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悪魔の軍師は故郷に帰りたい ~男装して美貌の追放王子を玉座に導いたら、退路を断たれ極上の檻に閉じ込められました~  作者: *しおり*
王都奪還編

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第三部3


ファリードの大きな手が彼女の腰を抱き寄せ、そのまま力強く寝台へと押し倒した。


「もはや軍師などと呼ばせない。……お前は、私のものだ」


天幕の薄暗い影の中。


ファリードの熱を帯びた唇が、マーシャの首筋から素肌へと這うように落ち、彼女の理性を甘く溶かしていく。 何度も激しく求め合い、互いの体温が溶け合うような熱狂の最中。ファリードはふと動きを止め、荒い息を吐きながら、潤んだ金色の瞳でマーシャを見下ろした。


「……マーシャ」


彼の大きな手が、汗に濡れた彼女の黒髪をすくい上げ、愛おしそうに口づけを落とす。


「私は、お前のすべてが欲しい。……この世界の誰も知らない、お前の『本当の名前』を私に教えろ」

「っ……」


「私だけが、その名前でお前を呼ぶ。他の誰にも触れさせない、私だけのものだという証をくれ」


熱に浮かされたファリードの狂おしいほどの独占欲。

マーシャは、自身の顔が火のように熱くなるのを感じていた。


(……名前を口にすれば、私はもう、完全に元の自分には戻れない)


『ましろ』という名前は、彼女がこの残酷な異世界で生き抜くために、心の奥底の分厚い氷の下に封印していた、柔らかくて脆い過去の自分そのものだった。

だが、自分を狂おしいほどに求め、すべてを受け入れてくれるこの不器用な男になら。自身の最も弱い部分を明け渡してもいい。


ファリードの深い愛執に完全に絆され、マーシャは涙ぐみながら、彼の広い背中に腕を回した。


「……ましろ」


震える、ひどく甘い声で、彼女は心の奥底に秘めていた一番柔らかい部分を、彼に差し出した。


「それが、私の……本当の名前。……争いのない、平和な世界で……お父さんと、お母さんが呼んでくれた……」


日本という遠い世界のこと、安全で平和だった日常。 そして、その温かい世界のすべてへの未練を捨てて、血塗られた彼の隣を選んだ覚悟。


彼女の口から紡がれた真実に、ファリードは一瞬息を呑み、やがてその金色の瞳を見開いた。


彼女がどれほど安全で温かい世界からやってきたのか。

そして、そんな彼女が元の世界へ帰る希望よりも、この血塗られた自分の腕の中を選んでくれたという絶対的な事実に、彼の胸の奥で狂おしいほどの歓喜と優越感が押し寄せる。


「……ああ。お前は本当に、私のためにすべてを捨ててくれたのだな」


ファリードの理性が、完全に吹き飛んだ。


「ましろ。私の、愛しいましろ……っ」


彼は、もはやマーシャではなく、自分だけが知る特別な名前で何度も何度も彼女を呼びながら、彼女の額に、涙に、そして唇に深く熱い口づけを落とした。


名前を呼ばれるたびに、彼女の、軍師の理性は溶かされていく。


悪魔の軍師は、一切の退路を断たれ。 二度と彼の腕から逃れられないように、朝が来るまで心も身体も骨の髄まで愛し尽くされたのだった。




* * *




チュンチュン、という微かな鳥のさえずりと、外から聞こえる兵士たちの慌ただしい足音。


マーシャは、自身の身体を包む異常な重さと、全身の関節が軋むような気怠い疲労感で、ゆっくりと目を覚ました。


(……なんだ、この重さは……。体が、動かない……)


ぼやける視界。しかし、意識がはっきりとするにつれ、彼女は自身を縛り付けている「重さ」の正体に気づき、心臓が跳ね上がった。


彼女は、自身の華奢な身体をすっぽりと覆い隠すほど広く、逞しいファリードの腕の中に、逃げ場のない強さで抱きすくめられていたのだ。


その瞬間、昨夜の記憶が奔流のように脳裏にフラッシュバックした。

あのヒヨッコだと思っていた少年に、大人の男としての圧倒的な力と色香で組み伏せられ、理性を溶かされるような熱で何度も抱かれた記憶。


(……あ、あァ……っ、嘘だろ……)


マーシャの顔が火のように熱くなる。

それは羞恥心だけではなかった。自分でも初めて知る、熱に翻弄された自身のあられもない声、ファリードを求めてしがみついた腕の感触、そして散々交わった後に、彼に本当の名前を明かした瞬間の記憶。


『……ましろ。……それが、私の本当の名前。』


熱に浮かされ、汗に濡れた肌を寄せ合いながら、彼女は心の奥底に秘めていた一番柔らかい部分を、彼に差し出したのだ。日本という遠い世界のこと、平和だった日常、そしてそのすべてを捨てて、彼の隣を選んだこと……。


(……待って、私は……)


昨夜の自身の動揺、怯え、そして彼に完全に溺れた姿を思い出し、マーシャは羞恥心でいたたまれなくなり、彼の腕の中で縮こまった。


(……なんで、あんな……。ましろ、なんて……っ)

軍師としての冷徹な仮面の下に隠していた、脆弱な少女の部分をすべて見せてしまった。その事実が、彼女をキャパオーバーの状態に陥らせていた。



「……目を覚ましたか、”ましろ”」


頭上から降ってきたのは、寝起きとは思えないほど低く、甘い声。

マーシャが見上げると、ファリードはとっくに目を覚ましていた。


彼は自身の腕の中に収まるマーシャの素顔や、その白い肌に自身が付けた無数の赤い痕を、まるで世界で最も価値のある宝を鑑賞するかのように、愛おしそうに、けれど仄暗い独占欲を孕んだ金色の瞳で見つめていたのだ。


(……な、何を見ているんだ……っ!)


その瞳の奥にある、底知れぬ情熱と執着。昨夜、彼女を組み伏せた時に見せた、あの捕食者の瞳と同じだ。


「なっ……! は、離せファリード! 息が詰まる……っ!」


マーシャは必死に強がり、彼の腕から抜け出そうと身体をよじった。

「っ、痛ァ……ッ!」

しかし、腰を動かした瞬間、雷に打たれたような激痛と鈍い疲労感が下半身を走り、マーシャは「ひゅっ」と情けない声を漏らしてシーツに沈み込んだ。

「動くな。……昨夜、その身体の隅々まで、誰のものか教えてやったはずだが?」


ファリードの言葉に、マーシャは再び顔を真っ赤にした。 教えてやったというその言い方が、昨夜の彼の強引さと、自身がそれをどう受け入れたかを思い出させる。 額に優しく口づけを落とすファリード。その温かさと、彼から漂うむせ返るような雄の匂いに、マーシャの反抗心は微かに削がれる。


 額に優しく口づけを落とすファリード。その温かさと、彼の匂いに、マーシャの反抗心は微かに削がれる。

パニックに陥ったマーシャは、必死に悪魔の軍師の仮面を被り直そうと足掻いた。


「わ、分かったから腕をどけろ! まだ敵の残党がいるかもしれないんだぞ! 今すぐカディルを呼んで軍議を――」


軍師としての責任感を盾に、この状況から逃れようとする。

だが、ファリードは彼女の思考を完全に読んでいた。


「行かせない」


ガシッ、と。ファリードの太い腕がさらに強く彼女の腰を抱き寄せ、密着させた。

天幕の布越しに、彼の強靭な肉体の熱が直接伝わってくる。


「なっ……!?」

「今日は休め。……というか、お前がまともに立ち上がれるようにはしなかったつもりだ」

「あんたなァ……ッ!」


顔から火が出るほど赤面するマーシャ。

彼の言葉の意味、そして全身の軋むような疲労感が、その言葉が事実であることを物語っていた。


ファリードは彼女の抗議を意に介さず、彼女の髪を指先で優しく梳きながら、ひどく熱を帯びた声で囁いた。


「……お前は、昨夜誓ったな。私を王にするためなら、私と一緒に地獄の底まで落ちてやると。……ならば、お前のすべては私のものだ」


彼の金色の瞳が、マーシャの黒曜石の瞳を真っ直ぐに射抜く。


「ましろ。……お前の魂も、その身体も、すべて私が喰らい尽くして、二度とこの世界から逃げられないように檻に閉じ込めてやる。……今日から二度と、私の腕の中から逃げられると思うな」


その言葉は、昨夜、彼が彼女の左手首――かつてミサンガがあった空白の場所――を強く握りしめ、口づけを落としながら告げた呪いのような宣言の続きだった。


『待たない。……お前はあの地下で、帰る場所がなくなったと言ったな。……ならば、私が帰る場所だ』


あの時の彼の、狂おしいほどの愛執と執着。彼女をこの異世界に縫い留め、二度と手放さないという、絶対的な意志。


その言葉に、マーシャは完全に敗北を悟ったのであった。


相手の心理を読み、何万の軍勢を盤面で手玉に取る悪魔の軍師の頭脳をもってしても。

この自分より歳下の大人の男が向けてくる狂おしいほどの愛執と絶対に離さないという腕の力、そして自身の心の奥底にある、彼へのどうしようもない甘えの前には、全く太刀打ちできないのだ。


(……馬鹿な、王様だ……っ)


文句を言いながらも、マーシャは彼から逃げることを諦め、その温かく分厚い胸板に小さく額を押し付けた。


それは、彼女が悪魔の軍師としての仮面を脱ぎ捨て、ただのましろとして、彼の檻の中に留まることを受け入れた瞬間だった。


(……仕方ない。……あんたがそこまで言うなら。……地獄の底まで、付き合ってやる)


彼女の小さな敗北の仕草に、ファリードの金色の瞳が、嬉しそうに、そして底知れぬ愛おしさに細められた。


「……私の、愛しいましろ」


ファリードは彼女の額に、そして鼻筋に、優しく口づけを落とし、最後に、彼女の唇を甘く、そして深い愛を込めて塞いだ。


それは、昨夜の蹂躙するような口づけとは違う、彼女のすべてを受け入れ、自身のものであると確かめるような、温かく、情熱的なキスだった。

マーシャは彼の首に腕を回し、そのキスに応えた。

チュンチュン、という鳥のさえずりが、二人の新しい旅立ちを祝福するかのように、静かに響いていた。





やがて、二年間におよぶ長旅の疲労と、ファリードの底知れぬ熱量に完全に体力を奪われきったマーシャは、彼の広く温かい胸の中に顔を埋めたまま、泥のような深い眠りへと落ちていった。


スゥ、スゥ、と。

 自身の腕の中で微かに上下する、規則正しく愛らしい彼女の寝息。

 それを聞きながら、ファリードはひどく満足げに、そして蕩けるような甘さを孕んだ金色の瞳を細めた。


彼の大ぶりな手は、乱れたシーツから覗く彼女の滑らかで白い肩や、そこかしこに自身が容赦なく刻み付けた赤い痕を、まるで壊れ物を扱うかのように愛おしそうに撫でていた。


(……ようやく、私の腕の中に帰ってきた。私の、可愛い軍師)


五年前に吹き溜まりの酒場で出会ってから、彼の魂をずっと蝕み続けてきた、狂おしいほどの飢餓感。そして、この二年間、彼女を失うかもしれないと玉座で耐え忍んできた血を吐くような焦燥感。

 それらは今、彼女の心も身体も完全に己のものにしたという絶対的な事実によって跡形もなく消え去り、何物にも代えがたい極上の充足感へと変わっていた。


ファリードは、深い眠りについているマーシャの額と、汗に濡れた艶やかな黒髪にそっと深い口づけを落とす。

 そして、彼女の安らかな眠りを決して妨げないよう、細心の注意を払いながら、音もなくゆっくりとベッドを抜け出した。


寝衣を脱ぎ捨て、ファリードは手慣れた動作で自身の執務服と軽い防具を身に纏っていく。

 革の帯を締めながら、シーツに包まって眠るマーシャを振り返るその横顔は、愛しい女を何よりも溺愛し、慈しむただの一人の男の顔であった。


――しかし。

 身支度を終え、天幕の入り口へと歩みを進め、その分厚い布に手をかけた瞬間。


ファリードの表情から、先ほどまでの蕩けるような甘さが、一瞬にして完全に消え去った。

 スッと細められた金色の瞳に宿ったのは、冷徹で、威厳に満ちた、絶対的な覇王の鋭い眼光。

 自身の最愛の半身にして、世界で最も恐ろしい頭脳を安全な寝所に隠し、この広大な世界を完璧に支配するための、無敵の王の出陣である。


バサリ、と天幕の布を押し上げ、ファリードは外へ出た。


朝の清々しい冷気が、火照った身体を冷ましていく。

 本来であれば、昨夜の宴で彼女の帰還と性別を知ったザイドや将軍たちが、天幕の外でニタニタと下世話な笑みを浮かべ、「陛下、軍師殿の寝起きはいかがで?」「昨夜は随分と白熱した軍議だったようで」などと、口々に冷やかしにやってくる平和な朝になるはずだった。


ファリードが、そんな彼らをどう威圧して追い払おうかと、本陣の執務室へと向かおうとした、まさにその時だった。


「――陛下ッ!!!」


平和な朝の静寂を、暴力的に切り裂く絶叫。

 見れば、顔から完全に血の気を失い、限界まで青ざめさせた近衛騎士団長カディルが、凄まじい勢いでこちらへ走ってくるではないか。


その切羽詰まった声と、尋常ではない金属鎧の響き。そして、彼が手にした緊急の書状を示す赤い羽根。

 ファリードの金色の瞳が、極限まで鋭く細められた。


「何事だ、カディル。朝から騒々しいぞ」


「い、一大事でございます!! 陛下ッ!!」


カディルは勢い余って転がるようにファリードの御前で片膝をつき、息を乱しながら、血を吐くような声で未曾有の凶報を口走った。


「西の港湾都市アデンから、急使が参りました!! 沖合に……正体不明の『鉄の黒船』の群れが突如として現れ……っ!!」

「……黒船、だと?」


「はい! 奴らは雷のような轟音と共に、我が軍の強固な防衛線を一瞬にして火の海に変え……すでに都市を蹂躙し、こちらへ向かって内陸への上陸を開始したとのことです!!」


それは、大帝国の常識を根底から覆す、未知の文明による理不尽な侵略の知らせ。

 周囲の護衛兵たちが「また鉄の船!?」「防衛線が一瞬で!?」と恐慌状態に陥りかける中。


その絶望的な報告を聞いたファリードは。

 動揺するどころか、スッと、ひどく冷酷に目を細めた。


かつての十四歳の怯えた少年であれば、未知なる脅威に膝を震わせ、パニックに陥っていただろう。

 しかし、今の彼は違う。数多の死線を潜り抜け、大帝国を力で統べた十九歳の真の覇王だ。

 何より――彼には、いかなる絶望の淵にあろうとも決して揺るがない、絶対的な自信があった。


自身のすぐ背後。あの天幕の寝所には、世界で最も恐ろしい悪魔の軍師が、自身の完全なる半身として、自分のものとして眠っているのだから。


「……せっかくの、お前との平和な時間を邪魔してくれるじゃないか。西の蛮族どもは」


ファリードは、背後の天幕を愛おしげに一瞥し。

 そして、パニックに陥るカディルを見下ろして、かつてないほど獰猛で、傲慢な覇王の笑みを浮かべた。


「カディル。全軍に出陣の準備をさせよ」

「へ、陛下……っ!」

「未知の兵器だろうと何だろうと、我が大帝国を侵す者には死あるのみだ」


ファリードは腰の長剣の柄に手をかけ、東の空から昇り始めた朝日を背に受けて、力強く宣言した。


「……軍師が目覚め次第、新しい盤面を引く」


最愛の伴侶を得た覇王と、眠りから覚める悪魔の軍師。

 大帝国シャジャルの存亡を懸けた、未知なる新大陸帝国との壮絶な死闘――の幕が、今、ここに静かに、そして力強く切って落とされたのである。

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