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第35話 ほんの少し恩返しが出来た気がした

 それから数日。


 セリナは畑を見て、土に触れて、みんなと一緒に過ごした。


 朝はまだ眠気の残るうちから起きて、スイと一緒に水を運び、リーファに細かく指示されながら作物を手入れし、昼には野菜をかじりながら畑の様子を話し合い、夜にはレインたちと同じ粗末な家で眠った。


 その間に、村の空気は少し変わった。


 スイはあっという間に懐いたし、リーファも最初こそつんけんしていたものの、畑に対してセリナが真面目だと分かると、露骨に当たりが柔らかくなった。ルゥも最初ほどは警戒を見せず、たまに一言二言会話を交わすようになった。


 ……そして今日。

 セリナが街へ帰る日が来た。


 街道まで見送りに出たレインたちは、止まった乗合馬車の前に立っていた。


 いざ別れ際となると、やはりスイが一番分かりやすい。


「……うぅ」


 今にも泣きそうな顔で、けれど泣くまいと必死にこらえている。


「スイちゃん」


 セリナが苦笑交じりに名前を呼ぶと、スイはぶんぶんと首を振った。


「だ、大丈夫です。泣いてません」

「目がうるんでるぞ」


 レインが言うと、スイは慌てて袖で目元を押さえた。


「ス、スライムだから、いつも湿ってるんです!」


 まったく説得力がない。


 セリナもそれが分かっているのだろう。少しだけ目を細めて、優しく笑った。


「そんな顔しなくても、ずっとお別れってわけじゃないでしょう?」

「でも……」

「また遊びに来て、いいですか?」


 先に言われてしまって、スイは少しだけ目を丸くした。それから、こくんと大きく頷く。


「……はい。また、遊びに来てください!」

「はい。必ず」


 きっぱりと答えるセリナの声に、スイはようやく少しだけ笑った。


 その隣で、リーファが腕を組んだままそっぽを向く。


「その……次に来るときまでには、もっとまともな家にしとくから」

「楽しみにしてます」


 セリナが素直にそう返すと、リーファは少しだけ言葉に詰まり、耳を赤くした。


「その、色々キツイ事言っちゃったけど……ごめん。わたし、植物の事になると、つい」

「大丈夫です。こちらこそ、とても勉強になりました」

「な、何か植物の事で分らない事あったら、いつでも聞きに来なさいよね!」

「はい、頼りにさせてもらいます」


 素直じゃないのは相変わらずだが、最初の頃よりずっと柔らかい。


 その様子を見ながら、レインは小さく息を吸った。


 別れも惜しいが──ここで聞かなければならないことがある。


「あの、それで……仕入れの件は」


 レインがそう切り出すと、セリナは間を置かずに頷いた。


「もちろん、お願いします」


 一瞬、言葉の意味を飲み込むのに遅れた。

 それから、ぱっと場の空気が明るくなる。


「ほんとですか!?」


 真っ先に声を上げたのはスイだった。

 リーファも目を見開き、ルゥでさえ耳をぴくりと動かした。


 レインはようやく顔を上げる。


「……いいんですか?」

「はい」


 セリナはいつもの落ち着いた調子で続けた。


「確かに、リーファさんやスイさんの人ならざる力があるのは事実です」


 スイが少しだけ身を固くする。だが、セリナはそこできちんと皆を見る。


「でも、確かにおっしゃる通り、野菜が育つのを手助けしているだけでした。土を整えて、水をやって、作物が育ちやすいようにする。本質的には、普通の農家の人たちがやっていることと変わりません」


 その言葉に、リーファの表情が少しだけ緩んだ。


「これなら、安心してお客さんにおすすめできます」

「……よかった」


 レインは胸の奥から、ようやく息を吐き出した。


 ここ数日、ずっとどこかで張っていたものが少しほどける。

 セリナはさらに言葉を続けた。


「最初は、いつもよくしてくださるお客さんから、少しずつ反応を見ながら試してみようと思っています」

「えぇ、お任せします」

「ノルードの野菜を心待ちにしている人がいるのは事実ですから」


 その言葉に、レインはふと胸が熱くなるのを覚えた。


 もう誰からも忘れ去られ、捨てられたと思っていた地だ。けれど、その名を覚えていて、今も待っている人がまだ街にいる。


 それだけで、世話になっているこの場所に、ほんの少し恩返しが出来た気がした。


「セリナさんの商売の妨げにならない程度でいいので、お願いします」


 レインが頭を下げるように言うと、セリナは少しだけ困ったように笑う。


「妨げにならない程度、ではなくて、私としては看板商品にしたいくらいなんですけどね」

「え? そこまで!?」

「はい、でもまだ先の話です。最初は量も限られるでしょうし、そのあたりは無理のない範囲でやっていきましょう」

「はい」

「あと、仕入れ値の交渉は、仕入れを見ながらその時々で、でいいですか?」

「もちろんです」


 そこはむしろ、そうしてもらった方がありがたい。今は季節ごとの出荷量がどれ程になるか、まだ自分たちでも読み切れていないのだから。


 セリナは満足そうに頷いた。


「では、楽しみにしてますね」


「はい!」


 スイが元気よく返事をし、リーファも「まあ、期待してなさい」と言わんばかりに胸を張る。ルゥはいつも通り無言だったが、尻尾が一度だけ小さく揺れた。


 この村と外との関係が、ようやく本当の意味で一歩進んだ。


 ──そう思った、次の瞬間だった。


「それで……輸送はどうしますか?」

「え?」


 間の抜けた声を出したのは、レインだった。

 セリナはきょとんとした顔でこちらを見る。


「え? ここ、荷馬車の定期便があるわけじゃないですよね?」

「は、はい」

「でしたら、レインさんたちが自分で運ぶしかないと思うんですけど……」

「……」


 沈黙。


 喜びで浮きかけていた空気が、一気に現実へ引き戻される。


 レインは数回まばたきをした。


 考えて、いなかった。

 いや、正確には、ぼんやりとはあった。街まで持っていく手段は必要だと、頭の隅では分かっていた。だが、仕入れの話がまとまるかどうかに気を取られすぎて、その先をまともに詰めていなかったのだ。


 もし出荷のたびに乗合馬車や荷馬車を毎回頼むことになれば、それだけで売り上げが消えかねない。


 顔から血の気が引くのが分かった。


「……ルゥ?」


 最後の望みをかけるように名前を呼ぶと、ルゥはぴしゃりと答えた。


「むり」

「いや、頑張れば……」

「そんな重いの持てない」


 そりゃそうだ。


 ルゥは護衛や見張りには向いていても、荷運び専門ではない。そもそも見た目相応に小柄だ。箱をいくつも抱えて街まで往復、なんて無茶にもほどがある。


 するとスイが、ぱっと手を挙げた。


「わ、私、頑張ります!」

「いや、潰れるだろ!」


 反射的にレインが止める。


「わ、私だって魔物の端くれですよ! 一月くらいあれば街まで……」

「スイちゃん、それはさすがに途中で野菜が腐っちゃいますよ」


 セリナまで苦笑交じりに止めに入った。


 リーファは腕を組んだまま、ううんと唸る。


「……もしかして、ピンチ?」

「ですね……」


 セリナが静かに頷く。


 ここまで話が進んでおいて、最後の最後にそんな落とし穴があるとは。

 いや、落とし穴ではない。最初から道の真ん中に堂々と口を開けていた大穴だ。気づいていなかったのは、自分たちの方だった。


 まさか、品物よりも輸送が問題になるとは。


 売ることばかり考えていた頭に、物流手段という新しい現実が重くのしかかる。

 喜んだ直後だからこそ、その重さはなおさらだった。


 けれど。

 逆に言えば、次にやるべき事は見えた。


 レインは街道の先を見つめながら、ひとつ息を吐く。


「まぁ、ここまできたら、何とかするさ」

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。 毎日コツコツ投稿しておりますが、皆様のブックマークや評価ポイントが、物語を完結させる大きな支えになっています。 未熟な作品ですが、応援のほどよろしくお願いいたします!

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