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診察と相談

知らせがあったのは、二限目の前の休み時間だった。


朝のホームルームが始まっても、芝目の席は空いたままだった。出席確認で彼女の名前が呼ばれなかったとき、俺の胸には、彼女が教室を飛び出していった時のあの得体の知れない違和感が再びこみ上げてきた。


一限が終わると同時に、担任が教室に顔を出した。

芝目は体調を崩し、現在は保健室で休んでいるという。状況次第では、そのまま早退させるかもしれないとのことだった。周囲からはいくつか心配する声も上がったが、彼女と特別に親しい生徒がいなかったせいか、その波紋はすぐに収まった。


だが、俺は席に座ってはいられなかった。

二限が終わった途端、俺は弾かれたように保健室へ向かった。後ろから茂が俺を呼ぶ声が聞こえたが、それに応える余裕すらない。あいつも何かを察したのか、それ以上追ってくる気配はなかった。

たぶん、当時の俺は、誰かに話しかけられるような表情をしていなかったのだろう。


保健室に着き、先生に芝目の様子を聞いた。

病気といった類ではなく、身体的な健康に問題はないという。だが、横たわる彼女はとても「ただの体調不良」には見えなかった。


ベッドの上の芝目は、顔を青ざめさせていた。まるで何か毒でも飲まされたかのように、ずっと苦しそうに眉を寄せている。

どうしてこうなったのか、俺には全く見当がつかなかった。

唯一のヒントは、保健医の残した一言だった。

「過度なストレスの可能性もあるから、しばらくここで安静にさせておきますね」


その言葉で、芝目が教室を飛び出す直前の様子が脳裏に浮かんだ。

俯いて、肩を震わせて、唇を強張らせて……。

あれは、教室の自己紹介で最初の頃に見せていた、あの「人を怖がる様子」そのものじゃないか。


ベッドの横に立ち尽くしたまま、俺は何かしてあげられないかと必死に思考を巡らせた。

声をかけるべきか? どうにか怖がらないようになだめるべきか?

そうだとしても、彼女が何を怖がっているのかもわからない。今の俺に、彼女を安心させられる自信なんてどこにもなかった。


それに――つい最近まで、俺だって恐怖の対象だったのだ。


GWのあの時間は何だったんだ。急によくなったと思ったら、また急に崩れてしまう。この拒絶は、一体何を意味しているのか。俺が怖いのか、それとも違う何かなのか。

ここに立って、彼女のために何ができる?

――果たして、俺は彼女を守れる人間なのか……。


パンクしそうな頭では、どれだけ考えても答えを探りだせなかった。

結局、次の授業の予鈴が鳴ったとき、俺は彼女の側を離れることしかできなかった。


***


放課後、俺は再び保健室を訪れていた。

今度は別の理由――島村との約束のためだ。

『今日の放課後空いてる? 時間があるなら、今日も診察しましょう』


芝目は昼休みの時点で早退することになっていた。

弁当を持ってお見舞いに行ったときには、すでに彼女の姿はなかった。

保健の先生によると、彼女は目を覚ましても先生の問いかけに応答せず、ずっと塞ぎ込んでいたらしい。学校では手に負えないと判断した先生が両親に連絡し、迎えに来てもらったとのことだった。


悔しいけれど、俺が残っていても結果は変わらなかったかもしれない。

なのに、「せめて俺が何か声をかけてから帰したかった」と思ってしまう。


島村がノートにカリカリと何かを書きこんでいる間、俺の視線はふと、昼間に芝目が寝ていたベッドへと吸い寄せられた。

あの子は今、家でちゃんと休めているのだろうか。家なら、怖がらずにいられるのだろうか。

そんなことばかりが、頭の中で何度も何度もリフレインしていた。


「坂田? 聞いてるかしら」


現実に引き戻したのは、島村の声だった。

彼女は片手にシャーペンを握ってノートに向き直ったまま、顔だけをこちらに向けていた。その瞳に、微かな心配の色彩が混じっている。


「あ、ああ、ごめん。なんだっけ?」


俺が腑抜けた返事を返すと、島村は小さくため息を吐いた。


「体は依然として問題ない。なのに顔色が悪い、と言ったのよ」


「あぁ……ごめん。ちょっと、考え事してた」


「何か悩みでも?」


島村にそう問われて、真っ先に脳裏をよぎったのは、あの青ざめた芝目の顔だった。

……いや、これは島村に相談できる話じゃない。

芝目の話をここで持ち出したら、島村を傷つけるかもしれない。


「まあ、こっちの話だ。気にしないで」


そう濁した瞬間、島村の眉がわずかに跳ね上がった。

シャーペンを机に置くと、カチリと腕を組んだ。


島村はしばらく何も言わず、じっと俺を見つめてくる。そのわずかな沈黙は、俺の品定めでもしているかのようだった。

ジー、と蛍光灯がかすかに唸る音のなか、彼女はようやく口を開いた。


「それはダメ、坂田」


いつもよりはっきりと芯のある声に、俺の肩は思わず跳ね上がった。

……なんだろう。ちょっと、怒っているのか……?


「プロではないけれど、今の私はあなたの医者よ。医者として、もし患者の悩みにその病気のヒントがあるなら、それを知らなければならないわ。それが分からないようでは、私は医者失格よ」


「……ちょっと大げさじゃ……?」


「大袈裟なんてないわ」


「はい、すみません……」


珍しく、彼女の語気が強い。

やや張った声に、微妙に寄せられた眉間。めったに見せない島村の強い態度に圧されて、俺は口を噤むしかなかった。


しばらくの間、窓の外から遠くカラスの鳴き声だけが聞こえてくる。

気まずい沈黙が続いたあと、島村からようやく、ふう、と張り詰めた息が漏れた。


「大体どういう話かは察しが付くわ。芝目さんのことで悩んでいるでしょう?」


……顔に出る癖は何とかできないかな……?


「……図星ね」


「まぁ……」


言い返す言葉を失って、俺はきまり悪そうに後頭部を掻いた。

口ごもる俺を見て、島村は椅子の背もたれに体を預けた。


「ここまで言っても、まだ何も話してくれないのね」


「……そりゃ……なんか俺の、その……好きな人の話をしたら、嫌なんじゃないかって……」


沈黙の圧に耐えかねて、つい本音をこぼしてしまった。

それを聞いた途端、本日何度目かの、今度は呆れたようなため息が俺の耳を擦った。


「まったく……私って、随分と見くびられたものね」


そう言葉を漏らした島村は、微かに肩を落としていた。

その横顔はどこか悲しげで、ひどく寂しそうに見えた。


そんな彼女の姿に、俺の胸がチクッと針で刺されたように痛む。

話したら傷つける。だけど話さないでいるのは、彼女を突き放しているのと同じだ。


なるほど……やっぱり、一度告白が出たら、そう簡単に「普通の友達」には戻れないんだな。


俺の視線はやがて床へと落ち、喉がふさがった。

何が正解なのか、今の俺にはさっぱりわからない。

なんでだ……なんで俺は、こうも不器用で、言葉が下手なんだろう。


部屋を支配する、息が詰まるような沈黙。

――そして、その重苦しさに耐えきれなくなったかのように、彼女が動いた。


「言いなさい」


パイプ椅子がガタッと軋む音とともに、島村の声が静寂をぶち破った。


「え?」


いきなりの命令するような強い口調に、俺は間抜けな声を漏らしてしまう。

弾かれたように顔を上げると、島村の眉がガッチリと中央に寄せられていた。


「だから、言いなさいって言ってるの。さもなければ、今日はここから帰さないわよ」


「いや、だから……」


「もうくだらない気遣いはやめなさい!相談に乗るって言ってるんだから、とっとと吐いて楽になりなさいよ!」


俺の言葉を遮るように、彼女は一気にまくしたてた。

どう見たって、怒っている。


今まで見たこともないくらい、必死に俺を睨みつけてくる表情。だけど、怒りで虚勢を張っているその裏側で、彼女の細い肩が小さく震えているのが見えた。


嫌なはずなのに。傷つくとわかっているはずなのに。

そんな無理をしてまで、俺の力になろうとしてくれる彼女に、俺はどう言葉を返せばいいのかわからなかった。


押しつぶされそうな沈黙のなか、先に口を開いたのは島村の方だった。


「……ごめんなさい。ちょっと、気が立ってしまったわ」

「いや、別に……」


格好悪いな、俺は。

彼女はここまで身を削って、俺の問題に協力してくれようとしているのに。俺は島村を傷つけてばかりで、その上、肝心なことは何も言わずに黙り込んでいる。

何をやってるんだ、俺……。


「……その、ね」


再び島村が声を絞り出した。

視線を俺から逸らしたまま、迷うように、淀みながら言葉を紡ぎ始める。


「私があなたをあの物置部屋へ連れていった時のこと、覚えているかしら……?」


脳裏に、四階にあるあの薄暗い部屋の光景がよみがえる。島村がシャツのボタンに手をかけ、俺に距離を詰めてきた、あの放課後。

――あの日、俺は彼女を泣かせたんだ。


「うん、覚えてる」


「そう……あの時は、結局あなたに選んでもらえなかった。それを悟った瞬間、胸が引き裂かれそうに苦しくて、いっそ消えてしまいたいとさえ思ったわ」


島村の組んでいた腕が少しずつ緩み、今度は自分自身を抱きしめるかのように、強く両肘を掴んだ。


「でも、あなたはすぐに『可愛い』と言ってくれた。私のことを傷つけないように、必死に言葉を尽くしてくれた。それが……どれだけ嬉しかったか……」

「……そっか」

「だけどそれと同時に、あなたはやっぱり芝目さんが好きなんだって、それは絶対に変わらないんだって……あの場で、認めざるを得なかったの」


「……うん」


責められているわけじゃない。なのに、胸の奥が痛くてたまらない。

もう少し、何か気の利いた言葉を言い返してあげられないのか、俺は。


「だから、あの時点でもう……私は決めたのよ。この前のキスの時だって、後で謝ったときは、ちゃんと私情を挟まないって決めてた。あなたのED(勃起不全)を解決するために、私は本気であなたの『医者』になるんだって、そう覚悟を決めたの」


「……うん」


向き直って島村をしっかり視線に置くようにした。

なんとなく、何が言いたいかはわかった気がする。


島村が覚悟を決めたような眼差しを上げて、俺と視線を重ねた。


「だからお願い。私が未練たらたらな女のように扱わないで。私のことを思っている優しさは嬉しいけれど……腫れ物に触るようにされる方が、よっぽどつらいの。どんな話でも、私を信じて話してください」


――俺の考えが甘かったんだね。


他の女の子の話をしたら嫉妬して傷つくだろう、なんて単純なことしか頭になかった。

島村はそんな薄っぺらな人間じゃない。今までの付き合いでそれを知ってたはずなのに、目の前の気まずさに目が眩んで、彼女の本質を忘れてしまっていた。


視線を床から奥の備品タンスへ、そして窓の外の景色へと彷徨う。


ここまで覚悟を見せてくれているんだ…俺が黙り続けるのは、彼女の決意を無碍に踏みにじる行為でしかない。


ごめん、島村。


深く一呼吸置いて、俺はゆっくりと言葉を紡ぎだした。

「芝目さん、急に体調が悪くなったって。」


俺の言葉に、島村の胸元は静かに上下した。


「…はい。それで?」


「休みの間…実は、ずっと連絡取り合ってたんだ。ラインで通話して、勉強を教えたり、その後は何気ない雑談をしたり。あの子、緊張はしてたけど、俺のことを怖がるような様子は全然なかった」


楽しかった連休の記憶を思い返しながら、俺は努めて淡々と話し続けた。

彼女が見せてくれた変化が、俺と仲良くなってくれる証拠だと思って、本当に嬉しかった。


「今朝だって、話しかけてみたらまるで別人みたいに笑ってくれたんだ…」


島村は顔色一つ変えず、静かに俺の話に耳を傾けていた。

腕を組みなおして、先程の動揺は見えなかった。

ただ、その間ずっと彼女は彫刻のように不自然に固まっていた。


「でも、話しているうちに芝目さんの顔が青ざめて、教室を逃げ出したんだ。何が起こったのか、俺にはさっぱりわからなくて。一限目終わったら、担任から保健室で休んでるって聞いて……。昼休みに様子を見に来たときには、もう早退した後だった」


再び視線は、芝目が横たわっていたベッドに移った。


「……なるほどね。要するに、彼女のことを心配しているのね」


「まあ、そういうこと」


頷きながら床を見つめていた。

色々話したおかげなのか、肩が軽く感じる。

問題解決にはまだ至らないのに、不思議なことになんとかなりそうな気分になった。


「少しは楽になったようね」


「ちょっとかもね」


呆れた笑いが鼻から漏れてしまった。

意外と島村は平然としているようで、俺の心配が無駄だったらしい。

むしろ、最初から助けてって言えばよかったなとさえ感じていた。


島村はまたノートの方に目を落とし、何かカリカリと書き込み始めていた。

それを終えると、しばらくその手をノートの上に留めた。


「……それで」

視線をノートから離さず、島村は話を続けた

「あなたはどうしたいのかしら?」


結局そこに戻るんだよな。


「……わからないんだ。俺に何ができるか、まったく見当も付かない」


「そう…それはまたどうして?」


どうしてって…?


「そりゃ…なんでそうなったかわからないからさ」


「そうよね…だったら?」


……やけに刺々しく感じる言い方だった。


「えっと…もしかして怒って――」


「怒ってないわ」


「はい、すいません…」


また振り出しに戻ったみたいだ。

今度は明らかに不機嫌になった島村だけど、これはもうどうすることもできないんじゃないか?

相談しろって言ってきたのに、理不尽だよ。


「……変なところに頭が悪くなるわね、坂田。がっかりだわ」


「す、すみません」


「謝るぐらいなら、もう少し頭を絞ってみなさい。原因がわからない。それなら、問題を解決するにはどうすればいいのか、バカでもわかるでしょうに」


……いや、原因を探れって言いたいなら、最初からそう言ってくれたっていいじゃないか……。


思わず額に力を込めて島村を睨んでしまう。

けれど島村の表情は、不思議と微かな笑みになっていた。


「煽ってみるものね。ようやくあなたらしい目になったわ」


怒っているのかと思いきや、今度は笑って、また俺を弄っていると来た。忙しいな、この人。

喉まで出かかった文句をぐっと飲み込んだ俺は、島村が何かを促そうとしている気配を察した。それを待つまでもなく、彼女は語りかける。


「話を聞く限り、芝目のことはあなたにしかわからない。事実として、今彼女が心を開いて話してくれる相手は、あなたしかいないでしょう。何せ、他の誰かが声をかけるとすぐに身が縮こまる」

スッとシャーペンを動かしながら話すと、島村はまたこちらを向き直った。

「つまり…どうするべきかしら?」


なるほど…直接的な助言ではなく、俺に自分で解決するための手助け。

俺が彼女のことを思う気持ちも理解したうえで俺の覚悟も尊重し、二人も満足する形で解決を。


…かなわないな、島村。


「俺が話しに行って、悩んでいることを確認する。そしてできるなら、助けてあげる方法をさらに探る、かな?」


「あら、私が出る幕がなくなったわね」


島村はわざとらしく驚いた表情で口に手をかざした。

あざといよ。


言い返す言葉もなく、鼻で笑うしかなかった。


なんでここまでの人が俺のことが好きになってくれたのか、本当にわからない。

わからないけど、味方でいてくれるのは、とても心強い。


その代わり、何も返してあげられそうにないのは、ものすごく悔しい。


「さて、この件はもう問題なさそうだけれど、何か他にあるかしら?」


肩を竦めながら俺は返した。

「ないかな?今のところは自分で何とかできそうだ」


「それはよろしい」島村はページをめくって、さらに何かを書き込む。「では、本題に戻るわよ。まだあなたの睡眠状況を確認できていないわ」


診察の話に戻って、先程の冷静な医者の空気をまとった島村。

彼女が質問したのは休みの間の俺の就寝時間と起床時間。

それを正直に…何も考えずに時間だけ述べた。


深夜2時や3時に就寝、そして朝は7時とかに目が覚める。

もう少し昼まで寝過ごそうとしても、無慈悲に鈴子に叩き起こされる。


その情報は、再び彼女の神経に障ったらしい。


「早く寝るようにと言ったわね?」


「…すみません」


今日の島村は、今まで知ったなかで一番表情が豊かな気がする。


「……まあ、いいわ。連休中にあなたが夜更かしして『何』をしていたのか、わざわざ野暮な追及はしないでおいてあげる。でも、不眠はED治療にも大敵よ。仕方ないから、今日はこれを処方してあげるわ」


そう言って島村は、制服のポケットから自分のスマートフォンを取り出した。画面を少し操作すると、

「今からリンク送るから、リンク先のファイルを全部ダウンロードして」


「え?ファイルってなに?」


言うまでの間のなく、俺のスマートフォンが鳴りだした。

ラインを見ると、クラウドサーバーのファイルが共有されていることを理解した。それについて島村に聞こうとしたら、「とにかくダウンロードして」って一点張りだった。


仕方なく言われた通りにしているうちに、ファイル種類に気付いた。


「なにこれ…音声ファイル?」


自分のスマホにダウンロードしたファイルのフォルダー名には、『睡眠導入用・リラクゼーション音声』と素っ気ないタイトルがついていた。


「ASMRと言ってね。ホワイトノイズなどを聴くと体が自然と落ち着く効果があると聞いて、これさえあればあなただってすぐにぐっすり眠れるのではないかと」


「あ、ああ……ありがとう。でも、これいくらだった? 弁償するよ」


俺が尋ねると、島村は得意げにフンスと笑みを浮かべた。


「自作なのよ。素材とかは家にある物を使って録音したので、出費は一切ないの」


え、なにそれ? 普通そこまでやる……?!

予想外すぎる斜め上からの展開に、顎が落ちてパチパチと瞬きを繰り返した。そんな俺を余所に、島村はどこか満足げに筆記用具を片付け始める。


「とりあえず、これから毎日それを使って寝てください。宿題とかもあるでしょうから、必ず23時にはベッドで横になるように。そうしたらそれをかけてください。すぐに効果があるかはわからないから、一週間使った後の感想を聞かせてちょうだい」

「は、はい……わかった」


動揺が隠しきれないままファイル一覧を見る。驚いたことに、優に20件くらいは音源が入っている。


「試しに、今ちょっと聴いてもいい?」

「ええ、好きにどうぞ」


ファイル名はどれも、ただの番号と文字の羅列だった。たぶん録音した日時か何かの管理番号だろう。適当に一つ再生をして耳に近づけると、ポチポチ、プチプチとした軽快な音が響いた。


「バブルラップ――いわゆるプチプチの音ね。自分で潰す快感はないけれど、音だけでも十分にリラックス効果があるはずよ」


なるほど。また別のファイルを開くと、今度は何かを優しく擦り合わせるような、サラサラとした微細な音が聞こえてくる。


「それはイヤホンを使った方がいいわ。耳かきを模した音よ。左右で聞こえる位置が違うはずだから」


本当に本格的だな……と感心しながら、最後に、これまた適当に選んだファイルを再生してみた。

――そのとき、スマートフォンのスピーカーから、微かな寝息に似た音が耳をくすぐった。


『……んー……しゅくだい……終わったって……』


すごい……寝言まで入ってる。

ゆっくりと視線を画面から上げると、島村は顔を信じられないくらい真っ赤にして、目を見開いてこちらを凝視していた。


「そ、それは違う! 貸して!!」

「うわぁ! ごめんなさい!」


そこからの診察は一瞬で強制終了となり、俺と島村はそのあと、お互い無言のまま気まずく下校することになった。


結局、島村の処方箋(ファイル)は現場でいくつか消去されてしまったけれど、彼女が俺のために頑張って作ってくれた残りの「薬」のリストを、帰り道、俺は何度も見つめてしまう。


そして同時に、俺はふと思った。

芝目さんの悩みに効く「薬」――今度は俺が何とかして処方できるように、頑張らないといけないな、と。

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