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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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第十九話 西汰浦の戦い

 輪田水門の戦いから始まった追討戦は、思わぬ形で停滞していた。

 将軍・朝頼は苛立ち、有恒を監視するため新たな目付け役を送り込む。しかし誰もが恐れる鬼将・有恒は、功を焦るあまり次第に暴走の兆しを見せ始める。朝廷の策謀、東国武士たちの野心、兄弟のすれ違い――勝者であるはずの清和家には不穏な影が差していた。


 一方、鬼門城崩壊から生還した道嶋御楯は「大伴旅人」と名を変え、乱世の真理を求めて放浪の旅へ。神と仏、人と死者、その狭間を見つめながら辿り着いた先で、彼は常識では語れぬ光景に出会う。


 そして海上では、長き戦乱の行方を決する最後の戦いが幕を開けようとしていた。

 十二月十五日の午後、鎌村の将軍朝頼に、輪田水門制圧の報が届いた。朝頼は激怒した。

「偽帝をとり逃し、三種の神器さえ奪還できなかっただと! 有恒め何をしておるか!」

 これらを達成できなければ、将軍としての面目が立たない。そうすれば、東国の支配体制が磐石となるまでの時間を稼ぐことができず、将軍の位を奪われる可能性があった。

 朝頼にはまだ、緑奥や手付かずの筑紫島といった敵が残っている。それらがいる限り、安心はできないのである。なんとしてでも今上帝や、左大臣力石の要求に応えなくてはならない。朝頼は人を派遣し、有恒の補佐を任せることにした。

 その人選には難儀した。有恒に遠慮せず物申せる人となれば、朝頼本人を後ろ盾とする新参でなければならない。まず思い浮かぶのは篁条時勝、あるいはその倅である吉時。だが彼らは雅子や武者王丸を託し、東国経営をよく補佐してもらう必要がある。これは足利や筬谷ではそれぞれの所領を魑魅魍魎から守る責務があることや、そもそも群雄としてその地位を乗っとられかねないことを鑑みれば、真に身内と呼べる篁条家にしか任せられないことであった。

「梶景親……この者ならば某を裏切れまい。命を賭して、有恒を補佐してくれよう」


 景親は補佐役として摂津国へ赴いた。将軍の目代として恵我国の統治を開始し、城主として千葉城にて恵我国に坂東武者のやり方を浸透させようと働きだしたら直後、移動を任されたのである。果たして、本当に信任されているのか。疑問に思っても仕方がなかった。

 朝頼は口では、他に信用できる者が居ないからだと言う。だがこの仕打ちは、信用故ではないように、邪推してしまうのである。

 朝頼は底知れぬものを持っている。計り知れぬ深淵そのものである朝頼を頼りつづけるしかないが、いつまでそのやり方を続けられるのか、危ない綱渡りであった。

 前線にたどり着き、鬼や炎龍重永、新羅丞吉光と会った。この高名な武士らを上手く御していかなければならないが、そんなことが果たしてできるのかと思った。東国を出てから、困惑仕切りである。

「御辺は何用で参ったのか。名は何と申す。某は足利党の畠信隆じゃ」

「梶景親にござる。この度は将軍より、追討軍の帥、つまりは有恒殿の目付け役を仰せつかりましてござる」

「若いのに、将軍の覚えがめでたいのじゃのう。きっと、真の忠義者なのであろう。儂はそんな命を受けても……決して従えぬ」

「何故にござろうや?」

「鬼は好かぬ。なれども……止められぬ。いかなる魑魅魍魎とも異なる。有恒は……怖い」

「足利党の畠家と言えば、強大な力をお持ちの御家じゃ。清和家と共に戦ってきた御家とあらば……魑魅魍魎や荒御魂には慣れ親しんでおりましょうに……」

「それのみならず、不死川では、城も持たずに魑魅魍魎た戦うた。弓ではなく、刀や薙刀で戦うたわ。そんな者など怖くはない。なれども……なれども有恒は別格ぞ。きっと……坂上大将軍の様な傑物でなければ、恐れを抱くのは当然ぞ」

 梶は、死ねと言われている気分であった。有恒を制止し、怒りを買って殺されろと言われている。朝頼は、この梶景親を亡きものとしたいのである。いや、しかし何故だ。何の影響力も持たない自分を殺してなんとする。するにしても回りくどくせず、直接鎌村で殺せばいい。まさか本当に、純粋に、鬼の子有恒を止める働きを期待しているのか。

 景親はまず、機嫌を伺うこととした。朝頼から預かった褒賞、つまり新たに獲得した土地の分配に関する報告を行ったのである。

 京から摂津国まで諸国、そして国内の各城の支配を行う必要がある。摂津国衆を中心に、活躍した武士らに恩賞として、諸国の統治を任せるのである。有恒には、畿内周辺の各城が任された。つまりそれは、有恒が成りたがっていた検非違使同様に、京の治安を守る御役目を与えられたに等しかった。

 有恒はこの報告を「兄上の為、京を監視するはこの有恒の御役目ぞ」といって大いに喜んだ。

 有恒には野望があった。それは敬愛する兄将軍朝頼のために、京を支配することであった。朝頼が東を支配し、自らが西を支配する。有恒は、きっと朝頼もそれを望んでいるだろうという確信を持っていた。そうでなければ、この畿内角城の城主任命はありえないと思った。

「西を荒らす篁家を、今すぐにでも滅ぼしてくれようぞ!」

「有恒殿、将軍は、軍をよく休ませよと仰っておいでです。此度の戦で篁家は本拠地と多くの武士を失いました。逃れた先は小島であり、そこで十分に軍を休めることも出来ぬ故、我らはよく休み、西国にも清和氏ありということをよく知らしめよ。それが、将軍の命にござりまする」

「それは確かに、理に叶っておるのう」

 景親は有恒に「ここだけの話にござりまするが……」と耳打ちをした。秘密の共有をし、有恒の信頼を獲得しようというのだ。

「鬼頭の旧領地の支配に、将軍が乗りだす由。緑奥藤咲氏を正式に緑奥守に任命することでこれまではその矛先を鎌村から緑奥の山岳へ向けておりましたが、緑奥藤咲氏討伐の布石として、かの地を……奪う手筈にござりまする」

「なんと……緑奥藤咲氏を……滅ぼすとな……!」

 有恒にとって緑奥は、特に縁もゆかりも無い土地である。滅ぼされようとも大した興味のないことである。しかしかの山岳地帯は名馬の生産を初めに、清和の荒武者が大勢控える土地であり、それを制圧する者はきっと、自身よりも高く評価されるに違いないと勘繰った。

 何か功績を立てなければならないという思いが、焦りとなって、その判断を鈍らせた。



 皇紀一八二九年 一月十四日


 朝頼は足利吉氏に兵力を集めさせ、それを緑奥国山岳地帯へと密かに派遣させた。そして鬼頭家の旧家来衆を煽り、反乱を仕向けた。

 緑奥藤咲氏は、魑魅魍魎が多く発生する山岳地帯の統治に手間取っており、足利党の軍勢は渡りに船であった。

 吉氏は一門の新田、吉良、そして弟の本氏らの手勢に各々別の動きをさせ、片や藤咲氏の信頼を得て、片や鬼頭家残党を虐殺し見事に反乱を起こさせた。

 足利党が中心となってこれを鎮圧し、また緑奥藤咲氏方の武士をどさくさに紛れて暗殺した。

 同月二十一日、将軍の命で新田家当主、新田貞隆にったさだたかを緑奥山岳地帯に在任させ、そのまま同地の乗っとりを完成させた。



 一月二十五日


 有恒は新田貞隆ら足利党の活躍に焦りを募らせた。今にも無断の出撃を敢行しかねないほど、焦りが積もっていた。そのとき、朝廷の左大臣力石より書状が届く。そこには、有恒を検非違使に任官し、京にて帝を御守りする大任を担って欲しいと記されており、これは有恒にとって喉から手が出るほどの申し出であった。

 有恒は参内し帝に拝謁、検非違使の任を受けてしまう。

 有恒は、これでいつでも兄将軍のために帝を亡きものにできると、ぬか喜びをした。しかしこれは朝廷の策略に他ならなかった。

 朝廷は、間者を使って鎌村方の軍勢の内部を調べていた。そして将軍朝頼が東国での領土争いを優先し、その間に摂津国をはじめとした西国の支配を確固たるものにしようとする思惑に勘づいたのである。

 単純な有恒はまんまと罠にハマったのである。その報せを受けた朝頼は、この由々しき事態の対策の必要に迫られた。

 朝頼が行った対応は黙認であった。篁家が存続する限り、朝廷は直接的な分断工作には出ないであろうという推測に基づき、朝頼は朝廷と事を構えることだけは避けなくてはならないからと、今は有恒の自制心に賭けるしかなかった。



 篁家、有恒ら討伐軍。そして柳営による東国支配。いずれも長期の時間を要することとなり、秋津洲から一瞬だけ、争いが絶えた。

 そのとき、緑奥城で客として匿われていたある男が、その進退について問われていた。

 男は、道嶋御楯。鬼門城が消滅していた際にただ一人、生きていた男である。目が覚めたあとのことはよく覚えていないが、洪水が引いたあと、たどたどしく歩いていたところを拾われ、気が付けば緑奥城で匿われていた。御楯は藤咲氏の分家であったことが、受けいれられた要因であった。

 仁義に厚く、武士らしい正義感を持つ大伴望久によって、心身が休息する時間を与えられ、今は心身共に健やかであった。

「別段急いでいずこかへ行かれる必要もありませぬぞ、道嶋殿。この望久にも多少の蓄えはありまする。清貧を尊ぶ道嶋殿ならば、このままここで根付くまで後ろ盾となれまする」

「ご好意に甘えたい自分もおりますが……実を申さば、諸国を旅したいという思いがあるのです。一度死んだ身、死に損ないの御許おもとには、いや私には、何もない。それ故、何でもできる気がするのです」

 死に損なったと語るのには理由があった。彼は運良く生きのびただけではなく、奇妙な力を手にした。神通力とも呼ぶべき力を手にしたのである。

 彼の黒い目は色が薄まり、灰色になっていた。しかし瞳孔が青く光り、神秘的な輝きを帯びていた。その目には、死した人が現世から消えるまで、その姿が写っていた。

「神の道を歩み、生きてまいりました。鎮守府のお歴々のお骨は御霊祭みたままつりで供養されることもなく、長く長く現世を彷徨い、気が付けば高天原や黄泉の国、はたまた各々の故郷で霊となりました。信じていた世界は真であると知り、一つ私の人生が終わったのだと感じました」

「諸国を放浪し、何をなさりたいというお志がおありでござろうや」

「ございません。ただ、この世の真理を悟った一人の男として、ただ俗世を歩みたいのです。迷わぬ生き方を捨て、迷ってみたいのです」

「お心が決しておられるならば、もはや言うことはありませぬ。小鷹城の多治比殿へご挨拶へ行かれるのならば、馬を用意させましょうぞ」

「お言葉に甘えて、馬をお借りいたします。甘えついでにもう一つ。紙と墨、筆をお借りしとうございます。多治比殿のみならず、供養を行うてくれた甲武諏訪太夫吉國殿へも、御礼を申し上げたいのです」

「お安い御用にござりまする。直ちに」

 同月中に東国での御礼行脚を終え、二月には放浪すべく、西国へと旅立った。その名前から旅の邪魔をされなくて済むように、道嶋御楯の名前を捨てた。恩人である中将望久の名前から取り、大伴旅人おおとものたびとを自称した。

 東朝廷、桃紅城、太安京を抜けて、激戦地となった輪田水門にも訪れた。奢れる者も久しがらず、盛者必衰であると感じさせるほどの無情な姿が秋津洲には広がっていた。

 時の流れをその目に焼きつけた旅人は、あることを悟った。

「八百万は今や、人の心には在らずか」

 死した人を供養するのは寺と坊主であり、神主は少なかった。

山川草木悉有仏性さんせんそうもくしつうぶっしょうと、緑奥城で語る真言密教の修験者がおられたが……この者らも皆、その思いで供養を行うたのであろうか。仏とは、お優しいのう」

 それは、草木や川の水でさえも、仏になれるという意味の言葉であった。人は霊になることはあっても、神になることはない。それは、長い時を経て神の世が人の世となり、両者は地続きではあれどもまったくの別物となったからである。

 しかし仏は、人を苦しみから救うため、人が成仏する手助けをする。魑魅魍魎もまた荒御魂と等しく神ならば、天災や乱世を治めきれない神に救いを求めなくなるのは必定の理である。それならば、すべての人が成仏し苦しみから逃れられることを目的とする仏が、この退廃した世の中で、人の心を安んじられる唯一の存在なのかもしれない。

「誰もが太平を望めども、其れが叶えば、人は縋る気持ちを忘れてしまうのであろうな。仏は人の心にのみ居るように思えるのは、仏のその優しさ故か。あるいは、真に、御座すのか」

 仏は数百年前に秋津洲に入り、徐々に人々の心に浸透し、寺が建立されていった。そして新たな悟りを開きし僧侶が、新たな宗派を作り上げ、その地、その時代に適した救いの手を差しのべるのである。

 西国を進むと海に出る。海を越えれば、そこは筑紫島であった。

 筑紫島の京、遠朝廷とおのみかどとも呼ばれる大宰だざいを訪れた。大宰は太安京と同じく、街が碁盤の目となっており、なによりもまずその大きさに驚かされた。既に太安京では見られない朝服を使用しており、時が止まった古の京のような趣きであった。

 大宰は数年前まで大宰大弐が統治していたが、清和八紋蛇為朝が現れてからは、ほとんど彼の国のようになってしまっているという。為朝は未だ存命であるらしいが、今や貴族の身分を捨てた旅人が会える人物ではない。旅人は大宰を離れ、南へ進んだ。

 旅人には、行きたい場所があった。それは人が住めないと呼ばれる炎の湖である。灼熱の炎のような水が、蒸気を吹き出しながらあふれ出るその湖は、神が住むと言われている。近づけば呪われて命を落とすと呼ばれるその場所には、青い目をした死者がいるのではないかと思ったのだ。ならば、話をしてみたい。ただの好奇心であった。孤独な旅人たびびとの心を癒す、居場所になるかもしれないのだ。

 そこは大宰から遥か遠くにある。伝説では、太古の世ではこの湖から神が生まれいずれ、それが太古の強大な荒御魂となり、この筑紫島の名の由来となった。

 道中は長く険しい。秋津洲は時に、日ノ本や日出処ひいずるところと呼称されるほどに、太陽と密接な関わりを持つ国である。しかし道中は鬱蒼とした森を抜ける。肌寒く、何の生き物かも分からない鳴き声が鳴り響く森は、まるで命ある者を死へ誘い幽世へ導くような不気味さを漂わせていた。

 死に損なった自分にとっては、どちらに傾こうとも本望であるからと、旅人の足取りはますますと早くなった。

 少女がいた。裸の少女である。人里があるようには思えない森の中で、何故少女が、しかも衣服を纏わずに立っているのか。肌は白く、髪は少し脱色しているような明るさである。病の子であろうか、見えるはずのない死者の子か。あるいは───穢多非人か。

 生き物の死や流血を司り、穢れの多い人々。罪人の処刑や肉の解体、遺骨の埋葬といった死に纏わる御役目を担う社会の暗部。穢れに満ちながらも生きのび、米の脱穀など多くの者の生を司る御役目をも担い、陰と陽の両極に身を置くことで呪術者として開眼した人の極地。穢多非人とはつまり、人の道を外れた存在ではなく、先に進んだ人々という見方もある。

 それ故か、神々しく見える。陰部に毛も生えず胸も膨らんでいない小さな子供でありながら、達観したような、旅人をまるで子羊かのように思い慈しむ、そんな目をしていた。

 旅人は、自身が少しばかりは、民草よりも信心深く八百万の神々に近しい存在であると自負していた。だがさしかし、この穢多非人を前にしては、それが自惚れであったと思わされる。

 やがて背を向けて歩きだした少女に、旅人はついて行った。その先に、光があると、そう信じて疑わなかった。たどり着いた場所は、村落。大きな一つの柳を囲うように藁の家々が連なる、太古の趣きを遺す村落である。生活感もなく、それでいて作り物のような偽物の雰囲気もない、不思議な空間である。

 井戸より水を汲み上げ村に運ぶ女性の群れがいた。聞いたこともない言葉で楽しげに歌う姿に、目を奪われた。誰一人として衣を身につけず、身体の一切を露出していた。

 女性たちが旅人に気づいても、怖気ついたり、敵意を見せることはなく、ただ互いの顔を見あって、何も見ていないかのように微笑みあって歩きだす。まるで外敵の存在を知らないかのようなその成熟した態度に、旅人は逆に、恥ずかしくなった。

 魑魅魍魎を祓い、そのために民草から税を徴収し、敵対するならば人とさえも争う。そんな自分が、ただただ恥ずかしくなった。


 ただ裸体を眺めていては、目的地へはたどり着けない。立ちさろうとしたとき、旅人を呼びとめる声がした。

 声の方を見れば、そこには天狗の面を着けた修験者がいた。

「出ていかれるのですか、旅人たびびとよ」

「ええ。私は炎の湖へ参りたいのです」

御事おことにはその資格がおありだ」

「いかなる意味にございましょうか?」

「ここは穢多非人の村落。人と八百万のあいだに立つ、言わば半神半人の呪術者。誰もが言葉にできぬ居心地の良さや畏敬の念から、ここに立ちどまろうとします」

「そういう者は……もしや炎の湖へはたどり着けぬと?」

にも。無私無欲にあらずんば、荒御魂の養分となりて、死よりも恐ろしき永久の苦しみが待ちまする。かようなことは、誰のためにもなりませぬ」

「しからば、これにて参りとうございます」

「よき旅をお楽しみくださりませ、道嶋殿」

 そう言うと、修験者は消えた。冷たい風が吹き、落ち葉が舞っていた。旅路は長いだろうと思い、先へ進んだ。



 三月十一日


 静寂に包まれる秋津洲にて、沈黙を破ったのは有恒であった。兄将軍朝頼から下された攻撃命令に従い、西国から筑紫島へ伸びる山陽道数ヶ国の攻略に動いた。清和家方の情勢有利を説き、日和見を続ける武士らを御味方としながら、徐々に徐々に西へ進み、筑紫島へと手を伸ばした。

 筑紫島は大叔父為朝が実効支配する島であり、ここが御味方となれば、内海及びその小島に立てこもる篁家主力を、袋の鼠にできるのである。

 筑紫島へ上陸し、大宰へ向かう軍勢をひき連れるのは、譜代の河内炎龍重永であった。

 大宰の宮へ参内し、鎮西ちんぜいを自称する為朝に謁見を申し出た。

 鎮西は大宰及び筑紫島の支配権を有する役職であり、これを自称するということは言わば、王号の自称にも相応しい行動であった。

 為朝は現れなかった。代わりに現れたのは、為朝の嫡男、為頼ためよりであった。

「父為朝は二年前すでに没し、今はこの為頼が、鎮西を務めておりまする」

 為朝は海賊討伐にて筑紫島を守ったことで武士や民草からの人徳を得て、順調な統治を行っていた。しかし二年前、異国の賊徒が数多の船で襲来した際、得意の弓で船を沈めた。その中に秋津洲の民が含まれていた。

 そして追い討ちをかけるように、大宰の観世音寺における戦没者供養の際に、天満宮の道真みちざね公が愛した梅の木を不意に燃やしてしまった。

「父上は乱を起こしたのも、この筑紫島を統べていたのも、御家や秋津洲の為。己の欲の為にしたことではなき故……その誠意を示すために、真心宿る腹を自ら、刀で割ったのでござります。東国の御親族にそれをお知らせしようにも、父上は朝敵。海を渡り山陽道へ入ること叶わず、東へ赴くなど、できるはずも……!」

「お悔しゅうござりましたな、為頼殿。この炎龍重永、主に変わって、為朝様の義勇と功績に対し、御礼と賛美を申し上げ候わん」

「かようなことを致しては……! 朝廷より将軍位の返上を迫られまするぞ!」

「朝廷の機嫌伺いなど、もう必要ござりませぬ。我らはこの筑紫島中腹より船を出し、筑紫島、山陽道、近畿の三方向より内海へ攻めのぼり、篁家のたたき潰してみせまする。さすれば我らは、向かうところ敵なし。朝廷がいかなる文句をつけようとも、我らの怒りを買えば、先帝や先の右大臣菊小路卿と同じ末路を辿ると、ご理解あそばされるでしょう」

「筑紫島の中腹より船を……でござりまするか」

「難しゅうござるか」

「東の中腹は……地獄平野と呼ばれておりまする。海へは……たどり着けませぬ」

 地獄平野は立ちいる者が必ず発狂し、やがて変わり果てた亡骸が海に流れて付近の浜にたどりつくと言われている。

 そんな場所から軍勢を海へ渡らせようというのは、みすみす戦力を蒸発させることを意味していた。

「お役にはたてぬかと存じまするが……せめて、篁家方に加勢せず、武具兵糧も一切流しませぬことを、清和家の名誉にかけて、お約束いたしまする!」

「感謝申し上げ候!」


 炎龍重永は少数の河内党の精鋭と共に筑紫島に駐屯し、また内海の小島群から見て最も距離が離れている山陽道には、足利党と美浦党を配置し、有恒が水軍を指揮し摂津地侍と甲武党を主力として動員した。

 水軍による攻撃を敢行するが、いかに有恒と言えども、屋島の攻撃には苦戦した。篁家は内海の海賊討伐で名を上げた一族であり、海の上では分が悪かった。

 船を失ってもなお手柄を焦った武士らが、馬で海を渡るという暴挙に出た際には、奇跡的に浅瀬に着地し小島を一つ陥すなどするも、補給がままならず島を放棄して引き上げるなど、いたずらに戦力を消費するぐだぐだの戦が続いていた。 

 有恒は苛立ちが積もりに積もり、兄将軍朝頼の許可もなく摂津国衆らに恩賞や処断といった独断専行をするに至った。

 それを朝頼は見過ごせず、ついに書状にて叱責するに至った。しかし対照的に左大臣力石はそれを褒めたたえ、有恒の心はにわかに、朝廷方に傾いた。役に立たない武士ばかりを預け、挙句の果てには叱責を加える分からず屋の兄将軍よりも、苦悩に寄りそいながは励ましを与えてくれる朝廷方の方が、戦場で血を流す武士にとって必要な存在であるように思えた。

 だが有恒にも、理性はあった。これが調略の策であることくらいは見抜いていた。だからこそ、それに乗ることこそ、いつか兄将軍のためにもなると信じていた。朝廷の信用を得ることが、いつか兄将軍の命令で朝廷や帝を滅ぼし、真に天下を取ろうというときに、その刀になれると思ったのだ。そう自らに言い聞かせることで、自らが兄将軍に感じている多少の距離感や不満に蓋をして、目を逸らすことができた。

 彼もまた、現世の荒波を泳ぎ進む、一人の旅人であった。


 四月十八日


 篁家方の主力が立てこもる本拠地屋島は、複数の小島に囲われている島であり、この小島が砦の役割を担っていた。攻めこんでも維持ができず放棄するしかないこの要塞を、有恒は攻略する手立てを思いついた。

 この日の内海は、嵐であった。

「敵が袋のネズミであることは、一切揺るがぬ事実。屋島を含め複数の小島に兵力を点在させており、敵は摂津国か、山陽道か、筑紫島か、いずこから攻められるかも分からず、迎え撃つ策もとりづらい。馬三郎」

「ははっ!」

「敵は防衛戦が広い故、その維持に固執しておる。我らは……南の海から攻めのぼる!」

「と……申されますと……?」

「其許ら全軍をこの嵐の中、東から攻めさせる。北の山陽道からからも、なけなしの船を出させることになっておる。この嵐故、真に出すかは怪しいが……某が一人、馬で泳いで南から敵ばらを一刀両断してくれようぞ!」

 有恒は単身で攻めこむという強硬策で、屋島の攻撃を計画した。

 それに待ったをかけたのが、梶景親であった。

「おやめ下さい有恒様! 危険極まりのうござりまする!」

「景親か……止めるな、勝つには手段を選べまい」

「さりながら、時をかければ嵐は収まりまする。筑紫島は調略し、すべての武士が清和家方につけば、我らは大軍勢でもって敵を討てまする!」

「それでは手柄を立てる武士が、恩賞をせがみ兄上を困らせる! なれば少数で敵を滅ぼすが上策にあろうが!」

「さりながら! さりながら勝てるかも分からぬ危険な船での行軍は、場合によっては戦にすらならずに軍が瓦解する危険がござりまするぞ!」

「儂がおれば、敵は皆殺しぞ!」

「待つべきときは待ち、進むべきときは進む。進むしか知らぬは猪武者にござる!」

「己ぇほざくかぁ! 儂は鬼じゃ! 人でも猪でもないわ! 誰ぞこの慮外者を営舎からつまみ出せい!」

 景親を追放した有恒は、強硬な進軍を行った。

 摂津国衆、山陽道の足利党、美浦党の壊滅と引替えに、有恒は屋島を単身で陥落させた。有恒は殺戮を楽しんでいた。気が付けば長い髪はぬけ落ち、血だらけの頭部の毛根からは小さな角が映え出していた。常に肉を食らう空腹の獣のような目で、ひたすらに人を斬り殺してまわった。

 有恒が我に返ったとき、敵はすでに船で逃れていた。偽帝、宗盛、三種の神器は再び、遠く海の彼方へと逃れていったのである。機会を再び失ってしまった有恒は、兄将軍朝頼から叱責を受け、帥の位を外されるに至る。

 有恒は朝廷を頼った。朝廷は、篁家討伐の催促という形で、天下無双の有恒の解任の撤回を要求した。

 朝頼は、じきに緑奥藤咲氏を完全に討伐し滅ぼすことを目論んでおり、今この段階で朝廷に睨まれては都合が悪かった。その為朝廷の要求を受けいれて有恒を帥に再任し、ひたすらに屋島から逃れ筑紫島と山陽道のすぐ側にある彦島に逃れた篁家方を滅ぼすべく、有恒率いる本隊と炎龍重永の精鋭が、海峡を封鎖するように立ち塞がった。



 四月二十日


 海峡を封鎖され、これ以上海を彷徨う利点がないと判断した篁宗季は、海峡西汰浦にて敵を誘いこみ、海で敵を討ち滅ぼすことを決断した。

 暁が照らす西汰浦にて、宗季は知季へ尋ねた。

「真に竹仁帝や紀子ら女どもも連れてまいる必要があったろうか」

「大納言、我らは朝廷から見れば、偽帝を立てた朝敵。その御身内とあれば、女子供も首を刎られてしまいまする。単なる武士と武士の争いではないのです。この戦は、帝と帝、東西の戦でござりまする」

「勝つ他、ないのだな」

 宗季はここに至るまで、戦面を是重に頼り、ただひたすらに一族の結束を緩めぬよう、奔走した。武士を激励し、家族を見舞い、少しでも武士が戦に専念できるよう、陣中の規律を守ることに尽力した。人の心を理解する優しい宗季にとって、それは戦や一族を主導するよりも自らの得意なことであった。

 それもこの日までである気がしていた。


 開戦後、是重、朝季らの軍才で一時は優勢となった。船の数や、波に揺れる足場や潮の流れなどへの理解と、ありとあらゆる面で清和家方を上回る篁家方は敵を手玉にとった。

 この戦で敵将の炎龍重永負傷、畠信隆、安田之資重傷、摂津馬三郎が討死という大戦果を立てるも、午後を過ぎると矢が尽き、あとは矢で狙われるのみであった。

 中には海賊討伐の名誉を捨て、敵船に乗りうつって切りあうという荒事まで行ったが、形勢逆転には至らず、徐々に追いつめられていった。

 敗れたことを悟った宗季はようやく肩の荷が降りた気分であった。

「空は晴れわたっているな。いつぶりであろうか……かように晴れておるのは」

 その隣で、紀子は虚ろな目をして、船の淵に足を掛けていた。従者の「危のうござりまする」という言葉を気にもかけず、紀子は海を眺めていた。

「竹仁、これへ参りなさい」

「母上、どちらへ行かれるのですか」

「海の底にも宮がござりいする。静かな宮にございまする。共に参りましょう」

 竹仁は東を向き、遥か遠くにある故郷の京に手を合わせた。脳裏に浮かぶ京に別れを告げ、竹仁は紀子と手を繋ぎ、入水した。

 それを見た者共は後を追う。宗季が周囲を眺めれば、多くの武士が同じように身投げをしていた。鎧を二両着る者もいれば、首や腕を切って身投げする者もいた。

 知季は御座船までたどりつき、三種の神器を抱え「清和には渡すまじ。竹仁帝こそ真の帝ぞ」と言って宗季の手を握った。宗季は二人で、海に身を投げた。

 最後まで抵抗を続けていた是重であったが、御座船が炎上したのを見て、諦めた。船を停泊させる際に用いる錨を抱え「見るべきものはすべて見た。この世の春も凋落も」と良い、入水した。

 ここに篁家は滅没し、長き戦乱に幕が下ろされた。

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