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悪魔の軍師は故郷に帰りたい ~男装して美貌の追放王子を玉座に導いたら、退路を断たれ極上の檻に閉じ込められました~  作者: *しおり*
王都奪還編

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青年期9


* * *


――王都グラナダ、玉座の間。


地下の禁書庫から近衛兵に抱えられ、命からがら王城の最上層へと逃げ延びてきた皇帝マレクは、重厚な扉に内側から幾重にも鍵を下ろし、たった一人で玉座にすがりついていた。

だが、外から響く城門崩壊の轟音と、それに続く悲鳴や剣戟の音が、豪奢な石造りの部屋の壁を越えて空しく響き渡ってくる。


「ひっ……来ないでくれ……っ! 誰か、誰かおらぬか!! 近衛兵はどうした!!」

玉座にすがりつき、ガタガタと無様に震えていたのは、皇帝マレクであった。


 バァンッ! と玉座の間の巨大な扉が蹴り開かれ、白銀の甲冑を血と泥で染め上げたファリードが、静かな足取りで入ってくる。その後ろには、マーシャやカディルたち将軍が付き従っていた。


かつてマレクが美しすぎる木偶の坊と嘲笑い、辺境へと追い落とした甥。

 しかし、目の前に立つのは、もはや操り人形の少年ではない。何万という軍勢の死線を潜り抜け、あらゆる敵を蹂躙してきた、修羅のような気迫を纏う真の覇王の姿であった。


「ふぁ、ファリード……っ! 待ってくれ、頼む! 命だけは……そうだ、お前を正統な後継者として認める! 帝国の半分、いや、すべてを譲ろう!!」


マレクは玉座から転げ落ち、かつて兄皇帝を暗殺したその汚い手をすり合わせながら、床に額を擦り付けて命乞いをした。

 ファリードは感情の読めない冷酷な金色の瞳で、かつての仇を静かに見下ろした。

 彼の脳裏に、炎に巻かれて死んでいった兄の姿や、辺境の泥水を啜った日々、そして隣に立つマーシャと共に乗り越えてきた数多の死闘が駆け巡る。


己の必死の命乞いが、ファリードの冷酷な瞳に一切響いていないことを悟った瞬間。

 マレクの顔から惨めな懇願が消え去り、代わりに追い詰められた鼠のような、醜悪で呪詛に満ちた嗤いが浮かんだ。彼は玉座の傍らに立つマーシャを、血走った目で睨みつける。


「……カッカッカッ! 私を討って、この大陸を統一した気でいるのか、悪魔の軍師よ! お前たちは所詮、井の中の蛙だ!」


「何?」

「西の海の向こうには、本当のバケモノが……我々の理解を超えた力を持つ大国が、すでにこの大陸を狙っているのだ! 私が死ねば、お前たちなど奴らの蹂躙に耐えられんぞ!!」


それは、大帝国の頂点に立つ者だけが握っていた、世界規模の暗い機密情報であった。

「風もないのに海を渡り、黒い煙を吐く巨大な鉄の船! 魔法でも投石機でもない、雷鳴のような轟音と共に見えない弾で城壁を粉砕する鉄の筒! 奴らは……かつてこの大陸から西へ去った、異界の悪魔の末裔なのだぞ!!」


マレクは血走った目で、ありったけの恐怖を並べ立てた。 しかし、マーシャは表情一つ変えることなく、冷ややかに鼻で笑った。


(……鉄の船? 雷鳴の鳴る筒だと?)


普段の彼女の冷徹な頭脳であれば、その単語の端々から何らかの未知の兵器の存在を瞬時に推測できたかもしれない。 だが、今の彼女は違った。


地下の禁書庫で帰還の希望を永遠に失い、絶望の底から反転して、ファリードと共にこの世界の頂点に立つと誓ったばかりの、異常なまでの高揚感と熱狂の渦中にいたのだ。

今の彼女の瞳に映っているのは、目の前にいる己の王を玉座に座らせることだけ。盤面外の遠い未来の脅威など、ただの耳障りな雑音に過ぎなかった。


「……で? 盤面で負けた言い訳がそれか」

「なっ……」

「海の向こうに何がいようと知ったことか。負け犬の戯言など、聞く耳を持たん。……どんなバケモノが来ようと、私がこの国ごと全部盤面ですり潰してやる」


一刀両断。あまりにも無情で、傲慢なまでに自信に満ちた悪魔の軍師の宣告に、マレクはギリッと歯を食いしばった。


「き、貴様ら……絶対に後悔するぞ! あの西の海から来る、黒い鉄の船が――」

マレクが絶叫を上げたところで。 ファリードはゆっくりと長剣を抜き、その冷たい切っ先をマレクの喉元へと突きつけた。


「……叔父上。私はもう、お前たちのように、誰かの血を対価にして生き延びるつもりはない」


ファリードの声は、玉座の間に冷たく、重く響いた。


「これは、炎の中で散った兄上と……私に命を預けてくれた、すべての者のための刃だ」


「や、やめっ――」


閃刃。

 一切の躊躇いもなく振り下ろされたファリードの剣が、マレクの首を鮮やかに切り裂いた。

 ドサリ、と。偽りの皇帝の身体が床に崩れ落ち、赤い血が、玉座へと続く白い絨毯をどこまでも汚していく。


長きにわたる復讐が、終わった。

 死を目前にした者の警告を、勝者の驕りと希望の熱狂によって完全に聞き流してしまったこの時の僅かな綻びが。のちの第三部で最悪の形で牙を剥くこととなる。


静寂が包む玉座の間。ファリードは血振るいをし、カチンと剣を鞘に納めた。


「殿下……」


マーシャが静かに歩み寄る。ファリードは彼女を振り返り、そして、血に塗れた階段をゆっくりと登り、ついに大帝国シャジャルの頂、黄金の玉座の前へと到達した。


ファリードが身を翻し、玉座に深く腰を下ろす。

 その瞬間、カディル、ザイド、タリク、イブン、そして天幕の奥まで満ちていたすべての兵士たちが、一斉に武器を掲げ、大地を揺るがすような歓喜の勝鬨を上げた。


「「「我らが覇王、ファリード皇帝陛下に栄光あれェェェッ!!!」」」


割れんばかりの歓声の中。

 玉座に座るファリードは、己の傍らに立つ、泥だらけの悪魔の軍師――自身の最も愛おしい共犯者へと、そっと手を差し伸べた。


マーシャは、自身の左手首に視線を落とした。


かつて日本のミサンガが巻かれていたそこには、もう何もない。

故郷へと繋がる未練の糸は、自らの手でとうに断ち切った。 マーシャはターバンの奥で不敵に、そしてこの世界で最も美しく、悪辣な笑みを浮かべた。 そして、差し出されたその大きく熱い王の手を。

今度は誰の目も憚ることなく、自らの意志で力強くガシッと握り返したのだった。


マーシャの手を握り込んだ瞬間。

ファリードの金色の瞳が、玉座を手に入れた歓喜ではなく、彼女が自ら自身の手を取ってくれたという絶対的な充足感と、底知れぬ愛執に細められる。


綺麗な騎士道などどこにもない。 数え切れないほどの血と泥を啜り、互いの魂の形を歪めながらも、決して手放すことのなかった二人の絆。


覇王と悪魔は、鳴り止まぬ勝鬨の中で互いの手を痛いほど固く結び合い、ついに大帝国シャジャルの頂点という名の、彼らだけの永遠の共犯関係を完成させたのであった。


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