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悪魔の軍師は故郷に帰りたい ~男装して美貌の追放王子を玉座に導いたら、退路を断たれ極上の檻に閉じ込められました~  作者: *しおり*
王都奪還編

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青年編5.5

十字軍との激戦と、致死の毒による高熱から数日後。

 無事に熱が下がり、本陣の天幕での軍議に復帰しているマーシャは、自身の顔を両手で挟んで、パンッ!と気合を入れるように軽く叩いた。


(……よし。私は泣く子も黙る『悪魔の軍師』。隙は見せない。今まで通りだ)


マーシャは深呼吸をし、ダボついた分厚い男物の外套と薄汚れたターバンを身にまとい、喉の奥を潰したような低い声を作った。

 あの夜、ファリードに自身が女だと知られていた事実を突きつけられ、あまつさえ彼の胸の中で泣き崩れてしまった。だが、それはそれ、これはこれだ。陣営の仲間たちには、絶対に秘密を知られるわけにはいかない。


天幕の中央にある巨大な石机には、すでに将軍たちが集まっていた。

 カディルが剣の手入れをし、ザイドが短剣で果物を弄び、タリクが黙々と干し肉を齧り、イブンが怪しげな薬瓶を磨いている。いつもの、賑やかで血の匂いのする日常だ。


「……待たせたな。軍議を始める」


マーシャが低い声で告げ、石机に王都周辺の地図を広げた、その時。

 バサリと天幕の布がめくられ、白銀の甲冑を纏ったファリードが入ってきた。


「遅れてすまない。……体調はもういいのか、マーシャ」


ファリードの声が響いた瞬間。

 マーシャの心臓が、ビクンッ!と大きく跳ねた。


(い、いや、落ち着け。ただのヒヨッコだ。ただの……)


マーシャは顔を上げ、ファリードを見据えようとした。かつては彼の顔を平気で見下ろし、説教を垂れていたはずだった。

 しかし、今の彼女の目に飛び込んでくるのは、彼が纏う王の威厳ではない。白銀の甲冑越しにすら分かる、広く逞しい肩幅。そして、あの夜、熱に浮かされた自分をすっぽりと閉じ込めた腕の分厚さだった。


「……あ、ああ。問題ない。で、右翼の配置だが……っ」


説明を続けようとしたマーシャだったが、ファリードと至近距離で視線が合った瞬間。

 彼の大きく熱い手のひらが自身の素肌に触れた感触や、「お前は私のものだ」と耳元で囁かれた、あの狂おしく甘い声が脳裏にフラッシュバックした。


カァァァッ! と。

 マーシャの顔が、火に近づいたように一気に朱に染まる。彼女は説明の途中で完全に言葉を詰まらせ、誤魔化すようにバッと顔を背け、地図の端へと強制的に視線を逸らしてしまった。


「……ほう」


マーシャが激しく動揺して目を逸らしたのを、ファリードの猛禽類のような金色の瞳が見逃すはずがなかった。

 彼自身の性別を知られたマーシャが、自分を明確に男として意識し、照れている。その事実が、ファリードの胸の奥底をどうしようもなく甘く、狂おしいほどの優越感で満たしていく。


(……可愛い)


ファリードは悪戯を思いついた獣のように目を細めると、歩み寄って石机に両手をつき、地図から目を逸らしているマーシャを机の端に追い詰めるように、至近距離まで顔を近づけた。


「……どうした、私の軍師。顔が赤いぞ」

「なっ、ち、近くないか殿下! 離れろ!」

「顔を背けるな。……まだ熱があるのではないか? 額を見せろ」


ファリードはわざと、他の将軍たちには聞こえないような、鼓膜を甘く震わせる低い声で囁きかけた。

 距離が近い。彼から漂う麝香のような匂いと、有無を言わさぬ雄の気配に、マーシャのパニックは限界に達しようとしていた。


そこへ。

「よォ! 兄貴ィ! 復帰早々軍議か、無理すんなよ!」


空気を全く読まないザイドが、ニカッと笑いながら、いつものように無遠慮にマーシャの肩を組もうと乱入してきた。

 その瞬間。

 ファリードの金色の瞳が、夜の海のようにどす黒く濁った。


バシィィィンッ!!!


「痛ェェェェッ!?」


ファリードは、マーシャの肩に触れようとしたザイドの腕を、鋼の籠手で容赦なく、骨が軋むほどのフルスイングで弾き飛ばした。


「気安く触れるな! 軍師の体調はまだ万全ではないのだぞ!!」

「い、痛ェッ!? 悪かったよ殿下ァ! 何もそんな殺気立って怒んなくたって……!」


腕を抱えて涙目で転げ回るザイド。

 一方、その光景を見ていたカディルは、腕組みをしながら生真面目な顔で深く頷いていた。


「うむ。殿下は、よほど軍師の並外れた頭脳を惜しんでおいでだ。……しかし殿下、お気持ちは痛いほど分かりますが、一介の傭兵にそこまで過保護になられるのも、王族としていかがなものかと。ザイドも悪気はなかったのですから」

「……」


二人の間に流れていた『男女の甘く危険な空気』に微塵も気づかず、一人で的外れな説教を始める不憫な騎士。

「ヒッヒッヒ、毒の後遺症かもしれんな。もう一度俺が身体の隅々まで診察を……」と近づいてきたイブンに、ファリードが無言で剣の柄に手をかけたところで、マーシャの胃痛は限界を迎えた。


「……も、もういい! 今日の軍議は終わりだ! 各自、所定の配置につけ!!」


* * *


その日の夜。

 薄暗い自身の天幕で、マーシャは「あああああ……」と石机に突っ伏して頭を抱えていた。


「昼間はあからさますぎる! 馬鹿かあいつは!」


そこへ、足音もなくファリードが天幕に入ってきた。

 マーシャはガバッと顔を上げ、彼を指差して抗議した。


「頼むからいつも通りにしてくれ、ヒヨッコ! 私が女だとカディルたちにバレたらどうするつもりだ! カディルなら王族をたぶらかす妖婦め!とか言って斬りかかってきかねないぞ!」


顔を真っ赤にして怒るマーシャに対し、ファリードは全く悪びれる様子もなく、ゆっくりとした足取りで彼女へと近づき、あっという間に天幕の柱へと彼女を追い詰めた。


ドンッ、と彼女の耳元に彼の手が突かれ、完全な逃げ場が塞がれる。


「……お前が悪い」

「は!?」

「お前が私を意識して、あのようにあからさまに目を逸らすのが悪いのだ」


ファリードは、逃げられないマーシャの顔を覗き込み、不機嫌そうに、けれど熱を帯びた声で囁いた。


「……私をきちんと見てくれないなら。皆の前で、もっと分かりやすく触れてやろうか?」

「っ……! ば、馬鹿なヒヨッコめ、王族の自覚を持て! それに、皆は私を男だと思っているのだぞ! 男色を疑われるぞ! 王の威厳が台無しだ!」


「私はもう、ヒヨッコではないと言っているだろう」


ファリードが低い声で唸り、彼女のターバンの上から、あの夜のように優しく、愛おしそうに髪を撫でようと手を伸ばしてきた。

 彼の金色の瞳が、マーシャの唇へと熱い視線を落とす。


(……駄目だ、食われる!!)


心臓が口から飛び出そうになったマーシャは、これ以上彼の間合いにいれば理性が保てないと直感した。

 暗殺者として培った超人的な身のこなしで、マーシャはファリードの腕の下を滑るように潜り抜け、天幕の入り口へとダッシュした。


「お、おやすみ殿下! 明日も早いからな!!」

「あっ、こら、待てマーシャ!」


マーシャは逃げるように自身の天幕を飛び出し、冷たい夜風の中へ駆け出していった。


* * *


バクバクと狂ったように鳴る心臓を押さえながら、マーシャは誰もいない物見櫓の影にへたり込んだ。


(……駄目だ。あいつの顔をまともに見られない。これじゃあ、仕事にならない!)


これまでは、何万の軍勢も他人の命も、冷徹に盤面上のチェス駒として動かせていた。悪魔の軍師としての仮面は完璧だったはずなのだ。

 それなのに。ファリードがただの一人の男性として迫ってくるたびに、日本の普通の少女だった頃の、柔らかくて脆い感情が強引に引きずり出されてしまう。

 これ以上、あの甘い瞳に見つめられれば、軍師としての冷徹な判断力など一瞬で鈍ってしまうだろう。


(……王都の地下水路の構造と、禁書庫の情報を早く手に入れなければ。……いや)


マーシャは真っ赤になった頬を両手で叩いた。


(今は、物理的にあの過保護な王様から距離を置きたい!)


恥ずかしさと動揺から逃げるため。

そうしてマーシャは、自身の思考を無理やり戦術へと切り替え、結果として無茶な計画を立案し、ファリードの猛反対を押し切って決行してしまうのである。

それは、天才軍師の冷徹な一手であると同時に、初恋のような熱から逃げ出した一人の少女の逃避行でもあった。


王都グラナダを指呼の間に望む、薄暗い地下の隠れ家。


最終決戦に向けた密命会議の場には、各所で命懸けの潜入工作と情報収集に奔走していた将軍たちが集結していた。


「城壁の警備は予想以上に堅ェ。だが、スラムの物乞いや裏カジノのゴロツキどもから妙な噂を聞いたぜ。『最近、王城の地下からドブネズミが一匹も出てこなくなった』ってな」


スラム街に溶け込んでいたザイドが、泥に汚れた硬貨を弾きながら報告する。


「うむ。私も異国の行商人に変装し、商人ギルドの帳簿を覗き見たが……王都へ運び込まれる兵糧の量が、駐屯している正規軍の数と合わない。おそらく、我々の知らない見えない伏兵がどこかに隠されているはずだ」


付け髭で変装したカディルが、腕を組みながら真面目くさった顔で続く。


「ヒッヒッヒ。裏市場で怪しげな薬売りをしておりましたら、王城の地下水脈から流れ出る水から、特有の毒ガスとカビの成分を検出しましたぞ。あれは自然のものではない。巨大な人工の『地下空間』が存在する証拠ですな」


イブンが不気味な色の小瓶を揺らしながら、マッドサイエンティストな笑いをこぼした。

なお、タリクはその巨体ゆえに変装や潜入には絶望的に不向きだったため、隠れ家の周囲を鉄壁の守りで固める遊撃の任に就いていた。


「……ご苦労だった、お前たち。最高の情報だ」


マーシャは石机の上の王都市街図に、仲間たちが持ち寄った断片的な情報を書き込み、一つの線に繋ぎ合わせていく。


「城壁を正面から抜くのは下策だ。だが、イブンとザイドの情報から、王城の地下には広大で複雑な『地下水路』が張り巡らされていることが確実になった。カディルの言う伏兵も、おそらくそこに潜んでいる。……その水路を通れば、城壁を無視して王城の中枢や、私の探している『禁書庫』へ直接出られるはずだ」


マーシャの推論に、将軍たちが息を呑む。


「だが、問題がある。その地下水路は迷路のように入り組んでおり、防衛用のトラップも仕掛けられているだろう。正確な図面と水門を開く『鍵』の在り処が分からなければ、ただの棺桶になる。……そして、その図面と鍵を持っているのは、王都の防衛を統括する一握りの高官だけだ」


マーシャはそう結論づけると、「……ここから先は、私と殿下で極秘の配置を決める。お前たちは明日の本軍の合流に備えろ」と他の将軍たちを人払いし、石室の中にファリードと二人きりになった。


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