第二二話 白拍子の舞
天下を平定した征夷大将軍・朝頼は、武士の世を盤石なものとするため、その勢力を東国の外へと広げていく。
一方、朝廷との橋渡しを担う若き武士・篁条吉時は、京で権力と謀略が渦巻く政の世界に足を踏み入れる。そこで待っていたのは、魑魅魍魎にも劣らぬ人の欲望であった。
そんな中、鬼と共に去った男を想い続ける白拍子・静香御前にも、大倉柳営の手が伸びる。時代に翻弄されながらも胸に秘めた想いを貫く静香の舞は、多くの人々の運命を静かに揺らしていく。
皇紀一八三○年 春
清和朝頼は、自身の影響が強く及ぶ東国の外側、近畿や畿内を中心に守護、地頭を設置する中で、家人ではなかった武家をも手中に収めていった。有恒の捜索というのは本題でありながらも、守護、地頭の設置理由には、朝廷に勘づかれないように大倉柳営の影響力を拡大するという思惑もあった。徐々に東国の外にも確固たる地盤を広げていく最中、清和家の旗揚げから篁家との戦につき従った武家と、それ以降に御味方となった武家とを区別するべく、まず朝頼は、御家人という仕組みを作った。これは、清和家の家人という意味であり、即ち大倉柳営に仕える侍を意味していた。その中でも、劣勢にも関わらず御味方として戦いぬいた御家に対しては、清和御門葉という位を授けた。これは大倉柳営の中枢であり、朝廷において上流ほ公家衆がそうであるように、この武士の国においては政に参画する官僚であり、上流の貴族なのである。
その面々は以下、河内八幡太夫義家、柴葉貞任、河内炎龍重永、河内永康、甲武新羅丞吉光、安田之資、甲武諏訪太夫吉國、篁条時勝、筬谷広胤、足利吉氏、新田貞隆、畠信隆、美浦佐吉、梶景親の十四名であった。
彼らはいずれも、戦功によって国司や城主に任命されており、朝廷からもそれらを追認されることで、名実ともに貴族となった侍でもあり、秋津洲随一の武士として、天下にその名が広まることとなった。
この御門葉であっても、表向きは過去の功績を称えたものでありながら、朝頼による政治的な思惑が含まれている。足利一門の吉氏、貞隆、信隆を御門葉に加えたことは、明らかな優遇であった。足利一門と同じく群雄として警戒していた筬谷家、美浦党は、その功績は甚だしくも当主の選出に留まっているが、これは筬谷は老齢かつ忠誠心の高さから警戒する必要がないと判断したからであるが、美浦家については少々状況が複雑であった。
長らく神事に関わっていた神道系の御家である美浦家は、神道に傾倒している甲武吉國と懇意にしており、今や両家の婚姻の話が出るほどの蜜月の仲となっていた。それだけならば問題はないが、吉國には兄である甲武吉光が治める甲武荘周辺での略奪行為を行っている噂があった。諏訪城を築城したのち、吉光への嫌がらせとして、自身の息がかかった者を野党として甲武荘へと向かわせているということは、この兄弟の不仲を考えれば十分に考えられることである。また吉光がこのごろ病に罹り、御家が揺らいでいることを考慮すれば、戦になりかねない。それは、吉光病没後に吉國が攻め上るか、吉光が病没前に意地で反撃するか、どちらがきっかけとなるかは分からない。しかしいずれにせよ、そう遠くないうちに訪れる吉光の死の前後に、戦が起こる可能性が高いのである。
そのとき、美浦党が力を貸し、東国で内乱が起こることとなれば、緑奥藤咲氏や朝廷に付け入る隙を見せてしまうことになる。朝頼はそれを避けるべく、両家は御門葉の中で存在感を薄くし、もし乱が起きてもそれが一大事ではないのだと、強調できるように布石を置いたのである。また、新たに美浦党の当主となったのは、子がなかった先代の利明戦没後に養子となった小佐田佐吉であるが、元は清和家家人である彼が当主となったのも、この思惑の為に朝頼が圧力をかけた結果のものあった。
足利一門を優遇した理由も同じ思惑である。絹や金山によって軍資金が豊かで、一見すると、敵対すればひとたまりもない足利家を優遇することで、今や清和家はこの足利一門さえも配下として従属させられるほど強大であると、強調しているのである。
あくまでこの御門葉であっても、牽制装置としての価値をつける。これが朝頼を荒くれ者の武士をまとめあげる将軍たらしめる、政治力の恐ろしさであった。
朝頼がその腕を発揮し大倉柳営が拡大していく中で、燻りつづける火種があった。それは妻の実家、篁条家当主、時勝である。時勝は最も早くに危険な賭けを行い、清和家の御味方となった男である。目代の身分を捨て、妻を娶らせ、主家を裏切った。それから、戦続きの日々を経て、孫を得た。しかし、それだけである。目代から国司となり本領は安堵となった。だが事実として、目代の頃から何も変わっていない。犯した危険とは、見合わない報酬である。
妻の実家という御身内であることは、裏切りの危険は少ない。そうであれば、少ない資源から多くの恵みを与える必要もなく、煮え湯を飲まされつづけるのである。
時勝には野心があった。京から遠く離れた辺境の地篁条で終わらず、天下にその名を轟かせるという野心である。それは、男であれば誰もが抱くものであり、彼はそのために必要な努力を惜しまなかった。時勝の不満はただひとり、清和朝頼へと向けられていた。人たらしの将軍が、娘を誑かし、孫を使って自分までも飼い慣らそうとしている。それに気づいたとき、信頼や愛情は一転、深い憎悪へと変わった。自らはお守りではなく、武士であると、態度で示すほかなかった。
彼が最も真近で目にしてきた、最も偉大な武士。それは清和朝頼である。時勝は学んでいた。戦とは、武ではなく、智略で行うのである。
時勝は自らの嫡男である吉時に、朝廷との独自のツテを作らせるため、伝奏の御役目を担わせるよう朝頼へ嘆願した。当初この御役目は、既に朝廷との繋がりを持つ河内永康が適任とされていたが、時勝の圧を面倒に感じた朝頼が折れる形で、隻腕武士の篁条吉時は伝奏の御役目を担った。
吉時は父時勝の思惑に気づいていたが、見て見ぬフリをした。あまつさえ隻腕となり戦で功績を立てることが叶わなくなったにも関わらず、将軍に盾突こうなどというのが、彼には忠義の欠片もない翻意に思えてならなかった。
吉時は、永康とそれなりに仲が良かった。歳も離れていることから、特段、友人という訳ではない。しかし他人と呼ぶほどに縁遠くもなかった。二人が惚れた女子が、実は鎌村で姉妹だったと分かって以降、時折酒を飲んでは、妄想に耽るという真の友情を育んだ仲ではある。しかし、女子など、取っかえ引っ変えにすることが好漢であることを思えば、その友情自体が、女性に見向きもされない者同士の慰めあいのような、負け犬の寄合いのような気がして、それ以上の友人にはなれなかった。命を預けあうことが真の友であり仲間である。それに比ぶれば、彼らの友情など、取るに足らないのである。
久々の会話が、永康から京との繋がりを奪い、自らが伝奏として正式に任命されたことであると伝えるというものになることは、不本意であった。だが永康がそれに異を唱え、揉め事になるとは、どうも思えなかった。
「この度は、伝奏に御着任、おめでとうござりまする」
声の主は、永康であった。まさか参内後に御殿内で出くわすなど、思いもよらなかった。
「後日、改めて御辺の許を訪ね、伝える所存にござったのじゃ」
「屋敷に来られるならいつでも歓迎致しまするぞ。この永康、最近は酒を美味しいと感じるようになりました故」
「おう、左様か。若武者にもご父君炎龍殿の血が力を発揮しだしたようでござるな」
二人は廊下を歩きながら、ゆっくりと門へと向かった。ゆっくり、ゆっくりとである。
「これはしたり。あれほどの酒豪にして女好きの漢、某には成れませぬ。しかしあれだけ漢気に溢れた積極的な武士であれば、町娘の楓殿に、こうもモジモジすることもなきものを」
「国司の嫡男というご身分にありながら、何故かように奥手になるのか」
「嫡男なれども、父上は厳しい。自由に使える金もなければ、儀式や催しを除けば、絹を着ることも許されませぬ。これでは、ただ顔に火傷があるだけの、侍に過ぎませぬ」
「ここは御殿にござりまするぞ永康殿、不満を言い過ぎというもの」
「御辺が言わせたのではないか。……御辺こそ、何故、お梅殿を口説かぬ。不死川での戦功、篁条家嫡男という肩書きがあるではござりませぬか」
「某は隻腕。顔の火傷よりも、人に迷惑をかけまする」
「嘆くことはありますまい。身の回りの事は、馬廻りが致しましょうぞ。そして御辺の御役目は戦じゃ。そして戦は、刀や薙刀で行うものにはござりますまい。お父君の戦、そして我らが大倉殿の戦は、政にござりましょう?」
「政とは、もっと不得手じゃ」
「しかし、不得手と言えどもそれを行うのが、伝奏の御役目。意見や方針は、大倉殿がお決めになるが、それを伝え、通すのが伝奏というものにござりませぬか」
吉時は頭を搔こうとし、烏帽子に手が当たった。悩みすぎると、おっちょこちょいになるのが、吉時の特徴である。吉時は長考するのは得意であった。史学や天文学などを学んだり、徴収した税を数えることが好きであった。それは武芸よりも得意であると、自覚していた。そういう、正解を追い求める胆力を持つ人間にとって、すぐに心変わりし、約束を破る、不変の真理と真逆の存在である人間という存在と取り決めを行うなど、この上なく苦手なことであった。
その点、永康はそれが得意であった。強く偉大で、恐れを知らない東国武士の鑑たる河内炎龍重永の倅として、常にその灼熱の炎の影で、火の粉にさらされ続けていた。人の目に触れず、ただ、耐えるしかなかった。父を超えるほどの更なる熱を放てる訳もなく、ただ耐えるしかなかった。だが永康は、良き友人に囲まれ、勉学よりも人との交流を好んだ。そうして培った処世術は、真面目さに偏りがある父重永をも唸らせ、武芸よりも人心を掴み、民や御味方を離さない鎖になる生き方を送った。
炎は柔軟に、軟弱な息子を鉄の鎖へと変えたのである。
「必要とあらば、この永康のお知恵をお貸しする。いつでも手紙を送ってくだされ。京と鎌村であれば、野党や野犬が出ようとも、屈強な飛脚が必ず届けてくれまする」
門を潜り、別れ際、永康はそう告げた。吉時は一言「感謝申しあげなん」と言い、安堵から微笑んだ。
上洛した吉時は、そこで不器用ながら御役目を果たすべく、参内した。
「征夷大将軍清和朝頼が家来、篁条守篁条時勝が嫡男
、篁条吉時にござりまする。天子様に拝謁仕りまする」
吉時は平伏した。簾の向こうから、天子がそれを眺めていた。そして一言、ゆっくりと、威厳をもって答えた。
「面をあげよ」
吉時は、ゆっくりと上体を起こし、居直った。
「篁家を討伐した今、天子様の御宸襟は麗しきことと存じ奉りまする。京にて政を専横せし賊は滅ぶことと相成れども、依然としてこの秋津洲は、多くの懸念を抱えておりまする。西は荒御魂、東は魑魅魍魎と、未だ天下は鎮まりませぬ。また、荒御魂とも魑魅魍魎とも呼ぶべき一匹の鬼が、何処かで今も、我らの秋津洲を滅ぼさんと欲しておりまする」
臣下の右大臣、九条実秋は帝に代わって伝奏に対し答えた。
「朝廷は、戦が続くことに疲れておる。伝奏よ、そちの主家は征夷大将軍である。征夷大将軍とは、朝廷にまつろわぬ蝦夷を滅ぼし、天下を太平にするものである。何故、柳営を築きながら敵を滅ぼさぬか」
「ご指摘、ごもっともにござりまする。なれども、魑魅魍魎は人とは異なりまする。それらは、村落では生まれず、山林の中より生まれ、そして人に祓われるまで、命が尽きることはありませぬ。即ち、我らが行う策は、東国、そして緑奥を、人の住む場所に変えることにござりまする。此度の参内は、我が帥たる清和朝頼から朝廷への申し出を伝えるためにござりまする」
「待て、そちは今、緑奥を、と申したか」
「も……申しましてござりまする」
「朝廷が征夷大将軍に与えた勅命は、夷狄を滅ぼすことだ。そのために、東国武士団を養う領地として、東国諸国において目代らを国司としたまでのことである。何故、緑奥にまで口を出す」
「緑奥は、東国と同じく、魑魅魍魎が湧きでる土地にござりますれば、かの地を気にかけるは当然至極のことと、存じ奉りまする」
実秋は黙ったままである。吉時は目線を下ろしたまま会話をすることで、その表情までは分からない。冷や汗が、額を伝う。そして一粒、床に落ちた。
「実にも、それが武士の御役目ぞ。申し出とやらを、申せ」
「鬼頭義仲は天子様の御威光により誅され、その残党が、乱を起こしましてござりまする。それを平定した功により、征夷大将軍は御家人たる新田貞隆の領地の本拠地新田村を、新田荘と改め、開墾し、農地の拡大を行っておりまする」
「税を収めるならば追認する。さりながら、かようなことは伝奏が上洛し伝えることではない」
「実にも。新田貞隆は現在、新田荘を離れ、緑奥西部の山岳地に居を構えておりまする。これは、乱の平定に即し多くの兵を失った緑奥守藤咲望衡に成り代わり、同地を守るためにござりまする」
「緑奥に、大倉柳営の武士がおるのか。それを事後に奏上し、追認せよと申すか」
「なにとぞ」
「この無礼者が! 一介の武士風情が、朝廷の意向を蔑ろにするか!」
吉時は怯んだ。しかし、ここで弱みを見せれば、侮られるのは自分ではなく、大倉柳営である。征夷大将軍の威光が、揺らいでしまうことがあっては、いけないのである。
「恐れながら、是は、緑奥守殿の願いを聞き入れたものであり、征夷大将軍による越権には、ござり申さず! さりながら、事は大きい故、かように直接拝謁し、事情を説明申し上げておる由にござりまする!」
再び、無言の間が訪れる。しかし、冷や汗はもう垂れてはこないようだ。
「其の追認は、朝議にて結論を出す故、数日待たれよ」
「承知仕りまして、ござりまする」
緊張の数十分であった。しかし、上出来だと思った。武家用の屋敷に戻り、どっと疲れが押し寄せ、気絶するように眠った。
それから数日経って、在京中に左大臣力石卿が重い病にかかったという報を受け、見舞いに行こうとしたが、止められた。
右弁官、火野亮光にである。彼は力石実朝こそが、今の朝廷の要石であることを知っている。力石卿がいなくなれば、朝廷の狡猾さは弱まる。早い話で、火野家は彼を排除したいのである。力石家自体には歴史はない。それを支える家礼もまた、家ではなく実朝に仕えているというのが正確であり、実朝さえ死ねば、あとは脅威ではない。そして火野家が高位に登れば、朝廷の中にうずまく大倉柳営の排除という思想は打ち消され、共に太平を築くことができるのである。清和家と火野家の天下を栄えさせるのである。
判断を仰ぐにも仰げない。見舞いは遅すぎてはいけず、飛脚を走らせても意味がない。吉時は、悩んだ。そして、悩んだ挙句に、取りやめた。
迷ったときは、基本に立ち返るのである。何のために、ここに来たのか。それさえ見失わなければ、それが正しいと信じきれなくとも、間違いではないはずである。大倉柳営のため、友が御味方と信じる火野亮光の助言に従った。
数日後、左大臣力石実朝は死んだ。
そして、その屋敷の柱の下から、呪詛の札と髪が見つかった。吉時は、それが亮光の仕業であると悟った。
朝廷とは、人という名の魑魅魍魎がうずまく魔境であると、父は語っていた。まだ知らぬ苦労がここで待っていると思えば、途方にくれてしまう。
吉時は魑魅魍魎を知っている。それは恐ろしいという言葉では形容できないほどの存在だ。あの言葉でもない声や、生きているのか死んでいるのか分からない肌や匂いを思い出すと、あのときの苦痛を思いだす。息が荒くなり、動悸も激しくなり、足元がふらつく。武士ともあろう者が、こんなことでいいのか。父時勝は、魑魅魍魎を大して知らないから、腕を奪った魑魅魍魎に対する恐れを、情けないと怒鳴るのである。怒りとも呆れとも言える感情が、父の顔に紐づく。
ここにいる魑魅魍魎のほうが、幾分かマシであると頭では分かっていながら、魑魅魍魎と例えられた公家が、本当に恐ろしい存在に思えてくる。本心を隠し、笑顔で人を呪い殺そうとする公家の姿は、本当に人間らしくはない、魑魅魍魎じみた異常性である。
在京中、とある人間を探せという、大倉殿じきじきのお達しが届いた。その人物の名前は、静香御前。大倉殿は、京いちの白拍子と名高い静香御前の舞をご所望なのであるが、さすがの吉時であっても、それが有恒の女であることくらいは知っている。つまりは、どういう訳か京に静香御前がいることを知った大倉殿は、人質として鎌村へ連れてこいと言っているのである。
どういう訳か、ではない。それは誰でも知っていることである。有恒の傲慢ぶりが垣間見える。そこに愛する女がいると知れ渡っていても、誰も手出しができないほど、自分は強大な存在であるという傲慢さである。
有恒の所在地について、大倉殿が知っているかどうかは分からない。少なくとも、在京武士として朝廷と柳営の橋渡しという大任を預かる身として、大倉殿が所在地を知っているという話は聞いていない。つまり、奴は京に居るかもしれないながら、それでも、この吉時に静香御前と言っているというのである。怖いと思った。だが、それでも武士たるもの、主のためにその身を使うのである。
静香御前はすぐに見つかった。大倉殿の名を出した瞬間の、一瞬だけ隠しきれなかった恐れの顔はに、吉時は嬉しくなった。隻腕で自信をなくしていたが、目の前のか弱い白拍子から見れば、自分は脅威に映っているのである。
「大倉殿は、京いちの白拍子と名高き御辺の舞をご所望である。無論、褒美は弾む。一座を連れて、鎌村へ参られよ」
「一座は数日後に、畿内諸国を周り、戦で疲れた民の慰労に参ります故、そのお話をお受けするのは難しきことと存じまする」
「座長の伊呂波様がおられぬのは、その慰労の下調べといったところにござるか」
「ご明察にござります」
「しからば、それが済み次第、鎌村へ参られよ」
「数年、かかるやもしれませぬ」
「何故か」
「畿内諸国の道は荒れ、移動に時間がかかりまする。東国からここまでの街道は、先んじて修繕がなされておりまするが、畿内諸国は武士が減り、野党が増えたことで国司のお公家が京へ引きこもり、ただ荒れる一方なのでござりまする」
「大倉殿が守護や地頭を置き、畿内諸国も少しづつ良くなっておると聞いておるが」
「少しづつ、にござりまする」
「貴様! 大倉殿の御家人の働きを愚弄するか!」
「平に、ご容赦くださりませ……!」
静香御前は平伏した。声が震えていた。言うに言われぬ高陽感が、全身にほとばしった。
「まぁ良い、畿内諸国の慰労は行うても良い。なれど、年内に、鎌村へ向かえるように取り計らえ。拒むべからず、神妙に承諾せよ」
「伊呂波様に話を通さ……」
「貴様! 斬られたいか!」
「承知致しましてござります……!」
同年 秋
静香御前の一座は、鎌村を訪れた。大倉御殿の側、鶴岡八幡宮へと入ってすぐ、それが単なる白拍子の舞を観ることが目的ではないことが察せられた。白拍子たちは、静香御前のせいで殺されるかもしれないと、恐れおののいた。
多くの武士が舞台を囲むなか、舞をする。静香の正面には、胡座をかきまっすぐと自分を見つめる、色白の男がいた。紫色の直垂を身につけ、烏帽子が似合う気品のある男。大倉殿である。
「殿、あれが静香御前にござりまする」
「承知しておる時勝殿。有恒はこの女を置いて、逃げたのじゃ。かような美人を置いていくとは、有恒は漢ではないのう」
「所詮は卑劣な鬼にござりまするぞ、大倉殿」
「実にも」
秋の柔らかな風を浴びながら舞う静香御前が、扇子を開き、顔を隠す。そして再び顔を覗かせたとき、表情が変わっていた。覚悟を決めた目をした静香の周りを、紅葉が踊る。
「しずやしず、しずの苧環、くり返し、昔を今に、なすよしもがな。蔵馬山、嶺の白雪、踏みわけて、入りにし人の、あとぞ恋しき」
白妙の衣の袖は翻り、舞はいっそう激しく、いっそう美しくなる。
大倉殿の拳に、力が入った。彼は知っていた。有恒は今、緑奥に潜んでいる。緑奥は雪深く積もる土地であり、蔵馬山で別れ雪をふみ分けて逃れた有恒を、愛しいと歌うこの小娘なんぞ、生かしてはおけないと思った。
「悲しむべし悲しむべし。この世から一人、才ある白拍子が消えるぞ」
大倉殿のその言葉に、側で侍る雅子は、慌てふためいた。
「お待ちくださりませ旦那様。わたくしとて、愛する旦那様がいずこかへ逃れ、わたくしがその無念を祓うこと叶うならば、この身を惜しまず同じことを致しまする。憎きは、有恒殿おひとり。静香御前は、ただ愛することを厭わぬ清い女子にござります……!」
「なれば有恒とて、儂と同じ立場とあらば同じことを望むであろうぞ」
「なにとぞ……なにとぞ……!」
舞を終え平伏する静香御前を侍衆は刀に手をかけ見つめ、白拍子らは舞台袖から、涙を流しながら見つめていた。
「……静香御前殿の舞、お見事と言うほかござらぬ。よき目の保養となった。部屋へ戻り、ゆるりと休まれよ。これにておしまいじゃ!」
大倉殿は扇子を床へ叩きつけ、どたどたと足音を立てながら出ていった。




