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第32話 私は商人です

 レインの言葉が落ちると、畑にはしばらく沈黙が満ちた。


 風が吹き、若い葉が擦れ合って小さく鳴る。


 セリナは、すぐには何も言わなかった。


 驚いているのは分かる。警戒しているのも分かる。目の前にいるスイたちを見て、頭の中では“魔物”という言葉と、今まで知ってきた常識とを必死に繋ぎ合わせようとしているのだろう。


 スイは不安そうに俯いたまま、両手を胸の前でぎゅっと握っている。


 リーファも唇を引き結び、さっき前に出た勢いを失ったように一歩下がっていた。ルゥだけは変わらず静かだったが、その視線はずっとセリナから外れていない。


 逃げるなら逃げるで、それを止めるつもりはなかった。


 けれど、できれば。


 できれば、この縁が終わって欲しくはなかった。


「……正直、驚いています」


 ようやく、セリナが口を開いた。


 小さな声だったが、震えてはいない。


「怖くないと言ったら、嘘になります」


 その言葉に、スイの肩がぴくりと揺れた。

 だがセリナは、そこで言葉を切らなかった。


「でも、だからといって、すぐに全部駄目だとも言えません」


 レインはわずかに目を見開く。


 セリナは、まだ困惑を隠せていない顔のまま、それでも畑と箱の野菜を見比べていた。


「私は商人です」


 その声音が、少しだけ強くなる。


「商人だから、まず見るのは品物の品質です」


 リーファが顔を上げた。

 スイも、そろそろとセリナを見る。


「最近は、収穫量を増やすために怪しい薬を使う農家もいます。見た目だけ整えて、味も日持ちも悪い品を平気で混ぜるところだってあるんです」


 セリナは畑の土を見下ろす。


「そういうものは、見れば何となく分かります。土の匂いとか、葉の張りとか、実のつき方とか……全部が少しずつ不自然なんです」


 それから、ゆっくりとリーファの育てた野菜へ視線を移した。


「でも、ここは違う気がします」


「……それは」


 思わずレインが呟く。


 セリナは頷いた。


「リーファさんの力には驚きました。正直、頭ではうまく整理しきれていません。でも……リーファさんがこの畑をとても大切にしていて、ここの作物に誇りを持っているのは分かりました」


 リーファが、はっとしたように息を呑んだ。


「この畑も、見れば分かります。土はちゃんと手をかけて整えられてる。野菜の出来もいい。少なくとも、無理やり膨らませただけの粗悪品には見えません」


 セリナはそこまで言って、一度だけ苦笑した。


「……だからこそ、余計に悩むんですけど」


「悩む?」


 レインが聞き返すと、セリナは小さく息を吐いた。


「直接皆さんと接した私とは違って、街の人たちは、きっと簡単には受け入れません」


 その言葉は、ひどく現実的だった。


「私が今ここで見たことを、そのままお客さんに話したらどうなるか。たぶん、多くの人は“魔物が育てた野菜”っていう時点で引きます。味とか品質とか、その前に」


 レインは黙って聞いていた。


 それは、想像できる。

 というより、そうなるだろうと自分でも思っていた。


「だから、今すぐ全部を話すのは難しいです」


 セリナはまっすぐに言った。


「でも……だからといって、黙って売るのは、お客さんを騙すことになるんじゃないか、とも思います」


 その言葉に、今度はレインが息を詰まらせた。


 品質に自信はある。

 味も食べて貰えば分かるはずだ。


 だからといって、じゃあ黙って売るのか。それは本当に誠実なのか。


 バザーに店を構えた時は、売る事に精一杯で、その先、本当の意味で“商売”というのを考えていなかった。

 本物の商人を目の前にして、改めて問われると、その答えをレインもまだ持っていない。


 セリナは少しだけ視線を落とし、それから改めて顔を上げた。


「なので、提案があります」


「提案?」


「はい」


 セリナは畑の前で姿勢を正した。


「数日、ここで一緒に畑をさせてもらえませんか?」


「……は?」


 レインは思わず間の抜けた声を出してしまった。


 スイも目を丸くし、リーファは「えっ?」と露骨に驚く。ルゥは目を細めたまま、静かにセリナを見ていた。


 セリナはそんな反応を受けても引かずに続ける。


「自分の目で見て、食べて、確かめたいんです」


「確かめる……?」


「はい」


 きっぱりとした返事だった。


「畑の作り方も、普段の手入れも、皆さんがどう暮らしているかも。そこまで見たうえで、私が本当に責任を持てると思えたら、仕入れの話を進めたいんです」


 レインはしばらく言葉が出なかった。


 商売人というのは、もっと利己的で損得でしか動かないものだと思っていた。

 けれど返ってきたのは、たぶん一番真面目な答えだった。


「……いいんですか? こんな儲けになるかも分からない話のために、そこまで」


「もちろん、算段はあります。一言で魔物といっても、一部地域ではドライアドは実りの精霊として農作業者から敬われています。スライムだって汚泥を浄化してくれるという話もありますし、グレーウルフが植物の種子をその身に付けて遠くまで運んでくれるのは、子供でも知ってます」


 セリナは言葉を切って、リーファたちを見渡した。


「元々、魔物だって自然の一部なんです。そう考えれば、変な薬品を使うよりも、この畑の方がよっぽど自然なんじゃないかって。先入観さえ払拭できれば、──品物の品質は皆さんの言う通りですから」


 真っ直ぐな目だった。

 嘘も偽りも無い。お互いに手の内を見せ合った上で、信頼して話を進めようという、商人としての真摯さが伝わってくるようだ。


「いや、でも……」


 いろいろと急すぎる。

 泊まり込み? この村に? 数日?


 戸惑うレインをよそに、ぱっと顔を明るくしたのはスイだった。


「えっ、セリナさん、私たちと一緒にいてくれるんですか?」

「スイ……?」

「だ、だって……お客さんですよ!」


 スイは嬉しそうに胸の前で手を合わせる。


「村にお客さんが来るなんて、すごいことです!」

「いや、気持ちは分かるけどな……」


 分かるけど、そういう問題でもない。


 リーファはリーファで、まだ驚きが抜けない顔のままセリナを見る。


「本気で言ってるの?」

「本気です」

「ここ、見ての通りよ? 宿でも何でもないんだから」

「承知しています」

「食事だって質素だし、寝床も大したものないし」

「それも分かっています」

「後でやっぱり無理とか言われても困るんだけど」

「その時はその時です。でも、何事も自分の目で見て、やってみないと」


 リーファは驚きながらも、それ以上は言い返せなかった。


 レインは額に手を当て、小さく息を吐いた。

 正直、戸惑いしかない。


 けれど、セリナの提案には筋が通っていた。


 受け入れるにせよ、断るにせよ、まず自分で見て決めたい。商売を背負う人間としては、たぶんそれが一番まともなのだろう。


 それに。


 せっかく舞い込んできた、村を外へ繋ぐための細い糸だ。簡単に手放していいものじゃない。


 レインは仲間たちを見渡す。


 スイはもう完全に歓迎する気満々だ。リーファは驚きつつも、認めたようだ。ルゥは相変わらず分かりにくいが、少なくとも追い返したい雰囲気ではない。


 なら。


 ここで頭ごなしに断る理由は、なかった。


 レインは改めてセリナへ向き直る。


「……分かりました」


「はい」


「とりあえず、数日。ここで過ごしてもらって、それで判断してもらえれば」


 セリナの表情が、少しだけ柔らかくなる。


「ありがとうございます」


 その横で、スイがぱあっと顔を輝かせた。


「やった……! よろしくお願いします、セリナさん!」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げ返すセリナを見て、レインはまだ少し現実感がなかった。


 街でたまたま窃盗犯を捕まえただけのつもりが、まさかこの廃村に初めての客人が来る事になるとは。しかも数日泊まり込みで。


 話は進んだ。たしかに進んだはずだ、良い方向に。


 けれど同時に、面倒ごとの気配もだいぶ濃くなった気がする。


 レインは心の中でひとつだけ確信する。


 ──たぶん、ここからは、かなり賑やかな日々になる。

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