第8話「監督、高齢者とサッカーするんですか?」
ユナイテッド・ベビールームが地域の名物になってから、しばらく経った。
クラブハウスには、以前よりも多くの地域住民が訪れるようになっていた。
子ども連れの家族。
野菜を買いに来る人。
選手と話をする高齢者。
福岡ユナイテッドは、少しずつ地域の中に溶け込んでいた。
そんなある日のこと。
クラブの会議室で、小柳が一枚の資料を机に置いた。
「社長、今度はこんな相談が来ています」
「また何かあったのか?」
東山が資料を見る。
そこには、地域の高齢者から寄せられた相談が書かれていた。
『最近、外に出る機会が減った』
『運動したいけど、普通のスポーツは激しくて難しい』
『みんなで楽しく体を動かせることをやってほしい』
古賀も横から資料を覗き込む。
「運動不足かぁ……」
神崎が言った。
「ウォーキングとかじゃダメなんですか?」
「ウォーキングもよかね」
古賀は少し考えた。
「でも、ボール使ったらもっと楽しいんじゃない?」
白石が嫌な予感のする顔をした。
「……監督」
「ん?」
「まさか……」
古賀は笑った。
「ウォーキングサッカー、やってみようか」
「やっぱり!」
クラブハウスに笑い声が響いた。
⸻
数日後。
福岡ユナイテッドの練習場に、地域の高齢者たちが集まった。
「サッカーなんて何十年ぶりかね」
「私はボールなんて蹴ったことないよ」
「転ばんやろうね?」
少し不安そうな声も聞こえる。
古賀は笑顔で説明した。
「今日は無理せんでよかけんね」
そして、ルールを説明する。
「走らない」
「はい」
「強くぶつからない」
「はい」
「ボールを蹴り上げすぎない」
「はい」
「そして、一番大事なのは――」
古賀が笑う。
「楽しむことたい」
選手たちも並んで話を聞いていた。
古賀が振り返る。
「今日は、おじいちゃん、おばあちゃんにサッカーを教える日じゃないよ」
神崎が首を傾げる。
「じゃあ、何をするんです?」
「一緒に遊ぶとたい」
その言葉に、高齢者たちから笑い声が起こった。
⸻
ゲームが始まった。
もちろんプロ選手たちにとって、ボールを扱うこと自体は簡単だ。
ところが――。
「走ったらダメたい!」
「分かってます!」
白石が必死に歩いている。
「これ……めちゃくちゃ難しい!」
普段なら一歩で追いつけるボールにも、走ってはいけない。
カルロスも苦しそうに歩く。
「センセイ!」
「ん?」
「ハシリタイ!」
「今日は歩く日たい」
「ツライ!」
高齢者たちは、その様子を見て笑っている。
「プロの選手でも走れんと難しいんだね」
「そうたい」
古賀も笑った。
だが、しばらくすると別の問題が起きた。
ボールを持った神崎の周りに、白石、城戸、カルロスが集まっている。
「神崎くん、こっち!」
「白石、そこじゃない!」
高齢者から声が飛ぶ。
神崎が周りを見る。
「……あ」
味方が近すぎる。
パスを出そうとしても、すぐ横に味方がいる。
古賀が笑った。
「ほら」
選手たちが古賀を見る。
「みんな近くにおったら、ぶつかるやろ?」
白石が苦笑する。
「いつもの監督のやつですね」
「そうたい」
古賀はコートを指差した。
「ちょっと広がってみ」
選手たちが少しずつ離れる。
「ボール持っとる人の近くに、みんな集まったらどうなる?」
城戸が答えた。
「パスする場所がなくなる」
「そう」
「でも、離れすぎたら?」
「助けられん」
神崎が続ける。
「じゃあ、近すぎず、遠すぎず?」
「そうたい」
古賀は笑った。
「お互いが助けられるところにおる」
相川が、思わず小さく呟いた。
「……ポジショナルプレー」
古賀が振り返る。
「ん?」
「いや……なんでもありません」
⸻
もう一度、ゲームが始まった。
今度は選手たちの立ち位置が変わった。
神崎がボールを持つ。
白石は右へ。
城戸は中央へ。
岩永は後ろに残る。
神崎から城戸へパス。
城戸が白石へ。
「おお!」
高齢者たちから歓声が上がった。
白石がボールを受ける。
しかし、走ることはできない。
「うわ、ここで走れたらなぁ!」
白石が歩きながら笑う。
古賀が声をかける。
「走れんけん、先に考えんといかんやろ?」
「……なるほど」
白石が周りを見る。
自分が動く前に、味方がどこにいるのかを見る。
城戸が空いている。
神崎もいる。
岩永も後ろにいる。
白石がボールを出す。
「ナイス!」
高齢者から拍手が起こる。
相川はホワイトボードを持ったまま、動きを見つめていた。
「走力で解決できないから、立ち位置と判断で解決している……」
古賀が横から言う。
「そうたい」
「……監督、これを狙ってました?」
「何が?」
「いや……」
相川は苦笑した。
「やっぱり何でもないです」
⸻
休憩時間。
選手たちは高齢者たちとベンチに座っていた。
「昔は私もサッカーやってみたかったんだけどね」
「うちの息子が昔、サッカーしよったとよ」
「孫が今、サッカーやってるんです」
神崎たちは笑いながら話を聞いていた。
カルロスも片言の日本語で尋ねる。
「ミンナ、サッカー、スキ?」
「好きよ」
「ワタシも!」
高齢者たちが笑う。
「カルロス選手は本当にサッカー好きなんだね」
「ハイ!」
カルロスは胸を張った。
そこへ古賀が飲み物を持ってきた。
「水分とって、無理せんごとね」
一人のおじいさんが古賀を見る。
「監督さん」
「はい?」
「次もやってくれるね?」
古賀は笑った。
「もちろんたい」
「約束よ」
「約束たい」
⸻
最後のゲームが始まった。
今度は、最初とは全く違っていた。
「こっち空いとるよ!」
「ゆっくりでいいよ!」
「ナイス!」
「ありがとう!」
高齢者も選手も、自然に声を掛け合っている。
誰かがボールを失えば、近くの人が助ける。
誰かが困っていれば、別の人が動く。
走っている人はいない。
それでも、コートの上では人が絶えず動いていた。
そしてゲーム終了。
拍手が起こった。
「楽しかった!」
「またやろう!」
「次はもっとパスしたいね!」
一人のおじいさんが古賀のところへ歩いてくる。
「監督さん」
「はい」
「久しぶりに、こんなに笑ったよ」
古賀は少し照れたように笑った。
「じゃあ、また来週やろうか」
「ぜひ!」
その返事に、周りからも声が上がった。
「私も!」
「次も来ます!」
古賀は嬉しそうに頷いた。
⸻
練習後。
クラブハウスに戻った相川は、ホワイトボードに今日の選手たちの動きを書いていた。
「走れない状況では、選手たちは自然と立ち位置を調整した」
神崎が後ろから覗き込む。
「先生の言ってた『広がって助け合う』って、こういうことだったんですね」
古賀は不思議そうな顔をする。
「いつも言っとるやろ?」
「そうなんですけど……今日は、体で分かった感じがします」
白石も頷いた。
「走れないからこそ、どこにいるかがめちゃくちゃ大事だった」
城戸も続ける。
「ボールを持ってから考えるんじゃなくて、その前に場所を考える」
相川が古賀を見る。
古賀は少し考えた。
「そうたい」
そして、選手たちを見回す。
「サッカーは、走る競技じゃないよ」
全員が古賀を見る。
「みんなで助け合う競技たい」
相川は無言でホワイトボードに大きく書いた。
『立つ場所が、仲間を助ける。』
その横には、小さくこう付け加えた。
ポジショナルプレー。
古賀はそれを見て首を傾げる。
「難しい名前つけるねぇ」
「監督……」
相川が苦笑する。
「これ、世界中の監督が難しい言葉で説明していることですよ」
「そうね」
古賀は笑った。
「でも、みんなが分かれば、それでよかろ?」
相川は黙って頷いた。
その日から、福岡ユナイテッドの選手たちは、ボールだけではなく――仲間の立っている場所を見るようになった。




