春一番
連絡なしに長い間執筆を休んでごめんなさい。霧がかかったかのようにずっと言葉が出ないまま、休憩を入れてました。いろんなことを試しに手を出してみたら、いつの間にか半年近く過ぎてしまいました。
これからまた頑張って、この物語を最後まで書きたいと思います。私に見限らずずっと続きを待ってくださった方々、本当にありがとうございます。期待に添えるものを出せますよう、頑張ります。
明けた空の木曜日の朝、GWが終わった日を迎える。
休みと違い、朝は早くなった。
下に降りた時も親は見当たらない、いつもの平日の朝に戻った。
でも、そんな静かな朝でも、心が躍るように俺は舞い上がっていた。
昨晩は引き続き芝目と通話しながら宿題をこなしていた。
わからないことを教えて、学業のあとは軽く雑談をしてみた。
向こうからはあんまり話題を出せていないけど、その分俺の方から話しかけてみた。
話しに付き合ってくれる芝目の声を聞いた後に来る「おやすみなさい」は、安眠を約束してくれる音色だった。
芝目の声が尊い。ていうかかわいい…!
思い返すだけで何度もニヤついてしまう。
休み明けは気だるくなりがちだけど、今日は気分がいい。
清々しい気分のまま教室に着く。
そして入ると呆れてしまうものを目にしてしまうことになった。
死んだ魚の目をしている茂が俺の机に寄りかかって、歪な音を喉から鳴らしていた。
何こいつ、風邪か…?
試しに頬を突いてみると、喉の音が変わった。
押すたびに音程が変わる、まるで子供のおもちゃのようだった。
よし、こいつ元気そうだね。よかったよかった。
それ以上何も言わずに席にカバンを下ろすと、茂が身を回して重い視線を向けてきた。
「ねぇ…どうしたって聞かないわけぇー?」
「なんで?元気そうじゃないか」
「どこを見てそう思うんだよぉ……」
ふっくれ顔になりながら、目を擦る茂は身を起こした。すると顔を合わせて、いかにも不機嫌だったのかを見せるかのように顔をしかめる。
まるで俺が悪いとでも言わんばかりに。
…なんだよ…?
「こうなってるのあっきーのせいだかんな…」
俺が何をした…?
呆れそうになるのを堪え、俺は聞き返した。
「何があったんだ?」
「宿題してたんだよ…いろいろわかんないからあっきーに何度もLINEしてたんだけど、ずっと無視してくれてさ……」
…お?
全く身に覚えがなく、しばらくキョトンとしてたが、2日前からずっと芝目と付きっきりでLINEで宿題と勉強会をしてたことを思い出す。
もしやと思って携帯を確認する。
すると案の定、茂からの通知が10件もあった。
丁寧に10分刻みに、しかも通話も一通あった。
おほほ……やっべ…
画面から顔をあげると茂のしかめっ面が変わらず俺を睨んでる。
思わず冷や汗が背筋に込上がった。
こればかりは俺が悪い。
茂からの通知は2日前から夜に来ていた。どれも俺が芝目と通話しているタイミングと被っていた。
そしてその途中来る通知は確認もせず全部蹴っていた。それだけ俺は芝目との時間に夢中になっていた。
その事実を振り返ってしまうと、口が自分の意識に反して上がりそうだった。
お、抑えろ、俺……!
「ああ、その……ごめん」
「ふんっ!いいんだよ?もうあっきーなんか知らないから」
頬を膨らめて完全に拗ねてる。
こうなったら茂の機嫌を取り直すのは大変なんだよなぁ……
「あの…ほら、もう全部終わった?」
「終わったよ。あっきーの助けがなくても。めっちゃ大変だったかんな」
今度は全く目も合わせてくれなくなった。
よほど気にしているようだったけど、それが今は助け船になっている。
宿題の話になっているせいか、全部芝目との時間を連想させている。
記憶の度に胸が躍り、思わず口角が上がりそうになった。
無意識に手が口を覆うと、俺の動きに気づいた茂は癪に障ったようで眉の皺が深くなった。
「何笑ってんの、人の苦労が面白いんか……?」
「い、いや、違う!そんなことないよ」
いうことを聞け、俺の体…!!
俺の話を信じていないか、表情が不審なものに変わった。
あいつの人を探る挙動だ…!
「……そういや、あっきーが無視すんのって珍しいんだよなぁ…なにしてたん?」
特に何も。
そう口を動かしたかったのに、まともな声で回答できそうになかった。
心臓が速まり、耳までなんだか熱が上がってきている気がする。
尋問されている雰囲気が余計に夜の通話を頭にくっきりと引き出していた。
芝目の小さな声での質問。
説明された後に内容を理解したとき、述べた感謝の言葉。
勉強が終わって、通話を切る前に交わした「お休み」。
はっきり言って背中がムズムズする記憶だった。
俺が顔を逸らした後、じりじりと茂が横顔を伺ってくる。
怪しい人物を見る警官の目そのものだった。
バカながらも茂には人を読む力が妙にある。
下手すれば目を見るだけで俺が何をしていたか全部わかってしまいそうだ。
読まれる前に一度拳一発送るべきか…あたふたになった俺はついそんなことを思ってしまった。
あいつの次の一言でその考えを推してきているようにさえ感じてしまった。
「……まさか…お前」
そんな時、教室のドアが開いた。
その音が救いにも感じて俺はすぐにそこへと顔を向けた。
目に入ったのは顔を伏せていた芝目だった。
教室に入りドアを閉めると顔をこちらへと上げる。
目があった途端、彼女は小さく口元をあげてペコリと小さな会釈を送ってくれた。
まぎれもなく、挨拶だった。
何でもない仕草のはずなのに、時間がゆっくりと進むその時に鐘が鳴っているようにも感じていた。
静かな祝福の音。
そのままスッと彼女が席へと移ると、後ろの茂の圧が和らいだように感じた。
…別の意味でいやな感覚がする……
「ほほ~ん…なるほどなるほど~それなら仕方ないかな~」
茂はニヤリとして、目のクマが浮き彫りになるように目が細くなっていく。
めんどくさい…!
顔をあわせず、荒くなった声で聴き返す俺。
「な、なにがだ…」
「な~んでも?とりあえず、学校終わったらマック驕って話聞かしたら許そうかなって思ってるだけ」
「…飯だけにしてくれ」
「やだもん、美味しい話あるのに消化不良じゃないか」
すべてお見通しだ……こうなったら一層、記憶を消すしか…
正気が安定せず、俺は茂へ向き直る。
その動きに不信感を抱いたか、もしくは俺が拳を握っているからか茂は慌てて後ずさりながら手を前にあげる。
「ま、待って!冗談だって!暴力反対!僕が何を言おうとも別にいいだろう、仲良くなってんなら!」
そのテンパりに俺は一度息を取る。
そしてしばらく冷静になって考えると、自分に呆れてため息を吐いた。
バレたものは取り消せない。
むしろ、知られたからと言って、不都合なこととかあるんだっけ?
……いや、一応あるな。
三門に話して、二人係で俺を弄りまくる場面が容易に想像できる…
……もうどうにもなれ。
俺が何もしないことに気づいた茂は閉じていた片目を恐る恐る開ける。
視線がしばらく重なって、そのうちこいつ安堵の息を吐いて口を開けた。
「で、でさ…送った写真で話しできたの?」
「放課後にするって言ってなかったか、お前」
「ひゅー…女の子の話になったらすーぐ怒るねー」
困ったように眉間の皺を寄せる茂。
先程の不機嫌が嘘のように顔から消えていた。
俺と芝目の話がバレたのは癪でならないけど、とりあえず機嫌取りはしなくていいと考えればよかったかな…
妙に恥ずかしいのは変わらないけど。
「それにしても、あっきーがねぇ」
座り直した茂が芝目の方へ視線を置くと、微笑しながら何かと感心したような声を出した。
「な、何が…?」
「いや、ほら。1年もなんもしなかったからさ。とうとう一人前の男になって気になる子とお近づきになって、お兄ちゃん感心しちゃったよ」
「誰がお兄ちゃんだ……」
一応、こいつの誕生日は俺より先なので、間違ってはいない。
認めるのは断じて許せないが。
俺が突っ込むと、茂は軽く笑い流した。そして俺と視線を重ねて、いつもの調子のいい茂に戻った。
「まあまあ、そんなことよりせっかく仲良くなった女子なんだし、早く話に行って来い」
突然何を言い出してる…?
その疑問が顔に出たか、茂は間も置かずに立ち上がる。そして俺を芝目の方へと押し始めた。
「ちょ、ちょっとまて!どうなったらそんな話になる!」
「仲のいい男女が休み明けの朝に直接挨拶するのはお決まりなんよ!」
「いつからそんなお決まりになってんだ!」
「たった今から決まったんだ!わかったら、さっさと行け!」
止める気は無いらしい。
というより、強引な背中押しに抵抗すればするほど強くなっていく。
笑っている割に本気のようだ。
その場に留まろうとしても少しずつ足が前に出てしまう。どこでそんな力を身につけてんだ、こいつ!?
なんて内心に突っ込んでみるも、どこかあいつの言う通りと思っている俺もいた。
せっかく話す仲になったんだ。LINEも毎日やっているし、勉強会もしている。
あんなに人が苦手な芝目が、俺に挨拶もしてくれるようになった。
そんな彼女に、俺が気軽に話しかけないままでいると彼女に失礼だ…!
好きって決めた相手だ!
俺もちゃんとしないと!
「わ、わかったから、押すのやめろって!」
ヤケクソ半分に俺が言うと茂はニヒヒと笑って背中を叩いてきた。
「おっけー、それでこそ僕のあっきーだ!じゃ、がんば!」
後でこいつをしばくことを頭の片隅に取っておくとしよう……
向き直って、芝目を前にする。いざ自分から話そうとすると不思議と緊張が胸を締め付けてくる。
もう何度も話掛けに行ったのに、どれも用があっての話だった。
……いつもと変わらないはずなのに、どこか違う。
一息ついて、唾を飲み込む。
そして、何とか凍りついた足を床からひっぺがして俺は前へと進んだ。
芝目の方へ。
一歩の度、心臓が耳に脈打つ。
視界には彼女がプリントをカバンから取り出してる姿しか無かった。
それらを確認し、僅かに頬が緩むのが見えてくる。
宿題のプリントが、ちゃんと埋まっていることに対してだったのか。
俺と一緒に完成させた宿題に笑みを浮かべている、そう考えると背中にむず痒い感覚が再び走る。
なんでこの子がこんなに可愛いんだ…
俺が彼女に近づくことに気づいたか、芝目は顔を上げて俺の方を見る。
肩は――ビクつくこともなかった。
むしろ、それが穏やかに落ちて、同時に柔らかい顔で俺に顔を合わせてくる。
「あ、あの…お、おはよう、ございます」
肩を竦めて声も嚙みながらだけど、LINEでの声と同じようにはっきりした声だった。
直に聞くと一瞬鼓動が速まってしまった。
「お、おお…おはよう」
口をこじ開けて挨拶を返したものの、それからは頭が働かなくなった。
「……」
俺も芝目も視線が落ちた。
続かなかった言葉は重い沈黙をのし寄せてくる。肩に乗っかって、さらに空気を重くさせてくれるようだった。
や、ヤバイ…!
何の準備もなしに、用事もなく来たから当然だけど、話題がないのはこんなにつらいことだったのか…!
なんで茂に乗せられたんだ……
「あ、あの……えっと……」
いつの間にか小さな声が耳を撫でる。
「き、昨日も…ありがとう、ございました…その…わかりやすかったです」
思考停止していた俺は顔をあげて、まだ顔を伏せている芝目をじっと見つめた。
言葉が耳に入ったが、それを処理するまでは時間がかかっていた。
気が付けば、また気まずい沈黙が訪れそうだった。
早く何か言え、俺!
「あ、ああ…!別に大丈夫だ!」
縫い合わさった口が解いた感覚だった。
小さな進歩。
今までそうしてきたんだ。
軽い会話はあんまり深く考えるべきではないことにようやく俺は認識できた。
心臓がまだ速いままだけど、少なくとも俺は口を動かせると感じた。
「えっと…全部終わったんだっけ?」
「うん…坂田君のおかげで」
「そっか、よかった」
芝目が顔をあげて俺と目を合わせようとする。
そのまましばらく俺たちは黙り込む。
間の沈黙はまた生じたが、今度は重いものではなかった。
今までもあるような静けさだ。
外野の話声は俺たちの空間に環境音を飾ってくれるおかげか、一層この時は明るくも感じる。
俺たちは、ぎこちなくても会話をしていた。
それを理解した瞬間、口元が緩む。
それは芝目も同じのようだった。
お互いは言葉を交わさず、しばらく笑みを送り合った。
彼女の小さな笑みを見ると、心の中に俺はふんわりと感じた。
話掛けてみてよかったかも。
けど、人生とは甘いものばかりではないと、俺は知るようになるのだった。
居心地のいいこの瞬間に水を差すかのように、後ろから声がふらっと届いた。
「ねぇ、茂くん。坂田くんと芝目さんってさ……」
「ちょっと、声大きいよ…!」
ヒソヒソと話している女子と茂の声だった。
「え~?!坂田君と芝目さんが…!?」
「まじ?意外過ぎるんだけど…!」
「あの坂田君が芝目さんのことをかぁ…想像もつかなかったねぇ」
完全に面白がってるじゃないか…
てか聞こえないと思ってペラペラ喋ってるようだけど、全部聞こえてるよ、お前ら…!
キャッキャとあいつらが興奮して声を漏らしている最中に、的になった俺は徐々に顔が熱くなっていくのを感じる。
あー…来なければよかったかな…?
……いや、それだと、芝目に失礼なんだよな。
現にこんな風に彼女も笑っ……
――てない…?
あの子たちの声から意識を逸らそうと再び芝目に目を向けると、彼女はまた顔を伏せている。
目が見えないが、口元が妙に硬くなっているように見えた。
先までの色が、なぜか薄くなった気がする。
そんな様子に、俺の肝が冷えた。
「…芝目さん?大丈夫?」
咄嗟に言葉が出た。
彼女の様子が明らかにおかしかった。
屈んで顔を確認しようとしたとき、芝目は突然席から立った。
「ち、ちょっと…ごめんなさい…!お、お手洗いに…!」
俺が何か言い返すや否や、彼女は逃げるかのようにその場を去っていく。
そう…また怯える様子で、だった。
何が…あった…?
「あれ…?芝目さんどっか行っちゃった」
「やばっ、聞こえられちゃったかな?」
「ほら、声おっきいから恥ずかしくなっちゃったじゃん…!」
後ろから女子の声がまた耳に障る。
あの声が届くまで、芝目は何ともなかった…
そうと気づいた時に、俺はあの群れの方へ目を送った。
知らずに眉間に力を込めながら。
彼女たちと茂は皆一斉に手を合わせてこちらに謝罪してるかのように見せている。
そして俺はそれに対して溜息を吐いた。
……怒っても仕方ない…
あいつらには、悪気はなかった。
というより……激しい違和感が腹を締め付けてくる。
あの芝目の様子は…単に恥ずかしくて逃げただけはなかった。
何かもっと――根本的な何かに突き動かされていた。
だけど…この時にはそれが何かということを、俺は知るはずはなかった。
***
個室に駆け込んでから、どれくらい経ったのかわからなかった。
ただ、もうすぐチャイムが鳴ることだけは、頭の隅でわかっている。
便器に手をついたまま、何度も浅く息を吸う。
喉の奥が熱い。胸がきつい。胃の中身がせり上がってきて、唾を飲み込むことすらうまくできなかった。
耳の奥で、声が反響していた。
(あの芝目が…?)
(調子乗ってるよね…)
(また男子と一緒…)
(かわいいからってさ…)
(完全にビッチじゃん…)
記憶の片隅に押しやった声だったはずが、なぜか蘇る。
耳に障るほどの残響が彼女を囲い追い詰めているがごとく。
それが圧にも感じるように、肩が重くなっていった。
「……っ…!」」
こみ上げた吐き気に耐えきれず、芝目は身を折った。
次の瞬間、胃の中のものがせり上がってくる。
外から誰かの声がした気がした。
心配しているような響きだった。
けれど、返事をする余裕なんてどこにもなかった。
根付いている気持ちは、今もなお変わっていない。
上がる心拍数に対抗すべく彼女は胸元に手をギュッと握りしめた。
目から流れてくる涙は、ゆっくりと顔から落ちる。
もう変われたんじゃないのか?
もう治ったんじゃなかったの…?
食いしばりながら芝目はGWを思い出した。
坂田との連絡で、二人が交わした数々の言葉と、一緒に過ごした時間。
あれは確かに、人に対する恐怖を感じなかった。
むしろ、安心感さえ覚えていた。
だから治ったと、彼女は思い込んでいた。
流れ出る涙を拭く力もなく、彼女はそのままそこで崩れた。
自分に何が起こったかを理解できぬまま、そのうち扉が開く音と数人の心配する声に囲われる。
誰かに身を起こされた感触を覚え、その場を離れることになった。




