表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/39

無線の糸

家に上がっても、思考が回らないままだった。


スマホに浮かんだ芝目からの一言で、頭がいっぱいだった。

彼女の小さな声が重なって聞こえるかのように、ずっと再生し続けていた。


玄関を通るときに反射的に「ただいま」と口が動いたけど、それはまるで誰かが動かしたようにも感じてしまう。妙な夢を見ている気分だった。

食卓に座ってごはんを食べるときも、ずっとその調子だった。


「おーい。阿木にぃ、手止まってるよー」


隣から鈴子のかけた声で一度は我に返るけど、笑って見せた後すぐにまたぼーっとしてしまった。


ーーあの一言って…芝目はデートをOKしてくれたってことでいいのか…?


胸がざわめき、躍る。顔にはよじ登る熱。

頭はその先の想像で埋め尽くされて行く。


可愛らしい私服姿の芝目が手を振って俺を待っている映像。


春物の白いパーカー。

髪は少し揺れていて、俺を見つけた瞬間、

ほっとしたように笑う芝目。

駅前の人混みに沈まず、

ただ俺だけを見て手を振ってくる。


妄想が走り出すところにいる俺は座りつくすしかなかった。


お椀に当たる箸の音がかすかに耳に届くけど、それ以外の音は頭に入らない。

ポタっとごはんの塊がテーブルに落ちた。すると鈴子はとうとう我慢ならないようで頬を突いてきた。


「ちょっと!落とさないでよ」


…完全に俺が悪い。


しかし、俺がもごもごと謝ると、母はクスッと笑った。


「何かいいことあったんでしょうね」


「なにそれ?」


「さぁ? お兄ちゃんに聞いたらわかるんじゃない?」


笑みからして、見透かされているみたいだ。思わず熱くなった頬を掻いて落ちたごはんを口に運ぶ。

それにまた文句を言う鈴子に、今度は反応を見せないように顔を逸らした。何か聞いてきているようだったけど、一旦スルー。


まともな顔でいられない気がする。


父を見習ってくれ、鈴子…何も言わずにずっとご飯に集中してるぞ。


楽し気に俺と鈴子の反応を見ていた母はそのうちごはんに戻った。

鈴子に質問攻めをされながらごはんが終わると、すぐさま腰を上げた。


呼ばれた鈴子は母と一緒に皿洗いに行く。それを隙に俺は部屋へ撤退しようとした。

その時、父が呼び止めた。


疲れた目元ながら、顔に出る誇らしげな笑みに優しさを感じる。

理解のある顔だった。


「いい青春してるねぇ」


その言葉に、なぜか息が詰まった。

バレバレだったんだね。茂のいう通り。


***


枕を抱えながら、芝目はベッドの上でうずくまって座る。


晩御飯はいつものように食卓で静かに食べていたが、今夜は少し雰囲気が違っていた。

両親が相変わらず無言でいたが、どことなくぎこちなさがなかった。


母親となれば、顔にこそ出ていなかったが、柔らかな空気をまとっていた。

気が楽そうで、なんだか安心しているようだった。


父親は1年間気まずく目を合わせてこなかったが、何か気にかけていたかのように何度も芝目の顔をチラ見していた。

食事が終わるころ、ようやくその沈黙が破られる。


母親の一言だった。


「おいしかった?」


それに対して、芝目は会釈ではなく、言葉で応えた。

「……うん。おいしかった」


両親が顔を合わせた瞬間、食卓の空気がまた何段か明るくなったようだった。


何度か一緒に食べてきた。

けれど、その度は気まずい沈黙が続いていた。


言葉にせずとも、3人はそれに気づいていた。そして、今の変かにも、彼らは敏感に感じ取れている。


芝目が部屋に戻る際に、両親の声が廊下に漏れた。

そして芝目の耳に届くと、胸がくすぐったくなった。


「元気…なったね」


「ええ…」


心配をかけていた。それをずっとわかっていた。


気づいてもらえるほどの変化が、自分の中に起きていることが不思議で、同時にとても温かかった。


食事の味。

部屋の明かり。

空気の肌触り。

昨日までは拒むように遮断していた世界が、少しずつ違う色で見え始めている。


だから芝目は、ベッドの上にうずくまった。

緊張と、少しの怖さと、それでも確かに胸に宿るぬくもり。


いつまで続くのかと思っていた毎日が、ようやく少しだけ変わりはじめた。

そのように、彼女は感じていた。


その引き金となった理由はーー


芝目はそっとスマホに手を伸ばした。


何度も見返してしまうLINEの画面。

その名前を見るだけで、胸の奥がふわりと温かくなる。


小さく、息を吐いた。


スマホを握ったまま、枕とともに抱き寄せる。顔を埋めて、静かに息を吸い込んだ。

そして再び頭に浮かんだ。


ーー坂田君の声が聞きたい。


春のまだ肌寒い夜に芝目の手は未だに冷える。

スマホを握っても、それは変わらない。


ゆっくりと画面を覗き、坂田とのチャットに目がとどまる。

通話ボタンが直ぐそこ。


心のどこかは、指を後押ししている。

一息重ねるごとに、その音は重く耳に響いた。


反面に何かが彼女の指を止めている。


躊躇いが残っている。それはなぜかは、彼女にまだ解明できていない。

単純な緊張なのか…それとも過去に対する恐怖。


動かない指をそのうちそっと画面から外す。そしてまた溜息を一つ。

顔を枕に埋めて、しばらくそのままギュッと締める。


ーーその瞬間、通知音が鳴った。


驚いて肩をビクッとさせた芝目は反射的に画面を見る。

そして見開く。


坂田からの一通が届いた。


***


”じゃ、空いてる日とかある?どっか遊ぼう!”


勢いで送ってしまった。

送信ボタンを押した瞬間、心拍数が跳ね上がり、指先が震えた。

緊張で胸が苦しい。


スマホをベッドに置き、横になって目を閉じる。

ひと呼吸ついてーー


「……んがああ!?な、何やってんだ俺は!!」


頭を抱えて悶えた。

言ってしまった。

取り消すことはできる。でも既読はもうついている。


気の迷いでやっちまった。


いや……落ち着け。

向こうも前向きだったんだから、もしかしたら「はい」って返ってくれるかもしれない。

……ただ、“デート”って何すればいい?

楽しませられるのか?

そんな考えが次々に押し寄せ、後悔がじわじわ増してくる。


天井の染みを数え、一分待ってもスマホが鳴らないのを確認する。

既読はついているのに、反応がない。


やっぱり早かったのか……?


追伸を打とうと何度か文字を打つが、まとまらない。

そもそも今の一言から、どう繋げればいいのか全然わからない。


もし芝目が引いていたら……

返事に困っているんだろうか……


順調だったのに……俺は何やってんだ……!!


やけになってスマホを手から離そうとした瞬間、

画面が光った。


通知——芝目からだ。


心臓が跳ねる。


YesかNoか。

日程の話か。

どうしよう。


プランなんてないぞ俺。

どこに行けばいい? 調べるべきか?

そもそもデートってどこ行くんだ?

知識がねぇ……!


ふと三門の顔が浮かぶ。

あいつ、中学の時彼女いたって言ってたよな……。

相談したら案くらい出してくれるかもしれない。


……どのみち、これは審判の時だ。


息を飲み、震える指を画面に浮かせる。


鬼が出るか蛇が出るか——

すべては、この芝目の一通で決まる……!


ポチ。


”ごめんなさい”


空気が、一瞬で凍りついた。


沈黙が耳に痛い。

耳鳴りがじわじわ広がっていく。

腕が重くなり、動けなくなる。


頭に浮かぶのはただ一つ。


ダメだったか。


しばらくそのまま固まって、何か返そうかと頭を働かせる。

けれど指が動かない。


思わず食いしばって、無理にでも手を動かすーー


……すると、チャット欄がもう一度動いた。


”行きたいけど”


凍った空気に、細い亀裂が入った。

呼吸が戻る。


さらに、メッセージが続く。


”ごめんなさい”


さっきの謝罪とは違っていた。

“断り”ではなく、“葛藤”のある謝罪だった。


冷えた頭の中で、カチッと歯車が回る。


ああ……

そうだ。


あの子、まだ怖いんだ。

今までもずっと他の人と関わるのが難しかった芝目だ。休み前に一緒に帰るまでも、芝目の肩震えるぐらいだった。


ーーそれでもこうして、芝目が繋げてくれている。


バカだな、俺は。

彼女がどれだけ人のことを怖がっていたのか、わかり切ったはずだ。

なのに、舞い上がった瞬間その前提を忘れてしまった。


返すべきことばが決まっている。


”大丈夫だよ!芝目さんが好きなタイミングで問題ないから”

”いつでも言ってくれれば、合わせるよ”


送信した後、一気に緊張が解けたように息を吐いた。


俺の行動は、ある意味正解だったかもしれない。

行きたいと言ってくれているけど、早すぎると不安がる。

ペースを守らなければならない。


次のステップと言えば、たぶん学校で話し合いから始まるんだろうな。


今まで通り、宿題をやりながら距離を縮めよう。

そのうち一緒に出掛けるチャンスがあるはず。


瞼を閉じて息を整えた時にラインがまたなった。


”ありがとうございます”

”ちゃんと言います”


くすぐるような一言で、思わずふっと笑ってしまった。

素直でかわいい。


焦らせないように一言でも返そうか。


”いいよ!休みのあとでも全然大丈夫だからね”


これで良し、と。


デートは一旦お預けは少し残念だけど、同時に安心もする。

ノープランはさすがにヤバイ。


学校が始まったら、すぐに三門に相談してみようかな。


弄られないようにどう話を割りだすか考えているうちに、スマホがまた鳴りだす。

今日は結構話せるね。


ちょっとだけ彼女との寝る前のトークみたいで、嬉しい。

……今のはさすがに妄想が気持ち悪いな。


”休み明けですけど、宿題は終わりません”


芝目からの一通は、不安の文句だった。

課題も多かったし、ところどころ難しい内容もあったから、無理もない。

それを相談しに来てくれていると考えれば、心がまた躍る。


軽い指先が画面を滑る。


”多いもんね。わからないところとかあれば教えるよ”


今は勉学ぐらいしか力になれないけど、ここは全力で彼女を支えよう。

そう思ったとき、次の返信が俺を驚かせた。


”はい、お願いします”

”できれば、通話でも”


通話…


え、コール?


今?


ベッドの上で起き上がりながら、目が画面から離れない。

そこに映る文字を疑って、思わず目を擦る。

けど、読める文字が化けなかった。


”今?”


しばらくの間が続いて、そのうち返事が戻った。


”やはり迷惑でしょうか?”


飛び出るようにベッドから起き上がって机へ。指は早打ちに文字を書き込んだ。

”そんなことないよ!通話全然OK!”


プリントと教科書をすべて並べて、筆記用具を手にした。

海老名で疲れて宿題をやるつもりなかったけど、芝目のお願いで疲労がすべて吹き飛んで消えた。


準備が整って待っていると、しばらくスマホがならない。

おそらく向こうが緊張して、かけるのにためらっていたんだろう。


俺がかけるべきかとも思った。

スマホを手にして、通話ボタンに指を浮かせるまで行って、押そうとしたときに俺も躊躇う。

心の準備が必要かもしれない。


彼女も俺も。


これを機に、一度目を閉じる。

視界に広がるのは、学校で芝目と対面で勉強をしている記憶だ。

俺たちは休み前に何度かこのように一緒にいた。


躊躇う必要はない。今まで通り、芝目に勉強を教えるだけだ。

一呼吸を置いて、目を開ける。


そして親指をボタンにーー

ほんの刹那、画面が切り替わった。

まるで、向こうも同じ瞬間に指を伸ばしていたみたいに。


「あ」

『あ』


二人そろって驚いた声が漏れる。そしてしばらくお互いは黙り込んだ。

タイミングが絶妙過ぎて、逆に自分が気持ち悪い。

思わず顔が引きつった。


『あの…早かった、ですね…』


「んぐっ…!」


絶対に引いているよ、これ…

俺だったら引いてる。


返す言葉なく、喉からはうねり声しかならなかった。

沈黙はしばらく続いたが、不思議とそれは辛いような気まずさとは感じなかった。


気まずいけど、なんだか空気が軽い。


『あ、あの…坂田さん…すごい声ですけど、大丈夫…ですか?』


「ん…ごめん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけなんで…」


息がぴったりだったという事実が、自己嫌悪に勝っていた。

その思いが口が漏れるのは、お互いだった。


同じタイミングに同じボタンを押した。

俺たちの気持ちは、まるでシンクロしているようでおかしく感じた。

俺が短く笑い、それは彼女のクスッとした声と重なった。


「宿題、だったね?」


『はい。お願いします』


彼女が最初に話した科目は理科だった。

問題の一覧を読み上げると、それはどの問題かを俺は確認する。すでに埋めている問題なら、すぐに内容の説明に入るが、まだ解いていない問題は一緒に教科書とノートを見ながら解き始める。


ノートがない芝目に、時折自分のノートの写真を送って、それを頼りに彼女は自分で解く。


『ここ……たしか、説明してもらいました、よね』


「まあ、多かったから忘れても仕方ないよ」


軽い会話も弾んで、次々と問題欄が埋まっていく。


一時間が過ぎて、次の科目に俺たちは移る。

作業をやっているのに、不思議と疲れは感じない。

むしろ順調に進んでいるなか、どんどん力が沸いた。


彼女の声から、元気をもらっているような気分だ。


時計が12時を回っても、不思議と眠くなかった。

芝目は短く促すけど、大丈夫と答えたら短い笑いが届いた。


『ありがとう』


理科、数学、国語。

いつの間にか3科目の宿題を済ませてしまった。

さすがに体力を使ったか、気が散る。


紛らわすためにも、話題を振ってみると彼女は応えてくれた。


「今日さ、変な映画を見てなーー」


ヘッドフォン越しの静かな夜気が、彼女の息づかいと混ざる。

『面白そう、ですね。今度…見てみます』


一問の間にも、彼女から話題がこぼれる。


『昨日…散歩してましたら、近くにもお祭りありました…』


「へー!やっぱゴールデンウィークってイベントいっぱいあるんだね」


俺たちの勉強会はそのように静かな騒ぎで続いた。

深夜に続く俺たちの会話は、離れても隣り合っているように感じていた。


最後にはあと一枚だけ残ると、さすがに遅すぎている。


「もう2時になりそうだから、そろそろ寝ようか」


切り出したとき、彼女のちょっと震える声が間をおいてから届く。


『そうですね…』

それに続く言葉は、温かく優しい声で、ご褒美のようにも感じた。


『お休み、坂田さん。ありがとうございます』


その言葉は、夜の静けさの中で、どこか胸の奥にあたたかく残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ