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田舎の農家のおっさん、Jリーグの名将になる  作者: やしゅまる


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2/16

第2話「少年団の監督が、プロの監督?」

福岡ユナイテッドのクラブハウス。


 朝からスタッフが集まり、重苦しい空気が漂っていた。


「……田主丸FCの監督?」


 社長の東山恒一が、手元の資料を見つめる。


「はい」


 神崎蓮が答えた。


「古賀誠一。四十四歳。現在も農業をしながら、少年サッカーの指導をしています」


「プロの指導経験は?」


「ありません」


「Jリーグでの実績は?」


「ありません」


 東山は頭を抱えた。


「……本当にこの人を監督にするのか?」


 隣に座るヘッドコーチの相川真司も、資料を見ながら口を開く。


「神崎選手。気持ちは分かります。ただ、J2ですよ。少年団とはプレッシャーも、選手の能力も、試合のスピードも違います」


「分かっています」


「なら、なぜ?」


 神崎は迷わず答えた。


「先生だからです」


 相川は黙った。


 神崎が一枚の資料を差し出す。


「これを見てください」


 そこには、古賀の教え子たちの名前が並んでいた。


 黒田翔――J1、日本代表。


 大石悠真――ドイツ1部、日本代表。


 宮原蒼――J1正GK。


 そして神崎自身。


「……全員、同じ少年団?」


「はい」


「同じ監督に?」


「古賀先生に育ててもらいました」


 東山が資料を見直す。


「偶然……なのか?」


 神崎は首を横に振った。


「俺は、そう思いません」



 翌日。


 福岡ユナイテッドのクラブハウス前に、一台の軽トラックが止まった。


 降りてきたのは、作業着姿の男。


「……ここでよかとかな」


 古賀誠一だった。


 周囲を見渡す。


「すごかねぇ……」


 その姿を見たスタッフが、一瞬固まった。


 どう見ても監督というより、農作業の途中で立ち寄った農家のおじさんだった。


「先生!」


 神崎が駆け寄る。


「おう、蓮」


「来てくれたんですね」


「そりゃ来るたい。話ば聞くって言ったけん」


「緊張してます?」


「しとるよ」


 古賀は笑った。


「プロのクラブなんて初めて来たけん」



 ロッカールーム。


 選手たちが並んでいる。


「この人が新監督……?」


「少年団の監督って聞いたけど」


 小さなざわめきが起こる。


 ベテランの岩永恒一も腕を組んで古賀を見ていた。


 古賀は選手たちの前に立つ。


「古賀誠一です。今日からよろしくお願いします」


 頭を下げる。


 そして、少し間を置いて言った。


「最初に言っとくけど、俺はプロの監督をしたことがない」


 選手たちがざわつく。


 古賀は続ける。


「でも、サッカーが好きなのは負けんよ」


 何人かの選手が笑った。


「まずは、みんなのことを知るところから始めたい」


 古賀は選手一人ひとりの顔を見る。


「よろしくお願いします」



 午後。


 初めての練習が始まった。


 相川がチームの課題を説明する。


「現在の問題は、相手のプレスを受けた際にボール保持者が孤立することです」


 古賀は首を傾げる。


「つまり、ボール持った人が困っとるってこと?」


「……まあ、簡単に言えばそうです」


「じゃあ、助けてあげればよか」


 相川が少し黙る。


「それを、今からやってみよう」


 古賀は選手たちを集めた。


「三対三でやってみようか」


 練習が始まる。


 白石健太がボールを持った。


 相手が一人、さらにもう一人と寄せてくる。


「白石!」


 古賀が叫ぶ。


「今、敵は何人来た?」


「二人です!」


「じゃあ、どこか空いたね?」


 白石が周囲を見る。


「……あっち?」


「そう!」


 古賀が指差す。


「そこに走って!」


 味方が空いた場所へ走る。


 白石がパスを出す。


 ボールが通った。


「ナイス!」


 古賀が拍手する。


「敵が白石のところに二人来たけん、別の場所が空いたやろ?」


 選手たちが頷く。


「敵がこっちに来たら、あっちが空く」


「だから、空いたところを使う」


 古賀はそれだけ言った。


 相川が黙って見ている。



 次のプレー。


 今度は味方全員がボールの近くに集まった。


「ちょっと待って」


 古賀が笛を吹く。


「みんな近すぎるよ」


 選手の一人が尋ねる。


「近い方が助けやすくないですか?」


「そうやね」


 古賀は頷く。


「でも、友達が転んだ時に、みんなで一人を助けに行ったらどうなる?」


「……人がいっぱいになる」


「そうたい」


 古賀はグラウンドを指差す。


「助ける人は一人か二人でよか」


「他の人は広がろう」


「広がったら、相手も広がらんといかんやろ?」


 選手たちが動く。


「そうそう」


 古賀が笑う。


「みんなが広がったら、相手も困る」


 相川は思わず戦術ボードを見る。


 幅。


 サポート。


 相手を動かす。


 数的優位。


 スペースの創出。


 古賀は、それらを一度も専門用語で説明していない。


 それなのに選手たちは理解している。



 練習後。


 相川は古賀の隣に立った。


「監督」


「ん?」


「今の指導……」


「うん」


「相手を動かして、空いた場所を使う。味方が広がることで相手を広げる。そしてボール保持者には近くのサポートを一人置く」


「そうたい」


「……全部、つながっていますよね?」


 古賀は不思議そうな顔をする。


「そりゃ、サッカーやけん」


「……」


「鬼ごっこと一緒たい」


「鬼ごっこ?」


「鬼をこっちに連れてきたら、あっちが逃げやすくなるやろ?」


 相川は言葉を失った。


 古賀は笑っている。


「サッカーって、そんな難しくないよ」


 相川は心の中で呟いた。


(この人……)


(戦術を知らないんじゃない)


(知っていることを、全部簡単な言葉にしているのか?)



 そこへ岩永がやってきた。


「監督」


「ん?」


「俺たちはプロです」


「うん」


「少年団と同じやり方で、本当に勝てるんですか?」


 古賀は少し考えた。


「……分からん」


 岩永が目を見開く。


「俺はプロを教えたことないけん」


 選手たちの間に沈黙が落ちる。


 しかし古賀は笑った。


「だから、みんなで強くなろう」


 岩永は何も言わなかった。


 ただ、少しだけ古賀を見る目が変わった。



 練習終了後。


「じゃあ、今日は早く寝てね」


 古賀が言う。


 白石が笑う。


「監督、それ戦術ですか?」


「戦術より大事たい」


「え?」


「ちゃんと寝る」


「ちゃんと食べる」


「身体を休める」


「家族ともちゃんと過ごす」


「それができん人が、九十分走り続けられると思う?」


 誰も答えなかった。


 古賀は笑う。


「明日もサッカーするんやけん、今日は身体ば休ませよう」



 その夜。


 古賀が家に帰る。


「おかえり」


 美穂が迎える。


「どうだった?」


「みんな、いい子ばっかりたい」


「プロ選手でしょ?」


「そうたい」


 古賀は靴を脱ぎながら笑った。


「でも、まだまだ伸びそうばい」


 美穂は呆れたように笑う。


「あら。もう先生になってるじゃない」


「俺は監督たい」


「同じことでしょ」


 その頃、福岡ユナイテッドの選手たちのスマートフォンが一斉に鳴った。


 古賀からのメッセージだった。


『今日は早く寝よう。明日の朝ご飯もちゃんと食べること。おやすみ』


 白石が画面を見る。


「……母ちゃんかよ」


 岩永が苦笑する。


「監督だよ」


 その隣で、相川は一人、戦術ノートを開いていた。


 新しいページに、ゆっくりと文字を書く。


『古賀監督のサッカー』


 そして、その下に一言。


『難しいことを、誰でも分かる言葉にする』


 相川はペンを置いた。


「……面白い人だな」


 福岡ユナイテッドの新しい日々が、始まった。

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