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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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第十五話 雨冷え

 篁清季の死後、実権を握ろうと公家や武家が蠢動を始める。失脚していた徳仁上皇派の力石実朝は、篁宗季が目論む「輪田水門への遷都」の計画をいち早く察知し、朝議で宗季を糾弾して政界への復帰を果たす。窮地に立たされた宗季は虚勢を張りつつ、反撃のため自ら朝敵追討の軍を起こした。


 一方、五条国で迎撃の構えを取る清和朝頼は、望仁親王の令旨を掲げる鬼頭義仲との同盟の為会合を行う。そして武士たちの思惑は「新たな武士の国」の創世へと動き出す。

 篁清季の死後、竹仁帝派の重鎮である菊小路きくのこうじ詩麻呂うたまろは、その死を祝して宴を催していた。

「ついに憎き清季が死によったぞよ、皆の者ほれ呑んで祝え祝え!」

 彼はかつては徳仁帝派として篁家と敵対していたが、竹仁帝が即位すると、すぐさま鞍替えして、右大臣という高位に昇った男であった。彼も心の底では武士の篁家を毛嫌いしており、清季の死はこの上ない喜びであった。

 猿楽一座の白拍子が舞う部屋で、公家たちは酒を呑み、歌った。縁もたけなわ。食事に飽きた公家たちは、庭に京の百姓を集め、食べのこしを投げた。百姓はその美味なる食べ物に釣られ、あちらこちらへ動きまわる。公家はその様を見て、声高らかに笑った。

「まるで鯉の餌やりの如しでおじゃる」

にもにも。麻呂らと異なり百姓など魚と同じにあらしゃいませぬか詩麻呂うたまろ様」

「ホホホ、もありなん」

 詩麻呂うたまろとその家礼けれいらの宴は、盛況の内に終わった。しかし宴を楽しんでいるのは、上流の公家だけであった。

 家礼とは主家に従う家来筋の家のことである。弱みと権益を握る上流はそれを笠に着て、家礼を初めとした身分が低い者へ理不尽な振るまいを行う。家礼はその家礼へ、家礼を持たない下流は民草へ。そうして世に不条理が満ちるのである。東国武士団に代表される武家のように、気に入らなければ暴力で解決できるほど、公家社会は単純ではない。家礼は下克上を行えず、不満を上流へぶつければ、すぐに陰謀によって御家おいえごと、存在を消されるのである。

 右大臣という高位に就き、上流貴族の中でも特に権勢を誇っていた力石実朝であったが、今やその地位を失い、家礼に支えられながら復権の機会を伺っていた。右大臣という高位を経験した者は少なく、その御役目を果たすやり方を知る者として、実朝は没落しても家礼を失わずに済んでいたのである。家礼がいれば、力石家がかえり咲き、再び他家の権益を没収して力石一門を栄えさせることができる。

 それが彼らの夢であった。

 御仲間との結束があって初めて、ひとつしかない政という世界で、席に座することができるのである。

 実朝は、篁家がその席を降りる日は近いと考えていた。

「問題は、そののちにたれがその席に座するか。たれが立てし宮が、帝となるかでおじゃる」

 実朝は全裸で女の体を揉んでいた。針を刺し、灸を据える。日頃、自らに仕える女官を癒すという名目で、彼は女の体に触れるのが好きだった。犯すのではなく、ただお互いに裸となった上で、その麗しき若い女体を揉みながら、じっくり眺めるのである。

 この趣味は実朝独特なものであったが、世間に知られたとて、痛くも痒くもない。貴族とはそういう、好き勝手を咎められない人々であり、多くの貴族が同じように個性的な趣味を楽しんでいるのである。

「武士は野蛮よのう。姦淫しか人の味わいかたを知らぬ。こうして癒し癒されることこそ、奉公の極意でおじゃる」

 お香を焚いた暗い部屋で、実朝はひたすらに女の体を按摩し、肩こりや腰痛を和らげながら、その肉体を瞬きひとつせずに眺めつづけていた。

「実朝様、篁家の宗季権大納言の次の動きが分かりましてござります」

「ほう……早かったな兼麻呂かねまろ。して、権大納言はいかが致すのかのう」

「京を……西へ移さんとしております」

「な……なんじゃと……!」

 家礼の鷹松兼麻呂たかまつかねまろは、広い人脈を駆使して、朝議にて提案がなされるよりも前に、篁家の動向を探っていた。

「のう兼麻呂、その遷都の儀、竹仁帝派の菊小路きくのこうじの耳には入っておるのかのう」

「其は考えづろうこと。麻呂は菊小路きくのこうじ右大臣が外記げきとして我らの御味方であったみぎりも、右大臣によって謀のためにあちらこちらへ小鳥を放っていたのです」

「小鳥とはつまり、密かに一報をもたらす名もなき者どものことであるな。そなたがこの実朝の傍にいること、幸いと思うぞ」

「もったいなきお言葉、痛みいりまする。して、右大臣に対し、この遷都の儀をいかに用いましょうや」

 実朝には考えがあった。この一大事を悟られる前に、朝議にて自ら問いただすことで、誰が本当の主家なのかを示そうとしたのである。

 その効果は絶大であった。朝儀において遷都の儀について篁宗季へ問いただした実朝は、宗季を初めとした竹仁帝派や、詩麻呂うたまろを動揺させた。栄華を誇る太安の京を離れて遷都をするという一大事を、かつて徳仁帝派と呼ばれていた徳仁上皇派を率いる主家ともあろう者が知らないのである。詩麻呂うたまろを初めとした菊小路きくのこうじ家は家礼たちから、疑念の目を向けられた。

「右大臣は真の右大臣にあらずや」

にもにも。真の右大臣は実朝卿ぞ」

 上皇徳仁からの信頼を取りもどした実朝は、徐々に徳仁上皇派の中心にかえり咲いた。同年には、仮に与えられていた式部丞しきぶのじょうという、朝廷に仕える文官の人事、つまり中級から下級の貴族の名前と、その能力や貴族間での関係を把握する官職を、上皇徳仁の密命により返上したのである。つまり、自らが大臣職に再任されるための布石を敷き、篁家亡きあとの朝廷で舵を取る旗頭となることが、未来の帝に約束されたことを意味していた。


 そもそも篁家が遷都を計画したのは、二つの理由があった。

 一つ目は、京の治安にあった。未曾有の大軍同士が衝突し、京を治める篁の大軍が敗れさった。その出来事によって、畿内や近畿を中心とした西国では土地を捨て、帝のお膝元である京へと逃れようという人々で溢れたのである。京の規模を超えた人々が集まったことで、食糧難や排泄物過多による疫病の恐れがあり、これを解決するには他の街に移った上で人の往来を制限する必要があったのである。

 二つ目は、政的な意味であった。篁清季という英傑を失ったことにより、上皇派やかつての院近臣いんのきんしんらに実権を奪われる恐れがあったのである。つまりは、公家衆の本拠地である京から離れて、篁家の本拠地である内海の傍、輪田水門わだのみなとという港町を新たなる京にし、強い影響力を持つ公家衆を政から締めだそうとしたのである。

 篁家当主の宗季は自身の手腕が父清季に遠く及ばないことを自覚しているため、遷都の理由においては後者の方がより重大であった。しかしながら建前として、前者を主な理由として大々的に叫んだ。

 実朝は朝儀に於いて、その腹のうちを見透かした。

「人が集まりても時が経てば、疫病によって死にたえる。薬はおろか飲水さえないならば、人は生きられぬ。それならば、人が多すぎるが故の問題など、時が解決するものにあらしゃいませぬか?」

「その疫病により民のみならず、お公家や天子様が害されぬものとどうして言いきれましょうや」

「お上をご心配なさるなら、早う自ら出陣して朝敵をお討ちなされ篁大納言。遷都をまことの理由は、ただ篁の里たる輪田水門わだのみなとへ逃れたいだけにあらずや? 京から離れて次は人を締めだせば良いと申されるが……輪田水門わだのみなとは城にあらぬゆえ、人の波を防ぐ壁はありませぬぞ」

 それは宗季にとって、痛い指摘であった。輪田水門わだのみなとは街の側面に広がる内海そのものが天然の堀となっており、敵の侵入を防いでいた。攻めこもうとする海賊がいれば、西国一の武家である篁家の武士が、お家芸である水上戦で敵を攻めることで、街に上がらせることは絶対にないのである。

 そもそも城とは、地形を利用した攻められづらい位置に、目代である武士が住む館や戦備えがなされた倉があり、それを城壁で囲んでいるにすぎない。それを囲むように武家屋敷が広がり、民百姓が住む里や村が、それらをさらに囲む形で、開けた土地に広がるのである。

 壁などなくとも、関所さえ築けば、民百姓を防ぐことはできる───。戦を知らない公家に、そう力説すれば信じさせることはできるだろうと、宗季は考えていた。実際問題、輪田水門わだのみなとは海の敵に備えていても、陸の敵には備えていない。関所ごときで、戦から逃れようとする民から街を守れるのか、確証などなかった。

 宗季もまた戦場いくさばを知らない貴族にすぎないのである。



 六月


 宗季は朝廷軍の帥であった信清の腹心であったという小藪藤孝が上洛した折り、戦況の詳細を聞きおよんで絶句した。半ば、戦わずして敗けたともいえるその惨敗ぶりに、頭痛が起こって吐き気を催した。

「御当主! お気を確かになさってくださいませ!」

「大事ない。この宗季が、必ずや戦局を好転させてみせようぞ」

「おお! さすがは御当主にござりまする!」

 人前で嘘を吐きながら、気丈に振るまうほかないのである。今宗季に課せられた御役目は、清季亡き後も篁家は強大にして磐石であると、強調しつづけることであった。そのために宗季は大枚をはたいて大規模な鷹狩を敢行し、また盛大な祭りを催した。しかしそれも当面のあいだは人々の懸念を防ぐことはできても、徐々に畿内へ近づく清和家軍の存在によって、これを退けられない篁家の虚勢だと見抜かれてしまう。

 宗季は事ここに至り、重い腰を上げた。

「某自ら手勢を率いて出陣いたそうぞ。篁のみならず、天子様に仕えるすべての武家を錦の御旗の下に従えて、朝敵をうち滅ぼしてくれん!」

 遷都をなし遂げその権力を維持するべく、また朝敵を早急に撃破するべく、宗季は帝より追討の勅命を賜って出陣した。

 この出陣にはほぼすべての畿内武士がつき従うものであり、畿内は国内の統率が取れず、治安が荒れた。畿内に地盤を持つ京の上級貴族らは、自身の領地が荒れたことに慌てふためき、その様を見た京の是重は大いに面白がって、それを手紙にしたためて宗季へ早馬で届けるほどであった。

「鼻を折ってやったわ。これくらい造作もなきことぞ。どうじゃ笑えるであろう、藤孝よ」

「この出来事がいつか猿楽や絵巻、その他の芸能で後世に残ることを望みますぞ御当主」

永久とこしえに笑われるがよいわ。まこと其許そこもとは父上や是重、光延とは異なって笑いが分かる男ぞ。もっと早うに知りおうたかった。友であった公家衆も、篁家が春を謳歌した極みに竹仁皇太子が即位あそばされた折り、恐れをなして離れていってしもうた。和歌や蹴鞠を嗜む友はみんな、上皇を支え今上帝を貶す敵となってしもうたのよ」

「今は某がおりまするぞ御当主。某も、周りが父信清のように生真面目な男ばかりであった故、冗談や笑い話を楽しまれる御当主のような御方を求めており申した」

「そうか其許そこもとの兄も、信清公によう似た生真面目な男であったのう」

 藤孝の兄とは、此度の第二次討伐軍を実質的に指揮する小藪輔盛こやぶすけもりであった。輔盛は信清の生きうつしのような人物であり、ゆくゆくは小藪荘を含む所領を受けつぐことになる立場から、日々御役目を果たすことに精進する男であった。

 軍は輔盛の進言に従い、三つに別れて動いていた。それは篁条国方面へ進む軍と、緑奥へ向かう主力軍、そして五条国へとまっすぐ進む本軍であった。

「この本軍が敗れさればもはや我らに打つ手はない。藤孝よ、某は輔盛殿の手腕に頼るほかない。それ故、此度も敗れることと相なれば……」

「心配ご無用にござりまする御当主。先の敗戦はほぼ無傷に終わっております故、此度の出兵で多くの武家が再度傘下に加わっておりまする。先の戦で逃げおおせた篁家家人は兄上に託してこの本軍で半ば監視状態にしており、また恵我国衆が示したとおり清和に敗れた果てにあるものは滅亡。それに抗うべく皆、宗季様の下で一丸となり、敵を滅する覚悟にござりまする」

「その言葉に、勇気が出た。感謝するぞ藤孝」



 そのころ、清和朝頼率いる清和家本隊は、五条国にて迎撃の構えを取っていた。後方は安全であるが、魑魅魍魎の退治で大きく兵力を減少させた清和家にとって、地の利を捨てることは賢い選択とは言えなかった。

 地の利とは単に五条国にて有利な地を制圧していることのみならず、五条国の民に英雄と祭り上げられている状況も含まれていた。

 民は皆一様に「篁は鬼に恐れる貴族武士」と揶揄し、篁家や近畿畿内の上方勢をバカにした。やはり不条理から身を呈して守ってくれたという恩が、清和家への贔屓ひいきに繋がっているようである。

 その人心の変化に朝頼はいち早く気づき、それを根拠に五条国での野営を決定し、民からの食料や人足の援助を受けることができた。

 朝頼は武士をよく休ませ、英気を養う時を与えることができた。よく休んだ兵は以前にも増して鍛錬に励み、それだけで、魑魅魍魎をも退ける坂東武者の底力を示すことができ、民を安堵させ上方勢を恐れさせたのである。

「しかし我が方にはもう一つ大きな心配事がある。爺よ、其がなにか分かるか」

「鬼頭家に他なりませぬ。鎮守府のお歴々が死に、緑奥の均衡が崩れましてござりまする。さすれば彼奴きゃつはこの気を逃さず一気に攻めこんで来るに相違ありませぬ」

にも。時勝殿らは鬼頭義仲という若武者をただの田舎武者と思うておる。なれども、其の認識ではいつか、痛い目を見ることになる」

「殿、義仲めは幽世を抜けて緑奥へ帰着したと伺っておりまする。その上、彼奴きゃつらは軍中に広まった疫病を払い今は壮健であるとのこと」

「もはや疫病の魔を受けいれ、魔の一部となったように思えるな。さりながら爺よ、かような情報を如何にして手にいれたのか」

「義仲方の使者として、鬼頭四天王の金平が訪ねて参りましてござる。聞けば、軍中の疫病は消えうせ、緑奥の山岳地帯に近き武家は篁家の凋落を信じて、これまでの模様眺めから一転して鬼頭家の家人となったと」

 模様眺めとはつまり、勝ち馬に乗るべく誰が優勢かを見極める、いわゆる日和見ひよりみのことである。朝頼は、邪魔をした挙句に仲間を集めた義仲が、憎たらしかった。

彼奴きゃつが何をしたのじゃ。何故、彼奴きゃつに御味方しようなんぞ考える者どもがおるのか!」

「義賢殿のご嫡男故にござりましょうなぁ殿。この爺は、義朝殿にも義賢殿にも、英傑の気風を感じており申した。それ故、河内兄弟や甲武兄弟らが義朝殿に心服しておるのと同じように、緑奥の武士は、義賢殿に心服しておったのでしょう」

「爺は、某の御味方が、父上に心服しておった故、某に従うておると思うか。忌憚なく申してみよ」

「無きにしもあらずやと心得申し候」

「某は武勇を示せておらなんだか。某は……不死川にて篁家を退け、魑魅魍魎の大群を祓った」

「其は家人の力、ないし有恒殿のお力に御座候わずや?」

 朝頼は冷水を浴びせられた気持ちであった。これまで、自らの力で敵を滅ぼしたことなど、ただの一度もなかった。家人の力や運を、自らの力とばかり考えていたのである。無論それもまた主の実力といえるが、その土台となる才覚は、なにも持ちえてはいないということを悟ったのである。

 父の七光りでは、義仲に勝てない。それではいずれ、家人が心移りをして、家が潰れる恐れがある。それでは自らの大志を果たすことは叶わず、朝敵とされた父義朝の屈辱を晴らせない。

 朝頼は悩みが尽きない人生に、呆れ笑いが出た。


 悩みを抱えるのは朝頼だけではなかった。それは不死川の戦いで参陣した弟、蔵馬有恒も同様であった。彼は譜代の家来や筬屋家からは温かく迎えいれられたが、篁条家や、長らく群雄のようにならび立っていた美浦家や足利家にとっては、敵のようにも見えていた。

 義朝の末の子が鬼の血を引くという噂を、耳にしたことがない訳ではなかった。しかしこうして初めてその青白い肌と角を見てしまえば、反射的に敵として斬りふせたくなる気持ちに駆られてしまうのである。

 特に美浦利明は、由良御前が鬼に拐われた折に出陣したほどであった為、美浦家寄りの立場である小佐田佐吉は有恒に対し、義朝の倅として見ていた面影もない今、由良御前を穢した鬼そのものであるとさえ思えていた。しかし、八百万を祀る御家の人間であるが故に、よく知っているのである。

「鬼の子といえども、由良御前と清和義朝の子供にほかならない。人はまだ、鬼や魑魅魍魎を、理解できておらぬのじゃ……!」

 義朝の子、朝頼の弟を騙る鬼と断じることはできなかった。しかし、有恒を見る度に虫唾が走るほどの嫌悪感を覚えてしまうことはどうしようもなく、次第に彼は有恒を理由に、軍から離れることを決意した。

「我が殿の息災と、この清和家の益々の発展を、心よりお祈り申し上げ候」

「この朝頼、利明殿の尽力なくば、五条国へ入る前、とうに滅んでおった。これからも今は亡き利明殿に代わり、美浦御厨での八百万のまつりごとの責務、ようよう果たすのだぞ」

「承知仕って候……!」

 表向きは、本来の御役目のために戦場いくさばを離れるという形であった。これを佐吉は、よくできた理由だと考えていた。

 佐吉の動向から、本心を見破っていたのは足利吉氏であった。

「隠し事を暴かれるのは好ましくなかろう佐吉殿。御辺の本心、誰に言うこともない」

「感謝申しあげなん、足利殿。某、かの義朝殿のご子息とあらせられる御方であろうとも、鬼を憎まずにはおられぬ性分にござった」

「其もまた忠義ぞ。某も、鬼は好かん」

 去りゆく御仲間を羨ましく思ったのはこれが初めてであった。武家としては、褒美を取りあう相手が減ったことは好ましいことではあることに間違いはない。また現在は敵である篁家率いる朝廷軍が迫っている最中であり、足利家の家人を鼓舞する出来事には違いない。

「有恒殿も所詮は馬廻あるいは一軍のそちとなるだけ。某が目くじらを立てることもあるまいて」

 自らを納得させようと楽観視を決めた矢先、朝頼は、家中の大半が有恒を歓迎している現状から、有恒を大抜擢することを決定した。

「我が弟蔵馬有恒を迎撃軍のそちとし、間もなく行わるる大戦おおいくさの一切を取り仕切らせることと致す」

 このとり決めに不満を抱く有力家人は、もはや足利家、そして篁条家のみであった。加えて篁条家は有恒が直接取り仕切る本軍とは異なり、篁条国の守備軍のそちであるため、直接的に有恒に指示される立場ではなかった。

 吉氏は西北の鬼頭家や、側面を狙う朝廷軍の備えを担いたいと朝頼へ申し出たが、それは領地が近い河内家が担うこととなり、運の悪いことに有恒の副官を命じられた。

「やんぬるかな我が身。足利家は呪われておるのか」

 有恒とあった吉氏は形式的に挨拶をするも、その態度の悪さは周囲にも伝わるほど露骨なものであった。

 有恒はつまらない悪意を向けられていることに気づきながら、それを「やめて欲しい」と言ったところでやめてもらえる類のものではないとも分かっていた。ならば有恒は、力で黙らせるしかないと考えた。

「足利吉氏殿、一言申し上げなん」

「承る」

戦場いくさばにて、御辺の肝っ玉を潰してご覧にいれまする。二度と某に無礼な態度を取れぬほど、御辺に恐れを植えつけて差し上げましょうぞ」

 その言葉に吉氏は怯んだ。有恒の武力は誰も敵うものではないことは、不死川の戦いでよく理解していた。吉氏は何も言えず、足早にその場を立ち去った。

 有恒もまた、目の前の吉氏を遠ざけることはできたが、心の内にある孤独感や寂しさを拗らせてしまった。

「某は鬼の子。どうせ……誰の御仲間にもなれぬわ」

 そんな有恒を支えたのは、兄である朝頼の存在であった。朝頼は夜な夜な有恒を呼びだし、二人きりで話をしたことがあった。

 朝頼は有恒へ「まことに頼れるは血を分けた其許そこもとのみぞ。他家の者は時勢悪しきと思えばすぐに背く不埒者ばかりなり」と、信頼の言葉をかけたことがあった。

 有恒はこの言葉に素直に喜んだ。これだけが、この清和家に居場所があると思える唯一の自身となっていた。強さだけでは時勢によって離れるほかないというのは、朝頼をすぐに助けだせなかった譜代の家来衆や、彼らから伝え聞いた愛宕権現景虎、清和光延といった人物の存在からも明白であった。

「某には、兄上がおる。この清和家に、和尚をお連れして篁の魔の手が及ばぬよう、お守りするのじゃ……!」

 有恒は迫る敵との戦で、必ずや誰よりも戦功を立てて、朝頼を喜ばせようと強く思った。

 しかし朝頼がかけたその言葉は嘘であった。朝頼は内側の結束の方法として、有力武士ら全員に「お前だけが頼りだ」と密かに語っていた。河内八幡太夫義家には「譜代家来衆一の忠義心」を理由にし、その弟の炎龍重永には「父上も頼った相談役」を理由にした。甲武新羅丞吉光には「弟よりも清和氏を優先した忠義」を理由とし、篁条時勝には「初めに御味方し親類となった忠義」を理由とした。筬谷広胤には「帝のために篁家を見限った純然さ」、足利吉氏には「ほぼ同等の力がありながら清和氏に御味方した忠義心」といったように、ありとあらゆる理由で、敵になりかねない強大な存在を側に置きつづけるため、嘘を吐いていた。



 緑奥を目指し西方を攻めのぼる篁信清率いる主力軍は、西方で反逆した武家を攻め、これを破った。汚名を雪ごうとする信清は、それらの烏合の衆が次第に鬼頭家の牛の家紋を記した旗を掲げ、強くなるのを感じていた。

「反逆した謀反人どもは、鬼頭家の下に加わり、強さを増しておる。鬼頭家は清和家の分家つまり清和氏。つまりは、朝敵たる清和朝頼の御味方であろう。ここで彼奴らを討ち、輔盛が居る本軍が余計な懸念を抱かずとも済むようにせねばならぬ」

 意気込む信清であったが、彼の許に畿内より悪い報せが届いた。それは、西国全体で大雨が続き、作物が枯れて飢饉が起きたという報せであった。食料の輸送が途絶え、間もなく追討軍全体が飢えることを意味していることを察した信清は、突撃を繰りかえして豊かな緑奥の海岸沿いまで進み、広大な農地から作物を奪いとるほかなかった。

「主力軍として颯爽と緑奥を攻め落とし、宗季様率いる本軍と共に五条国にて挟み撃ちにせねばならぬ。多少無理をしてでも、早う緑奥の雄牛を討たねばならぬ……!」

 緑奥と近畿の境目である砺波国となみのくにでは、これまでとはまるで異なる集団戦法と弓の練度で、城に近づくことすらままならなくなるほどの圧倒的な武家集団と遭遇した。それはまるで近畿武士ではなく、生粋の東国武士団の如き猛々しさであった。

 しかしそこに、東国武士団の旗はない。ましてや、清和家を表す白旗も、緑奥の雄牛の旗も掲げられてはいなかった。

 信清は時が残されていない焦りがありながらも、領国経営を行う中でこなした山賊退治の経験で、急いては事を仕損じるということを悟っていた。故に彼は、内情を悟らせないように堂々と包囲を行った。層は厚く、兵は意気揚々である。軍が干上がる素振りもないこの対応で、敵に綻びが出るのを待つつもりなのである。

「静でもって動を制す。さぁ鬼頭家に寝返ったバカ武者どもよ、どう出るか」



 そのころ、鬼頭家当主義仲は、配下をひき連れて篁条国を訪れていた。ひき連れる重鎮は鬼頭四天王の内今泉金道を除く、金刺光雪、今泉金平、足利吉清の三名と、正妻の巴であった。

 目的は、望仁親王の令旨をうけ取った清和氏同士、同盟を結ぶことにあった。そこには、緑奥の南に位置する近畿の砺波国土着の武家を、先代の義賢の威光や坂上叶麻呂大将軍をうち破ったという威名で、朝廷方から鞍替えさせたことが理由の一つとしてあった。地盤を固めるべく勢力を拡大するならば、同じ東国内の坂東へ進み、朝頼と争うしかなかったのである。しかし今、同族間で殺しあうのは好ましくはないからと、互いに南進する同盟を結ぶことが賢明であった。

 それは調略に長けた金平や、視野が広い筬谷広胤、河内義家の案であった。しかし当主である朝頼、義仲は、それに懐疑的であった。二人がこの会合に現れたのは、互いを牽制するためであった。どちらの方が格上か、それを示そうとしていたのである。

 中でも朝頼は顕著で、武勇優れる義仲を圧倒することで、家来衆に威厳を示したかった。そのため、会合は開始早々、荒々しい様相を呈した。しかしそれでこそ東国武士の集まりであると感じた侍どもは、殊の外主家の当主らによる牽制のしあいに刺激され、酒も入りだしたころには、会合は宴のように賑やかになっていた。

 足利吉清は弟の吉氏と、兄弟水入らずなひと時を過ごしていた。「ここに来たるとき、この止まぬ雨が凶兆であるように思えた」という吉清に、吉氏は「今や青葉雨のように思えまするな、爽やかで、心地ようござる」と続けた。

「我ら兄弟、仕える主は異なれども、足利を第一に思う侍ぞ。吉氏よ、よう生きておった。其許がおれば、足利荘は安泰じゃ」

「兄上もご一緒なれば心強きものを、実に惜しい」

「我らが父義鷹は、妾の子は他所にやる人であった。それ故、兄は畠家へ養子に出され、そして某は、世継ぎ争いにならぬよう足利荘から遠く離れた緑奥の義賢様へ押しつけられた。酷い父親なれども、今となっては、我が主と出会うこと相叶い、父への憎しみも消えたわい」

「憎しみがあったのですか?」

「弟が嫡子となり、肥沃な足利荘を継いだ。少しは先に生まれた男として、悔しくもなろう。それ故父を恨みもしたのが、本音というものだ」

「父は没し、某は弟らとともに義重叔父上の下で息を潜めておりもうした。朝頼様にお仕えして戦場にて家名を轟かせたのも、ついこの前のこと。まだまだ……妬まれるほど足利荘を、ものにはしておりませぬ。そうじゃ……兄上は、義仲殿の許で緑奥にて城を貰うのです。しかして、足利の名を各地に広め、来る世で、共に天下を眺めましょうぞ」

「それは何の話だ?」

 盟を結ぶのならば、もはや隠すことなどない。吉氏は朝頼が望む、新しい世の中について語った。それはつまり、清和義朝をも超えるという朝頼の大志であった。

「我が主は、この東国に、武士の国を創世あそばされるおつもりにござる。西の天子、東の大将軍。そのお志が果たされれば、我らは清和氏の天下にて、天下創世の御門葉として、武士を誉を賜ることに相成りまする」

「其は面白きこと……。さりながら、真、理に叶っておる。先祖代々、清和氏は御身内で争うてまいった。そればかりか、敵は他家に魑魅魍魎にと、増える一方。面子のために血を流す東国では、武士の本懐を遂げることは相成らぬ」

「左様、我らの本懐は天子様のためこの武を用いること。先祖が先住の毛人けびと族を殺したこと、我らが蝦夷や魑魅魍魎を討つことは、自らのためならず、天子様のため。武士の国が興れば、我らは皆、御味方となれまする。同じ秋津洲の侍として、共に戦えるのです」

 甘美な夢に思えた。腹の中にある、複雑な利害が孕む交に対する面倒くささや嫌悪感を、消し去ってくれる薬のようであった。華奢で色白の清和朝頼が、なぜこんなにも多くの有力武家を配下にできるのか。その疑問の答えを、吉清はようやく見つけた。

 我が弟の主は、心を安らぐ家そのものなり───吉清は朝頼の器を思いしった。

「吉氏よ、共に新しい世を目指そう。武士の国を現実のものと致そうぞ。そして……朝頼公は今よりももっと大きくなる。己が抱く大志よりもっと、大きな漢となるであろう。其許は朝頼公によく奉公せよ」

「無論にござりまする。足利の名に恥じぬ働きをしてみせましょうぞ」

「某もまた足利を名乗る武士として……この名を天下に轟かせ、足利ここにありと示してくれん。さすればこの身が叢雨の如く儚きものであっても、武家として、この名を生き永らえられようぞ……!」

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