第8話 “人の暮らし”の色
遠い目をしていたレインは、やがて観念したように息を吐いた。
「……まあ、水の問題は一旦置いておくとして」
「はい」
「家を少し掃除しよう。住むなら、まずそこからだ」
「はいっ」
スイの返事は妙に元気だった。
レインは家へ戻ると、まず窓を押し開けた。蝶番は錆びついていて、ぎぎ、と嫌な音を立てたが、どうにか片方は動く。
途端に、淀んでいた空気が外へ流れ、代わりに草原から吐く風がふわりと吹き込んできた。
埃が舞う。
「おふっ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。まずは瓦礫だな」
床に散らばった木片や石、枯れ葉を一箇所に寄せて、外へ運び出す。壊れた家具の脚、割れた食器、何に使っていたのかも分からない鉄の欠片。
長いあいだ放っておかれた家の中には、暮らしの残骸があちこちに鎮座していた。
レインが腕まくりして作業を始めると、スイもすぐに真似をした。もっとも、華奢な腕で大きな瓦礫を持ち上げるのは難しいらしい。最初はよろよろしていたが、小さな木片や枯れ葉を集めるのは意外と器用だった。
「よし、その辺は任せた」
「はい!」
褒められたのが嬉しかったのか、スイはぷるぷると肩を揺らしながら張り切っている。
しばらくして、スイが「お水、持ってきますね」と言って外へ飛び出していった。レインはひとりで床の瓦礫を片づけながら、「水を持ってくる」とはどういうことだろうと少しだけ考えた。
答えはすぐに分かった。
「レインさん、どいてください!」
「え?」
振り返ると、戸口に立ったスイが胸を張っている。 そのまま彼女は、口を大きく開いた。
次の瞬間。
だぁっ、と水が飛んだ。
「うわっ!」
床へ向けて、水が勢いよく撒き散らされる。乾いた板が一気に濡れ、こびりついた土埃が浮き上がった。
レインが一歩引く。
「……その出し方、やっぱりちょっと慣れないな」
「き、綺麗なお水です!」
「それは知ってるけど!」
スイはいたって真面目だ。どうやら池から吸い上げた水を、家の掃除に使おうと思いついたらしい。発想自体はとても助かる。助かるのだが、やはり見た目には慣れが必要だった。
とはいえ、床に水が撒かれたおかげで作業は一気に進んだ。
裏手の納屋を覗いてみると、朽ちかけた木箱の中から、使えそうなブラシが一本見つかった。毛先は少し開いているが、掃除には十分だ。
「よし、これでこすれば──」
「私、役に立ちましたか!?」
「え?」
「お役に、立てましたか!?」
どうやら褒めて貰いたいらしい。
目をキラキラさせて、屈託のない笑顔をレインに向けてくる。
「……まあ、助かった」
「えへへ」
レインは苦笑しながらブラシを動かした。泥と埃が剥がれ、灰色だった床板が少しずつ本来の木の色を取り戻していく。
何度か水を撒き直し、こすって、拭う。それを繰り返すうちに、家の中の空気まで少し軽くなった気がした。
次に取りかかったのは壁だ。
横の一角には、拳大の穴がいくつも空いている。風が吹くたびにそこから冷気が入り込み、昨晩は冷えた。
「これは塞がないとな」
「どうやってですか?」
「板を打ちつける」
幸い、近くには半ば崩れた家が何軒もある。
レインは使えそうな板を探して回り、釘の代わりになりそうな木杭まで拾ってきた。完全とはいかないが、穴に板を当てて打ち込めば、とりあえず隙間風はかなり防げる。
割れた窓はもっと簡易的に済ませた。近所の家を探すと、奇跡的に布地の残っている引き出しがあり、色褪せたテーブルクロスや布切れが見つかったのだ。破れていない部分を選び、窓枠へ張っていく。
「これで少しはましか」
「なんだか、お家っぽいです」
「まぁ、まだまだ廃墟に近いけどな」
そう言いながらも、レインも少しだけ同じことを思っていた。
ただの廃墟だった場所が、少しずつ“生活の場”に変わっていく。その変化は思った以上に大きかった。
いつの間にか日はかなり傾き、外の光も橙色へ変わっていた。
床は見違えるほどきれいになり、壁の穴も塞がれ、窓の隙間も布で埋まった。
壊れた椅子や脚の欠けた机はひとまず外へ出し、その代わりに周囲の家から使えそうなものを集めてくる。
結果として、部屋の中には高さのバラバラな椅子が三脚と、少し歪んだ小さな机が一つ並ぶことになった。
統一感なんて欠片もない。
けれど、それでも不思議と家らしく見えた。
「……よし」
レインは部屋の真ん中に立って、ぐるりと見回した。
朝の時点では、寝る場所としてもぎりぎりだった家だ。だが今は違う。少なくとも、誰かが暮らそうとしている場所には見える。
「どうですか?」
「悪くない」
レインが素直に答えると、スイはぱっと顔を明るくした。
「ほんとですか?」
「ああ。かなり良くなった。スイもよく頑張ったな」
「えへへ……」
照れたように笑うスイの姿を見て、レインもつられて少しだけ笑った。
そこでふと、背負い袋の底に入れていた小さなランタンを思い出す。街を出る前に、半ば癖のように持ってきていたものだ。油は残り少ないが、火が使えないわけではない。
レインは机の上にランタンを置き、慎重に火を入れた。
ちり、と小さな音がして、灯芯に火が移る。
次の瞬間、ほんのりとした橙色の光が、部屋の中に静かに広がった。
「わぁ……」
スイが小さく声を漏らす。
その瞳に、揺れる灯りが映った。
「きれいです……」
「燃料は残り少ないからな。毎日は無理だ」
「はい」
「けど、今日はお祝いだ」
言ってから、少し照れくさくなる。
何を祝うのかと問われれば困る。
家を直し少し住めるようにしたことか、スイに名前がついたことか、自分が今夜も野宿せずに済みそうなことか。
たぶん、その全部だ。
ランタンの明かりは、揃いもしない椅子や、拾い集めた机や、布で塞いだ窓をやわらかく照らしていた。
それは豪華な光ではない。
けれど、誰もいなくなって久しいこの廃村の中で、その灯りだけは確かに“人の暮らし”の色をしていた。
ほんの少しだけ。
村に、家に、人の暮らしが戻った。
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