金がどこまで持つか、もう一度確認しよう」
『はい』
「次の訪問で、東条社長にも確認するぞ」
『分かりました』
創は相沢とともに東央精密製作所を訪れ、東条信之社長、小田切昌弘と面談した。
製造現場へ入り、設備の設置場所や生産工程も確認する。
机の上の数字だけでは分からない、人の動きと現場の実態を見る。
少しずつ、法人営業の銀行員として前へ進んでいた。
仕事が終われば、夫と父親へ戻る。
ミルクを作り、おむつを替える。
哺乳瓶を洗い、息子と娘を抱き、寝かせる。
その合間に、結婚式の招待状を確認した。
◇◇◇
一方、璟瑶も短時間のリモート勤務を続けていた。
ある日の午前十時。
成城の書斎。
画面の向こうに、水城と劉川景仁がいる。
「本日は午前三十分、午後二十五分です」
「少ない」
「十分です」
「少ない」
劉川が穏やかに言う。
「頭取、昨日も同じ会話をしました」
「昨日は午後二十分だった」
「本日は五分増えています」
「……」
璟瑶は納得していない。
それでも、決められた時間には従った。
久世宗一郎が国内全体。
黒崎忠彦が法人金融。
早乙女慶一と陳高明が市場・海外・東アジア。
西園寺香織が地域銀行。
御子柴泰成が人事。
各担当が案件を整理し、璟瑶には最終判断が必要なものだけを上げる。
「頭取、終了時間です」
「あと五分」
「終了です」
「三分」
「終了です」
「一分」
「終了です」
「水城、厳しくなった?」
「以前からです」
その時、書斎の外から息子の泣き声が聞こえた。
続いて、娘も泣き始める。
劉川が微笑む。
「頭取、お母さんの時間です」
璟瑶も小さく笑った。
「はい」
オンライン会議を終了する。
◇◇◇
招待客は、本当に限られた人だけにした。
両家の両親と姉妹、親族。
久世、御子柴、早乙女、黒崎、劉川、水城。
創の上司である桐生雅人。
幼馴染の瀬川航平と同級生の小野寺結衣。
父・和久の友人である片桐正臣。
そして、花乃家の女将・花村千鶴。
もちろん、息子と娘も参加する。
◇◇◇
ある平日の午後。
創は東央精密の修正版資料とともに、一通の封筒を桐生の机へ持っていった。
『桐生さん』
「何だ?」
『修正版です』
「置いておいてくれ」
『それと、これを』
桐生が封筒を見る。
「招待状?」
『俺と璟瑶の結婚式です』
桐生は反射的に周囲を見た。
「ここで名前を言うな」
『すみません』
「式をするのか?」
『はい。小さな式です』
桐生は招待状を見つめる。
「俺が行っていいのか?」
『来てほしいです』
「新郎側が少ないから、人数合わせか?」
『違います』
創は即答した。
『俺が銀行で一番世話になっている上司だからです』
桐生は少し黙った。
「分かった。出席する」
『ありがとうございます』
「ただし、この招待状を机に置きっぱなしにするなよ」
『もちろんです』
桐生は招待状を引き出しへしまった。
「改めて、おめでとう」
『ありがとうございます』
◇◇◇
衣装合わせ。
創はタキシードを着て、鏡の前に立った。
『自分じゃないみたい』
水城が答える。
「宮嶋さんです」
『分かってます』
次に、璟瑶がウェディングドレスへ着替える。
産後の身体へ負担をかけないよう、締め付けが少なく、軽くて動きやすいものを選んだ。
カーテンが開く。
創は声を失った。
「創?」
『……綺麗』
「それだけ?」
『ほかの言葉が出ない』
少し離れた場所で、水城の目が潤む。
有坂が笑う。
「水城様、本番前です」
「分かっています」
◇◇◇
式の前には、高峰レディースクリニックで産後診察を受けた。
「傷口も問題ありません。回復は順調です」
「ありがとうございます」
「ただし、結婚式で無理をしないこと」
「はい」
「長時間立たない。途中で休む。体調が悪ければ中止する」
「はい」
澪奈は創を見る。
「宮嶋さん」
『はい』
「無理をしそうになったら止めてください」
『任せてください』
「創」
「無理、仕事、長時間の式、抱え込み。全部です」
『全部止めます』
「創」
璟瑶だけが、不満そうだった。
◇◇◇
そして。
退院から約一か月。
出産から約一か月半後。
土曜日のホテル・グランセレスティア東京。
一般客も、報道機関も、青嶺中央銀行の多くの行員も知らない。
秘密の結婚式が始まる。
◇◇◇
午前九時十二分。
招待客が専用入口から到着する。
全員が事前に守秘事項を確認していた。
SNSへ投稿しない。また写真を外部へ公開しない。
新婦の身元、創の勤務先、双子の存在を口外しない。
これは、秘密を知る人だけの結婚式だった。
◇◇◇
新郎控室。
タキシード姿の創を、幼馴染の瀬川航平が見つめる。
「創。本当に結婚してたんだな」
『してる』
「俺、今日初めて奥さんを見るんだけど」
『うん』
「名前は?」
『もうすぐ分かる』
「年齢は?」
『もうすぐ分かる』
「仕事は?」
『もうすぐ分かる』
「お前、何も教えないな」
『だから今日、来てもらった』
小野寺結衣も呆れたように笑う。
「友達が結婚していたのに、ここまで何も知らなかったの、初めて」
『ごめん』
「まあ、今日全部分かるんでしょ?」
『うん』
「楽しみにしてる」
◇◇◇
新婦控室。
璟瑶はウェディングドレス姿で、鏡の前に座っていた。
そばには水城。
後ろには母・美智子、妹の雪瑶と玲瑶、由美子、奈緒子がいる。
「お姉ちゃん、綺麗」
「ありがとう」
「本当に結婚式をするんだね」
「うん」
美智子が娘を見る。
「璟瑶」
「何?」
「幸せ?」
璟瑶は鏡の中の自分を見つめ、静かに笑った。
「うん。すごく」
美智子には、その答えだけで十分だった。
◇◇◇
控室の近く。
花村千鶴が創へ声をかける。
「創君。結婚式に呼んでくれて、ありがとう」
『こちらこそ、来てくれてありがとうございます』
「やっと奥さんに会えるのね」
『はい』
「ずっと秘密だったから、気になってたのよ」
『すみません』
「事情があるんでしょ。もう聞かない」
その時、開いた扉の向こうに、ウェディングドレス姿の璟瑶が見えた。
千鶴の動きが止まる。
その顔を、何度もニュースや新聞で見たことがある。
「……創君」
『はい』
「奥さんって、まさか……青嶺中央銀行の欧陽頭取?」
『はい』
「……本当に?」
『本当です』
「転職先の頭取?」
『はい』
「あなたの奥さん?」
『はい』
「双子のお母さん?」
『はい』
千鶴は額を押さえた。
「情報量が多すぎるわよ!」
『すみません』
「頭取だなんて、普通は思わないでしょ!」
『俺も、最初は知りませんでした』
「あなたが言うな!」
だが、やがて千鶴の表情が柔らかくなる。
「創君」
『はい』
「おめでとう」
『ありがとうございます』
「秘密は守る。花乃家でも誰にも言わない」
『お願いします』
「今度は、奥さんと一緒に食べに来なさい。双子も大きくなったら連れてきて」
『絶対に行きます』
◇◇◇
午前十時五十分。
チャペル・ルミエール。
招待客が着席する。
人数は少ない。
しかし、全員が二人の人生に深く関わってきた人たちだった。
双子は会場近くの専用スペースにいる。
泣けば、すぐに対応できる。
創は祭壇の前に立った。
銀行の採用面接より、仮免試験より。
卒業検定や本免学科試験よりもずっと緊張していた。
音楽が流れ… 扉が開く。
『……』
欧陽崇岳・七十二歳にエスコートされ、ウェディングドレス姿の璟瑶が現れた。
産後の身体へ負担をかけないよう、ゆっくり歩く。
一歩、また一歩。
創と璟瑶の視線が重なる。
崇岳は創の前まで来ると、娘の手を創へ預けた。
「創君」
『はい』
「頼んだよ」
『はい』
創は強く頷いた。
璟瑶が隣へ並ぶ。
『綺麗』
「衣装合わせでも言ったでしょ」
『何回でも言う』
◇◇◇
進行は短く、必要な時だけ立つ形に調整されていた。
二人はすでに法律上の夫婦である。
今日は婚姻届を出す日ではない。
それでも、大切な人たちの前で、もう一度お互いを選ぶ。
創は璟瑶を見つめた。
『欧陽璟瑶さん』
「はい」
『俺は、あなたともう結婚しています』
会場に小さな笑いが起きる。
「知ってます」
『でも、今日、もう一度みんなの前で言いたいです』
創は一度息を吸う。
『楽しい時も、苦しい時も、仕事で悩む時も、二人の子どもに同時に泣かれて、どうしていいか分からなくなる時も』
璟瑶が少し笑う。
『俺は、璟瑶の隣にいます』
『頭取だからじゃない』
『二十四歳年上だからでもない』
『俺が好きになった、璟瑶だから』
璟瑶の目が潤む。
『これからも、夫として、父親として、一緒に生きていきます』
『もう一度、俺の妻でいてください』
璟瑶は真っ直ぐ創を見る。
「はい」
「もう一度、創の妻になります」
今度は璟瑶が誓う。
「宮嶋創さん」
『はい』
「私は、銀行では頭取です」
「多くの人の仕事と生活に責任を持つ立場です」
「でも、家に帰れば、あなたの妻で、息子と娘の母親です」
「私は、そのどちらも大切にします」
「そして、一人で全部を背負わず、創を頼ります」
『それ、絶対に守って』
会場に、また小さな笑いが起きる。
「創も一人で背負わないで」
『はい』
「二人で、夫婦として」
「父親と母親として」
「四人で生きていきます」
「だから、もう一度、私の夫でいてください」
『はい』
『もう一度、璟瑶の夫になります』
◇◇◇
指輪交換。
使うのは、新しい指輪ではない。
二人がこれまで身につけてきた、4℃ BRIDALのプラチナリング。
創は璟瑶の左手を取り、薬指へ指輪を通す。
『もう一度、よろしく』
「こちらこそ」
今度は璟瑶が創の左手を取り、同じ指輪をはめる。
「おかえり」
創は一瞬、目を見開いた。
仕事から帰宅し、外していた指輪を戻す時。
いつも璟瑶が言う言葉だった。
創は笑う。
『ただいま』
水城の目から涙がこぼれる。
劉川は隣で微笑み、久世も穏やかに見守っていた。
美智子と恵美子も、涙を拭っている。
◇◇◇
誓いのキス。
創が少し緊張する。
「創。今さら緊張?」
『みんなが見てる』
「夫婦でしょ」
『そうだけど』
創は璟瑶の頬へ触れ、静かに唇を重ねた。
一度離れ、もう一度だけ短く重なる。
長すぎない。
しかし、二人の気持ちを確かめるには十分なキスだった。
唇が離れた瞬間、チャペルが拍手に包まれる。
黒崎が小さく呟く。
「本当に宮嶋なんだな……」
早乙女が笑う。
「まだ言っているんですか」
「だって、頭取だぞ」
桐生も頷く。
「私も最初は驚きました」
御子柴が口を挟む。
「私は結婚を知った後、双子のことは出産当日に知らされました」
「御子柴さん、まだ気にしているんですか」
久世に聞かれ、御子柴は答える。
「少し」
◇◇◇
その時。
会場の近くから、小さな声が聞こえた。
「ふぇ……」
続いて、もう一つ。
「ふぇぇ……」
創と璟瑶が同時に振り向く。
息子と娘が目を覚ましたのだ。
有坂が微笑む。
「お二人からも、お祝いですね」
『泣いてるだけ』
「いいの。今日はそれで」
二人には、まだ結婚式の意味は分からない。
それでも、いつか今日の写真を見る日が来る。
外には公開されない。
四人の家族だけに残る、大切な記録になる。
◇◇◇
挙式後。
セレスティア・サロンで、小さな会食が始まった。
派手な余興も、長い進行もない。
家族や友人、秘密を知る銀行関係者が、食事をしながら話す。
それだけで十分だった。
璟瑶は座って過ごし、必要なら途中で休憩する。
双子のための個室も用意され、授乳やおむつ替えもすぐにできた。
◇◇◇
会食の途中。
瀬川航平と小野寺結衣が、創のもとへ来る。
「創。俺、まだ混乱してる」
『何が?』
「お前の奥さん、青嶺中央銀行の頭取だぞ?」
『うん』
「うんじゃない」
結衣も笑う。
「中学生の頃、創君が将来、銀行の頭取と結婚するなんて、誰が想像するの?」
『俺も想像してない』
「しかも二十四歳差で、同じ銀行で、双子までいる」
『うん』
「情報が一つずつ強すぎるんだよ」
『ごめん』
結衣が、少し離れた場所にいる璟瑶を見る。
「でも、幸せそう」
創も妻を見る。
『うん。幸せ』
そして、二人へ念を押す。
『ただ、まだ周りには言わないで』
「市役所でも言わない」
「俺も、同級生にも友達にも言わない」
『ありがとう』
「いつか公表するのか?」
創は少し考えた。
『今は分からない』
『今は、家族を守りたい』
「分かった」
◇◇◇
花村千鶴も、創のもとへ来る。
「創君。最後にもう一回だけ聞いていい?」
『はい』
「本当に、欧陽頭取が奥さん?」
『本当です』
「もう何回聞いた?」
『たぶん五回』
「だって、信じられないのよ!」
千鶴はため息をつく。
「でも、本当におめでとう」
『ありがとうございます』
「奥さんと双子を大切にしなさい」
『はい』
「それから、自分も」
『俺も?』
「二十一歳で、仕事をして、夫と父親もしているのよ。あなたが倒れたら困るでしょ」
『はい』
「今度、四人で花乃家へ来なさい。ちゃんと食べさせるから」
『お願いします』
◇◇◇
別のテーブル。
宮嶋和久と、友人の片桐正臣が話していた。
「和久。お前の息子、すごいな」
「何が?」
「結婚相手が頭取で、二十四歳差で、双子までいる」
「俺も最初は驚いた」
「もう慣れたのか?」
「息子の妻だからな。頭取でも、家では創の妻だ」
正臣が少し笑う。
「父親してるな」
「お前も、市民生活部長が結婚式ではしゃぎすぎだ」
「いいだろ。めでたいんだから」
二人も笑う。
和久は、少し離れた場所にいる創を見る。
いつの間にか、息子は夫になり、父親になった。
その隣には妻がいて、孫が二人いる。
「正臣」
「何だ?」
「来てくれて、ありがとうな」
「当たり前だ」
◇◇◇
最後に、写真を撮る。
まずは、創、璟瑶、息子、娘の四人。
次に両家の家族。
そして、招待客全員。
「皆様、こちらをお願いします」
有坂の声に合わせ、シャッターが切られる。
その写真は、青嶺中央銀行の社内報には載らない。
SNSにも、ニュースにも、新聞にも載らない。
成城の家にある、家族のアルバムだけに残る。
秘密の結婚式を証明する、たった一枚の集合写真だった。
◇◇◇
午後。
式が終わった後。
控室。
創はタキシード姿のまま、璟瑶の隣に座っていた。
双子は二人とも眠っている。
招待客が帰り、部屋は静かになった。
創は左手の指輪を見る。
朝まで身につけていたものと、同じ指輪。
それなのに、今は少し違って見える。
『なあ』
「何?」
『結婚したな』
「前からしてる」
『知ってる』
「婚姻届も出したし、双子までいる」
『それも知ってる』
「じゃあ、何?」
創は妻を見る。
『もう一回、結婚した』
璟瑶が笑う。
「うん」
二人は左手を並べる。
『これからも、よろしく』
「こちらこそ」
璟瑶が創の肩へ寄りかかる。
創は妻の身体を静かに支えた。
夫がいて、妻がいる。また父がいて、母がいる。
そして、息子と娘がいる。
◇◇◇
翌週。
月曜日。
午前八時五十六分。
青嶺中央銀行本店の十八階にある法人営業第一部。
『おはようございます』
「おはよう」
創は、いつも通り仕事へ戻った。
黒瀬も琴葉も、週末に結婚式があったことを知らない。
まして、花嫁が青嶺中央銀行の頭取だったことも知らない。
桐生が創の席へ来る。
「宮嶋」
『はい』
「週末はお疲れ」
『ありがとうございました』
「今日から仕事だ」
『はい』
「東央精密から追加回答が来ている」
『確認します』
「結婚式が終わったからって、浮かれるなよ」
『浮かれてません』
「今、左手を見たな?」
『……』
「勤務中だから指輪はしていないのに、薬指を確認しただろ」
『癖です』
桐生が笑う。
「仕事へ戻れ」
『はい』
◇◇◇
同じ頃。
成城の新居。
璟瑶は書斎から、短時間のオンライン会議へ参加していた。
画面の向こうには水城と劉川。
「本日は午前三十分、午後三十分です」
「増えた」
「体調が安定していますので、少しだけです」
「ただし、延長はありません」
「分かってる」
水城が尋ねる。
「結婚式のお疲れは残っていませんか?」
「大丈夫。昨日はほとんど休んだ」
「それなら安心しました」
少し間を置き、水城が微笑む。
「頭取。改めて、おめでとうございます」
「ありがとう」
劉川が資料を開く。
「では、青嶺FGの経営会議案件から始めます」
「お願いします」
璟瑶は、少しずつ頭取へ戻っていく。
同時に、妻と母親としての時間も守っていく。
◇◇◇
午後七時三十六分。
成城の新居。
創が帰宅する。
『ただいま』
「おかえり」
手を洗い、着替えてからリビングへ入る。
璟瑶は息子を抱き、娘はベッドで眠っていた。
創が、勤務中に外していた指輪をケースから出す。
璟瑶は創の左手を取り、昨日のチャペルと同じように、薬指へ指輪をはめた。
「おかえり」
『昨日も同じこと言ったな』
「昨日は結婚式。今日は家」
『そっか』
創は笑う。
『ただいま』
そして、璟瑶の指輪へそっと触れる。
『もう一度、俺の妻でいてください』
「昨日、誓ったでしょ」
『確認』
「確認は?」
『ゴールじゃない。入口』
「そう」
璟瑶が笑う。
「はい。もう一度、創の妻でいます」
その直後。
「ふぇぇ……!」
息子が泣く。
「ふぇ……!」
娘も続く。
二人は顔を見合わせた。
『来た』
「来たね」
『俺が息子』
「私は娘」
『無理しないで』
「分かってる」
創は息子を抱く。
璟瑶は座ったまま、娘をそばへ寄せる。
四人の、いつもの夜が始まる。
結婚式が終わっても、生活には哺乳瓶、おむつ、夜泣き、仕事、睡眠不足がある。
そして、笑顔もある。
結婚式は一日… 夫婦の生活は、これから何十年も続く。
婚姻届を出した日… 二人は一度目の結婚をした。
そして今日。
秘密を知る大切な人たちの前で、もう一度お互いを選んだ。
宮嶋創・二十一歳。
欧陽璟瑶・四十五歳。
二十四歳差と銀行員と頭取。
夫と妻、父と母。
まだ誰にも公には言えない夫婦。
それでも二人は、胸を張って誓った。
もう一度、あなたを選ぶ。
そして、これからも何度でも、同じ人を選び続ける。
――第100話・一旦完。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第100話では、創と璟瑶が「もう一度」夫婦になりました。
二人が交換したのは、新しい指輪ではなく、これまでの夫婦生活を共にしてきた4℃ BRIDALの結婚指輪。
そして花村千鶴や創の幼馴染・同級生たちにも、ついに璟瑶の正体が明かされました。
それでも秘密は、信頼できる人たちの中だけ。
結婚式が終われば、待っているのは銀行の仕事と双子の育児、そして四人で過ごすいつもの生活です。
100話という大きな節目を迎えましたが、創と璟瑶、そして息子と娘の物語はまだ続いていきます。




