鍵18 赤のバケモノの憤怒
『嫌い』という言葉の意味を知らない訳でもないよぉ。
俺の指に嚙みついたエルの意思も知っているよぉ。
それでも俺はエルが大好きで嫌う日は一生来ないし、かといって己の行動に何か悔いがある訳でもないんだよねぇ。
だって、エルに嫌われたって、カイ・キルマーという人物の検証は必要だものぉ。
俺はエルのことが大切だよ。
だからエルの言う『良い人』『優しい人』といった他人への評価、『大丈夫』『問題ない』といった自分の状態を示す言葉は信じないことにしてるんだぁ。
俺の目でそいつに危険性が無いか、エルの安全が確認出来るかしないと満足できないのぉ。
別に昔からそうだった訳じゃないんだよぉ。
エルの肯定的な言葉も信用出来るものならしたい。けれど、それは出来ないのだ。
エルは両親のことが大好きだった。いや、今でも好きなんじゃないかなぁ。
俺は自分の両親という生き物は別に好きではなかったし、母親に関しては殺しても殺し足らない存在だ。もう死んでいるけど。
けれど、昔はエルが自分の両親に関して語っている姿はとても幸せそうなものだから、好きだった。きっと良い人達だったんだろうなって思ってた。
「きょうはね、おかーさん調子いいみたいだからあえるんだー」
「じゃあ、今日は午後いっしょにいれないのぉ?」
「うん、今日はおかーさんと話すの」
そう言ったエルに俺は正直ちょっとムッとしたと思う。
俺や兄上よりおかーさんとやらを優先するのかと悔しく思った。
俺にとって兄上とエルが世界で一番大切なのに、エルにとっては俺や兄上が一番じゃないことが気に食わなかった。
「そうか、俺の部屋に茶菓子あった筈、あとでやるから、一緒に食べるといい」
「やったぁ、ふぇんりーる、ありがとう!」
俺より全然大人な兄上は、膝の上でそう喜ぶエルの頭を優しく撫でていた。
兄上は間違った行動はとらない。だから、俺も同じような対応をするべきなのだろうと必死に自分を言い聞かせた。
「久しぶりだもんねぇ。この前、剣の先生にほめられたこと話せばきっとエルのおかーさんよろこぶよぉ」
「うん、そうするね!」
どんなに悔しくとも、エルの笑顔が好きだったから。
エルをこんな幸せそうにするおかーさんとやらは良い人だろうと思い込んでいたから。
――だけど、ある日エルの後をつけて、扉の隙間越しに見聞きした内容は全てを覆した。
なんで、えるのおかーさんはえるのなまえをよんであげないの。
なんで、えるのおかーさんはエルのことを見てあげないの。
女の子の名前を呼ばないのははいりょってやつだと思ったんだ。
兄上が付けたみたいな新しい名前って奴なのかって思ったの。
でも、ラグエルってそれは違うじゃん。
その名で呼ばれた時の、エルの空虚な笑顔の横顔を忘れられない。
ショックを受けているのに、慣れきっていて、泣きそうなのに、否定したそうなのに、飲み込んで貼り付けたように無言で笑うのだ。
エルじゃないじゃん。それはもう他の人の名前だもの。エルと俺達の○○の名前だって聞いたよ。
というか、エルの両親がさ、ラグエルっていう名前を意識せずにエルっていう響きが入る名前を付けられる訳がない。
だって、彼らは忘れられないだろう。忘れさせてもらえなかったんだ。罪人だから。
もしかして背負わせようとしたの?重ねようとしたの?
違うじゃんっ。エルには関係ないよ!
お前たちのせいでエルはただでさえエルは沢山大変だし背負うものもいっぱいなんだよっ。
それなのにっ、これ以上背負わせようとしたの? 生まれた時から重荷を本人が知らない内に背負わせたのっ?。
戒めのつもりで自分達の子供にその名をつけたのか。
随分と迷惑な戒めだな。エルはお前らの道具じゃねぇ。
『ラグエル様、怒っても下さらないのですね……ええ、でも私達には謝罪することしか出来ないのですよ。ごめんなさい』
なんで、なんでよ。
誰にあやまってるの。誰とあやまってるの。
エルじゃないのくらい、おれでも分かる。目の前にいるのはエルなのに、エルじゃない相手しか見てないのが分かる。
お前が今一番謝らなきゃいけないのは、目の前の自分の子供だよ。
エルは、あんなにおかーさんが大好きなのに。
エルにあんなに愛されているのに。
エルのおかーさんは、エルのことを見てもくれないんだ。
過去にすがんなよ。死者にしがみつくなよ。あんたの目の前にいる子を見てよ。エルを見てよ。
ずるいよ。あんたは正気を失ってればいいけど。エルは、ずっと正気で歪んだ世界に立ち向かわないといけないんだよ。
良いおかーさんなんて、やっぱ物語上にしかいないんだ。俺らを害す、悪い女しかいないんだね。分かったよ……前と同じようにしよう。
――もうエルの一番になれないことは知ってる。
俺はあの時のエルの一番大切な存在を傷つけようとしたから。なれないよ。
でもよかったの、大事なエルを傷つける存在を許す俺なんて俺じゃないから。
それでもいいよ。それでも俺にとってエルと兄上が一番なのは変わらないから。
***
カイ・キルマーという存在は気に食わないけど、武闘大会でまあエルに危害を加える意図はないってある程度検証できたし、最悪すぐに消せる存在ではあるからしばらく放置のつもりでいた。
くっそ腹が立つけどね。
放置でエルとの関係が長く続くようだったらしかるべきタイミングで断絶するつもりでいた。
けど――俺ら以外にこんな断絶の仕方をされると流石に俺も気に食わないんだよね。
「ヘスス、悪いがもう一回報告を頼む」
兄上も流石に動揺したのか、役立たずのお目付け役にそう命じる。
「カイ・キルマーの記憶が神殿にて改竄されました。おそらく、赤と黄系統の人間に関しての記憶が全て抹消されました」
昔からこうだ。
天は赤の人間が嫌いで、青や紫、緑の人間が大好きだから。赤の人間を不幸にしたがる。
黄は多分偶然だろう。
にしても、記憶改竄とは流石に人外だ。
以前にもあったとは聞いてはいたが、俺達の世代でも起こるとは、天はよっぽど俺らが嫌いらしい。
兄上の言いつけで、エルも俺も神殿に行くのを急遽回避したのは正解だった。流石、兄上だ。
まあでも今回は、俺らが生まれる前にあったように、特定の人物の記憶がほぼ全国民から消されるレベルのことではなさそうだ。
そう、ほぼ全国民で、完全にではない。
どうして完全に記憶を消してくれなかったんだって生まれていない時期だろうが恨めしく思う。
ラグエルの記憶が完全に誰からも抹消されていれば、エルも現ウアタイル公爵も苦しむことは無かったのに。
でもそうなっていたら、俺と兄上がエルが出会うことは無かっただろうな。
ウアタイル公爵、ザミール様も忘れることを望んでないだろう。
やっぱり天は嫌いだ。
だって、いつも俺の大好きな人たちが傷つく世界を良しとするんだもの。
だから、天は信じないよ。
だから。俺は俺の力でエルと兄上を守るよ。
俺は絶対に裏切らないし、忘れないよ。
だって、エルや兄上が根本に無い俺なんて俺じゃないから。
「お前、神殿で記憶奪われたんだねぇ」
「へ?」
間抜け面、こんな面を俺に見せるくらいなら、あの試合の生意気な態度ですらまだましに思えてきた。
は? それって相当酷くない? この俺がそんなこと思う状況って歪んでる。
「だって、お前俺へのビビり方が甘いよねぇ。まぁ、俺の記憶なんてお前にあったってなくたっていいんだけどぉ」
俺に関する記憶だけなら、消えてくれて全然構わない。
だって、俺の記憶がこいつにあろうがなかろうが俺の行動も心も変わらないから。
「なんで、エルのことまでさっぱり忘れてやがんのぉ。俺に逆らったくせに天ごときに負けるんだぁ」
気に食わないねぇ。目の前の数か月前に啖呵切りやがった癖に忘れた根性無しも、
エルにこんな運命ばっか負わせる天とやらも気に食わねぇ。
なんで、天はこんなどこにでもいる平民の記憶をわざわざ操作しやがったんだ。
胸倉を掴んでいる対象、カイ・キルマーは俺の行動も言動も理解できないのか、藍色の瞳を瞬かせるだけだ。腹立つなぁ。
……まあ、こいつ自身は、エルの母親と違って、自分自身の能力どうこうじゃなくて、人外にいきなり記憶ぬかれたみたいだから多少は溜飲を下げてやる。
そして天の恣意性は確実にある筈だ。
カイ・キルマーという人物と、赤の人間が絡むことを天は拒んだ。
その情報は、俺の中のカイ・キルマーの価値を押し上げる。天が望む方向と真逆にしてやる。
反旗材料にしてやる。
でも、そんなことよりエルが心配だ。
忘却は人を傷つけるんだよ。
ここで第二章完結です。
読んで下さってありがとうございます。
第三章等については活動報告に詳細あります。




