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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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第二十話 兄への謀反

 篁家との長き戦いに終止符が打たれ、天下はついに平定された――はずだった。

 だが勝利の裏で、英雄・蔵馬遮那王有恒と征夷大将軍清和朝頼の間に、埋めがたい亀裂が生まれる。

 やがて東国への帰還を命じられた有恒は、思いもよらぬ裏切りに直面する。愛する者を守りたい男と、天下の安寧を守ろうとする将軍。その衝突は、かつて誰よりも強く結ばれていた兄弟を、避けられぬ戦いへと導いていく。

 征夷大将軍清和朝頼は、朝廷に抵抗を続けていた篁家を海の底へと沈め、天下を平らかにした。戦場の河内炎龍重永より届けられた戦勝報告に目を通し、重い肩の荷がひとつ、降りた気がした。しかし、指揮を執った蔵馬遮那王有恒より届けられた報告によって、安息の日が遠のいたことを悟った。

「有恒め、三種の神器を回収できなかったなどと……。宗季と偽帝の御母堂紀子を、入水したところで、助け出したか。偽帝は掬えず……よくも宗季なんぞをのう」

 捕縛した篁宗季は、有恒が自らの手柄を誇る功績として、京へ連行され、洛中引き回しとなった。それを許可したのは他でもなく今上帝であり、今上帝は、薄汚れた身なりで嘲りを受けながら歩かされる宗季に、あからさまな侮蔑の目を向けた。俯き歩く宗季はその目に気づかず、その態度は今上帝のかんに障った。

 今上帝は有恒に賛辞と褒賞を与え、有恒はそれを受け取った。有恒はそれを兄将軍朝頼へ事後報告したが、その態度は、朝頼のしゃくに障った。

「有恒めまたしても勝手なことを。何故朝廷からさし出される甘い汁を飲もうとするのか。この兄将軍がやめろと申すことを、何故続けるのじゃ。誰ぞ、景親をこれへ」

 召し出された景親に、朝頼はため息を吐いた。

 その朝頼の行動に、景親は苦笑いをした。

「また、有恒殿にござりましょうか」

「どうしたものかのう……どうしたものかのう」

 朝頼は再び、ため息を吐いた。それはさきほどよりも大きく、有恒が朝頼の中で相当な悩みの種であることが察せられた。

「有恒殿は戦場にて、自ら一番の功績を立てております。それは武士として、然るべきお姿であり、すべての武士にとって目標となりうる御仁にごさりまする」

「思うてもおらぬことを申すな。其許ほどの識者が、有恒の気性を褒めることもあるまい。有恒は帥に向かず、ただ己の武勇のみを誇る野蛮なる者よ」

「それをご存知とあらば、これからの某の言葉が悪意なきものとお分かりいただけましょう」

 景親は両拳を畳に突き、神妙な面持ちで、頭を下げた。

「有恒殿を、お斬りなさりませ」

「な……なんと!」

「有恒殿は猪武者。そして暴れれば暴れるほど、その角は尖り目は青く、肌は白くなっておりまする。もはや馬廻衆の鵄錦殿を除き、誰の言うことも聞きいれず、まるで自らが将軍であるかのようなお振る舞いにござりまする」

「つまり……有恒はいずれ……」

「真に人ならざる鬼となり果て、将軍に刃を向ける驚異となりかねませぬ。我らに与する武士どもが有恒殿に不満を抱いておる今こそ、有恒殿を斬る最後の機会にござりまする」

 朝頼は逡巡した。普通、配下の前で迷う姿など見せはしない。それは景親のように目代を信任するほどの者であっても、同じことであった。

 だが私人としての弟への愛情よりも、将軍という御役目を担っているという責任感が、清和氏の御家と天下の安寧を脅かす敵を排除すべきという理性を優先させた。

「しかしまだ殺すのは早かろう。京における有恒の人気は凄まじいものであると聞くしのう、穏便に軍務からは外し、隠居してもらおう」

「家に閉じこめてしまえば、もはや暴れることもありませぬな。有恒殿ひとりを家中に留めおくこともできないようであれば、この東国武士団に価値はござりませぬ」

「左様じゃ。儂は有恒めが願い乞うてきた通り、鵄錦を侍として取り立てて、家人にもしてやった。この兄将軍が有恒を想うておることは十分に伝わっておるであろうし、よく言って聞かせてやれば、丸く収まるであろう。有恒を東国へ呼び寄せよ、この兄が直に会って、今後の我らの方針を自ら説明してやろうぞ」

 朝頼はこのとき、鎌村に大きな御殿を築いていた。元よりあった砦や屋敷を繋ぎ、山々や海と合わせこの鎌村という土地を、ひとつの巨城に化けさせたのである。中心となった屋敷があった大倉の地に因んで、この御殿は大倉御殿と改められ、やがて御殿の主たる朝頼は【大倉殿】と呼称されると同時に、大倉は柳営(将軍府)として朝廷からも認知され、大倉には東国の清和家方武士勢力という意味が含まれていくようになる。

「よいか景親、この大倉御殿を中心とし、鎌村はいずれ、大いに栄える。秋津洲に東朝廷あずまのみかどありと、誰しもが認める大きな京になるのじゃ。攻めがたく守りやすい。商いの拠点ともなり、篁家が輪田水門わだのみなとで創ろうとした京が、我が清和家を頂点とし、成り立つのじゃ」

「即ち、我ら武士の国にござりまするな!」

「左様! 有恒めにはその大志を……説明してやらねばならぬ。朝廷に手懐けられてはならぬのだと、説明してやれば分かるはずじゃ」

 朝頼の願いは、脆くも崩れ去ることとなる。


 朝頼からの東下りの命令が太安京へと届けられた際、有恒は仮病を使い、命令を拒んだ。そして内裏へ参内し、今上帝に懇願していた。

「兄将軍清和朝頼は、この検非違使別当蔵馬遮那王有恒めを、東国へ引き上げさせようとしております。さりながらこの有恒、畏れ多くも天子様より畿内、洛中の治安維持を任され、その御役目に邁進しており申し候。某は嘘を嫌う故、有り体に申さば、この検非違使別当の地位は天子様を直接御守りする誉れある御役目なれば、かつて朝敵と呼ばれたる我が清和家の再興を象徴する御役目であるとも心得申し候。つきましては、この有恒の為、天子様には兄将軍へ、東下りを撤回させる勅命をお出しいただきたく、乞い願い奉りまする」

「そのほうの思い、ようよう理解した。母御前ははごぜや、くしくも朝敵として葬られし先代の棟梁清和義朝の供養の為にも、京を離れとうはないであろう。朕もまた、篁家討伐の大功を立てたその方を、みすみす手放しとうはない。さりとて……征夷大将軍は何故、その方を東下りさせようとしておるのか」

「大倉御殿内に築いた父の菩提寺にて、追善供養をするからと、申しておりまする。さりながら……それは方便と心得まする」

「本意は那辺にありや」

「この有恒から畿内から遠ざけ、活躍させまいとしておるのでござりまする。鬼は……武士どもに嫌われております故」

「其は、深読みしすぎというもの……のう、実朝よ」

 帝の側に座していた左大臣力石実朝は、殺す帝の問いに少しだけ考えたのち、「同感にございます」と告げた。

「篁家討伐は、清和家の悲願でもあったはずでおじゃる。有恒よ、そちの懸念、思い過ごしじゃ。清和義朝を供養し、戻ってまいれ。もし戻れぬとあらばその折には、天子様が勅命をお出しあそばされ、そちを上洛させようぞ。さすがの将軍といえども、勅命には背くまい。それはかつて同じことがあったと、忘れてはおるまい」

 有恒は力石の言葉に、自身が疑心暗鬼に陥っていたことに気づいた。家族を疑うような人間になってはいけないと、自分に言い聞かせた。

 そして兄将軍がかつて語っていた大志、御家を守る武士の姿を思い出した。御家とはつまり皇室。これを守るため、武士をひとまとめにするというのが、兄将軍の大志であったではないか───かねてより感じていた自らの中に現れる衝動的な憎悪と無差別な敵愾心を鎮めようと、有恒は深呼吸をした。

「手土産に、篁宗季を連れてまいれ。京に眠る父君のお骨を菩提寺へ埋葬しなおし、そこに宗季の首も供えるがよかろう」

「左大臣殿のお心使い、痛み入りまする」

 有恒は篁宗季を連れて、東下りを始めた。

 また有恒は、許嫁も同道させていた。有恒は京に入って以降、女性から声をかけられることが多くなっていく中で、猿楽舞の美人をひとり侍らせるようになっていた。その者は母同様に、百人の女性の中から見初めた選りすぐりの別嬪であった。

 有恒は人を愛することで、自らが人であるという裏付けを得ながら、一途な自分に自信を持つようになっていた。有恒は女体としてではなく、自らの鬼の側面でさえを受けいれて尚ひたむきに愛してくれるその女性を、心から愛していたのである。

「静香御前と、その腹に宿る我が子も、兄上にお見せせねばな。おい、そこの尼を黙らせよ、勝手に経など読ませるな!」

 偽帝の母紀子は、夭逝した息子が成仏できるよう、出家し髪を剃って比丘尼びくにとなった。夭逝し、母と離ればなれになった息子を思い読経することだけが、紀子が生きる唯一の理由であった。

 有恒はそれを察してもなお、読経を辞めさせた。怒りはいつか、大番狂わせをさせると、身をもって知っているからである。だがそれはもはや、彼の中で確かに芽生える嗜虐性を満たすためにこの哀れなるひとりの女性を苦しめてやろうとしたという、無慈悲な衝動に対外的な理由をつけただけであると、彼自身が気づいていた。つまり、復讐心の芽生えを阻止するというのは言い訳であり、ただかつての強者を、虐めたかっただけなのである。


 近畿、五条国にある腰越こしごえへ入ってから数日、有恒は足止めをされた。

 理由を知らされないまま留めおかれることに、有恒は段々とイライラを隠せなくなった。

「鵄錦よ、何故兄将軍は我らに大橋を渡らせぬ。何故東国へ入れさせぬのか」

「解せませぬな。大将軍のご命令は、我ら揃っての東下り。その他に禁止事項など、ござりませなんだが……」

 五条国に入って以降、有恒らは朝頼が寄越した梶景親、篁条吉時ら案内人に従い、鎌村へ向かっていた。有恒らが腰越にて足止めされた原因は、景親が朝頼へ送った書状に起因していた。そこには、有恒らが、かつて不死川の戦いにて隻眼となった吉時を侮辱した件、同戦いで戦死した篁条時利を嘲笑した件、そして独断で篁宗季、紀子兄妹を斬首した件が記されていた。

 妻の兄妹である篁条時利、吉時は朝頼のみならず有恒にとっても義兄弟であるにも関わらず、それを弱者であると謗るなど、言語道断であった。しかし、その倫理への抵触には目を瞑ったとしても、篁宗季、紀子の斬首を不問とすることは、さすがの朝頼にも難しかった。

 篁兄妹は朝敵篁家の中心人物であり、宗季の首は父義朝の追善供養の場で刎ねてお供えすることが決定していた。それを、特別な理由もなく無断で刎ねたとあれば、それは重大な決定でさえも配下を制御できない無能として、朝頼の将軍としての権勢を脅かす事例になりかねない。また同様に、既に出家した比丘尼を殺害したとなれば、朝廷や寺社仏閣から一気に敵対心を向けられ、それらの勢力から必要な協力を得られなくなる可能性が生じるのである。それらは即ち、大倉殿の政治基盤を揺るがす一大事に直結しかねない事案であった。

 朝頼は、事ここに及んでようやく、冷酷になることを決断した。血を分けた兄弟より、大倉柳営という御家を選んだのである。

 景親は河内八幡太夫義家支配地のとある村から、徴用された数名の大男の足軽や、精鋭の武士を引き連れ、腰越にまで戻った。

 夜になっていた。

 有恒は兄将軍へ届ける書をしたためるため、筆を取っていた。

 有恒はその文に心を込め、東国で再び会えた時戦自慢をしたいという、まるで子供のよう希望を書き綴っていた。

 兄将軍への思いが満ちる夜、突然、大男三人が部屋へ入り込んできた。闇夜に紛れ、従者の目を掻い潜り、見事に侵入されたのである。

曲者くせものが! !」

「お命頂戴いたす!」

 言葉のやりとりはそれだけであった。有恒は大男が馬乗りになって短刀を振り下ろしたとき、その体術で腕を止め、体格差をもろともせずに大男の巨体を投げ飛ばした。

 男の体は柱に激突した。ホコリが砂のように落ちた。

 大男2人が瞬時に有恒の背後に周り、いつの間にか部屋の中にいた男が、有恒の正面に立っていた。見るからに、男は武士である。

 蝋燭が消えて、僅かに隙間から入る月明かりだけが頼りの部屋の中にあっても、有恒の目には、男らの姿が鮮明に目視できていた。

 男は東国武士の面持ちである。また刀を持ったその構えは、有恒が兄将軍の馬廻りの者へ直に仕込んだ構えであるように見受けられた。

 まさか、兄将軍が刺客を───。

 考える時間はなく、有恒は、死を恐れず飛びかかってくる大男二人組を警戒しながら、同時に、刀を向ける手練れの武士を相手にして戦った。狭い部屋の中では、流石の有恒と言えども分が悪い。体に傷を負い、焦りが見えた。刀を奪い取った。しかしそれでも果敢に挑んでくる武士は、有恒の圧倒的な膂力にも抗い切り、その体術で闘いは拮抗する。拮抗していると感じれば感じるほど、やはり兄将軍の命で現れた刺客であるという事実が重くのしかかり、更に分が悪くなる。再び馬乗りになった大男二人が有恒の動きを抑え、そして武士が有恒の首を刎ねようとしたそのとき、鵄錦が壁を突き破って、大男をはね飛ばした。施錠された扉をこじ開けるよりも前に、壁を突き破る方が早かったのである。

 大男の一人が「ご子息!」と叫ぶや否や、鵄錦目掛けて飛びかかり、「村長の恨み、赦すまじ!」と叫んだ。二人は取っ組みあいになり、言葉にならない言葉を叫びながら、互いの顔面や急所を殴りつけた。

 やがて大男は鵄錦によって投げ飛ばされ、それが武士を巻きみ、有恒は自由となった。

 次の瞬間、有恒は刀を奪いとり、全員を返り討ちにした。

「知りあいか、鵄錦よ」

「数日、居候をした村の者にございましょう」

「其はどこの村じゃ」

「河内国にございます」

「しからば、やはり兄将軍の手のものか。もはや、東国には入れぬか」

「何故、何故我らがかような仕打ちを受けるのですか!」

「これが人の世だからよ……兄将軍は、敵を滅ぼした今、お心変わりをなさったのよう……!」

 怒りに満ちた有恒は、すぐさま踵を返して京へと戻った。東国を失った悲しみ、兄将軍の裏切りに対する怒りは、もはやただでは癒せない。時間が解決することではない。もはや東国の武士という武士を皆殺しにしてやるまで、収まらない。


 有恒は今上帝に拝謁し、東国の柳営の討伐を、奏上したのである。

「我が兄清和朝頼は、今や朝敵を滅ぼしたにも関わらず、征夷大将軍を辞さず、東国に大倉柳営を構えて己が国のような扱いをしておりまする。是は、自ら王の振る舞いをし、東国を秋津洲から奪い取とらんと欲する暴挙にござりまする。かような横暴、断じて赦すこと能わず、この有恒に逆賊大倉柳営の討伐をお命じ頂きたく。ご下命を賜らんことを、恐懼して、願い奉りまする」

 今上帝は、その嘆願に、困り果てた。いつかは大倉柳営が、朝廷に牙を剥くであろうことは想像に易い。しかしながら、果たして大倉柳営に勝てるであろうか。戦で大きな功績を立て、大倉柳営より褒賞を与えられた武士は軒並み大倉柳営に味方するであろう。筑紫島を筆頭に、大倉柳営と張りあえる武士は大勢いるが、未だに調略は満足ではなく、勝算はよく見積もっても五分五分であった。

「検非違使別当、其許の手勢はいかほどか」

「僅か数名にござりまする」

「僅か数名で、東国を襲うつもりか。大倉柳営は朝敵に非ず。朕が勅命を出さなければ、其許は謀反を唆し大罪人ぞ。その数名で、この朕にも逆らうつもりか!」

「さような考えは、毛頭ござりませぬ。天子様に仇なせば、其は篁家と同じ徹を踏むこととなりまする。この有恒めが申しておりまするのは、天子様の御心にも、いずれは大倉柳営が秋津洲の驚異となる恐れがおありだという、前提がござりまする。恐れ多くも、天子様も既に、お気づきのことと存じます。清和朝頼は、征夷大将軍の地位を返上するつもりなどなく、未来永劫その地位は清和家が継承していくつもりにござりまする!」

「其は……無論、朕も懸念しておる」

 帝にもまた、清和家には野心がありながらも、今や足場が万丈となった清和家に対し今手を出すならば、起死回生の一手が必要であると考えていた。

 賭けてみるか、という思いが、帝の中に芽生えた。

 この男に、朝廷に与する武家の力を結集させれば、東国に集まる柳営の武士どもを、打破できるやもしれない。この戦神有恒ならば、無理な話ではない。

 ふと目を横にやると、左大臣力石卿もまた、その可能性を否定しないようであった。思案する顔は、有恒の勝算と、敗れた際の被害を計算し、彼に賭けるか否かを見定めていることを表していた。帝の知能であるこの力石卿の言葉が、朝廷や有恒のみならず、秋津洲の趨勢を決定付けることに、その場にいた誰もが気づいていた。

 力石卿は小さくも力強く、「憂いの芽を断ちましょうぞ、天子様」と告げた。

 戦が、始まるのである。

 有恒は平伏し、兄将軍の討伐のための準備に取り掛かった。


 思えば、長い旅だった。有恒は回想し、ようやくたどり着いたこの京で討つはずだった帝に与し、あれだけ心を重ねた兄との決別をしたのである。先に手を下したのが兄である以上、もはやひき返すことはできない。報復あるのみである。

 兄のため、生きた。兄のため、戦った。兄のため検非違使別当の地位を得て、畿内に領地を得て、いつでも帝を討つ覚悟であった。

「何故ご理解いただけぬのじゃ……兄上の大馬鹿者が……!」

 ともあれば、静香御前は守り抜かなくてはならない。間違っても、鬼頭義仲の妻であった巴のように、戦で敵に討たれるなどという憂き目に会わせる訳には、いかないのである。

「静香、某はこれより、鵄錦らを引連れ、緑奥へ参る。そこで藤咲氏らと手を結び、東国の脅威を除かねばならん。御事を……連れてはまいれぬ。戦場に御事を連れていけば、塁が及ぶ」

「それでも静香は、殿と共に参りとうございます。体は弱くとも、誰よりも舞えまする。兵の士気を上げ、戦にて勝利を掴めるよう、祈ります」

「京に居るのじゃ。御事はもはや、我らの一味であると知られておるのじゃ。真っ先に捕まり、陵辱され、殺されるのじゃ。我らには帝が御座す。兄上は何故か、帝を襲い朝廷の息の根を止めるおつもりはない。それ故、帝の傍に立った某を嫌い、遠ざけたのじゃ。帝のお膝元ともあれば、御事は手出しされぬ。残るのじゃ」

 有恒はこれが今生の別れになるかもしれないと思った。さすがの有恒でも、篁家の貴族武士と、大倉柳営とではその武力には雲泥の差があることを理解していた。そしてこれから御味方とする緑奥の武士は、戦を忘れた貴族武士に他ならず、有恒自らが戦うならばいざ知らず、その他の戦場は瞬く間に抜かれ、本拠地を襲われかねない。

 そこまで考えぬいて、有恒は初めて、戦に負けることを考え恐れていた。

 その日の晩、彼は焼け跡が残る蔵馬山へ登った。篁是重が焼きはらって以降は再興もなされず、僧侶は一人もおらず、寺の残骸が灰となって転がるのみであった。こんな場所でも有恒には、価値のある存在に会える神聖な場所であった。

「法眼よ、おらぬか。有恒じゃ。以前も登ったが、そなたは姿を見せなかった。また京を離れる故、また話そうと参ったぞ。姿を見せよ」

 天狗は現れなかった。何度も呼びかけたが、ついぞ現れることはなかった。

 鵄錦もまた、法眼に会いたがっていた。数奇なめぐり逢いにて生涯の主に出会えたことに、礼を言いたかったのである。

「法眼殿、鵄錦にござる。名もない乱暴者であった拙者に、錦の鵄という名を与えて下さったのは、そなたでござった。腰を据え、三者ではなそうではないか。いずこにおるのだ。法眼、法眼よ!」

「法眼はもはや、ここにはおらぬのやもしれんのう。あるいはこの有恒、そして鵄錦、そなたにももはや興味がないのやもしれぬ」

「何故かようなことを申されますか殿」

「……法眼まで、去ってしまったか。離れていってしまったか」

「殿、山を下りましょうぞ。法眼はきっと、先に緑奥の山林へ向かったのでしょう。かの地は、人が多く生活していながら、結界が弱く、魑魅魍魎も多い地にございます。呪術の沼地と呼ぶべき場所にございます。法眼ならば、かの地で我らを待っておるのです」

「そう考えることも、できうるな。そうと決まれば、緑奥へ向かわぬ理由はあるまいな」

 有恒は、朝廷の一員として緑奥へ向かった。

 朝頼から見れば、奇しくも討伐すべき敵が、緑奥に集まるという状況になっていた。

 朝頼は間者を用いて、有恒の動向を把握していた。有恒と共に篁家討伐の戦の最中、京に入った武士がいた。河内永康。炎龍重永の嫡男である。

 永康は河内国国司の甥という稀有な肩書きを活かし、朝廷によく出入りし、そこで一人の貴族と強い繋がりを持つようになった。中級貴族である火野家は、永康を橋渡しとして、征夷大将軍清和朝頼と繋がり、朝廷において影ながら大倉柳営を支える働きをしていた。

 火野家よりもたらされた有恒北上の報を、朝頼は狡猾に利用した。敢えてなにも知らないフリをし、有恒を再度鎌村へと招いたのである。動機は、鎌村内に建築された有恒用の屋敷の地鎮祭と、宴である。宴には、舞の名人である静香御前も伴うようにと伝えることが、本心を隠した一番の動機であった。

 帯同の意味は、有恒に対して、敵対するならば愛する人さえも奪うという警告であった。

 有恒は静香の素性が発覚していたことから、京にも敵がいることに気づくも、それでもなお、静香御前を緑奥へ向かわせることは拒んだ。やはり、戦地よりは、この京の方が断然、安全なのである。そして、他に静香御前を隠せる場所などなかった。有恒は緑奥への移動に際し、大倉柳営内の離反者を集めようとしたが、朝頼による政治工作の前に、遂に一人の離反者を集めることもできなかった。篁家討伐の最中、効率を重視して、他の武士に手柄を立てさせようという配慮を行わなかった結果、有恒は人望を完全に失っていたのである。

 有恒が緑奥城へ到着した頃、朝頼は、朝廷へ畳み掛けた。

「有恒が腰越滞在時に暴れ、河内重永の配下を斬りつけ早漏。配下同士の乱闘を裁判するため、有恒は速やかに東下りさせるよう願い奉りて候」

 朝頼の奏上に、帝は焦った。渋れば、柳営は有恒討伐という名目で京へ兵を進める。断れば、柳営の権限で兵を連れたまま事情の確認という名目で、京へ入る。つまりは、京の制圧を許してしまうのである。

 力石卿はこのごろ体調が優れず、肝心な時に、朝議には参内していなかった。多くの公家の意見を聞き、帝は、決断を下した。

「有恒は逃亡した。それ故、朝廷は勅命で捜索に当たっている」

 有恒が緑奥で軍備を整え、攻勢を仕掛けるまでの時を、稼ごうというのである。

 しかしそれすら、朝頼の思惑通りであった。

「武門の誉に賭け、有恒捜索を行いたき儀これあり。そのため、秋津洲各地津々浦々に、柳営の武士を守護しゅごとして配置し、また費用捻出のため、荒れ果てた田畑の回復、維持を行う地頭じとうの配置をお許し頂きたく存じ奉りて候」

 東国にて足場を固めた大倉柳営は、秋津洲各地へその勢力を拡大させることが、次なる目的であった。篁家討伐の戦中に臨時的に指揮を執った各地の武家を、守護地頭の名の下に、正式に配下とするのである。

 これは朝廷の秋津洲統治を脅かす、明らかなる宣戦布告であった。誰が各地を治める武家の棟梁なのか、ひいては、この秋津洲の王家なのか。朝廷はその野心を遂に表した大倉柳営に強い不快感を示したが、それはあくまで読解の誤りであると否定されてしまえば、それまでなのである。

 有恒が逃亡したという建前がある以上、武士である有恒の不始末を片付けさせる必要がある。そのためには、捜索を許すしかないのである。朝廷は自らが悪手を取ったことに気づきながらも、朝頼に怪しまれず、またその面子を潰さないでやろうという気概を見せるには、やはり守護地頭の設置を認めてやるしかなかった。戦中に武士の数が激減し、足軽として人足が取られたことも相まって、畑は野党に荒らされ、耕す者も泣く荒れ果てていた。それを改善するためにも、大倉柳営の武士が各地で人を働かせ、徴税するというのは、理にも叶っていた。

 朝廷は有恒と朝頼の双方を上手く操ることで、その威厳を保ちながら、秋津洲の建て直しを図った。

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