第31話 魔物は、嫌いですか?
畑に着いた瞬間、セリナは足を止めた。
「……え」
声が漏れる。
それも無理はないと、レインは思った。
村は確かに荒れている。崩れた家、傾いた柵、手の入っていない空き地。人が去って長い時間が経ったことが一目で分かる景色だ。
その中で、畑だけは堂々と生きていた。
土は耕され、畝は整えられ、青々とした葉が風に揺れている。まだ収穫を待つ区画も、これから育つ苗も、ちゃんと手をかけられているのが分かる状態だった。
「こんな荒れ果てた村で、ここまで立派な畑……どうやって」
「みんなで頑張りました!」
胸を張って答えたのはスイだった。
いつもより少しだけ得意げな声に、レインは思わず苦笑する。
たしかに間違ってはいない。
畑を作ったのは、誰か一人の力じゃない。土を甦らせたのはリーファで、水を運び世話をしたのはスイで、見張りや周囲の警戒はルゥが担ってくれた。
レイン自身も鍬を振るい、畝を作り、毎日泥だらけになって頑張った。
セリナは畑の縁まで歩いていき、しゃがみ込んで土を見る。指先で軽くつまみ、作物の葉の張りや色つやまで順に確かめていく。
その真剣な横顔を見ながら、レインは少しだけ緊張した。
商売人の目だ。
物を仕入れて売って、それでお終いじゃない。
自分が仕入れる物の出所。お客さんに安心して食べて貰える物なのか、畑までちゃんと見て判断する人なのだと分かる。
「……土も悪くないですね。むしろ、かなりいい方かも」
そう呟いてから、セリナは少し残念そうに畑全体を見回した。
「ただ、規模はまだ小さいですし……作物の成長具合を見ても、次の収穫はまだしばらく先になりそうですね」
「う……」
スイが少ししゅんとする。
リーファも悔しそうに唇を噛んだ。
「仕方ないでしょう。畑を起こしてから、まだそんなに経ってないんだから」
「いえ、責めてるわけじゃないんです」
セリナは慌てて首を振った。
「むしろ、短期間でここまで整えたとしたら、凄い事です。ただ、商売の話として考えると、すぐに安定した量を出荷するのは難しいかなって。それが尚更残念で」
それは、正しい。
痛いほど正しい。
今回街へ持ち込んだ分だって、今ある余剰をかき集めたんだ。今後も継続して出荷するとなると、どうしても普通のやり方じゃ量が足りない。
レインは畑と、仲間たちと、セリナの横顔を順に見た。
ここまで来た以上、どこかで言わなければならないとは思っていた。
隠したまま商売を始めるのは、違う。
後になって知られた方が、たぶんもっとまずい。
だからレインは、小さく息を吸ってから、背筋を伸ばした。
「あの、セリナさん」
「はい?」
「──魔物は、嫌いですか?」
唐突な問いに、セリナが目を瞬かせる。
「え? 突然どうしたんですか?」
戸惑いながらも、彼女は少し考えてから答えた。
「それは……魔物が好きな人なんて、あまりいないと思いますけど」
その言葉に、スイがふっと俯いた。
リーファも黙ったまま、ほんの少しだけ後ずさる。
ルゥは表情を変えなかったが、静かにセリナを見ていた。
その空気の重さを感じながらも、レインは目を逸らさなかった。
「俺は、そうでもないんです」
「……というと?」
「たしかに、魔物に困らされることはたくさんあります。魔物のせいで命を落とした人もたくさんいる。実際に俺も、コボルトに畑を荒らされました」
そこまでは事実だ。
だからこそ、その先も誤魔化したくなかった。
「でも」
レインは言葉を継いだ。
「魔物にも、人間と同じように、いい奴はいるんです」
「……あの、話が見えないんですけど」
当然の反応だった。
セリナの顔には、はっきりと警戒が浮かんでいる。
レインは一度だけ、仲間たちを見る。
スイは不安そうにこちらを見上げていた。
リーファは緊張を隠せないまま、けれど逃げずに立っている。
ルゥはただ静かに、成り行きを見守っていた。
なら、もう言うしかない。
「ここにいるのは、俺以外、みんな魔物なんです」
沈黙が落ちた。
風が畑を渡っていく音だけが、やけに大きく聞こえる。
「……どういう意味でしょうか」
セリナの声は、さっきより少し硬い。
その目が動いた。
無意識なのだろう。逃げ道を探すように、畑の端、来た道、周囲の開けた場所を順に見ているのが分かった。
レインにはそれを責められない。
人間にとって、魔物は脅威だ。
障害であり、排除すべき敵だ。
そう教えられてきたし、実際にそういう面もある。
だから、まずは見せるしかない。
「リーファ」
レインは目で畑の一角を示した。
「分かったわ」
リーファが一歩前に出る。
小さく息を整え、それから畑の苗へ手をかざした。
次の瞬間。
苗が、目に見えて伸びた。
葉が開き、茎が太り、つぼみが膨らみ、花が咲き、やがて実がつく。
ほんの短い間に起きた変化は、どう見ても普通の成長ではない。
「っ……!」
セリナが息を呑む。
目の前の現象を理解しきれないまま、それでも目だけは逸らせずにいる。
「リーファはドライアドです」
レインは静かに言った。
「スイはスライムで、ルゥはグレーウルフです」
セリナは混乱しているようだった。
視線がリーファ、スイ、ルゥへと順に移り、また畑へ戻る。言葉を探しているのに、追いつかない顔をしている。
やっとで絞り出した言葉は……
「もしかして……あの野菜も、そうやって作ったんですか?」
セリナの指が、持ってきた箱の中の野菜を指す。
「はい」
レインが答えると、セリナの顔に別種の戸惑いが浮かんだ。
「それって、その……食べて大丈夫なんですか?」
「少なくとも、俺は毎日食べてます」
「そ、それは……」
うまく言葉にならない不安が、声に滲んでいた。
すると、リーファがぱっと前へ出た。
「あ、あの!」
珍しく、声が上ずっている。
「ドライアドの力っていっても、野菜に何か変なことしてるわけじゃなくて。野菜が育ちやすいように土を整えたり、ちゃんと成長できるように手助けしてるだけなの」
必死な口調だった。
「だから、野菜そのものは普通と何も変わらなくて……その、無理やりおかしくしてるとか、そういうんじゃないの。土がよくて、水があれば野菜が育つのと一緒で、それをただ助けてるだけで……」
息継ぎも惜しい勢いで説明するリーファを見て、レインは一瞬、言葉を失った。
少し前のリーファなら、こんな反応はしなかったはずだ。
『何よ! だから人間って嫌い!』と怒鳴って背を向けても、何もおかしくなかった。
けれど今、彼女は違う。
拒絶されるのが怖いのに、それでも必死に言葉を尽くしている。
野菜を認めてもらいたいから。
この話を壊したくないから。
きっと、それだけじゃない。
自分たちの暮らしを、これからもつなげていきたいと思っているからだ。
レインはその背中を見ながら、静かに口を開いた。
「少なくとも、こいつらに悪意はないです」
セリナへ向き直る。
「それに俺も、これを隠したまま商売する気はありません。それはこいつらに対する裏切りだから」
風が吹き、畑の葉がざわりと揺れた。
セリナはまだ何も言わない。
驚きも、警戒も、不安も全部そのまま顔に出ている。
それでも、今すぐ逃げ出そうとはしていなかった。
そのことだけが、今はほんの少しだけ救いだった。




