第10話 み、水を……! お口に!
家を出ると、朝の空気はまだ少し冷たかった。
昨日はただ寝床を確保するので精一杯だったが、こうして明るい中で見回すと、家の周囲にも色々なものがある。崩れた石垣、草の伸びた空き地、半ば埋もれた畑跡のような場所。放棄されて久しい村ではあるが、まだ人々の生活の後は見て取れる。
スイはそんな景色の中を、どこか得意げに歩いていた。
「こっちです」
「本当に食べれるものがあるのか?」
「はい。たぶん」
また“たぶん”だ、とレインは思ったが、すぐにスイが言い足した。
「スライムのとき、色々食べてみましたから」
「色々?」
「はい。この辺に生えてる葉っぱとか、実とか、草とか。手当たり次第です」
「……命知らずだな」
「そんなことないですよ」
スイは振り返って首をかしげる。
「食べたらいきなり死んじゃう物なんて、そうそうありませんから」
「……それって、経験則か?」
思わず真顔になる。
だがスイ本人は、そこまで大事だと思っていないらしかった。
「はい、大丈夫です。お腹が痛くなったり、痺れて動けなくなったり、ちょっと溶けちゃったり……色々ありましたけど、大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないな!?」
「でも、ちゃんと生きてました」
「いや、結果論で語られてもな……」
レインが頭を押さえると、スイは「む、難しいですね」と困ったように笑った。
元がスライムなのだから、耐性が普通の生き物と違うのだろう。実際、人間なら致命的なものでも平気なのかもしれない。そう考えると、スイの“食べられる”は、あまり人間向けの基準ではない気がしてきた。
「一応確認するけど、人間でも食べられそうなやつを案内してくれ」
「はい。たぶん大丈夫なのを探します」
「その“たぶん”が不安なんだよなあ……」
ぼやきつつも、レインはスイの後を追った。
村の周りには、背の低い草のほかに、蔓の絡んだ低木や、実のついた灌木がぽつぽつ生えている。人が手入れしなくなったぶん、好き勝手に伸びているようだった。
スイは時折立ち止まっては、葉をつまんだり、枝先を覗き込んだりしている。真剣な横顔は妙に頼もしいが、その判断基準が「スライムの時に食べて平気だったかどうか」なのを思い出すと、全面的に信じる気にはなれない。
「これ、前に食べました」
「どうだった?」
「何だか世界がぐにゃぐにゃになりました」
「却下だな」
「こっちはお腹が千切れるかと思いました」
「却下」
「あっ! これは、ちょっと痺れるくらいです」
「却下」
歩きながらそんなやり取りを続けていると、レインもだんだん心配になってきた。
「なぁ、ほんとに大丈夫なのか?」
「食べて全然何ともない物に絞るとなると、あんまり多くないかもです」
「この辺、ずいぶん過酷だな……」
レインのボヤキに、スイは悪びれずに頷く。
「あの、ちょっと痺れるくらいなら、慣れれば何とかなりますよ。試してみませんか!?」
「俺はあんまり慣れたくない」
周辺の食料事情に、早くも不安が募る。
それでも、こうして歩いてみると分かることもあった。家の裏手には日当たりのいい斜面があり、少し先には背の低い木が何本かまとまって生えている。昨日は気づかなかった小道の跡もあるし、崩れた柵の向こうには昔の畑らしい平地も見えた。
村は広くないが、見て回る場所は思ったよりありそうだ。
「あっ、レインさん」
ふいにスイが足を止めた。
「ん?」
「これです!」
振り向くと、スイが少し背の低い木の前でしゃがみ込んでいた。枝先には、つやつやした赤い実がいくつもなっている。朝日を受けて光るそれは、小ぶりながらなかなか美味そうに見えた。
「見た目は、とりあえずまともだな」
レインは枝を覗き込みながら苦笑した。
スイは両手でいくつか実を摘み取り、得意げにこちらへ差し出す。
「これ食べられます!」
「へえ。数も結構あるな。……本当に大丈夫なんだよな?」
「はい。これは食べても何ともありませんでした! 人間の体でも、たぶん大丈夫です」
「その“たぶん”がめちゃくちゃ怖いんだが……」
少し引っかかったが、見た目はどう見ても普通の木の実だ。少なくとも、さっきまでの「痺れます」「お腹痛くなります」候補よりはずっとましに見える。
レインは一粒つまみ、決死の気持ちで口へ放り込んだ。
最初の一瞬は、何もない。
だが、次の瞬間だった。
「──っ!?!?」
舌を突き刺すような刺激が爆発した。
辛いとか、そういう生易しいものではない。熱い。痛い。口の中だけ火事になったみたいだった。
「がっ、あ、あああっ!? な、なんだこれ!?」
「レ、レインさん!?」
「かっっ、ら!? 辛っ……辛ぁっ!!」
目に涙が浮かぶ。喉まで焼ける。反射的に咳き込み、レインはその場でしゃがみ込んだ。
「み、水……! 水、水ーっ!!」
もはや体裁も何もない。レインが本気でのたうち回り、口から涎を垂れ流すのを見て、スイは顔色を変えた。
「み、水! お水ですね!?」
「そうだ、水っ!」
「は、はいっ! 水、お水です!」
言うやいなや、スイはものすごい勢いで駆け寄ってきた。
助かった、と一瞬だけ思ったレインだったが、次の瞬間、スイが抱きつくように顔を抑えてくる。
近い。近すぎる。
しかもスイは真剣そのものの顔で、唇をこちらへ寄せてきていた。
「まっ、待て待て待て待て!!」
「ふぇっ?」
「何しようとしてる!?」
「み、水を……! お口に!」
「やり方!! 方法がおかしい!!」
レインは慌てて両手で制止した。辛さで涙目のまま全力で止める姿は、我ながら締まらないにもほどがある。
スイはきょとんとして、目をぱちぱちさせた。
「で、でも、早くしないと大変かと……」
「それは分かる! 分かるけど、そうじゃない!」
「? お水、要りませんか?」
「要る! 要るけどちょっと待て!」
思わず大声になった。
スイはしゅんと肩を落とす。
「す、すみません……」
「いや、助けようとしてくれたのは分かるけど……分かるけど、それは二度とやっちゃダメだ」
「だめ……なんですか?」
「ダメだ」
どうにか多少は収まった辛さにむせながら、レインは真っ赤な顔で言い切った。辛さのせいだけではない。たぶん。
スイはしょんぼりしながらも、こくりと頷く。
「分かりました……」
「とにかく普通に水をくれ、コップに!」
「あ、はい!」
今度こそスイは少し離れ、水筒の蓋を受け取ると、きちんとそこへ透明な水を注いだ。口から。
レインはひったくるようにそれを飲み干す。
ぬるい。けれど救いだった。
「はぁっ……生き返った……」
「よ、よかったです……」
スイは心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。それから、手の中に残った赤い実を見下ろして、おずおずと口を開く。
「すみません……スライムのときは平気だったので、大丈夫と思ってました……」
「スライムって、味覚あったのか……?」
掠れた声でそう返すと、スイは「多分……無かった気がします」とさらに小さくなった。
レインは深く息を吐き、まだ少しひりひりする舌先を押さえる。
どうやらこの廃村暮らし、食料探しひとつ取っても前途多難らしい。




