挿話23 緑の排除者の覚悟
「ボクは個人的にシグリ様の婚約者として彼は良いと思います」
「どうして?」
「シグリ様は周りを気にしてご自身のことを疎かにしがちですから、逆にシュトックハウゼン家のことしか頭にない彼と一緒なら、二人で過ごしていくうちに丁度よくなるのではと」
アルフレッド様とそいつの会話を聞いた時、はりついた仕様の自分の顔の上で、痣が怒りの感情で痛むのが分かった。
何も分かっていない癖に、何もかも見透かしたように言って、結果的に周囲をぶん回すのは、いつもそいつだからだ。
少なくとも自分は、あのくそ鈍感馬鹿野郎が良い存在だとは,思えないし、気に食わないのだ。
あいつは、あいつ自身でも分かってる通り、人の感情を理解するのがど下手くそだから。無自覚に他人を引っ掻き回すから。
自分、シャムロック・トルンプフ・ヴァルダーは、
テレル・ドロッセル・レトガーという存在が大嫌いだ。昔からずっとそうだ。
***
「貴方はトランプフ家の血を引くもの、何があってもシュトックハウゼンの方々をお守りするんだよ。それが貴方の背負う宿命なのだから」
緑系統の16ある伯爵家のうち1つ、トランプフ伯爵家には昔からある役割を持っている。それは緑系統の長を務めるシュトックハウゼン家の方々を守ること。
地上最強であるあの方々を守るということを、幼い頃はあまり必要性を感じていなかった。
だいたい自分はヴァルダー侯爵家の人間で、母方のトランプフ伯爵家のことなんて関係なんていいと思っていた。
だが、そのシュトックハウゼン家の長女に、初対面で「あなたは、わたしとたたかえるの?」と、一瞬で距離を詰められて無邪気な笑顔を見せられた時に、そんなのはひっくり返った。
自分と同じ緑がかった灰色の瞳を持つ獣に引きずり込まれた。自分も同じ獣になれるあの快感は、何にも敵わない。飛んでくる蹴りも、拳の重さも、目で追えない速さも、全てが尊かった。
息切れぎれで地面に仰向けになったこちらを、「なかなかやるわね」と見下ろす一つ下の女の子の姿は、眩しかったし、美しいと思った。小さな自分より更に小さな彼女が放つ、力強さに圧倒された。
神秘的な暴君、天からこの世に与えられし力の獣、群れを率いる長、それが彼女だったのだ。
シグリ様の本質はこちら側よりだったのだ。少なくともどちらもなんかでは無かった。令嬢らしさなんて彼女はいらなかったのだ。
彼女が令嬢であることを選んだのは彼女自身の願いではない。彼女の立場的な強迫観念だ。彼女は、清く正しい令嬢でなくてはいけないと、幼少期から刷り込まれ続けられたからだ。
そもそも緑系統の上級貴族なんて、みんな本性は野生の獣だ。たまたま人間の形に生まれて、人間らしく振る舞ってるに過ぎない。
初代の緑の当主も、生粋の戦闘好きらしかった。戦闘狂と違うのは、殺すことや倒すことには興味が無く、強い相手と力をぶつけ合うことがすきだってことだ。
緑系統の人間が陸軍関係担当なのも、強いからだけではない気がする。戦闘に近い場所に、力を発散できる環境に居ないと、日常生活にストレスを感じて、暴走するか、弱るか、するからだと個人的に思う。
その大本であるシュトックハウゼン家の子女が、他の系統の令嬢同様、表面上は優雅でか弱い令嬢を振るまえって? 無茶難題にも程がある。
割れるティーカップを見る度に、元の素質と真逆なことをやれと言われてもそうなる、としか言いようが無かった。
そして、それを見て嘲笑ったり、不安がったり、批判したりする、弱い人間達を見て、愚かだと思った。
お前らなんか、こちらの相手にならないような存在なのに。お前らなんて一瞬でこちらはどうにも出来るのに、どうして我らを下に見ることが出来るのか不思議だった。たまたま、こちらの気が向かないだけなのにと思った。
だから、割れたカップを見ている彼女に対して、自分は「シグリ様のご威光にこの茶器は耐えられないのです。お外で手合わせいただけませんか」と声をかけていた。
だけど、そんなさなかに、テレル・ドロッセル・レトガーが現れた。
あいつが、金属製のティーカップを渡した瞬間、彼女は弱い人間社会の価値観を持つことを魅力に感じてしまったのだ。
それから彼女は、更に令嬢らしく振る舞うことに注力するようになってしまった。それはまるで、美しい獣が鎖と首輪が拘束されていく様だった。
本来は誰にも手に届かない位置にいるはずなのに、手の届く距離まで下りてきて、傷ついていく、疲弊していく彼女に歯がゆい思いをした。
テウタテスという輩が暴れまわっているのを聞いて、制圧しに行ったのを見た時に、ああこれがあるべき姿なのにと唇を噛んだ。
シグリ様、貴方は迎合しなくて良かったんですよ。
圧倒的な武力と、生命力の強さで、全て制圧してしまえばよかったんです。支配してしまって良かったんですよ。常識も、人間社会のルールも、貴族のルールも、全て超越してしまえばよかったんです。
自分はもっと貴方に欲しがって欲しい。我儘を言って欲しい。
そうして貰えば、自分はそれに幾らでも応える。周囲も応えさせるように矯正するのに。
令嬢らしさなんて捨て置いて、緑系統の人間として。シュトックハウゼン家の人間として、天に力を授けられし存在として、シグリ・レトガー・シュトックハウゼンとして上に立ってくれれば良かった。
それでも何も言えなかった。
彼女の選択を否定なんて、自分には畏れ多くて出来なかった。貴方が望むのなら自分は貴方の選ぶ道を否定しません。貴方がその道に挑戦したいのなら、こちらはそれを見守ります。貴方の歩む道も否定しません。貴方が望む道を意地でも作り上げます。
たとえそれが、己の望みとは、己の理想とは、真逆でも、貴方の視界に入る世界はそう矯正しましょう。
弱者を理解することが、弱者に共感することが、弱者に合わせることが、自分には必要ないと感じても、それは自分の見解であって、尊き彼女の意見ではない。
彼女の群れのトップとしての庇護欲が、優しさという人間のがちがちの理論に定義されても、誤差だとすればいい。
でも段々と弱る彼女を見て、それが正しいか分からなくなった。彼女の選択を肯定し見守ることが正解か分からなくなってきた。
そんな時だった………………テレルがあの方に休むように言った。
オリスも、テウタテスも、それがあって良かったと口にする。周りの大人もあの行動を肯定的に捉えた。皆、美談にした。
でも、自分だけは違った。
テレル、そもそもお前が、こちら側に侵犯しなければ、
お前が、あの時そちらに合わせることを肯定しなければ、
彼女がこんなに苦しむことはなかった。
傷なんかつくことはなかった。倒れることもなかった。
引き込んだ張本人が、簡単に止めろと言うのか。彼女自身に起こった結果だけ見て、忠告だけするのか。
それまでの彼女が、どれだけ自分に合わずとも、どれだけ上手くいかない自分に苦しんでも、令嬢らしさを得ようとしたのを、他の令嬢達の理想に応えようと努力したのを、お前は知っているのか? 知ったうえで止めたのか?
知らないだろ。お前は自分とその兄のことにしか眼中がなく、何も声をかけなかった。
シグリ様はきっと、お前に「頑張ってますね」「素敵ですね」って言ってもらえたら、大層喜んだろうに。そんなことを言わない奴だとは知っていたが、お前はそう言うべきだったのだ。
休めと言われた瞬間の、シグリ様の顔をお前は見ていないだろう。だから、平然としているんだろう。あの方は今にも泣きそうだったんだ。
テレル・ドロッセル・レトガーが大嫌いだ。
あいつはシグリ様の人生に本来関わることは無かった筈なのに、関わった上大きく変容させた。
誰かに声を差し出してしまうなんて、大衆のために自己犠牲をするだなんて、出会った頃の彼女なら絶対にしなかった。
彼女をそこまで弱らせたのは、あいつだ。
そんなことは無いと、彼女も周囲も否定するだろうが、あいつはいつだってきっかけだった。きっかけが無ければそれは起こらなかった。
そして、一番腹が立つのは、あいつはそれを特に意識もしていないということだ。何気なく声かけて、何気なく行動してるだけだ。
シグリ・レトガー・シュトックハウゼンの人生にとって、テレル・ドロッセル・レトガーは大きな存在なのに、
テレル・ドロッセル・レトガーの人生にとって、シグリ・レトガー・シュトックハウゼンの存在は大きくないのだ。
第三者である自分でも、それが分かるのだ。シグリ様は勿論、それを感じ取っていた。
感じ取っていたから、あの方はテレルに何も望まなかった。
我儘に彼女がテレルを望んだのなら、テレルが不相応でも本気でシグリ様を望んだのなら、
心が痛かろうが、茨の道だろうが、自分はそれを応援しただろう。叶える為に何でもしただろう。
そして叶えば、寂しさを心に抱えながらも、これで良かったのだと誇りをもって笑えただろう。
でも、現実は違った。
あいつが、シグリ様に心を動かされることは無かった。反対にシグリ様はテレルに心を奪われていつももがき苦しんでいた。奪ってる方は気づきもしない。
とどめに、己ではなく、こちらを名指ししてシグリ様に良いだろうと、雑談までする。
悪気はない。
ただ鈍く、シグリ様にそこまで興味が無く、客観的に色々な事情を踏まえて、あいつなりに正しいと思うことを答えただけだ。
だから、あいつのあの鈍さに関しては、責める人間はいない。
貴族や国家の常識を重視する奴から見たら、あいつのその鈍さは幸運ともいえるだろう。お陰で、シグリ様もテレルも世間から見た誤った道を歩まないからだ。
でも、自分だけはテレル・ドロッセル・レトガーを否定する。大嫌いだと確信する。
お前が、それを正しいと言うのなら、シグリ様はそれに従ってしまうんだ。
それが、彼女の堕ちた恋だから。その鈍感さと無自覚さ故に、残酷で無責任なあいつが、シグリ様を堕としてしまったのだから。
***
国立軍学校の武闘大会を見学して数日後、シグリ様は自分を呼び出した。
『シャムロック、私は貴方が思う程、立派な存在じゃないわ。貴方が一番でもないわ。だから……縁談の話を断っていいわ。貴方を幸せに出来ないもの』
「その理由なら断りませんね」
自分はきっぱりとそう返事をする。
最近、シグリ様と自分との婚約が、当人達の意見おいてけぼりで進んでいた。自分はずっと触れずに静観していた。選ぶべきなのは、自分ではなく彼女だから。
きっと彼女は、あの大会でのテウタテスの暴走や、エルラフリート・ジングフォーゲルとの接触によって、何か覚悟を決めたし、区切りもついたのだろう。だから、自分を呼び出した。
でも、覚悟を決めたのは彼女だけではない。
『何で』
「……貴方が強欲で我儘なことも、貴方の一番じゃないことも自分はとっくの昔から知ってましたよ」
異を唱えたこちらに、出せなくなった声で狼狽し問いかける彼女に、まっすぐに回答すれば、灰色の瞳が見開かれる。
罪悪感でひび割れたその顔を見るのは嫌で、ずっと自分は彼女のテレルへの恋心を気づかないフリをしていた。
だから、きっと彼女も安心して、こちらの感情を見ないフリをしてきた。気づいていたさ、ずっとな。
それでも現状を維持し続けた。彼女の望む世界を見せてあげるのが、彼女の望む世界を作り上げ維持するのが、自分の役目だから。
貴方が泣かないようにする為なら、貴方が苦しまないようにする為なら、幾らでも自分の思想もあり方も曲げてみせましょう。大嫌いなあいつの真似事をして、常識的で理性的なふるまいだってしてみましょう。そう生きていた。
でも、今日彼女が『立派な存在じゃない』『貴方が一番じゃない』と口にしたのは、見ないフリをやめたのだろう。だったら、自分はそれに応えるべきだ。
「それでも自分は、それだからこそ自分は、貴方のことを大好きです。貴方はあるがまま振る舞えばいいのです」
最初から、完璧で優しい令嬢なんてものは彼女に求めていない。
初めて出会った頃のように、心底楽しそうに、無邪気に、傍若無人に彼女には生きていて欲しい。
それが昔からの自分の望みだ。
以前までは、テレルが言ったような、シグリ様が願ったような、全部手に入れる道だって、納得はいかないが応援する気だった。
けれど、自分はもう――テレル・ドロッセル・レトガーに期待するのはもうやめた。
自分はもう、シグリ・レトガー・シュトックハウゼンがこれ以上、周囲の価値基準に合わせて、正しくあろうとするのを見たくない。自分の配下の醜態に対して、過度に責任を感じる彼女を是としたくない。
誰かが、シグリ様の素晴らしさを語るたびに、その裏で起こっている歪みが軽視され、彼女にその素晴らしさを固定化している現状が許せない。彼女の傍に居て、人の皮をなんとか被りながらも、『何が貴様に分かる』と、いつだって腸が煮えくり返っているのだ。
状況を飲み込めずにいる少女を見つめる。
「安心してください。あなたを幸せにするためにも、生涯をかけてでも、自分は貴方の一番になってみせますから。そしてそれは貴方じゃなくて、こちらがすべき努力だ」
自分が何も言わず静観していても、物事は悪化していくだけだし、口を出したとしても、テレルは変わらない。そう諦めがついた。
自分はね、シグリ様、貴方に、
間違っててもいいから、他の誰かを傷つけてでもいいから、無邪気に笑っていて欲しい。自由に生きて欲しい。
達観した、諦めの滲んだ笑顔も、綺麗だけど、見ていると苦しいんだ。
だから自分で、自分の好きな人を、自分なりに、守って幸せにする。そう、覚悟を決めた。




