第19話「キャプテン、麹を作るんですか?」
田主丸にある、再生された空き家。
地域の人たちが掃除し、少しずつ手を入れていったその家には、今日も人が集まっていた。
昼間から、おばあちゃんたちがお茶を飲んでいる。
田主丸FCの子どもたちは宿題をしたり、ゲームをしたりしている。
農家のおじちゃんたちは、畑の話をしていた。
そして、その中心には相変わらず白石がいた。
「お前、そこじゃないって!」
「白石選手、そこにパス!」
「分かってるって!」
テレビの前で、白石が子どもたちとサッカーゲームをしている。
その様子を見ながら、古賀は笑っていた。
「ほんと、ゲーム好きやねぇ」
「好きですよ。俺の生きがいですから」
「生きがいは言い過ぎやろ」
「いや、大事ですよ」
そんなやり取りをしていると、神崎が台所から顔を出した。
「先生」
「ん?」
「ここの台所、使っていいですか?」
「何すると?」
神崎は、何でもないことのように答えた。
「麹作りです」
「……麹?」
古賀が首をかしげる。
その声を聞いて、相川も振り返った。
「キャプテン、麹作るんですか?」
「作りますよ?」
「……え?」
白石までゲームの手を止めた。
「キャプテン、麹作るんですか?」
「うん」
「なんで?」
「好きだから」
神崎はそう言って、持ってきた瓶を台所に並べ始めた。
塩麹。
玉ねぎ生姜麹。
トマト麹。
そして甘酒。
「……」
「……」
「……」
三人が黙って瓶を見る。
神崎が不思議そうな顔をした。
「何ですか?」
白石が恐る恐る聞く。
「キャプテン、いつからそんなことしてたんですか?」
「昔から」
「知らなかった……」
相川も瓶を眺める。
「サッカー以外の趣味があったんですね」
「ありますよ。俺だってサッカー以外も普通にしますよ」
「いや、知りませんでした」
神崎は笑った。
「発酵食品、好きなんですよ」
田主丸で育った神崎は、地元の野菜もよく知っている。
近所の農家からもらった玉ねぎを手に取ると、
「この辺の玉ねぎなら、玉ねぎ生姜麹にするといいですよ」
「そんなに詳しいと?」
古賀が聞く。
「田主丸ですから」
神崎は当たり前のように答えた。
「そりゃそうか」
古賀も笑った。
その日の午後。
台所では、神崎が麹を仕込んでいた。
子どもたちも興味津々で覗いている。
「何作ってるの?」
「今日は新しいのを試してみる」
「何?」
「ブルーベリー」
「ジャム?」
「そう。でも、普通のジャムとはちょっと違う」
神崎はブルーベリーを用意した。
そこに米麹を合わせる。
そして、バナナを加えた。
「なんでバナナ?」
子どもが聞く。
「甘くなるから」
「砂糖は?」
「入れない」
「甘くなるの?」
「やってみよう」
神崎は笑った。
ブルーベリーの酸味に、米麹の甘み。
そこへバナナの自然な甘さを加える。
子どもたちは、完成を待った。
そして、できあがったブルーベリー麹をパンに塗る。
「いただきます!」
一口。
「……おいしい!」
「甘い!」
「もっと食べたい!」
子どもたちが次々に手を伸ばす。
その横から、白石も一口もらった。
「……」
白石が黙った。
「どう?」
神崎が聞く。
「……これ、めちゃくちゃうまいっす」
「だろ?」
「キャプテン、サッカー以外でもすごいんですね」
「いや、ただの趣味だって」
古賀は笑いながら、子どもたちを見る。
「喜んどるなら、よかたい」
その日の夕方。
近所のおばあちゃんたちも台所にやって来た。
「神崎くん、これどうやって作ったと?」
「ブルーベリーと米麹とバナナです」
「砂糖は?」
「使ってないです」
「へぇ」
おばあちゃんたちは興味津々だった。
そこから、今度は昔の発酵食品の話が始まった。
「昔はね、こういうふうにしよったとよ」
「うちの家では、こっちを使いよった」
「へぇ……」
神崎は真剣に聞いていた。
田主丸のことを知らないわけではない。
生まれ育った町だ。
けれど、長く暮らしていても、知らない人の知恵はまだまだある。
「それ、今度やってみたいですね」
神崎が言うと、おばあちゃんが笑った。
「じゃあ、一緒に作ろうか」
「お願いします」
それから、台所に人が集まるようになった。
農家から玉ねぎが届く。
トマトが届く。
季節の野菜も届く。
神崎はそれを見ながら、
「これなら麹にできますね」
と笑った。
古賀がその様子を見ていた。
「せっかくなら、地域の野菜でいろいろ作ったらよかろうね」
「いいですね」
人が集まるようになった空き家。
そこに今度は、地域の食材まで集まり始めた。
そんなある日。
クラブ事務所で、小柳がスマートフォンを見ながら笑っていた。
「神崎選手」
「はい?」
「これ、見てください」
画面には、空き家で麹を作る神崎の写真。
その投稿には、たくさんのコメントがついていた。
「神崎選手、麹まで作るんだ」
「料理できるの意外」
「子どもたちにも人気なんだ」
そして、その中に一つ。
『発酵王子・神崎蓮』
「……」
神崎の顔が固まった。
「何ですか、これ」
「発酵王子です」
「いや、見れば分かります」
横で白石が笑う。
「いいじゃないですか、発酵王子」
「よくないよ」
そこへカルロスがやって来た。
「ハッコウオウジ!」
「カルロスまで言うな!」
事務所に笑い声が響いた。
その日の夕方。
再び空き家。
子どもたちが神崎の周りに集まっていた。
「神崎選手、なんで麹って時間かかるの?」
「うーん……」
神崎は少し考えた。
「すぐには変わらないからじゃないかな」
「?」
「でも、時間をかけたら、元の食べ物とは違うものになるだろ?」
子どもたちは黙って聞いている。
「人も一緒だと思うよ」
「人も?」
「毎日練習しても、すぐには上手くならない。でも、少しずつ続けてたら、いつの間にか変わってる」
神崎は笑った。
「だから、焦らなくていいんじゃないかな」
その言葉を、子どもたちはじっと聞いていた。
古賀は少し離れたところから、その様子を見ていた。
何も言わず、ただ笑っている。
夕方。
台所には、たくさんの瓶が並んでいた。
塩麹。
玉ねぎ生姜麹。
トマト麹。
そして、ブルーベリー麹。
白石が瓶を眺める。
「キャプテン、次は何作るんですか?」
神崎は少し考えた。
「味噌でも作ろうかな」
その瞬間、おばあちゃんたちが振り向いた。
「味噌なら私たちも手伝うよ!」
「本当ですか?」
「昔、作りよったけんね」
「じゃあ、お願いします」
白石が呆れた顔をする。
「ここ、もうサッカークラブの施設じゃないですよね?」
古賀が笑った。
「人が集まっとるなら、よかたい」
台所から笑い声が聞こえる。
誰も住んでいなかった家。
そこには今、人がいる。
子どもがいる。
高齢者がいる。
農家がいる。
サッカー選手がいる。
そして、麹までいる。
古賀はその様子を眺めながら、いつものように思った。
「みんな楽しそうで、よかったばい」
それだけだった。




