第9話「監督、立つ場所だけで勝てるんですか?」
福岡ユナイテッドのホームゲーム当日。
ロッカールームには、試合前独特の緊張感が漂っていた。
相川はホワイトボードの前に立ち、相手チームのフォーメーションを書き込んでいく。
「相手は4―4―2です。中央をかなり固めてくると思います。こちらがサイドにボールを出したところで、二人、三人と囲んでくる可能性が高い」
神崎たちは真剣な表情で聞いていた。
その横で、古賀は紙コップのコーヒーを飲んでいる。
「監督。何かありますか?」
相川が尋ねた。
「うーん……」
古賀はホワイトボードを見る。
そして選手たちを見た。
「みんな、近すぎんごとね」
「……以上ですか?」
「あと」
古賀が人差し指を立てる。
「困っとる人がおったら、助ける」
神崎が笑った。
「先生らしいですね」
「いつも言っとるやろ?」
白石も笑う。
「それで勝てるんですか?」
古賀は少し考えた。
「ちゃんと助け合えば、勝ちやすくなるんじゃない?」
相川は苦笑した。
「……まあ、そういうことにしておきましょう」
選手たちが笑った。
⸻
キックオフ。
開始直後、相手は予想通り中央を固めてきた。
神崎がボールを持つ。
相手MFが一人、寄せてくる。
すると白石が右へ開いた。
城戸は左のハーフスペースへ。
岩永は後ろに残る。
カルロスは最前線。
神崎が城戸へ。
相手MFが追う。
すると今度は白石が空いた場所へ入った。
「早い!」
スタンドから声が上がる。
だが、白石が速かったわけではない。
動き出すタイミングが早かった。
相手が動く前に、味方が次の場所へ移動している。
相川はベンチで呟いた。
「……ボールを動かしているんじゃない」
画面を見つめる。
「人の配置で、相手を動かしている」
隣にいた古賀が頷いた。
「そうたい」
「監督、分かって言ってます?」
「何が?」
「……いえ」
相川はため息をついた。
⸻
前半18分。
神崎が中央でボールを受ける。
白石が右へ広がる。
城戸が中央へ入る。
相手の守備が右へ寄った。
神崎が城戸へ。
城戸はワンタッチで前へ。
その瞬間――カルロスが中央へ走り込んだ。
「カルロス!」
城戸のスルーパス。
カルロスが抜け出す。
GKと一対一。
右足を振り抜く。
ゴール!
「入ったぁぁぁ!」
スタジアムが沸いた。
カルロスは一直線にベンチへ走ってくる。
「センセイ!」
古賀も立ち上がる。
「いいところにおったね!」
「イイトコロ!」
カルロスは満面の笑みで古賀と抱き合った。
神崎も笑っている。
「先生、今の『いいところ』って、ポジショナルプレーですよね?」
「そうなん?」
「そうなんです!」
「じゃあ、いいところにおったカルロスが偉い」
「そこですか!」
ベンチが笑いに包まれた。
⸻
一方、相手ベンチ。
監督がホワイトボードを見つめていた。
「……なぜだ?」
スタッフが答える。
「こちらが一人動くと、必ず別の選手が空いた場所に入っています」
「誰か一人が自由に動いているように見えるのに、全体が崩れない……」
相手監督は首を傾げた。
「何をやっているんだ、あのチームは……」
⸻
前半30分。
相手のプレスが強くなった。
神崎が一度ボールを下げる。
岩永が受ける。
相手FWが寄せてくる。
古賀がベンチから叫んだ。
「もっと広がろう!」
「はい!」
白石が外へ。
城戸も少し下がる。
神崎が中央へ。
岩永から神崎。
神崎から城戸。
城戸から白石。
ボールが次々に動いていく。
相川は思わず立ち上がった。
「5レーン……」
そして古賀を見る。
「監督、『広がれ』しか言ってないのに……」
古賀は不思議そうな顔をした。
「広がったほうが、パスしやすいやろ?」
「……そうなんですけどね」
⸻
後半。
福岡ユナイテッドの動きは、さらに良くなっていた。
神崎がボールを持つ。
前に城戸。
右に白石。
左に味方。
後ろに岩永。
前線にはカルロス。
どこへ出しても、必ず誰かがいる。
相手が神崎に寄れば城戸が空く。
城戸に寄れば白石が空く。
白石に寄れば神崎が中央へ入る。
相手が迷えば、カルロスが裏へ走る。
「どこでも出せる!」
神崎が叫んだ。
城戸が受ける。
白石へ。
白石から神崎。
神崎がカルロスへ。
カルロスがワンタッチで落とす。
そこへ城戸。
「打て!」
右足一閃。
ゴール!
「2―0!」
城戸が拳を握る。
「やった!」
古賀はベンチから大きく拍手した。
「ナイスたい!」
城戸が振り返る。
その顔には、以前のような迷いはなかった。
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そして後半38分。
相手が前がかりになった。
福岡がボールを奪う。
白石が右サイドへ走り出した。
持ち前のスピード。
一気に加速する。
相手DFが追う。
だが白石は、以前のように自分だけでゴールを狙わない。
中央を見る。
カルロスがいる。
神崎も上がっている。
白石はさらに走った。
相手DFを二人、引き連れていく。
そして中央へパス。
カルロスがスルー。
後ろから走り込んだ神崎がシュート。
ゴール!
「3―0!」
スタジアムが揺れる。
白石が古賀のもとへ走ってくる。
「監督!」
「ん?」
「俺、ちゃんと仲間のために走れました!」
古賀は笑った。
「うん。いい走りやった」
「ありがとうございます!」
「速いって、よかね」
白石が笑う。
「はい!」
「でも、一人で速くても困るけんね」
「……はい!」
「仲間を助けるために使ったら、もっとよか」
白石は大きく頷いた。
⸻
試合終了。
福岡ユナイテッド、3―0。
スタンドから大歓声が起こる。
選手たちは互いに肩を叩き合った。
クラブハウスへ戻ると、相川は試合データを確認していた。
「ボール支配率、パス成功率、前進回数……かなり高い」
神崎が画面を覗く。
「すごいですね」
「でも、一番すごいのはここだ」
相川が試合映像を止める。
そこには、神崎がボールを受ける直前に、白石と城戸がすでに次の場所へ動いている場面が映っていた。
「ボールを受けてから考えてない」
相川が言う。
「受ける前に、次の場所を作っている」
神崎が頷いた。
「ウォーキングサッカーで分かったんです」
城戸も続ける。
「走れないなら、先にいい場所にいればいい」
古賀が笑う。
「そうたい」
相川が古賀を見る。
「監督」
「ん?」
「今日、ポジショナルプレーで相手を完全に崩しましたよ」
古賀は少し考える。
「……みんな、ちゃんと広がったけんね」
「それだけですか?」
「それだけたい」
相川は笑った。
「やっぱり、この人はすごい」
⸻
その時だった。
クラブハウスの外から、太鼓の音が聞こえてきた。
カチカチカチカチ――。
小柳が顔を出す。
「監督!」
「ん?」
「そろそろですよ!」
古賀がニヤリと笑う。
「おう」
そしてポケットから――そろばんを取り出した。
神崎が頭を抱える。
「先生……」
白石も笑う。
「やっぱりやるんですね」
カルロスはすでにノリノリだった。
「ソロバン!」
古賀が叫ぶ。
「勝ったけん!」
選手たちが一斉に並ぶ。
音楽が流れる。
カチカチカチカチ。
古賀が踊る。
神崎も踊る。
白石も。
城戸も。
岩永も。
カルロスは誰よりも激しく踊っている。
「ソロバン!」
「ソロバン!」
スタンドのサポーターまで手拍子を始めた。
小柳はその光景をスマートフォンで撮影しながら笑う。
「またSNSでバズる……」
相川は踊る選手たちを見ながら呟いた。
「ポジショナルプレーで3―0の完勝をしたチームが、試合後にそろばん踊り……」
古賀が振り返る。
「相川くんも踊る?」
「私は結構です!」
「そうねぇ」
古賀はそろばんを鳴らす。
カチッ。
「じゃあ、俺らだけで楽しもうか」
スタジアムに笑い声が響いた。
その日、福岡ユナイテッドの選手たちは確信した。
立つ場所が、仲間を助ける。
そして――
仲間を助けることが、チームを強くする。
古賀にとっては、それだけの「普通のこと」だった。




