中途半端な存在17‐2
校舎の医務室に行ったら、カイはそこにいた。
出入口がぶち壊されてるのを見て「何かあったのっ?」と、
それまで準備していたものとは違う言葉をぶつければ、普段三白眼気味になっている目を見張って、
「よぉ! エルおっそいじゃん。それなあオリス様が勢いあまってぶっ壊したんだよ!」
こちらの先程までのずっしりとした思いを吹き飛ばすような、軽快な口調で話しかけてくる。
それでも、彼の顔に傷や痣があるのも目にうつって、右手を胸のあたりで、自分の爪で手の内側を傷つけるんじゃないかってくらい握りしめる。
……オリス様が壊したのなら、出入り口もこの医務室もそんな警戒しなくてもいいかと思いつつも、五感に一瞬重きを置けば、普段の医務室からは感じ取れない匂いを複数嗅ぎ取る。
嗅いだことのある女物の香水が複数と、紙か何かが燃えたあとの匂い。禄でも無さそうな匂いが一つある。
しかし、カイは真顔で立ち止まっていたであろうぼくに、「おい、エルこっちこいよ」と自分のベッドの近くの椅子を叩く。
窓からの風と、その行動で、彼の手首に巻かれた包帯もあらわになる。
それで反射的にぼくが、謝罪の言葉を出そうとしたその瞬間だった。
「今回オレらすっげぇ頑張ったよな!」
食いつくように、彼はそう笑ったのだ。
日はもう先程沈んだ筈なのに。太陽がそこにあった。
あまりの眩しさと、事態と言葉の飲み込めなさに、ぼくは何も返事も、微動だも出来ない。
オレ『ら』、オレじゃなくて、なんで複数形なの?
君だよ、君しか頑張ってないよ。今回の件は君だけが頑張って、ぼくはむしろ君のことを巻き込んで引っ掻き回しただけなんだよ。
君だって、うすうすなんか自分が不自然にデアーグ達に絡まれてるの気づいてるでしょ。
そう、言いたい。言いたいけど、そんな無邪気な子供みたいな顔で笑われたら、ぼくはどうすればいいのか分からないよっ!
「おい、エル、話聞いてんのか?」
ムッとした顔でそう聞いてくるカイに、ぼくは若干腹立たしすらも感じてしまう。
聞いてるよ。聞こえてるよ。聞こえてるから、こんなに混乱してるんだよ。
「……今回、頑張ったの君だけでしょう」
「お前、相変わらずくっそ自虐的だな。ま、らしいけどな、お前も勿論頑張ってたよ」
唸るように出した本音をあっさり処理されて、
ここに来る前の、謝らなきゃとか、顔合わせらんないとか、でも感謝は絶対にしないととか、そういうのが吹き飛ぶ。
「ならっ、なんで…君だけがそんなボロボロになってるのさっ」
「エルだって怪我してんじゃん。大丈夫かそれ」
「これは目を覚ますために自分でやったんだよっ! ……君は、満身創痍になってる怪我人の自覚ある?」
「眠気覚ましの方法他にもあんだろ次からやめろよ」
震えるぼくの声に対して、カイは飄々とした態度だ。
「次からやめろってカイにだけは言われたくないよ!
なんでっ、なんでっ、ぼくの為に頑張っちゃったのさ!
なんで、君がそんなんにされなくちゃいけないのさ!
なんで、ぼくなんかのためにっ、君が傷つかないといけないのさっ!」
嫌なんだ。もう嫌なんだ。ぼくのせいで、誰かが傷つけられるのは、大好きな人が傷つくのは、もう嫌なんだよ。
ぼくは、ぼくはっ、大切な人には穏やかで平穏な世界で生き続けて欲しいんだ。
例え、その場にぼくはいなくても、ぼくがいて、ぼくのせいで誰かが傷つくより百万倍マシだ!
村のみんなも、シグリ様も、おかーさんも、デアーグも、フェンリールも、みんなぼくのことを大切にしてさ、みんなぼくのことを責めやしないんだ。その結果がみんな傷ついたり、傷つけたりしたんだ!
おかーさんが、ぼくを見なくなった時、すっごく寂しかったよ、すっごく悲しかったよ。それで少しほっとしたんだよ。すっごく悲しかったけど、ほっとしたんだよ。でも、ぼくが悲しんだのを見た子がぼくの為に行動したから、結局それすらも平穏に続かなかったんだよっ……。
カイまで、カイまでぼくに染まらないでよ。ぼくの為に身を捧げないでよ!
そんな焦りと恐怖の混じったぼくに、カイは軽やかに肩に手をおく。
藍色の瞳と目があった。
激情の塊であろうぼくに対して、その色はとても凪いでいたし、澄んでいた。
「エル、試合中にも似たようなこと言ったけど、別に今回のは全くお前の為じゃないとは言わないけど、お前の為だけじゃないぞ。オレは自分にも利があるからやった」
「り?」
よっぽど、ぼくが追い付いてないのが分かるのか、カイがニヤリと笑う。
ぼくの沸騰した感情が急に何かに気づいたかのように落ち着きだす。
なんか………………違う。
言ってることも、様子も、今までのみんなと、どっか違う。
「おうよ。
勿論、友達であるお前が苦しんでるのは嫌だろ。そこはお前と同じな。
でも、ずっと自分のことずっと情けねぇ奴だって思ってるのも、
周りに役に立たないくそ野郎だと思われっぱなしなのも、
なんか理不尽に絡んでくる貴族どもの言いなりになるのも、
オレは嫌だったから、反撃したんだよ。
こう並べると結構自分のプライドの為でもあんだよ。
普段俺はプライド低いから―とか言ってたくせに、面白れぇよな」
同意を急に求められても、肯定はすぐには出来ないよ。
内容を飲み込むので精一杯だ。
でも、彼が連ねる言葉たちを否定する気にもならない。
だって、彼は……自分のためでもあると言ったから。
ぼくだけの為じゃないって、言ってくれるから。
「まー、色々と起こりすぎて、混乱したり、ビビッたり、抱え込んだりして、無茶もしちまったよ。
……エルも怖がらせたし、他の奴にも怒られたし、悪かったな。
次はもうちょい良いやり方見つけて、人も頼って、自分の身守っていくからよ安心しろ」
照れくさそうに笑うカイ・キルマーという少年の存在に、ぼくは一気に肩の力が抜けていく。
喉にずしんとあったような重みが霧散して、息がしやすくなる。
ああ……そっか、ぼくはずっとみんなにそう言って欲しかったもんな。
ぼくだけじゃなくて、自分や身の回りの人間も大切にして欲しかった。そう言って欲しかったんだよ……それを今、他人の口から聞くことがやっとできた。
どうして君は、カイ・キルマーという平民の少年は、いつもぼくの欲しい答えを当然のことのように与えてくれるのだろう。
「でもよでもよっ、今回のオレ、ちょっと格好良かったろ!
オリス様にも英雄みたいだって言われたんだぜ! すごくね」
ああ、鮮烈だ。眩しい。まるでこの世を照らす太陽のようだ。
右手の平を胸にあて、口角を上げたまま大きな声で、藍色の目をきらきらさせて、子供のように自慢している友人の姿に、目を細める。
ぼくは君が弱いと思っていた。でも強いね、君は。
何よりも強くて鮮烈で優しい。物理的な話じゃないんだ。彼は本当の強さを持っている。
ねぇそんなの、
「格好良いよ。すっごくね」
「素直に褒められる前提で言ってねぇんだわ」
「恰好いいよ、ぼくだって君みたいな英雄になりたいもの!」
「あ、揶揄ってんな」
揶揄ってないよ。心の底からの本音だ。
ぼくは君のようになりたかった。
もう性根から違うんだろうけどさ。でも、君のような存在にぼくは憧れてしまう。
最初は表面的な面で、憧れていた。
平民で自由な思想を持っていて、交友関係広くて、普通な少年……昔からぼくがなりたかった存在だ。
でも関われば関わるほど、その内面にも憧れる。
その内面はゼーグくんの言うように普通なんかじゃないよ、特別だ。でも温かみのあるそんな特別にはむしろ憧れる。憧れて叶わないって思う。
ねぇ、君がぼくの立場に居たら、どれくらいの人が救われたんだろうか?
これからもぼくはきっと願っていなくても選択を間違って人を不幸にしていくんだ。
だけど君だったら、そんな選択を間違わないのだろう。
君にさ、ぼくはどうすれば良いのかなって弱音を吐きたい。でも君がぼくのことを知ったら苦しむだろうから言えない。太陽を曇らせる権利はぼくにはないんだ。
「なぁ、エル! 大会のペア誘ってくれてありがとな!
お前がいなけりゃ、どうしようもねぇって自分卑下して受け入れてばかりだった!
無理だってあきらめてたけど、お前がオレを連れ出してくれた!
だから、ありがとう!」
今だって、こんなにも救われてるんだ。
日の光さえも浴びることは許されないのに、こうやって彼の側に結局居続けることも甘えなのだから。
君が言うようなことを、ぼくは君にしてやれてないよ。君が自分自身で切り開いていったんだよ。
「ぼくの方が、君に感謝してもしきれないんだよ。君に貰ってばかりだよ」
「エル、どっちがじゃねぇんだって! よく分かんねぇけどどっちも救われてんなら、英雄いっぱいでいいだろってさ!」
「なにそれ?」
「オリス様の受け売りー」
でもさ、太陽自身が許してくれるんだ。
あのシグリ様だっていい友達ができたと笑ってくれたのだ。
良いだろ甘えたって。
「そっか……閉会式は欠席するって君の同室の子に頼んだよ」
「あ、忘れてた。ありがとな……ちなみにどこが優勝したんだ?」
「フェイスと緑の公爵家の子息のとこだよ」
「うおっ、やっぱフェイスちゃんとこか。なんつーか、流石って感じだな」
それにぼくがこの輝きを曇らせるようになったら、きっとこの光に救われた人々がぼくを倒してくれるから。オリス様もきっとその一人だろう。
カイ自身の輝きや強さだけじゃなくて、それに魅せられた存在も集まればぼくなんか目じゃないさ。
ぼくが抱える闇なんかより、彼が放つ光の方が強い。
だからほんの数年、ううん数年という長い間は日の光を浴びてたいんだ。
そんな暖かい日々の思い出があれば、ぼくはその後もなんとか正気を保っていられるから。
でも同時に思うんだ。
「オレ、試合の間にフェイスちゃんと話したけどよ。心が強ぇなって思ったもん……って、エル聞いてるのか?」
カイ・キルマーという平民の少年は、どうしてぼくみたいな存在に、ここまでして友達でいてくれるのだろうと。
ぼくという価値の低さ以外にも、カイ・キルマーの原動力がなにか分からないのだ。
カイはぼくのことで知らないことがたくさんあるけれど。
ぼくの方も、実はカイ・キルマーという人物のことを全然知らないのかもしれない。
「聞いてるよ。君のこと知りたいなって思った」
「それ聞いてねぇだろ、今、フェイスちゃんの話してたんだよ。
そんで、おれには別に隠してることなんてねぇし、見たまんまだぞ」
その藍色の瞳は、どこまでも深く揺らぎが無い。
彼は嘘を吐いてない。そんなことは分かっているのだ。
でもぼくは君を知りたい。
これまで、理想の平民の少年として見てきてしまっていたけど、
――カイ・キルマーという少年自身を、これからは見ていきたいと思ったんだよ。




