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【完結】粟散辺地の夜明け 第二章  作者: 乘越唯響


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最終話

 大倉殿・清和朝頼の死を目前にした鎌村。病床の朝頼は息子たちへ未来を託し、武士の国を守るため最後の布石を打つ。しかしその陰では、執権・篁条時勝の底知れぬ野心が静かに牙を研いでいた。

 父の遺志を継ぐ頼家、家と血筋の狭間で苦しむ朝家、そして忠義と野望の間で揺れる武士たち。やがて柳営を二分する政争は、親子や主従の絆さえ引き裂いてゆく。

 皇紀一八四四年 鎌村 大倉御殿


 大倉殿はこの時期、病にかかっては寛解し、またぶり返すというのを繰り返していた。視力も落ち、足腰も翁のように弱っていた。

「頼家……頼家は息災か」 

「ここにおりまするぞ! 頼家にござりまする! 父上!」

「あぁ……また鷹狩りをしたいのう……!」

「某も共に参りとうござりまする。それ故、早うお元気になられませ!」

 頼家は元服し、頼家と名を改めていた。

「あれはまだ……其許の声が変わる前であったのう。小さな兎を捕まえ、はしゃぎ倒す其許を手紙にしたため……鎌村の雅子へと送った」

 手紙を受け取った雅子は返書にてこう綴った。「武士の棟梁の跡取りたる者が、これしきの事で喜ぶべからず」。

「母上は時折……父上よりも怖うござりまする」

「これこれ……戯れを申すな。雅子は誰よりも美しく、心清らかな女子ぞ。怖う思うなど……」

 そう言って大倉殿は乾いた笑い声を上げた。釣られて、頼家も笑った。

 この頃は、大倉殿が笑うことはなかった。我が子頼家の冗談は、心身の痛みを和らげる薬であったのだ。

「弟は息災か。元服し……千幡は何と言ったか」

朝家ともいえにござりまする。朝家も息災にござりまする」

「大倉御殿へはあまり足を運んでおらぬと聞く。鎌村にはおるのであろうに、何故参らんのか」

傅役もりやくの篁条時勝殿と共によう過ごしておりまする。烏帽子親も時勝殿にござりまするは、両人の血筋故かと」

「されども……清和の次男なるぞ。時勝めは……いつまで肉親のつもりでおるのか……!」

「二つ梨の戦の折り、我らが……否、諸家がいずれも加勢せなんだは、一重に、某と美浦家、朝家と篁条家の仲を注視してのこと。君臣の立場に於いては不忠なれど、寝所での親子の話し合いとして、敢えて腹蔵なく申し上げなん」

「申してみよ」

「ゆくゆくは、某と朝家のあいだで、兄弟喧嘩を謀る者が現れましょうぞ。其は……鱗を纏った男。その者は未だ尋常ならざる野心故に、ようやく静まった東国の平穏を脅かさんとしておりまする」

「我らの敵は魑魅魍魎。広く言えば、公家衆をも含む。三鱗紋の男か。所領も安堵され、その血が将軍家の血筋と交わっていると申すに……清和の血が嫌いなのか」

「恐らくは清和家の血が嫌いなどという話ではござり申さず」

「ならば自らが、将軍となりたき所存か」

にも……さりながら、其は齢を鑑みればおよそ叶わぬこと。それ故、将軍の後見人となるべく、篁条の血筋で、篁条の乳母に育てられし者が、将軍となることを望んでおるのでござりまする」

まこと……野心家よのう。其許がそこまで世情を鑑みる頭を持つならば、儂の跡取りとして不足なし」

 頼家が下がった後、大倉殿は夕暮れ時の空を眺めた。

「学があれば、良き詩でも読めたものを……戦、戦の人生にござった」

 空を眺めながら布団の上に座りこけ、やがて日が沈むのをじっと眺めていた。


 数日の後、大倉殿は臨終出家を行った。これは自らの死期を悟った者が、極楽浄土へたどり着けるように、仏に帰依することを意味する。元来、八幡大菩薩を信仰する仏教徒ではあったが、あくまで武士として武功や御家の安泰を願っての信仰であった。彼が今出家をしたということは、殺生を控え、自らの人生を振り返りながら、死後の魂の世界へ目を向けることを意味していた。

 政務の大部分を河内義家、河内永康に預けることで、大倉殿の独占的な権力は河内家に一時的に譲渡された。そして、大倉殿の命令で両人は、政務を司る公文所くもんじょ、御家人を統率する侍所さむらいどころ、訴訟を管理する問注所もんちゅうじょを整備し、梶景親は公文所別当、そして美浦佐吉が侍所別当、河内永康が問注所別当となった。

 そして篁条時勝は将軍の政務を支える執権しっけんに就任した。

 この人事は、将軍が病弱であるのをいいことに専横を行おうとする時勝を、時勝の息がかかっていない諸家で監視するという意味合いが強かった。

 全ては、次期将軍が嫡男頼家のものとなり、その治世が謀によって阻止されないようにという、大倉殿の存念を汲んだものであった。

 時勝は執権という役職を宛てがわれたことは、吝かではなかった。

「してやったり……!」

 誰も老獪な時勝の本心に気づいてなどいなかった。彼が目指すは将軍でも、将軍の後見人でもないのである。

 河内義家は、これで政敵を封じ込めることができたと考えていた。柳営創設の功労者にして、政治的駆け引きもこなした智将であっても、時勝の野心の深淵のその深さには、気づくことができなかった。



 同年 十二月


 木々が葉を落とした季節、容体が回復した大倉殿は、久しぶりに朝家を連れて巻狩りに出掛けていた。「父上! あまり飛ばされてはお風邪を召してしまいまするぞ!」

「体が動く家に、其許と駆けたかったのじゃ!」

「危のうござる!」

 大倉殿はやせ細った木に気付かず激突した。視力が落ちていた故の出来事であった。

「父上! ご無事にござるか!」

 朝家はすぐさま駆け寄り、頬から血を流す大倉殿を抱き抱えた。

「大事ない。血や傷など……幾度となく」

「もうお若くはないのですぞ! さぁ御殿へ戻りましょう!」

 御殿へ戻った大倉殿はまた、床の上で過ごす日々が始まった。

 その日の出来事は、周囲の諸家に疑念を抱かせた。元気であった大倉殿が、傷を作ってまた体調を悪くした。これは、篁条家の策略ではないか。そんな声が、方方から聞こえてきたのである。

「わざとでは無い……! しかしそれを言いふらせば、父上の恥辱となろう。木に激突し落馬したなど……将軍の威厳に障るではないか……! なにより某は清和の子。篁条の血を引こうとも、篁条の子にござらぬ!」

 朝家の苦悩に気づく者は、奇しくも頼家だけであった。頼家は悟っていた。そう遠くない内に、三鱗の男、篁条時勝は、必ず執権の力を行使して政争を始める。

「朝家……すまぬ。某では……其許を……そして某さえも救えぬのじゃ……!」

 将軍家の重みが、頼家のその肩に重く乗しかかった。


 翌一八四五年 一月。大倉殿、清和朝頼は、その波乱万丈の生涯を閉じた。享年、四一であった。

 謀略と人心掌握によって天下を揺るがし、未だかつてない武士の国を創設した稀代の英傑は、親類や御家人という家族一同に見守られながら、穏やかな往生を遂げた。

 それは一時代の終わりを象徴していた。

 同月に、伝奏てんそうの吉時と、公家の火野家は共謀し、将軍の世襲を画策した。大倉柳営が考える、将軍を頂点とした武士の国の継承というのは、将軍家による将軍位の継承なくして成り立つものではない。この構想を朝廷に承認させるのは困難が予想されたが、一ヶ月以内に継承は容認された。

 当時の朝廷は一足先に後継者争いが勃発しており、武士による内乱が西国に及ぶことを危惧し、東国の安定の為に世襲を認めたのであった。

「天の時が、柳営を支えておる」という吉時の言葉は、朝廷内にて柳営肯定派の急先鋒であった火野亮光の中にある、わずかばかりの不安を消し去る薬でもあった。

「亮光殿におかれましては、くれぐれも、お世継ぎの派閥争いにて足元を崩されませぬよう……」

「お任せあれ、吉時殿。力石実朝は死に、藤咲氏も未だ力は弱い。幸いにも天子様はお若く、我ら火野家が根を張る時間はある」

「共に、天下泰平の世を築きましょうぞ。最早、武士や公家の内乱で、悪戯に世を乱すことはあるまい」

「全ては天下の為……励みましょうぞ」

 二人は互いを見合って笑いあった。安寧の世に向かって歩み出したこと、そして頼もしい友が居るということが、誇らしく、胸を撫で下ろす思いだったのである。 

 それから間もなくして、伝奏の吉時の父時勝は動き出した。

 頼家が将軍となってすぐ、時勝は美浦佐吉に対し、とある提案をした。

「先代の大倉殿は何より、柳営の継続を願い薨去なさった。歴史に於いて、一人の人間が天下を治めようとすると、必ずやその強すぎる力による理不尽が原因で、謀反を招く。この柳営も言わば、その一例にござろう。しからば……東国と西国で、この柳営に二人の将軍を立てましょうぞ」

 守護地頭によって、やがて西国にも広がるであろう柳営の支配権を、一人の将軍が握るのは危険であるというのが、その建前であった。本音は、二人目の将軍として、将軍家次男の朝家を西国の将軍にしようというのであった。

 有力家臣は、これを止めた。無論その筆頭は、美浦佐吉であった。

「大倉殿は未だお若く、政もこれから始めてゆかれる由。我らは揃ってそれをお支えし、柳営内の結束を強めてゆかねばならぬ時節に御座候わずや。何故かような時に、体制に大きな変更を求めるのか」

「……今がその時だからに他なるまい」

 露骨な野心、しかしそれを止められるだけの勇気はない。有力家臣は皆、誰一人として独力で時勝を黙らせられるだけの力はない。

 佐吉は、朝頼亡き今、もはや歯止めは効かないと悟った。

 君側の奸を取り除くならば、戦もやむなし。

 佐吉は美浦領で軍備を整え始めた。

 五月になると、その動きは徐々に御家人の中に漏れ出す。しかしその動きを止めようという者はいなかった。二つ梨の内紛の後、乱の原因となった吉國の次男でありながら唯一甲武の名を継承した甲武國盛もまた、ほとんど単身で、美浦家を支えるべく金や馬の工面をするなどの協力を見せた。

 この時、甲武国諏訪地方は、二つ梨の内紛で活躍した小山朝重に御恩として与えられていた。彼は神道には全く関心がなく、美浦家にも縁がない武士であった。しかし、将軍家への忠誠心から、新たなる将軍擁立に動き出した篁条時勝への個人的な嫌悪から、美浦家へ協力を始めた。また朝重の主である加賀美武光もまた、同様な理由から美浦家へ加勢した。

 更には、それまで鳴りを潜めていた足利一門の畠信隆までもが美浦家への参加を表明した。憎き有恒を葬ってくれた先代大倉殿への忠誠心から、将軍家大事、清和家恩顧の武士として堂々と反篁条を掲げた。

 六月になると河内家永康までもが自領から兵を率いて美浦領へ入るなど、徐々に戦の様相を呈し、柳営内では反篁条の色が強まりつつあった。

 それを危惧したのは、京にいる永康の友、吉時であった。

「父上は気が触れたのか……将軍を並ばせるなど、なんと身勝手なる振る舞いか……! 篁忠門であっても、己の為に新しい帝を称した訳ではない。己の為に西国で将軍を立てるなど……皇室への謀反に他ならぬ……!」


 東国で燻る後継者争いは親子の間にも亀裂を生んだ。

 それは嫡男吉時だけではなく、娘の雅子さえも同じであった。

「父上、何故かような仲違いを誘うのですか」

「篁条家は未だ、何の旨味を味わってはおらぬ」

「生きていられるだけで十分ではありませぬか! 将軍家の外戚として、子々孫々、平和に生きていけまする!」

「それでは対価が見合わぬわ! 朝頼公を謀反の罪で朝廷に突き出さず、同じ危険を背負ったのは誰か! そなたを想い人と結ばせ、息子を将軍にしたのは誰か!」

「無論父上にございます。それで十分にございましょう……? 流人の朝頼様をわらわは知っておりまする。盛者必衰の人の世で、ずっと同じ土地を足がかりに生きられれば、それ以上を望むのは破滅の元にございましょ!」

「黙らんか!」

 時勝は娘に手を挙げた。それは初めてのことであった。武家の娘と言えど、田舎の武家。器量も良かった手のかからない娘に、手を挙げるなど必要もないことだった。

 頬が赤く腫れ、目に涙を浮かべる雅子は、尚も食い下がった。

「隠居なさってください」。今すぐ表舞台から降りて、余生を楽しんで欲しいという、雅子の言葉が心からの願いであった。

 時勝は何も言えず、部屋を後にした。男としての野心が、死が真近に迫った老人にとっての生き甲斐となっていた。余生など要らない。いや、そんなものは手に入らない。今生き繋ぐには、この野心のままに政争を戦い抜くしかないというのは、時勝本人が一番よく理解していた。

 彼はあくまで執権という、将軍頼家の補佐という立場から、純粋な清和家寄りの家臣らを御味方につけようとした。御門葉に名を連ねてはいない小勢力の御家人を初めとし、少しづつ御味方を増やしていた。

「お主はどうなのか、景親よ。教養深きお主ならば、東西で将軍を分ける案は必要と、承知出来よう」

「西には帝が御座すものなれば、西に将軍は不要かと……」

「分からんのか景親よ。帝は位が並び立てぬ。あくまで、我ら武士の棟梁たる武士であっても、帝の前では臣下に過ぎぬ。しからば……いざとなれば、大義名分を傘に将軍を朝敵にでもできようぞ。東西を分かつ将軍が、それぞれの天下を治めて互いに睨み合うからこそ、帝も安心して政に臨める」

「確かに……強権を持つ将軍が一人というのは……かつて帝が行ってきたような、私情による政の乱れを招く恐れも……ありうるか」

 梶景親は今は亡き朝頼の為に、大倉殿として築き上げた柳営という志の為に、時勝の側に立った。

 七月、景親は千葉城を初めとした自領から兵を集め、篁条国へ集めた。

 この動きを察知した佐吉は、先制攻撃を行った。

 侍所別当の権限を行使し、許可のない兵を動員したことを理由に弾劾状を提出し、景親を失脚させたのでたる。そればかりか、鎌村からの追放を行い、その際に闇討ちをし景親の一族諸共を処断したのである。

 九月三日、時勝は梶景親を死に追いやった佐吉に激怒していた。

「鎌村に登るのは久々よのう。大倉殿が薨られて以来か。佐吉が参りましたぞ、朝頼公」

 久々の鎌村は、思いの外長閑であった。佐吉は登城し、各領国における魑魅魍魎による被害を報告した。これは定期的なものであったが、普段は代理の者を立てていた。だが今回は、朝頼を祀った菩提寺の完成を祝う祭事に合わせ、当主の佐吉自ら鎌村へとやって来たのである。

 報告の場には、常に執権篁条時勝の姿があり、佐吉は暗殺を危惧し、常に抜刀できるように気を配っていた。それは側に侍る側仕えも同様であった。

「美浦党はやはり魑魅魍魎と相見えようとも、いやはや強い。是非、我が篁条国衆にも戦い方を教えて欲しいものよ」

「恐れながら、執権殿の領地には魑魅魍魎は湧き出ぬものと心得まするが」

「真の魑魅魍魎は人なるぞ。あるいは、人が作り出す世の中そのものが、人を戦わせ、怒らせ、悲しませる魑魅魍魎でたろう」

「達観にござりまするな。平伏致しまする」

「魑魅魍魎が南へ来ぬよう、今後とも御役目を果たされよ」

 上辺の会話をし、報告は無事に終わった。緊張の糸が緩み、どっと疲労を感じた。

「早う御殿を出ましょうぞ殿」

「待て待て。ちと、厠へ行かせろ」

「御意。外でお待ち致しまする」

「何か妙な音でもしたら入ってこい」

 佐吉が厠へ入って刀を外し、溜壺の前で袴を外そうとした時、二人の男が現れ、刀を構えた。

「御免!」

 突然切りかかられた佐吉は、寸出の所で躱し、刀を奪い取って一名を斬り伏せると、溜壺に押し付けた。

「同じ目に合わせてやろうか、刺客よ!」

「小癪な!」

 二人の刀が交わり、睨み合う。わずか数十秒のその戦いは、駆けつけた佐吉の側仕えの加勢によって形勢逆転。刺客を斬り殺し命からがら鎌村を出奔した。


 同月中、時勝の卑劣な暗殺未遂に激怒した畠信隆は、百名の手勢を引き連れて鎌村を目指して南下を開始した。

「わずか百名でこの時勝を討つ覚悟か。正々堂々に拘る気高さは認めてやろうぞ、猪武者よ」

 時勝は鎌村から兵を北上させ、両軍は小規模な合戦となった。

「老いぼれの奸賊よ! この畠信隆と一騎打ちをせい!」

「武士らしく戦うのは、戦場で槍を振るうことに非ず!」

「ならば弓を手に取り、進み出でよ! 三射放つまでここで立っていてやろうぞ!」

「青二才めが……!」

「逃げるのか! 武士の風上にも置けぬ卑怯者めが!」

 時勝は後ろに下がり、大軍を動かして戦た。危険を犯さず、数の力で押し込み、武勇に勝る少数の畠信隆を討ち取った。

 時勝は生き残り、戦いに勝利し悦に浸った。しかし、この勝利が彼の、最初で最後の勝利となった。


 京の吉時は、鎌村からの手紙を受け取った。差出人は、妹の雅子からであった。

「無論、お梅殿からではないか」

 自嘲しながら手紙を開けた吉時だったが、読み終わる時には、その顔から笑みは消えていた。

「父上が……御門葉の御家人を……討った……!」

 彼は雅子の求めに応じて、時勝の暴走を止めるべく鎌村へ下った。

 時勝と再開し、親子水入らず二人きりで酒を飲んだ。

「京の酒は美味いのう……。京の白拍子は美人が多いと聞く。どうなんじゃその辺は」

「老いて増々盛んとは……妾でもお取りになるのでござりまするか」

「まさか……お主の奥方がどんな女子になるか、それを気にしておるのだ」

 父と酒を呑むと、いつも苦く感じる。元より好きではないが、呑む場所、人によって美味いと感じることがあると最近学んでいた。

「京の酒は美味いか?」

「え……?」

 時勝は心の中を察したかのように、酒の味について尋ねた。その意図に、吉時はすぐ気づいた。何と答えるべきか迷ったが、いっそ本心で答えるべきだと思った。

「京の酒は美味しゅうござる。されど、この酒は不味い」

「左様か……父と呑む酒は不味いか」

「美味い筈がありませぬ。何故……危うい橋ばかりお渡りになられまするか」

「儂が一人の武将だからよ」

「戦が始まりまするぞ。もっと大きな戦が」

「儂が動かずとも、戦は起こる。儂は先代の大倉殿を、お若い頃から知っておる。腑抜けた面をしておったが……流人であっても、気高さと、胸の内に燻る確かな炎があった。されど頼家様にはそれがない。世の不条理を知らぬ故、愚直なまでに公正を求める。あれではすぐに行き詰まり、狡猾な者の傀儡となるばかりじゃ」

「されど、率先してその狡猾な者になる必要などありませぬ。朝家を傀儡とし、西国にて天下を狙おうなどと……!」

「頼家を廃そうとせぬだけ有難く思って欲しいものじゃ。其許には分かるまい。頼家は政に向かぬ。頭の良さだけで、坂東武者を草花や獣のように御すことができると勘違いしておる。荒くれ者は、気概と武勇なくして従えられるのではない! 頼家が唯一の将軍である限り、すぐにでも柳営は内側から雲散霧消してしまうわ!」

「内側から雲散霧消させようとしておるのは父上にござりましょう! ようお考えなされ父上。このままでは大戦となり、朝廷や筑紫州つくしのしまで力をつけつつある寺社が武士を使って、柳営を襲いに来るやもしれませぬぞ……!」

「されど、京は今、京のことで大忙しじゃ。それは其許が齎した京の実情。天が、我らに時を与えておるのじゃ。天が、我ら篁条に、戦って勝てと言っておるのじゃ」

「其は篁条に非ず。ただ一人、父上にござる。そして天が申しておるのではなく、ただ父上が理由をつけて野心を剥き出しにしておるだけのことにござろう! 柳営や先代を理由にし、己の傀儡になりえぬ頼家公を嫌うておるだけのこと!」

「言うようになったのう……吉時!」

 時勝は盃を台に叩きつけ、刀を取った。齢七七。既に骨と皮だけのような腕で握った刀は、見る者にもその重さが伝わるほど、取り回しし辛そうであった。

 隻腕でも勝てる。この場で取り押さえ、侍所に身柄を渡せる。吉時は瞬時にそう思った。

「ご覚悟あれ!」

 吉時は手の甲で時勝の顔を殴りつけ、よろついた時勝を蹴りつけた。

「己……吉時! 不忠……不孝者が!」

「誰ぞ! 誰ぞ参れ!」

 大倉御殿の武士らは、倒された執権を見て、隻腕の吉時を取り囲んだ。しかし吉時は懐から書状を取り出し、床に投げつけた。

「大倉殿からの下知である。是は、執権篁条時勝の弾劾状なり。つい先刻、御母堂にしてわが妹雅子より手渡されたものなれば、この吉時を囲い執権殿に助成するは、大倉殿への謀反と心得よ!」

 時勝は武士らに抱えられながら、部屋を後にした。意気消沈したように、一言も発する事もなかった。



 同年 十一月


 頼家は時勝から執権の地位を剥奪し、故郷桃紅城での蟄居を命じ、間もなくして時勝は病没した。

 頼家は執権の後継を吉時に任命し、空位であった問注所別当は足利吉氏とした。伝奏の任は河内永康が後任となり、空位となった公文所別当は、加賀美武光が就任し、柳営内は一応のまとまりを見せることとなった。

「新たなる体制にて、我が大倉柳営はこれより、西国へも拡大して参る。諸家には、我が清和家をよくお支え頂きたく存ずる。加えて、儂は、家や過去の功績ではなく、これからの活躍を見て、方々を評価して参る故、これからもよく政務に励み、武功を挙げられよ」

 新たなる大倉殿頼家手動の許、柳営は動き始めた、かに思えた。


 同年 十二月。頼家は屋敷にて暗殺された。大倉殿は三代目の朝家となった。

 にわかに美浦家の側に着いていた加賀美家、甲武家は美浦家から離れ、再び中立となった。それは、ある男の策略であった。

 同月、河内八幡太夫義家が病死し、国司の地位はその嫡男、義宗よしむねに引き継がれた。彼は人の子でありながら、肌が青白く、目が左右で異なる色をしていた。身体が弱く戦場に出たこともなかったことから、呪われし蠱毒の息子として、呪太子じゅたいしと嘲りを受けながらも、元服するまで生き延びていた。

 広大な河内国が、国司の器量を理由に乱れてはならない。大倉殿朝家は、吉良吉継を河内国の副長官を意味する河内介かわちのすけに任命し、また新田貞隆を正式に緑奥守に任命した。

 足利一門が隆盛を迎え、大倉柳営は新時代を迎えていくこととなる。

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