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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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第二四話 世代交代

 鵄錦討伐の後も、有恒の行方は杳として知れなかった。

 生死不明となった彼の存在は、天下を掌握した将軍・朝頼にとって都合の良い大義名分となり、柳営はさらに勢力を広げていく。しかし外敵を失った武士たちは、やがて内へと刃を向け始める。

将軍家の後継問題、群雄たちの野望、そして甲武家を二分する壮絶な内紛――。


 鬼が消えた後に始まるのは平和ではない。新たな乱世の火種が、静かに燃え広がっていく。

 鵄錦の討伐後、朝頼は自ら緑奥国へと入り、その亡骸に手を合わせた。

「僧兵というのは、何故こうも武士よりも覚悟が決まっておるのかのう。死した今、其許に恨みはない。よう眠れ」

 同行する梶景親は「肝心な有恒は何処へ」と呟いたが、誰も答えられるはずがない。

 有恒が立て篭った建物に亡骸はない。鬼らしく、祓われた後に消えてしまったのかもしれない。生死不明という結末に、景親は疑心暗鬼になった。

「今もまだ緑奥藤咲氏が匿っておるのやもしれませぬぞ、大倉殿」

「降将、大伴望久を拷問し、いかなる企てか暴く他ないかのう」

「当主の守衡も同時に拷問するべきかと」

「あの腑抜けに我らを欺く気概などあるものか。既に聞いたことが、少なくとも彼奴が知る全てであろうぞ」

 朝頼は景親に、鵄錦を火葬するよう託した。それから緑奥城へと入り、京に勝るとも劣らぬ繁栄ぶりに舌を巻いた。

「これが、緑奥藤咲氏の世界か。全て……手に入れましたぞ父上。この秋津洲にはもはや、我らを狙う敵はおりませぬ。我らの天下にござりまするぞ……!」

 東国、緑奥国の全域を手中に収めた朝頼であったが、感傷に浸っている時間などない。彼は征夷大将軍として、東国と緑奥国で御家人らを統率しなくてはならない。鬼や魑魅魍魎の発生を防ぐ為に安定した治世を敷きながら、防ぎ切れずに現れたそれらを祓うべく、常に武士らの英気を養う必要もある。

 柳営を経営するには、金が要る。国を富ませなくては、衣食住を維持することはできない。

 守護地頭が秋津洲各地で税を徴収し、御家人が実効支配する上で、有恒の生死不明という結末は都合が良かった。

 未だ、柳営の支配が及ばない西国以西の地域を抑えるには、有恒の捜索という名義で守護地頭を配置し続ける必要があるのだ。

 朝廷、更には地方の節度使せつどしを始めとした貴族らが、いずれ柳営を脅かすことがないように、朝頼は御家人の貴族化と、朝廷での影響力強化を図るようになる。

 しかし、こうして大倉殿の意向が外へと向き始めた時、柳営内部では互いに刃を向け始めていた。


 篁条時勝は吉時が伝奏てんそうとして朝廷と交流を持ち続けることで、大倉殿が朝廷内で御家人の影響力を強めようという指針を示した時、篁条家が重用される道が開けたと考えた。

「大倉殿、我が嫡男吉時は、大倉殿の命を待っておりまする。御家人を上洛させし暁には、吉時が公家衆と御家人を繋ぐ柱となり、必ずや朝廷内にて我ら大倉柳営の力を見せつけることと相成りましょうぞ!」

「おう、さすがは時勝殿は頼もしいのう。さりながら、未だ時期尚早。焦っては朝廷に警戒されかねぬ故、もう少し時を待とう」

 時勝は従った。どう足掻いても、篁条家の繁栄は誰にも止めることができないのだから、今更焦る必要などない。

 安心の根拠は、伝奏の吉時だけではない。篁条家の血を引く武者王丸が、大倉殿の唯一の男子なのである。外戚として、今後も柳営内での地位は保証されているのだ。何の不安を抱くことがあろうか。時勝は自らに言い聞かせようとした。しかし、それが楽観視に過ぎないという点に気づいてしまうのが、老獪な智将なのだ。

 時勝は吉時へ当てた手紙の中で、こう本音を吐露した。「群雄を抑える目的で、大倉殿は美浦家の者を乳母としておる。武者王丸は実母の実家である我ら篁条家より、美浦家の者に親しみを感じ、鎌村内の美浦家屋敷へ足繁く通っている。今や、どちらが外戚か分からぬほどだ」。武者王丸が将軍位を継承した後、重用されるのはどちらか。

 時勝を唆すように、天は悪戯に流感を蔓延させた。

 幼い武者王丸は罹患した。

 一時は命が危ぶまれるほどの重篤に陥る程であった。一命を取り留めた後、時勝は大倉殿へ迫った。

「武者王丸殿は今年で六つと、まだまだ幼く、今後も病を始め、色々な困難が待ち受けておりましょうぞ。世継ぎの保険として、畏き辺りから養子を取られませ」

「雅子との間に、なかなか子ができぬ。こんなはずではなかったのだがな」

「なれば尚のこと、養子を取られませ」

「……だが嫡男は武者王丸じゃ。さらに幼い子を養子としても、病で死ぬのではないか?」

「然もありなん……かくなる上は、武者王丸が元服するまでの期限付きで、若武者を養子となさいませ」

「廃嫡せよと申すか」

「一時のことにござりまする。御家断絶より、恐ろしいこともありますまい」

「よく検討しよう……!」

「その折、その折には……! 某めに養子探しの任をお与え下さりませ!」

「……相分かった。だが、やはり廃嫡はなしじゃ。将軍の家に入る者が、軟弱では困る。子供であろうとも長生きしてこその我が家の男というものじゃ」

「承知仕まつりまして候!」

 時勝はいつか訪れる養子受け入れの日を待ちながら、吉時を通じて京の貴族から人を探し始めた。また自らも、柳営内の有力者から自身の味方になり得そうな家を見繕うなどした。

 全ては、いつの日か美浦家に懐いた武者王丸を暗殺して、自らの息がかかった養子を将軍とし、外戚政治を行う為にである。



 皇紀一八三七年 夏


 武者王丸が大病を患ってから四年、武者王丸は間もなく、十歳になろうとしていた。

 この頃、大倉殿朝頼は齢三三とまだまだ若い年齢でありながら、戦と政による心労で徐々に弱りだしていた。食も細くなり、体の自由が効かなくなると同時に、不安や警戒心が強まっていく。

「時勝!」

「ここにおりまする、大倉殿!」

「養子を迎え、武者王丸の弟とせよ。その者には、元服後の武者王丸をよく補佐させよ」

「承知仕って候!」

 同年の秋には、時勝によって一人の男子が養子として、清和家の一員となった。子供の名は千幡せんまん、時勝の今は亡き次男時利の息子であった。

「千幡は、不死川で討死した時利の倅ではないか。武者王丸と同い年はずだ」

「されど、弟に成れまする。武者王丸殿は八月生まれ、千幡は、九月生まれにござりまする」

 朝頼は時勝の提案をすんなりと受け入れた。それは時勝にとっても、意外な程であった。それもそのはず、朝頼に取って目下の問題は、養子の件よりもっと早急に解決すべき問題だからであったのだ。

「爺は、今どうしておるか」

「筬谷広胤はますます増長し、今や大倉殿名代の梶殿の命令にも従わず、自らの領国に引きこもり、納税を拒んでおりまする。これを放置されては……大倉殿の権威に関わりまする」

「帝の為の柳営であると、何故分からなんだか……!」

「老人に新しい武士の忠義の在り方など、理解できぬのでござりまする。柳営は帝や朝廷を蔑ろにする謀反の国であると、誤解しておるのでござりまする。新しい時代に着いて来られぬ男に、朝廷が手を付ける前に……!」

「討つ他ないか……!」

 大倉殿の密命を受けた名代梶景親は、筬谷広胤を大倉御殿へ招聘した。しかし広胤は再度それを無視した。まるで自らが排除されることに勘づいているかのように、彼は時勝や足利家からの誘いにも乗らず、自身の領国に断固として引きこもり続けた。

 これでは埒が明かない。大倉殿は自らの病が重い旨を直筆の書状にて知らせ、見舞いに来るよう要求した。それは、死期が近いことを悟った大倉殿の本心であるようにも、それを利用した冷酷な嘘であるようにも思える。

 同年秋、広胤は遂に重い腰を上げて、大倉御殿に現れた。

 久々の対面を果たした大倉殿は、張りのない白髪となった爺に驚き、広胤もまた、やせ細ってしまった若を慈しんだ。

 短い会話を終え、咳が耐えない朝頼は奥へと下がった。時間を持て余した広胤への接待として、名代の梶は双六すごろくを持ちかけた。

 大倉殿名代でありながら、一御家人に過ぎない広胤への接待を行う。それを恐れ多いと断らないのは、広胤にこの大倉殿の威光が届いていない証左である。

「挙兵から今日に至るまで、長い旅にござったのう、筬谷殿」

「いいや、あっという間であった。我が髪ももう白くなった。だが大倉殿朝頼公が挙兵し、某の前に現れた時、既に我が髪は白かった。全てでは無いにしろ、既に老いてしまっておったわ」

「老いてからの時間は、短いのでござろうか」

「新しいこともなく、日々つまらぬ。それ故、昔から残る思いや志に、命の炎を滾らせたくなるというものじゃ。どうした……御辺の番ぞ」

 双六を打つ景親の手が止まった。

「頭が鈍ったか、名代殿よ」

「世は諸行無常なり」

「なに? 何と言ったか?」

「御免!」

 景親は抜刀し斬りかかった。広胤は慌てて刀を取るも抜けず、鞘で受け止めた。二合目を受け止めようとした広胤であったが、景親が咄嗟に広胤を蹴りつけ、広胤は体勢を崩した。その隙を見逃さず、景親は額目掛け刃を振り下ろした。

 ここに、群雄筬谷広胤は暗殺された。

 すぐさまその報を聞いた朝頼であったが、彼は涙ひとつ流さず、ただ虚ろな目をするのみで、何を言うこともなかった。



 皇紀一八三八年 三月


 筬谷家は当主の死をキッカケに反旗を翻したが、周囲を御家人に囲まれた状況では徐々に押され、年内に筬谷家は滅亡した。

 功績を立てた武士には、新恩給与として筬谷家の領国が分割して与えられた。御家人に取り立てられる者、あるいは更に領地が増え忠誠心を高める者。その全てが、かつて自らが仕えていた貴族とは異なり、正当な報酬を与えてくれる大倉殿の為、これからも武功を立てようと勇み立った。

 しかしこの戦いで武功を立てた者の中には、大倉殿への忠誠心だけではない、別なる目的を持つ者がいた。

 それは、長らく息を潜めていた甲武諏訪太夫吉國かぶすわのたゆうよしくにであった。

 彼は鎮守府の供養を通して美浦家や多治比形部濱鳴たじひぎょうぶはまなりと昵懇の仲になっており、有恒に従い篁家討伐に参加した武士らからは見下されている一方、柳営内に御味方を抱える一大勢力となっていた。犬猿の仲にある兄吉光が、長い戦役での疲労から病を得て嫡男長充(ながずみ)に家督を譲った今、遂に甲武荘を奪還しようというのである。

「甲武荘の守りがどうなっているかは、放った野党によって把握してある。新羅丞吉光の如き手練が指揮を取れぬ今、誰がこの吉國を止められようか。のう、吉盛よ」

「父上の悲願を達成しましょうぞ」

 吉盛は、既に齢四八となった父吉國に代わり、新たに築城した諏訪城の主に収まり、経験を積んでいる武士である。齢三十歳。大倉殿より四つ若いとはいえ、既に人生の半分を過ぎた。彼もまた、武功を立てて武士としての誉を得たいと願う、生粋の坂東武者であった。

 幼き頃、時折友として遊んだ清和朝頼は、今や将軍である。佐吉は美浦家の養子となって、早くも有力な御家の当主となっている。焦りという程でもないが、置いていかれたという気持ちがあった。そんな彼が手柄を立てるには、篁家が滅んだ今、柳営内で仲間討ちをするしかない。

 今や強大な勢力となった父の仇敵を討つならば、大義も立つ。もはや、血気盛んな吉盛を止められる者はいなかった。


 美浦家当主佐吉は、甲武諏訪吉國について、信心深い神道徒であるとは思いつつも、個人的には、どこか好きになれなかった。佐吉は、元は好戦的な人間であった。やはり、八岐大蛇ヤマタノオロチを討伐した祖父に憧れがあったのだ。しかし、血を流す戦から離れ、八百万や魑魅魍魎といった霊的な存在と向き合う中で、先代の美浦利明に似た穏やかさを持つ清らかな人間となっていた。

 八百万を信じながら、使命でもないのに、好き好んで戦おうとする吉國は、野蛮に思えて仕方がなかった。

 まるで、戦って異国の神を仏教の世界に組み込む明王のような、あるいは、そういった仏の世界と融合した神たる権現のような存在に思えた。要は、偽りの神道徒に思えてしまったのである。

 それは友として、幼少の頃からよく知る吉盛、そしてその弟の國盛を見ていると、余計にそう思えてしまう。生粋の坂東武者が、美浦家の真似をして八百万の神通力を信じ、その奥深さや有り難さを理解しないまま、その力を戦に活用しようと考えているだけだはないかと、そう思えてならない。

「だが……我ら美浦家は強大故、清和家ないし篁条家に警戒されておる。筬谷家は滅ぼされ、身の振り方を誤れば、明日は我が身じゃ……。河内守殿や、その弟である緑奥守の重永殿は独力で立ちながらも将軍からの信頼篤く、篁条家や我らと中立である。大倉殿がご健在ならば、時勝殿との間に立って仲裁していただけただろうが……時勝殿め、悪辣な。やはり我らは……甲武吉國と結ぶしか……道はない……!」

 美浦家は、柳営内の政争で、窮地に立たされていた時、同じく群雄として清和家と並び立っていた足利家は、完全に息を潜めていた。

 吉氏は河内家に倣い、中立の立場を貫くことを決め、ただひたすら耐え忍んでいた。本来ならば、将軍の地位を狙える程の実力を持ちながら、その家来の座に甘んじる。その屈辱に耐えていた。

 理由はただ一つ、時期を伺うためである。彼の彼岸は、己の代に達せられるものではないと、分かりきっていた。

「今はまだ、群雄が多すぎる。美浦と甲武、篁条、あるいは清和と河内か。最も力弱き者こそ……生きながらえ、隆盛する。この勝負、最後に勝つのは……篁条やも知れぬ」


 甲武家の内紛は翌年の春に始まった。口火を切ったのは、甲武荘を統べる当主長充であった。彼は、甲武荘に程近い亀上かめのうえ城が野党に攻められた際、その野党の、たった一人だけを残して、皆殺しにした。

 長充は野党の爪を剥ぎ、目を潰し、不眠不休の尋問で心を犯し、遂に黒幕を白状させるに至った。長充は、我慢の限界だったのである。

「やはり野党の雇い主は叔父上か。甲武諏訪太夫吉國……ただではおかぬぞ!」

 長充は亀上城主の家来、小山朝重の静止を振り切って、父新羅丞吉光に対し、諏訪太夫吉國への攻撃を提案した。父は病に犯され、この頃はずっと半分眠っているようであったが、今回ばかりはそうではなかった。

「穏やかではないなぁ、長充よ」

「穏やかでないのは叔父上らのせいにござりまするぞ! 民が、殺されておるのでござる!」

「当主はお主ぞ。儂にではなく、証拠を揃えた上で大倉殿へ伝えるが良い。そして、裁きを待て」

「武士が己の手で敵を斬ることも、誰かの認可が必要とは……柳営とはなんなのだ! これでは子供の遊戯となんら変わらぬ!」

「当主にもなって、かように狭いものの見方をするでないぞ」

 老いた父が咳をしながら叱る姿を見た長充は我に返った。いつになく声を荒らげすぎたと思い、反省した。布団の上で苦しそうにしながらも、父は語りを止めない。

「怒るのもよう分かるがのう長充。戦をするにしても、今の時勢では、単純な話ではなくなる」

「何故にござりまするか、父上」

「敵も我らも柳営の御味方。戦いの規模が大きくなれば、朝廷に足元を見られる故、可能ならば筬谷殿のように、袋叩きにして一瞬で終わらせたいと、大倉殿はお考えになる」

「それ故、一方的に我らを襲い続ける叔父上を攻めれば、皆が我らの後に続くという算段にござる。大義を持つものが勝つのは、世の道理にござりましょうぞ」

「其は異なる。常に勝者となるは力を持つ者。大義と言うのは、力を握る方法の一つに過ぎぬ。敵には美浦家が居る。言わずもがな力が強い。そして元は某と同じく義朝様の家来であった佐吉が当主となり、大倉殿の覚えもめでたい」

「いかに叔父上が悪辣であろうとも……我らに御味方する者はいないと……?」

「美浦家は今、お世継ぎの乳母を出している。大倉殿の外戚の篁条家は、血族を養子として世継ぎ候補とした。分かるか、我らに御味方する家は、今後起こるであろう後継者争いに於いての立場を、表明するに等しいのじゃ」

「篁条家がそんな大それたことを……」

「知らなかったのか。広い視野を持て……さもなくば、この政局、乗り切れぬぞ。柳営は東国や緑奥国を土台にした武士の国。政に敗れれば、戦う前から戦に敗れたも等しく、武力では抗えぬぞ」

 父の言葉に、長充は一旦は思いとどまった。しかし程なくして吉光が病没し、再度野党の侵攻が増えだした時、長充の中で再燃した復讐心を止められる者は居なかった。理屈ではない。生まれてこの方、他所で戦をすることもなく、常にこの土地を守ってきた彼に取って、土地を荒らされることは彼の武士として、一人の人間としての全てを陵辱されているという思いだったのである。

「政局など知らぬ……命を捨ててでも、己が土地の為、戦ってくれようぞ!」

 制止する小山朝重を殴り倒し、父と共に篁家討伐に参加した弟の加賀美武光かがみたけみつに甲武荘を任せ、同じく西国の戦に参加した父の腹心にして勇猛果敢な傾奇者安田之資、そして自らが先方となり、遂に諏訪城攻略を目指し、吉國領諏訪へと侵攻した。

 時に、皇紀一八三九年 七月七日の事であった。

 戦は両軍共に同じ甲武家の旗を翻させたことから、家紋に因み、二つ梨の内紛と呼ばれる。

 吉國の三男國虎(くにとら)が守る山城、北ヶ岳城きたがたけじょうを二方面から攻め、僅か六刻(3時間)で陥落させ、城主國虎を捕虜とした。この戦いは、之資の手勢がよく活躍した。武具、馬具を白黄緑の不揃いの色にし、戦が終わる頃にはほとんどが敵の血で真っ赤に染まるその派手な装い通称「安田の傾奇鎧かぶきよろい」は、彼の「坂東武者一の傾奇者」という異名を、再度諸家へ認識させるに至った。

 更に進撃を続ける長充、之資は、ここで軍勢を分け、諏訪城へ繋がる城を同時攻撃することに決めた。

 一つは吉國の嫡男吉盛(よしもり)が守る旧本拠地、東梨とうり城であった。これは天然の川に守られる城であり、難攻不落であった。そしてもう一つは、谷の傍にある柳川城であった。ここは、背面は谷に阻まれているが、三方は開けた平野であり、ほとんど城壁を備えた交通の要衝に過ぎない城であった。守り難いこの城は、次男の國盛くにもりが守っていた。

 吉盛は嫡男として、これまで父吉國から武士としての野心と攻撃性を叩き込まれた猪武者であった。彼が持つ武士道もまた、一つの所に命を懸けるということ。吉盛が命を懸ける一所とは東梨城でも、諏訪城でもない。それは敵方の長充が命を懸ける一所と同じく、甲武荘である。

 父親たちの執念を、嫡男二人は自らに憑依させていた。

 丘陵地帯の僅かに開けた平野に流れる二本の川。その間に鎮座する、東梨城を、長充は攻めた。

 川に阻まれ、長充は攻めあぐねた。しかし甲武家正統の意地が、攻撃の手を緩めさせなかった。時には川を越えて城壁へ取り掛かることもあったが、吉盛もまたこの東梨城を守り抜こうと、弓を射かけ、石を投げ、熱湯や油を撒き散らした。

 一進一退の攻防は、六日間にも及んだ。十日に始まった戦いが終わる頃、死傷者は両軍ともに手勢の半数を上回り、疲弊しきっていた。

 両軍共に、援軍を渇望していた。

「八百万のお力を我らにお貸しくだされ……佐吉殿よ!」

 しかし美浦家は、清和家に近い篁条家や河内家の敵対を恐れ、援軍の書状に、見て見ぬふりをした。

「やはり……父上の予想は正しかったか……!」

 清和家に近しい篁条家や河内家は、朝廷に睨みを効かせる為、美浦家と大規模な内紛を起こすべきではない。甲武家による小競り合いで終わらせるつもりで、援軍など出せるはずもなかった。

 戦況を動かしたのは、小山朝重、安田之資であった。

 甲武荘を守る武光は、篁条家、河内家からの援軍がないと確信しすぐに、甲武荘にて控えていた兵力を小山朝重へ預け、安田之資への加勢へ向かわせていた。

 それから物量攻めによる猛攻を行い、僅か一日で柳川城を陥とし、すぐさま東梨城へ兵を進めたのである。

 降伏勧告を行うも、それを退けられた長充勢は三方向から東梨城攻めを行い、十七日には城を占領した。

「之資殿、敵方の次男國盛を取り逃したのはどうでもよきことなれども、嫡男吉盛が何故捕まえられなんだか……!」

「我ら三方向より攻め立て、鼠一匹、外へ逃げる隙間もござりませなんだ」

「チチチチ……! まぁよいまぁよい。見つけ次第連れて参れ!」

 長充は焦っていた。敵方の旧本拠地は兵が少なく、地理を活かし上手く戦った嫡男吉盛は、強敵である。堅牢な諏訪城へ逃げ延びることがあれば、猛将甲武諏訪太夫吉國がこの戦上手と共に、頑強な抵抗を見せるに相違ない。


 命からがら城を抜け出した吉盛は、諏訪城を目指していた。

 敵方甲武長充の追っ手に阻まれ、思うように進めない。数日、山中や洞窟に潜伏しながら、亀の如き速度で、少しづつ少しづつ、城をめがけて進んだ。

 道中で食料調達に入った村で、吉盛は敢えて、正体を隠さず堂々と振舞った。城を失い弱った心を震い立たせる為、自らの民の前に立ったのだ。

 村民は老いも若きも、皆平伏した。

「城主様は、我ら村の者の為、魑魅魍魎が現れたる砌には、戦ってくれました」

「武士が戦うは当然至極。そなたらも、作物を穢され、戦いの中で牛馬も殺された。かような時でも子を産み育て、よく生き永らえた。褒めて遣わす」

「ははぁ……もったいねぇお言葉じゃ……!」

 敗将といえど、生きている限りは、自らの御役目を果たす武士である。人の上に立つ者として、気落ちしてなどいられない。日進月歩、吉盛は諏訪城のすぐ側までたどり着いた。

 しかし諏訪城は既に、敵方の軍勢に包囲されていた。

「これでは……父上の許へはたどり着けぬ……!」

 七月二四日、諏訪城の戦いの最中、森の中にて吉盛は捕らえられ、人質とされた。

 同日中に長充は、吉盛の身柄と交換で、開城と諏訪太夫吉國の切腹を要求した。

 吉國は「みすみす敵に囚われる子など要らぬ」と告げ、吉盛は即刻晒し首に処された。

 諏訪城は固く、数日に及ぶ決戦でも情勢は変わらなかった。 

 二八日、柳川城を抑えていた小山朝重は、前線の長充より城攻めへの加勢を命じられ進軍、諏訪城付近の山林にて潜伏した。

 諏訪にて孤軍奮闘する吉國は、長く城に立て篭もる用意があり、難攻不落のこの諏訪城で何年でも待ち続けるつもりであった。

「長引けば痺れを切らした美浦家が加勢し、次いで篁条家が兵を挙げ、柳営を巻き込んだ内乱となる。この諏訪太夫、八百万の神通力を信じ、清和家に吸い付く蚊虻ぶんぼう篁条家や、面従腹背の足利党を滅ぼしてくれん……!」

 吉國の忍耐力は尋常なるものであった。若き頃は清和家家来衆一の武辺者大庭景虎への劣等感を抱えつつも、耐え忍んだ。そして鎮守府が滅んだ後は、長い時間を掛けて諏訪のお社を建立し、丁重に供養した。そして幼少の頃から嫌悪する兄吉光が老いて病床に伏すまで耐え忍び、遂に手出しをして、その嫡男と相見あいまみえるに至った。

 数年でも耐え忍ぶその覚悟は、揺らぎなかった。しかし、そんな彼の覚悟を揺るがせる弱みが、城のすぐ側にあった。かつてと異なり現実主義者ではなくなり、信心深くなった彼にとって、その弱みは確かなるものであった。

「安田之資め……! お社に火を点けるとは、野蛮な!」

 傾奇者安田之資は、敵の斜め上を狙う嫌がらせが得意であった。吉國は怒り狂い、社から撤収する安田之資の手勢へ猛攻を仕掛けた。その鬼気迫る攻撃に之資は押されるも、助太刀として長充は本隊を率いて吉國の側面を襲い、激戦となる。

 連日の戦いから体力が削られていた長充、之資は数の有利を活かせず、遂には戦場に之資の首が掲げられる事態となる。

「敵将の首を掲げよ! ! この戦、八百万のご加護があるものと心得よ! !」

 長充は敗走し、本陣へ向け馬を掛けさせた。怒りのままに追撃する吉國の背後は無防備であった。

「かかれい! 諏訪太夫を討ち取れい!」

 山林に潜んでいた小山朝重は吉國の背後を攻め、これが決め手となった。

 ここに猛将諏訪太夫吉國は討死した。

「敵将討ち取ったり! すぐさま殿へ知らせるのじゃ!」

 朝重は意気揚々と本陣を目指すも、そこに長充の姿はなかった。長充は退却の最中に背後を討たれ、戦場の骸となっていた。


 七月二九日、諏訪城の留守を預かっていた吉國次男、國盛は降伏を表明した。国盛は柳川城陥落後、落ち延びて諏訪城に合流していたのであったが、戦意を喪失しもはや抗う気力など残ってはいなかった。

 八月七日、甲武荘の武光は兄の討死と敵方の降伏表明を受け、甲武荘甲武城名代として降伏を受け入れた。

 八月十六日に戦の子細を大倉殿へ報告し、吉國流甲武家の処罰を委ねた後、正式に甲武宗家の当主となった。

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