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悪魔の軍師は故郷に帰りたい ~男装して美貌の追放王子を玉座に導いたら、退路を断たれ極上の檻に閉じ込められました~  作者: *しおり*
王都奪還編

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青年編5

マーシャが自らの天幕で「星の門」の記述を見つけ、帰還の希望に歓喜の涙を流していたのと、まさに同刻。

 本陣の片隅に設営された、血の匂いが染み付いた暗い尋問用の天幕で、ファリードは氷のような冷ややかな視線を下へ向けていた。


「……ひぃっ! も、申し立てたことはすべて真実でございます、ファリード殿下! どうか、どうかお命だけは……っ!」


床に額を擦り付け、ガタガタと震えているのは、十字軍の捕虜ではない。討伐軍に従軍していた、大帝国の裏の歴史を管理する異端審問官の生き残りであった。

 ファリードは、狂信者との激戦の裏で、帝国の正史には記されていない異端の知識を持つというこの男を密かに生け捕りにし、拷問にかけていたのだ。


「王都グラナダの最下層、『禁書庫』に眠る星の門。……建国の始祖たる異界の悪魔たちが、元の世界へ帰るために造り上げた扉、か」


ファリードは、手から滴る血を布で拭いながら、低く反芻した。

 異界から来た者。元の世界へ帰るための扉。その言葉を聞いた瞬間、ファリードの脳裏に真っ先に浮かんだのは、いつも左手首のボロボロのミサンガを庇うように撫でている、あの小柄な軍師の姿であった。

 もし彼女が、その異界の悪魔の末裔か、あるいは同郷の者であったとしたら。彼女が「遠い故郷」と呼ぶ場所が、この大陸のどこでもなく、星の海を越えた別の世界であったとしたら。

 すべての辻褄が合う。


「ならば、私が王都を落とし、その門を開けば……異界の者は、元の世界へ帰れるのだな?」

「そ、それは……っ!」


ファリードの問いに、異端審問官はビクッと肩を跳ねさせ、顔を青ざめさせた。


「言え」


ファリードの首筋に冷たい剣の切っ先が押し当てられる。男は涙と鼻水を流しながら、帝国の最も深く、残酷な真実を口走った。


「門を……門を開くには、莫大な魔力を持つ『鍵』が必要なのです! 始祖たる悪魔たちは、自らの血肉を分け与えた最初の皇帝……すなわち、正統なるシャジャル王家の血筋に、その鍵の役割を呪いとして刻み込みました!」


「……何?」


「星の門を起動し、異界への道を開くためには。……門の祭壇に、正統なる王族の『命』を、すべての血の一滴に至るまで捧げねばならぬのです!! 代償なしに、星の海は渡れません!!」


――ピクリ、と。

 ファリードの手の中で、剣の切っ先が止まった。

 尋問用の天幕を、底知れぬ絶望と、重苦しい沈黙が支配する。


(……星の門を開くための代償が、私の命、だと?)


ファリードは、ゆっくりと剣を下げた。

 彼自身の死への恐怖など、微塵もなかった。だが、その残酷すぎる真実がもたらす絶望的な観測が、彼の思考をどす黒い泥沼へと引きずり込んでいく。


もし彼女が、あの門の真実を知ったらどうなるか。

 彼女は悪魔を自称しているが、その本質は誰よりも優しく、不器用な少女だ。自分の帰還のためにファリードの命を犠牲にすることなど、絶対に選ばないだろう。そして、帰る手段を永遠に失い、この残酷な異世界で心を完全に壊してしまうに違いない。


ならば、自分が自ら命を絶ち、門を開いて彼女を帰してやるか?

 いや、それはできない。自分が死ねば、誰がこの血塗られた世界を、彼女を守るというのか。帝国を敵に回し、十字軍の狂気に晒されたこの残酷な世界に、彼女一人を残して死ぬことなど、絶対にできない。


(……いや。違う)


ファリードは己の心に嘘を吐くのをやめた。金色の瞳が、夜の海のように暗く、粘つくような愛執の色に濁っていく。


(私はただ。彼女を手放したくないだけだ)


彼女が異世界へ帰ってしまうくらいなら。私の手の届かない場所で、私の知らない誰かに微笑みかけるくらいなら。

 この血に塗れた世界で、私の腕の中に、永遠に鎖で繋ぎ止めておきたい。


「……その事実を知る者は、帝国に何人いる」

「ひっ、こ、皇帝陛下と、わずかな側近、そして私のような記録官のみでございます……!」


「そうか。大儀であった」


ファリードの剣が閃き、異端審問官の首が音もなく床に落ちた。

ファリードは血振るいをし、無表情のまま天幕を出た。


* * *


その日の夜。十字軍から押収した禁書を読み解き、元の世界へ帰れるという希望に打ち震えていたマーシャだったが、その歓喜の時間は、天幕に飛び込んできた慌ただしい足音によって唐突に破られた。


「軍師殿! 少しよろしいか!!」


乱入してきたのは、医療・毒物部隊長のイブンであった。

 マーシャは慌てて禁書を羊皮紙の束の下に隠し、乱暴に涙を拭って軍師の顔を作った。


「ん? ……イブンか。どうした、そんな血相を変えて」


「戦利品の検分をしておったのですが、どうにも気味の悪い代物を見つけましてな」


イブンは石机の上に、重い音を立てて『奇妙な鉄の筒』と『黒い粉の入った革袋』を置いた。


「軍師殿の類まれなる知識ならば、これが何かお分かりになるかと思いまして。……この西の狂信者どもの武具、我が大陸の製鉄技術とは構造が根底から違いますぞ。それに、この硝石のような匂いのする黒い粉は一体……?」


「……鉄の筒、と……黒い粉?」


マーシャは訝しげに立ち上がり、その鉄の筒を手に取った。

 冷たく、ずしりと重い金属の感触。筒の先にある穴。そして、手元にある引き金のようなからくり。革袋から漂う、火薬特有の硝煙の匂い。


その瞬間。

 マーシャの脳裏に、現代日本の歴史の授業で見た映像が、強烈な閃光となってフラッシュバックした。


(……まさか。これ、火縄式の……初期の『銃』か!?)


マーシャの背筋に、氷のような悪寒が走った。

 剣と弓が支配するこの大帝国の世界線において、火器はまだ存在しないはずの技術だ。それがなぜ、十字軍の手にある? もしや、海を挟んださらに西の彼方には、すでに銃火器を実用レベルで量産している未知の巨大文明が存在しているというのか。


(待て、これ以上の軍事介入は……もしそんな技術体系を持った国が、この大陸に攻め込んできたら……っ!)


「軍師殿? いかがなされた、顔色が……」


「……イブン、これは、火薬……だ。すぐ、殿下に……っ」


その恐るべき真実を言語化し、ファリードに警告を発しようとマーシャが立ち上がった、まさにその瞬間だった。


「……っ、が……」


ドクンッ、と。突如として、視界が泥のように歪み、激しい悪寒と目眩がマーシャを襲った。

 呼吸が浅く、熱い。石机に手をつこうとして空振りし、小柄な身体が冷たい床へと崩れ落ちる。十字軍との死闘で受けた無数の掠り傷。そこに練り込まれていた微量の毒と、数ヶ月にわたる極度の過労が、戦いが終わった安堵と共に一気に牙を剥いたのだ。


「ぐ、軍師殿!?」


全身が溶岩のように熱く、指一本まともに動かせない。薄れゆく意識の中、未知なる脅威への思考は強制的に遮断され、彼女は自身が天幕の床に倒れ伏す音を遠くで聞いた。


* * *


「軍師殿!! しっかりなされよ!!」


どれほどの時間が経ったのか。ひどく混乱した意識の中で、マーシャは自身の身体が寝台に運ばれ、周囲を何人かの兵士が慌ただしく動く気配を感じた。

医療・毒物部隊長のイブンの声が響く。


「ひどい熱だ……未知の毒かもしれん! 傷口から血を抜き、毒消しを擦り込まねば命に関わる! お前たちはすぐにお湯と清潔な布をありったけ持ってこい! さあ、早く天幕から出るのだ!」


「はっ! ……ですがイブン殿、軍師殿が息苦しそうです! せめて我々で、外套と帯だけでも解いて呼吸を楽に――」

「馬鹿者、勝手に触るな!」


イブンが止めるより早く、事情を知らない若い兵士の手が、良かれと思ってマーシャの外套へ伸びてくる。


その瞬間、マーシャの脳内に強烈な警報が鳴り響いた。

(駄目だ……っ!!)

服を脱がされれば、胸をきつく縛り上げているサラシが露わになる。自分が女であることが、陣営中に知れ渡ってしまう。

遠ざかる意識の中、マーシャは必死にその薄れゆく意識にあがらう。

悪魔の軍師の仮面が砕け散れば、部隊の統率は乱れ、この軍の秩序は崩壊する。


「や、めろ……っ! 触るなッ!!」


マーシャは高熱で喘ぎながらも、最後の気力を振り絞って兵士の手を払い除け、自身の胸元を両腕で必死に掻き抱いた。


「ぐ、軍師殿!? 暴れては毒が回りますぞ!」

「触るなと言っている……っ! 私の身体に、他人の手を、入れるな……!!」


顔を真っ赤にして呼吸を荒げ、獣のように警戒心を剥き出しにするマーシャ。


(ヒィッ……このまま秘密がバレたら、あの恐ろしい殿下に私が真っ先に八つ裂きにされるぞ……!)


彼女の秘密と、覇王の恐るべき独占欲を陣営でただ一人知っているイブンは、滝のような冷や汗を流して兵士たちを遠ざけようとするが、何も知らない兵士たちは困惑し、天幕内に焦燥が満ちていく。


「……そこまでにしろ」


その時。天幕の入り口から、低く、圧倒的な威圧感を孕んだ声が響いた。

 ファリードであった。彼は白銀の甲冑を鳴らしながら、足早に寝台へと近づいてくる。


「殿下! しかし、このままでは軍師殿の命が――」


「退がれ、イブン。……軍師の身体には、我が軍の機密情報が刻まれている。治療の場であっても、陣営の者たちにその素肌を晒すわけにはいかない」


ファリードは、平然とした顔で完全にでっち上げた嘘を口にした。


「薬と湯だけを置いて、お前たちは全員天幕から出ろ。……治療は、私が直接行う」

「で、殿下自らが!? いえ、しかしそれでは殿下の御手が汚れ――」


事情を知らない若い兵士が反論しかけた瞬間、イブンがその首根っこをガシッと掴んで物理的に黙らせた。


(助かった……っ! これ以上我々がここに居座って秘密がバレでもしたら、この恐ろしい覇王に全員首を撥ねられるところだった!)


内心で安堵の滝汗を拭いながら、イブンはわざとらしく恭しく頭を下げ、兵士たちを促した。


「ヒッヒッヒ! お聞きしたかお前たち! 殿下が直々に看病してくださると仰っているのだ! さあ、殿下にお任せして、さっさと薬と湯を置いて退散せんか!」

「えっ、あ、はいッ!」


イブンに強引に急かされ、困惑する兵士たちも慌ただしく薬瓶と湯桶を置き、天幕から押し出されるように退室していく。 分厚い布が下ろされ、薄暗い天幕の中には、荒い息を吐くマーシャと、ファリードの二人きりとなった。

「……ファ、リード……。何をする気だ……出ていけ……」


マーシャは熱に浮かされた濁った瞳でファリードを睨みつけ、胸元を隠すように身体を丸めた。

 だが、ファリードは無言のまま寝台の傍らに膝をつき、水に濡らした布を固く絞った。


「……やめ、ろ……」


弱々しく拒絶し、逃げようとするマーシャの震える両手を。

 ファリードは、己の大きく熱い手で、痛みを伴わない絶妙な力加減で包み込むように押さえ込んだ。


「……大丈夫だ」


ファリードの声は、先ほどまでの威圧感が嘘のように、ひどく甘く、そして深い慈しみに満ちていた。


「大丈夫だ、マーシャ。私だ。……お前を傷つける者は、ここには誰もいない」


その声の温度に、マーシャの張り詰めていた警戒心が、微かにほどける。

 抵抗を止めたマーシャを見つめ、ファリードは静かに彼女の外套の紐を解き、泥と汗に塗れた上着を脱がせた。

 そして、その下にある――彼女の華奢な胸をきつく、痛々しいほどに縛り上げている血まみれのサラシに手をかけた。


(あ……)


マーシャの息が止まる。

 だが、ファリードの手に一切の戸惑いや驚きはなかった。彼はマーシャが女性の身体をしていることを微塵も不思議に思わないかのように、あまりにも手際よく、そして壊れ物を扱うような熱を帯びた手つきで、血の滲んだサラシを解いていった。


長年彼女の肺を圧迫し続けていた呪縛が解け、久方ぶりに深く、まともな空気が肺を満たしていく安堵感を覚える。 高熱で朦朧としながらも、長年の物理的な苦痛から解放してくれた彼の手の温度と優しさに、張り詰めていた心が解けていく。


 露わになった、女性特有の柔らかな素肌。

 そして、その白い背中や脇腹に刻まれた、無数の凄惨な傷跡。


ファリードの金色の瞳が、その傷跡を見るたびに苦しげに揺らぐ。彼は濡らした布でマーシャの熱い素肌の汗を優しく拭い、イブンが置いていった解毒の軟膏を、自身の指でゆっくりと、丁寧に傷口へと塗り込んでいく。


その時、ファリードの視線が、高熱で小刻みに震えるマーシャの左手首へと落ちた。

そこには、泥と血に塗れたボロボロのミサンガが巻かれている。


『こいつはただの紐じゃない。私の「遠い故郷」へ帰るための、たった一枚の切符なんだ』


いつか彼女がそう語った、唯一の希望の象徴。


あんなにも華奢で、無数の凄惨な傷を負いながら、彼女がたった一人でどれほど元の世界への帰還を渇望してきたか。

その想いの重さが、ファリードの良心を鋭く抉り取る。


(……だが、お前はもう帰れない。星の門を開く代償が私の命である限り、お前は永遠に故郷へは帰れないのだ)


つい先刻、異端審問官の首を刎ねて隠蔽した恐るべき真実。 彼女の希望を自らの手で完全に握り潰し、一生残酷な嘘を吐き続けてでも、彼女をこの血塗られた自身の腕の中に閉じ込めておこうと決断した己の醜いエゴ。


(私は、何という残酷な化け物になったのだろうか。……こんなにも傷だらけのお前から、たった一つの希望すらも奪い、永遠にこの地獄へ縛り付けようとしている)


強烈な罪悪感と自己嫌悪が、ファリードの呼吸を浅くさせる。

いっそこの場で彼女が目を覚まし、自身を稀代の嘘吐きだと罵って、その短剣で刺し殺してくれればどれほど楽になるだろうか。

だが、それでも。自身の命に代えて彼女を帰すことも、彼女を手放すことも、どうしても選べないのだ。


ファリードはギリッと奥歯を噛み締め、罪悪感に引き裂かれそうになる心を無理やり鋼の檻に封じ込めると、震える指先で彼女のミサンガにそっと触れた。


(……私を許してくれとは言わない。私は、お前の希望を壊してでも、お前をこの腕に閉じ込めておきたいのだから)


声に出せない、痛切で暗い懺悔。


傷口に触れる彼の手のひらは大きく、剣ダコで少しザラついていて。けれど、ひどく安心する温度を持っていた。


痛覚を麻痺させるような熱の中で、マーシャの脳裏に、一つの確信が浮かび上がった。


――おかしい。

 陣営の誰もが男だと思っている自分が、実は女だった。その絶対的な秘密を今、目の前で暴いたというのに。

 なぜこの男は、これほどまでに当たり前のように、自分を女性として優しく扱っているのか。


「……殿、下」


マーシャは、掠れた、熱っぽい声で彼を呼んだ。

 軟膏を塗っていたファリードの手が、ピタリと止まる。


「あんたは……いつから、知っていた?」

「……」

「私が……女だと。いつから……」


薄暗いランプの光の中。ファリードの金色の瞳が、ゆっくりとマーシャの黒曜石の瞳と真っ直ぐに交差した。

 誤魔化すことも、冗談ではぐらかすこともできたはずだ。だがファリードは、深く静かな吐息を一つこぼし、すべてを告白するように隠すのをやめた。


「……あの夜からだ」

「夜……?」


「ガレブ渓谷の採石場を落とし、砦を占領した日の夜。湧水池で、お前のその背中の傷を見た時から……ずっとだ」


その言葉が落ちた瞬間。

 マーシャの頭の中で、張り巡らされていた過去の記憶の糸が、一本の太い線となって繋がった。


軍議のたびに、不自然なほど距離を詰めてきていたこと。

 自分の矢面に立ち、絶対に前線で無理をさせまいと過保護に振る舞っていたこと。

 そして、十字軍との激戦の夜、泣き崩れる自分からターバンを奪わず、「私の隣以外で壊れるな」と強引な言葉で縛り付けてきたこと。


彼があの夜から数年間、自身の性別を知りながら、それを誰にも言わず、陣営の中で悪魔の軍師という自身の仮面をただ一人で守り抜いてくれていたのだという事実に。マーシャは言葉を失った。


「……なぜ」


マーシャの瞳から、熱に浮かされた無意識の涙が、ツー、と頬を伝い落ちた。


「なぜ、言わなかった……。私が女だと知っていれば、もっと早く、私を盤面から外すことだって……っ」


「そんなことができるはずがないだろう」


ファリードは、自身の手袋を乱暴に脱ぎ捨てると、熱を持った大きな素手で、マーシャの濡れた頬をそっと包み込んだ。

 彼の親指が、マーシャの目尻の涙を優しく拭う。


「お前は、必死に強がって仮面を被っていた。その仮面を無理やり剥ぎ取れば、お前が壊れてしまうと分かっていたからだ。……それに」


ファリードは顔を近づけ、自身の額を、マーシャの熱い額へとコツンと合わせた。

 近すぎる距離。彼の長い睫毛と、金色の瞳の奥にある、狂おしいほどの愛執が、マーシャの理性を激しく揺さぶる。


「男であろうと女であろうと、関係ない。お前は私を王の道へと引きずり込んだ、たった一人の私の軍師だ。……お前のその傷だらけの背中を守れるのは、王となるこの私だけでいい」


独占欲と、不器用すぎる愛の告白。

 それは、孤立無援の異世界で、誰にも本当の自分を明かせずに凍えていた少女の心に、絶対的な居場所を与えるような、呪いのように甘い言葉だった。


(ああ……そうか。この男には、敵わない)


もう、嘘をつく必要はないのだ。男のフリをして、心を殺す必要も。

 この腕の中だけは、自分がただの弱く孤独な少女であっても許されるのだと。


「……馬鹿な、王様だ……っ」


マーシャは熱い涙を零しながら、今まで他人に決して触れさせなかった自身の左手をゆっくりと持ち上げ、ファリードの分厚い背中へと回した。

自身の強がりが崩れていくのが悔しいように、その背中の布地をギュッと強く握りしめる。 自身を抱きしめる彼の首筋に顔を埋め、マーシャは数年ぶりに、分厚い仮面の下に隠し続けてきた人間としての痛みをすべて吐き出すように、その温かい腕の中で声を殺して、不器用に泣きじゃくったのだった。




――同時刻。

王都グラナダ、作戦司令室。

十字軍の壊滅という凶報は、すでに叔父マレクの元へも届いていた。


「ば、馬鹿な……っ! あの不死身の狂信者どもが、たった数日で全滅だと!?」

マレクは震える手で報告書を握りつぶし、玉座の代わりの豪華な椅子から転げ落ちそうになっていた。

「定石が通用しないとは聞いていたが、まさか神の威光すらも力技でへし折るとは……! 悪魔だ、奴らは本物の悪魔だ!」


恐怖に顔を引き攣らせるマレクとは対照的に。

その傍らで、大帝国の正統なる知略を継ぐ若き天才軍師ゼインは、冷たいワインを傾けながら、ひどく退屈そうに盤上のチェス駒を弄っていた。


「……恐れることはありません、陛下。あの狂信者どもは、所詮は盤面を荒らすだけの盤外の獣。私にとっては、あの悪魔の軍師の手札と、底の深さを測るための安い捨て駒に過ぎません」


「捨て駒だと!? だが、奴らは現に王都へ向かって進軍してきているのだぞ!」

「ええ。ですが今回の戦で、奴の思考の癖は完全に読み切れました」

ゼインは、盤上の黒いナイトの駒を指で弾き倒した。


「悪魔の軍師の戦術は、極めて合理的でありながら、常に泥臭い生存本能と人間の欲や恐怖といった感情を利用した局地戦に依存している。……裏を返せば、奴は大局的な盤面の定石をあえて外すことでしか勝てない、ただの邪道です」


ゼインの端正な顔に、氷のように冷酷で、絶対的な自信に満ちた笑みが浮かぶ。


「奴が定石の裏をかくのなら。私はその『裏の裏』を読み、奴らが最も得意とする局地戦の舞台すらも、完全に統制された緻密な定石という名の巨大な鳥籠の中に閉じ込めてすり潰すだけのこと」

ゼインは、王都の地下に張り巡らされた複雑な水路図へと視線を落とした。


「奴は己の暗殺技術と機動力を過信している。必ず、王都を落とすために最短で最も危険な裏道を選ぶはずです。……そこを、逃げ場のない死の袋小路にして差し上げましょう。大帝国の真の知略の前に、辺境の泥に塗れた悪魔がどれほど無力か、思い知らせてやりますよ」


大帝国の絶対的な定石をすべて暗記し、書き換えた神の化身。 その狂気的なまでの計算高さと冷徹な殺意が、ファリード陣営の前に立ち塞がる最大の壁として、静かに、そして確実に牙を研ぎ澄ませていた。


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