第9話 今日を生きるため
朝日が、布越しにぼんやりと差し込んでいた。
レインは薄く目を開けて、しばらく天井を見つめた。見慣れない梁、隙間を塞いだ布、綺麗になった床。昨夜の記憶がゆっくりと頭の中で繋がっていく。
廃村。崩れかけた家。スライムだった少女、スイ。掃除。修繕。ランタンの灯り。
「……朝か」
声に出すと、部屋の隅から小さく返事があった。
「おはようございます」
首を巡らせると、スイがぺたりと座っていた。もう起きていたらしい。いや、そもそも昨夜ちゃんと眠ったのかどうかも怪しいが、とにかく彼女は朝からきちんとこちらを見ていた。
「おはよう」
そう返してから、レインは上体を起こす。
部屋が綺麗になったからか、床の上に毛布を敷いただけの寝床は思ったより寝心地が良かった。もちろん宿の寝台にはほど遠いが、野宿よりはずっとましだ。
窓を塞いだ布が、朝の風を受けてゆらゆら揺れている。
初日よりずっと、ここは“人が寝起きする部屋”に見えた。
「レインさん、あの」
「ん?」
「朝になりました」
「見れば分かる」
思わずそう返すと、スイは「はい……」と少ししょんぼりした。
どうやら何か言いたかったらしい。まだ人間同士の会話に慣れていないのか、言葉のやり取りが少し不器用だ。
レインは軽く頭をかきながら、周囲を見回した。
昨日集めた高さの合わない椅子。歪んだ机。隅に寄せた道具の山。ひとまず住めるようにはなった。だが、問題なく暮らせるかと言われればまだ全然足りない。
水はスイのおかげで最悪どうにかなる。家も最低限は整えた。
問題はその次だ。
「……朝飯、だな」
ぽつりと呟くと、スイがこくこくと頷いた。
「はい! 朝ごはんです!」
なるほど、お腹が減っていたようだ。
「すまない、待たせたみたいだな」
スイがフルフルと首を振って答える。
レインは背負い袋を引き寄せ、中身をあらためた。硬くなったパンが少し。干し肉が少し。塩もほんの少量。昨日の時点で余裕がないのは分かっていたが、朝の明るい光の中で見ると、現実味が増す。
「……どうしたんですか?」
不安そうにそっと袋の中を覗き込むスイ。
「いや、食料がもうあまり無くて」
「え? そ、それなら私、朝ごはん無くても……」
さっきまで目を輝かせて待っていたくせに。全く、健気な子だ。
「今日の分くらいは大丈夫だ。ただ……二日、いや三日は厳しいな」
「そんなに少ないんですか?」
「少ない」
レインはきっぱり言った。
「街を出た時点で一人分で計算してたからな」
「あっ」
スイは目を丸くしてから、あからさまに申し訳なさそうな顔をした。
「す、すみません。私の分……」
「いや、責めてる訳じゃない。単に計算がズレたってだけの話だ」
そう言ってから、レインは少し考える。
元スライムとはいえ、今のスイはほとんど人間の少女と変わらない見た目をしている。食事の必要量も、昨日の夕飯を見る限り、人間と変わらないだろう。
となると、手持ちを切り詰めるだけでは早々に限界が来る。
「なら、最初にやることは決まったな」
「はい?」
「まずは食料の確保だ」
そう言うと、スイは少しだけ背筋を伸ばした。
「食料……大事、ですね」
「水は一応ある。寝る場所もどうにかある。けど、食べるものがなかったら終わりだ」
「終わり……」
言葉の重さを噛みしめるみたいに、スイが繰り返す。
レインは椅子のひとつを引き寄せて座り、机を軽く叩いた。
「よし、今から会議をする」
「か、会議」
「そんな大げさなもんじゃないけどな」
そう前置きしつつ、レインは指を一本立てた。
「まず、村の周りで食べられるものを探す。果実でも木の実でも野草でもいい」
「はい」
「次に、取れそうなら魚か小動物。釣りとか罠とかだな」
「つり……」
「安定して食料を確保するなら、本当は畑が欲しい所だけれど──今はまだ無理だ」
そこで一度言葉を切る。
畑は、確かに長期的に見れば必須だ。だが、いきなりそこへ行くのは早い。道具も種も、土の具合も分からない。まずは今すぐ口に入るものを探す方が先だ。
スイは真剣な顔で聞いていたが、やがておずおずと手を挙げた。
「……はい」
「うん?」
「私、食べられるものなら、たぶん見つけられます」
「本当か?」
「たぶんですけど……」
また“たぶん”だった。
レインは少し不安になったが、今は少しでも物資が欲しい。スイは元々この辺りにいたのだ。少なくとも自分より土地勘はあるはずだった。
「じゃあ案内してくれ」
「はい!」
今度は元気のいい返事だった。
その勢いのまま立ち上がろうとして、少しふらつく。昨日よりはましだが、まだ二本足の扱いには慣れていないらしい。レインは椅子から腰を浮かしかけたが、スイはどうにか踏みとどまった。
「だ、大丈夫です!」
「ならいいけど……無理するなよ」
「はい!」
本当に元気だ。昨日まで小さなスライムだったとは思えないくらいには。
いや、見た目だけならそうだが、時々ぷるぷる肩を震わせたり、たまに発言がズレたりするのを見ると、やはり普通の人間の少女とはだいぶ違う。
レインは苦笑しながら立ち上がった。
「その前に、残りのパンを半分ずつにするか」
「えっ」
「空腹じゃ何事も効率が悪い」
「で、でも」
「いいから」
言い切ってパンを割ると、スイは両手で受け取って、少しだけ目を見開いた。
「……半分も、いいんですか? 貴重な食料なのに」
「貴重だからこそ、半分こだ」
「……はい」
スイはとても大事なものみたいにパンを見て、それから小さくかじった。
その様子を見ながら、レインも自分の分を口にする。相変わらず硬い。だが、少しだけましな味に感じた。
たぶん、一人で食べていないからだろう。
「よし」
パンを飲み込み、立ち上がる。
「じゃ、行くか。生きるために!」
「はいっ」
スイも頷く。
そうして二人は、まだ朝の匂いの残る村へ出た。
昨日灯した小さな明かりの続きのように、今度は“今日を生きるため”の一日が始まろうとしていた。




