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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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第十六話 篁家の京落ち

 鬼頭義仲の奇策によって、篁家の大軍は思いもよらぬ罠へと誘い込まれる。戦場を支配するのは兵の数でも名門の威光でもなく、人の心と裏切りだった。敗報は篁宗季を深く追い詰め、朝廷と諸勢力の思惑もまた大きく揺れ動き始める。

一方、京を目指す義仲はついに歴史の表舞台へ躍り出る。しかしその先で待つのは、剣や弓ではなく、陰謀渦巻く朝廷の政争と、新たな帝を巡る権力闘争だった――。

 鬼頭家と清和家の会合は大いに盛り上がったが、当主同士の強い嫌悪感が最後まで尾を引き、盟約は結ばれずに終わることとなった。しかし両家は互いを攻めず、篁家追放のため京まで競争をしながら侵攻をすることに相成った。

 足利兄弟は再び別れた。次に会うときまた仲良く酒を飲み交わす約束をしたが、その約束が果たされることがないことを、彼らは知る由もなかった。

 義仲は帰陣の際に、砺波国が篁信清率いる朝廷の追討軍に攻撃されているとの一報を受け取り、数百の手勢でその背後を急襲した。義仲は魑魅魍魎を用いた常識破りな戦いかたをせずとも、戦には十分な心得があった。野生の勘とも呼べる戦いかたを好み、臨機応変な突撃を繰りかえすことがその特徴であった。寄せては返す波のようなその突撃に、腹を空かせた信清の大軍は動揺した。大軍故の慢心と情報の錯綜によって対応は後手に回り、僅かばかりの武具兵糧は尽く焼きつくされ、士気は極限にまで低下した。

 しかし今回は信清の手腕が発揮され、軍は不死川のように瓦解することはなかった。

「退く者は切りすてよ」という容赦のない命令が、恐怖におののく自軍の武士どもの足を止めさせた。進むも退くも地獄ならば、進んで活路を見出す。武士らは懸命に戦った。

 しかしこのまま戦いつづければ、いずれ城内と城外の本隊に挟撃されかねない。なにより、このまま包囲を続けることは難しく、一度体制をたて直す必要があると考えた信清は、撤退を決意した。

殿しんがりを担う者には褒賞を与える! 負傷した者は更にだ! 戦えい!」

 追跡を免れながら撤退を行い、軍の中枢に損害は出なかった。少数が城に戻ったところで、すぐさま包囲は再開できることに加え、食料の消費が早くなり、より追いつめることができる。信清は、一度打撃を受けたからといって、依然としてどちらが猫でどちらが鼠なのかを、よく理解していた。

 だが、信清のその冷静沈着な性格と、鈍重な馬鹿にならずに、その性格を成り立たせるだけの知性と常識、経験が、今回は仇となった。鬼頭家というのは、常識や経験があればあるほど先が読めない、前代未聞の御家なのである。

「吉清、敵はどのくらい下がったのだ」

「一里ほどにござりまする、殿」

「あまり引かなかったな。この義仲の首を、未だに狙っていると思える。城を陥し、俺様の首を刎なって、宗季の本軍と共に朝頼を狙う腹積もりであろうのう」

「ここで叩きまするか」

「叩く。が、ここではない」

「では何処にて?」

「砺波峠じゃ。あと十数里、敵を退けられようか。手段は選ばずもと良い」

「お任せくださりませ」

 ようやく城に戻った少数の騎馬隊は、一息吐くと、その日の内に再度出撃した。

 大軍を整え終えていない信清は、撤退直後の殿しんがりの背後を襲ってはすぐさま山林に消えるという小賢しい少数の敵騎馬に困惑した。僅かばかりの損害のみを与え、霧のように一瞬で消えさるばかりの騎馬隊を攻めとることもできず、かといって放置することもできない。目障りな小バエそのものであった。

「急いで退くのだ! 後方の砺波城となみのきにまで戻り、飯を食って出直すのだ!」

 信清は疲弊する軍を一刻も早く休め、総攻撃を仕掛ける腹積もりであった。目障りな騎馬は、注意を引いて軍の侵攻を遅らせるのが目的であると、彼は睨んでいた。彼と追討軍は、闇夜の峠へと誘われたのである。

 信清は本隊のみを後方ときり離して、峠の傍にある砺波城に入城した。後方は役立たずの篁家方武士ではなく、近畿畿内の武家に託しており、彼はこれで敵の襲撃に即してもそれを撃退しながら、再び包囲をするまで本隊をよく休められると思っていた。

 しかし数日間、敵の攻撃は一向に起こらず、軍を分けたのはとり越し苦労に終わった。

 そして七月初旬、砺波城を出撃した信清は再び包囲を再開した。

「一時撤退から今日まで、物見によれば敵の手勢が城を出入りした形跡はない。侍女よ、この城の名はなんと言ったか」

「正式な名はありませぬ。近隣の民草は、沼城ぬまのしろと呼んでおりまする」

「左様か。しからば……こちらを手こずらせたこの城との戦いも、名も無き戦となろうな。ジリジリと押しつぶせい!」

 時間が敵を押しつぶすと信じていた信清の期待は、裏切られた。突如として近畿畿内の有力武家が弓を向け、篁家方に矢を放ったのである。

 信清は逃げた。すぐさま馬に鞭を打って、砺波城へと走った。どれだけの御味方が謀反を起こしたのか知る術はない。顔見知りの側近のみを身近に置いて、ひたすらに駆けた。

 道中、今朝出撃を行うまでは御味方が居た城も攻撃を加えて来ており、ここで信清は、何事も無かった数日のあいだに鬼頭家による離間の計が行われていたことを悟った。

 砺波城にたどり着いたときにはすでに、日が暮れて月が顔を出していた。

「逃げのびて、顔をいでりし月読と、我が身重ねる、可惜夜なりけり」

 これが最期の夜になると、覚悟した。名家らしく、詩を詠んでみたが、こんなものかと自分を詰った。しかし、貴族らしさなど不要だと、そうも思った。誰が敵か、誰が御味方か分からない今、城の中に留まっては的になるからと、闇夜を駆けた。気がつけば、馬廻衆数十騎のみとなっていた。

 峠の山林で息を潜めていると、峠の谷から法螺貝と陣太鼓、怒号と歓声、悲鳴が響いていた。

 義仲はこのとき、篁家方数万を、鬼頭家に寝返った近畿畿内の武家勢力数千に命じて、高い山中から急転直下の深い谷へ向けて押しだしていた。京に巣食う悪魔を、奈落の底へとつき落としていく。それが義仲にとっては、どうしようもなく心地よい感覚であった。

「砺波国の国衆を御味方としたときから、この峠が殺しに適していることは聞いておった。のう金平」

「はい、殿。さりながら、国衆が砺波城や付近の支城を守りきれずに奪われてしまい、我らが戦の最中に城をわざと奪わせてから逃げおおせる素振りを見せて、敵を峠に誘う罠は使えなくなりましてござる」

「結果が同じならは方法など変わっても良い。数日に及ぶ密書のやりとりで、敵軍を愚かな篁家の貴族武士だけの弱者よわものにしたことで、此度の結果に結びついた。諦めぬ気持ちが、誰の心にもある、反逆者たる篁憎しの心を蘇らせたのじゃ」

 篁家の貴族武士は烏合の衆。相手が鬼頭家であり、大将が逃亡したとあれば、それは尚のことであった。義仲は数日前から予め山中に潜ませた近畿畿内武士によってすぐさま包囲させたが、そこにはあえて穴を開けていた。完全な包囲であれば、敵は死にものぐるいで抵抗するであろう。そうとなれば、いかに敵が弱者であっても、窮鼠が猫を噛むということがある。しかし穴が空いていれば、皆一様に隙間を抜けていこうとする。そうして篁家方の武士らは、谷へと誘われて行ったのである。

「見世物のように、ノコノコと……。これは……快なり!」

 戦の心得がある数千の近畿畿内武士は、松明で照らされた雄牛の旗を掲げ、意気揚々と敵を追いつめ、崖のような谷底へと生きたままの篁家方武士をつき落とし続けていった。

 義仲は「この包囲は、京の邪悪な悪魔を縛り上げる、羂索の縄ぞ」と言いはなった。金平は「河内重永が迦楼羅の炎を纏う炎龍ならば、義仲様は闇を祓いし倶利伽羅の竜王、それ即ちよろずの魔を打ちくだく不動明王にござりまする!」と、喜びながら続けた。

 笑いが尽きぬまま、義仲は「篁方は地獄の谷底へ落ちた。不忠の裏切り者を落とせ」と続けた。

 金平は吉清率いる鬼頭家の精鋭が潜む山林に向け、合図の狼煙を上げた。

 次第に地鳴りのような音が鳴りひびき、赤い目の雄牛数千が、砺波国衆を除く近畿畿内武士に向かって突撃を行った。人の二倍はある岩のような雄牛に押しだされ、自ら谷の淵にまで集まっていた近畿畿内武士は、いっとき前の篁家がそうであったように、悲鳴を上げながら突きおとされていった。

「もはや鬼道も我らがお家芸よのう、金平」

にも。甕形鬼おんぎょうきは、罪人の精魂を地獄で喰らい尽くす鬼。正義の鬼にござりまする」


 戦の趨勢を眺めていた信清は卒倒した。「奴らを倒すのは、武士ではなく陰陽師ぞ」といい放ったのを最後に、彼は二度と目を覚ますことは無かった。



 同月中、篁宗季は、主力軍が殲滅されたことを知った。その帥たる従兄弟の信清が戦没したと聞いたとき、宗季は口をぽかんと空けて、空を眺めてしまった。青い空だった。雲ひとつなく、暑くも寒くもない日の空だった。何も考えられないままどのくらいそうしていたかは分からないが、藤孝が名前を呼んでくれたとき、久しぶりに現実へひき戻された感覚だった。

「お気を確かになさって下さい、ご当主!」

「平気じゃ。何事もない」

「其は真で……?」

「真じゃ。父上が薨られた砌、涙は枯れはててしもうたわ。篁家のため……いや朝廷のため……いや……とにかく心を痛める暇などないわ」

 宗季の頭の中には雲がかかっているようだった。陰鬱な雲海の中に独りぽつんと立っていた。何もかもが嫌になっている。ウンザリしている。塞ぎこむ精神が雲海として現れていた。

 どうすればこの世界から逃れられるのか、宗季はさまようしかなかった。

 軍議に於いても、周囲の声は遠かった。

「御当主、間もなく兵糧が尽き、軍が飢えることになりまする。周囲の村々もまた干上がっており、皆もはや敵中に活路を見出さんと欲しておりまする」

「しからば……しからば、嗚呼行かねばのう」

「は?」

「攻めいらねばならぬよのう。主力は、あぁもうおらぬ。よく捉えるならば、飯を争う相手は減ってのう、もし近畿畿内が回復すれば我が軍は、まず先に食えるよのう」

「はっ……はぁ」

「焦るな焦るな、なんとかなる。五条国に、鬼頭はおらぬ。今は好機やも知れぬ。清和朝頼を叩こうぞ」

 目の焦点も合わず、咳払いや吃りもありながら、宗季は攻撃をすると宣言した。貧乏ゆすりもしていたことに、立ちあがろうとした瞬間に気づく。常に心ここに在らずであったが、もはやこれが最大限の冷静さであった。

 しかし、焦りや憤りで心を乱していたのは、宗季だけではなかった。


 清和朝頼もまた、鬼頭家の快挙に立腹していた。

「何故あの山猿めが、大軍を討てるのか! 御味方も少数で、ただでさえ少ない田畑の作物はすべて枯れていようぞ!」

 軍議の場で珍しく憤激する朝頼に、家来衆は一様に黙った。緊張感が高まる軍議であったが、朝頼はスっと静かになった。まるで人が変わったようで、誰もが困惑した。

「どうせまた鬼道か妖術か、とにかく、まやかしで勝っただけじゃ。京へ向けて西南へ進むならば、緑奥の藤咲氏が山猿の山岳を奪うであろうぞ。これで義仲も終わりじゃ」

「さりながら、この重永、ひとつ懸念がありまする」

「炎龍にも懸念があるのか。敵を焼き尽くす炎龍にとっても、義仲は頭を悩ます程の敵に見えるか」

「其は……人々の評、喩えにござりまする。其はともかく、殿……我が方が義仲と結んだ盟は、どちらが先に京へ上れるか。我らは上洛を競っておるのです。義仲めには、もはや足を止める理由もなく、まっさきに西南へ進むのみにござる」

「篁中納言宗季が、追討軍の旗をはためかせながらここ五条国へ進んでいるという。呪って退けられぬかのう」

「美浦殿がいらっしゃればいざ知らず……我らでかようなことは」

「案ずるな、冗談ぞ。東国武士の正当たる棟梁が、呪いになんぞ頼るものかのう。のう、皆の衆」

 その言葉に軍議の場は一気に和んだ。皆一様に「そうじゃそうじゃ」と口にし、先程のまでの朝頼に対する緊張感や頼りなさは、この軍議の場から払拭された。

 朝頼は堂々としていた。彼には策があった。

「今は秋の刈入れ前。いかに少数であるとはいえ、飯がなければ義仲は動けぬ。もしその蛮勇を遺憾無く発揮して無理に上洛せんと動くことあらば、彼奴らは必ずや洛中狼藉によって、自滅する」

 合理的な見解で先を見通す朝頼に、重永は頷いた。何度も頷き、感服の意を表明した。

「重永よ、その方の兄は息災か」

「河内国にて、息災にござりまする」

「甲武の問題児吉國は鎮守府の喪にふくし、今はもう甲武国に戻っておるのか」 

「左様でござりまする。諏訪太夫吉國は自身の諏訪柵すわのさくに社と、それを守る諏訪城すわじょうを築こうとしておる由にござりまする」

「鬼門城のお歴々をお祀り申し上げる必要があろう。それは許そう。それが終わるまでは、新羅丞吉光に手は出すまい」

「さすれば、兄を五条国へ呼びまするか」

「否、後詰めとして東国に居てもらいたい。しかして……もしかすれば、宗季はここへ攻めいらぬやも。ともあれば我らは軍の形を変え京へ進む故、緑奥藤咲氏への牽制として東国に必要じゃ」

 二人の問答を聞いていた足利吉氏は、その言葉に食いいるように「真にござりまするか!」と返した。

「実を申さば、桃紅城の時勝殿より文が届いておる。中には、篁条国へ迫る追討軍が、踵を返したとある。兵糧不足が、深刻なのであろうぞ」

 吉氏は笑いながら「腹が減っては戦はできませぬな!」と言って、再び場は和んだ。

「なれども、万が一にも宗季が攻めこむことも考えうる故、各々、準備を怠らぬように」


 八月初旬、宗季は撤退を決意した。先んじて篁条国に入った別働隊が、朝敵方の防御の固さから攻めいりを断念すべきと進言してきたため、宗季はそれを撤退させ、自らも撤退することを決断した。

 想像よりも、近畿畿内の飢饉が深刻であるようだった。近畿畿内以西、筑紫島以東の西国地域では、それなりに実りがあったらしい。かの地は貴族文化が少ない地域でもあり、懐石料理ではなく海の幸や山の菜、獣肉もあるため、住民らは食うものにあまり困ってはいなかった。

「輔盛、ここは退くが賢明ではなかろうか」

「某もそのように考えており申した。さりながら、斥候の報告では、鬼頭家は足を止めずに上洛しようと進んでいる様子。大軍では足が遅い故、少数で京へ戻り、すぐさま事情を奏上して西方へ向い体制を整えるが肝要かと」

「善は急げじゃ。退くぞ!」

 宗季はすぐさま京へ戻り、帝へ西方に軍勢を向かわせた後、腹を満たして英気を養う必要性を奏上した。そしてすぐさま西へ向かった。追討軍は後から戻る予定であったが、ほとんどの近畿畿内武士は、「大将自ら逃げかえった」と噂しあい、無断で本拠地へと戻っていく者が後を絶たなかった。

 また宗季を初めとした篁家の人々も、必要があるからといって、京を逃れて輪田水門へ逃る自分たちのことが、情けなく感じられた。一家の栄華を繁栄させた京。廃れた京を、正すこともできず、遷都とは異なる形で本拠地の輪田水門へ向かうその屈辱が、宗季の清和憎しの感情を高まらせた。

「殺してやる……清和の朝敵ども……! 麻呂麻呂やかましい公達きんだちどもも、三日天下を噛みしめておけ……!」

 今上帝を戴きながらの逃避行であったが、宗季は、今京を離れてしまえば貴族が密かに新たな帝を践祚し篁家を朝敵とすることは理解していた。鬼頭家という武力を背景に、篁家を滅ぼす勅許を与え、天暦の治を再現するのである。

 今だけは見逃してやるという、腸が煮えくり返る思いで、宗季は輪田水門へ到着した。

「一族の本拠地ながら、馴染みのない場所じゃ。田舎よのう。悲しむべし悲しむべし……凋落じゃ」 

 和田水門はけして小さい街ではなかったが、華やかさはなく、心の中に再び暗雲が立ちこめ、今にも雨が降りそうな感情に苛まれた。その雨が降れば、金輪際晴れることはないと直感したり

 このころの宗季は情緒が不安定で、喜怒哀楽の変化が激しいと、小藪兄弟は感じていた。兄輔盛は「以前からあのご様子なのか」と尋ね、弟藤孝は「影はあったが、もっと調子のいい御方であらせられた」と答えた。輔盛は「篁家当主ともあろう御方がああでは困る」と嘆き、続けて「其許の不埒な性格が、悪く移ったのではないか」と叱責した。藤孝は「清季太政大臣の後任は誰にも負えぬ大任なれば、心がおし負けるは必定」と反論し、「某よりも、信清様が戦に敗れたことが原因に他なりますまい!」と続け、その他責に腹を立てた輔盛に折檻された。 

 輔盛は、人は常に周囲の者の影響を受け、判断が変わることを知っていた。強い人であっても、それは変わらないことであるし、それが正常であると知っていた。だからこそ人は、周囲のため常に正道を征き、立派に振舞わなくてはならないのである。

 しかし藤孝は知っていた。幼少のころより周囲の外圧に屈し、常にそれから抗おうとしていた人間は、そう易々とは変わらないのである。それは理屈ではなく、圧を与える人間に対する復讐心にもとずくものであり、周囲の者の存在など意に介さない程の頑固な決心がそこにあって当然なのである。宗季は稀代の英雄たる篁清季を初めとし、血の気が多かったという重季や、老獪な鳳凰院といった癖の強い者の外圧に晒されつづけてきた。その中で不埒者として振舞ってきたことは偶然でも甘えでもなく、拘りを持った、宗季の生きかただったのである。

 それを家の都合で許さず、当主として正反対の生きかたを強制され、さらに敵がまんまと御家の栄光を踏みにじったとあれば、誰であっても現実に押しつぶされて当然なのである。

 宗季が武士ではなく公卿であることは、同じく武家に生まれた、飄々とした不埒者である藤孝にしか見抜けぬ真理であった。

「兄上、宗季様は今、この篁家の古巣にてしばしお休みいただかねばなりませぬ。我らができることを、精一杯行いましょうぞ」

「無論そのつもりじゃ。京を出る前、すでに手は打ってある」

 輔盛は京を出る前、陰陽頭の土御門道陽の許を訪ねていた。彼は道陽の助言を欲していた。鬼の頭を名乗る外道を相手に、有効な手を打てるのは道陽しかないと考えていたのである。

 そんな折、道陽が先に、彼を呼びだしたのである。

 輔盛は、天の助けが降ってきた思いであった。

 道陽が授けた策は、「京の結界にて鬼を弱らせること」であった。

「良いか愚弟藤孝よ、道陽は某に、ただ忍耐の時であると申しておった。西国の神社、その中でもとりわけ特定の位置にあるそれらを修繕し、神主に祈祷をさせよと。さすれば結界により鬼は弱り、鬼門の方角たる東北より、トドメが刺されると」

「兄上、その特定の神社とは……何処のものにありましょうや」

「北斗七星じゃ。北斗七星で京を貫き、鬼にとっての鬼を、京へ招くのじゃ。我らは武士なれども帝を戴く朝廷の公家の一族。摩訶不思議な力を頼ってでも、この難を乗り越えねばならぬ」

「さすれば、直ちに修繕と祈祷の手筈を整えて参りまする。我らが主宗季様の凱旋の暁には、鬼頭も、それを滅ぼす鬼も、すべて滅ぼしてみせましょうぞ……!」

 兄弟は互いに思うところがありながらも、志を同じくする仲間であった。



 京にて道陽は、祈祷を行っていた。篁家によって焼かれた寺の跡地に、簡素ながら神を御祀りする祠を建て、社とした。それは京を囲う六芒星の形を成して結界となり、侵入した魔を祓うことはできずとも、必ずその力を弱める霊力を有していた。

 道陽は八百万だけを尊ぶ数少ない人間であり、鎮守府という特別な世界に生きる者を除けば、俗世界に属しながら仏を信じないという、唯一にも等しき世にも珍しい男であった。

「京に結界を張りつづければ、清濁併せて繁栄せる京という存在が、このまま廃れてやがては潰えてしまう。この道陽、八百万に生かされてきた。八百万の国秋津洲のため、今だけは自然の摂理に反してでも、この京を御守りして天子様にご帰還いただく他ない」

 道陽は手始めに、手頃な神が祠に宿るように、式神に山林を走らせた。彼は式神使いであった。式神とは、念から生じる呪いの力を実行する神で、これが目に見える者は少なく、それを使役できる者を道陽は、自身を含めても数名しか知らなかった。そして今、彼を無謀にも呪詛で滅っしようとした男は京の檻の中にいる。札に囲われ、男を助けようとする式神がたち入ることもできない、薄暗くカビ臭い檻の中で、男はその生涯が尽きる瞬間を待っている。

「鬼頭の上洛が貴様との勝負が決した今でよかった。これも、天の助けか」

 式神が役目を終えて六芒星の結界が成ったのは九月のことであった。

 それから数日を待たずして、ついに鬼頭義仲はその軍勢を率いて、京に姿を現した。そこに清和氏を表す白旗はなく、雄牛の旗が無数にはためいていた。

「金道、我ら鬼頭家に高い官位を持つ者はおらぬ。真に門を破り力づくで京を奪わずして良いのか」

「金刺殿曰く、義賢様の旧友が居られる由」

「不愉快だな。確かに父上は目代ではなく、国司の緑奥守として立派にかの地を治められていた。だがまるでこの俺様が、そうではないと言われておるようだ」

「我らを除いた重鎮は皆清和義朝に討ちとられましてござる。朝廷と縁があった者も皆、そこで」

「もう良い。今は義朝のことなど聞きとうないわ」

 そうこうしているうちに、門が開いた。用意されていた牛車に一行は乗り、とある御殿に招かれた。そこは公家、有栖川具篤ありすがわともあつの御殿であった。彼は権大納言という、高位の公卿である。彼は武家が朝廷で専横を極める現実を好ましく思わない貴族であった。しかし篁家が先の戦で領地の武士を動員し、そのすべてを失ってしまったため、新たな御味方を欲しいと考えていた。背に腹はかえられないと考える、有り体に言えば当に貴族らしい貴族であった。

「麿が、うぬらが朝廷で生きていくための術を授けてやる。朝廷こそ魑魅魍魎が巣食う場所。心して、かかるように」

「偉そうだな。誰がかようなことを頼んだか」

「お父上と異なり、多少の礼節も知らぬ。これでは雄牛ではなく猪ではないか」

「貴様! 死にたいか!」

「死を望む者など公家にはおらぬわ……麿にはうぬらに怯む暇はない! よく聞け小童。麿は今、朝廷を牛耳る力石ら徳仁上皇派を退けたいのじゃ。すべては才と覚悟、そして強さをお持ちあそばされておる望仁親王様が帝におなりあそばすため。ひいては、秋津洲を御守りするためであるぞ……!」

 二人のあいだに入ったのは、金道であった。「我らの利害は一致し、また朝頼の驚異がある以上、ここでの口論は一切ご無用!」と啖呵をきった。

 具篤は家礼に指図し、参内するための服を用意させた。束帯を身に纏った義仲と金道は、今朝の朝議に参内することとなった。参内してすぐに、朝議は具篤ら望仁親王一派が流れを掴んだ。

 彼らの目的は、望仁親王を帝とすることである。望仁親王が命を懸けて東国の清和氏に篁家討伐を叫んだことで、篁家の専横は終わった。篁家を京落ちさせた清和氏鬼頭家の義仲が後ろ盾となり、望仁親王を次の帝に推す彼らによって、望仁親王の即位は現実的なものとなった。元々、望仁親王の皇位継承権は低く、帝になる可能性はないに等しかった。望仁親王を即位させた場合、それは万世一系の皇室が存続していると言えるのか、疑念が生まれることになる。


 目まぐるしく変わる政局に、貴族たちは疲労を隠せなかった。この数十年、天変地異が起きたと思えば、京で乱が起きた。篁家によって偽帝が立ち、今や血筋上最も帝位に相応しい徳仁上皇が速やかに再度即位することが叶わない程、朝廷も一枚岩ではない。

 貴族たちには、早く平穏な日々が戻るなら、もはや帝が上皇か望仁親王かに拘らなくてもよいという空気が、現れだしていた。

 だがそんな中にあっても、派閥の中枢は拘りを捨てきれない。徳仁上皇派の右大臣菊小路詩麻呂や元式部丞力石実朝は、すでに政敵に朝廷の流れがとり込まれているという現状に対し強い警戒心を抱いていた。

 徳仁上皇はまだ若年であり、登極した経験を除けば、いかなる力量においても望仁親王には敵わない。なにより、徳仁上皇派には後ろ盾がない。いかに議論を尽くしても、つけ入る隙はなく、望仁親王の即位は決定的なものとなった。

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